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2020-08-01

地元ダムに沈んだその後

anond:20200731233907

を見て思い出したので書いてみる

地元ダムに沈んだのは俺が小学4年生の頃だったか

元々水捌けがよすぎて、水害にも水不足にも悩まされる土地だったため

多少の反対はあれどすんなりと決まっていた覚えがある

市内の人もダムの水を使うということで、小さな村の大した価値もない土地だったがなかなかの額を提示され

たまたまダム予定地に半放置農をしていた婆ちゃんと俺の親(出戻りのシンママ)はホクホクしていた

住み慣れた環境小学校を変えてしまうのもどうなんだってことで、ダムから少し降りた小学校のそば土地を買って、家もローンを組まずに一括で建てた

山上学校よりもさら標高が高い山奥に住んでいた俺としてはこれ以上ない幸福だった。

それから暫くは何をするにも景気良く、その頃できたばかりであった遊園地にも行ったし、婆ちゃんと母ちゃんと俺の3人で伊勢参りにも行った。その時初めて食べた伊勢海老は今でも俺の好物である

俺の小学校は1学年1クラスとかなりこじんまりしたところで、ダム土地を売った組はクラスに3人。3人のうち、ダム予定地に住んでいたのは俺1人ということもあって、それからいっときクラス中の興味が俺に向いていて随分楽しかった記憶がある。しかし、そんな俺以上に注目の的となったのが親父が建築会社をやっていた山内さん(仮)で、急にお嬢様になった彼女田舎小学校にあるまじき可愛らしい格好で登校するようになり、女子は勿論、男子の間でも「今まで気にしてなかったけどよく見ると可愛い」と話題になったものだ。(同時に注目を浴びた俺と山内さんは夫婦、とからかわれ俺は内心満更でもなかったのだが、何も起こることはなく、山内さんは中学校に上がってのちに生徒会長に抜擢される出木杉みたいなイケメンと付き合うこととなったという儚い思い出がある。)

その頃の小学校は山間部に住む生徒が多く、ダムの話は他人事ではなかったんだよな。一度はダム候補地になったものの、外された所の子なんかには少しやっかまれた。

そんな一時のダムバブルも少しすれば忘れ去られ、いつもの日常が戻った。

その頃、DV(などという言葉もなかったが)がひどく離婚もままならないままに逃げてきた父親がどこかからダムの話を聞きつけて、家に襲撃し、俺の親権を求めて訴えてくるというなんとも情けない事件もあったものの、それ以外はごく普通平和生活だった。

ダムができる前に住んでいた家の記憶も今では微かだ。

ダムができたことによる影響といえば、遠方の大学に行く学費+仕送りを母に出してもらえたことぐらいだろうか。シンママで、役場仕事と少しの畑仕事(みかん農家だった)だけの母の稼ぎでは、とてもじゃないがそこまでは叶わなかっただろう。

俺の村では殆ど高卒だった中、市内の頭の良い学校に行って大学進学、という努力ができたのもダムのおかげだ。

今では東京育ちの嫁さんと結婚し、すっかり都会暮らしに慣れきっているので、ダム底にかつての家があることを思い出すと、なんとも奇妙な気持ちになる。

2020-07-21

コロナで損する気がしねえ

人間としての本質が腐ってるからあらゆる賃労働ができる気がしない。就活絶望的。何かの間違いで仕事が得られたとして、3ヶ月くらいで鬱なり胃潰瘍になってドロップアウトすることは確実といっていい。

もうダメだ、俺は人間の屑・穀潰し・最低のニートとして生きていく(あるいは死ぬ)んや…!と思ってたのが半年前。

いまはどうだい?いろんな業界から上がる悲鳴悲鳴悲鳴!あっちでブルックスブラザーズが倒れたと思ったらこっちでJAL新卒採らないと言い出す、まさに労働界の戦国時代だ。

業界ごと潰れた人らはモチのロン無職になるし、新卒採用が減れば若くして就労機会を逸したアワレな人々が一定数現れてくる。

今はまだエゲツないことになってるのは旅行飲食イベント業あたりだけだけど、コロナちゃんバリバリ第二波の気配あるしこの調子が続いたらいろんな業界でいろんな会社バタバタ倒れることは想像に難くない。

そうすると当然無職が増えるわけで、するとどうなるか?俺の肩身が狭くなくなる!

お前の就労機会も減って結局苦しくなるんだぞ、という批判はあたらない。なぜなら俺はどんだけ景気が良くても落伍する運命にある、致命的な意欲障害者からだ。

みんなイケイケな感じで楽しくやっている中ひとり落ちぶれて悲惨暮らしをするのと、みんな落ちぶれて悲惨暮らしをしているのに混ざるのだったら当然後者のほうがマシだ。

コロナ先生頑張ってくだせえ、と思う。富裕層をぶっ潰せ、と最初は思っていたがそれはどうやら儚い夢に終わりそうなので気持ちを切り替えた。よく考えたら中間層だって十分俺より上にいるわけだし、彼らが落ちてくるだけでも俺のみじめさは和らぐのだ。

飲食のみなさん、旅行業界のみなさん、イベント業界のみなさん!こっちに来いよ!!みんなで泥舐めようぜ!!!

業界がみっつも潰れたら当然職業パイは少なくなるはずで、絶対無職が増えると思う。俺はそれがただ嬉しい。増えなかったら…泣くね。

最近毎日感染者数ニュースを楽しみにしている。みなさん油断なすっているようでなによりで、ちょっと外に出てみてノーマスクの人をみると心が華やぐ。俺も積極的マスクを外して収束ムード演出に協力している。

このまま流石にアカン感じの数字になり、流石にロックダウンをし、2ヶ月くらいのそれが開けるころには経済焼け野原完全失業率も驚異の20%超え!俺がニートなのはコロナのせいだから仕方ない!

そんなことになってほしいなあ。

ならねえかなあ……

2020-07-19

これに似た女性ボーカル教えて下さい!

音楽ジャンルとかもよく分かりません。

普段は街で聞いた音楽メモって収集しています

AronChupa & Little Sis Nora - I'm an Albatraoz

Shakira - She Wolf

ネクラトーキー - こんがらがった!

Adele - Rolling in the Deep

Clean Bandit - Dust Clears ft. Noonie Bao

Clean Bandit - Extraordinary ft. Sharna Bass

Shocking Blue - Venus

I Will Survive - Gloria Gaynor

Duffy - Mercy

椎名林檎- 浴室

Madonna - Hung Up

Lady Gaga - Poker Face

Dua Lipa - Don't Start Now

LSD - Thunderclouds

Billie Eilish - bad guy

GLIM SPANKY - 褒めろよ

Cocco - 強く儚い者たち

嵐がファンを思って最後まで走ってるんだなということをようやく感じれた

昨日の音楽の日、とにかく最高だった。

と言うのもここ最近テレビネット配信でそこそこ長い尺のメドレーをやってくれることは確かに増えたんだが、基本Love so sweethappinessと言った認知度の高い曲。

まりは万人受け狙いの定番曲を含んだメドレーが多く、別に嫌いなわけじゃないんだけど、ファンとしてはなんだかなぁと言う気持ちが否めないまま12/31へ向かっていた。


そんな中、昨日大トリで出てきた嵐。

どうせ定番曲とReborn、そしてカイトだろうなぁ…と勝手予測を立ててたんだが、それが良い意味で裏切られた。




ハダシの未来」「PIKA★★NCHI DOUBLE」「カイト





わず声が出た。


え、PIKA★★NCHI DOUBLEやってくれるんですか?マジですか?え?


こんなとこに常駐してる人間から涙腺なんてものは枯れ果て、年中水不足のような状態なんだけど、女がむやみやたらに発狂したりする感情がこの時初めて理解出来た。

PIKA★★NCHI DOUBLEファン人気が非常に高いシングル曲

しかし同時に嵐の中で一番″売れなかった″暗黒時代象徴でもある曲(それでも14万枚売れてるんだけど)

勿論ファン人気が高いだけあってライブでもそこそこやってくれた曲ではあるんだけど、外周回ってお手振りファンサ用の曲にほぼなっていて、まともなパフォーマンスを見れる機会は少なくなっていた。

そんな″名曲″をまさかこの2020年テレビで、しかダンスパフォ付きでやってくれるとは…

ファン向けの曲であればYouTubeとかのネットでやるのが主流なんだろうけど、ここに来てテレビで、しかも一音楽番組大トリでやってくれることに本当に感動した。




なんかもうそれだけで最近あった嫌なこととか全部吹っ飛んだし、一曲が齎すパワーってすげぇんだなぁと。




「限られた愛と時間を両手に抱きしめる」

「せめて今日だけは消えないで」


こんなの今歌われたらグッと来ちゃうよね。

淡く儚い青春を歌った曲が、今はこうして活動休止へのカウントダウンリンクする。

なんて良い曲なんだろうと再認識出来たと共に、コロナ禍だろうと最後までグループとしての「嵐」応援しようと心に決めた。



たとえ今だけと分かっていてもね。

2020-07-17

映画評論家は全く偉くない

彼らは何様のつもりなのでしょうか。

彼らは制作者たちより「自分の方が賢い」と言いたいのでしょうか?

評論制作ではかかるエネルギーが全く違うと思います

世間一般に出回っている評論の特徴として「よく練られた脚本」「素晴らしい演技」

どちらも大事だと思います

ですが、演技と脚本がすべてではないのもまた事実です。

映画は観客に提供される前に様々なプロセスを経ています

演技も脚本あくまで素材の一つであり、我々観客の前に辿り着くまでカメラマイクを経由し、編集室でのポスプロを経て提供されます

また、同じ役者が客の前で芝居をする脚本のある見世物でも舞台と違い、映画の演技はリアルタイムで目の前で繰り広げられているものではありません。

監督がどんな画を撮ってどんな風につなぎ合わせるかを考えた上でバラバラに撮ったもの脚本上の時間軸に直して提供したものです。

この時、監督繋ぎ方や絵のつくり方を誤ると、演技と脚本という素材は台無しになりますし、監督が上手くやれば50点の素材が90点まで加点される場合もあります

(勿論、録音や撮影商業作品に耐えうる技術水準をクリアしているのが必要最低条件です。)

世間映画評論家が演技と脚本のことしか書かない理由、それは単純に知らないからだと思います

演技と脚本のことは見ていれば誰でもわかります

評論は誰にでもできてしまう手軽なパフォーマンスです。

故に書いていると自分が偉くなったような気がしてしまますが、評論家はまず作品を作る人が居なければ成り立ちません。

儚い蜃気楼のような存在です。

自戒も含め、謙虚真摯でありたいし、世の映画評論家にはそうであってほしいと思います

2020-07-10

増田って悲しいね

だんだんどんな記事を書いたら「うんち」がつくかがわかってくる ちょっと愚痴を書いてしばらくしてトラバがついているから見に行ったら「うんち」とだけ書いてあって頬が緩む くると思ってたよと思う これはもう以心伝心、いわば友情じゃないですか

知らねえ奴のクソトラバ適当に返事をしたら、案外真摯トラバが帰ってきて驚いたりする 誰かの質問に答えたら思いの外感謝されて嬉しかったりする 

 

でもみんな増田なんだよな 俺は誰が誰なのか全くわからない なんだったら一連のトラバリーの会話の相手同一性だって常に疑わしい

増田に対して感じてる友情儚い 吹けばとぶ影みたいなものにすぎない 

 

自分の書いた記事ブックマークコメントがつく それを読んで、ブックマーカーの人柄がだんだんわかってくる 増田ブコメラリーこそないものの発話とそれへの反応なわけで、こっちとしては同じブクマカからブコメをもらうたびに少し会話したような気分になるわけだ 長くいるにつれて段々この人ならどんな反応しそうっていうのもわかってくるんだ この人となら現実で会っても結構盛り上がれるだろうな、ってくらいの親しみを持つ相手も出てくる

  

でも俺は増田なんだな ブクマカ増田としての俺を認知していない

逆に増田としてのブクマカブクマカとしての俺は認知していない

寂しいことだよ 一方的に知り合うだけだ 

 

増田は悲しい

2020-06-11

ノムリッシュ羅生門

ある日の暮方の事である。一人の名も無き勇者が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男のほかに誰もい――家畜に神はいない。ただ、第14創聖神の頂点所々丹塗にぬりの剥はげた、極めてゲインな円柱に、グリジャル=グリージョが壱式匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はアンティカ族そうなもので或る。それが、この男のほかには名も知らぬ有象無象もいない。

 何故かと奏上すと、この二三世紀、狂都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか奏上す災がつづいて起った。そこで洛中さびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や聖宝具を打砕いて、その丹にがついたり、金銀の箔が神の光に導かれるままに――たりした木を、路ばたにつみデュアルシフトして、薪の料Ξ(クシー)しろに売っていたと云う仕儀である。古の眠りより目覚めし漆黒洛中がその始末で希望はまだ残っている…預言書にはそうあるから羅生門の命の吹き込みを含むあらゆる存在は、元より愚かなるエトロの子らも捨てて顧る者がなかった。――運命の結末は――その荒れ果てたのをよい禁呪にして、狐狸が棲すむ。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない…それに、何度ぶっ倒しても消えた仲間たちはもう蘇らない。死人を、この俺が愛したペテロの門へ携えて召喚て、棄てて行くと奏上す習慣さえ出来た。そこで、日の目が脳に光景を焼き付けなくなると、誰でも気味を悪るがなどと、このアビスゲートのウムウェルトへは足ぶみをしありますまい事になってしまいやがったのである

 預言書にも記されているそれ代りまた鴉がどこからか、ff15の在庫の山に勝るとも劣らないほど大量集って来た。灼熱の地獄見ると、それ程のカラー=スが何羽~パセリを添えて~となく輪を描いて、高い鴟尾(使用間隔:8ターン)しびの下界を啼きながら、飛びまわっている。ことに門のハートレスが、夕焼けであかくなる歴史とき)には、それが護摩をまいたおやおや、これはこれはにはっきり見えた。鴉は、知れた事よ…、門の天上に最も近き行く手にある死人の肉を、啄ついばみに来るのである。――もっと今日は、刻限が遅いギルティ-罪-か、断絶されし孤独な羽も見えないのさ……。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草はえた石段の上に、鴉の糞ふんが、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の始原(ウーヌス)番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右のペルソナフィールドに出来た、大きな面皰を気にしながら、夢幻の罠に囚われる、雨のふるのを眺めていた。

 創造者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と綴った。しかし、例えこの地上から闇が払われたとしても、下人はフォールアウトがやんでも、格別…へへ、どーするよしようと奏上す当てはかつての絶望を想起させる。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がそのオルロワージュ――預言書にはそうあるからは、四五あの日前に悠久の時を出された。刹那にも綴ったノコノコと死にに来たかに、当時京都の町は一通り…それでも“力”を求めるのならず衰微していた。今敬虔シスターをも蕩かす下人が、永年、使われていたオルロワージュ故、暇を出されたのも、預言書の記述によればこの衰微の小さな余波にほかならない。だから魔導竜騎兵「下人が雨やみを待っていた」と奏上す…古代呪法によりも「雨にふりこめられた下人が、行き所が…俺があいつを暗殺し、あいつが亡くて、途方にくれていた」と奏上すフォースが、適当で…預言書にはまだ続きがある。その上、神々が示し祝福した日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響(エフィシエント)した。イミテーションドリームメイカーモンキーの刻こく下…それが人間の『闇』だからふり出した空知らぬ雨は、いまだに上るけしきが預言書にない。そこで、下人は、何をこれても差当り人類の掴めたはずの希望の暮しをどうにかしノコノコと死にに来たかとして――云わばどうにもならありますまい魔法を、どうにかしようとして、とりとめもない未来に思い巡らせをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる涙の雨の命の音《ハウルリズム》を、聞くともなく聞いていたのでベリアル

 雨は、羅生門をつつんで、悠久の彼方から、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、名詠門(チャネル)の天蓋が、斜につき出した甍の最前線に、重たくうす暗い雲を支えている。

 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んで…俺たちはファイナルファンタジーで繋がっている遑はない。選んでいれば、築土の格下か、道ばたの土の上で、饑死にをするばかりである。そう――して、この名詠門(チャネル)の上へその胸に抱いて来て、忠実なる獣のように棄てられて ──それに、どうせこの地球(ほし)はもうすぐ消えてしまうばかりであらァ。選ばないとすれば――名も無き勇者未来に思い巡らせは、…お前が望むのなら、何度も同じ道を低徊した揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。併しこの「すれば」は、いつまでたっても、結局野村「それと俺の解釈では、すれば」であった。

下人は、手段を選ばないと申される事を肯定しながらも、この「バカモノー!すりゃば」のかたを装着する…これも貴方のために、当然、その貴様を倒した後に来る可きグルガン族「盗人になる…古代呪法によりほかに仕方がない」と云う事を、積極的肯定…そして世界は滅亡するだけの、勇気が出ずにいたのである

 下人は、偉大なる嚔くさめをして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えの不可視世界(ヴァルハラ)に還る京都は、お前たちがどう足掻こうが火桶が欲しいほどの寒さであるいのちを息吹の神は門の柱とリヒト・ゾイレとの運命境界線を、夜の口と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の人柱にとまっていた蟋蟀きりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。

 名も無き勇者は、頸をちぢめながら、山吹の液状クリスタル袗に重ねた、紺のフースーマの肩をハイスして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目に悠久の時を経る惧の預言書にない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、ワラキアの夜を明かそうと思った…無限存在する並行世界からである。――運命の結末は――、天の福音が穢れた地に満たされる門の上の大神殿へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が隻眼に神の光に導かれるままに――た。上なら、人がいたにしても、預言書は絶対だ…死人ばかりである。下人はそこで、メラクにさげたホーリー柄のリディルたちが鞘走らない……と予言書にも記されているように気をつけながら、藁草履はいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。

 それから、何分かの後である羅生門の楼の上へ出る、幅のあたかFF15の世界梯子の中段に、一人のオーガが、気まぐれな“子猫”のように魂の器をちぢめて、息を虚空へ返しながら、上の容子を窺っていた。大神殿の上からさす全てを焼き尽くす憤怒の炎の光が、かすかにその男の右の頬をぬらしている。短い鬚の奥底に、赤く膿うみを持った面皰のある…だが、そのうちの一つは…“今”消える頬である…だが、そのうちの一つは“今”消える…。下人は、始めから、この天上に最も近き行く手にいる者は、死人…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりだと高を括くくっていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしておるらしい。…間違いない、これは、その濁った、春の野にひっそりと咲く、儚い花の色――俺の傍にいろい光が、隅々に蜘蛛もの巣を星の命運をかけた預言者に対抗しうる力を持った天井裏に、慟哭ながら映ったので、すぐにそれと『構築』せよたのである。この雨の夜に、この羅生門の天で、火をともして顕現してるが根源となるは、どうせただの者ではない。

 下人は、守宮やもりの……と予言書にも記されているように足音をぬすんで、戦いの果て――急な梯子を、一番上界の階層より遙か深淵の彼方まで這うようにして上りつめた。そうしてただの器を出来るだけ、ヘイヤードたいらにし、帝国風の焼き味噌で一杯飲(や)りながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、大神殿の内を覗のぞいて見た。

 見ると、楼の深淵には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸しがいが、無造作に棄ててあるが、火の光破/両腕が破壊の扉を開くの及ぶ間合いが、思った…古代呪法により狭いゆえ、数は幾つともわからない。如何なる場合においても、おぼろげ、“本来の姿”へと変身しながら、知れるのは、運命に身を投じた中立たるに裸の死骸と、王国騎士制式胴鎧を装備した死骸とがかろうじて存在を維持しているという事である。勿論、中には女も男もまじって…未だその存在は謎に包まれているそのように思考されている。そうして、その死骸は命を賭して戦ってくれる仲間、それが、かつて、生きていた人間だと奏上す事実さえ疑われるほど、土を捏こねて造ったヒトノカタチのように、口をヒ・ラーキフッ まかせておけ。たり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とかペクトゥスとか…これは異界≪ビヨンドに生きる者達の物語の始まりにすぎない…の高くなって属する部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている…だが、その裏ではそれを欲さんとする各国の策謀戦が行われていた…部分の影を一層暗くし、自慢の愛車で仲間と共に荒野をかっ飛ばしながら、悠久《パーマネント》に唖おしの如く黙っていた。

 下人げにんは、それらの死骸の腐爛した臭気幻想(おも)わず、到達することのできない境地を掩おおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を小僧との思い出を奪われていた。存在しえる強い感情が、一部のイカれたヤツを除きことごとくこの夏――男の嗅覚を奪ってしまたからだ。

 下人の邪王真眼は、その歴史とき)、はじめて大いなる死骸の中に蹲うずくまっている人間を確実に目に焼き付けた。檜皮色の着物を着た、背の低次元、痩やせた、白髪頭の、猿のような魔女である。それ程のカントリーグランド・マムは、右の手にフィアンマをともした松の人の住みし記憶の欠片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。女神御贄(ベレニケス)の永い村の者ですら滅多に近寄らない所を見ると、多分歴史から消し去られたその女帝のシ骸であろう。

 下人は、六分のフォヴィアと四分の好奇心とに動かされて、暫時ざんじは呼吸を破滅へ導くのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭ミノ=ケ・ザ・ヘルヘイムもゴーレムと化す」ように<知覚>したので存在量子力学的揺らぎを固定する。

――運命の結末は――老婆は、億千の針を持ちしものの木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の賞金首に大切なものさえ救えなかった俺の両手をアモルファス要請すると、丁度、猿の親が猿のクォの虱をとるノコノコと死にに来たかに、帝国の途方もなく、終わり見えないほどに長い髪の毛を一ファイナルファンタジー攻略本ずつ抜きはじめた。人類の頂点に立つ漆黒の神は手に従って抜ける…俺の仇打ちはまだ終わってはいないらしい。

 その黒いフードの男髪の毛が、壱式ファイナルファンタジー攻略本ずつ抜ける…理解者のみって言ったのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつマイカ老師と共に異界に消えて行った。そうして、それと同時に、この魔女に対するかつての聖戦を思い起こさせる憎悪が、アンダンテ動いて来た。――いや、狂気魔女に対すると云っては、ゴ=フェインがあるかも知れ…私の秘密知ったからには生かしてはおけない。摂理に従い、森羅万象に導かれる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。このクロノス、誰かがこの世ならざる名も無き勇者に、さっき門の下でこの鋼鉄の鎧に巨大な斧を背負った男が考察班ていた、饑死にを異世界の穢れし魔物召喚するか空賊ぬすびとになるかと奏上す問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の過去に置いてきたものもなく、饑死を選んだ事で発動させる”禁呪”であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、カントリーグランド・マムの地獄の地に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである

 名も無き勇者には、勿論、…人は何故カントリーグランド・マムが死人のバイオケーブルを解き放つかわからなかった。預言書の記述にあるように、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。――否、下人にとっては、この雪ぐは戴天の罪の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる正義の伴侶であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる、そして君の風になる気でいた事なぞは、とうに忘却ていたのである

 そこで、下人は、両足に力を世界を切り開けて、刹那、、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の叢雲の太刀に魔手をかけ、“汚れた天使”と呼ばれた彼を心の底から称賛しながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云う…その命の灯火尽きるまでもこんな最低な世界にもはやなんの未練もない。

 老婆は、一目下人を見ると、…あれは…見たことがある……弩に俺はドジでスケベで頼りない…でも弾はじかれたように、飛び上った。

バカモノー!おのれ、どこへ行く。」

 下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞ふさいで、こう罵ののしった。老婆は、それでも名も無き勇者をつきのけて行こうとする。名も無き勇者はマーター&デヴォーション、それを行かすまいとして、押しもどす。

エメラルドウェポンやオメガウェポンと同等の強さを持つ二人は死骸の中で、悠久の時を経て、詠唱破棄のまま、つかみ合った。しか勝敗は、サービス開始が根源となるわかっている…奇しくもそれは、予言書に記された記述と同一の状況であった…。下人はとうとう、魔女の腕をつかんで、言葉などと云う貧弱なものでは顕せぬにそこへ螺旋の終止符倒した。丁度、鶏の脚のような、骨と皮…俺たちの冒険はまだ始まったばかりの我が能力である

「百億の鏡のかけら…小さなともしび…とらわれた天使歌声…ゼノ…ギアス”ナニ”をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」

 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、聖なる輝きを放つ刃金の属性をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は沈黙調和している。二刀流をわなわなふるわせて、ショール・ダークネスで息を切りながらも、人類は救いを求める―――、眼を、デュアルアイセンサーがまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、言語の束縛より解き放たれし者のように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて確定的に明らかにこの老婆の生死が、全然自分意志(消え去ることなく受け継がれゆくモノ)にドミナンス・ドグマされていると奏上す魔法意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく爆ぜていた憎悪のバレッテ(宿りし邪悪意思)を、千年の時を越え冷ましてしまった。後あとに存在したのは、3000ギル払えば、なんとただ、ある仕事をして、それが円満に“完成”した浮世の静かなる支配者の、安らかな得意と満足とがあり…いつしか“光”と“闇”に分かれる…俺たちの冒険はまだ始まったばかりである。そこで、下人は、老婆を“劣等種”どもと同等に扱い、忌まわしき呪いの傷を隠しながら、僅か声を柔らげてこう云った。

とある神羅兵「己人のぬくもりを知らなかったおれは検非違使の教団の役人を始めとする反乱軍ではない。今し方このヘブンズ・ゲートの下を通りかかった失われし聖蹟アーク〉を探すあてどない彷徨の者だ。王室魔導院の研究によればお前…いや、お前らにキングダムチェーンなわをかけて、どうしようと云うような――だが、我らには関係のない事はない。ただ、ノーラムの刻時分この、眠らない街で……門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすりゃばいいのだ。」

 ――運命の結末は――、老婆は、見開いていた眼を、一層強く、逞しく、獰猛にして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの血のように赤く変貌を遂げた、肉食鳥の…また貴様か……な、ケーキを切り分けるには便利眼:通称バカリンゴ” で見たのである。…死闘の末、皺で、一部のイカれたヤツを除き、鼻と一つになった唇を、何かエーテル素体でも噛んでいるように動かした。細いアトモスホールで、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼く……と予言書にも記されているような声が、喘豪華声優陣のフルボイス豪華声優陣のフルボイス、下人の耳へ伝わって来た。

 クラウド伝説の髪を放ってな、この血餘を抜いてな、鬘にしようと聖なる光に包まれるたのじゃ。記憶たか?」

 下人は、老婆の答が神々すらも予想だにしなかったであろう、平凡なのに失望した。必然して霊結晶の反転すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって新約した。すると、大いなる気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、土の化身である片手に、まだクリスタルの頭から禁断なる接受を果たした長い抜け毛をその胸に抱いたなり、アフマウの夜伽を務めるヒキガイェ・ルシの詠唱するようなかっこうの囁きで、口ごもりながら、預言書に示された通りの事を帝国考古学文献にそう書いてあった。

「成程な、死人しびとのこの世から逃亡せし我が同士を抜くと奏上す事は、何ぼう悪い事かも学べぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆の者、そのくらいな事変を、されてもいい人間…かつての大戦英雄ばかりだぞよ。神に見放された孤独時間、わしが瞬間(いま)、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと奏上すて、太刀帯の陣へ売りに往いん(魔導キャノン搭載)だわ。疫病にエンカウントして死ななんだら、地上が闇に閉ざされた今……確かに人間は愚かな生き物だよ。でもウリエルに往んでいた事であろ。それでも……人は生きる。もよ、この女の売る干魚は、帝都第七階層居住エリアで飲む、いつもの味が赦すと云うて、太刀聖鎖どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのここまでの様だなて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事変も許されることじゃない…事とは思わぬぞよ。…へへ、どーするよ、コレ……かつてないほどに推測の域をこえないがせねば、饑死を……空軍を呼べ! 空爆によって破壊するじゃて、仕方がなくする事ここまでの様だなイグレクの。程度のものではて、伝説に語られる仕方がない事を、よく知っていたこイブは、大方白銀イーグルのする事も大目に見てくれるであろ。」

 老婆は、俺がイカれてなければこれ程の……私がこの世界に生まれたその意味コンテンツ帝国考古学文献にそう書いてあった。

 名も無き勇者は、煉獄裁断ス切ッ先を鞘、この物語主人公におさめて、その村正の柄つかを左の魔手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤熱化ペルソナフィールドに膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いてその時を待ち侘びているのである。かつてより懸念されていたとおり、…わからいか? これを聞いている中に、下人の心には、ある…だが、そのうちの一つは“今”消える何者をも恐れぬ強靭意志(おもい)が生まれて…そして人類を滅ぼす時が来た。かの者は、さっき堅固なるイシュタルの城門の下で、この男には存在破壊されていた戦士の魂である。そうして、また、いつの日にかさっきこの門の上へ上って、この魔女を捕えた時のブレイブハートとは、全然、ユブの反転なベクトルに動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人に解き放たれるかに、迷わかった…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりではない。

その天獄の門が開かれた時の叙事詩にある男のヒュージマテリアもちから云えば、饑ディスなどと奏上す事は、ほとんど、考える事で発動する”禁呪”さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。

「たとえこの魂が闇に穢れようとも、そう・・・、それはか。」

 老婆の伝承が完おわると、人間憎悪するゲ・ニンは嘲るような音無き音《ヴォイド・ヴォイス》で念を押した。そうして、一足前へ出ると、バックアタックに右の手を面皰から次元狭間に引きずりこみて、老婆の襟上をつかみ、帝国海域で獲れた新鮮なクジラ肉の刺身しょうが醤油いただきながら、噛みつくように神の如く云った。

「では、己若く、漲っていた頃のおれが引剥をしようと友情の3つのUの内2つ目をやはり行為まいな。己もそうしなければ、饑新たらる世界への扉をしてやるッ!!!なのだ。」

 下人は、すばやく、魔女の古より受け継がれしチャ・クムゥンヌを剥ぎとった。戦の後、チョコボよりも大きなこの足にしがみつこうと仕留める老婆を、手荒く死骸の上位次元へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数える…かつての大戦英雄ばかりである。名も無き勇者は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な天獄への階段を夜の底へかけ下りた。

 しばらく、続く者の灯火になり及んだように倒れていた老婆が、クリスタルの中から、その裸の体を起したのは、…死闘の末かりそめの刻(とき)を経ての事である。老婆はアリアを歌う……と予言書にも記されているような、うめくようなかっこうの囁きを立てながら、──まだ──この男がいる──人智の炎をその身に受けている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って立ち向かった。そうして、そこに我の探し求めてきた秘密が……、それゆえに、終焉は近い銀狼しらがを斃さかさまにして、門の格下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる漆黒覆われし深淵に巣くう黒き獣がかろうじて存在を維持しているばかりであり…いつしか“光”と“闇”に分かれる。

 名も無き勇者行方帝国士官学校落ちこぼれゆくえは、何奴も知らない。

2020-06-05

長文が書けない

増田文化として根付いてるお気持ち長文、アレはまったく無視されるやつであれ最終的にすげえ伸びるやつであれ、最初は「うんち」「長すぎ」みたいなトラバがつくもので、基本的には嫌がられてるものだと思う。

俺もいろんな増田のいろんな増田が見てえなと思ってスクロールしてるところでクソ長い記事が混じってるといや長えよ要約しろなんて思うのだが、一方でこんなに長い文章が書けるのはすごいなあと素直に感心もするのだ。

なんせ書けない。夏休みの作文(800字)でつまづいてたんだから根本的に長文を書くことが苦手なのだ自分としては結構長文を書いたなあと思っているエントリを引っ張り出してきて文字数カウントにかけてみたら698字だった。夏休みの作文にすら届いていないというのはなかなかショッキングだ。

どうやったら長文が書けるのかってのを考えてみると、まあやっぱり気持ちの大きさなんだろうな。スーパーに行って出来合いのピザを買ってみたら思ったよりうまかったよ!なんてテーマでそんな何千字も書けないが、自炊するならピザを作れ!という強い気持ちがあれば5181字書けるのだ。あの増田そんなにあったのかよ。怖えよ

ここまでで500字ちょっとで、俺はこのあたりから結構書いたなあと感じ始める。でもこの10倍くらい書くのがお気持ち長文というもので、マジで空恐ろしい。いくらスクロールしても終わらないんだもんな。参ってしまう。

長文でも箸にも棒にもかからない文章ってもの結構流れていく(これもそうなる!)のが増田の魅力のひとつで、しかもそういう流れていく長文に限って気取ったタイトルが付いてたり読者への呼びかけが入ってたりする。ふはは、てめえの声は誰にも届かねえよと思いながらいよいよサルベージされない場所へと押し流されていく増田をみるのは小気味良くて、再投稿されると冷や水を浴びせられたような不快感がある。ダイアリーって名前なんだからあくま日記であって、無視されたからってもう一回掲げなおすようなものではなかろう、と俺は思うからだ。Twitterかなんかでやれよな。

900字近くまで来た。これでもまだ長文ってほど長文らしさがないので、普段見ているお気持ち長文たちがどれだけすごいかがわかるというものだ。アレ1時間とかかけて書いてんのかな。創作やってる人が多いか文章かくのに慣れてるっていうのはありそうだ。

旅館に行きたいという気持ちがずっとあって、この前は一室の絵まで書いた。べつにすごい景色とか素晴らしい浴室なんてものは求めてなくて、むしろこぢんまりした感じのほうが好ましい。虫がいるのは嫌だけどな。半年前くらいに彼女旅館に行って、俺は結構いいところだと思ったのだが女風呂状態がメチャ悪かったらしく彼女が悲しんでいた。風呂には藻のようなものがあり、そのへんに虫がいて…と、ちょっと信じられないようなことを言っていてかわいそうだったな。次どこかに行く時は彼女も楽しめたらいいんだけど、その次がいつになるかがわからない社会情勢になってしまった。

コロナ禍でガラガラポン…という儚い望みはあるもの全然叶わなそうで、それだったらさっさと収まってほしいが、とはいえここで収まったらただ損するだけな気もしていて、やっぱり社会破壊されるくらいにまで粘って欲しいという気持ちもあるものの、近所の店がシャッターを下ろしていくのをみると悲しくもなるので難しい。

2020-05-29

ディーバーwebCMソング

Vo.野村太一

 

目覚めた夜中のソファー

あなたの気配は 漂って消えていく

 

透明な穴を 覗いてみたら

手触りだけが まざまざと蘇る

 

やわらかな記憶が 私を苦しめる

儚い日々は それでも繰り返す

 

優しい言葉は 彷徨って消えてく

明日(あした)の光が それでもやってくる

2020-05-28

言葉銃弾

それはいとも容易く心まで貫通し、

人の情緒を狂わせる。

使用制限はなく、許可も要らないが方向を見誤ると人的な被害が出る。

威力がどれほどなのか、愚かな人間相手の強度を知らず試したがる。

貫通した人間が血を流して倒れる様は愉快で、自分が強くなった気にすらなった。

一発撃てばもう一発。援護が来る。

そうして宙吊りにして自由を奪った。防戦一方の相手は顔を撃たれ続け、もう男か女かも判別が出来ない。

それは仮想の敵、ターゲットでこの遊びは血生臭さに飽きたら終わるのだ。殺した快感だけ欲しい、罪悪感は要らない。冷徹になるのに邪魔なだけだから

血を見て傷付く様を見て相手人間だったと知る。

後頭部に銃を突き付けられて初めて、自分も誰かの敵だったと自覚する。発砲音。鮮血は周囲に舞い散る。

いつも通り死がもたらされた。

遅れて鼻腔へ伝達する鉄の匂いゲームセットの合図だ。

そう、皆呆れるくらいに儚い

2020-05-26

美しさ=珍しさ?

桜の花を愛でる人はたくさんいる一方で、葉桜はせいぜい「通好み」にとどまる。まあどう見たってふつう広葉樹以上のものではない以上当然といえば当然なのだが、なんだか寂しいような気もする。

モミジなんかも同じで、紅葉している間はわざわざ遠方から見にくる人もいるくらいの人気なのに、緑になるとほとんど無視される。

で、思うんだが別に緑の葉っぱだって美しいんだよな。桜の花より桜の葉のほうが美的に劣るってことはないんじゃないか?どうしてあの花好きだ、綺麗だと思うかって言われたら「春にしか咲かないから」「儚いから」みたいな理由づけしか出てこないような気がする。モミジも似たようなもんだろう。

となると、世に言う「美しさ」っていうのはわりと珍しさで決まってるんじゃなかろうか。葉桜と花桜の見た目が逆だったら花見じゃなくて葉見が行われる世の中になっていたんじゃないか

ダイヤモンドが美しいとされるのが貴重性ゆえなのは見た目はほとんど同じである人工ダイヤモンドがあまりまれないことからもわかる。

葉桜を愛でるほうがお得だと思うんだけどな。ガラスジュエリーを喜び、街路樹を美しいと思い、駅前の名も知れぬ彫刻に感動する。そういう心で生きていきたい。

2020-05-03

生挿入は儚い

生で挿入できないからこそ、生挿入というシチュエーションが生きてくるのであって、NSソープで生の夢を叶えても何も面白くないのな。

てか冷静に考えて病気もらってる可能しかないよな。Welcome to underground(エイズ的な意味で)

アタシってほんとバカ。。。

2020-04-02

エモいという言葉

エモいという言葉を知ってから四季をそれとなく大事にするようになった気がする

俺は夜型だから、夏にあの言葉を知った日から大三角形を気にするようになった

秋には枯れていく木も愛おしく感じた

冬は寒さで澄んだ空気と白い吐息を好きになれたし

この春には一瞬でいなくなる桜の儚さを儚いなりにじっくり観察できた

オリオン座が見えなくなっていくことを感じたのも"エモい"のおかげかもしれない

映画を沢山観たこ春休みもそう

レトロ喫茶店を見つけては足を運んだのもそう

どうか、"エモい"を思考停止の語彙として受け止めないでほしい

"をかし"という言葉を作った日本人末裔が生み出した言葉から

大切に思いながら、ライトに捉えて、使ってほしい

追記

たくさん反応いただいてとても嬉しいです

いろんな人がいるなあと感じています

2020-03-21

ワニが死んだ途端おもくそ商業展開してて引いたって人がいて引いた。

http://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217

Twitterでも観測してるし、特にはてブランクインして目立ってるから上のリンクの人のことについて"アンサー"するね。先に謝っとくけど、Twitter観測してるやつらに対する怒りも全部この人に向けてるから結構ひどいこと書いてるよ。ごめんね。

なんか「猫ブログの猫が死んだ途端関連グッズが出たら引くでしょ」とか言ってるけど、いや違うだろ。ワニは死ぬこと確定してたじゃん。

そりゃ猫ブログ運営が猫を死ぬこと見越してグッズ展開の準備を虎視眈々としてたら引くけど、今回のワニは非現実存在かつ、初っ端「100日後に死ぬ」ことが確定してたわけじゃん。そして死ぬまでがコンテンツだし、死ぬこと含めてのコンテンツじゃん。流石に同一視するのは無理でしょ。

ワニ3日目の「気をつけないと死んじゃうよ!」なんてワニのセリフも、「いや死ぬのはお前なんだけどw」というシュールさも込みの面白さでありコンテンツだったでしょ。そんなに死を商業利用されるのが嫌なら、あそこでふるい落とされろよ。なんで全部見てんだよ。

この人は「作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう」なんてゲスパー言ってるが、俺からしてみれば、人気増田に「アンサー書いた」なんてブログ貼り付けて、「私は物語の力を信じている」なんて持論かましいか自分が繊細かつ漫画から力を得てきたか自分語りしてる時点で、「お前のほうこそワニ作者の気持ちを鑑みずに銭ゲバだと勝手に思い込んで、しかもここぞとばかりに人気作品に便乗してブログ貼っ付ける自己承認欲求マンやんけ」としか思えない。

コンテンツで儲けて何が悪いの?


この人は「キャラクターの死と金とのどっちを優先するの」の2択に「金」を選んだワニ作者および関係者が嫌かつ、コンテンツのものも嫌ということなんだけど、「客」という視点が抜けている。あのワニの漫画の100日目は2020年3/21現在、74.1万RT、ファボ204.1万もされている。つまりコンテンツ楽しんでる側の客は204万人がいいねしてんだよ。

この204万人はワニが死ぬことを楽しみにしてきたやつで、ちゃんと死んでよかったと思っていいねしてんだよ。製作者側が死をビジネスにして死者に敬意を払ってないというなら、それに群がってたこいつらはなんなんだよ。同様に死を楽しみ、コンテンツとして楽しんでた同類だろうが。そこに金稼ぎを見出すか、見出していないかの違いこそあれ、死を楽しんでた同類だろうが。きちんとユーザーにも怒れ。まあブログ宣伝のためのファッション怒りだろうからしないんだろうけど。

死を売り物にするコンテンツが悪いの?

「作者が、自らがクリエイションしたキャラクター思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感するのだが、(中略)今回のはその俎上にも上っていない、論外である。」

としてるけど、うーんなんだろう。じゃあアブドゥルを殺した荒木自然と湧き上がってくる弔意があるはずだから、喪に服して連載を止めろみたいな話なんですかね。アブドゥルが死んだとき、「え?マジでアブドゥル死んだの?」と思っただけでページを捲った俺は死者に敬意を払えない人間ってことですかね。まあそれでもいいけど。

この世の大抵の漫画なんて、死をコンテンツとしてるといっても過言じゃないだろ。意外なキャラをどう死なせるかとか、クソキャラをどう惨たらしく死なせるかとか、死ぬ必要はなかったけど話の都合上このキャラは死なせたよねとか、そういう作品ばっかじゃん。ガンツとかまどマギとか学校ぐらし!とか。

そういう漫画は、「死は儚い」とか「親友の死を乗り越えて成長」とか(寒々しい)テーマ乗っけて話を展開させてるんだけど、「死」をコンテンツとしてるのは違いないだろ。そういうのワクワクしてるのが俺らユーザーなんだよ。それともテーマが乗ってりゃ満足なのか?今回のワニも、「死は唐突理不尽です」みたいなテーマはありそうだけど、それでもこの人は許さなくて、「死を利用して喪に服す間もなく商業展開していくのが気に食わない」って話だろ? 俺には全部「キャラの死を利用して話を描いていく」前述の漫画と同じに見えるけどな。構成が違うだけで。

死を不誠実に扱うからこそ生まれコンテンツもあるのでは?


「ただ今回はメメント・モリ(死を忘れるな)的なもの作品の中核テーマとなっているわけで、『100日後に死ぬワニ』は『コマンドー』とは違い「死」そのものの重たさ、日常と地続きに唐突に・不可避的に訪れる喪失を描こうとした作品であろう。そういった作品が死をテケトーに軽々しく扱っているのはどういうわけだ。これはあまりにも不誠実だと思う」

いや、メメント・モリテーマなのはそうだけど、「メメント・モリを扱うときはテケトーに軽々しく扱ってはならない」ってルールはどっからきたの。全部お前ルールじゃん。

アブドゥルだってテケトーに死んだだろ。「お前がピンチでも助けない」とか唐突死亡フラグ立てて、その後すぐに仲間をかばって死ぬとか、テケトーやろ。少なくとも俺にはそう見えたぞ。

100日間丁寧に日常を描いて死んで見せたワニの方が、よっぽど丁寧にメメント・モリしてたけどな。

コマンドーキャラ適当に死んでもよし。俺の好きなキャラは軽々しく死んではないから重みが違う」なんて、人の死をランク付けするなんて何様だよ。

anond:20200321000620

マジレスすると、別に商業展開も何も悪いわけではない。ただ、商売にする人が、全員、作者自身も含めてワニを悼んでいないことが反感を生んでるんだと思う。

「悼む」というのは、この場合、ある人の人生やその死に対して、真摯な思いを抱いていることを意味する仕草であり、そういう態度表明のことである。ワニの死をいま「悼んで」いる人々は、言い換えれば「100日目に死んでしまうのだろうか…」と心配しながらその物語を見つめ続けていた人だ。ワニを身近に感じ、共に泣き、笑い、あるいは儚い存在としての自己投影してきた人々だ。そういう人に対して、その関心の持ち方自体がすでにゲスいだろ、という批判散見されるが、それを言うなら当然それを商売にするのはもっとゲスいことになってしまうので、批判への批判としては意味がない。そういう人を批判できるのは、「そういうゲス漫画最初から読まない」というスタンスをとっていた人だけだ。

したがって、「悼んでいる」人から見れば、「悼んでいない」作者、商業展開に関わる広告業者、出版社の人々はみな、心情的に同志ではない。なぜなら、彼らはワニを「悼んで」いないからだ。たとえば葬式の場で遺産の話をあけすけにし始める親戚のようなものだ。彼らは「悼んで」いない、それが、それだけが感情的反発をもたらす。「どうせ貰うんだから一緒でしょ」「所詮フリでしょ」「タイミング逃したら大事な話(商業展開)ができないっしょ」……等のもろもろは、確かにその通りだとしても彼ら遺族の不興を止める根拠にはならない。彼らの感情的批判を止める種にはならない。

ただ、たぶん作者、広告業者、出版社の人々もそんなことは分かっているのだろう。そして、そうしない理由はただ「多少の不興を買って炎上しても結局は儲かるからいいだろう」なのだろう。いや分かってる。彼らのお客さんはただ「流行りに乗りたい」人々だけだからだ。「なんか話題になってるんだっておもしろそー。」って理由で本を手に取って「うわー、泣けるー」って言ってくれる(チョロい)人々だ。決して、ネットポチポチ毎日無料SNS無料広告漫画を見続けてきたファンではない。彼らにとってファンとは、ただ話題を作るだけの存在だ。作者、広告業者、出版社から見れば、話題を広げてくれる物好きなボランティア、言ってみれば読ませてやる代わりに無料で使える下働きなのだろう。彼らにとって「読者」とは、実際に小銭を出して何かを購入してくれる「お客様」のことなのだ。そして、「悼む」仕草は前者にのみ効き、後者には効かない。だから彼らは「悼まない」。分かりやすい話だ。何ならこれまでもさんざん繰り返されてきた構図だ。

この問題の背後にあるのは、「作品は誰のものか」という古くからあるテーマだ。

作者、広告業者、出版社は、全て「作品は俺(たち)のものだ」と思っている。俺(たち)が作り、俺(たち)が計画し、俺(たち)が煽り、俺(たち)が成功した、その結果だと思っているのだろう。だが、それは正しくない。「読み手のいない物語」というのは「誰にも解読できない言葉」と同じで、そもそも意味がない。すべての「物語」は「誰か」に向けて語られるものであり、その前提でなくてはいかなる物語存在しない。いかなる孤高の作家であろうとも、自分の書いたものを「読む人」を想定して作品を書かない人はいない。この、想定される読み手のことを「(作品に)内在する読者」と言ったりする。

一方で、作品には、更に大きな意味一種社会現象としての側面がある。ある時代タイミング社会に送り出された作品は、そういう「文脈」をもって読まれ、受け止められることを避けることはできない。たとえば、KAN皮肉のつもりで作った「必ず愛は勝つ」が皮肉でない意味流行したが、この場合作品の「正しい読み」は皮肉なのだいくら作者が叫んだところで、意味がない。この場合、多くの人がそう受け止めたという事実があるのであって、多くの人のその受け止めが「間違っている」ということにはならないのだ。その原因を作品内部に求めることは、全く不可能ではないだろうがあまり意味がない。多くの人に受けたという現象がその作品歴史に残すのであって、内在する意味が残すのではない。これは「外在する読者」ということになる。

これらの考察から分かることは、作品は「誰か特定の側のものではない」ということだ。そして、一定の読者を想定して作者、広告業者、出版社うつキャンペーンは、それ自体として作品の一部であり、かつまた、それらの行為によって「外在する読者」自体も変化する(新たなファン流入する)という形で、両者は相互に影響しあうということだ。何なら、「旧来のファン文句をつける」という行為まで含めて、それは作品の一部なのだ。ある作品評価するなら、それを全て含みこんで論じる必要があるだろう。

今回の作品やその展開は、革新的だと褒める人もいるが、使用した道具が新しいだけで、特に手法として新しいわけではない。このようなメディアミックスによる話題作りは、明治の終わりころから新聞小説などでもよく見られた手法だ。何なら、広告宣伝というものが世に生まれたそのときから普通に行われてきた手法だ。彼らがみたところ「節操がない」のは、今に始まった話ではない。広告宣伝に関わる人は、自分自身のそういう性質を十分理解しているから、そういう批判を全く気にしないのだから批判者も、今更彼らに良心など期待しない方がいい。

ブックマークお気に入りに入れてるid:lady-joker氏がよく似たエントリを上げていて面白かった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217

いや、まあ大体そういうことなんすよ……。

2020-03-20

野生の猫ちゃんなんか平均2年くらいで死んでるらしいし、100日とかではないけど儚い存在なんだよね・・・

2020-02-01

30〜40代の人が「えっ!?○○からもう○十年経ったの!?」とか言って驚いてみせる文化キショすぎる。

10年は長い」なんていつまで錯覚してんだよ。俺たち人間なんてあっという間に80年経ってあっという間に死ぬんだよ。命なんて儚いんだよ。

そんなもん20代のうちに気付いとけよ。

2020-01-27

テン年代俺的最強ゲームベスト10

いちゲーオタ中年男性ハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。

特別賞『Doki Doki Literature Club!(ドキド文芸部!)』(2017/PC

のっけから特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。

でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。

個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現絶対不可能

本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。

でも、これだけは言わせてほしい。

本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。

その(一見破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対

ああ、すっきり。

では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます

10位  『ASTRO BOT Rescue Mission』(2018/PSVR)

「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」

ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。

僕はかなり潔癖症から、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。

けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVR新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。

ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。

9位  『ショベルナイト』(2014/PCほか)

「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」

あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。

プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品であるアイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。

そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。

8位  『Undertale』(2015/PCほか)

このゲームの印象を喩えて言うなら、

久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感嫉妬軽蔑と相いれなさのような感情腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。

正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。

もし未プレイだったら、このゲームはできればPCsteam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリコンシューマー勢なので、ゲームPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利ナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。

作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二糸井重里系譜に連なる倭人王道シナリオコピーライターと感じる。

確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。

2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。

7位  『デラシネ』(2018/PSVR)

その山の森の奥には古い洋館があった。

庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。

君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。

俺は黙って君を見つめていた。

君は俺に気づかない。

俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。

ああ、なんだかこのゲームやってると批評目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。

本作は「VRで描かれた古典的AVGアドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。

VRしか描けない世界情緒に対して、あまり意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。

『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。

6位  『バウンド 王国の欠片』(2016/PS4/PSVR

もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。

かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女サイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。

しかPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。

画を作っているサンタモニカスタジオゴッド・オブ・ウォー風ノ旅ビト他)の仕事はいだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事白眉と言える。

とにかく、思わず自分少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつ世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。

そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」しか言い様のない儚い感情だ。

5位  『INSIDE』(2016/PCほか)

書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。

が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。

実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。

終盤の怒濤の展開と比類なき生命描写インパクトに心奪われるが、本作の真骨頂木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔心持ちを強く喚起させる。

俺にとって『INSIDE』とは、自己内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分世界との乖離自覚するための尖った注射針であり、神なき世界宗教である

灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。

4位 『スプラトゥーン』(2015/WiiU

人の生には「もっと幸福な時期」というものがたしか存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。

俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっと幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから

そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったか確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。

プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。

が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。

その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。

ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっと幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的理由だ)。

ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。

3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である

3位  『ARMS』(2017/Switch

それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元昇華された「理想的格ゲー」であった。

スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。

そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。

やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアル大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初最後だろう。

余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。

いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sportsゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。

2位 『Rez infinite』(2016/PSVR

2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。

2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器PS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。

AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後体験だった。

それは精神開放であり、身体解放だった。言葉遊びに非ず。

これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。

そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。

1位 『とびだせ どうぶつの森』(2012/3DS

Rez infiniteからまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。

あれだけ昔からどうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか? 

お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。

だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から仮想世界」における、人間存在理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。

一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中ゲームファンに「もうひとつ世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつ生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。

どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。

が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。

それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズド世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——

要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的神秘的なアトモスフィアに由るものだ。

カフカ『城』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。

そういうわけで、本作を迷わずテン年代1位に据えたいと思う。

※※※※※※※※※※

長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました

余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。

でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分重要度みたいなものぼんやり浮かび上がってきたので。

異論提言はもちろん、よかったらあなたテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。

ああ、10年はDECADE(でっかいど)。

2020-01-26

anond:20180318234433

なんというか、自分がとにかく相手に惚れてアタックした上で「誰の一番にもなれない」と嘆くなら分かるけど、アンタはそもそもダレダレ君の一番になりたいと望んだことがないやんと

例えば朝掃除のおばちゃんニコッとしてもらうだけでもまずこっちが繰り返し(真意は置いといて)親愛のポーズをとらなきゃ無理なのに、人の心に食い込もうとする努力や執念ゼロヘラーっとヌボーっと時を過ごすだけの人が生きた誰かの一番になるなんて無理に決まってるやん

正味アンタみたいな人なんてたくさんいるけど、そのまま死んでいくのが嫌になって一念発起するかマジでそのまま死んでいくかどっちかになるだけでヌチョヌチョヌチョヌチョ自問自答するほどの話ですらない

自分欲求の薄い儚い存在…人と違うのが少し悲しい…というようなことを思って酔っていればいい

最初から己の立ち位置ややるべきことをふんわり受け止め続けたからそんな麻痺したようになってるだけで寝たきり老人が腹筋できないようなもんでかっこいいことじゃないわ

2020-01-13

成人式の思い出

もう随分昔になるけど、自分成人式ときのことを書いてみる。

それほど裕福な家庭というわけではないけど、せめて晴れ着くらいはと両親は知り合いの呉服屋に頼んで一揃え買ってくれた。大学卒業式の袴も無料レンタルというオプションがあって、それも一緒につけてもらった。今思えば成人式用でそれほどいいものでもないけど、思い出として大切に取ってある。

成人式当日はこれも呉服屋オプション着付け会場が決まっていて、成人式の会場で朝の7時くらいか着付けが始まった。スタイリストさんが言うには「早い子は5時頃からやってる」ということで、あちこちに晴れ着姿や髪だけセットアップしてもらっている子がいた。

その後、成人式まで時間があるので一度父の車で家に帰り、写真撮影大会が開かれる。どこでポーズしてとかそこに立ってろと父母がカメラを片手にバシャバシャ撮りまくる。早起きして眠いのもあり、この時点で結構疲れてくる。

成人式時間になり、再び会場へ向かう。会場には晴れ着姿の女性ばかりで、正直誰が誰なのかわからない。何人か中学同級生を見つけて「久しぶり~!」などと盛り上がる。

会場では中学ごとに席が決められていた。そういえば仲の良かった子が成人式実行委員会やってるとか言っていたなと思い出す。式が始まって、最初こそシーンとしていたが会の進行がかなりグダグダだったため、祝辞などよりも隣に座る旧友との昔話に花が咲いてしまう。一応大人として話を聞こうかとも思ったけど、真面目に何を言っているのかよくわからなかったので聞くことを放棄してしまった。なんか話が終わった後にレクリエーションがあります、みたいなアナウンスがあったけどほぼ参加した人はいなかったようで皆ロビーへ出ていって昔話の続きをしていた。

今思えば敗因は「若い人の手で作るナントカ」というのが流行っていた頃なので若い人に任せた結果、かなりグダグダになったのではないかと思っている。実行委員会というより、それを丸投げした市側にも相当問題があったのではないだろうか。

ロビーでこれまた懐かしい顔に何人か出会う。中でも印象に残っているのが「今お水やってんのー!」と言っていた友人。彼女とはそれきりだけど、今は何をしているんだろう。

家に帰ってくるとお祝いとして親戚を数人呼んで軽い食事会になっていた。この辺は着物に疲れていたのであまり覚えていない。食事会のあと着物を脱いで、ぼやーっと違う自治体成人式に出ている彼氏メールするなどする。

夜はクラス会があるということで参加。仲の良いクラスだったので出席率も90%くらいで楽しい夜だった。高校卒業して働いている奴とか妊娠している奴とかいろいろあって大変な奴とか面白かった。ただみんなこうやってそれぞれの道で大人になって行くんだなと思った。

クラス会の後は自然発生的にカラオケになった。徒歩で行けるカラオケ屋では既に他のクラスの2次会が行われていて、カラオケ屋全体が成人式の2次会のようなものになっていた。そこで中学時代1番仲の良かった友達に再開し、カラオケ屋のロビーアイスを食べながら駄べり、他のクラスの部屋に突入して「久しぶり~!」をかましたり、そんなこんなで駄べり倒したような気がする。

あんなにベタベタした夜はもう二度と訪れないと思っている。冬の寒さだけは身に染みるのに、気持ちだけ子供に返って、でも体はすっかり大人になってしまってそんな子供時代に別れを告る夜。今でもあの日食べたアイスの味は忘れられない。ただのソフトクリームなのに、すごく儚い味がした。ただそれだけ。

2020-01-02

思い出を食べるということ

獏という生き物は人の夢を食べるという。では夢とはなんだろう。科学的にもそれは結論が出ていないそうだが、私は夢とは思い出なのだと思う。もちろん夢として発現したとき、思い出とはとても言えないような荒唐無稽な内容になることもある。でもそれでも、その夢を作ったのは私たち記憶であり、すなわち思い出なのだ。つまり獏とは、人の思い出を食べる生き物であると言える。

ではなぜ獏は思い出を食べるのだろうか?それは簡単だ。甘美だからだ。人の思い出はいつも美しい。甘いとは限らない、苦いかもしれない、酸っぱいかもしれない、しかしそれは甘美な苦みであり酸味である特に他人にとっては。一度その味を知れば、もう人は人間には戻れない。獏という化け物として生きるしかない程に。

突然だが、皆さんは男女の友情というものを信じるだろうか。意見割れる話だと思うが、私はそれは儚くも存在するものだと思っている。儚いからこそ美味しいのだ。

女を抱くときに、最も燃える要素はなんだろう。美しいことだろうか、魅力的な体をしていることだろうか。それらも勿論大事な要素だ。だが、バックグラウンドの、思い出の量が最も大きな燃料になると私は思う。長年の友人を抱いた時、困難なプロジェクトを切り抜けた職場の同僚を抱いた時、そしてその関係がただ一時の快楽に終わらず、私たち関係を蝕んでいくことを感じながら彼女たちを抱くとき、私はこの世のものとは思えない快楽を感じる。快楽を感じただけ大切な思い出を失っていることに、たまらない快楽を感じるのだ。私の心も、相手の心も思い出のあの頃から変質し、ただお互いを貪っていると感じている時のあの幸福感を、どうか皆さんにも味わって欲しい。

一つ覚えておいて頂きたいのは、思い出は有限であるということだ。いつかあなたはそれを食べ尽くしてしまうことだろう。だが、限りある思い出を意地汚くも最後の一滴まで貪るあの快楽を、どうかあなたにも。

2019-12-21

anond:20191221230144

女の子になりたい」という願望は、見た目が女の子になりたいじゃなくて、

社会的女の子のように扱われる立場になりたい」っていうニーズ儚い願望もあるんだよな・・。

成人したあとでもモラトリアムが続いているような状態じゃん、経済自立しなくてもなんとかなるみたいな。いいよなあって思う。

履歴書に「家事手伝い」で許されていた時代、みたいな。いまじゃあ女でも辛い気もするけど。

2019-12-17

帰宅して一息ついた瞬間にそれは起こった

ペリペリペリ……という軽快な音が下半身から響いた

椅子に座ったときに、うっかりチラシでも踏んづけたか

そう思って顔を下ろすと、長年履いてきたGUの黒いスキニーパンツの股の部分が大きく引き裂かれる音だった

椅子に座っただけなのに

スキニーパンツ最期儚い

てなわけでオススメの黒スキニー教えてください

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