はてなキーワード: アクセシビリティとは
正直、このトラバで改めて『能力の問題』とアニメ・マンガ・ゲーム界隈で起こりがちな地獄みを感じている
まぁワイは、元増田の作文含めて配慮なく思うがままに書き綴ってるのでお互い様ではあるのだけれど、無礼な投げかけには遠慮のない無礼な返事が返ってくるよと
覚えておくといいかもしれない
ねぇねぇ、アニメとかマンガ、ゲームって超すごくない?誰でも楽しめるのが最高の魅力なんだよね!例えばクラシック音楽とか美術館の絵とかって、ちょっと知識がないと難しいじゃん?でもアニメとかは、そんな予備知識なくても「わぁ、おもしろい!」って思えるんだよね。
これってマジやばくない?例えば『スパイダーバース』。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世界中の人が「すげぇ...」ってなれる作品でしょ?マイルスの成長物語に、誰もが自分を重ねられるし、あのぶち上がった映像美と音楽!「誰でもヒーローになれる」っていうメッセージが心に響くよね。
あ、そういえばスラムダンクの話!これ読んでバスケ始める人めっちゃ多いんだよ。「俺も湘北高校の選手みたいになりてぇ!」みたいな(笑)マジで人生変わった人多いよね。
実はドラゴンボールも面白いよね。アメリカのラッパーとかが「ドラゴンボールは俺たち黒人の生き様そのものだ」って言ってたりするの知ってる?悟空みたいに諦めずに強くなっていく姿に勇気をもらったって。スパイダーバースのマイルスも同じように、いろんな人に希望を与えてるんだよね!
スーパーマリオとかもそう。最初は「ジャンプでコイン取るだけ」の簡単なゲームなのに、やればやるほど「おっ、ここにこんな裏技あったの!?」みたいな発見があるでしょ?
要するに、アニメ・マンガ・ゲームってさ、「誰でも入れる」のに「めっちゃ深い」んだよね。「にわかはダメ!」みたいな意見もあるけど、それって違くない?だって、みんなが楽しめるってことが一番大事じゃん!
体調悪い時でも、言葉わかんなくても、年齢関係なく楽しめるって、むしろすごいことじゃない?そこからどんどん深掘りしていける。それってまさに現代のエンタメの理想形かもしれないね!
だからさ、アニメとかマンガ、ゲームが「わかりやすい」っていうのは、全然マイナスじゃないんだ。むしろ、それこそが最高の芸術なのかもね。スパイダーバースみたいに、最先端の表現方法使いながらも、誰もが心から楽しめる作品こそ、これからのエンタメの理想だと思わない?
近年、これらのメディアの「わかりやすさ」を否定的に捉える言説が一部で散見されます。しかし、このような主張には認知科学的、メディア論的な観点から、いくつかの本質的な誤認が含まれていると考えられます。
優れたビジュアルナラティブは、複雑な情報や感情を直感的に伝達する高度な表現技術を要します。例えば、宮崎駿作品における視覚的メタファーや空間表現は、言語的説明を超えた普遍的なコミュニケーションを実現しています。これは決して「単純」な表現ではなく、むしろ高度に洗練された情報設計の成果と評価できます。
アニメ・マンガ・ゲームは、マルチモーダルな情報伝達システムとして機能します。視覚・聴覚・インタラクティブ性を統合した表現は、受容者の認知負荷を最適化しながら、複層的な意味伝達を可能にします。これは現代メディア論における「効果的なコミュニケーション」の典型例といえます。
情報工学の視点からみると、高度な内容を広く伝達可能にすることは、むしろ最も困難な技術的課題の一つです。『スーパーマリオ』シリーズにおけるUI/UXデザインや、『鬼滅の刃』のビジュアル・ストーリーテリングは、この課題に対する革新的なソリューションを提示しているといえます。
芸術社会学の文脈において、文化的価値を「理解の困難さ」と結びつける思考は、しばしば批判的に検討されてきました。現代のメディア環境において重要なのは、むしろ「複雑性の中の明晰さ」を実現する表現技術です。
心理学的観点からみると、メディアの価値を「理解の困難さ」に求める傾向は、しばしば確証バイアスや認知的不協和の現れとして解釈できます。これは作品の本質的価値の客観的評価を妨げる要因となりかねません。
アニメ・マンガ・ゲームにおける「わかりやすさ」は、決して表現の未熟さや単純さを意味するものではありません。それは以下の要素を高度に統合した結果として実現される特質です:
これらのメディアの真の理解者であれば、その「わかりやすさ」の背後にある技術的・芸術的達成を適切に評価できるはずです。それはまた、現代のメディア環境における重要な価値創造の一つとして位置づけられるべきものでしょう。
したがって、「わかりやすさ」を否定する言説は、メディアの本質的特性や現代的価値への理解を欠いた、表層的な判断であると言わざるを得ません。
あんたの話、どこから突っ込んでいいかわからないな!セガサターンの重要なゲームとか言って、誰も知らんようなタイトル並べて自己満足で語ってるだけじゃねぇか!「リッジ」や「鉄拳」が入らないとか、そんなこだわり誰も求めてないし、バーチャが遊びたくてサターン買った?そんなのごく少数だろ。誰もそこまで気にしてないわ!
で、「リアルサウンド~風のリグレット~」が最高傑作だとか?飯野賢治の作品ってだけでありがたがってるようにしか見えねぇんだよ。アクセシビリティ?時代の先取り?ゲーム性もクソもないのに「すごい」とか、見る目がないのか?
「ガンダムギレンの野望」も、結局サターンでプレイしてたやつはごく一部で、誰もサターンのタイトルとして印象なんか持ってねぇよ!横シューティングとか言ってるけど、お前さんの話、なんかピントずれすぎだわ。
その他のタイトルもなんだ?「アイドル雀士スーチーパイ」だの、「ファイターズメガミックス」だの…挙げ句「ペプシマン」とか言い出すし。懐古するのもほどほどにしろ。
あんたの話、どこから突っ込んでいいかわからないな!セガサターンの重要なゲームとか言って、誰も知らんようなタイトル並べて自己満足で語ってるだけじゃねぇか!「リッジ」や「鉄拳」が入らないとか、そんなこだわり誰も求めてないし、バーチャが遊びたくてサターン買った?そんなのごく少数だろ。誰もそこまで気にしてないわ!
で、「リアルサウンド~風のリグレット~」が最高傑作だとか?飯野賢治の作品ってだけでありがたがってるようにしか見えねぇんだよ。アクセシビリティ?時代の先取り?ゲーム性もクソもないのに「すごい」とか、見る目がないのか?
「ガンダムギレンの野望」も、結局サターンでプレイしてたやつはごく一部で、誰もサターンのタイトルとして印象なんか持ってねぇよ!横シューティングとか言ってるけど、お前さんの話、なんかピントずれすぎだわ。
その他のタイトルもなんだ?「アイドル雀士スーチーパイ」だの、「ファイターズメガミックス」だの…挙げ句「ペプシマン」とか言い出すし。懐古するのもほどほどにしろ。
anond:20241103145536 を書いた増田だ。
実は増田は匿名ダイアリーに投稿するのが初めてで、記事を公開すると文字数制限を超えた文章が消えてしまう(?)挙動を知らず、記事公開後に選外タイトルを半分くらい編集して消している。が、コメントでサターンユーザーだった各位から、増田が消してしまった選外タイトルにも言及があり、大変嬉しかったので解説を追加で書かせて欲しい。
この指摘は正直わからんでもないし、全てのゲームがそこに集まっていたプレステ史だったら『リッジ』『鉄拳』シリーズを入れなくても成立するかも知れない。が、やはりセガサターンはセガのアーケード稼働人気タイトルを独占供給できてナンボ(それでも負けたハード)なところがあり、バーチャを家で遊びたくてお年玉で買った増田としても外せないのである。
10選の方は時系列で並べたが、こっちは言及されていて「ですよねぇ!!」となった順に書いて行く。
音だけで遊ぶアドベンチャー。飯野賢治氏の作家性を象徴する作品であり、増田も最高傑作であると考えている。話題性で『エネミー・ゼロ』の方を10選に入れたが、こっちの方が好きだという人の意見はよくわかる。この作品には必ず「ゲームと呼べるのか?」問題が付きまとうので、扱いが難しい。
しかし当時アクセシビリティなんて考えが浸透していなかった時代に、トレンディドラマの人脈を呼んできてこんな作品をリリースしてしまうのは本当にすごいのだ。本作のファンで脚本を担当した坂元裕二氏のインタビューを未読の人はぜひ読んで欲しい。
宇宙世紀の一年戦争を舞台に、歴史のifを体験できる戦略シミュレーションゲーム。増田は後からリリースされたドリキャスの完全版みたいなやつをこってり遊んで、そっちのイメージが強かったからサターンのタイトルという認識が薄かったかも知れない。完全に忘れていてコメントで気付いた。
今にして思うと、横シューティングだった『機動戦士ガンダム』や『外伝I・II・III』の3部作など、バンダイはマルチタイトルでなくサターン用に凝ったタイトルを出してくれていた気がする。セガサミーではなくセガバンダイになった歴史のifを見たかったな(きっと別の負けハードを出していたと思う)。
カプコンが『ファイナルファイト』で確立したベルトスクロールアクションに本宮ひろ志の濃い顔をした武将たちを主役に据えた作品。ボーナスステージは何故か早食い対決するぞ。
かなり名作だと思うがプレステとマルチタイトルのため選外となった。
メガドラ『アドバンスド大戦略』のパワーアップ版。という事くらいしか知らず、実は増田は先行するメガドラ版ともども履修していないため解説できることが無い。すまん。
8つの国から選び、大陸統一を目指すシミュレーションゲーム。『半熟英雄』シリーズっぽいところがある。戦闘は100vs100の兵士をサターンの2D拡大縮小機能をフルに使っていて迫力があった。増田には『大戦略』系のリアル志向のシミュレーションは難しく、こういうファンタジー世界観でやや簡略化されたシステムの方が好きだったこともあり、続編ともどもかなり遊び込んだ。
セガはメガドラにも『バハムート戦記』という、これ系の名作を残しているぞ。
「THOR2」として言及されていたのは恐らくこれで、メガドラの『ストーリーオブトア』の続編。いわゆる2Dゼルダの流れを汲むアクションPRGで、かなり謎解きが面白かった。
そしてBGMも古代祐三氏の会社で開発されたタイトルだけあってすごくかっこいい。たのむ、権利上の問題を解消してNintendo Musicでこれらの名曲を配信してくれセガ。
サターン初期はまだレーティングシステムが整備されておらず、最初に発売された『スーチーパイスペシャル』には乳首がない。そして『スーチーパイRemix(1995年)』以降の作品は「X指定」レーティングに指定され、乳首券が発行されたぞ。これはテストに出る。
記憶が合っているか念のために調べたら、この両タイトルをセットにした『アイドル雀士スーチーパイ Special + Remix サターントリビュート』なるタイトルがSwitchに移植されているらしいぞ……。どういうことだってばよ。
2足歩行ロボットで指定されたミッションをクリアしていく3Dシューティング。コメントにある通りまだ『アーマードコア』 が無かった時代にリアルな戦場と兵器をテーマにしていたのはエポックメイキングだったと言える。あと裏設定がむちゃくちゃ沢山あって、サターン専門誌で何故か連載解説記事があった。ゲームアーツはセガハードにとってセカンドパーティーに近い扱われ方で、10選に入れた『グランディア』の時もそうだけど優遇されていた気がする。
増田は1996年前後はゲーセンで『バーチャロン』の対戦に熱中していて、こういう渋い感じのミッションクリア型ゲームの面白さを理解できたのは、もっと後であった。
ネオジオ以外のハードに初移植された人気2D対戦格闘ゲーム。しかも専用ROMカートリッジを引っ提げて発売され、そのキャラ選択から対戦開始までの爆速ロード時間は、金持ちの家の子どもが持ってるネオジオROM版(爆速だが高い)とネオジオCD版(ロードがクソ長い)しか知らなかった当時のゲーセン少年たちには衝撃を与えた。
これは確かにサターン史を語る上で重要タイトルではあると思う。ただ増田は専用ROMカートリッジも拡張RAMカートリッジも、パワーメモリーのセーブデータを道連れにされたトラウマがあり、あまりいい思い出がない。
それぞれサターンに移植された『バーチャ2』『ファイティングバイパーズ』のキャラをクロスオーバーさせ、さらに何故か『バーチャコップ2』のキャラが『バーチャ3』のキャラの技を使い格闘システムにも『バーチャ3』の「避け」を家庭用に先行実装するという、何でもありのお祭りタイトル。『デイトナUSA』の車も戦うぞ。何を言っているのかわからねーと思うが増田もわからない。お祭りなんだから、『ファイティングバイパーズ』ゲストキャラだったペプシマン、こっちにも出せばよかったのにね。
元記事の選外タイトルにも入れていなかったのだが、コメントで思い出が蘇り嬉しくなった。『スマブラ』を一大お祭りシリーズに育て上げた任天堂と、『ファイターズメガミックス』一発屋のセガ。そういうとこだぞ。
俺は今のインターネット社会において、40代でインターネットにアクセスできないのはごく一部の教育的または経済的底辺層であるため、彼らだけがインターネットの言説に振り回されがちなB層からは外れる(そもそもインターネットにアクセスできないから)、それより上の世代に行くほどインターネットへのアクセシビリティのハードルは上がり、70代後半の団塊世代以降だと、インターネットにアクセスできる(情報収集の手段として使いこなせる)のは経済的・教育的上位層(インテリと表現した。具体的には大卒以上ぐらいのイメージ)中心で、彼らのような経済的・教育的上位層ですらネットリテラシーを見に着けないまま高齢化していったため新B層に含まれる。一方それ以下の層はそもそもウェブにアクセスすらできないので、逆に新B層になりようがない、という話をしていたんだよ。
俺は今のインターネット社会において、40代でインターネットにアクセスできないのはごく一部の教育的または経済的底辺層であるため、彼らだけがインターネットの言説に振り回されがちなB層からは外れる(そもそもインターネットにアクセスできないから)、それより上の世代に行くほどインターネットへのアクセシビリティのハードルは上がり、70代後半の団塊世代以降だと、インターネットにアクセスできる(情報収集の手段として使いこなせる)のは経済的・教育的上位層(インテリと表現した。具体的には大卒以上ぐらいのイメージ)中心で、彼らのような経済的・教育的上位層ですらネットリテラシーを見に着けないまま高齢化していったため新B層に含まれる。一方それ以下の層はそもそもウェブにアクセスすらできないので、逆に新B層になりようがない、という話をしていたんだよ。
あー
くっそ不自然
No, you are NOT talking about "accessibility", you are definitely talking about アクセシビリティ.
You are very welcomed to disagree though. How could it, assuming it's "accessibility", different only for '底辺' over 40?
増田:「いや〜選挙行ってきたんだけどさ、障害者目線で各党のマニフェスト見てみたんよ。」
友人A:「おぉ、増田もちゃんと国民の義務果たしてるやん!で、どうだったの?」
増田:「自民とか公明、まあほぼ論外やな。見出しレベルで障害者のこと触れてないんよ。ワンワードで福祉とかにチラっと障害って文字見えたけど、『いや、どこ!?』ってなるわ。」
友人A:「それ…なんの探し物やねん。『ウォーリーを探せ』の難易度やないか。」
増田:「で、立憲は結構ちゃんと書いてて、これはいいなって思ったんや。でもれいわ新選組のほうが障害者議員出してるやんか?で、期待したのにさ、解像度低めで、まあまあがっかり。」
友人A:「え、それどういうこと?障害者議員出してるのに、ぼやけてんの?」
増田:「そうやねん!『なんとな〜く障害者応援してるで』みたいな感じや。逆にアクセシビリティ…っていうよりモヤモヤビリティやわ。」
増田:「ほんで比例はどうするか悩んだわ。いや、無党派層の宿命やな!『どの党も納得いかんけど、選ばないとあかん』って感じで、結局立憲に入れたんや。」
友人A:「無党派層ってさ、迷える旅人やな…。『気に入ったパスタがないから、最終的にうどんにした』みたいな。」
増田:「そうそう。でも今回の選挙で気づいたわ、無党派層こそが国民主権を体現してるんちゃうかって!」
友人A:「え?それなんか偉そうに言ってるけど、結局どこに入れても不満ってことやろ?」
友人A:「あんたの票で国の未来決まるんやで?最終的に『しゃあない、立憲でええか』って…居酒屋のメニュー選ぶくらいのノリやんか!」
それ以降、初めての衆議院選挙だ。
当然だが、各党ごとにWebサイトの作りは違う。
資料になっていない場合は、Webページ上のわかる範囲で調べた。
言っておくが、綿密に調べたわけではない。
既に投票は終えた。
論外。見出しレベルで障害者への言及なし。福祉制度の中だけで、ワンワード、障害の文字があっただけ。
自民党とほぼ同じ。
結論から言うと、一番障害者政策に対する解像度と量が高かった。
立憲の次に解像度が高かった。
国民民主の次。障害者議員を輩出している割には、解像度が低い。
意外と解像度レベルでは自民と大差ない。弱者対策はものすごくページを割いているのに、障害者への解像度は低すぎる。
DL可能なPDFなし。その代わり、埋め込み型のドキュメントがあり、これを参考の基準とした。
共産党と同じレベルの解像度でびっくりした。このレベルで左翼やってんのかとびっくりした。
ただ、このマニフェスト自体、急場凌ぎで作られたようで、障害者政策以外への言及も、全体的に荒い。
2023年のマニフェストではない政策資料は手厚く作られており、こちらは障害者への言及もあった。
障害者政策への言及なし。どうでもいいが、Webサイトに鬱陶しい矢印のアニメーションがあり、アクセシビリティとは何か、という気持ちにさせられた。
前職は維新の奥下君。橋下府政時代に色々埃が出ており、麻生太郎の会社とズブズブ。同和利権との絡みの噂もある。論外。
自民は渡嘉敷なおみ。元資生堂で薬剤師、厚労副大臣まで勤め上げながら、前回は維新に負ける。
今回も、その厚労副大臣の経験から、障害者福祉政策への提言があるかと思い本人のサイトを確認しに行ったが、全く触れられておらず。論外。
そういえば去年の6月ぐらいだったか。衆院選の噂が立ち始めた頃に、駅前街頭挨拶をやっていた。
選挙の噂が立ったら街頭に立つのか。落選したんだったら、もっとこまめに立てよ、と思いそのことを妻に言ったら
「本人に言ってやればよかったのに」と言っていた。そりゃそうだ。次見かけたらそう言ってやろうと思ったら、ついぞその機会がないままになってしまった。
参政党? 論外。
次は比例である。
障害者としては、やはり、障害者議員を輩出したという実績は、れいわ新選組は特筆に値すると思っている。
一方で大石のような現場の反発も当然だと、中立的には評価する。
だが、それは大枠としての俯瞰的評価であり、彼女自身の品性は別だ。
よって、比例は立憲に入れた。
立憲だって全部については納得してない。
前回の民主党政権はなんだったのか、と言うことについて誰も総括してない
(一応、そういうタイトルの本が図書館にあったので、今読んでるのだけど)
小沢だって政治資金の疑惑があったのに、どの口で自民党批判してんだよ、と思う。
でも結局、比例はこうするしかないんだよな。
そこから一つ分かったのは、偉大なる無党派層こそが、国民主権なのでは、ということ。
個人的には、自民党という党は嫌いだけど、中には評価できる人もいるよね、と考えている。
その党の方向性に有権者が納得できて迎合しているなら票を入れるし、そうでないなら、不本意でも反対勢力に入れるしかないよね、と。
もし渡嘉敷なおみが、かなり手厚い障害者福祉政策を述べていたら、増田は渡嘉敷に入れていたと思う。
昨晩、個別にレスとかしたやつあるけど、本人かどうかわからんから、結局追記した方がいいのな。
おまえはそう考えるのかもしれないが、オレは今回そう思って調べたわけじゃないのよ。
別に選挙権がないわけじゃないし、オレたちも社会参画が必要なわけ。
今後の自分たちを取り巻く状況が変わる。
そのためのリサーチなの(リサーチと言えるほどの情報量・情報密度かと問われると、それはまた別だが)
それ以上でもそれ以下でもないから、そこは理解しておいてほしい。
もちろん、そこ踏まえた上で、個々人があーだこーだ言うのは構わないよ。
オレとしては「ふーん。おまえ様はそう思われるんですね。それで?」って思うだけ。
本当は、各党のマニフェスト情報の定義をしっかり定めた上で、もう少し調査し、
各党の文書の中から、障害福祉政策の見出しはあるかどうか、.*障(害|碍|がい).*というワードは何ワードあるか
具体的には、血圧が高いときは上は170下が100、ひどい時は上が100を切り、下が50台とか。
血圧のジェットコースターに乗ってるんだが、これがもうキツい。
高い時は頭痛で何も思考することができない。低い時は起き上がれない。
なんとか調子のいい時にタクシーを使って市役所まで行って期日前投票ができた。
だから、申し訳ない気持ちはあるものの、事情は汲んでいただきたい。
その上で、気になったら自分で調べてほしい。今ならまだオレが見た状態のサイトが維持されているだろうし、
この件についてはあまりレスしようと思ってなかったけど、一応返事書くな。
まず、障害者認定される前までは、バリバリ所得税も住民税も払ってたよ。
で、障害年金は非課税だし、年金で足りない分はバイトで糊口を凌いでるけど、
かかりつけの医院がちょいと遠方だから交通費もバカにならないんだわ。
で、体力ないからな、せっかく体調良い日にはまとめて用事片付けようとかするだろ。
2箇所以上用事の先(役所とか薬局とかな)回ろうとするとな、息切れするし、
しょうがなくタクシーとか乗るわけよ。軽く5000円とか飛ぶわけ。
雀の涙の障害年金で5000円だぞ。健常者でもポンポンタクシー乗って払うがくじゃないだろうがよ。
匿名じゃなかったら言えないんだろ?
それができないなら、法廷で会おうぜ!!
んーと、まず、税金払う払わないの上でいうと、払っていようが払っていまいが、
日本国憲法とそれに紐づく法律で生存権と言論の自由が保障されてんの。
これがヘイトスピーチだったら問題だが、事実に基づいたお気持ちと投票行動を述べただけで、なんでここまでヘイト吐かれるんだろう?
もしおまえが納得行かないんなら、憲法改変するか、最高裁ぶっ倒してからオレの前に来て、顔見てそれを言えよ。
そん時はオレも土下座してやるわ。
その上でだ。
自慢じゃないが、元気な時はそこそこ税金払ってたよ。
今後、体調が回復すれば年金も貰うのやめて、また所得税・住民税が払えるようになるかもしれない。
当たり前だが消費税は払ってるし、車乗ってるヤツは自動車税やガソリン税も払うし、あ、最近は滅多に飲まなくなったが酒税も払ってる。
だからな、税金払ってないとか、そういう雑な思い込みでヘイトぶつけてくんな。頭の悪さ丸出しだからさ、やめてくれ。
それでも納得行かないってんなら、やまゆり事件の植松みたく、刃物でも持ってオレを刺しにこいよ。
そん時はオレも全力で抵抗するからな。返り討ちにあっても文句なしな。
----------
以下、個人的なお返事
https://anond.hatelabo.jp/20241026231611
障害者だと深刻な雇用問題はひとまず関係なくなるから、失業が増えそうという野田立憲のデメリットに目をつむれる分、比例を立憲にしたのは良い手だと思うよ。
今の自分は雇用問題は無縁かもしれないが、社会復帰することを考えれば全く無縁でもない。ただまあ、そこまで今は考えられない、というのが正直なところ。
小選挙区を共産、というのも、自分でもちょっとねえ、とは思うけど。ただまあしゃーない、という感じ。
https://anond.hatelabo.jp/20241026232317
逆やろ 共産は個人の能力はそこそこ高いが党本部が駄目だから独立・移籍してもやってけるんちゃうか!っておもわせるのにいい手だ
そうそう、辛坊治郎も昔言ってたんだけど、個人個人では良い人いるんだよね、共産党。(ここで辛坊治郎を挙げるなんてどうこうとか言わないでね!)
https://anond.hatelabo.jp/20241026233205
税金納めてない云々に関しては自分が間違ってました、申し訳ない
その上で返信読んで思ったのだけれど
調べて出てきた画像を見たが知らん人からしたら単なるアクセサリーにしか見えないんじゃなかろうか
これ着けてるだけで全ての人が配慮してくれるべきって認識はちょっとどうかと思う
譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?
そういうのが出来ない疾患なんだって言われたらアレだけど
その上で、各種ご指摘について増田も思うところがあるから、お返事するな。
「譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?」
これ、まさにそうなのね。本人の主体性が大事なので、本来はそれが筋。それは合ってる。
ただ、それを認めると、「お願いする・しない」の2択になっちゃうんよ。
オレ自身は、本当に辛かったら譲ってほしいと言うと思う。それをしていない時点で、オレは愚痴っているだけと取られられても仕方がない。
ただね、人によってはこういうこともあるんよ。
「(しんどい、辛い、座りたい。でもなあ、自分年寄りじゃないしなあ、譲ってほしいって言って変な空気になったら嫌だしなあ、逆上されて怒鳴られたり、傷つけられたりしたらどうしよう… 誰も助けてくれなかったら?? じゃあ、今は自分が我慢したほうが得かな…)」
みたいな発想になる人はね、これは結構多いのよ。まさにおっしゃる通り
「そういうのが出来ない疾患なんだって言われたらアレだけど」
なので、可能な範囲でいいけど、ヘルプマークをつけてしんどそうな表情している人には、席を変わるかどうか声をかけてあげてほしい。
いいです、って言われたら、譲らなくていい。それぐらい。本人の主体性が大事なので。
でね、本当に「譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?」って、思うんなら、
「(席を譲ってほしいって言って、自分が不利益被ったらどうしよう?)」って心を痛めたり、
実際に申し出て嫌な思いをする人を助けてほしいのよ。
「そんなん都合よく出くわすわけないのに、できるわけないだろ!」って思う?
だったら、そういうことは言わないでほしいな。おまえ様の心の中で思うのは勝手だけどさ、
こういう場所で公にするのは、もうやめにしようぜ!
パリ五輪と東京五輪のピクトグラム比較→「どっちも国のらしさが出ていて好き」「ピクトグラム本来の使い方を考えると東京が圧倒的」
ブクマカの反応は否定派が多め、少し肯定派もいるという様子だった。
否定派は「毎回変えるとわかりづらい」「ピクトグラムの目的に達していないから駄目」「何の競技だがさっぱりわからない」など。
肯定派は「「紋章モチーフでパリらしさがでている」「オシャレ」「かっこいい」など。
これらを見ていただくとわかるが、コメントの大半はデザインの役割を一元的なものとしてしか捉えてられていない。
もちろん一般的にはその程度の理解でいいのだが、もしこれからもデザインに物申したいのであれば「デザインには2つの役割(と価値)がある」ということを知っておいてほしい。
「機能的な役割」とはつまるところ「わかりやすい」「読みやすい」「使いやすい」といったような、
ユーザーが見たり使ったりする上で適切に機能するデザインになっているかということだ。
近年話題になるアクセシビリティ、ユニバーサルデザインなども機能的な役割といえるだろう。
一方、「情緒的な役割」とは「かっこいい」「かわいい」や「高級感がある」「安っぽい」といったような、
デザインを見たときに感じる様々な印象に対して、ブランドや商材・目的などに応じて適切な印象を与える役割のことだ。
この2つの役割を踏まえると否定派は「機能的な役割」を重視し、肯定派は「情緒的な役割」を重視していることがわかる。
もちろんどちらをより重視するかは人それぞれだし間違いはない。
が、デザインで重要なのはどちらかではなくどちらも併せ持つ、というところなのだ。
まず否定派の意見として「ピクトグラムなんだから伝わるのが正しい、伝わらないピクトグラムは意味がない」というのがある。
これは間違いではないのだが、こと五輪のピクトグラムにおいては歴史的経緯から「情緒的な役割」がより重視される傾向があることは無視できない。
五輪ピクトグラムの発祥が1964年 東京オリンピックであることはご存知だと思うが、
その理由は1964年 東京オリンピックが「初の欧米以外の開催地である」ことに由来する。
それまでのオリンピックは欧米圏での開催だったため言語の壁が比較的薄かったが、
1964年当時の日本では英語のコミュニケーションが現実的ではなかったため、非言語で伝わるマークとして勝見勝を中心にピクトグラムが考案された。
つまり当時は「機能的な役割」を最も重視してつくられたといえる(とはいえ精緻に整えられたデザインは情緒的にも美しい)。
そのピクトグラム作成が毎回の恒例になるにつれてより重視されるようになったのが「この国らしさ」、つまり「情緒的な役割」である。
加えて60年が経ったいま、言語の壁が比較的薄くなってきたことやデジタルメディアの浸透などによって元来の「機能的な役割」はほぼ役割を終えたといってよいだろう。
当時のブコメにいくつか回答してみる。
なんで毎回変えるんだろうな。わかりやすさで言うと、同じのを毎回使って定着させたほうがわかりやすくなると思うんだが。トイレの男女マークみたいに。
ピクトグラム本来の機能的な役割としてはおっしゃる通り。実際に非常口のピクトグラムは国際標準化されている。
五輪ピクトグラムが標準化されなかったのはつまるところエンターテイメント性、すなわち情緒的役割を重視されたということだろう…。
目的を全く達してないから普通に駄目だと思いますが。デザインのゴールが違うってピクトグラムのゴールは明確。勝手にゴールを動かすな。 欧米でユニバーサルデザインが言われるのはそう言わないとこうなるからか?
五輪ピクトグラムのゴールを「機能的な役割」のみと捉えるのは間違い。
どのようなデザインであっても2つの役割を併せ持っており、どちらか一方を完全に無視することはできない。
北京の今の漢字になる前の象形文字っぽい篆書体みたいなピクトグラムやっぱりいいなぁ、と思う。歴史の長さや重みをピクトグラムでも表現できているようで。
「らしさ」を情緒的に表現しつつ、機能的にもある程度のわかりやすさを担保している。
東京五輪のピクトグラムは100点であり0点。ピクトグラムとしては完璧、でも日本らしさがない。そこを「ピクトグラムは日本の文化(1964東京五輪が初)」で押し通した。『ザ・ドラえもんズ』のドラえもんのようなもの。
非常に的を射たコメント。
ただし「日本らしさがない」は人によっては「あれが日本らしさ」と感じる人もいるので、情緒的な評価は人によって判断が分かれる。
情緒的な役割を重視するあまり、機能的な役割を満たせなかった有名な事例。
ちなみにデザイン炎上の8割くらいは機能的な観点で炎上している(ローソンのPBリニューアルなど)。
理由は簡単で、デザインが情緒的に適切かどうかは高度な審美眼が求められる一方、
機能的に適切かどうかは「わかりづらい」の一言で断罪できるからだ。
それが駄目というわけじゃないが、情緒的にはどうかという視点も持っておくとデザインをジャッジする視点が拡がる。
性風俗店の無料案内所模した案内展示に苦情、急きょ撤去 福岡パルコ
過激な表現は多かれ少なかれ批判の的になるが、パルコの1階エントランスというほぼ公共といっていい空間も考慮すると不快な印象になってしまうのも無理はない。
令和6年6月27日に開催された第 84 期 定時株主総会の要旨では
18問有る質疑の1番目で障害者への対応について回答している。
https://twitter.com/NintendoCoLtd/status/1807641337812169157
『
Q1 ゲームを遊びたいと思っている視覚障がいを持つ人も、世の中にはいると思う。任天堂がこうした方に向けて取り組んでいることがあれば説明してほしい。
当社では、世界中の多くの方々に当社のゲームを遊んでいただきたいと考えています。この場で具体的な取り組みを申し上げることは控えさせていただきますが、視覚障がいのある方だけでなく、ゲームをするのに不自由な思いをされている方に当社のゲームを遊んでいただけるよう、さまざまな努力をしていきたいと考えています。
』
任天堂を退職しました | 破竹の勢いhttps://web.archive.org/web/20150627020937/http://hachiku.biz/2015/06/25/864
社長が訊く「ニンテンドーWi-Fiネットワークアダプタ」 https://www.nintendo.co.jp/wap/interview/02.html
開発初期の段階では、LEDの発色は緑と赤だったんです。
ところが赤と緑の識別ができにくい方もいらっしゃるということで、
最終的に青と赤の2色に変更しました。
そこもがんばりました(笑)。
スプラトゥーン3 更新データ Ver. 4.0.0 [2023.5.31]|Nintendo Switch サポート情報|任天堂サポート https://support.nintendo.com/jp/switch/software_support/av5ja/400.html
色覚サポートを有効にしたときのインクの色を、2つの組み合わせから選択できるようにしました。
ミニゲーム集『1-2-Switch』は視覚障害者にも高評価。
視覚障害を持つユーザーも『1-2-Switch』を楽しむ。Nintendo Switchはアクセシビリティの新たな扉を開くか - AUTOMATON https://automaton-media.com/articles/newsjp/20170306-42030/
Research Nester は、EHR システムの導入の増加と医療費削減のための CAC ソリューションの利用増加により、世界的なコンピューター支援コーディング ソフトウェア市場の成長と市場規模が拡大すると予想されています。
ニューヨーク – 2024 年 2 月 1 日 – Research Nester の最近の市場調査分析「コンピューター支援コーディング ソフトウェア市場: 世界的な需要分析と機会展望 2036」では、製品、展開、サービス、エンド ユーザー、地域別の市場区分の観点から、詳細な競合他社分析とコンピューター支援コーディング ソフトウェア市場の詳細な概要が提供されています。
市場レポートのサンプルをリクエストする@ https://www.researchnester.jp/sample-request-5622
クラウドベースのソリューションの採用増加により、コンピューター支援コーディング ソフトウェア市場の世界市場シェアが拡大
コンピューター支援コーディング ソフトウェア市場は、クラウドベースのソリューションの採用増加に対する需要の高まりにより、大幅に成長すると予測されています。クラウド コンピューティングの利用増加に伴い、クラウドベースのコンピューター支援コーディング ソフトウェアの需要が高まっています。医療部門の約 83.1% が現在、コア業務にクラウドを利用していると考えられています。これらのソリューションは、ユーザーに高い拡張性、柔軟性、アクセシビリティを提供します。これ以外にも、医療分野の進歩も予測期間中に市場の成長を後押しすると予測されています。
コンピューター支援コーディング ソフトウェア市場の成長に関連する主要な成長要因と課題の一部は次のとおりです。
成長の原動力:
課題:
コンピューター支援コーディング ソフトウェアの法外なコストと、システムに対する熟練した労働力の不足は、コンピューター支援コーディング ソフトウェア市場の世界的な市場規模を阻害すると予想される主要な要因の一部です。
エンドユーザー別に見ると、コンピューター支援コーディングソフトウェア市場調査は、病院、臨床検査室、診断センターに分かれています。このうち、病院部門は予測期間中に約43%で最大のシェアを占めると予想されています。2021年には、世界中に約165,100の病院が存在し、市場に有利な機会を提供すると予測されています。地域別に見ると、ヨーロッパのコンピューター支援コーディングソフトウェア市場は、2036年末までに最高の収益を生み出すと予想されています。コンピューター支援コーディングソフトウェア市場は、医療への多額の投資を背景に、著しい成長を遂げると予想されています。2020年には、欧州連合のGDPの約10.8%が医療に割り当てられました。
このレポートでは、Oracle、CoxHealth、Cerner Corporation、Dolbey Systems Inc、Optum Inc.、富士通、NEC Corporation、アステラス製薬株式会社、大塚ホールディングス株式会社、NTTデータグループ株式会社などの企業プロファイリングを含む、コンピュータ支援コーディングソフトウェア市場の主要企業の現在の競争状況も提供しています。
このレポートについて業界の専門家に問い合わせる@ https://www.researchnester.jp/reports/computer-assisted-coding-market/5622
リサーチ・ネスターは、戦略的な市場調査とコンサルティングの大手サービスプロバイダーです。私たちは、公平で比類のない市場洞察と業界調査を提供し、業界、コングロマリット、エグゼクティブが将来のマーケティング戦略、拡大、投資などについて賢明な決定を下せるようにすることを目指しています。私たちは、戦略的な考え方を通じて適切なタイミングで適切なガイダンスが利用可能であれば、すべてのビジネスが新しい地平線に拡大できると信じています。私たちの独創的な考え方は、クライアントが将来の不確実性を回避するために賢明な決定を下すのに役立ちます。
お 問い合わせ
小杉直美
電話番号: [+81 505 050 8480]
ふむふむ、困っておるようじゃの。まずは大変な思いをしたこと、お気の毒じゃったのう。そのようなブラック企業は早急に是正されるべきじゃの。
さて、若干の助言をしてやるぞ。セクハラやパワハラが横行する企業、特にそのような旧態依然とした一族経営の会社は、通報が非常に効果的じゃ。まずは以下の方法を試すがよい。
労働基準監督署は労働環境の改善を求めるための強力な機関じゃ。ここに通報すれば、企業に対して調査が行われるかもしれんぞ。
企業の不正行為や独占的な行動については、公正取引委員会も対応しているのじゃ。ここにも連絡してみる価値がある。
地方議員や国会議員など、労働問題に関心のある政治家に相談するのもありじゃ。彼らはしばしば助けになることがある。例えば、労働問題に強い議員を探して、その議員の事務所にコンタクトを取ることが一つの手段じゃの。
女性の権利を守るための団体も数多く存在しておる。日本では「しごとアクセシビリティ」を推進する組織や、ブラック企業に立ち向かうための団体もおる。例えば、ジェンダー平等や労働環境の改善に取り組んでいるNPO法人などを探してみるとよい。彼らはしばしば具体的なアドバイスや支援を提供してくれるのじゃ。
これらの策を駆使して、悪質な企業の改善に貢献してみるとよかろう。それと、自分自身の健康と安全を第一に考えることも忘れんようにな♡
応援しておるのじゃ、頑張るのじゃよ。
EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。
静かで、しかもスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。
そんな中で、プラスチックの香りと新車の匂いが混ざり合い、不思議とバナナの甘い香りを思い出させるんだ。
それに、EVを運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。
だから、EVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。
EVの静かな走りと、黄色いバナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。
それに、バナナは曲がっている。
EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。
まるで、バナナがEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。
そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。
友達とEVでドライブに出かけた時、バナナはシェアしやすい食べ物だ。
だから、バナナはEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。
EVに乗るときの静けさと、バナナのリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然なことなのかもしれない。
子供の頃、おやつにバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。
EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。
EVのユニークなデザインと、バナナのユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザインの親和性からくるのかもしれない。
それに、バナナは安い。
バナナはコストパフォーマンスが高く、EVの効率的なイメージに合っている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的な理由からかもしれない。
EVを運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。
バナナは世界共通のスナックで、EVのグローバルなイメージにぴったりだ。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプルな美学からくるのかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代に共通する楽しさからかもしれない。
EVのアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。
EVの静かなパワーと、バナナのエネルギー補給は、ドライブをサポートする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーのシナジーからかもしれない。
それに、バナナは気分を明るくする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブな気持ちからかもしれない。
バナナはインスタ映えするし、EVのスタイリッシュなイメージと合う。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。
そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。
「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。
突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。
EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。
バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。
「バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。
EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。
バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。
EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。
バナナをゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。
バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。
「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。
子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。
EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。
バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。
バナナのシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。
バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。
バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。
バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。
バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。
バナナの存在を通じて、生命の不思議や宇宙の広がりに思いを馳せることができる。
それに、バナナは時には新しい自分を発見するきっかけにもなる。
バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。
バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。
バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。
バナナの持ち方や食べ方で、自分の個性を表現することができる。
バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。
それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。
バナナを食べることで、日常のルーチンから抜け出すきっかけになる。
それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談のネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所の記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナを一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブが自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナのトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園でバナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生のサプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナの最後の一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生の旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生の旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の終わりにもなる。バナナの最後の一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生の旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分を
アバスト クリーンアップは Android 用のクリーナーアプリで、以下の内容に関してお客様をサポートできます。
• スマートフォンのストレージ領域を分析して、不要なデータをすべて消去
• デバイスで最も大きなファイル、メディア、アプリ、不要データを特定
このアプリでは、「アクセシビリティ」許可を使用して、障害のあるユーザーやその他のユーザーが、1 回タップするだけですべてのバックグラウンドアプリを停止できるようにします。
免責事項:デバイスの位置情報に応じて特定の自動プロファイルが自動的に使用されます。そのために位置情報データにアクセスし、バックグラウンドで使用する必要があります。位置情報データを使用する前には、ユーザーにデータへのアクセス許可を求めます。
日本ではあまり知られていないかもしれないが、英語圏では任天堂のアクセシビリティの欠如を非難する記事やコメントは珍しいものではなくなってきた。
特にNintendo Lifeのこの記事はかなり強烈だ。(https://www.nintendolife.com/features/soapbox-zelda-tears-of-the-kingdom-straight-up-fails-in-just-one-respect-accessibility)記事の本文だけでなくコメント欄もぜひ読んでほしい。
C5/C6麻痺を持っているゲーマーの男がゼルダについて書いた記事だが、彼はTears of the KingdomがBreath of the Wildと比べてアクセシビリティの面でどれほど進化しているか期待していた。しかし期待しても無駄だったようだ。彼は2019年6月にKotakuが青沼英二にしたインタビューを引用して青沼を非難する。
青沼:ボタンを配置する時は、プレイヤーに感じてもらいたい特定の方法があるので、非常によく考えて配置しています。キーの割り当てなどのカスタマイズをプレイヤーに自由にさせてしまうと、ある意味、開発者としての責任をすべてユーザーに丸投げしているような気がします。私たちはゲームをプレイするとき、すべての人に楽しんでもらうことを考えているので、プレイヤーにもそれを体験してもらいたいと思っています。しかし、プレイヤーが自由なカスタマイズを望んでいることも理解しています。
彼は上記のインタビューを引用した上で「青沼はそれを認めながらも、その指摘をはぐらかし、結局何もしなかった。青沼さん、同業他社(your peers)が何をやってるか見てみろよ。」と青沼を非難している。ここでいう同業他社とはソニーやマイクロソフトなどの大手プラットフォーマーだけでなく、EAやUbiなどのソフトウェア会社も含まれるだろう。彼は身体障害者専用のゲームをわざわざ作ってほしいと言ってるのではない。ただ単に、他社のゲームでは普遍的に実装されているキーコンフィグを設定メニューに追加してほしいだけなのだ。任天堂のディレクター、プログラマー、UIデザイナーは2023年になってもキーコンフィグすら満足に実装することができない。5,000億円もの利益を稼いでいながらそのためのプログラマーすら雇えないのか?一部の人はSwitchの本体設定でキーコンフィグをいじればいいと言うかもしれないが、それだとゲームを切り替えるたびに設定も変えなければならないし(一応、本体ではボタンプリセットを5個まで保存できるが)、QTEなどの状況に本体設定は反映されない。ゲームソフトの内部にキーコンフィグを実装するか、あるいはSwitchの本体設定によるキーコンフィグをソフト1本1本に対して保存できるようにすれば解決するだろう。
だが同業他社と比べた時の任天堂の劣後はそれだけではない。たとえば、ソニーとマイクロソフトは障害者用のコントローラーを開発、販売している。(ソニー:Access コントローラー、マイクロソフト:Xbox Adaptive Controller)
任天堂は?任天堂は何もしていない。厳密には周辺機器メーカーのHoriがSwitchで使える同様のコントローラーを販売しているが、任天堂本体は何もしていない。歴史を遡ると、任天堂はこの分野で業界の先頭を走っていたことがある。Nintendo of America(つまり京都本社ではない)は過去にNESで使える障害者用のコントローラーを開発していた。(https://ablegamers.org/history-of-accessibility-in-gaming/)だが今の任天堂は、再三繰り返しになるが、何もしていない。The Game Awardsという大きなゲーム賞がある。この賞では2020年から「Innovation in Accessibility」という項目が新設され、ゲームにどんなアクセシビリティ設定が実装されているかで評価される。それ以降、ソニーやマイクロソフトのゲームはこの賞を受賞したりノミネートされたりしているが、任天堂はノミネートすらされたことがない。この分野で任天堂のゲームは誰にも推薦されないのだ。
ちなみに、任天堂のこうした姿勢は他にも奇妙な事例を生み出している。ファイアーエムブレム 風花雪月では、Switchの携帯モードで遊ぶと文字が小さすぎて文章を読むことすらできないと指摘されている。(https://kotaku.com/the-text-in-fire-emblem-three-houses-is-too-damn-small-1836822715)別のメディアもこの問題を取り上げていて、そこではなんと3DSのファイアーエムブレムよりも字が小さくなっていることがわかる。(https://www.thegamer.com/fire-emblem-three-houses-accessibility-problem/)
これはかなり滑稽だ。テレビモードと携帯モードを切り替えられることはSwitchの最大の特徴の1つであるにもかかわらず、任天堂自身がその特徴を侮辱的に扱い、結果的に携帯モードを無意味にしているのだから。任天堂の経営者は「ハード・ソフト一体型のビジネスモデル」が云々とよく発言しているが、実際のところハードとソフトは大して統合されておらず、Switchの特徴は機能不全に陥っている。むしろPCゲームの方がハードウェアのことをよく考慮しているだろう。PCの場合、さまざまなハードウェアの組み合わせに対応する必要があるため、設定メニューで画質やUIなどを自由に変えることは当然の機能だからだ。
最後に、一番上で紹介したNintendo Lifeの記事の最後の文章を引用しよう。
「私は以前、任天堂はゲームをアクセシブルにすることをただ思いつかなかっただけだと思っていが、それは間違いだった。真実は、私たちの提案と嘆願は認識されているだけで、現時点では、開発者は積極的に障害のあるゲーマーを排除することを選択している。Tears of the Kingdomは、これまでで最も見え透いた嘘の例だ。」
任天堂の経営者は「任天堂に関わるすべての人を笑顔にする」などと表明しているが、彼らが実際にやっていることはかなり軽薄なのだ。
とりあえずクリア
難易度は一番低いやつ
途中詰まりそうになったときもあったけどなんとかクリアできてよかった
ps2の1はラストステージで詰まってクリアできんかったからなー
ロックマンのワイリーみたいな立ち位置なんだなラチェクラのラスボスって
声もあってた
画面のきれいさとロードのなさはすぐ慣れて、後半は逆につまんなかったなー
まちとかステージのオブジェクトもやたらリアルで数おおいけど、逆にそのせいでどれが壊せるものかとか、
大事な隠しアイテムかとかがすげーわかりにくくなっててイライラした
最後の最後でアクセシビリティってオプション設定あることしって、インタラクトできる箱とかゴールデンボルトとかギミックとかの色を変えたらすげープレイしやすくなったわ
わりとメインのはずの遠距離武器の爽快感がいまいちだったのは微妙だったなあ・・
近距離攻撃とどかねえから遠距離必須みたいな敵やボスが多いから余計に感じた
ベルトスクロールみたいにエリア内の敵倒さないと次に進めないのが結構あるけど、
終わってるかどうかがすげーわかりにくくて、終わってないのに進もうとして死ぬってのも何回かあってうざかったなー
まあ1回やればいいかなって感じ
スターオーシャン6とかもこういう感じで交互に見せてくれればよかったのになと
ラチェットとリベットで2週させられてたらクソうざかったと思うわ
こんな感じで1周で両方みせてくれたらいいんだよ