「三國連太郎」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 三國連太郎とは

2023-08-28

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

2021-12-11

「女を含む社会まなざし

って、そういう話じゃないよ。

華氏なら、三國連太郎母親の話を知らない訳がないだろう。

当時の日本主権もつ天皇男性であり、その国体護持が優先される家父長制のもとで社会構成されていた。もちろん軍部政府男性でしめられていた。
 一応は普通選挙も成立していたが、選挙権をもっていたのは男性だけだった。当時の兵士を、誇らしい存在としてたたえて搾取したのは、義務教育で習うように男性権力だ。

戦後女性米兵によりそう写真評価を見て、フェミニズムが失敗する理由を思った - 法華狼の日記

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20211210/1639146717

母という権力過小評価するのは、お子ちゃまのすることだよ。

2020-07-13

お前らみたいなもんのために、世界で一つだけの異名を授けてやる4

異名のない人生などあってよいはずもなく、つまり、これは続ける以外にないのである

今日は激戦区に挑むぞ。かなり手ごわい。

anond:20200712044414

anond:20200711101512

anond:20200710085354

異名ヒット件数使用許可Google
霊長類最強の桃子0件使って良しgoogle:"霊長類最強の桃子"
霊長類最強のおぼこ0件使って良しgoogle:"霊長類最強のおぼこ"
霊長類最強の大人0件使って良しgoogle:"霊長類最強の大人"
霊長類最強のひょっとこ0件使って良しgoogle:"霊長類最強のひょっとこ"
霊長類最強のとっとこハム太郎0件使って良しgoogle:"霊長類最強のとっとこハム太郎"
霊長類最凶の男2件許可google:"霊長類最凶の男"
霊長類埼京の男0件使って良しgoogle:"霊長類埼京の男"
霊長類最弱の男309件許可google:"霊長類最弱の男"
霊長類最小の男7件許可google:"霊長類最小の男"
霊長類最萌の男1件許可google:"霊長類最萌の男"
霊長類斉藤の男0件使って良しgoogle:"霊長類斉藤の男"
霊長類採用の男0件使って良しgoogle:"霊長類採用の男"
異名ヒット件数使用許可Google
山賊無双18,200件許可google:"山賊無双"
山麓無双2件許可google:"山麓無双"
山岳無双414件許可google:"山岳無双"
三億無双9件許可google:"三億無双"
三食無双3件許可google:"三食無双"
三曲無双1件許可google:"三曲無双"
山国無双62件許可google:"山国無双"
残酷無双398件許可google:"残酷無双"
監獄無双351件許可google:"監獄無双"
煉獄無双3,350件許可google:"煉獄無双"
南国無双6,640件許可google:"南国無双"
万国無双119件許可google:"万国無双"
全国無双912件許可google:"全国無双"
蘭国無双0件使って良しgoogle:"蘭国無双"
建国無双131件許可google:"建国無双"
本国無双9件許可google:"本国無双"
一国無双784件許可google:"一国無双"
某国無双40件許可google:"某国無双"
亡国無双306件許可google:"亡国無双"
隣国無双72件許可google:"隣国無双"
現国無双9件許可google:"現国無双"
小国無双632件許可google:"小国無双"
阿国無双573件許可google:"阿国無双"
三國連太郎無双10許可google:"三國連太郎無双"
御国無双0件使って良しgoogle:"御国無双"
孫悟空無双779件許可google:"孫悟空無双"
散策無双"39件許可google:"散策無双""
腕白無双5件許可google:"腕白無双"
卵白無双10許可google:"卵白無双"
関白無双10許可google:"関白無双"
見学無双83件許可google:"見学無双"
暗黒無双1,670件許可google:"暗黒無双"
申告無双22,200件許可google:"申告無双"
勧告無双76件許可google:"勧告無双"
チャングク無双0件使って良しgoogle:"チャングク無双"
ンガググ無双0件使って良しgoogle:"ンガググ無双"
三徳無双1件許可google:"三徳無双"
原告無双3件許可google:"原告無双"
乱獲無双253件許可google:"乱獲無双"
浅学無双0件使って良しgoogle:"浅学無双"
積読無双0件使って良しgoogle:"積読無双"
異名ヒット件数使用許可Google
ちょい悪爺9,900件許可google:"ちょい悪爺"
ちょい悪G.G.佐藤0件使って良しgoogle:"ちょい悪G.G.佐藤"
ちょい悪オジヤ26件許可google:"ちょい悪オジヤ"
ちょい悪大家4件許可google:"ちょい悪大家"
ちょい悪モヤシ3件許可google:"ちょい悪モヤシ"
ちょい悪殺し2件許可google:"ちょい悪殺し"
ちょい悪しょうじょうじ0件使って良しgoogle:"ちょい悪しょうじょうじ"
ちょい悪婆8件許可google:"ちょい悪婆"
ちょい悪山姥3件許可google:"ちょい悪山姥"
ちょい悪マンバ0件使って良しgoogle:"ちょい悪マンバ"
ちょい悪ギャル5,310許可google:"ちょい悪ギャル"
ちょい悪王子859件許可google:"ちょい悪王子"
ちょい悪お嬢8件許可google:"ちょい悪お嬢"
ちょい悪大蛇0件使って良しgoogle:"ちょい悪大蛇"
ちょい軽オヤジ681件許可google:"ちょい軽オヤジ"
ちょい猿オヤジ40件許可google:"ちょい猿オヤジ"
ちょいナルオヤジ99件許可google:"ちょいナルオヤジ"
ちょい丸オヤジ39件許可google:"ちょい丸オヤジ"
ちょい樽オヤジ2件許可google:"ちょい樽オヤジ"
ちょいダルオヤジ117件許可google:"ちょいダルオヤジ"
ちょいワッフルオヤジ0件(ちょいワッフルおやじが1件)許可google:"ちょいワッフルオヤジ"
ちょいファールオヤジ0件使って良しgoogle:"ちょいファールオヤジ"
異名ヒット件数使用許可Google
僕の心のガバイやつ0件使って良しgoogle:"僕の心のガバイやつ"
僕の心のキモイやつ0件使って良しgoogle:"僕の心のキモイやつ"
僕の心のモモーイやつ0件使って良しgoogle:"僕の心のモモーイやつ"
異名ヒット件数使用許可Google
キカイダーフラッシュローリングサンダー0件使って良しgoogle:"キカイダーフラッシュローリングサンダー"
ハカイダーフラッシュローリングサンダー0件使って良しgoogle:"ハカイダーフラッシュローリングサンダー"
インサイダーフラッシュローリングサンダー0件使って良しgoogle:"インサイダーフラッシュローリングサンダー"

2013-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20130806115012

でもね、リンク先の素晴らしい、悲しい、文章を読むにつけ、

けっきょく「人間考えるのをやめた人間ではなくなる」のではなくて

「ほっとくと考えるのをやめるのが人間」なのではないのかとおもってしまう。

戦時中同調圧力ガンガンに高かったときも、人は「考えるのをやめた」。

民主主義体制下で圧倒的な自由を享受できるようになったときも、人は「考えるのをやめた」。(E.フロムね)

ぼくらはいつでも、何を理由にしても、強制されていても自由であっても、

隙さえあれば、考えるのをやめるのだ。


逆に、「考える」という行為は、「考え続ける」という態度は、どういう条件下で可能になるんだろう?

そのことを考えるとき三國連太郎のこの↓インタビューを思い出すんだよね…。

追悼・三國連太郎さん:徴兵忌避の信念を貫いた/毎日新聞(1999年8月) ほか - 薔薇、または陽だまりの猫


三國は勇猛な虚構や心地よい嘘に、簡単に身を委ねなかった。そして考え続けた。

「国とは何なのか、死ぬまでに認識したい。今はまだわからないが、いつもそれを頭に置いて芝居を作っている」と。

2010-03-05

2010 第33回 日本アカデミー賞

空気人形」のペ・ドゥナよかったんだけどなー。

まあ、他の主演女優賞の映画みてないからなんともいえないんだけど。

個人的によかった去年公開された邦画は「ディアドクター」、「空気人形」、「愛のむきだし」あたりです。

サマーウォーズ」はまだみてないよ。

みんとねー。

【受賞者一覧】

◆最優秀作品賞:『沈まぬ太陽

◆最優秀アニメーション作品賞:『サマーウォーズ』(細田守監督

◆最優秀監督賞:木村大作『劒岳 点の記』

◆最優秀主演男優賞:渡辺謙沈まぬ太陽

◆最優秀主演女優賞:松たか子/『ヴィヨンの妻桜桃タンポポ~』

◆最優秀助演男優賞:香川照之/『劒岳 点の記』

◆最優秀助演女優賞:余貴美子:『ディア・ドクター

◆最優秀脚本賞:西川美和/『ディア・ドクター

◆最優秀音楽賞:池辺晋一郎/『劒岳 点の記』

◆最優秀撮影賞:木村大作/『劒岳 点の記』

◆最優秀照明賞:川辺隆之/『劒岳 点の記』

◆最優秀美術賞:種田陽平・矢内京子/『ヴィヨンの妻桜桃タンポポ~』

◆最優秀録音賞:斉藤禎一・石寺健一/『劒岳 点の記』

◆最優秀編集賞:新井孝夫/『沈まぬ太陽

新人俳優賞:

岡田将生/『ホノカアボーイ』『僕の初恋をキミに捧ぐ』『重力ピエロ

水嶋ヒロ/『ドロップ

溝端淳平/『赤い糸

渡辺大知/『色即ぜねれいしょん

榮倉奈々/『余命1か月の花嫁

志田未来/『誰も守ってくれない

平愛梨/『20世紀少年<第2章>最後の希望』、『20世紀少年<最終章>ぼくらの旗』

◆最優秀外国作品賞:『グラン・トリノ』(配給:ワーナー・ブラザース映画

◆協会特別賞:羽田澄子(記録映画作家)、帆苅幸雄音響効果)、松下潔(背景)、松田孝(衣装

会長特別賞:故 中岡源権(照明)、故 松林宗惠(監督)、故 村木与四郎(美術

会長功労賞:三國連太郎西田敏行/『釣りバカ日誌シリーズ

◆協会栄誉賞:故 森繁久彌俳優

◆話題賞俳優部門:綾瀬はるか/『おっぱいバレー

◆話題賞作品部門:『アマルフィ 女神の報酬

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん