はてなキーワード: 大切なこととは
ウマ娘の登場人物が女性だけであることは、コンテンツのターゲット層や作品のテーマを反映したものと考えられます。ウマ娘は、競走馬を擬人化したキャラクターが登場するゲームです。競馬の世界では、女性騎手はまだまだ少数派であり、男性騎手が圧倒的に主流です。そのため、ウマ娘の登場人物を女性だけにすることで、競馬の世界をよりリアルに表現しようとしたのかもしれません。また、ウマ娘は、主に男性をターゲットとしたコンテンツでもあります。男性が共感しやすいキャラクターやストーリーを描くことで、より多くの男性に楽しんでもらうことを意図したのでしょう。
しかし、登場人物が女性だけであることは、すべての人に受け入れられるものではありません。男性プレイヤーの中には、女性キャラクターばかりのゲームに興味がない人もいます。また、女性プレイヤーの中にも、男性キャラクターも登場してほしいと考える人もいます。
コンテンツを批判することは、自由です。自分の意見を表明することは、大切なことです。ただし、批判する際には、そのコンテンツの背景や意図を理解した上で行うことが重要です。ウマ娘の登場人物が女性だけであることは、作品のターゲット層やテーマを反映したものであることは理解しておくべきでしょう。
また、批判する際には、攻撃的にならないことも大切です。批判する側も、批判される側も、人間です。お互いを尊重した上で、建設的な意見を交わすことが大切です。
ウマ娘の登場人物が女性だけであることについて、批判をする場合は、以下の点に注意するとよいでしょう。
また、批判するのではなく、自分の意見を反映したコンテンツを創造することも一つの方法です。ウマ娘のような競走馬を擬人化したゲームを、男性キャラクターも登場するように改造するなど、自分の思うコンテンツを創造することで、より多くの人に楽しんでもらうことができます。
蒼井優です。
ウソです。
一応さー
念のために念のためを重ねてもう一回検査してみたの。
体外診断用のやつで。
そしたらやっぱり陰性で
でもやっぱり匂いは戻ってこないのよね。
微かに戻りつつあるけど
昨日だってお風呂の石鹸の香りのシャボン玉がふわふわと手からあぶくが浮かんだときに
結構石鹸単体に直付けの鼻!で遠くに石鹸の香りがいるような感じ。
多少は増しになっているかも知れない鴨鹿。
多分理由は酸っぱい匂いが一番なんか生活において危険信号は無視出来ない横断歩道は青ではなく点滅でダッシュ赤ならまだ行ける!って意味とは逆に
この食べ物危ないんじゃね?っていにしえのディーエヌエーの刻み込まれた
木の実の皮がツルッと剥けたときの気持ちよさは太古の狩猟木の実狩り時代の思い出として刻まれているから
酸っぱいもヤバイ!って事らしいので
不思議だわ。
人体の不思議展を繰り広げたいぐらいよ。
なので
まだまだ完全に匂いを理解した!って言えないところが完全じゃないところなのよね。
まあ陰性だったのがよきよき!ってことで良かったのかしらね?
日常生活で支障がないと言えばウソか本当かは信じるかはあなた次第だけど
梅系ばかり食べていても仕方ないでしょ?
あとルービーもさすがにこの体調の異常ステータスありきで飲むのは美味しくなさそうだし、
でもだからといってここで諦めたら秋の夜長の楽しい晩酌の終わりですよ!って安西先生も名言を言ってるように
ハイボールは試してみたら
こっちの方がまだ美味しいかも知れない味わいの秋の夜長。
秋の味覚秋の祭典真っ盛りなのに
逆に言うと今しかこの機会体験することが出来ないこれ幸い検査も陰性だったから
オクトーバーやノーベンバーって歌を歌えばいいのにと思うぐらい暦の上では秋の食べ物が楽しめる真っ最中のアースウィンドアンドファイアーなのが悔しいわ。
いや暦の上では!ってなんか言い訳するけれど
暦の上では!って枕詞はもうアースウィンドアンドファイアー!って言い換えていいぐらいだと思うわ。
結局は。
違うかー?
またミルクボーイさんみたいな
なになにを探しているんだけど、
これとは違うかーを9月を探す旅に出る羽目になるとは思わなかったわ。
お弁当いったい幾ついるんだよ!って話しよね。
違うかー。
楽屋のドアにこの楽屋はだれだれさんがみたいな紙貼ってあるのよくそういうシーン見るじゃない、
あれの紙にアースウィンドアンドファイアー様って書いてあるのが貼ってあるだけでジワジワくるわよね。
そうは思わない?
でもまあ私はとりあえずの検査結果はアースウィンドアンドファイアーだったので、
みなさまもどうぞご自愛下さいませ。
うふふ。
納豆巻き食べてみたの。
納豆の味はするけど鼻から抜ける風味がやっぱり弱いみたいよまだ。
本来の美味しさを100としたら
今は100ってところかしら気持ちで補完よ!
大事なのはこれが上からの100なのか下からの100なのかってことで、
あんまりパクパク美味しく進む!って言うほどの勢いの美味さ爆発!ではないところなのよね。
絶好調とは言い難いわね。
これも風味が分からなくて、
舌の上の苦味を感じる図解のゾーンに集中したら
緑の緑茶の葉っぱの苦味の成分を舌でしか味わいが無いといったところ。
鼻から抜ける風味ってとても大切なのよねと
大切なことを当たり前のことのように言ってみたわ。
ただただ冷たくて美味しい!ってところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
同じ内容を指摘しようとしたら、既にしてくれている増田がいた。
これ、本当にひどい状況だよ。
田村議員がこれまで、どれだけ埼玉県のリベラル政策の浸透に尽力してきたか分かっているんだろうか。
欧米の、G7の、人権分野の進んだ制度、日本が遅れている分野の制度の必要性を訴えてきた。
「LGBTQ理解増進法」が議論となる中、神社本庁の関連団体が統一地方選候補者に“公約書” 受け取った議員は…【news23】
Q.一番同意できない部分を教えてください
「こういったことを、神道を司る神職の団体が送ってくること自体が、もう神道をないがしろにしてるんじゃないかな、という思いが一番強いです。特にですね、選択的夫婦別姓や、LGBTQの問題に関して、理解がすごく足りないな、というふうに感じてます。選択的夫婦別姓を求めてる方も、LGBTQの方も、日本国民なので、この人たちはを何でないがしろにできるのか、非常に私はわからない」
神道などの宗教団体が介入してくる動きを、リベラルとして食い止めようとしてきたんだよ。
アメリカでも、宗教保守が家父長的価値観でマイノリティを攻撃してくるから、民主党系のリーダーが徹底的に戦う姿勢を見せる。
まさに同じ。
アメリカでの田村さんのスタンスは、オカシオ=コルテス議員やカマラ・ハリス議員に近い。
上の記事でも言われているけど、LGBTQに関する法律がないのはG7で日本だけ。
他の人権に関わる分野では、児童を守る法律や夫婦別姓などもG7で日本だけが遅れている。
こうした動きは、地方議員にも起こっていた。埼玉県議で自民党県議団の幹事長、田村琢実議員だ。
田村議員は、かつて日本会議に所属しており、当時は保守政治を進めるためには、選択的夫婦別姓やLGBTの権利保護を推進する必要性はないと感じていたという。しかし、当事者の声を聞いたことをきっかけに、法律や制度上困っている人たちがいることを知り、勉強会を立ち上げたという。そして2022年に埼玉県議会で制定された「埼玉県性の多様性を尊重した社会づくり条例」に関わった。性的マイノリティーの人の差別を禁止する、差別禁止条例だ。
条例案制定の直前ぐらいから、条例制定の中心的人物だった田村議員に関する批判的な記事が、保守系雑誌や日本会議の機関紙に掲載されるようになったという。地元の右翼団体に街宣活動をされたほか、批判する記事のコピーが選挙区の全戸に配られたという。「『LGBTQと夫婦別姓に賛成する田村は立憲に行け』『自民党から出ていけ』といった内容でした」
誰が、どんな団体が中心となってやっているかは分からなかったという。「僕の想像ですが、(条例の主旨や夫婦別姓に)反対する団体が、お金を出していたのではないかと思います」
田村議員は、性的マイノリティー差別の問題を解決することは、これからの日本の成長にとって大切なことだという。
「戦後の経済成長期からこれまで、日本は多様性をなおざりにし、経済優先でやってきました。それが『失われた30年』、そして日本の衰退につながっています。多様性や、一人ひとりの能力を生かすことに目を向けてこなかったために、今の日本では新しい発想が生まれず、人も生かし切れていない。そこに目を向けないと、日本の発展はないと思います」
夫婦別姓、LGBT法などの欧米の制度を採り入れようと尽力してきたんだよ。
それで、今回はG7・アメリカンスタイルで、田村議員は夫婦別姓、LGBT法の流れで、欧米主要先進国の進んだ取り組みとして児童の人権を最優先で守る法律も埼玉県に根付かせようとしたわけ。
完全に逆。
宗教保守と徹底的に戦うリベラルな立場の議員が、LGBT法と同様に、G7で唯一遅れていて児童を一日中ほったらかしにしている日本の状況を改善しようとしたわけだ。
田村団長は内容について「瑕疵はなかった」と正当化した上で、登下校に防犯ブザーを持たせるなど各家庭で安全に配慮していれば放置にならず「心配の声のほとんどは虐待に当たらない」と従来と異なる見解を示した。既に条例で規定する「安全配慮義務」が果たされていれば虐待に当たらないとした。これまで説明しなかったのは「安全配慮義務は大前提で当たり前すぎた」と釈明した。改正案を再提出するかどうかは「ゼロベースで全く何も考えていない」と答えた。
そりゃそうだよ。
田村団長の考え方はG7では何ら不思議ではないんだから、その内容自体に疑問は持たないはずだよ。
はてなの皆さんも、G7で導入されている夫婦別姓やLGBT法に疑問を持つ人がいたらおかしいと思うでしょ?
欧米主要国では導入されている仕組みなのに、日本で反対の声が高まったらどう感じる?
内容は正しいけど、正しさが日本の有権者にうまく伝わっていないと考えるよね。
ところで、田村議員と敵対する保守系グループが、今回の条例案取り下げで狂喜乱舞する姿もXで見られるよ。
田村議員の「欧米由来のリベラルな政治」を止められたから喜んでいる右派がたくさんいる。
それをなんだ、なんだこの仕打ちはよ。
埼玉県民が怒った!「留守番禁止」条例案、異例の取り下げへ 何が問題だったのか:東京新聞 TOKYO Web
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/282874
田村琢実はモラロジー・親学・新しい歴史教科書をつくる会と強いつながりがある日本教育再生機構の委員。モラロジー・親学・つくる会の重鎮髙橋史朗は統一教会と強いつながりがある。
誰にどういう評価をしているのか、分かっているのかな。
埼玉県にG7の進んだ動きを取り入れる議員に保守派のレッテルを貼り、背後から撃とうとする。
田村議員の歩みを止めたら、どこのグループがほくそ笑む結果になるのか理解して言っているんだろうか。
ご自身が日頃から憎しみを抱く本当の敵に、塩を送ってしまっている方もいる。
今、田村団長を突き放すと、「○○をやっていないのはG7の中で日本だけ」という強力なエビデンスの武器も失うかもしれないんだよ。
まさにその主張に対しての反論で
相手からするとそれは常識的ではない、またはそれ以上に大切なことが起きている
もしくは全く知らないのではないのだろうか。
国際法がとか虐殺がとかコチラ側の常識に沿って解説を展開することは賢いもののやることとは思えないのではないだろうか。
しかしながら例えば中国やロシアみたいに日本や欧州とは異なる、敵対する勢力に属する国の民の場合
教えられた教育とは極めて異なる主張と彼らは捉えている可能性もあるだろう。
ここでの話はどちらが正しいとか間違っているとかということ以前の
会見の運営会社が認めたことで完全に解釈の余地はなくなったので、ちゃんと謝罪や撤回をしたのだろうかと気になってそのうち1人のジャニオタのTLを見に行ったらリポスト内容が凄まじかった。
以下はその一部。
「売名弁護士」
社長交代
被害者窓口設置
法を超えての補償
・マスメディアがした事
Twitterではまだ盛り上がってるけど、週刊誌の編集が、もうジャニーズ叩きの記事を載せても反応が悪いし、売り上げも伸びないと言ってた。まだ載せる媒体は、自己を総括、またはアリバイ作りのためにやっているんだろうと。そうかもな。
こういう「中の人」系も多い。
今年の出場が危ぶまれた当初から「カウコン(ジャニーズのカウントダウンライブ)の方が大事だから紅白なんてどうでもいい」言説が主流。
会員制だったから要約すると…
ジャニーズが弱っているこの隙に、
そうです。
日本に作りたいそうです。
日経記事を元に「この隙に」「狙っている」と陰謀論の芽が生まれている。
そうですね、恐ろしくて誰も依頼できないですよね。
むしろFTI社は自社の名誉のためにこのリークが社内の者なのか調べ上げた方が良いと思います。NGリストの作成自体はよくあることらしいので、信頼回復の余地はあるかもしれません
そういえば…サントリーの新浪さんのパワハラの件を取り上げた局はありましたか?情報番組が好きそうなネタなのに取り上げないのってそれこそスポンサー忖度じゃないの?
あっちはどうなんだ論。
テレビに出てる弁護士が、今のところ一人も、司法に訴え出ろと言わないのが不気味ですよね、ほんと。そして推定無罪の原則がどっか行っちゃって、ジャニーズを潰すことが最善という結論で一致してる。野村修也先生みたいに、拡大解釈まで容認して。法治国家を壊そうとしてるんでしょうね。
ジャニーズの名前を残すな!と事務所に迫りながら、いつまでも番組の見出しに「ジャニーズ」と付けて視聴率稼ごうとするWS 事務所の方針は発表されたのに、まだ「ジャニーズ」をネタに尺を稼ぎたいらしい それなら誰がNGリストを流したのか、飯島、滝沢の責任は?等もっと取材して新事実教えてよ
テレビ局の"ジャニーズ叩き"ちょっとしつこくないか?見てて気分悪くなる
健康被害が出ているらしい。
立場ってあるやん。謝る立場って弱いやん。下げてる頭を上から踏みつけるようは真似は品がない。ジャニーズのやることなすこと叩きまくってる昨今の風潮がなんかおかしい気がしてきた。
品格…
今ジャニーズやファンを叩いてご満悦のおぢ達って危機感がなさ過ぎでしょ。これがまかり通ったら、今後は見知ってるというだけで、証拠が一切なくてもあなたから性被害を受けたと申し出られたら問答無用で資産を差し出して補償するってことですよ。もちろん家族も知らなかったはずはないので同罪です。
また「おじさんが叩いてる」 論。
統計を学んでるんですが、最近暇なものでジャニーズの偏向報道において、ジャニーズを一方的に、絶対悪でコメントしてる人たち(調査数2069人)のうち過去ツイートやプロフィールから
それ以下と断定できる人が307人
年齢層特定にあたって過去のツイートを見ていると、若い人たちは様々なルートで情報を見て、自分で正しい報道を見極めている傾向が高かったが、40以上の方は、引用ツイートに週刊記事が多かったり、特定のジャーナリストの記事ばかりリツイートしていた。つまり年齢が上がる程、情報に偏りがあった
統計を学んでいるらしい。
ここでも「叩いてるのは中高年」論が。
ジャニーズ、東山紀之さん、井ノ原快彦さん、俳優のキャリアを潰して責任背負うのに、なぜ叩くのか。しかも悪いことは関係ない。気の毒すぎます。新しいことを応援しないで、くだらないこと喚き可能性を潰してきたのが日本の「失われた30年」。水に落ちた犬を叩くのではなく救うのが日本。部外者感想
くだらないことって…
ジャニーズ問題での会見について「国民の知る権利が」とか言ってるけどよくわからん。
みなさんには関係ないでしょ論。
そりゃ横並びになるよね
#偏向報道
ZIP/めざましテレビ/グッドモーニング/ノンストップ/ミヤネ屋/サンデーモーニング/イット/α/ANNNEWS/スーパーJチャンネル/サタデーステーション/サンデーステーション/おはよう朝日です/SPARK/めざまし8
そりゃ全局同じ報道になるよねー
私は細かく尾形と望月のYouTubeチャンネルに行って、再生せずに報告してますよ。まずは奴らの資金源をきっちり断たなければなりません。動画を見なくても報告はできます。小さなことからコツコツと。
ちなみに、尾形と望月のYouTubeチャンネルを報告するときには「スパム」もしくは「差別的・攻撃的内容」を選択するようにしています。
繰り返しますよ。大切なのは、活動家の資金源を断つことです。特に尾形と望月の主たる資金源はYouTube以外見当たりません。ここに集中しましょう。
そのほかマスコミの資金源を断つのも同様で、雑誌買わない、新聞買わない、URL踏まない、サブスク登録しない。
あともうひとつ大切なことを。対象に電凸、メール凸などは絶対に禁止です。それはこれまでの極端な圧力団体と同じことになります。また大学などに電話かけたり実際に行くのもNGです。どうやったら資金源を断てるのか、できる生活の中でできる範囲で地味に目立たずコツコツと。
むしろ今後は、「ジャニーズファンは電凸なんかしないから、それをやってるのはあちらの勢力」って言えるくらいの状況に持っていきたいですよね…
ほんっと、ファンでも何でもない俺がテレビでジャニーズ関連のニュースのコメンテーター(特に休憩室のミヤネ屋がひどい)見る度に吐き気がするほどアホらしい茶番だと感じるから、
「ファンでない人もこう思ってる」系。
違和感があれば報道していきたい、とか我々の姿勢も問題があった、とかなんか色々報道陣の人たち言ってるけど、当事者の会の齟齬・矛盾や、無罪推定の原則が守らてていないこと、被害者の可能性もあるタレントに対しての異常な排斥に対する違和感はないのかしら?結局なんも変わってへんやん。
わざと虚偽のニュースを流して、それを訂正されたのも隠しておきながら、翌日のニュース内でちゃんと訂正しなかったというのは、風説の流布の犯罪にあたると思いますが?
NHKは震災などの緊急時の情報を頼りにしている人達も多くいる。その情報の正確さへの疑念が生まれるような事を平時に行っていてよいのですか?
上に同じ。
偏向報道が異常すぎる。
メディアによるジャニーズ叩きがあまりにも異常なのでTVのニュースや情報番組は見なくなった。
法を超えた補償をする、社名変え廃業も決めた、新会社設立し組織改革する。で指摘することなくなったら些細な言葉尻の揚げ足とり大騒ぎ。狂気ですね。ニュースキャスター、MCたちにも拒否反応です。
「ジャニーズ叩きは異常」論。
ジャニーズ事務所はコンサル会社の情報漏洩のせいで多大なる損害が出てるからコンサル会社に訴訟起こすべきだし名誉毀損ものの記事を書く週刊誌にも対応すべき。
このメールが本当にFTIコンサルからのものならこの会社に危機対応を任せようと思う会社は今後現れないだろう。クライアントの意に反してNGリストを作成・持ち込んだだけでなく、それをクライアントのせいにするようなリークの仕方をするのだからもう二度と信頼は回復しないのでは?
上に同じ。
謝るどころかHPの文言の違いについて事務所に質問したが回答は無いと、あくまでも悪いのは事務所と思われる様な言い方。コンサル会社の謝罪は切り取った1部だけ表示。偏向報道にも程がある。ファンの必死な訂正やお願いや批判のリプは全く届いてないんだね。どうしてこんなに頑ななの?
もっかい言うけど、8月に国連から注意されたのはジャニーズだけじゃなくて「もみ消しに加担した」メディアもだからね
メディアはどうする?
常軌を逸した偏向報道、ヘイトスピーチまがいの罵詈雑言のオンパレード。
ジャニーズファン以外でも、ごく普通の人なら、ゲンナリしてるし、なんなら吐き気もしてる。
#ゴゴスマ
#ミヤネ屋
ビジネスと人権の観点から今後問われなければならないのは、今まで見て見ぬふりをしてきたとされるメディア、芸能界とスポンサー企業の責任です。手の平を返したようにジャニーズ事務所を責めるのは誠に無責任。自覚を持って今後行動して頂きたいものです。
世間、あんなに国連が〜!って言ってたのにこっちのポストは全然拡散されないの、まじでジャニーズ叩ければ人権なんてどうでもいいんだろうな笑
「ビジネスと人権〜」の引用は国連特別報告者(現代的形態の奴隷制担当)の小保方智也氏による投稿。
なお氏は直前に
ジャニーズ事務所の2回目の会見、最後の記者が言われた事は的確だと思います。支配力が非常に強く、従うしか無いと被害者が感じた場合、単に性加害では無く国際人権法上最も重大な「奴隷」に当てはまる可能性が高くなります。これを踏まえて個人個人に適切な補償が施される事を期待します。
(NHKの誤報と主張した一番いいねが多かった投稿も非ジャニオタによるものだった)
XにはNHK嫌い、マスコミ嫌い、嫌韓、陰謀論者なども多いのでそれらの投稿を味方に一層ジャニオタのエコーチェンバーが強化されてしまっている様子がわかる。
一体どうすればこの状況を止められるのだろうか…
これ本当に探し集めたわけじゃなくTLに延々と並んでてどれも数百数千いいねやリポストされてる。
こういう世界で生きてるのかと戦慄した。
止まらないかどうか,漏れ出るほど作ってるかどうか,これは大切なことである.この世界を生きてることに興味があるか,一瞬一瞬を集中して楽しんで生きているか,寝るときには限界を迎えているか,その繰り返しを生きているかがとても重要だと思う.その中に研究やものづくりがある人なら,「すでにやっている」のである.逆にそれ以外の人々とはどうしても研究のずれが生まれる(そもそも目指しているところが違うのだと思う)
「この世界に生きることに興味がある?」という言葉にちょっと痺れた。
前にヨーロッパ旅行に行ったときに散歩しながら、今後生きていくときの指針について考えていて、技術を愛しながらまずまず仕事をして、芸術を嗜んでささやかに生きていこうと考えて帰ってきた。自分の時間を現代の常としてお金を稼ぐために働くことは妥協して、人類の暇の使い方として時の試練の中で精錬された芸術にせっかくだからほどほどに触れ、自分も拙く芸術の制作側(自分の中では音楽)もやろうと考えた。なんにも目標がないふわふわした未来をどうやって生きるか、生きる価値があるのかを考えて、せっかくなら人生の楽しさや人々の過去の営みの中で生まれた大切なものを摂取して生きようと消費者的な思考を持った 。(生産者側の視点として、他人の生活に影響を与えることを目標にするような人生を考えたが、自分はそういう価値観は持ち合わせていなかった。まだ若いだけかもしれない)
「この世界を生きることに興味があるか」はこれに似ている。落合さんもせっかく生きるなら興味のあることを、楽しいことをやろうと思っているようである。しかし、自分と違うことはここでさらに「熱中」という概念が入っていることにある気がする。自分はなにかに熱中できるほどの熱量と矛先は持ち合わせていなくて、熱中することがある人は(退屈や空虚)を忘れられて幸いだねという斜に構えてしまうスタンスだ。人生は根本的に退屈と空虚でできているのだ。熱中できることがある人は、それは幸いなことだ。
中高のカトリックの学校で、その時の先生が「人はひとりひとりが使命を持っていて、人生のある時に天からの掲示のように心の中に現れる。そこでそれを自分が受け入れられるかどうかが問題で、一度受け容れられなかった使命はもう二度と同じものはやってこないのだ」(意訳) と言っていたことを思い出す。熱中できることがある人は自分の使命にしたがって生きている人なのだろう。そういう人が身近にいると羨ましいなと思ってしまう。
とはいえ、ほどほどに生きていくこと。それだけでも生きる価値があると思う。今日は帰りにデパートに寄って、美味しい和菓子屋さんの店 (榮太樓總本鋪)を知ったのだ。これを知らずに死ぬなんてもったいない。
あんなんじゃダメだよ~。ヒガシをトップに据えてよ、僕は知りませんでした、つって、んんなわけねえじゃんっての。嘘つくんじゃねーよ。
小学生でも分かるような嘘つくような人間を社長にして、再出発しますってよ。次は何を盗むつもりだよ。嘘は泥棒の始まりって言うんだよ。
ジュリーの涙も、そう、ジュリーはさ、顔が怖すぎんのよ。まずさ。まず。だから反省してるように見えねえのよ、怒ってるように見えちゃってしょうがないっての。
画にはなるんだけどよ、2人とも。絵にはなる。でも、だめだっての。顔が怖いんだから。
そんでさ、ジャニーズ事務所再建?だっけ。再建のための秘策だけどよ。
まず、ばぁぁ~~んとタレントを社長にすんだったらよ、僕は性被害者でした、って大声で号泣しながら言える人じゃなけりゃだめでしょう。
ジャニーさんを許しませんって、そこで言わねえとよ。そりゃ本心は複雑なんだと思うんだけどさ、ジャニーさんにしゃぶられました。しゃぶりました。
掘りました。掘られましたって言わねえと世間様は、信用しないって。まずはそこからだよ。事実認定を外部機関がするしないなんて、たいした問題じゃないんだよ。
そりゃしてるに決まってんだからさ、大切なことはさ、それをきちんと本家本丸のジャニーズ側が受け止めてます、ってメッセージを出すべき何じゃねえのかってことだよ。
そうやって世間様に許されるかどうか、が重要なんだから。実際の運営体制とか、反省とか再発防止とか、そんなの、どうでもいいわけ。ほとんどの人にとっては。
重要なのは、このジャニーズちんしゃぶり劇場が劇的な終わり方を納めて、新しい門出を目撃した、っていう感慨が重要な訳じゃん。
だからよ、やられました、って社長を据えて、これからはもうこんなことは許しません。って言えば、へー、すごいことをいう人が社長なんだな、ってそう思わせたら勝ちな訳じゃん。
だからさ、事実は別にして、キンキの剛とか、病気療養になったのも性被害が原因でした、とかさ嘘でいいからそういうことにして、話作っちゃってさ、そういう方向性で社長になったら、みんな、同情するじゃん。
そう。世間の怒りには同調しちゃって同情にもってけばいいんじゃねえのかなあ、ってことだよ。
金融業なんだが、久々に会った大学時代の友人が投資について熱く語る語る
「お、おう」って感じでおもしろ金融講義を聞いていたんだが、約定を「ヤクテイ」と発音するのだけは終始いかがなものかと思ってた
本人は「俺様のスゴイ武勇伝を聞いてくれ!!」のテンションなんだが、プロの端くれから見ると残念者なんだよ
でだ
「~本」という言い方はするが、「~枚」という言い方は聞いたことがない
「~本」という言い方はするが、「~枚」という言い方は聞いたことがない
大切なことなので、二度言いました
金融業の奴がすげー勢いで消して逃げたなー
さすがプロだわー
さすがプロだわー
大切なことなので2回言うわー
これらは、知的な困難のある子どもを育てる意識の高い親が意識していることだ。
人から好かれる子どもは、自分の意見や気持ちを伝えやすくなり、自分で決める力が育まれやすくなるし、人と仲良く過ごせることで、ストレスが減り、心穏やかに過ごせる。
そのため、意識の高い親は子どもの性格よりも、人から好かれるスキルを重視して教える。
これは、知的な困難のある子どもの可能性と自由を広げるためのサポートになっている。
じゃあ、高学歴や高収入だったり、少なくとも特別な支援を必要としていなくて行動に制限を受けていない自分たちの場合はどうだろう?
とりあえず、『礼儀正しさ』について考えてみよう。どう考えても、礼儀正しさに対するプレッシャーはそれほど高くはないよね?
嫌われても生活に大きな支障がない幸運な状況にいるから、多くの人は無礼な態度を取りがちだ。
常に礼儀正しく振る舞うことができない人は、人から好かれることをさほど重要視していない可能性が非常に高いと思うので、
本当に自分が人に嫌われないことを気にしているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
(もちろん、『礼儀正しさ』は社会的なつながりや共感を築くのに役立つ重要な要素だし、他人に敬意を払うことは社会の一員として不可欠なことではある。
自分が多くの人と共に生きていることを忘れないようにしたいね)
次に、誠実さと素直さについて考えてみよう。世の中の多くの人は、誠実で素直な人には悪感情を持たない。好感を持つまでには至らなくても、誠実で素直な人に対しては親切だ。
そのため、ポンコツで礼儀正しさが足りなくても、誠実で素直なだけで、だいぶ生きやすくなる。
誠実さは、思いやりを持ったり、嘘をつかなかったり、約束を守ったりすることで示せる。
一方、素直な態度を取るのは、人に親切にされ、親切にした経験が必要なので、めちゃくちゃ難しい。明日から『はい、素直になります』と簡単にはいかない。
人に対する信頼度が低かったり、ストレスなどで心の健康状態が悪いと、素直な態度にはなりにくい。
また攻撃されそうだと感じたり、自分を守ろうとして攻撃的になったりするかも知れない。
環境が大事だけど、どうしたら安全な場所へ確実に行けるかは誰にもわからない。
理想としては、生まれ育った実家が安全であることが望ましいが、現実はそうでない人も多い。
とりあえず、安全な場所がわからずとも、ストレスフルな環境や、礼儀正しい人が少ない人が環境からは、離れた方が良さそう。
ただ、どんな環境でも意地悪な人しかいないということはないので、今すぐ素直になれないなら、素直な演技をするだけでも状況は変わるかも知れない。
素直な演技だけではなく、誠実、礼儀正しさもセットだとなお良いけど、まぁフツーに疲れると思うよ。
同じ事を書くけど、本当に自分が人に嫌われないことを重視しているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
ちなみに、素直な人は、自分自身を受け入れることができる人ということになっていて、自分自身を受け入れることができる人は、他人を受け入れる人ということに、一般的にはなっている。
したがって、素直な態度になれない場合、人間関係を築く上で難しさが増す可能性が高まる。
素直の課題をクリアすることは、処世術や人間関係の基盤を築く上で非常に重要・・・・・・ではあるけど、ご存知の通り、素直じゃない人は世の中にいっぱいいてフツーに生きている。
最後にまた同じ事を書くけど、本当に自分が人に嫌われないことを重視しているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
LGBTQA+はキリスト教の枠組みの延長の話。宗教がまだ地域コミュニティに絶対の影響を持つ国や地域なら、
こういう種類の人間もいる、この人物は神の教えに背いてはいない、神はミスをおかしてはいないを積極的に明示していかないと、
家族と絶縁どころか地域全体から村八分、なんだったら自称伝統を守る人から物理攻撃を喰らう危険性があるので、
マイノリティの身心の安全を守るためにLGBTQA+を浸透させるは大切なことなんだね
元増田(anond:20230912005213)もキミも興味はないと思うけどいちおうアセクシャルのコミュニティのサイトURL置いておきますね
割と日本の腐女子・生きづらいオタ女子がいいそうな発言とかも突っ込まれることなく
穏やかにやりとりしてる(自分のアイディンティーなんて自己定義するものだからそれはそう)ので
元増田(anond:20230912005213)も浮かないんじゃない?
『コンビニ人間』がAVENにアセクシャルとしてあげられていて草生えましたわ
I recently read 'The Convenience Store Woman' by Sayaka Murata (English translation)
It's a quirky, funny and quick read. I would even recommend it to people who don't like reading, if I thought the story/character/quirkiness would interest them. I'm actually going to give a copy to a friend as a gift.
The central character also appears to be aro and ace.
ーーー
風変わりで、面白くて、あっという間に読めてしまう。読書が好きでない人にも、ストーリーやキャラクター、奇抜さに興味を持ってもらえると思えば、薦めたいくらいです。実際、友人にプレゼントするつもりだ。
Asexuality and Asexual Characters in Books & Comics - a Collection
まとめ
・ヒヤリハットは本当
・敗戦処理の手札を握っておければなんとかなる
それでも何とか昼には収まったわけですよ。
それでまあスカしてみたわけです。
ムニュッ
となったわけですな。
慌てず騒がず身体を揺らさずトイレの個室へ行ってみると、大さじ2杯ぐらいのしおからっぽいものがパンツの上になんとか留まっていたんですわ。
落ち着いて周りから包み込むようにペーパーで取り去って、落ち着いて残りを出し切ってからケツを丁寧に拭き、ロッカールームに向かいました。
帰り支度を始めるにはまだ早い時間だったのでロッカーは空いてて、パンツを脱いでるところを見つかる心配はなかったということになりますね。
実は私、夏場は外回りで汗グチョになったときのために替えの下着を常備しているのです。
それにささっと履き替えて、下着を入れていたビニールにパンツを移してカバンにポイでこの件は終わりなのです。
いやはや用途は違いますが「いざという時に備えて常備しておく」というのがこれほど効くとは思いませんでしたよ。
仕事でも人生でも必要なのは、なにかあったときに咄嗟に切れるカードがあることですねえ。
持ち駒が沢山あれば王手をかけられてもなかなか詰まないということです。
そもそもの話は私の油断が原因ですね。
昼には出し切っていたと思っていたのが間違いだったわけですね。
サメ映画で言えば沖から泳いでビーチまで来た所で「ふー……助かったぜ」と座りこんでしまったばかりにビーチングかました鮫に食われたようなものです。
これはもう自分が悪い。
まあ10回中9回ぐらいは本当に終わってるのかも知れないのですが、1000回やって999回安全だったかと言われると全然そんなことはないわけです。
今回はプリッとですみましたが、一歩間違えればケツからナイアガラが吹き出して床に足跡を残していたリスクもあるわけですよ。
ゲリをしたあと12時間は透かしっ屁をしてはいけないという教訓を得ました。
ピンチを乗り越えたと思ったときこそ、まだピンチが続いてると思って油断しないことの重要性。
日頃から準備をしていれば想像とは別の形でそれが助けてくれる可能性。
人生においてサヴァイヴするための秘訣はまさにこの2つではないでしょうか?
安全確保は油断せず、準備をしっかりすること。
別に体調が悪いわけでも、友達がいないわけでもない。学校生活はそこそこに楽しい。最近はカップルが異様に増えてきて、所詮高校までの薄っぺらい付き合いの何が楽しいのか?という日と寂しい寂しい寂しいセックスセックスセックスという日が交互に訪れている。したことないのに。クラスメイトの顔の全てのパーツが小さい女が、ヤングスキニーのボーカルに似ている という理由だけで男に告白していた。本当に意味がわからなかった。そんなのアリかよと思った。そして上手くいってるみたいだった。恋愛ってそういうものですか?そうなら早めに教えて欲しい。今後のために。
自分は高校生の中では尖ってるという自負を持って生きてきた。マイナーな音楽をしたり顔で聴いてるし鬼滅の刃はまだ見てない。でもそんな尖りより、卒業まででも1人の人間と恋仲になるほうがよっぽど大切なことなんだろうな。みなさんが人間的に成長している間、自分は薄ぐらい部屋で意味わからんテクノと深夜ラジオを聴いてる。どうなっちゃうんだよ将来。全部思春期特有の自意識で片付けられることではあるけど、これから10年20年たっても自分はこのままな気がする。未来のくたびれた自分がきたねー部屋でまだ尖ってる気になってる。ほんとは削ってるのに。
人を趣味のよさというか、好きなもので判断するのを辞めたい。でもヤングスキニー聴いてるやつとは仲良くできないと思う。コムドット見てるやつとも仲良くできない。コムドット見てるやつも自分とは仲良くしたくないと思う。お互いのためにならない。でもこう、何とか折り合いつけて、自分の理想通りの人間なんていないんだから、やってくしかない。
SNSのプロフィール欄に夫の職業を書いている女の心理を説明してください
SNSのプロフィール欄に夫の職業を書いている人の心理について、様々な意見があります。
一つの意見として、自分自身に自信がなく、夫の職業を自分の価値として誇示したいという考えがあるようです。
また、自分自身にアピールポイントがないため、夫の職業を誇示することで、周りの人にマウントを取っているという意見もあります。
ただし、これらはあくまで一部の意見であり、個人差があることも考慮する必要があります。
また、このような行為は男女ともに行われていることもあります。
それぞれの人には異なる理由があるかもしれません。
重要なことは、他人を尊重し、彼らの選択を尊重することです。それぞれの人が幸せな方法で生きていけるよう願っています。😊
これを懲らしめる方法を教えてください
懲らしめるという行為は、他人に対して傷つけるものであり、私はそのような行為を推奨することはできません。
問題がある場合は、相手と話し合い、お互いに理解し合うことが大切です。
夫の職業カースト問題の解決のためには、お互いに協力し合い、お互いの立場を理解することが必要です。😊
夫の職業カーストとは、夫の職業や年収が、ママ友の間での身分階級「ママカースト」に影響を与えることを指します。
実際に、夫の仕事や年収もママカーストの格付け要因になるようです。
ただし、このようなカースト制度は個人差があり、全ての人が同じように考えているわけではありません。
重要なことは、他人を尊重し、彼らの選択を尊重することです。それぞれの人が幸せな方法で生きていけるよう願っています。😊
SNSのプロフィール欄に夫の職業を書いている女が、自分自身に自信をもてるようになる方法を教えてください
自分自身に自信を持つことは、人生をより前向きに生きるために重要なことです。自信を持つためには、様々な方法があります。以下は、自分自身に自信を持つためのいくつかの方法です。
K子との出会い
私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬、札幌のすすきのでのことであった。
K子は、私がごくたまに寄るカフェ兼バーでウエイトレスをやっていた。
年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。
顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトのボールのように大きかった。
完璧なメイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。
キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。
それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。
あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである。
さらにK子は勤務中はロングヘアーをタイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。
それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。
白人の風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。
K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。
K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。
私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。
するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。
なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である。
断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。
毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである。
私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。
このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。
たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。
芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。
ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。
しかし男の場合、三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である。
男は、風貌をある水準(清潔感と常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである。
さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。
ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。
できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。
ハッとする、させるというのは直感の神秘である。人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙の誕生レベルの認識だ。
人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。
とりあえず自分を規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。
「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。
こうしたなんでもない普段の心がけが、出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ。
こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである。最初のうちは。
だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。
そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。
というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。
私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。
世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットやコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである。
K子はそれらを考えもしなかった。だから、デートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドンと存在が大きいのである。100%ピュアな肯定性の塊。
そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分に固執していた私を、彼女は開放してくれた。
こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子やスタイルに固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである。
K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。
単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。
食事や運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的に自分を導いていった。
現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。
人はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。
メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。
人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分の内面から湧き出させるものだ。
こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。
自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである。
理想のカップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。
以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。
<了>
K子との出会い
私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬、札幌のすすきのでのことであった。
K子は、私がごくたまに寄るカフェ兼バーでウエイトレスをやっていた。
年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。
顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトのボールのように大きかった。
完璧なメイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。
キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。
それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。
あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである。
さらにK子は勤務中はロングヘアーをタイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。
それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。
白人の風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。
K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。
K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。
私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。
するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。
なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である。
断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。
毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである。
私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。
このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。
たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。
芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。
ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。
しかし男の場合、三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である。
男は、風貌をある水準(清潔感と常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである。
さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。
ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。
できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。
ハッとする、させるというのは直感の神秘である。人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙の誕生レベルの認識だ。
人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。
とりあえず自分を規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。
「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。
こうしたなんでもない普段の心がけが、出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ。
こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである。最初のうちは。
だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。
そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。
というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。
私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。
世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットやコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである。
K子はそれらを考えもしなかった。だから、デートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドンと存在が大きいのである。100%ピュアな肯定性の塊。
そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分に固執していた私を、彼女は開放してくれた。
こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子やスタイルに固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである。
K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。
単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。
食事や運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的に自分を導いていった。
現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。
人はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。
メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。
人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分の内面から湧き出させるものだ。
こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。
自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである。
理想のカップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。
以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。
<了>
はてなブックマーカーのみなさんは「伏線回収」という言葉に一家言がありますよね。
それに比べてXの方達は言葉を無邪気に使い、そのポストにクドクドと長文ブコメを書く恐ろしいインターネットをよく見かけます。
僕はもう、はてなブックマーカーのみんなが「伏線回収」で怒る姿を見たくありません!
なので「伏線回収」について思うところを思う存分に吐き出していただくサンドバッグ増田を書かせていただきます。
以下、はてなブックマーカーの皆さんが怒りやすそうなポストの例です。
○「ドラえもんのび太の新恐竜でピー助が登場する伏線回収に震えた」
○「ゆるゆりの撫子の恋人があの子って考察読んだけど全部の伏線回収してて腰抜かした作者本人か?」
○「FGOでオベロンのキャラデザが羽海野チカであることまで伏線回収するとかきのこ深すぎ」
○「スパロボTは最早ナデシコ2なんよ、伏線回収エゲツなさすぎて泣いたわ」
○「東京03さんのコントは伏線回収が凄まじくて、コント通り越して演劇なんよ」
○「ダイターン3の破嵐万丈がメカノイドである伏線回収はまだでつか?」
○「ぼざろのきくりおねーさんが風呂無しアパートに住んでる伏線回収で10000000000回抜いた(事実)」
○「押井マモはお犬さんのこといつも追いかけてる。一日中お犬さんのことばかり考えてる。だけど押井マモはやっぱり少し蕎麦で全然お犬さんの気持ちなんてほらわからないみたい。本当にだめよねお蕎麦さん、教えて欲しいのお蕎麦さん、そうこの世で一番大切なことはやっぱり「遅すぎたと言っているんだ」だったと思うけど、人生の伏線回収じゃん」
○「「みなさーん「伏線回収」してますかー? 地獄に落ちろ!」 まさか、この増田のタイトルすらも伏線だったとは…… このはてなブックマーカーも見抜けなかったよ……」
著名人から「学校には無理して行かなくていい」という意見が散見されるようになってから久しい。
学校以外の居場所なんて世の中いくらでもある、学校に行けなかったくらいで絶望するな、精神的に崩れてしまうくらいなら
…本当に正しいのだろうか?
というか学校でほどほどにやり過ごせないような人間が、社会に出てやっていけるとは到底思えない。
ここでポイントなのが、「学校での人間関係を上手くやっていく」ではなく「学校でほどほどにやり過ごす」というところである。
上手くやっていく必要はないのである。ほどほどでやり過ごすのである。
もちろんほどほどでやり過ごすということは、クラスの輪の中心にいるような人達よりは楽しい学校生活を送れないということの
裏返しでもある。人によっては辛くて孤独な学校生活になってしまうかもしれない。
それでも、それでもである。ほどほどでやり過ごすのである。これより大切なことは他にない。
少なくとも思春期年代においては、学校に行くより優先順位の高いことなど存在しないであろう。
とはいえほどほどにやり過ごすのを優先するのであれば、学校を適度にサボってもいいということにもなる。
夏休み明けであっても数日学校に行って疲れを感じたのであれば次の日休んでもいい。
そうやって適度に緩く過ごしている内に学校を上手くサボるコツを見つけることができたりするのだ。とても大事なことだ。
人間関係だってもっと適当にやっていい。友達と仲が悪くなってしまっても絶望する必要はない。また来週やり直せばいいのである。
子供は基本的にアホである。怒っていたことなんて数日経てば忘れる。どうしてもやり直せないと感じたら、転校すればいい。
そうすればまたやり直せる。やり直すのがめんどさいならそのまま過ごしてもいい。何も解決できないかもしれないが、そういう苦しい時間を
乗り越えた経験はきっと今後の人生の糧になる。いつか必ず役に立つ。
学校生活が楽しいものになるか辛いものになるかは人それぞれである。
嫌な場所から逃げる勇気も時には必要だが、学校はもっと適当にやってもいい場所である。
教室に行くのが嫌なら保健室登校でもいい。新作ゲームの発売日はバレない程度に仮病を使って学校を休んでもいいのである。
そうやって適度にサボっていく内に、学校なんて気合いを入れていくような場所ではないことに気付くであろう。
人間関係に失敗してしまってぼっちになってしまってもいいのである。ぼっちざろっくの後藤ひとりだって
ひとりぼっちだけどちゃんと学校に行っている。ぼっちちゃんはライブハウスでようやく同世代の人達と温かい人間関係にありつくことができたが、
もしも仮にぼっちちゃんが学校に行かず不登校であったなら、同世代の人間と上手くやれず、ひとりぼっちのままであったであろう。
「男もプリキュアになれないとおかしい」ではなく「男がプリキュアになろうとする必要なんてない」が正しかったのではないだろうか?
守られるべきは「自分の適性にあった道を選ぶ自由」であり、「無理してプリキュアという型に男の身を合わせる不自由」ではなかったのでは?
大切なことが見失われているように思う。
「男はプリキュアになれない」という減点方式のものの見方がそもそも間違っていて、見るべきは「男の方が向いている無数のヒーロー像」の方だったのでは?
それはナチス誕生前夜のドイツのような、追い詰められた果てに偽りの希望にすがろうとする者たちが見る幻の光だ。
「ユダヤ人という悪しき人種が殺されれば世界は素晴らしくなる」という減点方式で世界を見た果てに何があった?
プリキュアは「悪の四天王達を皆殺せば世界が平和になる」という減点方式の物語だったか?
違うはずだ。
「世界には次々に素晴らしいことが生まれているのに、それを奪うなんて許せない」という加点方式から始まる物語だったのではないか?
いつからだろう。
「男女不平等の象徴たるプリキュアを是正しよう」という考えに皆が取り憑かれるようになった。
その考え方は「ずる賢いユダヤ人が世界を破壊することから皆を守ろう」と始まりを同じくするものだぞ?
違うだろ?
プリキュアの強さは「悪や不平等を憎む心」から生まれているのか?
違うだろ?
ならば「女性はプリキュアとして活躍し、男は仮面ライダーとして活躍すればいい」で何が問題なのだ?
男ライダーだってセクシーにプリケツしてるし、プリキュアだって雄々しく猛っているではないか。
上辺に囚われることをやめれば、「男女差のせいで望んでいた道が閉ざされてしまった」というのがただの思いこみだったことに気づけるはずだ。