はてなキーワード: 従事とは
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(追追記致しました)(追記致しました)国民皆保険制度になくなってほしい
(追追記) 思ったよりバズり困惑する一方でこの話題に感心を持ってもらって嬉しくも思います。表現の汚さ、育ちの悪さが出てしまっていますね。連休中日の当直後、概日リズムを崩...
頭の中でこんな感じのことを考えているお医者さんは別に珍しくもない。 書いているのは設定通りとすれば若い先生とお見受けするが、若い医療従事者が働きはじめて救急外来で出会っ...
頭の中でこんな感じのことを考えているお医者さんは別に珍しくもない。
書いているのは設定通りとすれば若い先生とお見受けするが、若い医療従事者が働きはじめて救急外来で出会った生◯やその他のクレーマタイプの患者に怒りを覚えて、稚拙な自己責任論を振り回した文句を書き連ねて炎上してしまうのはもはや年中行事だ。しばらくするとみんな落ち着いてくるが、心の中には自己責任論の延長線にある考え方を秘めた野良リバタリアンみたいなのが医者には多い。
玉木氏の問いである「国民皆保険制度を維持したままコストを持続可能にするにはどうしたらいいか?」という質問に真面目に答える時点で、これはリベラル路線に乗っかっている。玉木氏の術中に嵌っているといえなくもないが、答えているのは国民皆保険制度は維持したほうがよいと考えている真面目でやさしいリベラルな先生たちなのだ。この増田のように「知るかよ、国民皆保険制度の方を壊しちまえばいいだろ」と考えているリバタリアン医者もたくさんいる。
なんか勘違いしている人も多いのだが、国民皆保険制度はとてもとても国民を保護している制度だ。医者の収入の出処が公金で、安定しているように見えるので医者のためにあると思っているかもしれないが、実際は反対である。もちろん国民皆保険が一部の医者を競争から保護している面は否定できない。しかし国民皆保険制度は競争からの保護のかわりに医療から値付けの権利を奪って公定価格を定めている。この公定価格をなんと呼んでいるかというと診療報酬である。保険から支払われるので報酬で別に間違ってはいないのだが、全体にかかった医療費の何分の一は自己負担しているので、患者側からしてもこれは公定価格といっていい。報酬という言葉に引っ張られる形で今回の玉木氏のように診療報酬=医者の収入というミスリードを敢えてする人があとを立たないのも以前からだ。玉木氏のポストにみんなが突っ込む形で何度も説明されているが、診療報酬=保険診療をした上で病院が受け取る対価なので、製薬メーカーへも医療機器メーカーへも、医者以外の病院では働くすべての人の給料の原資が診療報酬だ。
医療費の値付けの本質は「命が惜しけりゃ金を出せ」である。なのでうっかりするとすぐに青天井になる。公定価格のない医療費がいくらかかるのかの典型例がもちろんアメリカだ。医者の間では「医者になるならアメリカ、患者になるなら日本」が定説である。そりゃ働くんなら値付けができる側に回ったほうがいいに決まってるだろ。医療を受ける側に回るなら公定価格があったほうがいいに決まっている、ジョン・ロールズの無知のヴェールをかぶるまでもない。
先に述べたように医者はどちらかというとリバタリアンに傾きやすい。ずっと恵まれた環境で一生懸命勉強してきて、エリート意識を持っている人も多い。だから今の日本の医療制度の枠内でも「自分ががんばって能力を高めたのにそれが自分の収入に跳ね返らないのはおかしい」という感覚を潜在的に持っている人も多い。「俺たちも能力を高めるために競争するから、お前たちも受ける医療のレベルにあわせて対価を払え」という態度に医者全体がなってしまうと、困るのは患者の方である。
東大の文系を出た人たちは医者を蛇蝎のごとく嫌っている。霞が関の中には今の制度を維持したまま、医者を警察官や消防署員のようにしたいと願っている勢力が強いような印象を受ける。東大も出てないのに自分たち官僚より確実に稼げるようになれる人がいることを許せないのだ。そうなると医療がどうなるのかは想像がつかないが、今よりも金はかからなくなっても荒廃していくのではないかと思われる。では医者はその方向を選ぶかというと多分そうはならない。そうなるかわりに今の制度に少しずつ自費で受ける部分が混ざっていくことを容認するだろうと思う。混合診療というやつだ。歯医者でやっているのと同じ、保険で治すと銀歯、自費なら白い歯、というやつ。お金のない人は保険医療しかしない公立・公的病院へ、お金がある人は民間の病院でプラスアルファのお金を払って優先的に受けたい医療をどうぞ、となる。その社会では医者同士に競争が生まれる。たぶん医者はこの状態をわりとあっさり受け入れる。若い人ほどあっさりと。今の時点でこの混合診療導入に一番反対しているの誰だか知ってる?みんなが既得権益の保護団体として忌み嫌っている医師会ですよ。
医者同士が競争するようになって、年取った開業医がついていけなくなって没落していく様が展開されるとみんなは喜ぶだろう。しかしそれが一巡して医者同士が切磋琢磨して、提供できる医療の質を高めて、なおかつそれに自分たちの納得のいくような値付けができるようになる頃には、保険証一枚でどこにでもかかれた時代はとっくに過去のものになり、お金のない人はすっかり縮んだ保険診療の枠内で提供される医療をお金がないからと建て替えもされない古い建物の病院で研修医から受けることになる。とても良い先生にあたったと喜んでいたら、その医者は来月にはあなたの払うお金ではかかれない立派な病院に異動しているかもしれない。そしてそんな時代が来ることに実は多くの医者は心の痛みを感じない。医者はわりとあっさり自由競争バンザイ派に染まっていくからだ。その心象風景を描いたのがこの増田なのである。
覚えておいてほしいのはみんなからみてあまりにも非効率的なこの医療制度が、WHOが評価する世界でもっともすぐれた医療制度ということだ。しかしながらどういうわけだか中で働く人にも、受診する側も不満タラタラなのがこの制度なのである。
私は医療経済・医療政策系の大学院を修了して地方病院の部長職をしている医師です。
医師として働いていると、この増田Drみたいな気持ちになることはしばしばある。そして医師同士のコミュニティでエコーチャンバー的に尖った意見になりがちだ。
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そもそも、社会保障とは労働者たちが体を壊したら人生終了というハードモードな人生をノーマルモードにするために、みんなでお金を出し合って自己があっても保険金がおりて医療を受けることができるようにしておこうという仕組みだった。それが戦後に国民健康保険ができて国民は全員強制加入になることで、(当時はまだ)安い保険料で医療を享受できるようになっていった。
全員強制というのがポイントで、これが全員強制でなくなるとそもそも健康な人は加入しなくなってしまう。そういう人が怪我や事故をしてしまうと人生が終ってしまうことになるし、社会の存続にも問題となる。そして医療を必要としている人々(2/3は65歳以上)は高額な保険料を支払えず、当然医療費も支払えなくなる。
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1970〜80年頃に老人医療費を無償にするという公約を掲げた政治家が現れて、実際にとある県で始まり全国に広がった。病院やクリニックは老人サロン化したのは皆ご存知の通り。
増え続ける医療費を問題視した政府は、いろんな医療政策で受診回数を減らしたり入院期間を短くするように工夫してきた。OECD諸国の比較によれば、日本は単位人口あたりの病床数がものすごく多く(これも都道府県で差がある。高知と神奈川では2倍以上差がある)、かつ単位人口あたりの医師の数は諸国と同じくらいなので、労働節約的な医療体制になっている。
日本は世界でも有数の長寿国となり、人口構造が大きく変化してしまった。それを1948年に作られたベースの医療制度を改定しながら今までやってこれているのはすごいことだと思うし、合わない部分も出てきているように思う。
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その一例として、過剰な医療サービスを提供している、と感じることはしばしばある。
例えば、80歳の人が体調を崩して入院をした場合を想定しよう。血液検査は脱水と炎症反応の上昇、肺炎を疑われて入院した。1日1回の点滴を受けて、入院費用は1日4−5万円。10日入院して、いざ退院、となったが家族の仕事の都合でお迎えができるのは翌週だという。結果、4日退院が伸びた。これで医療費は50万円。でも年金暮らしで医療費の上限は月に18000円になるということで、残りの48万円は都道府県の後期高齢者広域連合から病院に支払われる。
病院経営の立場から、差はあるが病院はたとえばベッドが100床あったら常に90床は埋めておかないと赤字になる。家族の都合で数日退院を伸ばしてほしい…と言われた時、次の入院見込みがなければどうぞどうぞと歓迎してしまう。この影響で社会保険料が多少増えようが、自分の給料が出なくなったら困る。医療従事者にとっても患者にとってもWIN-WINなのだ。これは過剰な医療サービスで、社会的入院として問題視される。だから入院日数を制限しようと画策するが、某団体からの反対も根強く、じわりじわりとしか改善されない。
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増分費用効果比(Incremental cost-effectiveness ratio: ICER)というものがある。
詳細の説明は省くが本来は新規薬剤・治療の費用対効果を検証するための仕組みで、それを保険適用の可否判断にも使用できるかもしれないというものだ
その閾値は1年間、健康な生活を維持するのに500万円程度とされる。透析の治療費がだいたいこれくらいだ。
増田Drの言うTAVIも600万〜の治療だが、これを行うことで心不全入院(1回80〜万)を数回予防できて、かつ症状なく暮らせるなら悪くないんじゃないかとも思う。まあTAVIに関してはどの施設も施設基準を満たしたいのでどうしてもやりたがる方向になっている、という問題はあるが。
結局のところ一医療人としてできることは、医療に関する意思決定を行う歳に患者の医学的な状況、患者の希望、周囲の人の思いや地域の社会資源、QOLを十分に吟味して、その人にとって最適な意思決定をチームで行う、ということを徹底するしかない。医師だけに判断させてはだめだ。間違いなく独善的な意思決定になる。かならずチームで意思決定をする必要がある。そして病院や診療所、訪問看護ステーションなどの施設の管理者は自分の経営方針が持続可能な医療制度と矛盾しないか、地域のニーズにあったサービスを行えているかを繰り返し内省するしかない。少なくとも週末の退院が集中しているので延期させてください、なんて言う管理職は無能だ。
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つい先程往診に呼ばれた。多少フェイクを混ぜるが、90代の心不全の患者さんで体重がどんどん増えて苦しくなっているという。休日往診(25000円〜)、心エコー(8500円)を行って、1粒700円くらいの薬剤を追加処方(正しくは増量)した。その他諸々合わせて合計4〜5万円なり。この患者は国民健康保険1割の患者で、上限は8000円に達しているので患者の追加自己負担料金は無しだ。90代の患者に往診して高い薬剤を出すなんて…と思われるかもしれないが、明日まで待って悪化して入院してしまうとそれだけで数十万円は確定してしまう。
苦しくなっても病院に入院させずに麻薬や鎮静薬を使って死を待てばよい、なんて考えもあるかもしれない。口でそういうのは簡単だが、実際にそういう人を見る人の立場に立つと、なかなかそんな非常な判断はできないものだ。だから人生の最終段階の医療決定プロセスガイドラインなんてものがある。
繰り返しになるが、これからの医療は必要な医療を、その人の価値観や意志を尊重して、対話の中で合意形成し、限られた社会資源の中で提供する、ということが大切だ。
社会保障について興味を持った方はXのしょうもないレスバを見るだけじゃなくて、ぜひ一度ちゃんとした本で勉強してみてほしい。
小渕氏は知っての通り、第84代総理大臣である故・小渕恵三氏を父に持つ世襲議員である。
戦後最年少の34歳9カ月で初入閣し、内閣府特命担当相として少子化対策や男女共同参画などに従事した。
そして、2014年には経済産業相に就任し、順調なキャリアを積み重ねていた。いわゆるエリート議員である。
ところが、経産相在任時に政治資金規正法違反のスキャンダルが発覚し、辞任を余儀なくされた。
捜査の過程では、ドリルで壊された会計記録が入ったパソコンのハードディスクが見つかり、証拠隠滅を図った疑いも指摘されたことから、”ドリル優子”などと揶揄されてきた。
そうしたことを経て、目立つポストからしばらくは遠ざかっていたものの、この度の第二次岸田内閣では選対委員長という主要なポストを得たのだ。
私は霞が関に近いところで仕事をしているが、議員の間でもどうやら小渕議員の評判は良いと噂に聞くのだが、いまいちなぜなのか分からない。
私自身は直接彼女とは接したことがないため評価はできないものの、事実SNSの政治家ウォッチャー(自民党寄り)達は小渕議員に期待する声が多いように見える。
あなたがお医者さんかどうかはいったん置いておいて、こちらが気になるのは「医療経済学と医療政策学について、独学ではなく系統的に学んだ経験があるのかどうか」。現場の声は貴重だけど、現場で働いている人にしか分からないことに加えて、この議論を行う上で最低限必要とされる知識を得る努力はした上で意見してるのかが気になる。
専門的な知識を持たずにただ感情的に物を申しているのなら、それはトンデモ医療を行う医療従事者と紙一重の害悪だと自分は思う。
構ってちゃんの頭の悪い露悪的な創作だが、ワイはこういう事を言うやつを微塵も信用していないぞ
少なくとも狩猟や農業で自分が食う分だけなら自分でまかなっているヤツならまだしも、
先進国の、それも都会のもやしが、何を寝言を言ってやがるって話ですよ
ほんといいカモだし、サイコパスな事件を起こす土壌は何しても消えないんだね
今よりも命がずっと軽い時代でどの立場でもみんな生き汚かったし、
身内のこととなったら質問責めにするぞ
ワイ身内の医療従事者、婆ちゃんの治療方針についてめっちゃ口出ししまくるからウザがられてたし、
ガンの手術する時は身内が務める大学病院にさせてたぞ。なお今元気に暮らしてる
世の中には自虐とか皮肉を、生得的な知能の問題、生得的な常識構築能力の問題(いわゆる発達障害やサイコパス)で
真に受ける人たちがいるし、
知能や共感性に特別な問題がなくても、親や世界に大切にされなかった呪詛を社会的に経済的に成功しても吐き続ける人がいる
マジでこういう頭の悪い露悪的な創作はよした方がよろしいと思います。軽蔑する
それから頭の悪い学歴コンプな増田の創作はともかく、似たようなこと言ってる自称医者は嫌ならやめろ
そもそも残業も不正研究や日本の医者の怠惰(論文読まない・サブスペシャリティの放棄が許される)もヤベーし、
AIの活用もオンライン対応もヤベーし、もっと庶民に門をひらけばいいだけだろ
常態的に月80時間以上の時間外労働をしているのが公立に限定せず3割いるが
医師の時間外労働上限を適用して、2024年までにすべての医療機関で960時間以下の時間外労働を目指すみたいなのもあるけど、
それと同時に特例のケースは年間1860時間までOKとか言ってるからな
医師が普通の職より恵まれているのは事実だし「嫌なら辞めろ」ではあるが、
根本的な解決策は、給与が下がるのがイヤ・競争激化がイヤとか言わないで
医師の仕事の委譲(医療職種間の業務の相互乗り入れ、スキルミクス)、
ついでに勘違いがあるようだが日本のすべての病院は公共財だ。営利目的で開設出来ない。嫌なら辞めろ
〔開設許可〕
第七条 病院を開設しようとするとき、医師法(昭和二十三年法律第二百一号)第十六条の四第一項の規定による登録を受けた者(以下「臨床研修修了医師」という。)及び歯科医師法(昭和二十三年法律第二百二号)第十六条の四第一項の規定による登録を受けた者(以下「臨床研修修了歯科医師」という。)でない者が診療所を開設しようとするとき、又は助産師でない者が助産所を開設しようとするときは、開設地の都道府県知事(診療所又は助産所にあつては、その開設地が保健所を設置する市又は特別区の区域にある場合においては、当該保健所を設置する市の市長又は特別区の区長。第八条から第九条まで、第十二条、第十五条、第十八条、第二十四条及び第二十七条から第三十条までの規定において同じ。)の許可を受けなければならない。
5 営利を目的として、病院、診療所又は助産所を開設しようとする者に対しては、前項の規定にかかわらず、第一項の許可を与えないことができる。
あと、2023-03-27:はてブもついにここまで来たか(https://anond.hatelabo.jp/20230327115830#)へのトラバで書いたこと再放送しておきますね
○ 米国における自殺幇助 (Assisted suicide in the United States - Wikipedia )
https://en.wikipedia.org/wiki/Assisted_suicide_in_the_United_States
「当然のことながら、死の幇助の受容性は文脈によって異なります。2014年のComRes/Careの世論調査では、73%が
“末期の病気で、自分の人生を終わらせることを明確かつ確定した意思を宣言した英国の 知的 精神的 判断能力 がある成人が、
致死量の薬を自己投与して自殺をする支援を受けることができる” という法案の合法化に賛成しています。
しかし、これらの同じ人々の42%はその後、死の幇助に反対するいくつかの経験的な議論が強調されたときに、考えを変えました。
例えば、愛する人に負担にならないように彼らの人生を終えるように人々に圧力をかける 危険性のようなものです。」
オレゴン州尊厳死法(DWDA)の報告書によると、尊厳死を選択する患者の中には、終末期の懸念事項として治療費を挙げる者もいる。
anond:20231105103853 anond:20231105121811 anond:20231105122833 anond:20231105131112
市場経済が上手く機能するには色々と条件があるんだけど、医療のように患者と医師の間で知識に大きな非対称性のある分野、あるいは健康のように不可逆性の高いものに関する分野、または小分けにできない(手術を細切れにして依頼する医師を選べないとか)で一山いくらでの取引となる分野、などは市場が上手く機能しないということがよく示されてきた分野となる。つまり、国民皆保険制度のような介入がないと社会的に厚生が悪化する分野でもあるということである。国民皆保険制度は健康のように不可逆性が高くかつ一山で取引するものに対して医師の独占力による価格釣り上げを防ぐといったことに加えて、単にお金だけの話ではなく、標準診療というものを作ることで専門知識の無い患者がそれ故の損害を受けることを防ぐ役割も担っている。そして、市場経済が上手く機能しない分野では価格を含めて政府が決めるというのはよくあることだ。電力しかり交通しかり。貸し金の金利だってそうだ。逆に、政府が何にも介入しなければそれがフェアだろう、誰からも文句を言われる筋合いのない自然な価格だ、とはならない。
そもそも、医師の数が医学部の定員という政策によって規制されているのだから、医療価格をどのように弄ったところで医師と患者の間での富の分け方が変わるだけで、医療による社会的な負担というものは大きくは変わってこない。つい、医療費という金額ベースで考えてしまいがちだが、経済全体での話のような場合は金は単なる潤滑油に過ぎず、人や物といった実物がどう配分されるかで見ないとならない。すると、国民皆保険制度の廃止によって医学部が定員割れするくらい医師という職業の魅力が損なわれるのでもないのであれば、限りある労働力のうち医師にとられる数は変わらない。つまり、医療による負担がこれから増えていくということの解決には殆ど繋がらない。たとえば医療費を節約して子育て支援に回そうといったことは実質的にほぼ不可能なのである。子育に従事する労働力が湧いてくるわけでもないのだから。
なのでポジティブな効果は乏しく問題点は多い、国民皆保険制度の廃止なんてなされることはないだろうし、薬価は今後少しは上がるかも知れないが診療報酬は下げられていく形での対応がなされるだろうね。それこそ玉木の言うように医師会は大反発するだろうけど、所詮は規制される側。政治力でいつまでもどうこうなるものでもない。
愛嬌のないおじいさんとは攻撃的な高齢男性のことだ。なにか気に入らないことがあると、それを他人のせいにして相手を攻めたてるような人のことだ。それはクレーマー体質者といってもよい。クレーマーは自分が虐げられたと思っており、誰か他人を虐げなければならない負の連環を生きている。クレーマーは自分よりも下だと思った人間、つまり攻撃しても反撃してこないと思う人間しか攻撃しない。基本的に相手を見てクレームを言い、攻撃している。
今後、カネがなく不安定な雇用に従事している中年男性は、やはりカネがなく不安定な高齢男性になっていく。こうした人々は経済的に、かつ精神的に余裕がないので、少しでも追い詰められるとすぐに攻撃的になる。基本的に「なんで自分だけが」という被害者意識のなかに生きているので、少しでも意に沿わないことが起こると、どんなことでもたちまちみずからの生存をかけた戦いに発展してしまう。だからむやみに他人を攻撃するように周囲からは見える。
攻撃は、反撃をしてこない相手の方がやりやすいので、職務上の立場から反撃を許されていないと思われる相手を攻撃することになる。こうしてクレーマー高齢男性が生まれる。反論してきそうもない相手に対してむやみに攻撃的なブックマークコメントを残している男性も、愛嬌のないクレーマーおじいさんの一種といえる。これらの人々は、対応者に職業的な恭順が(暗黙のうちに)求められるカスタマーサービスや、言い捨てのブックマークコメントでしか勝った気分を味わうことができない人々である。
愛嬌のないおじいさんには味方がいない。自分を養いさまざまな注意を払ってくれた親はいなくなってしまった。家族はいない。残るは他人との、社会とのつきあいだが、愛嬌のないおじいさんはこれが苦手だ。何か意に沿わないことがあると、愛嬌のないおじいさんはすぐに他人を攻撃する。自分を攻撃してくる人には誰も近寄りたくないので、愛嬌のないおじいさんの近くにいて、困っていたら手を差し伸べようという人はいない。
愛嬌のないおじいさんがもっと若かった頃は周囲を攻撃してもなんとか自活していくだけの経済力と体力があったが、本格的におじいさんになってくると、困ったことになる。お金がなくなり、身体が思うように動かなくなっても、周囲には助けてくれる人がいない。普段からやりとりをしている人もいないので、窮状を訴える相手もいない。
身体が動かなくなり、財産もなく、たまたま公的な扶助につながったとしても、愛嬌がないおじいさんはやはり周囲を攻撃しがちなので、味方になってくれる人はいない。扶助者から職業的に最低限のサービスを受けることができればまだよい方で、悪態と暴力の末に周囲からほとんど見放されてしまうことがある。こうして愛嬌のないおじいさんは貧しく、孤独に、糞尿を撒き散らしながら死んでいく。
愛嬌のないおじさん自身も、なんとなくみずからの行く末を慮って、自らの生き方を正そうと思うこともある。だが貧しさが植えつけた被収奪感の呪いは強力なもので、なにか面白くないことがあるとやはり戦ってしまう。体力の低下とそれに伴う不機嫌さが余裕のなさを悪化させる。こうして、愛嬌のないおじさんは、他者から受け容れられまたみずからも相手を受け容れる機会を持たぬまま、やはり愛嬌のないおじいさんになっていく。
こうして愛嬌のないおじいさんの寿命は短くなり、社会から早く消えていく。愛嬌のないおじいさんには愛嬌のあるおじいさんよりも淘汰圧が強くかかるように社会はできている。
(追追記)
思ったよりバズり困惑する一方でこの話題に感心を持ってもらって嬉しくも思います。表現の汚さは、連休中日の当直後、概日リズムを崩すまいと、徹夜明けのハイな状態で書いていた文章である事を以て言い訳とさせてください。
一点、誤解されている点を追記させてください。あんな文章を書いておいてアレなのですが、私個人は、皆保険制度をまるごと消滅させるべきとは考えておりません。医者が他人の金をクソの山に埋める事を生業としている現状を変えたいと思っているのです。
現状は、様々なプレイヤーが種々の程度で皆保険チャンに乱暴を加えている状況であり、それが日本の衰退を惹起させているのだと認識しております。
(そして、すべてが手遅れになった際には、全て医師のせいにされるのであろうという、強い予感も感じております。)
しかしながら、ルールが悪用されるに当たっては、悪いのは悪用されるルールの方です。日本だとこのルール及び細かい数字はよーわからん方々がエイヤーとやって定めているのだと理解しております。
自己負担○割に変更するのも一つの手でしょうが、明確な理由も無くその数字が定められる以上、本質的な最適化ではないと思われます。勿論、1割よりかは3割の方が望ましいと思います。
根本的にこれを是正するにあたって、米国の様に見えざる手に委ねるか、或いは英国の様に医療アクセスを絞り費用対効果を分析から得られた結論をトップダウンで課すか。
表題では医師というポジションのみを考え露悪的に前者を推してみましたが、現実的には後者でしょう。
つまりは「○○歳の五体満足な人間の一年間は、○○万円に相当し、bedriddenであればそれを0.○倍する」という、地球より重いはずの人命を日本円で測定する事をやらねばならない訳です。
忖度なしにこれをやると、いまの医療漬けのご老人方は壊滅すると思われますが、忖度無しに行うからこその費用対効果なのです。
このベースに加え、足りない分を、英国のように、修練を積んだconsultantにのみprivate practiceを許して補うという制度あたりがちょうど良いのだと考えております。
(追記)
医者バッシング一色になるかと思ったら、意外にもそうではなくびっくりしました。
我々の富が如何にして投資に回されず、誰のためにもならない形で浪費され、みんなで不幸になっているかを知ってもらうため、注目を引きたいが為に露悪的に、過激に書きました。ハマスがやってるような手法です。大勢の方々が気分を害されたと思いますが、誰も半裸にして引き回したりしてないので、許してね(^_-)
日本人が皆保険を手放す訳無いと理解しておりますし、仮にもし、皆保険制度がなくなったとしても、案外多くの勤務医がクソみたいな低い値段で医療を提供し始め、そんなに人件費は上がらんじゃないかと思います。奴ら、どうしようもないお人好しばかりなので。
私個人は普段努めて優しく臨床をしております。患者が憎いわけではないのです。先程私が口汚く罵ったような方々を実際に目の前にした際には、「大変だなぁ」と思います。患者ご本人に対し、そして世話をする家族や自分含めた医療従事者、そのシステムを支える皆様方や将来の子供たちに対して、です。
もうちょっと、制度が違っていれば、もっとうまくいくのになあと感じます。
さて、皆様に於かれましてはお医者さんが大嫌いな方も多いと思われますので、以下、医者を困らせる方法を記載しておきます
これらをされると、我々のお客さんが「なんもしてないのに病気になった人」だけになってしまい、困ります。
(本文)
国民民主党の玉木議員の医者の給与を減らせというツイートが昨今話題になっている。その理由は医療に金がかかりすぎ、成長と全体の幸福を損ねているから、らしい。
ここに、手っ取り早い解決法を提案したいと思う。国民皆保険制度を廃止すれば良い。
国民皆保険制度、そして高額医療制度は非効率な医療サービスのバラマキを行っている。
発熱すらしていないコロナ患者に対するラゲブリオや末期肝硬変患者の貧血に対するエリスロポエチン。どうしようもなくボケちまった爺さん婆さんはあめ玉のようにアリセプトを舐めている。大正生まれのご老人に順内と血外の連中がTAVIやらEVAR,TEVARをするせいで、ピンピンコロリへの道筋が絶たれていく。一種の老人病である心アミロイドーシスという病気にタファミジスのような冗談みたいな価格の薬が投与される。
PD-1阻害薬なんて薬ができたせいで森○朗が復活してしまい、東京五輪で遺憾無く老害っぷりを発揮したのは記憶に新しい。ヤニカスは年金を受け取る前に早く死んでくれるから財政的にトントンだったのであって、延命してしまえば単なる息の臭い金食い虫だ。
糖尿病で腎臓をぶっ壊せば医療費がタダになる上に週3人工透析をする権利が付与される。これは米国だと週2回である。別に週2でも死にはしないのだが、政治家にとっての票田、透析病院にとってのアクティブユーザー数を維持する為に週3となった。
そして今後これにレカネマブが加わる。
この話を欧米の医者にすると、イかれてんなwどこからその金が出てんの?、と言われる。納税者の財布からである。日銀が円債を引き受け、円の価値を希釈させることでそれを行うこともやっている。
世間のイメージとは裏腹で、日本の医療従事者の人件費はとても安い。
これは一人当たり医療費支出を見れば明らかだ(4,691ドルでOECD加盟中15位/38位)。上述のような無意味なバラマキをしており、かつ失敗国家のような人口比率であるのにもかかわらず、日本の医療支出は相対的に低い。何故か?それは医療従事者の人件費が安く押さえられているからだ。
米国の医者や看護師の給与水準は日本の5〜6倍くらいはある。最近は円安でそれにブーストがかかった。米国の一人あたりGDPが日本の2倍程度であるのを考慮しても、単純計算で3倍もらっていいことになる。しかも、日本は医療サービスを必要とする高齢者の割合が高く、富は高齢者に集中している。その上、日本の人口あたりの医者数は米国の二分の一強しかいない(看護師数は知らん)。自由競争が許されれば、価格はどこまで上げて良いのだろうか?
社会主義的な医療制度を採用しているカナダ、オーストラリア、イギリスと比較しても日本の医療従事者の待遇は地を這うような水準だ。この差は、これら国々は費用対効果に見合う医療のみ提供する事より生まれる。そして、費用対効果という言葉は日本で最も忌み嫌われる言葉だ。医は算術ではなく、バラマキなのである。
看護師の方々の礼節は海外と比較するとびっくりする程だ。大して金を払っていない患者に対して奴隷の如くクソ丁重にもてなす(個人的にやめたほうがいいと思っている)。消化器の先生は海外ではまず不可能であろうESDなどを華麗にこなしてみせる。外科の先生はクソ面倒くさいリンパ節郭清などを毎回丁寧にやってらっしゃる(あれエビデンスあるんすか?)。心外、脳外、婦人科の先生方はキチガイじみた24hオンコールを律儀に請け負っている。
ネットに出没する出羽守の方々が海外で稼げなくなってから日本に凱旋するのはまさにこれが理由である。医療が安いだけが理由であったのなら、金が腐るほどある金持ちは海外で医療を受け、そこを終の住処とするだろう。
要するに国民皆保険制度は医療従事者を抑圧する制度でもあるということだ。
この手の話題では、医業の独占を医者から譲り渡すべきだという議論になりがちがだが、別にそうすればいいと思う。
chatGPTの言われた通りに動けば素人でも9割方正解を出せる(残り一割はとんでもなく間違う)。
ただ、麻薬とか向精神薬とか抗癌剤など人を殺せる系薬剤の処方権をお譲りするのは難しいと思うし、無免許医が患者に不利益を及ぼした場合、たとえ事前の患者の同意があったとしても殺人罪やら傷害罪が適応されるべきだと思う。じゃないと麻薬密売やら自殺幇助などがはびこるだろう。
血圧とか糖尿病の薬程度であれば各々自由にやればいいんじゃないかな。ここら辺も匙加減間違うと死ぬけどね。
ネット上では医者が率先して寝たきり患者を量産していることとなっているが、それは嘘だ。寝たきり患者が増えることで得をするのは病院であって、医者ではない(そして、病院にも大した得にならない)。医者が胃瘻やら中心静脈栄養やら喉頭気管分離を行うのは、家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。一度そう言われてしまうと、文字通りできる限りの事をしないと訴訟や医師免許お取り潰し、場合によっては殺人罪を着せられることになる。延命を行わないことのデメリットが甚大である一方で、メリットは皆無なのだ。
そんな中でも過去にALS患者を安楽死させようとした医者や、透析を中断させようとさせた医者が過去に居たが、日本人はその行為の是非を議論しようとはせず、彼らは司法やらメディアの袋叩きに逢い、無事死亡した。
医療従事者は、低所得者や生活保護者ともっとも交流する職業のうちの一つだ。実際に相手をしてみると解るが、大抵彼らは愚かで、卑しく、救い難い。そんな人々を相手にしたくないし、彼らのために真面目に労働し納税している人々の税金を注ぎ込む際には良心が痛む。
だが、そうせざるを得ない。国民皆保険制度がそうさせているのだ。
ただ、想像してみてほしい。ご高齢の方々は、周囲から疎まれながら、そんなに長く生きたいだろうか?役目を終え、尊敬される老人のまま、死にたくないか?
デブやアル中、ヤニカスの皆様方は、太く短い生涯を送りたくて、そういったライフスタイルを営んでいるのではないだろうか?
そしてなんといっても皆さん、フリーライダーは、お嫌いでしょう??
「お前もいずれは高齢者になる」と言われるが、私の経験では生産可能年齢を過ぎてからの延命は本人含め、誰も幸せにしない。
病院に巣くうご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である。家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている。そんな中貴重な医療資源を浪費し、死ぬはずであった今日を先延ばしにしているご本人は少しも幸せそうでなく、それどころか不機嫌な顔をしている。飯塚○三のような、あの顔である。
医療に縋らないと生きられない時点で、生物として破綻しているのである。そんな中長く生きても、なーーーーーーーーーーーんもいいことないよ。
私は、基本的には人の為になりたくて医者になった。給与や労働条件が他国に比べてイけてないのはまだ我慢できる。だが、劣悪な労働条件で滅私奉公し、それが故に国賊の様に扱われるのは納得がいかない。国民皆保険制度は医療従事者の待遇を悪化させているだけではなく、医療従事者が頑張れば頑張るほど、日本国民、および患者とその家族に不利益を及ぼすような制度設計になっている。悪いのは制度であって、医療従事者でも、患者でも、老人でもないのだ。
キャバクラ嬢に入れあげる男連中と同じく
一方的に貢がされているのとは少し違う気がしてきた
そんで派手なシャンパンタワーとかやるとイベント気分が味わえる
「私がこの人を育ててやった」という”優越感”を買ってるのだ
このパトロンとか旦那の気分を味わえる商法を薄い水割りにすると
この手の商法のカモになる人々というのは
自分も相手の役に立っているという相互的な関係性に飢えてるのだろう
***
これを家族や身近な異性の愛が得られなかったからと分析するのは早計だ
もともと対等な男女の恋愛なんて貴族だけが味わえる嗜好品である
庶民の大多数は地縁血縁の共同体によってなんとなく結婚相手が決まってた
中級以上の階級でも政略結婚とまでいわんが婚姻は社交の手段だった
じゃあ親子や夫婦の間に愛はなかったのかというと
親や子、妻や夫がいてくれないと困る「必要性」はあったのではないか
何しろ近代まで数千年、世の多数の人間は農業や漁業や個人商店みたいな
***
それが産業構造が変化した戦後昭和30年ごろから総サラリーマン社会になり
地縁血縁共同体のなかでなんとなく男女がくっつくお見合い婚は減り
わざわざ金で関係性を買う世の中にまでなってきた
俺程度の頭ではまだ考えつかない
豊かな都会の理屈だけで日本全体を論じるのは大雑把すぎるというより、ただただ傲慢だ
これ許しちゃってるのマジで良くないと思う
その結果が、周囲1キロなにも無いところで車を維持できない、20代で引きこもりでもないのに糖尿病で孤独死する若者、
この平成・令和の時代において、高校に通えないから諦めるなんてことが起きちゃってるのは衝撃だった
あと、農業従事者の平均年齢が数年で70歳を超えてしまうことについては、もう気にしないことにしたんだろうか?
国 | 平均年齢 |
日本 | 67.8歳 |
アメリカ | 57.5歳 |
カナダ | 55.0歳 |
イギリス | 59.2歳 |
フランス | 50.4歳 |
オーストラリア | 56.0歳 |
ニュージーランド | 47.4歳 |
中国 | 55.9歳 |
ロシア | 51.9歳 |
月に一回は、Googleが悪である証拠について書き込むことにした。
Googleの従業員行動規範にある有名な「悪になるな」という条項に反するとして、3人の元従業員が同社を訴えたことがある。
3人は2019年11月25日、数分以内にGoogleを解雇された。Googleによると、3人はそれぞれ情報をリークし、「職務の範囲外」の情報を 「組織的に検索 」していたという。
しかし、3人の元エンジニアは、解雇の本当の理由は税関・国境警備機関(CBP)に対する抗議のためだったとしている。
当時、CBPは移民を収容し、親子を引き離していたが、Googleは同機関にソフトウェアを販売することを決めていた。
3人は、CBPや移民税関捜査局(ICE)と協力しないようGoogleに求める嘆願書を全社に配布した。
これは特にGoogle自身の行動規範に沿ったものだと主張している。「何かおかしいと思うことを見つけたら、声を上げよう!」というものだ。
3人はそれぞれ「悪になるな」という契約上の義務に合致した活動を行っていたと、訴訟には書かれていた。
具体的には、彼らはトランプ政権の税関・国境警備局、移民税関捜査局、難民定住局と契約を結ぶ意図について、Goooleの経営陣に質問した。
3人の元従業員は、すでに全米労働関係委員会の訴訟にかかわっていた。
この訴訟は、Googleが労働組合活動に従事したことを理由に違法に解雇したと主張している。
Googleは「悪になるな」というセリフを契約条項に盛り込む前の2013年の時点で、「悪」とされる行動に対する批判に直面していた。
(2023.11.1 決議)
この手のゾーニングは意味が無い論、撲滅か全肯定かの極論、ただ消費する側はくっそお気楽でええなぁと思って見てる。
お前らの勢力争い、オタクコンテンツは恥ずかしくない時代なんだひゃっほーみたいな事がしたい欲求のためにエロ産業従事者はエロコンテンツを作っていない。
インプレッション欲しさに全年齢向けでチキンレースをする奴らもウンコカス。
無用ないざこざの発生頻度をなるべく落とすため、いたずらに望まないエロとの遭遇が発生しないよう努力しつつ、なるべく自由な表現を可能な範囲で広く流通させる事に日々神経を使ってるというのにマジでカスやなぁイキり表現の自由戦士はと思ってる。
飯食えてる人に『落ちこぼれ』って指差す人はどこの世界でもどうかしてる人扱いですよ
ワイ アメリカ社会ではフィジカルワーク従事者を指差して親が子どもに『努力しないとああなるよ』というのが一般的なんですか?ChatGPTの主張に従えばそういうことになります。 一般的にはそういう教育をする人はクズと呼ばれます 2ドル以下で人を働かせるOpenAIは違うのかもしれません
ChatGPT 私は一般的な見解や社会的な評価を反映する立場ではありませんが、親が子供に対して「努力しないとああなるよ」という教育をすることが一般的にクズと呼ばれるかどうかは社会や文化によって異なります。
この前、あるオンラインイベントに参加して話していたときにある参加者から、その参加者が参加した別イベントに参加していたある参加者からこんな質問を受けたという話題が出た。要は又聞きの話し。
私は、自分が住んでいる市町村や身の回りの場所といった回答をした。辞書を引いても第一義とそんなにズレていないのではないか。
2 (日本、または国際社会が)独立国として承認していない領域。また、ある国の領土の一部であるが、本国とは別の体制を認められている区域、自治領、植民地などをいう。
その参加者が参加した別イベントに参加していたある参加者が言うにはこうらしい。
なるほど。地域 = 田舎に意味が変わっている?という発見に、私が参加したイベントで話題になった。また別の参加者から総務省の「地域おこし協力隊」のせいではないかという意見が出た。
地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期はおおむね1年から3年です。
たしかにこのこの文脈では地域を地方や過疎化している田舎と解釈してもおかしくない。別のサイトでも都市から地方へ行くことが暗黙の前提として説明されている。
「そういうこともあるよねー」となぜか異常な現象なのに納得してスルーしてしまっているのがワイの視る夢の特徴やね
(起きてから異常なことに気が付く、いつもそれを夢の中では変な状態だと注視はしているのに異常だと摘発せず見逃してしまうという異常さ)(なんで1本のスプールに十数本分の未現像のリーダーペーパーとフィルムが巻き付けてあるのか???)(そんなもんリーダーペーパー端の糊付きベロが糊付けされてないからスプール両端の鍔の所から光が浸入して撮影済みフィルムが感光してしまうよーって注意する以前のモンダイやんか!!!)(ってかホンマにワイはしぬまでにいったい何回も戻ることが絶対に無い職業に従事している夢を視るのか…)
病院は空床補償がなくなって赤字連発。昨年黒字だった病院も大半が赤字になってきてる。
ニュースにならないけどあと1〜2年すれば地方の病院は統廃合の憂き目にあいそう。
多分潰れるかもしれん。市からの補助じゃ間に合わないじゃないかな?
これって潰れたらどうなるのかな?
地方の病院に雇用してもらうとか雇用体系も違うし生活できないぐらいの給料になってしまう。
せっかくコロナで儲かってもやることは無駄な機材への投資。地方にそんな需要ないだろ!ってものに投資する。
人口減ってるんだからこの際賞与を無しにしたり貢献度が低く自己研鑽もしなくなった基本給が高いだけの人たちの減給もしない。
無駄な投資は経営努力とよべないよ。それで病院の金なくなって赤字です。ってわらわせんな。
病院潰れたらどうなるの?
切実に教えてください。
100石取り(1村の殿様)で一族or郎党1人を連れて兵役義務に従事するとして、1万石で200人の正規動員。
これに各殿様が村の食い詰めた若者に小遣いやって雑兵1人連れてくるなら1万石総勢300人?
でも、1000石取り侍大将などの役付きが30人連れてはこないですよねえ?(ご本人の一族郎党数名は馬回りで連れてくるにしても)
1000石取りの武士はそれだけの価値があるということですよね?
そんなこと可能なのですか?
(もっと多く、万石取りだと兵の動員義務が発生するだろうことは想像つくので、ここではまさに千石ていどの武士についての疑問なのです)
全盛期のボブ・サップみたいなのが1人いて武器に習熟していたら、僕のようなヒョロヒョロが30人で襲い掛かっても全員死ぬか(それはヴィジュアル的にも想像つくなw)。