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はてなキーワード: 新聞小説とは

2023-04-14

ポンコツ語源は?

昭和34年新聞小説ポンコツ」が語源と言われている。

ぽん、こつん。ぽん、こつんポンコツ屋は、タガネとハンマーで、日がな一日古自動車を叩きこわしている

という一節がある。

まりポンコツとは「ぽん」「こつ」という擬音が由来。



https://gogen-yurai.jp/ponkotsu/

2022-04-08

anond:20220408101309

今も新聞小説はやってるけど、朝刊夕刊ともに歴史モノだね。

渡辺淳一作品けが特異な感じ。

2020-10-13

文字が読めれば楽しめるレベルの娯楽

のフリをして新聞小説民衆啓蒙したのが夏目漱石凄さ

現代にもそういう効果のもの必要な気がする。

SNS増田5ちゃんやっててもちっとも賢くもならんなと

我が身を振り返っても思う。

2020-07-16

anond:20200716151032

いっそ夏目漱石こころを、教科書範囲だけでなく全編読むのもオススメする。

新聞小説から引きがうまくテンポがいいよ。

あーでも普通にいか最初短編の方がいいかなー

2020-03-21

anond:20200321000620

マジレスすると、別に商業展開も何も悪いわけではない。ただ、商売にする人が、全員、作者自身も含めてワニを悼んでいないことが反感を生んでるんだと思う。

「悼む」というのは、この場合、ある人の人生やその死に対して、真摯な思いを抱いていることを意味する仕草であり、そういう態度表明のことである。ワニの死をいま「悼んで」いる人々は、言い換えれば「100日目に死んでしまうのだろうか…」と心配しながらその物語を見つめ続けていた人だ。ワニを身近に感じ、共に泣き、笑い、あるいは儚い存在としての自己投影してきた人々だ。そういう人に対して、その関心の持ち方自体がすでにゲスいだろ、という批判散見されるが、それを言うなら当然それを商売にするのはもっとゲスいことになってしまうので、批判への批判としては意味がない。そういう人を批判できるのは、「そういうゲス漫画最初から読まない」というスタンスをとっていた人だけだ。

したがって、「悼んでいる」人から見れば、「悼んでいない」作者、商業展開に関わる広告業者、出版社の人々はみな、心情的に同志ではない。なぜなら、彼らはワニを「悼んで」いないからだ。たとえば葬式の場で遺産の話をあけすけにし始める親戚のようなものだ。彼らは「悼んで」いない、それが、それだけが感情的反発をもたらす。「どうせ貰うんだから一緒でしょ」「所詮フリでしょ」「タイミング逃したら大事な話(商業展開)ができないっしょ」……等のもろもろは、確かにその通りだとしても彼ら遺族の不興を止める根拠にはならない。彼らの感情的批判を止める種にはならない。

ただ、たぶん作者、広告業者、出版社の人々もそんなことは分かっているのだろう。そして、そうしない理由はただ「多少の不興を買って炎上しても結局は儲かるからいいだろう」なのだろう。いや分かってる。彼らのお客さんはただ「流行りに乗りたい」人々だけだからだ。「なんか話題になってるんだっておもしろそー。」って理由で本を手に取って「うわー、泣けるー」って言ってくれる(チョロい)人々だ。決して、ネットポチポチ毎日無料SNS無料広告漫画を見続けてきたファンではない。彼らにとってファンとは、ただ話題を作るだけの存在だ。作者、広告業者、出版社から見れば、話題を広げてくれる物好きなボランティア、言ってみれば読ませてやる代わりに無料で使える下働きなのだろう。彼らにとって「読者」とは、実際に小銭を出して何かを購入してくれる「お客様」のことなのだ。そして、「悼む」仕草は前者にのみ効き、後者には効かない。だから彼らは「悼まない」。分かりやすい話だ。何ならこれまでもさんざん繰り返されてきた構図だ。

この問題の背後にあるのは、「作品は誰のものか」という古くからあるテーマだ。

作者、広告業者、出版社は、全て「作品は俺(たち)のものだ」と思っている。俺(たち)が作り、俺(たち)が計画し、俺(たち)が煽り、俺(たち)が成功した、その結果だと思っているのだろう。だが、それは正しくない。「読み手のいない物語」というのは「誰にも解読できない言葉」と同じで、そもそも意味がない。すべての「物語」は「誰か」に向けて語られるものであり、その前提でなくてはいかなる物語存在しない。いかなる孤高の作家であろうとも、自分の書いたものを「読む人」を想定して作品を書かない人はいない。この、想定される読み手のことを「(作品に)内在する読者」と言ったりする。

一方で、作品には、更に大きな意味一種社会現象としての側面がある。ある時代タイミング社会に送り出された作品は、そういう「文脈」をもって読まれ、受け止められることを避けることはできない。たとえば、KAN皮肉のつもりで作った「必ず愛は勝つ」が皮肉でない意味流行したが、この場合作品の「正しい読み」は皮肉なのだいくら作者が叫んだところで、意味がない。この場合、多くの人がそう受け止めたという事実があるのであって、多くの人のその受け止めが「間違っている」ということにはならないのだ。その原因を作品内部に求めることは、全く不可能ではないだろうがあまり意味がない。多くの人に受けたという現象がその作品歴史に残すのであって、内在する意味が残すのではない。これは「外在する読者」ということになる。

これらの考察から分かることは、作品は「誰か特定の側のものではない」ということだ。そして、一定の読者を想定して作者、広告業者、出版社うつキャンペーンは、それ自体として作品の一部であり、かつまた、それらの行為によって「外在する読者」自体も変化する(新たなファン流入する)という形で、両者は相互に影響しあうということだ。何なら、「旧来のファン文句をつける」という行為まで含めて、それは作品の一部なのだ。ある作品評価するなら、それを全て含みこんで論じる必要があるだろう。

今回の作品やその展開は、革新的だと褒める人もいるが、使用した道具が新しいだけで、特に手法として新しいわけではない。このようなメディアミックスによる話題作りは、明治の終わりころから新聞小説などでもよく見られた手法だ。何なら、広告宣伝というものが世に生まれたそのときから普通に行われてきた手法だ。彼らがみたところ「節操がない」のは、今に始まった話ではない。広告宣伝に関わる人は、自分自身のそういう性質を十分理解しているから、そういう批判を全く気にしないのだから批判者も、今更彼らに良心など期待しない方がいい。

ブックマークお気に入りに入れてるid:lady-joker氏がよく似たエントリを上げていて面白かった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217

いや、まあ大体そういうことなんすよ……。

2019-11-23

anond:20191123115918

細かく話を切らないといけないとか、特定タイミングであがることが想定されるとか

なんとなく新聞小説っぽいな。そのうちその形が銀の匙授業みたいに活用されたりしそう

2015-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20150301110935

文章まり上手くないなーと思いつつ、新聞小説を読む気分で楽しんでいる。

めちゃくちゃ面白いわけでもないが、これまで主人公立場が二転三転して、続きが気になるようにはなっている。

頑張れ。

2014-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20140514202000

サイト見たが

あそこで小説読む気はしない。

ツイッターとかハイクとかでこつこつ投稿したりする方が読まれるんじゃね?新聞小説みたいに。

小説全然興味ない人間意見からほんとに実行してウケなくても怨むなよ。

2012-02-02

ある上司の死

上司といっても、核上の人。平の自分にとっては年に数回、関わるくらいの上司

それでも、私よりちょっと上の上司たちにとっては欠かせない上司

ところが、彼らに対してパワハラ同然の狼藉を働いていた人であったのは本当の話で、噂レベルではあるけど、それが原因で自殺した人もいるとかいないとかというくらいひどい上司でした。みんな、彼がこの春に別の部署にお引越しされるのを心待ちにしていたのですが、数日前、ありがちな病気のために一人ぼっちで死んでしまいました。もちろん普通に家族もいます

葬式に参列するくらい深く関わっていた直属の上司は微笑んでました。人を呪わば穴二つ掘れという言葉があるので、そこまで言うのはどうかという思いとそうされても仕方ないかという思いがせめぎあっていたのですが、ああいう人でも、たぶんその瞬間の数分前か数時間前まで「家に帰ったらあの番組を見よう、明日新聞小説の続きはどうなっているのだろう?」とたわいもないこというか、普通にくると信じきっていた「明日」のことを考えていたのかもしれないと考えながらこの日記を書いていると、情けない話ですがで泣けてきました。

この日記が、総務に託した3000円の香典袋と同じくらいの供養になればいいかな。

2010-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20100413100832

新聞小説のもっと短くなった版になるんじゃね?

1回140字ってきついよな。

やるんなら筒井康隆さんにやってほしい。

こういう実験的なの得意そうじゃね?

 
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