はてなキーワード: カンボジア人とは
約10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行でカンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である。
最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。
●経緯
なぜカンボジアに行くことになったのか。
当時、従兄弟がカンボジアでビジネスをしていて、その従兄弟に夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである。
しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。
●入国
カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟のビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクでホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人がスピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。
次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺
この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどかな雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?
で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね。
一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教の統治者になったり、ヒンドゥー教の統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。
今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。
あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人の落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人はアンコールワットをインドと勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。
アンコールワットは欧米人観光客がめっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。
で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母は日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったからアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ち悪いから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策でブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢の祖母のことを拝んでいた。生き仏。
まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちをホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。
あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。
別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジアの国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産に登録されてるんだったはず。確か。
タプロームとかバンテアスレイ?とかいう遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。
いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスにしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。
アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。
水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分の別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……
あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地のジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真とトンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人は自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。
日本に普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?
まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子を物乞いにあげていた。豆菓子で物乞いは普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子で対応する人初めて見た」と言っていた。
当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?
繁華街にアンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザがめっちゃ美味しかった。レッドピアノは雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。
私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。
あまり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポトの思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。
正直食べ物に関してはこのレッドピアノとココナッツジュース飲んでお腹壊したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校の修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理はあんまり好きじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)
あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。
「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU」
私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単な英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客の視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂がピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。
私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本のちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームでクマのぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。
まず、プリクラの入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんがパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線の映画のポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線のポスターはもちろん選んだ。
で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本のプリクラみたいに自動で撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんがシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃんが確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんがポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。
ちなみに落書きの制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真は日本のプリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラのホログラム加工がしてあって笑った。
カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。
●祖母
私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特に、ココナッツジュースでお腹を壊した時は祖母が神様のように見えた。祖母はお腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干しを差し出してきた。この梅干しは祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母の梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹が安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母の梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである。
ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら
「暑いし階段が多かったから疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。
●その他
思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。
私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソードを引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。
最後に。
読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。
ありがとうございました。
アニメにも韓国人はほとんど出てこない。そうこうしているうちに、アニメにはベトナム人すら出てきませんし、アニメにはマレーシア人も出てきませんし、アニメにはカンボジア人も出てきません。私はベトナム系カナダ人です。私の年齢層とTシャツが一致するキャラクターをアニメで見たことがありません。その理由は、ベトナム人もカナダ人も日本に歴史的な痕跡を残していないからであり、黒人も同様である。もしそうなら、日本は歴史を反映した形で異なっているでしょう。日本の学生がヨーロッパの海軍水兵のような服装をしているのには理由があります。日本の漢字が漢字を並べ替えられたものであるのには理由があります。私たち(あなたも含めて)は何もないところで生きているのではなく、祖先がそうしてきたように、また子孫がこれからもそうするように、今ここに生きています。
https://www.quora.com/Why-are-there-very-few-black-characters-in-anime
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/XLJ547N44X/
こちらを見て、正直いって、25%ぐらいはいいこといっていたが75%が酷すぎたと思う。
【前提となる自分の背景】
===(Nスペ目次)=====
===(Nスペ目次)=====
もう、10年何をしてきたのかという諦めの気分。いま目次を書いてみると、たしかに1時間で
まとめるとこうなるのもやむ無しという気がしてきたが。結局 so whatが無いんよ。
自分が思うso whatは個人単位の戦争をすればいいので「日本で勝負するのは辞めよう」
未だに海外に行かない日本人研究者層が歯石のように積もり積もって自分の首を締めていると思う。
特にドン引きしたのが、ネパールの人材の青田買い。何をしているかというと、「早めに内定を出して日本語教育をしている」
ということ。インド人エンジニアには見向きもされないから、更に安い国としてネパールを選択し、その安物エンジニアを供給
しようとしているようだが、はっきりってその見向きをされていないインド人にどれだけお金を払うかの方が大事。
安いエンジニアは誰も要らない。
わざわざ日本語を勉強してこようみたいなモチベーションのネパール人が使えるわけがない。SIerの下請けにしかこない。
私はカンボジア人のエンジニアと仕事をしていたが、当然英語だし、たしかにコストは安いし、その割に国のトップみたいな
人材だが、その人がわざわざ日本語しかできない人と働くとは思えない。
そういう楽をした内向きの戦い方が全ての元凶だろう。
自分さえどうとでもなればよいという考え方の方が実は日本を救うと思う。いま一時帰国して、この番組を見て
理系人材の扱いが自分の卒業した12年前時点と1bitも変化していないことにショック。
日本の若者がむしろ自分の内向き志向をコロナ等で深めている気がしていることを憂慮する。
松尾豊さんが言っていた「兵站がない」っていう言葉、日本人はとても好きなんだけど、兵站って無限にないんすよ。
僕は国力を上げるにはもう中国化するしか無いと思う。権力への批判機構みたいなのが多少弱まろうが、兵站がない以上
ただし、理系においてはITのような【今トレンドである】ようなものやAIのようなチャラチャラした学問ではなく
、生命科学、物性、宇宙、ITのすべての学問に戦力的集中を行う。
その代わり文系人材、F欄大学などは廃止する。申し訳ないが、これをやらない限り、日本全体が沈下する。
しかし、そしておそらくみんなそれでいいと思っている。なので、そりゃ無理よ。
阪大生命科学の人がオートファジーみたいな研究は芽が出ないから選択と集中を行われては困るというような
言い方をしていた、それは本当にそのとおり。しかし、選択と集中を行わないために選択と集中を行う必要がある。
シャープが選択と集中を進めた結果潰れたのではなくて、選択と集中をしても潰れる流れをせき止めれなかった。
文系の教授のウクライナ情勢での解析の体たらくを見ていてもドン引きする。置きにいったコメント。自分は専門外だからと
小泉特任講師のように画像解析など普通にするべき理系的アプローチも解析もできず、歴史というわかりにくい概念でけむにまくだけで、
この千載一遇の研究結果を元にissueを提言するべきところで何もできていない。
はっきりいって文系という学問がそういう性質があるのはやむをえないがそういう置きに行くことをしていると、当然
なりふり構わない、中国などに勝てるわけがない。日本人全体が苦手なので、玉虫色にしたがって、その結果兵站が
尽きる。当たり前のことである。
カンボジアのコロナ対策が、あまりにも日本と違うので興味を持っていただけたらと思い日記にします。
この1年間、カンボジアのコロナ感染者は約500名で死者ゼロ。多少のクラスター発生はありましたが、速攻封鎖&関係者全員PCR検査で大きく感染拡大することはありませんでした。なので、東南アジアの中でもコロナの封じ込めが成功している国と言っても過言ではありませんでした。
2月20日の数日前、ドバイからプライベートジェットで中国の金持ち4人組が入国しました。
カンボジアでは、入国時のPCR検査と2週間の強制隔離が義務づけられており、この金持ちグループも例にもれず、指定されたホテルに移送されました。しかし、彼らは警備員に賄賂を払い脱走、その後プノンペンのとあるクラブで2月20日に行われたイベントに出席します。最悪なことに、彼らがPCR陽性だと判明したのは脱走してイベントに出席した後だったのです。
どうやらそのクラブイベントは中国人コミュニティ主催だったらしく、コロナ感染者のほとんどは中国人でした。さらに、クラブイベントの出席者が地方のホテルで行われた大規模な結婚式に出席、そこでもクラスターが発生。あれよあれよという間に、カンボジア全土でコロナが広がっていきました。
当初、感染者のほとんどは中国人でしたが、今度は縫製工場、市場というカンボジア人の生活の中心地でも感染爆発。最近はほとんどカンボジア人がコロナに感染しています。
今年の2月20日までは約500名ほどだったコロナ感染者は、4月29日時点で11,761名(うち11,210名は2月20日事件に端を発するもの)、死者89名となっています。
カンボジア政府が行っているコロナ対策について挙げていきます。日本でやったらえらいことになります。
2週間ほど前にプノンペンがロックダウンするらしいというニュースが流れ、まもなく政府から正式にロックダウンが発令。当日夜に施行されました。
仕事をしている人は通行証を見せればバリケードを通れることになっているものの、そのフォーマットがコロコロ変わる。新しいフォーマットで持参しても現場の役人がそれを知らず通行できない。
■夜間の外出禁止令
20時〜朝5時まで緊急事態以外外出禁止。すべての店も閉店。なぜかルールを守らない人が未だにおり、毎日のように違反者が逮捕されたというニュースがながれています。ある警官は夜中に家の前で飲み会を決行。見回りにきた警備員に暴言を吐き懲役1年に処せられました。(執行猶予がつくのかは知りません)
飲酒の伴うパーティーでコロナ感染が起こるという予想に基づき、すべての店でアルコールの販売が禁止されました。
■市場の閉鎖
ロックダウン後しばらくして、プノンペンの野菜卸売市場が閉鎖。その後すべての市場閉鎖指示。市場で働く人は全員PCR検査。15分で結果が出るキットでどんどん検査。どんどん陽性者が増えていく。
カンボジアには自宅に冷蔵庫がなく、毎日近所の市場で買い物している人がまだまだ多いです。そんな人達にとって市場の閉鎖は死活問題。各地で闇市が開催されているようです。
市場を閉鎖してすぐに発令されました。良い政策なんですが、よくわからないのが配布方法。あるエリアの貧困層を集めて、「配布式典」なるものを開催。みんなで写真を撮るという謎な方式。密ですよね。
無料でもらえるので文句言えないですが、写真を見るからにもらっているものは大量の米、魚のトマト煮缶詰、インスタントラーメン、調味料っぽいやつ…。栄養大丈夫か心配です。
■区画の色分け
一番新しい対策。ロックダウン下のプノンペンをレッド、オレンジ、イエローの3色にゾーン分け、それぞれで制限の内容を変えるというもの。
レッドゾーンは基本家の外に出るのも禁止。「家から出たら逮捕する」と叫びながら警官が見回っているようです。
オレンジゾーンは週3回までの買い物は許可されています。ちなみに私の住んでいるエリアはオレンジです。
イエローは割と移動できる。
とまあ、だいたいこんな感染対策をおこなっています。カンボジア政府からの指示は基本カンボジア語。しかもなぜか書類をスキャンしたっぽい画像なので翻訳ソフトにかけることもできないというクソ仕様。でも日本人会のどなたか(多分偉い人)がフェイスブックで指示の翻訳をしており、とても助けられています。
現在、1週間に1度くらいしか外出していませんが、日本ではありえないことを体験できているので、個人的には楽しくやっています。
それにしても男たちの挽歌にも登場する三合会は、一度は中国から追い出される対象だった
中国政府は意外と犯罪に厳格なことがあって、それは犯罪組織も国に反旗を翻す可能性の高い組織という考え方があるのだと思われる
しかし、今回の香港のデモでは裏側で政府側から呼び戻され、三合会の組員を反デモに利用しているという噂がある
デモで民主派の運動員の耳を噛み切った人がいるというが、多分中国側の右翼や三合会の組員ではないだろうか
政府は巧みに中国国内の右翼や犯罪組織も、利用できるものは利用するし、不利益になると思えば排除する
違法性の高いオンラインカジノも中国国内ではやっていきづらいため、
オンラインカジノ運営などで儲けるためにカンボジアに渡った中国人犯罪者も多かったが、近年摘発が進んでいるようだ
しかし、カンボジア警察と中国人犯罪者は賄賂で繋がってもいるため、摘発に疑問視する声もある
犯罪者は中国国内のIT系人材を騙してカンボジアに連れ出し、タコ部屋で生活させオンラインカジノの運営や開発を行っていた
カンボジアに中国人犯罪者によって不夜城が形成され、飲食店などのカンボジア住民は売上が増加し歓迎していたが、
普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。”
作ったのは監理団体だろうね。
半端な知識で半端なこと書かないでほしい。
経験者を集めないといけないし組合に出資してくれる法人を集めないといけないし行政書士に頼むと手数料50~100万かかるし法人設立から認可まで1年ぐらいかかるし。
それなりにパワーがいる。
免許を発行されている監理団体の売買は一時期活発だったけどその時の金額は安くて300万円ぐらいだったはず。
それぐらいの価格で売買される程度には手間がかかる。
でもまぁエネルギーと根気ある人ならできるっちゃできる。
そういう意味では元気なふつうのおばさんが会社を立ち上げることもあるかもしれんけど、ふつうのおばさんが会社を立ち上げたらあかんの?
そんで今は監理団体もレッドオーシャンだから維持していくのも結構大変だよ?
”その管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ”
フィリピンにせよベトナムにせよミャンマーにせよ海外出稼ぎで外貨獲得という政策を掲げているから、国と銀行と場合によっては実習生の親も一丸となって実習生に借金を抱えさせてる。
実習生の借金問題に言及するならもっと調べて相手国に文句を言おう?
だったらさっさと自分の理念そのものの会社を作ってかわいそうな従業員たちを好待遇で引き抜いてあげなよ。
理想の賃金を支払うためにどうやって単価の高い売上作るつもり?
無理だよ。
日本人のOSに「安くていいものに価値がある」って組み込まれてるから。
それでもね、理想と現実のはざまで清濁併せ吞んで現実を前に進める人がいるから、300万貯めて笑顔で帰国してマンション買って悠々自適な実習生もたくさんいるわけでね。
数年前から福祉に関心があって、ソーシャルワーカーの資格を取った。
地元で障害福祉サービス事業所を作りたいと思っていたが、総量規制という問題があり、新規で事業所を作るのに人口に対しての適正な事業所数というものがあり、自宅のある地域では設立するのが難しかった。
そこで2016年、会う人会う人にこんな事業をやりたいんだよねって話をしていたら、近隣地区の福祉施設経営者のご子息を紹介された。
その人と話をして、ふわっとした話をする人だなという認識ぐらいしかなかったけど、渡りに船とばかりに一緒に事業所を作りましょうという話になった。
それから週2~3日ぐらいその会社に行って、事業所設立のスタッフとして、設立準備を始めることになった。
地域の困り事を誰かと誰かがつながることで解決できることがある。
コミュニティデザインの手法やソーシャルデザインなどこれまでNPOで培ってきた経験が生かせると感じていた。
ただ少しずつ違和感を感じていたのも否めない。
管理職と話せば話すほど、実社会と会社との断絶を感じてしまった。
最初違和感なく働いていたけれども、最初に起きた出来事は外国人技能実習生の問題だった。
自社で技能実習生を雇用するという話になり、現地説明会があるのでPVを作ろうという話になった。
ムービーは別のスタッフが撮ったが、当職が編集し、英字字幕をつけることになった。
出来上がった会社案内はイメージビデオとしてはかなり良い線を行っていると感じた。
だが程なくしてフィリピンでの説明会のようすを聞いて愕然とした。
複数社で合同会社説明会を開き、当職の編集したPVでは会場から拍手が沸き起こったらしい。
そこまではよかった。
なんとじゃんけんで決まるという。
そして各雇用者側が順番に選んでいくと聞いて悲しくなってしまった。
更に極めつけは採用するときにどこに注目したのか当職の上司に尋ねると、子どもがいて仕送りが必要でばっくれない人という視点で選んだと言い放った。
そもそもなんで外国人実習生を雇うのか尋ねると、借金背負って来日するので、日本人を採用するより離職率が低そうだからと言う。
現に当職の会社にいた普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。
フィリピンからの送り出し機関管理会社も当職の会社を退職した普通の人が立ち上げていた。
そしてその管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ。
そして雇用される側の実習生は技能実習という名の下に人員配置基準を満たすための駒として、シフトに組まれてしまう。
現場の日本人スタッフもどのようにして介護現場での微妙なニュアンスを実習生に伝えるかを悩まれていた。
もちろん法人内で英語ができるスタッフは1割もいない。タガログ語に至ってはなおさらだ。
この技能実習生は日本の介護技術を学んで本国で実践するという名目で、日本人と同じ雇用形態で仕送りたくさんできていいじゃないかという人がいるが、現実はそうではない。
どこに住まわせたとしても、実習生らは住居費として家賃や光熱費等を控除される。
そして管理会社の管理費という名のピンハネや渡航費用の借金も引かれる。
それで残ったお金を本国で待つ子どもやその子どもを子守している両親宛に送金するのだ。
そして彼ら実習生が雇用されるということは日本人を高い給与で雇わなくてもよいので、今働いている人たちの給料も上がらない。
理念で洗脳されて働く現場スタッフと一部のボランティアや近所の善良な人たち頼みの地域包括ケアシステムの限界がすぐに予想できた。
福祉業界にいて困っている人ために働こうと思っていた矢先に、理念もへったくれもない企業に関わったのが私の運の尽きだったのかもしれない。
私も人を見る目がなかったんだろうな。
また書くと思う。
昨日の夜中に書いてこんなにブクマしていただけるとは思わなかったので、びっくりしています。コメントありがとうございます。
また自分自身が遭遇した問題を相談させてください。度重なる退職勧告を受けています。
当職も障がい者の日中支援をしていて、知的の方でお尻が拭けない方の排せつ介助をしていて、今まで教えてもらえなくて辛かったろうねと思いながら、どうやったら自分でできることが増やせるか常に考えています。
実習生無しに高齢者の下の世話を誰がするのかというブコメがありましたが、お年寄りが好きで働いている方も大勢いらっしゃいます。
給料が上がれば良いのです。
仰るとおり以前はシングルマザーに研修受けさせて、介護現場に放り込むというのが定番でした。
それでも低賃金重労働で人が離職するので、外国人をとなったわけですね。
農業の世界では農福連携というお題目の下に、障がい者の農業分野での参入が推奨されていますが、厚労省と農水省の足並みが揃わず、残念な制度になりそうな予感です。
とりくみとしては農福連携はとても面白くて、障害の種類によっては回復につながる制度だと思っています。
それを私はやりたかった。
知的の方で性教育を受けていない方はマスターベーションも自己流で、性器を傷つけるやり方で行っているし、支援していて辛いです。
でも福祉の世界では障がい者の性欲についての支援のノウハウは定まっていないし。会社はうちの業務じゃないからって問題と向き合おうとしません。
ここまで伸びるとは思わなかったので、関心の高さに少々驚いています。
コメント一つ一つに返信したいところですが、ネガティブなのを読むと今は辛いのでいくつかだけレスします。
高校生が福祉コースを選ばなくなったのは熊本地震以前から既にそうでした。地元の高校で唯一福祉科のあるところで5年前は2桁はいたんですけど、今は1クラスで1桁になってしまい、消滅の危機が訪れています。
地元の介護の求人はものすごく給与が安く、NPOが運営する障がい者施設などでは額面で13万スタートとか。
だから高校で福祉科しかなくて入学した子は卒業後にすぐ就職するのではなく、専門学校に進んでPT(理学療法士)など少しでも条件のよい仕事に就こうとしています。
もしくは働きながら看護師の資格が取れる夜間の学校とのダブルワークとか。
更にハロワに求人出すのに賞与なども記載しないと応募がありませんが、うちの会社は処遇改善加算という加算が付くのですが、その分だけを賞与で渡すので、求人票との相違があります。
初めてもらったときは0が1桁足りないんじゃないかって聞き返してしましました。
当職と書いたのはソーシャルワーカーは一応社会福祉士という国家資格なので、士業だから書いただけです。
弁護士・司法書士の先生しか使っちゃダメというのがあれば、ごめんなさい。不勉強でした。
この技能実習生は3年ぐらい前から準備されていたけど、2国間協定が結ばれなかったので延び延びになって、今年の来日になりました。
またなぜフィリピン人なのかは私も聞き漏らしましたが、語学ができる若い優秀な人材はもっと条件のよい欧米諸国に行くそうです。
そして日本だと監理団体経由で来日する必要があり、かなりの渡航費用がかかるので、飛行機を使う必要のない中国へ出稼ぎに行くのが主流になっており、それができない層が今回のように来日しているとのことでした。
ちなみに農業の方では、私の地方はベトナム・カンボジアの方が増えて、中国・フィリピンの方は見かけなくなりました。
直接上司から聞いた言葉は明言できますが、来日した当事者からはまだ話を聞いていませんので、推測の域を出ていないか所があるかもしれません。
でもそんなに推測で書いている場所はないです。というか私の書き方が自分の意見を言うときに「~と思います」と書くくせがあるようです。
まだ入職してきたフィリピン人の方々とお話しできていませんが、退職前に機会を作って地元にあるフィリピン人支援機関の連絡先だけは伝えようと思っています。
あと私がこの業界を選ぶのが頭悪いと仰る方の意見はごもっともです。
お金だけで考えれば、もっと効率のよい稼ぎ方がありますからね。
ただ、私も40歳前後になってからアスペルガーの診断が付いた当事者なので、仕事があまり選べる環境にはありません。
今までの経験を活かしつつ。「当事者の視点でなんとかこの業界を地方から変えていきたい」と思ってスタートしました。
あまり自分自身のことを書くと私がどのブクマカか身バレしそうなので、ご容赦ください。
また事業立ち上げ時に当事者が主体となって新規事業を興そうとしているというのは聞こえが良いので、良い宣伝マンだったのでしょうね。
そして私自身が多くの支援者に支えられて生きていますので、その人脈も会社は欲しかったのだと思います。
いろんな方に支えられて引きこもりからここまでやってこられたので、他の誰かの役に立てればと思っていたのですが、自分の限界を知る良い機会でした。
もうそろそろ普通の仕事が良いかなって思い始めていますが、たくさんのコメントに励まされています。
ただ経営者が介護事業を「給付金ビジネス」と呼んでいる時点で終わってますよね。
このまま離職しても会社は何も変わらないし、今働いている人も不幸になるので、いわれのない退職勧告に負けず、会社からの謝罪を得ようと思っています。
インド人だと思うだろ?
実際はネパール人だったりパキスタン人だったり色々なんだよな。
彼らにしてみれば見た目が違うって思ってるかもしれないけど、自分たちには同じようにしか見えないって証拠だよ。
別に遠い国の話というわけでもない。
それどころかタイ人、ベトナム人、ミャンマー人、カンボジア人、ラオス人、なんならマレーシア人、シンガポール人の見分けすらつかない。
海外から日本人と中国人と韓国人が同じって思われても仕方ないよ。
もし北朝鮮で新しい感染症が発生して、中国と責任をなすりつけあってるのを韓国が指をさして笑ってたらおかしいだろ?
だからってそれを笑ってても、他の国からしたら日本も同じようにしか見られないってことを忘れちゃいけないよ。
コロナ、みんなでやっつけようぜ。