2023-08-23

あえて言おう 学校には行け!と

著名人から学校には無理して行かなくていい」という意見散見されるようになってから久しい。

学校以外の居場所なんて世の中いくらでもある、学校に行けなかったくらいで絶望するな、精神的に崩れてしまうくらいなら

学校に行くな、という趣旨意見である

…本当に正しいのだろうか?

というか学校でほどほどにやり過ごせないような人間が、社会に出てやっていけるとは到底思えない。

ここでポイントなのが、「学校での人間関係を上手くやっていく」ではなく「学校でほどほどにやり過ごす」というところである

上手くやっていく必要はないのである。ほどほどでやり過ごすのである

もちろんほどほどでやり過ごすということは、クラスの輪の中心にいるような人達よりは楽しい学校生活を送れないということの

裏返しでもある。人によっては辛くて孤独学校生活になってしまうかもしれない。

それでも、それでもである。ほどほどでやり過ごすのである。これより大切なことは他にない。

少なくとも思春期年代においては、学校に行くより優先順位の高いことな存在しないであろう。

とはいえほどほどにやり過ごすのを優先するのであれば、学校を適度にサボってもいいということにもなる。

夏休み明けであっても数日学校に行って疲れを感じたのであれば次の日休んでもいい。

そうやって適度に緩く過ごしている内に学校を上手くサボるコツを見つけることができたりするのだ。とても大事なことだ。

人間関係だってもっと適当にやっていい。友達と仲が悪くなってしまっても絶望する必要はない。また来週やり直せばいいのである

子供基本的にアホである。怒っていたことなんて数日経てば忘れる。どうしてもやり直せないと感じたら、転校すればいい。

そうすればまたやり直せる。やり直すのがめんどさいならそのまま過ごしてもいい。何も解決できないかもしれないが、そういう苦しい時間

乗り越えた経験はきっと今後の人生の糧になる。いつか必ず役に立つ。

なのであらためて言おう。学校には行け、と。

学校生活が楽しいものになるか辛いものになるかは人それぞれである

嫌な場所から逃げる勇気も時には必要だが、学校もっと適当にやってもいい場所である

教室に行くのが嫌なら保健室登校でもいい。新作ゲームの発売日はバレない程度に仮病を使って学校を休んでもいいのである

そうやって適度にサボっていく内に、学校なんて気合いを入れていくような場所ではないことに気付くであろう。

人間関係に失敗してしまってぼっちになってしまってもいいのであるぼっちざろっくの後藤ひとりだって

ひとりぼっちだけどちゃん学校に行っている。ぼっちちゃんライブハウスでようやく同世代人達と温かい人間関係にありつくことができたが、

もしも仮にぼっちちゃん学校に行かず不登校であったなら、同世代人間と上手くやれず、ひとりぼっちのままであったであろう。

というわけで。学校には行きましょう、という戯言でした。

もっと適当でいいのよ。でもそれが難しいんだよな。人生ってそういうものなんだよな。

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