はてなキーワード: 実践とは
少なくとも、現代社会で生きていく上で求められる力のうち、論理的な文章を読む能力に絞るとしても、
・表現力(形にできないものは「思考」できない) →書くトレーニング
…が必要。そして、それぞれを身に付けるには、右に書いた対策が必要。「こんな面倒臭いことしないとダメなの?!」って思うかもしれないけど、読解力が優れた人はこれを「面倒」だと思わずにやってる。なんでそんなことができるかというと、純粋にそれが「楽しい」から。従って、一番重要なのはこれらを「楽しめる力(素養)」ということになる。それを踏まえると、
という問題にいきつく。自分は、読解力を「指導する」側の人間として、それなりの評価を得ているが、そんな自分でも、「根本的に上記の力が一つならず足りていない」生徒を前にして、彼らの力を「伸ばす」ことができるのか/できたかと問われると自信がない。自分がしているのは、所詮、「もともと彼らの力量でできるはずだったこと」のうち、よくない指導者のために「できない」か「やり方を知らない」状態にある生徒に、「自分のできることに気付かせること」程度でしかないからだ。世間の「読解力を伸ばす」とか称するやり方にも、納得を感じることがない。もちろん、信じることが全て無益なわけではなくて、「信じる」→「モチベ湧く」→「やる」→「少しできるようになる」→「自信が次のモチベになる」→…みたいな良いサイクルの切っ掛けになることだってあるわけだから否定はしないけど、それが「万人向けのレシピ」であるような説明をするのは正しくないと思う。そして最後に、
(3)読解力にはレベルがある
・初級…書いてあることを要約できるレベル。
・中級…書いてあることを他に応用できるレベル。
とざっくり定義すると、この級の壁を越えさせるのは更に困難である((1)で書いたのはせいぜい初級レベルまでの話。)初級者を中級者にするには、少なくとも高等教育が必要だし、上級者にするには相当な時間と手間がかかる上に成功するかどうかも覚束ない。
こういうことを考えると、「読解力を育成する」なんて空恐ろしいテーマについて正面から向き合うような恐ろしい真似は、自分にはなかなかできそうもない。
一概に「コミュ障」と言っても、そのタイプによってかなり印象は変わります。どれがどういうふうに良いのか、あるいは悪いのか、というのはもちろん個人差があると思います。
個人的にはタイトルの通り、「アッパー系コミュ障」が一番対応が難しいな……と感じました。
コミュ障、と聞くと大抵の人の認識は「ああ、口数が多くなくて、会話が続かないタイプかな」というものかな、と思います。
もちろん、そのタイプのコミュ障もいます。というか半数くらいはそのタイプのような気がします。
けれど、私が「あ、この人コミュ障だな」と感じたのは、上記のタイプの特徴とは真逆の人でした。
・よく喋る
・とにかくよく喋る
・声が大きい
・早口
・周りの空気が読めていない
・脈略のない話(周りが興味ない)を延々と続ける
・他人に喋らせる隙を与えてくれない(会話のキャッチボールをしてくれない)
・そりゃもうよく喋る
……といったタイプでした。
調べたところ、こういう「よく喋るタイプのコミュ障」を「アッパー系コミュ障」と称するらしいのです。
最近ハマっているゲームで、非対称型オンライン対戦ゲームを遊んでいる時でした。
普段からよく一緒にチームを組んでプレイする友達が複数人居て、時間とタイミングが合った時にボイスチャットアプリで通話を繋いで一緒に遊ぶ、というのがルーティン化していました。
その中に、最近になって参戦した人がいます。私経由でゲームに誘った人でした。
私が良くそのゲームの話をするので、それに興味を持ってくれたその人もゲームを始め、やっていくうちにみるみるのめり込んで行きました。上手くなろうという意識が強く、向上心があって、こういう人がゲーム内に増えるといいなぁ、と思っていました。
その人のレベル上げやゲーム内ランク上げを手伝ううちに、最初は繋いでいなかったボイスチャットをしていて、気になる点がいくつか出てきました。
「この人、ほんとよく喋るなぁ」
最初はその程度でした。
なんとなく、一番最初にお声を聞いた瞬間から「あ、この人人見知りで緊張してんなこれ」と勘付きました。
言い方は悪いですが、陰キャのオタクの話し方そのもの、という感じがしました。
他人と喋り慣れてない、知らない人だらけで緊張する、何か喋らないと、黙っちゃダメだ、迷惑かけないようにしよう。
そういう感情が手に取るように分かる話し方でした。
実際、私の友人ばかりの通話に招かれて、緊張もしていたでしょう。知らない人ばかりで、その人は初心者で、周りは全員既にゲーム慣れをしているプレイヤーです。足を引っ張らないようにしよう!というプレッシャーもあったと思います。
だから、まぁこれはそのうちここのメンバーに慣れればこの人も自然と馴染んでいくだろう、と思っていました。
何度も何度もゲームを一緒にプレイして、通話を繋いで、気付きました。
「あ、最初のあれは緊張とかプレッシャーだけじゃねぇな。もともとそういう会話をしてしまう人だ」
そこでやっているゲームは、ゲーム内のチャット機能があります。定形文ですが、ボイスチャットを繋いでいなくとも、オンラインで連携を取るには十分なものです。
仲間内でわいわい楽しむのもそうですが、このゲームでボイスチャットを繋ぐ一番の理由は「肉声での素早い情報交換」です。
「どこに誰がいる?」
「今なにをしてる?」
「誰が敵に追われてる?」
「周りの作業はどれくらい進んでいる?」
そういった情報を素早く正確に言葉で伝えることで、連携を更に強固にし、敵側の一手より先を読んでいく。ある意味情報戦であり頭脳戦のようなゲームです。
うちのメンバーは勝ち負けに激しくこだわるタイプではないですが、やるからには1ゲーム1ゲーム真剣勝負で、という共通認識のような空気がありました。
つまり、「肉声での情報交換がどれだけ正確に出来るか」が円滑なチームプレイの柱になります。
問題が発生したのはそこでした。
いいんです、喋ることが悪いこととは言いません。全然喋ってくれていいんです。
ただ、その人は「分かり切っていることを何度も何度も繰り返し、声が大きく早口で、周りの人の声もかき消すレベルで喋り倒している」のです。
わかります。自分が敵に追われてたら焦りますよね。ぎゃー!とか、うわー!とか言いますよね。全然いいです、いいんですそれは。
ただ、その声の音量と物量で、周りの人間が喋ろうとしている必要な情報が一切入ってこないのです。
「私です私追われてます!うわぁどこに逃げよう!あっち行った方がいいのかな、でもこの距離間に合わないかもな、あーやばい一撃貰いますすみません!ここはこうして…、よしよしよし!!今のでいいや、次はどこに逃げよう!あっちかな(以下エンドレス)」
……いいんですよ、喋っても。
ただ、これが通話を繋いでる回線内で、割と大きめの声で、ハリのある声で、早口気味で、喋り続けているんです。
その音量は適切ですか?
他の人が喋ろうとしてる気配は全く感じませんか?
譲ろう、という気持ちは湧いてきませんか?
それが凄く不思議でした。
ゲームでのプレイヤースキルで足を引っ張ってしまうのは仕方ないです。その人よりずっと戦ってきましたから、立ち回りに差が出てしまうのは仕方ないです。それを責める気はありません。
力量差にプレッシャーを感じるのも仕方ないです。
ただ、「どうしよう」「どうすればいいですか?」と聞いてくるわりに、こちらの話はあまり聞きません。
今は便利な時代ですから、参考に出来る動画はYouTubeに死ぬほどあります。
私たちより更に、圧倒的に上手い人達が対策動画や立ち回りの動画を上げてくれてます。
私自身、その人に「動画とか見て実践したり、覚えていくと分かりやすいかも」と教えました。
その動画は「既にある程度の
【暗黙の了解的な立ち回り】を理解し実行できている前提で、更に上手い人が巧みに立ち回るための動画」なのです。
YouTubeに並んでる有名な人の動画は、言うなれば有名大学の赤本です。
それを基礎知識もない中学生レベルの人間が見たとして、本当に参考になりますか?身につきますか?
土台がしっかり組み上がってないとダメなんです。
それ自体は良い心がけだと思います。ただ、前提段階が出来ていないのに、出来るわけはないのです。
その人と組んでいる時はよく言います、「周りを見て!」「その立ち回りは私達よりもっとPSと連携が上の人がやって上手くいくものだから!」と。
理想だけ高くて、それに追いつこうという熱意と行動が比例してないのです。
そして、何となく感じていたのが、既にゲームを始めていた私達を下に見ているような態度でした。
「私にアドバイスとか色々してくるけど、どうせ動画上げてる人たちより弱いんでしょ?」
被害妄想と言ってしまえばそこまでかもしれませんが、アドバイスをするたびに言葉の節々にそんな感情が見え隠れしていました。
その人の中では完全に、
動画で言ってる立ち回り>私たちチーム側が言ってる立ち回り
、なんですね。
それを悪いことだとは言いませんが、ならば私たちに「ああいう場合はどうすればいいですか?」とか、聞かなくてもいいんじゃないかな?とも思います。動画見れば答えが載ったんじゃない?と。
そういう人なんだな、と実感したのはつい先日起きた一件でした。
メンバーの中でもその人への認識が似通っていて、あれはどうにかならないものかと悩んでいました。
そんな時に、私が通話越しに指摘してみました。
「○○さんは自分でいっぱい情報喋っちゃうから、もう少し周りの人の情報も聞いてあげると立ち回りとか考えられるよ」と。
それの、いっぱい情報喋っちゃうから、まで言った時点で、その人は急に堰を切ったように私の言葉に被せて喋り始めました。
「あ、野良の人が私と同じキャラクター使ってるので変えますね!どれがいいかな、バランスを考えてこのキャラのほうがいいかな、装備はこれにしますね!あ、でもこっちがいいのかな?……はい!で、なんですかっ?」
…………わお。
怒涛の勢いで言葉を遮った挙句、しゃべる内容はクソほどどうでも良くて、更に言い終わってから続きを促した……だと……?
私は一気に喋る気を無くして「うん、(別に聞かなくて)いいよ」と言ってゲームを進めようとしました。
すると、それを聞いていた相方がそれに酷く腹を立て、全くその素振りを見せなかったのに
「ごめん、今日仕事の時間早かったから眠くて、この一戦終わったら解散にしよう」
と言い出しました。
なんとなく、「今の遮り方、相方は嫌いそうだな」と分かっていたので黙殺しました。
結局そのあと、一戦を終えて解散になり、グループでの通話を切ると、間髪入れず相方から個人通話が飛んできました。
「あれは無い。マジでない。人としてありえない」
珍しく怒り心頭で、捲し立てるように、どれだけあの人の対応が失礼で人間的にあり得ないか、喋る相方の言葉を聞いて、まあそうだなと感じました。
「本人が教えを乞うているから、みんながアドバイスをしてきたし、○○(私)が改善するために皆が言いづらいこと言ったのに、あの遮り方は悪意がある!あり得ない!」
相方の怒りが爆発しているからか、遮られた私自身はそこまで怒りを感じませんでした。
私は、おそらくあの普段の喋り方も音量も早口も、その人は意識的にあるいは無意識的に、自覚しているのではないかなと。
だからこそ、「自分が分かっていること」を他人に指摘されるのが嫌で、故意に遮ってしまったのではないかな?と。
誰しも聞かれたくないことはあります。
中学生が掃除をしようと自分から意識した瞬間に、親から「たまには部屋掃除しなさい」と言われたらげんなりする、そういう感じなのかなと。
その時の気持ちとしては「そんなこと言われなくてもわかってるよ!」でしょうか。
その人もそう感じたのかな、だからあんな、わざとらしい遮り方をしたのかな?と思いました。
それを許すとは言ってませんが。
言葉のキャッチボールが出来てない、そういう印象が時間を重ねるにつれて大きくなりました。
言葉はピッチングマシンの如く一方的に情報を寄越し、こちらの言葉は聞く耳持たず。
都合の悪いことは遮って聞かないようにして、自分のことをたくさん喋る。
その特徴を並べて検索して、そこで初めて「アッパー系コミュ障」の存在を知りました。
これなら喋らないコミュ障の方が幾分かマシだな、と素直に思いましたね。
喋るけど会話が出来ない、適切な量でやりとりをすることができない、相手の言葉を聞き入れない、相手を思いやることが出来ない。
空気が読めないから、周りがどう思ってるか、自分がどう思われているかの客観視が出来ていない。「コミュ障である」という自覚がまず無いのです。自分は普通に喋れる、実際喋れていると思ってる。厄介ですね。
私はその人が改善する確率は低いと思っています。その人はすでに社会人です。20を超えています。
つい先日、こういう喋り方になったわけでは無いと思います。
その人はたぶんずっと、その喋り方と接し方で生きてきたんです。
20年以上染み付いてしまったものを変えることは難しいです。考え方を変えるのはもっと難しい。
誰も指摘してくれなかったのかな?と思いました。誰も注意してくれなかったのかなと。
その歳になるまで、注意してくれる友人は居なかったのかな、と邪推してしまいました。
人のことを言える立場ではありませんが、これだからコミュ障って苦手なんだよな……と改めて感じる人物でした。
相手の話に耳を傾ける。
適切な返答をする。
話してる最中に遮らない、被せない。
それができる人って「当たり前」じゃなくて、すごく大事なコミュニケーション取れる人だったんだなぁ、と知見が広がりました。
それだけでも収穫かな。
いろんな人がいるんだなぁ。
男性を場合分けするが女性については統一意思を持っているものとして扱う
マンスプレイニングも反論もする気が一切なく、女性が辛い経験を話せば共感して我が事のように真剣に考えるのに
容姿、コミュニケーション能力、職業力の障害により女性と会話する機会自体が消滅している男性がいたら面白い
そのような男性は、女性と毎日話すが訴えに聞く耳を持たない勝者男性と結果的に同じ「女の話を聞かない男」カテゴリーに入るだろう
フェミニズムとしては男の中のどうでもいい勝ち負けにこだわらず、すべて男性には女性の話を聞いてもらいたいところだが
男本人の意思だけでなく、男のガワの要素が会話の機会に影響することで会話のゴールに到達できなくなってしまうバグだ
ジェンダー教育のテストで満点だが対人魅力に劣る男児が生涯を通じて女性と親交する機会を持たなかったため
女性が受ける性的被害の件数の削減になんら寄与しない場合もあるだろう
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/73494
「それ、気にしすぎだよ」男性が女性の訴えに口をはさむ前に考えたいこと(小手川 正二郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
そこまでするのは現実的に無理orあほらしいと思ったら実践しなければいい話では?
セカンドレイプとは、
レイプなどの性的暴行を受けた者に対して、第三者が、性被害の苦痛を思い出させるような言葉を投げたり、被害を受けた原因の一端が被害者自身にもあったというような中傷めいた発言をしたりして、精神的な苦痛を与えること。
タイトルに「セカンドレイプ」が何故悪いのか、説明してほしい と書いたが、私はこれ自体が何故悪いのかは理解することが出来る。
私も子供の頃に風邪を引くと「お前に落ち度がある」みたいな事を親に言われ、心底腹が立ったのを思い出す。
完全に防げる事のなく、何処で遭ってしまうかも分からず、かつ遭ってしまいやすい属性(この場合免疫の低い子供)なのに、そんな事を言われても……。
というか実の子供がつらい目に遭ってる時ですら「人を責めるのきもちいいwww」なのかコイツ。人間性を疑った。
幸い痴漢というものに一度も遭った事はないが、痴漢の場合は、性に関わるしそもそも犯罪であるということもあって、この比ではないことも察する。
つまり、セカンドレイプが何故悪いのかは「被害者に対して追い打ちを行うことが道徳的によろしくない」である。
しかし、セカンドレイプという言葉がここを離れて使われる事がネットではしばしばある。
例えば、
「傘を盗まれにくくするテクニック!まずビニール傘は本当に盗られやすいから避けるのが無難じゃないかな。他にはこんなアイディアがあって、傘にこんな印をつけておくと盗まれにくくなるみたい!よかったら試してみて!」
という投稿があったとする。
テーマが傘の盗難なら「試してみよう!」「おもしろい」などと言われる事の方がまだ多いが、これが痴漢になると
「なんで傘に印なんかつけなきゃいけないの?つけなくないんですけど」
「そもそも、傘を盗む方が100%悪いのに、どうしてこちらが対策する必要があるの?」
「セカンドレイプですよ!」
ん、「セカンドレイプ」ですよ……?
投稿者は、誰か特定の被害者に対して直接中傷したわけでもないし、ましてや落ち度を指摘したわけではない。
単に嫌なことを回避するライフハック的なものを紹介してくれただけではないのか。
というかこのような投稿をしようと思う時点で、投稿者本人も少なからず悩んでいた可能性が高くないだろうか。
悪の所在はそれほど大事だろうか?正確には、悪の所在と被害の大きさに関連はあるだろうか?
自分に一切非はなくても、痴漢に遭いたくないし、傘も盗まれたくないし、なんなら風邪も引きたくない。
「殺人は100%した方が悪いわ!だから大丈夫よ!あなたは何も悪くないわ!」と言ってもらえるからといって殺されたくはない。
普通はそう思わないだろうか。だからこのようなライフハックは共有され、実践されるのではないだろうか。
それですら「セカンドレイプ」の一言で封じようとするのを、私は理解することが出来ない。
放送していたのは予備校講師の林修先生が高学歴ニートに説教する企画だ。
林先生はおおよそこんな事を言っていた。
やりたい事とやりたくない事、できる事とできない事の2つの軸がある。
やりたい事とできる事が重なる人は幸いだ。
やりたい事を優先するのか、できる事を優先するのか。
高学歴ニートはやりたい事を追い求めている。
やりたい/やりたくないは偶然の産物で、絶対的なものではない。対して、できる/できないは必然だ。
林修先生は高学歴ニートに対して、できる事を軸に人生選択してみてはどうか?と提案する。企画の内容としてはこんなところだ。
今この世の中でこれを実践できている人はどれだけいるのだろうと思った。
皆やりたい事を2、30年間くらい探してる。
昔は親や学校の先生が進学先や就職先まで指示する事も少なくなかった。ある意味第三者が客観的に選んでいる。結婚もそうだ。
いつしか社会は個人の意見を尊重する社会変わっていった。そうすると皆自分のやりたい事にパワーを注ぐ。ネットの普及は拍車をかけた。
ヴィーガニズムについてはいろいろ思うところがあるんだけど、とりあえず以下の点については疑問だ。
それにしてもビーガンは極端に思えるだろうが、伝統的にも欧州で言えば修道士、日本で言えば厳格な僧侶は実践すべきと教えられてきたことだ
この部分、ヴィーガンなんて何も特別なことじゃないよー、と印象を薄めるための部分だと思うが、事実は大きく異なると思う。
なぜなら、「あらゆる動物由来のタンパク質を禁止」するようなことは厳格な僧侶ですらしてないからだ。仏陀が悟りを開いたきっかけは「ミルクがゆ」を飲んだことだが、これはヴィーガンならアウトな行動だ。また、欧州の修道士も卵やチーズ、場合によっては魚だって食ってる。せいぜい「通常のヴェジタリアン」レベルである。ヴィーガンの食生活と彼らのそれは、決してニアリーイコールではない。
更に言えば、彼らは「一般大衆にそれを強制する」ようなことはしない。なぜなら、彼らの思想の根っこには素朴な「人間中心主義」があるからだ。それに対してヴィーガニズムの根っこにあるのは、まさにその「人間が中心だろうか?」という疑問だ。ヴィーガニズムが多くの派生的過激主義者を生み、結果多くの人に反発を食らっているのは、実はそちらの顔があるせいだと思う。この点でも、ヴィーガニズムは、歴史の選別を経てきた現生宗教とは大きく異なる。いわば、まだ洗練されていない(危険性のたっぷり残る)宗教なのだ。もっと分かりやすく言えば、残念ながら現時点ではただのカルトだ。
https://www.youtube.com/watch?v=3NigwrIHdsk
簡単に説明すると、朝倉未来はフェザー級の総合格闘家で、ケンカ最強のヤンキー出身という肩書き。
RIZINでは7戦全勝、格闘家として実績を残し続けてる普通に実力者であり、Youtuberとしても登録者が120万人を超えており大活躍中。
で、件の動画は塩田剛三(!)のお孫さんの塩田将大先生に合気道を教えてもらうコラボ動画なのだが、
会話の合間合間で突っ込みを入れても笑いに繋がらなかったりと、たしかに終始変な空気が流れてる。
いろんないじりや「その技に俺なら耐えられる」という発言に対し、
「先生を小馬鹿にしている」「所詮は元ヤンでしかない、態度が失礼」「不快だ」等のコメントで溢れているのだ。
しかし朝倉未来選手のファンで動画をよく見ている自分からすると、それはちょっと違うんじゃないかと思った次第。
まず、これは朝倉選手側が変に煽ったり小馬鹿にしてるわけじゃなくて、(動画として盛り上がるように茶々をいれつつ)話を促してるだけだと思う。
ただ、合気道の塩田先生が天然というか柳のように受け流す独特な方で、会話のやり取りが上手くいってない感じ。
そこに、朝倉選手の元々の正直な性格(過去の動画で普通に自信家、ナルシストだとも認めてる)による発言が重なって、印象が悪くなってしまったと思う。
だって先生が「合気道は相手を痛めつけません」って説明してからの技をかけて「痛い痛い痛い!」って流れは(しかもテンドン)、
で、どういうことなんですか?ってノリで「痛めつけてるじゃないですか!」って面白がって突っ込んだり話を振っても、
「最初だけです」という先生のよくわからない説明で、なんとなく空中分解してしまうという・・・
だからメンバーも朝倉選手も「痛いけど後に残らないんですよね」「鍛えてるから逆に極まっちゃうんですかね」とかフォローしてる。
本来、最終盤のサッカーボールキックのようなふざけて親近感を持たせるパターンがこのチャンネルのノリなのに、
単純に相性が悪かったというか。
朝倉選手の(教えてもらった技に対して)「俺なら耐えられますよ」という発言も、
(で、その場合はどうするんですか?)的な意味で、そこから別の技や対処を教えてもらって「あーなるほど」とか話を続けたかったように見えるんだよね。
だって本気で意地張ってたり、まして役に立たないなんて思ってるなら、そもそも実際に技を耐えちゃえばいいわけで。
実際に先生の技にかかった上で「でも耐えられますよ?」って言うのは、普通に考えて次のお話を促してるわけでしょ。
でも先生がそのまま「最後まで投げたりはしないですね」ってふんわりと流されて会話が終わっちゃうから、
「え、じゃあそのあとどうするの?」ってすっきりしないままでお互いに変な感じになってるんだよなあ。
急なコラボで打ち合わせもあまりなかったみたいだし、塩田先生を責めるつもりも全然ないんだけど。
たしかに、思ったことを素直にいう朝倉選手の性格とか格闘家らしい自己主張の強さのせいで、
相手を小馬鹿にしてるように見えるという意見もわからなくなはない。
しかし、もし本当に小馬鹿にしてたら、総合格闘技のシチュエーションならどう使えるかなんてあんなに色々試さないでしょ。
先生に技をかけられてるときも、朝倉選手は向かいにある鏡を真剣に見て話をちゃんと聞いてるし。
(初見では余所見してるように見えるかも知れないがそういう構造の部屋)
相手の教えを自分の仕事(総合)に取り入れようと実践して見せるって、普通にリスペクトだよ。
そうやって総合的なシチュエーションを実際に披露しつつ、塩田先生から積極的にアドバイスしてくれる流れを期待してるように見える。(んだけど、先生は基本後ろで静かにしてる)
終盤、いよいよ微妙な空気感の中で護身術を習うところ、「ナイフが刺さっちゃだめじゃん」とか茶化す場面も、
その直後に朝倉選手本人も刺さってるってオチをちゃんとつけてバランス取ってるしなあ。
メンバーを入れてやり始めたのも、二人だけだと間が持たないから何とか盛り上げようって判断に見えるんだけどなあ、結果的にうまくいかなかっただけで。
そうやって動画的に面白く、また自分の土俵である総合格闘技から合気道を理解したい朝倉選手側と、
書き方が悪かった。そりゃそうなんだけど、その相談を受けた先生がちゃんとその生徒とちゃんと議論をしたのかどうか、というのが知りたかったのだ。
なぜそう思ったのかをヒアリングできたのかどうか、ということ。先生が立っていなきゃいけないなんて規律聞いたことないし、そんなあやふやなことで不満を抱くか?
まぁ実際にはちゃんとした理由があって(たとえば元増田が足を組んで座っているとか)、それをその相談を受けた先生もはっきりと同感できるような内容であれば良いとは思う。
要は、そこで教育的なプロセスが実践されていたのかどうかが知りたいのだ。その出来事はその子にも影響を与えることだから。まぁ俺が悪い想像をしすぎているだけなのかもしれない。
デフレが解決できないのは、流動性の罠、という問題があるから。インフレであれば金利を上げればコントルールできるんだよね、上げる分にはどこまでも上げられる、青天井なわけよ。しかしデフレの場合は下限がある。0があるわけよ。これが流動性の罠。言葉は難しいけど、言っていることは単純で、金利はゼロより下げられませんよ、ってこと。しかし実際にはマイナス金利というものがあるではないか、という話もあるけれど、マイナス金利というのは、中央銀行にお金を預けている場合に発生するものなんだよね。つまり、マイナス金利は、中央銀行にお金を預けなければ発生しない。自前で保管しておけばいいわけだな。しかし、そうなると現金を保管しておくための、セキュリティの問題が発生するわけ。マイナス0.1パーセントとかだと、セキュリティを保つためのお金の方が高いので、中央銀行にお金を預ける方がいいけど、1%とかになると、自前でセキュリティを維持した方が安上がりなわけ。なので、マイナス金利というのも、実質的に下限が生じてしまう。これが流動性の罠だ。なので、デフレというのは、金利を操作するだけではなんともいかないね、という話になっている。
他の問題については、省庁が出す資料というのはとても立派で未来は明るいように感じるものがいっぱいあるんだけど、何一つとして実現したことはない。実現したとしても、一般市民が恩恵を感じることはない。行政というのは調査能力には秀でているけど、実践力に乏しいお坊ちゃん、お嬢ちゃんしかいないのではないかと思っている。実現しなくてもおとがめなしだからね。明治時代であればエリートの行政官が国をよくしてくれたんだけど、今の行政官にその力はない。もうこの国はダメかもしれないね。
…昭和関西棋界の二大巨頭、有吉道夫九段と内藤國雄九段の話。峻烈なライバル関係と、歳を重ねてからの友情。
…高校生時代のライバルが全国大会に都代表で出ることを新聞で知った話。昔同じ立場だった人に置いていかれる話、好きなんだよな。咲-Saki-でいえば穏乃が和の全国優勝でめちゃくちゃ動揺してるとこ。
…赤ドラと、ギャンブルとして発展した麻雀の歴史の話。まあ、麻雀を競技にしたい人は少なくとも一発裏ドラ赤ドラくらいは不採用でやってほしいよね。
【麻雀】福地誠presents 坊主マッチ2016 | FRESH LIVE(フレッシュライブ) - ライブ配信サービス
…「負けたら坊主」というルールの麻雀をした動画。俺が見たい「他人の麻雀」ってのはこういうのなんですよ。
…多数意見を批判する言葉が強すぎて面白い裁判官の話。「齋藤先生と灰皿を投げ合って論争したというのは本当ですか?」「そんなことはしない。六法全書を投げ合ったんだよ」
実践するフェミニズム――【悲報】テラケイがラディカルフェミニストとお友だちだった件|兵頭新児|note
…牟田和恵をボコボコに批判して、ついでに白饅頭を皮肉る記事。正直牟田和恵も白饅頭もよく知らないんだけど、フェミニストの主張の構造を解明していく過程がなんか面白い。
棋士だけの持つメリーゴーランドの世界 | 将棋ペンクラブログ
…吉野家で晩酌をする団鬼六のエッセイ。出入りする人々との一期一会、死んだ男への追想。
数年前から福祉に関心があって、ソーシャルワーカーの資格を取った。
地元で障害福祉サービス事業所を作りたいと思っていたが、総量規制という問題があり、新規で事業所を作るのに人口に対しての適正な事業所数というものがあり、自宅のある地域では設立するのが難しかった。
そこで2016年、会う人会う人にこんな事業をやりたいんだよねって話をしていたら、近隣地区の福祉施設経営者のご子息を紹介された。
その人と話をして、ふわっとした話をする人だなという認識ぐらいしかなかったけど、渡りに船とばかりに一緒に事業所を作りましょうという話になった。
それから週2~3日ぐらいその会社に行って、事業所設立のスタッフとして、設立準備を始めることになった。
地域の困り事を誰かと誰かがつながることで解決できることがある。
コミュニティデザインの手法やソーシャルデザインなどこれまでNPOで培ってきた経験が生かせると感じていた。
ただ少しずつ違和感を感じていたのも否めない。
管理職と話せば話すほど、実社会と会社との断絶を感じてしまった。
最初違和感なく働いていたけれども、最初に起きた出来事は外国人技能実習生の問題だった。
自社で技能実習生を雇用するという話になり、現地説明会があるのでPVを作ろうという話になった。
ムービーは別のスタッフが撮ったが、当職が編集し、英字字幕をつけることになった。
出来上がった会社案内はイメージビデオとしてはかなり良い線を行っていると感じた。
だが程なくしてフィリピンでの説明会のようすを聞いて愕然とした。
複数社で合同会社説明会を開き、当職の編集したPVでは会場から拍手が沸き起こったらしい。
そこまではよかった。
なんとじゃんけんで決まるという。
そして各雇用者側が順番に選んでいくと聞いて悲しくなってしまった。
更に極めつけは採用するときにどこに注目したのか当職の上司に尋ねると、子どもがいて仕送りが必要でばっくれない人という視点で選んだと言い放った。
そもそもなんで外国人実習生を雇うのか尋ねると、借金背負って来日するので、日本人を採用するより離職率が低そうだからと言う。
現に当職の会社にいた普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。
フィリピンからの送り出し機関管理会社も当職の会社を退職した普通の人が立ち上げていた。
そしてその管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ。
そして雇用される側の実習生は技能実習という名の下に人員配置基準を満たすための駒として、シフトに組まれてしまう。
現場の日本人スタッフもどのようにして介護現場での微妙なニュアンスを実習生に伝えるかを悩まれていた。
もちろん法人内で英語ができるスタッフは1割もいない。タガログ語に至ってはなおさらだ。
この技能実習生は日本の介護技術を学んで本国で実践するという名目で、日本人と同じ雇用形態で仕送りたくさんできていいじゃないかという人がいるが、現実はそうではない。
どこに住まわせたとしても、実習生らは住居費として家賃や光熱費等を控除される。
そして管理会社の管理費という名のピンハネや渡航費用の借金も引かれる。
それで残ったお金を本国で待つ子どもやその子どもを子守している両親宛に送金するのだ。
そして彼ら実習生が雇用されるということは日本人を高い給与で雇わなくてもよいので、今働いている人たちの給料も上がらない。
理念で洗脳されて働く現場スタッフと一部のボランティアや近所の善良な人たち頼みの地域包括ケアシステムの限界がすぐに予想できた。
福祉業界にいて困っている人ために働こうと思っていた矢先に、理念もへったくれもない企業に関わったのが私の運の尽きだったのかもしれない。
私も人を見る目がなかったんだろうな。
また書くと思う。
昨日の夜中に書いてこんなにブクマしていただけるとは思わなかったので、びっくりしています。コメントありがとうございます。
また自分自身が遭遇した問題を相談させてください。度重なる退職勧告を受けています。
当職も障がい者の日中支援をしていて、知的の方でお尻が拭けない方の排せつ介助をしていて、今まで教えてもらえなくて辛かったろうねと思いながら、どうやったら自分でできることが増やせるか常に考えています。
実習生無しに高齢者の下の世話を誰がするのかというブコメがありましたが、お年寄りが好きで働いている方も大勢いらっしゃいます。
給料が上がれば良いのです。
仰るとおり以前はシングルマザーに研修受けさせて、介護現場に放り込むというのが定番でした。
それでも低賃金重労働で人が離職するので、外国人をとなったわけですね。
農業の世界では農福連携というお題目の下に、障がい者の農業分野での参入が推奨されていますが、厚労省と農水省の足並みが揃わず、残念な制度になりそうな予感です。
とりくみとしては農福連携はとても面白くて、障害の種類によっては回復につながる制度だと思っています。
それを私はやりたかった。
知的の方で性教育を受けていない方はマスターベーションも自己流で、性器を傷つけるやり方で行っているし、支援していて辛いです。
でも福祉の世界では障がい者の性欲についての支援のノウハウは定まっていないし。会社はうちの業務じゃないからって問題と向き合おうとしません。
ここまで伸びるとは思わなかったので、関心の高さに少々驚いています。
コメント一つ一つに返信したいところですが、ネガティブなのを読むと今は辛いのでいくつかだけレスします。
高校生が福祉コースを選ばなくなったのは熊本地震以前から既にそうでした。地元の高校で唯一福祉科のあるところで5年前は2桁はいたんですけど、今は1クラスで1桁になってしまい、消滅の危機が訪れています。
地元の介護の求人はものすごく給与が安く、NPOが運営する障がい者施設などでは額面で13万スタートとか。
だから高校で福祉科しかなくて入学した子は卒業後にすぐ就職するのではなく、専門学校に進んでPT(理学療法士)など少しでも条件のよい仕事に就こうとしています。
もしくは働きながら看護師の資格が取れる夜間の学校とのダブルワークとか。
更にハロワに求人出すのに賞与なども記載しないと応募がありませんが、うちの会社は処遇改善加算という加算が付くのですが、その分だけを賞与で渡すので、求人票との相違があります。
初めてもらったときは0が1桁足りないんじゃないかって聞き返してしましました。
当職と書いたのはソーシャルワーカーは一応社会福祉士という国家資格なので、士業だから書いただけです。
弁護士・司法書士の先生しか使っちゃダメというのがあれば、ごめんなさい。不勉強でした。
この技能実習生は3年ぐらい前から準備されていたけど、2国間協定が結ばれなかったので延び延びになって、今年の来日になりました。
またなぜフィリピン人なのかは私も聞き漏らしましたが、語学ができる若い優秀な人材はもっと条件のよい欧米諸国に行くそうです。
そして日本だと監理団体経由で来日する必要があり、かなりの渡航費用がかかるので、飛行機を使う必要のない中国へ出稼ぎに行くのが主流になっており、それができない層が今回のように来日しているとのことでした。
ちなみに農業の方では、私の地方はベトナム・カンボジアの方が増えて、中国・フィリピンの方は見かけなくなりました。
直接上司から聞いた言葉は明言できますが、来日した当事者からはまだ話を聞いていませんので、推測の域を出ていないか所があるかもしれません。
でもそんなに推測で書いている場所はないです。というか私の書き方が自分の意見を言うときに「~と思います」と書くくせがあるようです。
まだ入職してきたフィリピン人の方々とお話しできていませんが、退職前に機会を作って地元にあるフィリピン人支援機関の連絡先だけは伝えようと思っています。
あと私がこの業界を選ぶのが頭悪いと仰る方の意見はごもっともです。
お金だけで考えれば、もっと効率のよい稼ぎ方がありますからね。
ただ、私も40歳前後になってからアスペルガーの診断が付いた当事者なので、仕事があまり選べる環境にはありません。
今までの経験を活かしつつ。「当事者の視点でなんとかこの業界を地方から変えていきたい」と思ってスタートしました。
あまり自分自身のことを書くと私がどのブクマカか身バレしそうなので、ご容赦ください。
また事業立ち上げ時に当事者が主体となって新規事業を興そうとしているというのは聞こえが良いので、良い宣伝マンだったのでしょうね。
そして私自身が多くの支援者に支えられて生きていますので、その人脈も会社は欲しかったのだと思います。
いろんな方に支えられて引きこもりからここまでやってこられたので、他の誰かの役に立てればと思っていたのですが、自分の限界を知る良い機会でした。
もうそろそろ普通の仕事が良いかなって思い始めていますが、たくさんのコメントに励まされています。
ただ経営者が介護事業を「給付金ビジネス」と呼んでいる時点で終わってますよね。
このまま離職しても会社は何も変わらないし、今働いている人も不幸になるので、いわれのない退職勧告に負けず、会社からの謝罪を得ようと思っています。
集団行動をするうえで大切なことは、とにかく表面的な協調協力関係。
そんなことをして逆に集団から追い出されたら死んでしまうから。
だから、批判するときは必ず匿名性が担保される手段しかとらない。
ご丁寧に匿名でご忠告申し上げても聞き入れない愚か者が集団内にいた場合は、
みんな、あなたの行動に反対している。あなたも集団に残りたかったら、
学級会で決めたことには従うべきだ。
私は、あなたの行動嫌いじゃないし、理解もできるけど、学級会で決まったことなんだから仕方ないよね。ね?
もう当たり前過ぎて、当人たちは何の疑問も感じないらしい。
【最初】
このダイアリーは【前提】【本編①】【本編②】【閑話休題】【つまりなんだってんだよ】で成り立っています。
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【前提】
皆様は「TDR」をご存じだろうか。
そう、日本が誇る大型テーマパーク「東京ディズニーリゾート」である。
その中にある「東京ディズニーランド」「東京ディズニーシー」は開園より多くのお客さんで賑わう、日本に無くてはならない施設となった。
ミッキーやミニーといったメインキャラに加え、プリンセスといった等身の高いキャラ。クララベルといった初期作品のキャラに出会えることが良い。
アトラクションも豊富で、その背景であるバックストーリーも魅力の1つ。
何よりキャストさんたちの「ゲストを精一杯おもてなししたい!」という気持ちがひしひしと伝わる。
一度行けば疲れ果てて帰っても「ああ、また行きたい」と思ってしまう素晴らしい施設だ。
さて、一方の黒馬こと「ツイステ」をご存じだろうか。
「ツイステットワンダーランド」という今年頭に配信されたディズニーの看板を背負ったアニプレックス発のゲームだ。
TDRに行く東京民なら必ず通るあの動く歩道の傍にある大きな看板。
配信前からプッシュを続けた為、存在を知っているDオタ民は多いだろう。私もその1人だ。
私は正直言って、乙女ゲーに興味がない。正直カワイイ女の子がダンスしたり敵船を撃破したりといったゲームが好きだった。筆者は女性である。
だが、Twitterのフォロワーがやっているのを見て。「何だろう、面白いのか?」と思ってダウンロードした。
最初の推しなどは居なかった。声を聴いて1時間くらい誰にするか悩んだ。
ツイステは「リズム」と「バトル」を組み合わせたゲーム。アイドルマスターやポップンミュージックのような正確さは求められない。バトルもFGOのような難易度を求められることは無い。
だが……初期のころは正直言って「クソゲー」だった。
リズムゲームはズレまくっている。音を聞いて押すとGOODになる。バトルに関しても何も連絡がないままじゃんけんバトルだと気づくのに多少時間が掛かった。ごり押しした。
昨今は調整され、音も聞きやすくなった。最近リズムマークの速度調整に気付いた。いつからあったんだ。
ディズニーヴィランズを”インスパイア”されたキャラクターが複数存在する。ここら辺は公式サイトを見てもらおう。
文字通り十人十色のキャラが存在し、それぞれめちゃくちゃ個性の強いキャラが居る。
前提として、「各寮にはそれぞれ寮に入るために持ち合わせた信念が云々」といった、いわば某魔法使い映画のような世界にやってきた主人公。
そこで元の世界に戻るために寮生たちと過ごしていく……という設定だ。
ネタバレになってしまうかもしれないが、キャラクターは全て文字通り「ツイステッド」、「歪む」。
自分の信じていた前提が覆されるとキャラクターは「闇落ちバーサーカー(本編での呼び名)」である「ブロット堕ち」になる。
そういった彼らの「バッドエンド」を「ハッピーエンド」に変えていく……といったストーリー。
ところどころ散りばめられたディズニー映画を彷彿とさせるセリフ回し、本編は全てボイス付きである。
デザインは有名漫画家を起用。私はリドル君を見た時に「あ、赤い……〇〇〇くんだ……」というのが最初の印象。ここら辺は多分ググればわかると思う。
ツイステの人気はやはりここにあると思う。キャラクターの良さとストーリーの面白さ。
誰一人「嫌い」と呼べるキャラが居ないのはとてもいい。
また、ゲーム内容は「育成放置可」のため某ゲームの様に育成の度にいちいちコマンド入力しなくてもいいのだ。リズムゲームもある程度やれば放置で構わない。優秀。
以上が、ツイステの魅力である。
解ってるよこんなもんよぉ!って人は飛ばせばいいと思う。今更だが。
【本編①】
さて、前提としてTDRとツイステの話をした。
昨今問題視されていることがある。それはDオタとツイステ民の衝突だ。
Dオタはともかく、ツイステ民は民度が低い、など言われがちだ。言ってしまえばハマる年齢が相応のため、仕方ないと言えば仕方ない。まだ花も笑う年齢の方は多いだろう。箸が転げても笑う年齢も。
最近は「公式に二次創作の事を聞きました」なんていう物があるが、古のオタクとしては「公式に……二次創作をしているなど知られれば……!!」と危機感を抱く事がある。そういう事例がたくさんあったから。
じゃあDオタはいいのかという話。Dオタ、詳細に言えば「TDRオタ」というのが正しいのだろう。
TDRに来て、各々の発見した楽しみ方を実践する、いわゆる「プロTDRマニア」というべきだろう。正直尊敬する。
ショーパレを見る人、キャラグリを楽しむ人、1人のキャラに愛を注ぐ人、景色を見る人、花々の変化を楽しむ人。様々。
こう見ると「なんだ、ただのオタクと変わらないじゃないか」と思うがその通りである。
皆様は「ディズニー・アトモスフィア」をご存じだろうか。多分これを言った瞬間何人かは「あっ!」と思うはず。
アトモスフィアとは元々「大気」を表す単語だが、ディズニーでは「キャストによる突然のショー」の総称である。
何処からともなく現れては音楽やダンスを披露し、ゲストたちを楽しませる彼らの演目の1種である。
基本的にアトモスフィアはいつ行われるかのリストはない。が、何度か言っている人であれば何となくこの時間…といったことが解るらしい。すごい。
その中でディズニーらしからぬ異質を纏ったアトモスフィアが、あったことをご存じの方は多いはず。
ディズニーヴィランズの手下たちをイメージした手下たちが歌やダンス、観客に近づくと言った中々心くすぐられそうな存在である。
死ぬほど画像などが転がっているので見てほしい。イケメン美女がダンスしたり悪いことしたりする魅力的な作品だ。
ちなみに筆者は2015年ごろに今は離れてしまった友人がこのアトモスのために年パスを買い、2018年には先輩が見たいと言ってなぜか2日連続ディズニーを経験した。
皆が見ている間近辺で行われていたシェリー・メイのグリに並んでいた。シェリーちゃんはカワイイ。一度グリしてほしい。
この手下たちは余りの人気で2018年までほぼ毎日やっていた。
大体これが行われるタワーオブテラーの前には行列や人だかりができていた。
手下を求める女子の黄色い悲鳴の背後ではホテルハイタワーによる呪いで恐怖の叫びが木霊している。非常にシュールな図ではある。
大人気を勝ち取った手下たちだったが、一部のDオタからは白い目で見られることとなってしまった。
お気づきの方は多いだろうが、「手下目的」の人が多く来てしまった事である。
「いや、たかだかアトモスでしょ?!その間他のアトラクとか行くんでしょ?」という声が上がりそうだが違う。
手下ガチ勢は朝から終了まで、ずっと手下を見ていたという声がちらほら上がる。
なんというか……すごい。そこまでの待てる熱量というのはやはりオタク。ライブやイベントでの待ち時間と比べると大差ないのかもしれない。
1日に何人もの人だかりを見たことがある。その度に「人気だなあ」と感じていた。
エレクトリックレールウェイから見える時、ものすごい人だかりの中で頑張る手下たち。正直すごい。
ディズニーの暗黙の了解として「走らない」というのはご存じだろうか。否もはや暗黙でもない。
開園直後にキャストさんが必死に「走らないで下さい!!」と叫んでいる。毎日見る光景だ。
私も一緒に来た人には「ボスケテの精神で行こう」と提案している。それは「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」に登場する文字である。
「ボス助けて」を略してしまったため、「ボス 決して走らず 急いで歩いてきて そして早く僕らを 助けて」と勘違いされたあの名言。
この「決して焦らず 急いで 歩いてきて」というのを心に我々は歩いてディズニーを回る。
まず手下に対してこの条件が当てはまっていなかった。
席は抽選ではない。いい席で見るために誰よりも先に前に行き、席を取ることに必死になった。
こんな情景実はどこでも見るところだが、ディズニーは異質中の異質である。
「席を取られた」と言って殺気立つ客が現れることとなる。本来ディズニーには無い空気が漂う。
走って席を取るのも他のゲストにとってストレスになる。走ることで他のゲストが触発されて走ることが多くなる。
まだその時はアプリでFPを取ることが出来なかったため、「彼らが何処に向かっているか解らないゲスト」たちが「乗り物のFPを取るために急がなきゃ」と走る。
誰も歩かなくなり、こける子供も多発する。来て早々泣く子供に親は困り果てる。悪循環がいっぱいできる。
まあ、既に終わったことではある。現に2018年を終えて手下は終了した。
このほかにもマナーの悪さなどが際立ち、「ハロウィンの時期にはディズニー控える」といったDオタが増えている。
……多分以前よりこういうことは多々あったのだろうが、Dオタたちが揃って「やばい」と感じたのはこの手下が私の認識では初めてだった気がする。
なお、筆者はイケメンを見ると心がざわついてしまうので手下は見なかった。
近辺のベンチで座って先輩たちを待っていたら、目の前で帰っていく瞬間を見ただけである。
ちなみに帰り際の待ち伏せも手下好きの人はやっているが、グリ目的のマナーの良いDオタもやるのでここは触れないでおく。
この案件と懸念が行きつく先は、「ツイステの人気にあやかって手下の復活が…あるかどうか?」である。
正直、この件に対しては余り考えていなかった。どちらかというと本編②で話すことが若干懸念。
だが、今このツイステブーム。コロナによる自粛によって開園出来ない事を踏まえると「客足が多かった手下が復活する可能性」は否めない。
そうなると再び、Dオタと手下沼の人たちによる溝が出来てしまう。
純粋にディズニーを楽しみたい人、純粋に手下を楽しみたい人。どちらも楽しみたい気持ちは一緒なのにマナーの違いで大きく出てしまう。
なんかそれは……嫌だなぁって感じ。TDRはみんなで楽しみたいですからね。
【閑話休題①】
描くことに疲れてきたので何か話をしよう。
ディズニーは飯が美味い。
兎に角飯が美味い。ワンコインでめちゃくちゃ美味い物が食える。
ちなみに筆者のおすすめはTDSで販売されている「ホットドッグ」と「ユカタンソーセージドッグ」である。
なんと筆者はパンが嫌いである。口内の水分を取られる感覚が嫌いすぎる。
まずホットドッグ。こちらは400円か500円くらいで食べれる。
ホカホカのパンとそこそこあったかいソーセージ。まずソーセージがデカい。
パンの1.5倍の長さはある。そしてとてもジューシー。めちゃくちゃ美味い。
お好みでケチャップマスタードを掛けて食べる。腹にたまる。片手食べれる。
食べ終わった後は包み紙を見て、その店をアメフロ内で探すのがディズニーに行った時の習慣になっている。
ユカタンソーセージドッグはフランスパンのような硬めの記事の間にあらびきの長ウインナーが1本入ったものである。
一口食べれば肉汁がじゅわり。だが安心してほしい。肉汁は全てフランスパンが吸い取る。
もう滅茶苦茶うまい。ビックリするほどうまい。そして早々に売り切れる印象がある。
タダの見た目も映えないパンダと思わず、買って食べてほしい。500円。
今は多分もう食べれない。
【本題②】
言い方がひどいが、正直Dオタにしてみれば間違ってない……と思っている。
まず、ディズニーヴィランズのモチーフという事はそのディズニーのメインストーリーがある。「白雪姫」「不思議の国のアリス」「リトルマーメイド」など。
特に「リトルマーメイド」「アラジン」はディズニーにもしっかりテーマエリアがある。「不思議の国のアリス」はレストランがある。
ツイステは正直グッズ展開がめちゃくちゃ早い。あと戦争。私も好きなキャラのグッズを買おうとしたらドコも鯖落ちして「今の時期珍しいな」と思うくらいだ。
鯖落ち戦争に勝ち抜いてグッズを買わねばらなず、更に転売が息づく世界だ。再販も早い。
オタクというのはグッズを置いて写真を撮ることもする。なぜか。単純に「推しとその世界」を撮影したいからだ。
ディズニーはツイステ民にとって格好の的、というかほぼそこしかない。
ありとあらゆるところでツイステを見ることになる可能性はほぼ100%に近いと思う。
ちなみに古のオタクは好きな物を公表することが恐ろしいと感じる傾向がある。
日常でもオタクとバレたくない人はそのグッズを付けたりはしない、家で楽しむことが多い。と思ってる。
私の見解なのでこれが100%ではない。今でもオタクグッズを付けて外に出る古のオタクもいるだろう。すごいぞ。私にはできないぞ。
まず、ディズニーはツイステ民だけではなく一般の人も来るというのはお察しだろう。
Dオタだけの世界ではない、遠くから来た人、子供連れの人など老若男女様々だ。
正直、そんな方々に引かれないかとおずおずしている。他人の事なので自分に降りかかるわけではない。
例えるとしたら人がいっぱいいるのでその場からすぐに退散したいイデアの気分になる。なぜか自分に降りかかると思ってしまうオタク。厄介である。
撮影が「ダッフィー」やら「ミッキー」やらのぬいぐるみやアクスタならまだしも、どこぞのイケメンの写真を撮ってるのは案外異質な光景かもしれない。
私もたぶんツイステを知らなかったら「あんスタのキャラかな?」と思うかもしれない。ちなみに筆者はあんスタでは渉推しである。
いたるところでツイステキャラと写真を撮るのは、オタク特有だが周りを見れば一般人もいる。
一概に「それはマナー違反だ、やめろ!」とは言わない。し、やってもいい事だと思う。ディズニーはそういうの禁止してないし。
ツイステ民の私の心は「解る、解るよ…!」でありますが
ただDオタの私の心は「なんか、痛いなあ…!」と思ってしまうので許してほしい。許して……。
家族でアナ雪のコスプレをしたり、全員ピーターパンとか結構ありがち。
皆さんはご存じだろうか……Dハロの許容の深さを。
ディズニー作品ではなく、ディズニーチャンネルキャラですらOKである。
悪魔バスター★スター・バタフライ、怪奇ゾーン グラビティフォールズ、キム・ポッシブル、マイロ・マーフィーの法則 などといったアメコミキャラはオールオッケーなのだ。
更に日本を代表する人気作品「キングダムハーツ」よりソラ、リク、カイリはOKをもらっている、マーベルはNGである。
「ゲームに登場する他社キャラクターは認められていない」とのことなのでクラウドやエアリスといったFFキャラ、そのほかオリジナルキャラやシャドウはNG。
看板に「ディズニー」を背負っているツイステは入る可能性が高い。
つまり下手をするとどこでもツイステのキャラを嫌でも目に入れなければならない。此れにはツイステ苦手なDオタの方は憤慨すると思う。
私はコスプレは好きだ。見るのが好き。コミケとかもコスプレ目当てで行くことがある。
だがDハロの場合は別だ。ディズニー映画のキャラやディズニーチャンネルのキャラを見たい。小さい子がアリスの格好してるとほのぼのするが、ほぼ毎回見る。
Dハロは「ディズニー映画のキャラを中心にコスプレする」人が多い。
その中にツイステが混じると「えっ、このキャラ……何のキャラ?」と思う人が多いかもしれない。
人はそれに対して言及はしないけれど、「ディズニーのキャラかな…?」と思わされることは多い。
ディセンタントというディズニー映画は知っているが一般の人はほとんど知らない映画だろう。ツイステ好きの人は是非見て。キャメロン・ボイスに最高の感謝と喝采を。
彼女たちを見た時に「あ、ディセンタントだ。」と思う人は少ない。
じゃあツイステだっていいじゃん!って思うだろう。書いてて私もそう思う。悪い事じゃないじゃん。そう思う。それな。
ただDハロの時にツイステを見るのは正直言ってしまって「秋葉原でコスプレをして歩くオタク」のような感覚が強い。
なんだろう、イケメンだからかな?ディセンタントやキム・ポッシブルといった映画やアニメは「実写!」「カートゥーン!」といった色彩が強いからだろうか。
ツイステでは恐らく「イケメンのコスプレ…!!」と感じるのだろう。イケメンを見ると心がドキドキする。
(恐らくツイステのコスプレがOKになったとして、オンボロ寮主人公はNGだと思うのでお気を付けください。あくまでキャラ対象だと思うんですよ……。)
懸念してる事なのでこれが現実になるかは分からない、ならないかもしれない。むしろなってもならなくても節度ある方がコスプレしているだろうから、特に問題はないと思う。
隣の芝は青い、なのか、
その後業務内容は社員同等だったとしても、、契約状況はバイト。
齢27歳、さてどうしようとものかと思っていたらコロナがやってきた。
幸い、すぐ仕事やお金がなくなるわけではない。というかクビでもない。
だが、じわりじわりと締め付けられているような感覚。
めっちゃ儲かるのは一部のカリスマ、最近セクハラで問題になっているような人くらい。あと独立した人かな?
ていうか、そんな楽しい仕事も自粛でほぼやることありませーん。
2〜3年後にはこの業界は回復する、とはいうものの2〜3年後は30歳近い。
そんなことを考えながら自粛前に知人の家で飲んでいると、すっきりわかるJAVAの本を発見。
読んでみたら、スラスラ読めて、
自粛もあって、暇になってたので借りて帰る。
すると、暇もあってからJAVAにはまってしまい、すっきりを終えて実践をやる程に。
また、合わせてprogateで他の言語も触ったり、環境構築してみたり。
元々中高生の時にブログ作ったりしてたから、そういうの好きなんだとおもう。
ちなみにエンジニア時代は研修受けてた物の、殆ど身になっていなかった。
というか、自分からやった勉強はこんなに楽しいんだと、気づいた。
むしろ、エンジニア時代は本当に失礼な人間でクズだったんだなとおもう、今もだけど。
今の仕事は向いてないし稼げる気がしない。
WEB系で働く友人たちがかっこよく見える。
そんなわけで私はまた、元の芝が青く見えている。
いっそ誰かに、お前はプログラミング向いてないから絶対辞めた方がいいよ
って言われたいのかもしれない。
私は受験生でコロナで塾が休みになっていたので、その振替として最近週に何回も塾がある。
中途半端に夜から始まるから、家を出る前は晩御飯を食べるには早すぎ、帰ってきてからは食べるには遅い、みたいな時間なので、晩御飯を食べ忘れることが多々ある。
帰ってきてからは食べるのもめんどくさい。
でも、寝る前はお腹が空いて死にそうになる。
そのお茶漬けがあまりにもおいしかったから、忘れないようにここに書いておく。
十二時頃に一階に降りる。うちの家族は早寝タイプなので、みんな寝静まってて、一階は私だけの楽園となっている。
まず、冷凍庫から母親がついさっきラップにくるんだであろう、まだカチンコチンではないご飯を取り出して、ローソンで昔手に入れたリラックマ柄のピンク色のお茶碗に移し替える。
その後、500ワットで20秒ほどチンする。温めすぎないのが大事で、ちょっと冷え飯ぽくする。
それから、母親がさっき沸かし終わったであろう、今度は熱々のお茶を注ぐ。
躊躇せず並々と!多すぎるくらいがポイントだ。
そして、海苔を棚から取り出して、折りたたんでそのまま茶椀につっこむ。
昔は破ってから入れてたけど、手が汚くなるし、テーブルにもぱらぱら落ちるので非効率。
私は味付け海苔しか入れたことないけど、焼き海苔も美味しいのかな。
それで完成!!んー!!!
どうしよう。美味しすぎるくらい美味しい……!!!!
一杯かきこむのに3分もかからず、二杯目食べたくなり、同じ手順で実践した。
なにか足りない…そうだ!梅干しをいれよう!
この間母親がスーパーで買ってきてくれたちょい高級なはちみつ梅干しが確かにあった。
お皿に移し替えて、味見して程よい酸っぱさを実感し、潰してからお茶碗に入れてゆるゆると混ぜる。
んー!これぞ、究極の和の食…!
私はこのお茶漬けを食べるために日々頑張って生きているのだろうと感じた。
まあこんな生活を続けていたら、2ヶ月で3キロも太りましたけど。
受験生だし気にしないことにする!
今、プログラミング界隈ではmaster/slaveやblacklist/whitelistのような、ある文化的背景を持つ人にとっては差別的表現になりうるモノの表現を変えようという動きになっている。代案としては色々あり、例えばmaster/slaveはprimary/secondary、blacklistはblocklistというふうに変更しようという案が出ている。
正直言葉狩りや言葉遊びの域を出ないという心情が大きいのだが、ナチュラルに差別に怯える人々や、ナチュラルに無自覚に差別をしてしまっている我々の意識は変えないといけないというのも理解できるので、プログラミングがBLMに関係ないと言い切る勇気は俺にはない。
というわけで本題なのだが、「〇〇という言葉/作法は、××という意味に捉えられますので、〇〇は不適切です」という理屈と軟膏は何にでもくっつくことを実践し生業としていると言えばマナー講師であるのだが、これがプログラミング界隈に進出してくる気がする。近い将来、ソースコードに意図せずうっかり差別的表現を使ってしまい訴訟されるリスクをヘッジするために、プロのマナー講師による講習、ソースコード監修が必要になるかも知れん。俺は悔しいぜ。マナー講師が俺の書いたプログラムにダメ出しして、プルリクにmanner_ violationとタグがつけられてマージ拒否される未来を想像したらよ。それをされるくらいならIPAの高度技術者試験に「プログラミングマナー技術者試験」なるものが追加して欲しいのだが。俺は死ぬ気で取るぜ。マナー講師に命令されるくらいなら、俺がマナー講師になるって言ってんだ。