はてなキーワード: 人体の不思議展とは
蒼井優です。
ウソです。
一応さー
念のために念のためを重ねてもう一回検査してみたの。
体外診断用のやつで。
そしたらやっぱり陰性で
でもやっぱり匂いは戻ってこないのよね。
微かに戻りつつあるけど
昨日だってお風呂の石鹸の香りのシャボン玉がふわふわと手からあぶくが浮かんだときに
結構石鹸単体に直付けの鼻!で遠くに石鹸の香りがいるような感じ。
多少は増しになっているかも知れない鴨鹿。
多分理由は酸っぱい匂いが一番なんか生活において危険信号は無視出来ない横断歩道は青ではなく点滅でダッシュ赤ならまだ行ける!って意味とは逆に
この食べ物危ないんじゃね?っていにしえのディーエヌエーの刻み込まれた
木の実の皮がツルッと剥けたときの気持ちよさは太古の狩猟木の実狩り時代の思い出として刻まれているから
酸っぱいもヤバイ!って事らしいので
不思議だわ。
人体の不思議展を繰り広げたいぐらいよ。
なので
まだまだ完全に匂いを理解した!って言えないところが完全じゃないところなのよね。
まあ陰性だったのがよきよき!ってことで良かったのかしらね?
日常生活で支障がないと言えばウソか本当かは信じるかはあなた次第だけど
梅系ばかり食べていても仕方ないでしょ?
あとルービーもさすがにこの体調の異常ステータスありきで飲むのは美味しくなさそうだし、
でもだからといってここで諦めたら秋の夜長の楽しい晩酌の終わりですよ!って安西先生も名言を言ってるように
ハイボールは試してみたら
こっちの方がまだ美味しいかも知れない味わいの秋の夜長。
秋の味覚秋の祭典真っ盛りなのに
逆に言うと今しかこの機会体験することが出来ないこれ幸い検査も陰性だったから
オクトーバーやノーベンバーって歌を歌えばいいのにと思うぐらい暦の上では秋の食べ物が楽しめる真っ最中のアースウィンドアンドファイアーなのが悔しいわ。
いや暦の上では!ってなんか言い訳するけれど
暦の上では!って枕詞はもうアースウィンドアンドファイアー!って言い換えていいぐらいだと思うわ。
結局は。
違うかー?
またミルクボーイさんみたいな
なになにを探しているんだけど、
これとは違うかーを9月を探す旅に出る羽目になるとは思わなかったわ。
お弁当いったい幾ついるんだよ!って話しよね。
違うかー。
楽屋のドアにこの楽屋はだれだれさんがみたいな紙貼ってあるのよくそういうシーン見るじゃない、
あれの紙にアースウィンドアンドファイアー様って書いてあるのが貼ってあるだけでジワジワくるわよね。
そうは思わない?
でもまあ私はとりあえずの検査結果はアースウィンドアンドファイアーだったので、
みなさまもどうぞご自愛下さいませ。
うふふ。
納豆巻き食べてみたの。
納豆の味はするけど鼻から抜ける風味がやっぱり弱いみたいよまだ。
本来の美味しさを100としたら
今は100ってところかしら気持ちで補完よ!
大事なのはこれが上からの100なのか下からの100なのかってことで、
あんまりパクパク美味しく進む!って言うほどの勢いの美味さ爆発!ではないところなのよね。
絶好調とは言い難いわね。
これも風味が分からなくて、
舌の上の苦味を感じる図解のゾーンに集中したら
緑の緑茶の葉っぱの苦味の成分を舌でしか味わいが無いといったところ。
鼻から抜ける風味ってとても大切なのよねと
大切なことを当たり前のことのように言ってみたわ。
ただただ冷たくて美味しい!ってところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・「コーヒーできたよ。」といって差し出された缶からカップに移されだけのコーヒー。
・「やっぱり女は50からよねー。」
・金で買った愛。
・足の小指をうちつけた時、母親が真顔でそう言ってきた。
・「あー。マジで今自分がわかんねー」とか自分で言っちゃう瞬間。
・ぎりぎり12月17日くらい
・テレビの前で「今のPK、俺だったら右上ギリギリ狙ったね。」とかいうやつ。
・「雨さえ降らなければ行ったんですけどね。」とかいうやつ。
・さっき渋谷でイケメンに「芸能界に興味ありませんか?」って声かけられた。ナンパかも知れない。
・「お風呂にする?ご飯にする?それとも」とか聞いてしまう程度の気心。
・親に隠れてお酒飲んだ程度。
・かつてはソリュートレ文化の故地とも考えられたが、確証はない。
・30代のちち。
・実話増田。
・お釣り受け取る時に当たった手がさっと引かれた時。
・夏も終わりかけの頃の蚊に刺され。
・絶対に違います。手じゃなくてカバンだと思います。天に誓ってもいいです。
・徳川埋蔵金。
・肝試し中、最後尾を歩いているのに突然後ろから誰かに手をつか
・人体の不思議展で彼氏に「こんなの普通まともに見られないよね」と言われた時。
・「品質が高いワインでありながら、値段が手頃」ではないワイン。
・合コン2次会のカラオケで歌手並みに上手だった女性となぜか盛り上がって、3次会は店の外で二人だけでずっと話し込んでいたらホテルに誘い出す言葉もタイミングもわからないまま夜が明けてしまった経験があります。
・何事かと思って寝室からリビングに戻ってみると嫁さんがエアロビの真似事をしていた。
・飲み会で終電を逃した後、帰る方向が同じだった女性とタクシーに乗った時に話の流れで「洗濯機が調子悪くて困ってるんですよね。わたし機械とか全然わからなくて。」と言われた。
私は29歳の男性、自分の性欲を極めて異常で汚らわしいと感じている。私は自分ほど価値のない人間はこの世に存在しないと思い、早く殺されるべきだとも思う。
中学の時、アンデルセンの自伝を読んで、親を殺した17歳の少女が恋人共に斬首される描写があり、非常に興奮した覚えがある。
それ以来、若い女性や子供が、(性的暴行を受けて)殺されることを見聞きしただけで、勃起・射精する。よくAVにあるような拷問には全く興味がない。私が興奮するのは、以下のような素材である。
・古代ローマでキリスト教信者の女性が、輪姦され乳房を抉られて殺された話。
・同じく古代ローマで、宰相セイヤヌスの10歳の娘が、「処女は処刑できない」という理由で、強姦されてから死刑に処された話。
・近現代のイランでも、若い女性が処刑される前に強姦されることはあるという(サトラピの漫画でも言及されていた)。
・戦国時代に、親に連座した子供などが、串刺しや牛裂き、釜茹などの、苦痛の多い残虐な方法で処刑された話。
・清朝で、反乱を起こした20歳の女性が、囚人たちに輪姦された後、凌遅刑(公衆の前で裸にし、乳房をはじめ体中の肉を時間をかけて削ぎ落す刑)で処刑された話。
・19世紀英国で7~10歳の男の子が、窃盗や放火などの罪で、公衆の前で絞首刑となった話。しかもその絞首刑はロングドロップが発明される以前なので、窒息により十数分苦しむ方法。体重の軽い子供が、中々死ねずに悶え苦しむ様を、皆が楽しく見物していたということ。
・現代のイランで、若い女性がクレーンで絞首されて、なかなか死なずに足をバタバタさせて悶え苦しむ映像がある。
・18~19世紀の西欧や日本で、刑死者が本人の意志に関わりなく強制的に献体され、特に女性が男性医師に興味本位で性器や子宮などを解剖された話。あるいは少年が皮を剥がれて本の装丁にされ、骨は標本として最近まで展示されていた話。
・性的なポーズを取らされている「人体の不思議展」が、実は死刑囚の体を同意なしに加工しているという噂。
・20世紀のアメリカで、14歳の黒人少年や16歳の黒人少女が電気椅子で処刑され、少女は強制的に献体させられた話。
・アメリカの猟奇殺人犯A・フィッシュが、誘拐した少年を、棒で全身を殴って痛めつけて肉を柔らかくしてから、殺して食べた話。その他様々な、子供を対象とした残虐な殺人事件。
・コンクリート詰め殺人事件や台湾の白燕燕ちゃん事件、ルーマニアの女子大生暴行殺人事件などの詳細(被害女性がいかに酷い性的虐待の末、命を奪われたか)。
・現代における女性死刑囚と、その死刑執行のニュース。最近では江藤幸子さんや吉田純子さんといった女性が、絞首された後、遺体を全裸にされて、漏らした大小便を拭かれたのだろうと想像すること。
・中国の若い女性が死刑執行前に見せる無念そうな顔と、その女性が頭を打ち抜かれて、物言わぬ肉塊となっている写真。1990年代~00年代に自分と同じ空気を吸っていた若い女性が、今は腐って土となっていると思うこと。
こういった話や映像を見聞きするたびに、何度でも勃起・射精する。おそらく、一人の人格(女性・子供)が、地獄のような苦痛と辱めを感じながら、短い人生の長い最期の時を過ごしたという事実に、強烈な万能感のようなものを感じるのだと思う。
宗教を信じていれば、苦痛の中で死んだ人も、来世で報われると信じることができるだろう。しかし、私は信仰が無いので、短い人生の最期の瞬間をこのように悲惨な形で終えた人は、それでお終いなのだと思うしかない。この人たちの人生は、犯され辱められ、いたぶられて殺され、墓にも入れてもらえない、そんな目に遭うためのものだったのだと思うことが、快楽なのだ。
死刑が好きなのも、おそらく死刑囚の死は社会が望む死で、殺人被害者と違って悼まれることがないからだろう。あるいは自分を死刑執行する権力の側に置くことで、いい気になっているのだ。
精神科医に簡単に話したことがあるが、「性癖は治療の必要はない」と言われた。確かに私は、痴漢や暴行、動物虐待などの犯罪はしようと思ったこともなく、表面的には紳士的な人物として通っている。
しかし、私の内面はこのように鬼畜にも劣る人格の持ち主だ。本当に死刑に相当するとさえ思う。しかし、今のところ自殺はする気にならないし、遺書に何て書いてよいのかもわからない。
誰かが私を誘拐し、「因果応報だ」と言いながら、私が自慰のネタにしていた方法で私を拷問し、処刑することがまっとうな気がする。
スーパーの精肉コーナーに行くと、ここが私の居るべき場所のように思う。屠畜される牛や豚が羨ましい。私は「死にたくない!」と泣き叫びながらも屠殺場に引きずられ、そこで全裸にされて、股間から鋸で切断され、内臓を取り出され、枝肉にされたい。そして全国の大人や子供に食べられたい。食べられて消化され、大小便となって排泄されたい。あるいは、家畜の糞尿と混ぜてミミズの餌とし肥料にして畑にまき、あるいは肉骨粉となって家畜の飼料となって、牛糞や豚の糞となるのもよいだろう。あるいは猟奇殺人犯に捕まって、嬲り殺された後、トイレに殺人犯の糞尿と一緒に流されるのもよい。とにかく、私が死ぬことで誰も悲しむ者がいなく、逆に喜ぶ人がいるような、そんな死に方をしたい。墓や葬儀は嫌だ。生ゴミとして処理されたい。世界中から永遠に忘れられたい。
私は死にたいのではない。でも生きていても空虚でしかない。自分を殺したい。命乞いする自分を無慈悲に殺したい。なんのために生まれてきたのだろう?