はてなキーワード: 幻の光とは
「男もプリキュアになれないとおかしい」ではなく「男がプリキュアになろうとする必要なんてない」が正しかったのではないだろうか?
守られるべきは「自分の適性にあった道を選ぶ自由」であり、「無理してプリキュアという型に男の身を合わせる不自由」ではなかったのでは?
大切なことが見失われているように思う。
「男はプリキュアになれない」という減点方式のものの見方がそもそも間違っていて、見るべきは「男の方が向いている無数のヒーロー像」の方だったのでは?
それはナチス誕生前夜のドイツのような、追い詰められた果てに偽りの希望にすがろうとする者たちが見る幻の光だ。
「ユダヤ人という悪しき人種が殺されれば世界は素晴らしくなる」という減点方式で世界を見た果てに何があった?
プリキュアは「悪の四天王達を皆殺せば世界が平和になる」という減点方式の物語だったか?
違うはずだ。
「世界には次々に素晴らしいことが生まれているのに、それを奪うなんて許せない」という加点方式から始まる物語だったのではないか?
いつからだろう。
「男女不平等の象徴たるプリキュアを是正しよう」という考えに皆が取り憑かれるようになった。
その考え方は「ずる賢いユダヤ人が世界を破壊することから皆を守ろう」と始まりを同じくするものだぞ?
違うだろ?
プリキュアの強さは「悪や不平等を憎む心」から生まれているのか?
違うだろ?
ならば「女性はプリキュアとして活躍し、男は仮面ライダーとして活躍すればいい」で何が問題なのだ?
男ライダーだってセクシーにプリケツしてるし、プリキュアだって雄々しく猛っているではないか。
上辺に囚われることをやめれば、「男女差のせいで望んでいた道が閉ざされてしまった」というのがただの思いこみだったことに気づけるはずだ。