はてなキーワード: Icuとは
最近、World Organizationの研究者たちにより『Pathogens』に掲載された論文によれば、新型コロナウイルスによる長引く後遺症が「EBウイルス」と呼ばれる、既に体内にある別のウイルスの再活性化によって引き起こされていることが示されました。
新型コロナウイルスに感染すると、体内で潜伏状態にあったEBウイルスが目を覚まし、「脳の霧」に代表される、長期的な後遺症を発症させていたようです。
つまり人類が戦っていたのは、新型コロナウイルスとEBウイルスの両方だった可能性が高いのです。
https://nazology.net/archives/95025
イタリアでは、新型コロナウイルスに感染してICU入りした重症患者の95.2%でEBウイルスの再活性化を確認。
またフランスでもICU入りした重症患者の82%、オーストリアにおいても、ICU入りした重症患者の78%でEBウイルスの再活性化が確認されます。
これらの結果は、新型コロナウイルスによるパンデミックの陰で、EBウイルスによるパンデミックも起きており、人類は2種類のウイルスの連合軍と戦っていたことを示します。
つまり新型コロナウイルスに感染し「無症状」で済んだとしても、EBウイルスが再活性化してしまった場合は、EBウイルスの感染症状としての「後遺症」が発生する確率が上がります。
感染者数は連日発表される。重症者数も、死亡者数も発表される。
でも、重症者のうちどれだけの人が未接種か、というデータにアクセスするのがとても難しい。
自分自身、ワクチン接種ゼロ回なんだけど、その数字によって今後の接種を決めようと思っている。
だから一生懸命にその数字を探すのだけど、なかなか見つけられない。
「接種済みの感染者が1000人います。そのうち50人が入院しました。
未接種の感染者が1000人います。そのうち100人が入院しました。」
例えばそんなデータを見せられたら、ワクチンを打とうかなという気になる。
もし未接種の自分が感染すれば、接種済みの場合とくらべて高い確率で重症化するというのが怖いから。
さらに「うちの病院ではICUの患者のうち多くが未接種です」と言われれば、
病院側も未接種の重症者を、予防を怠った患者として冷たい目で見るだろうと思う。
ゼロコロナで期待されていたのはーゼロコロナを目指す人にもいろいろいた*わけだがー
だろうか
当初のゼロコロナのモデル国としてはNZ、Taiwan, R.O.C.などが挙げられ、「ゼロコロナを達成した国は(いろいろ対策をしながらも)こんなにハッピー」のような情報が回されていた。公園には子供がもどり、街角のカフェでは(ソーシャルディスタンスに注意しながら)歓談する姿が・・・のように。
①の意味で恐れられていたのは 何と言っても「医療崩壊」であろう。医療崩壊にもさまざまなレベル/グレードがあり 自宅放置中に死亡はすでに医療崩壊という見方もある。一方、感染者が何百万人生じようと全員注意深く医療が受けられ、その中から重症者が何十万人生じようと、全員速やかにICUでちゃんとした-1,2週間程度で社会復帰できるような-治療を受けられればいいだろうという考え方もあり得る。
もう一つあり得るとしたら「後遺症」の恐怖であろう。ECMO、全身麻酔で3か月がんばって命が助かったとしても、肺は瘢痕化し、発症前レベルまでに完治できるとは思えない。少なくとも足腰はへろへろだろう。倦怠感の持続、脱毛や不治の嗅覚脱失の惧れも含まれる。
*ゼロコロナ過激派には「2019年秋(夏)以前の世界を取り戻す。ワクチンも手洗いも不要、ソーシャルディスタンスも不要な世界の再来を」という人もいた可能性がある
※コロナはポジショントークになりがちなので、とりあえず俺のポジションということです。
オミクロンに置き換わって以来ずっと不思議に思っていることがある。
コロナは当初、武漢肺炎と言われたこともあり、肺炎を引き起こす風邪ということで対策とKPIが設定されていた。
実際は肺炎は合併症の一つであり、最も多く発生しているから肺炎症状をもとに数字を集めて対策されていったと思う。
例えば
といった具合である。
オミクロンが肺に興味がない株ということはわかっているわけであるが、それじゃあ肺炎基準でKPIをとっている以上、全員軽症だよね。
現在コロナでICUに入っている人が東京で200人以上いる(いわゆる国基準の重傷者数)わけだが、その中で人工呼吸器つけているのが3人だから東京都基準では3人という発表なわけです。
で、死者数が増えるだけっていう話だよね。
それ大丈夫なん?
コロナで血栓症発生してしんでも、軽症者が死亡したことになるわけでしょ。
サイトカインでどうのこうのってなっても軽症者が死亡したことにあんるわけでしょ。
でまぁ、問題になってくるのは、肺炎以外の合併症は基礎疾患を多数持っていて基礎体力が落ちている高齢者が中心ということですよね(多分
加えていうならば、それだけ多数の陽性者が出ているならば、もちろん保健所では見きれないし、容態が悪くなったら自力で病院に行かなくちゃいけなくなるわけだよね。
独居老人の多い首都圏でじーさんばーさんが自分で救急車を呼ぶわけだ。
で、軽症者が救急車を呼んで現場を逼迫させているとかいい出すわけでしょ。まぁそれはいいか。
話がそれてきたのでこの辺で切るけどさ。
なんていうか5類だとかなんとか言ってる人たちって、敵国の軍艦ばかり気にしていて潜水艦の接近に全く気づいていないでのんきに酒盛りしているように見えるんだよね。
一通り感染し終わるまでオミクロン株は止まらない可能性がある.
その場合、ICU入室者の選別をしないといけない時が来る。この時ワクチンの接種歴を判断材料にするのは妥当だろうか?.
つまりICUが1室しか無く、成人ワクチン接種者と成人ワクチン非接種者が入室する必要がある場合、ワクチン非接種者を諦めると言う選択だ.
残念ながらワクチン非接種者の成人は生存する確率が相対的に低いため医療資源の投入が無駄になる可能性が相対的に高くなる.
ワクチン非接種者の人たちはこうなることをある程度予測していたんだと思う。そんな自己犠牲をはからなくても良いのにとは思うが、そういう人たちだったんだろう。
可哀想に。。
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
眞子氏が小室氏と出会ったICUという大学では、入学式で新入生みんなが「学校生活において世界人権宣言を遵守すること」を誓う学生宣誓に署名する。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/
みなさんは、その世界人権宣言の中身ってどんなものか知ってますか。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第四条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第六条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第七条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第八条
すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第十一条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第十二条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第十三条
これで全部。眞子氏の境遇に照らしてみれば、皇籍離脱前の彼女の人権がどれだけ制約されていたかが改めてわかる。民主主義国家を標榜する日本で、大半の日本国籍の人々が当然のように享受している人権の多くが制約された、とても特殊な立場の人が、自らこの大学への編入を選び、4年間の教養教育で人間中心主義(humanism)の理念と気風を涵養され、立派に「人間」になった。というか、人間としての自覚を得た。そういうことなのだ。
ちなみに天皇は敗戦後に「人間宣言」したと言われているけど、実は「ぼかぁ人間なんです、すまんかった」などとは言ってない。原文の官報詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(1946/1/1)、別名『新日本建設に関する詔書』に書かれている該当箇所は
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
となっている。「天皇は現御神で、日本国民は優越民族で、世界を支配する運命にある」という戦前に言ってたことは「架空なる観念」でした、としか言っていないのだ。じゃあ現御神ではなくなった天皇が戦後どうなったかといえば、「日本国及び日本国民統合の象徴」になった。それはもはや神ではないし、といってただの人間=日本国民でもない。それは「日本は一体である」という(敗戦後にギリギリの交渉の結果残すことができた)国民国家のファンタジーをまるごと引き受ける、人間ではない何かだ。天皇と皇族は「平和憲法を遵守する新国家」を象徴する「何か」として、常に国民をいたわり思いやる理知的で心優しいファミリーの役回りを多世代にわたって演じ続けることになった。それって、ありていに言えば「人形」でしょ。
かつてのように神聖不可侵でもなく、かといって市民・国民としての人権を与えられてもいない「人形」は、やがては人々のおもちゃにされてしまう。今はみんながそれを使って「人形遊び」という娯楽に興じている。政治家や宮内庁職員や皇室ジャーナリストや評論家らが「本人が言った言葉」とその解釈のあいだにいくらでも恣意的な読み替えを挟み込むのも、メディアが皇居というドールハウスの内情について真偽不明のゴシップを書き立てるのも、辛酸なめ子や倉田真由美が赤の他人同士の結婚について大仰に憂いたり消耗したり絶望したりしてみせるのも、本質は人形遊びだからだ。相手が人間ではないから、そういう非人間的な扱いをしても許されるし、人形のほうが「与えられた役柄」を勝手に逸脱し始めたら嘆いたり憤ったりしてもいいのだ。
本件をイプセンの『人形の家』をひいて論じていたのは、意外なことに山口真由ぐらいだったけど、今回の騒動を見ていて、天皇家が「人形の家」ではないと言い切れる人はだいぶ減ったんじゃないか。人形の家には人間は住めない。だから、人間になった眞子氏は人形の家を出た。
窮屈な人形の家を、人間が住めるような間取りと風通しにしてやらない限り、そのうちまた同じことが起こるだろう(直近では、同じ大学で同じように「人間」に目覚めてしまった佳子氏にも同じことが起きるかもしれない)。風通しを良くするには、これまで75年にわたって「人形遊び」をしてきた我々自身がこの遊びを卒業して、その他の「市井のなんでもない人々」に接する時と同じような儀礼的無関心を貫くことなんじゃないかと思う。ことさらの敬愛も嫌悪もいらない。ただの人間として扱い、他のただの人間に抱くような尊重の念を持って接しよう。
id:watapocoですが。私はこのブコメ見て以来2日位半分寝込む状態でした。
というのはid:aquatofana氏をお気に入りに入れていた元被虐待児だからです。
彼女の女性差別に対する発言には共感していたのだけど、被虐待児についてはこれほどまでに突き放せるのかと。
虐待の体験と生まれ持った性別・人種の比較において、生与の(それゆえ本人には全く責のない)後者こそが本来の属性だというのかと。
あのね、これすべての人に言いたいんだけど、誰が弱者かって子供以上の弱者はいません。
乳児でも幼児でも児童でも、子供は男女問わず人種問わずどんなにか弱そうな母親よりも肉体的に弱いです。
経済や権利の側面ではなおさらで、子供は親の許諾がなければ何一つ自由がありません。
おそらくですが、だからこそ子の虐待が起こるのだと思います。どんな人でも親になれば絶対的な権力者になれるからね。
はてブでは母による子の虐待が事件になると、ワンオペ育児かわいそう、父親はどうしたってコメントで埋め尽くされます。
そんなのこっちが一番わかっているんだよ。
被虐待児は親に迷惑かけてごめんなさいとしか思っていないんだよ!!!!
そんなのさあ、体を心を損なわれても、それが生まれついた環境以外に何の責がなくても
親は悪いんじゃないと思う子どもが(アーサーが母親の味方だったのは被虐待児としては虐待の記憶がなくてもそうなると思います)、
ほとんどな訳ですよ。
ICUに自身の学力で入ったから眞子様佳子様はゆるせんと思えるくらい、
自分が勉学に励める環境にいた訳ですよね。それが、それこそがすごく特権階級なのですよid:aquatofana さん。
眞子様佳子様は公務をやりたくてやっているのか?違いますよね。あなたよりはるかに勉学に励めないそもそも人権も制限されている環境にいた訳です。
あと眞子さんの経歴、ICU入学は一般受験じゃないし、東大博物館は眞子さんが勤務するために特別に作った博物館だよ
レスター大留学の経緯だってそれまで予定してた公務ブッチして勝手に留学行って、当時批判されてたの忘れたか
結婚発表からのニュースだけ見て勝手に「清楚な深窓の令嬢眞子さま」を妄想してただけじゃないか
金持ちの家に生まれたり、政治家の家に生まれたり、大なり小なり親ガチャってあるよな
好きに使えばいいと思う
小室や眞子さんが皇室パワーで忖度受けてたとしてもそれは即責められるべきことではないよ
個人的には明らかな皇室パワー使っといて「実力です」ってツラする眞子さんみたいなタイプは好きじゃないけどな
でも権力使って好きなことしただけの人の内心を想像して勝手に白馬の騎士とか自立とか気持ち悪いんだわ
運が良かった2人がロイヤルパワー使って好き放題して幸せに暮しました、終わり。
自立どころか、結婚してからも宮内庁職員が付き添ってるとこ見ると、今後もこの人たち皇室に関わってくるしメディアにも出てくると思うよ。
ごめん東大博物館が眞子さんのために誕生はいくらなんでもおかしかった
今の時点では噂に過ぎないが、NYの博物館が眞子さまのためと言われてるのと
上皇后が東大博物館職員に「眞子のための格好の職場を作ってくださってありがとうございます」と言っていた件https://www.news24.jp/articles/2017/12/02/07379450.html
が脳内で混ざったんだな
デマこいちまった
よくわかる解説でした。
小室さんのことはよく知らないけど、シングルマザーの恵まれたとは言えない境遇から見事ICUに入って留学してめちゃくちゃ努力した優秀な人だと思います。
ところで週刊現代の記者が小室母の相手方の代理人やってるのが弁護士法72条違反にならないのは何ででしょう?
業じゃないから?
本業へのネタ提供に付随して(引き換えで)やってたら十分業務性を帯びると思うんですよね。
借金問題の交渉がまとまらないのもむしろ、週間現代としてはこれ以上ない美味しいネタをいつまでも長引かせたくてわざと解決しないように引っ張ってるんじゃないかという想像が働くわけで。
「お母さんが1週間前から具合が悪くて、今朝電話したら床で寝てるらしい。さっき電話したけど繋がらない。明日の朝救急車を呼ぼうとお兄ちゃんとお昼に話しした」
姉は結婚し地元を離れており、私は実家から歩いて5分のアパートに暮らしていたので何か知っているのではと
電話をかけたらしい。
が、私は母親が具合が悪いことすら知らなかった。
私は基本的にLINEとか電話の類が嫌いだし、当時仕事がパンク状態で参っており、会社とアパートを往復する以外は何も出来ないような生活を送っていて、
それ以前にそもそも母親のことが好きじゃなかったので接触を避けていた部分がある。
母親と同居している兄にも連絡を取っているが携帯は繋がらないし、勤務先の番号も知らないと。
おそらく急を要する状況だ。なんで姉と兄が今日じゃなくて明日救急車を呼ぼうなんて言ってお互い納得したんだろう?と思いつつ、
2人とも私と色んな部分が合わない事はこれまでの人生で散々あったのは分かってる、それはいいから自分が出来ることをしようと思った。
私は会議をキャンセルし、実家に救急車を呼び、電車で1時間かけて搬送先の病院にに向かった。
救急隊からの電話で朦朧としているが意識はあるとのことだった。
隣町の搬送先の病院で検査したところ、発熱があるためコロナの危険もありその病院で受け入れられないので、発熱外来のある大きな病院に行ってくれと言われ、救急車に母と一緒に乗り、そこに向かった。
久しぶりに会った母は全く意識が無かった。
9時すぎぐらいに発熱外来のある病院に到着し、母にコロナの恐れがあり、私も接触してる可能性あるので発熱外来専用のプレハブ小屋に隔離され、待っていてくれと言われた。
私はテンパって会社を出たためコートを忘れており、二十畳ぐらいあるプレハブで、部屋にいるのが私ひとりで暖房を全開にしても寒くてしょうがなく、スマホのバッテリーも切れてしまい、パイプ椅子にへたり込みながらつまらないテレビを見ていた。
11時ぐらいに兄がやって来たが、「頭痛いから帰っていい?」と言われた。
私も上司や取引先からのストレスで色んなところが具合悪いんだけどと思いつつ、兄と同じ空間で息を吸うのもイヤだったのでいいよと言って返した。
夜の3時、ようやく医師から母親の状況が敗血症性ショックで相当まずい状況、コロナが原因か他の病気が原因かわからないということを告げられ、すぐ集中治療室にうつすと言われた。
頭がぼーっとなり、誰かに話をしなきゃと思ったが、スマホのバッテリーが切れていたので出来なかった。
なぜかよくわからないがプレハブからICUの家族用控室に移動していいよと言われ移動した。
ICUの控室はテレビはないがソファーがフカフカでパイプ椅子とは雲泥の差だった。暖房もしっかり効いて快適だった。
朝になりとりあえず一旦帰っていいですよと言われて少し眠った。
10時すぎ兄から電話が来て病院から電話が来たので一緒に来てほしいと言われた。
タクシーで病院に向かい、一緒に医師から死亡した旨を伝えられた。
姉はどうしても抜けられない仕事があり病院に来るのが昼以降になるとのことだった。
11時頃、PCR検査の結果が出てコロナ陰性だと分かったので母親と面会できることになった。
ただ寝てるだけにしか見えず、死んでいるのが信じられなかった。
国際基督教大学(ICU)に2020年9月、「オールジェンダートイレ」が設置されました。
このトイレは、いわゆる「多目的トイレ」や「誰でもトイレ」のように“大きめの個室が1つある”ものではありません。一般的なトイレのように個室が連なっており、ジェンダーに関係なくすべての人が利用できるものになっています。
男女別トイレの「使いづらさ」や「居心地の悪さ」を訴えていたセクシュアルマイノリティの学生たちの声に応えて設置されました。
オールジェンダートイレの設置に携わったICU学生部長の加藤恵津子教授は、「オールジェンダートイレは、人権を大切にするICUのポリシーの体現でありメッセージでもある」と語ります。
眞子さまと小室圭さんのご結婚、ネットニュースだと批判一色みたいな感じですけど、ほんとにそんな皆さん怒っているんですかね?私、かわいそうだとしか思えなくて。
小室さんのお母さんに何があったかはともかく、そもそも親と子は別人格なわけで、どんな手段で得たお金で育ったとしても子どもにはなんの説明責任もないと思うのです。ていうかお母さんとその元カレの話だから彼も事の次第全てを知ってる訳じゃないと思うんだけど。
あと、税金税金って皆言うんですけど、税金で暮らしてるんだから国民の言うことを聞けってのも本当に馬鹿馬鹿しいというか、お金払ってたら人の人生に口出しできるっていう思想が怖すぎるし、結婚という人生の根幹に渡る事柄を自分の意思以外の何で決めろって言うんですかね…せめてしおらしくしろ、みたいな感じもすごく嫌だ。
この結婚騒動で、日本人がいかに人権意識がなくて戦前みたいな親子観、結婚観かってことが浮き彫りになった感じがして、ヤフコメとか見ていつも悲しくなっています。まさに日本の象徴としての皇室…。
批判してる人の内実は結局、庶民が皇族と結婚して税金で贅沢な暮らしをするなんて許せん(だからせめて頭を下げろ)、って感じかなぁと察するんですけど、旧華族とかもともとのお金持ちに皇族が嫁いで一時金が支給されても何も言わないのに今回のこの騒動、弱い者が弱い者を叩く感じもして気持ちが落ち込みます。
私なりに背景をちょっと考えてみると、今の皇室のイメージって、ほぼ上皇さま(と美智子さま)が作ったと思うんですけど、天皇って言われて浮かぶ姿って、膝をついて被災者の話を聞いたり、世界各地を回って戦没者に祈る姿だと思うんですよ。
上皇さまは、戦後憲法における象徴天皇とは何か、を非常に突き詰めて、国民に支持される皇室でなくてはならない…と努力を重ねてきた方なんですよね。いつも腰が低くて、雨の日も雪の日も、自分が濡れても国民に傘を差し向けてくれる人、みたいなパブリックイメージ…そういう存在でなければ許されないと上皇さまが考え、そうでなくては許さないぞと思う国民がいる。私たちは、上質な衣食住の保障された特権階級の存在を認める代わりに、国民のための忠実なロボットを求めているのかもしれない(って書いて、宝石の国の金剛先生って天皇のメタファーかなと思った←漫画の話)。
でも本当は天皇だって人間なわけで、今回の騒動は、皇室の人が人間だってことを思い出させてくれるよい機会になるんじゃないでしょうか…(人間界から皇室に入った現皇后様も、ほんとに大変でしたもの)。
そもそも皇室の人には参政権も移動の自由も職業選択の自由もないですけど、そういう人たちを国に置くことが本当に正しいのか、皇室に関してもっと深い議論になればいいのになと思います。
私個人的に天皇制をなくした方がいいと思うかって聞かれたらすごい悩んじゃいますけど、でも今後、悠仁さまだって天皇になりたくなかったらならなくていいはずで、それを認めたらもう存続が怪しくなる制度なんて原始的不能なのでは、というような気もします。現行憲法下での天皇ってまだ2代目、全然歴史が浅くて矛盾だらけなんだなって。人間宣言してみたけど、人間扱いはされていない。
そして私は子育ての話としてもこの件を考えてしまうのだけれど、秋篠宮ご夫妻は子どもを学習院に入れないで外の世界も見ておいで、というふうに育てたわけで、それによって見識の広がった娘が自分の意思で結婚相手を選ぶことが出来たのだから、子育ての方針と結果が合致してる、つまり大成功してると思うんですよね。
親ってわりと子どもに矛盾をふっかけがちで、勉強はできて欲しいけど女の子だから東大はやめろとか、中高生がお洒落だ彼氏だって言うと色気付いたとなじるのに適齢期になって相手がいないと責めたりとか…するじゃないですか…。秋篠宮家の対応も、そういう矛盾したものに見えるのです。お立場があるから本心でどうお考えか分からないけど籠の外を見せたのは親だよね。しかもICUなんて帰国の子も多くて色んな価値観に触れられたでしょうからね。この状況はその結果として受け止めるしかないのでは…と思ってしまいます。
小室さんの留学は、皇室特権があってもなくても勉強は自分がやるしかないわけだから、無事卒業・合格・就職となれば、そりゃ努力の賜物で文句のつけようもないと思います。
批判コメント書いてる人ら、小室さんが鋼メンタルだと思って調子に乗ってるけど、自殺者出たら集団リンチで殺したことになるって認識あるんでしょうか。こんなの普通に心身病みます、眞子さまの不調も当たり前。ほんとにかわいそうでならない。みんなまるっと幸せになってほしいです。
ヤフコメは反対派の巣窟で、はてなは賛成派が多いの?そうなの?世論全体としては半々なの?ソースどこ…?世の中の人が何考えてるのかって、ネットでは把握できないものだなぁ。
眞子さまと小室圭さんのご結婚、ネットニュースだと批判一色みたいな感じですけど、ほんとにそんな皆さん怒っているんですかね?私、かわいそうだとしか思えなくて。
小室さんのお母さんに何があったかはともかく、そもそも親と子は別人格なわけで、どんな手段で得たお金で育ったとしても子どもにはなんの説明責任もないと思うのです。ていうかお母さんとその元カレの話だから彼も事の次第全てを知ってる訳じゃないと思うんだけど。
あと、税金税金って皆言うんですけど、税金で暮らしてるんだから国民の言うことを聞けってのも本当に馬鹿馬鹿しいというか、お金払ってたら人の人生に口出しできるっていう思想が怖すぎるし、結婚という人生の根幹に渡る事柄を自分の意思以外の何で決めろって言うんですかね…せめてしおらしくしろ、みたいな感じもすごく嫌だ。
この結婚騒動で、日本人がいかに人権意識がなくて戦前みたいな親子観、結婚観かってことが浮き彫りになった感じがして、ヤフコメとか見ていつも悲しくなっています。まさに日本の象徴としての皇室…。
批判してる人の内実は結局、庶民が皇族と結婚して税金で贅沢な暮らしをするなんて許せん(だからせめて頭を下げろ)、って感じかなぁと察するんですけど、旧華族とかもともとのお金持ちに皇族が嫁いで一時金が支給されても何も言わないのに今回のこの騒動、弱い者が弱い者を叩く感じもして気持ちが落ち込みます。
私なりに背景をちょっと考えてみると、今の皇室のイメージって、ほぼ上皇さま(と美智子さま)が作ったと思うんですけど、天皇って言われて浮かぶ姿って、膝をついて被災者の話を聞いたり、世界各地を回って戦没者に祈る姿だと思うんですよ。
上皇さまは、戦後憲法における象徴天皇とは何か、を非常に突き詰めて、国民に支持される皇室でなくてはならない…と努力を重ねてきた方なんですよね。いつも腰が低くて、雨の日も雪の日も、自分が濡れても国民に傘を差し向けてくれる人、みたいなパブリックイメージ…そういう存在でなければ許されないと上皇さまが考え、そうでなくては許さないぞと思う国民がいる。私たちは、上質な衣食住の保障された特権階級の存在を認める代わりに、国民のための忠実なロボットを求めているのかもしれない(って書いて、宝石の国の金剛先生って天皇のメタファーかなと思った←漫画の話)。
でも本当は天皇だって人間なわけで、今回の騒動は、皇室の人が人間だってことを思い出させてくれるよい機会になるんじゃないでしょうか…(人間界から皇室に入った現皇后様も、ほんとに大変でしたもの)。
そもそも皇室の人には参政権も移動の自由も職業選択の自由もないですけど、そういう人たちを国に置くことが本当に正しいのか、皇室に関してもっと深い議論になればいいのになと思います。
私個人的に天皇制をなくした方がいいと思うかって聞かれたらすごい悩んじゃいますけど、でも今後、悠仁さまだって天皇になりたくなかったらならなくていいはずで、それを認めたらもう存続が怪しくなる制度なんて原始的不能なのでは、というような気もします。現行憲法下での天皇ってまだ2代目、全然歴史が浅くて矛盾だらけなんだなって。人間宣言してみたけど、人間扱いはされていない。
そして私は子育ての話としてもこの件を考えてしまうのだけれど、秋篠宮ご夫妻は子どもを学習院に入れないで外の世界も見ておいで、というふうに育てたわけで、それによって見識の広がった娘が自分の意思で結婚相手を選ぶことが出来たのだから、子育ての方針と結果が合致してる、つまり大成功してると思うんですよね。
親ってわりと子どもに矛盾をふっかけがちで、勉強はできて欲しいけど女の子だから東大はやめろとか、中高生がお洒落だ彼氏だって言うと色気付いたとなじるのに適齢期になって相手がいないと責めたりとか…するじゃないですか…。秋篠宮家の対応も、そういう矛盾したものに見えるのです。お立場があるから本心でどうお考えか分からないけど籠の外を見せたのは親だよね。しかもICUなんて帰国の子も多くて色んな価値観に触れられたでしょうからね。この状況はその結果として受け止めるしかないのでは…と思ってしまいます。
小室さんの留学は、皇室特権があってもなくても勉強は自分がやるしかないわけだから、無事卒業・合格・就職となれば、そりゃ努力の賜物で文句のつけようもないと思います。
批判コメント書いてる人ら、小室さんが鋼メンタルだと思って調子に乗ってるけど、自殺者出たら集団リンチで殺したことになるって認識あるんでしょうか。こんなの普通に心身病みます、眞子さまの不調も当たり前。ほんとにかわいそうでならない。みんなまるっと幸せになってほしいです。
そりゃ ICU にいたオレは、1年学年が違うけど「眞子さまには幸せになってほしいなあ」って思ってるけど、KKがヤバイやつで「やり捨て御免」っていう未来が見えてるから KK が嫌いだし、KK のせいで「ICUのお前もKKくらい頭悪いのだろ?」って言われるし、KK のせいで ICU ブランドも崩壊したし、早稲田を STAP やスーフリ大学って言って馬鹿にできなくなったし、慶應 SFC でなくて ICU に行った意味が KK でなくなったし、KK には迷惑してるし、なんと言ってもリベラルアーツ教育が KK のような「堪え性のない無能を創る」という事実が世間に露呈したのがバレちゃって迷惑してるの。おかげさまで ICU の男っていうだけで、ICU KK みたいな扱いされているから、KK には消えてほしいです。
https://anond.hatelabo.jp/20210928104701
米国で弁護士事務所内定?!という若干錯覚資産気味であるものの、下記の英語力を見てもやはり能力は一定以上にあると思う。プライベート・エクイティといういかにもなアングロサクソンの花形産業に食い込むために必要な能力は今の時点であるかというと無いと思うが、一定の成功は収めれると思う。
(35秒ぐらいから)
英語できる等の一定の努力(といいつつ英語できて当たり前の世界だけど)x 行動力 x 皇室のコネ
日本人で海外にいる人に多いパターンなのも、みんなの反感を買う一因だと思う。小室圭のスーパー劣化版は、海外にめちゃめちゃ多い。
一部の成功している人を除くとただのワナビーだし、イキって何もできないで帰ってくる人が多い。
金周りでの、いままでの怪しいムーブは一般人レベルでああいうヒトがいたら、どう弁解しようがアウトだとおもう。
でも、彼は結構そっから挽回できるタイプなんだとおもう。アメリカで弁護士になるのは実力ではまだ厳しいと思うけど、ICUでて、あのハッタリできるならすごい。なんらかの土俵でのし上がることはできると思う あれだけこの掛け算を組み合わせることができるひとはあんまいない。庶民のスカウターの範囲外にいってるんだとおもう。チョンマゲで帰ってくるメンタルもすごい
なぜ、この人が叩かれ続けるかというと、ヤフコメとかの人はこういう逆転しちゃう系の人に出会ったこと無いんだと思う。
自分もこういう系の人に海外で会うと、「ああまたか」とおもってそっと心の窓を閉じるし、そもそも日本人に合わないようにいているが、
国籍違っても大体人間の行動パターンは一緒なので、別の国籍の人もたいていこういう怪しいやつが多い。
自分もそう思われてたと思う。でも、海外である程度成功する人も見ているし、自分もそっちに分類できるかと思う。
で、多少成功してから思うのは、こういうハッタリなしで生きている人って実はあんまいない。
人間そんなに、圧倒的に能力が違うわけではなく、意外とこういうはったりと小さな差で、なんとかやりくりしてたりする。
あと運がついてきたりすると意外とかなりの差がついたりする。
庶民には、その差が圧倒的な結果につながって、周りで成功した人を見ていないと思う。
たしかに、初速からぶっちぎりで「あいつは絶対成功するだろう」みたいな感じの人もいる。
間違ってはいけないのは、小室圭の劣化版が世の中の大半だということ。庶民のスカウターが間違っているわけではない。
彼はただ、外れ値だったけなのだ。なので、擁護派が増えてきたが、批判派の意見が特別おかしいという感じでもないと思う。
色々彼の場合は外れ値要素が多いのだ..
▶判官びいきでしょうね。浮動票(90%ぐらい?)が多いのがこの手の議論の特徴ですね
▶トリックスターはかき乱す存在で、あんま日本人にはいないタイプですね。三菱UFJの大手町支店ではさすがに収まりきらないタイプだと思います。
▶「アメリカで文系就職で成功」するのは極めて日本人には難しいですが、皇室とのコネという下駄を履いて成功するという彼みたいなタイプがいても日本にとっては良い気がします。
▶ある意味K komuroさんは親ガチャにあまり成功していない中、ハッタリきかせながら、頑張ってる気がするので、結構稀なタイプな気がします
自分に関係のないことでやたらと怒る人がいる。おそらく、実害があるから怒っているのではなくて、常に何かに対してイラついているのが好きなのだろう。私はそう解釈している。
昨今、取り沙汰されている眞子さまと小室圭さんのご結婚の話題などは、まさにその典型ではないかと思う。
はじめに断っておくと、私はお二人のご結婚にはとくに反対ではないし、お互い好きなら結婚して問題ないと考えている。
だから、そもそもお二人の結婚に断じて反対という人がこの先を読んでも、不快になるだけだろう。
断固反対という方はどうかこのページを閉じて、世の中に溢れているバッシング記事を参照していただきたい。
***
私は小室圭さんの生き方が好きだ。間違いなく優秀な方だし、これからも活躍してほしいと思っている。
だが、ICUに合格してアメリカへの留学も果たし、卒業後はメガバンクに入行した。
相当な努力家でなければ成し遂げられないことだ。
銀行を退職後はパラリーガルとして法律事務所に勤務しながら大学の夜間課程で経営法務を学び、さらにアメリカの大学で法務博士課程へと進学する。
知っている人にとっては言うまでもないことと思うが、弁護士になるには非常にお金がかかる。
日本で弁護士になるには大学の法学部を卒業後、さらに法科大学院へ進学するのが一般的だ。
もし小室さんの借金が批判に値するのなら、少なくとも日本では金持ちの家庭に生まれないと弁護士を目指せないことになってしまう。
「親ガチャ」という言葉が話題になったが、親ガチャの不運を嘆く層と、小室さんを批判している層はどの程度一致しているのだろうか。
親ガチャに賛同しつつ小室さんをバッシングする、などという矛盾した行動を取っていないことを願うばかりだ。
そもそも、結婚するにあたって借金があるのはけしからん、という論理が私にはさっぱり分からない。
ギャンブルやアルコールへの依存で膨らんだ不毛な借金ならともかく、夢を叶えるための学費として借りたお金ではないか。
「公費で借金を返済するのが目的だろう」などと言う人がいるが、正気だろうかと心配になる。
そんなことが打算的な策略によって実現できると思うのなら、もはや世の中に思い通りにならないことなど1つもないだろう。
お二人は、お互いに惹かれ合って結婚を決めた。
それだけである。
皇族だからといって一般人と完全に切り分けて考える人のほうが、余程きわどい思想の持ち主のように私には思える。
***
身も蓋もないことを言うと、お二人がご結婚されたとしても、私自身の暮らしに何か影響があるわけではない。
よって、正直なところ私には「なぜそんなに批判する人がいるのかが分からない」のである。
どちらかと言えば、これを書いたきっかけは「批判する人たち」の動向を目の当たりにしたことにある。
冒頭にも書いたように、自分とは明らかに関係のない、自分の暮らしに何ら影響を及ぼさないことで怒る人がわりといる。
まず、この事実に驚いた。
これは私の個人的な推測でしかないのだが、批判している人の多くは皇室に思い入れがあるわけでも、日本古来の伝統を重んじているわけでもない。
ICUに合格する学力はなく、メガバンクの熾烈な選考に勝ち残って内定を獲得することもできない。
国際弁護士になる夢を実現するために、メガバンクを退職する決断力もない。
法律事務所でパラリーガルとして働く能力も、アメリカの大学院に留学する語学力もない。
もちろん皇室の女性と相思相愛になることも生涯ないだろうし、世間から猛烈にバッシングされても結婚を貫く胆力も持ち合わせていない。
つまり、批判している人たちの大半は小室さんにかなう要素が何ひとつない。
たとえば、「自分は借金をしていないが、あの男には多額の借金がある」といった発想なら、自分自身が「正しい」側に立てる論拠を獲得できる。
「借金はよくないよね」
「相当な借金があるのに皇室の女性と結婚するなんてあり得ないよね」
もしくは、
「何か悪いことをしているに違いない」
「それならバッシングしても構わないだろう」
この程度の認識の人もかなり多いと思われる。
批判している人々だって、ほじくり返せば過去に汚点の1つや2つありそうだが、さぞかしご自身は一点の曇りもない清廉潔白な聖人君子だから小室さんのことを批判し、許せないなどと断じるのだろう。
***
皇室に関わった民間人へのバッシングと聞いて、真っ先に思い浮かんだのは美智子さまのことだ。
皇室に初めて民間人が嫁ぐのと、皇室の女性と民間の男性が結婚するのでは状況が異なるが、一部メディアから執拗にバッシングされているところは共通している。
美智子さまがご結婚されたのは、私が生まれるずっと前のことだ。
だが、当時一部メディアから激しいバッシングを受けた美智子さまが失語症になられたことは知っている。
令和時代なのだから、皇室の女性の意思が尊重されてもいいのではないか、と私などは思う。
ここでやめておけばよかったのだが、反吐が出るほど嫌いな某ニュースコメントを私はうっかり見てしまった。
中には「このバカ女は……」などと、何とも無礼極まりない罵詈雑言を書き残している者までいる。
人間とは、自分に関係のない出来事にこれほど憤り、自分とは違った世界で暮らしている(と思い込んでいる)相手に対して、これほど無礼になれるのかと驚愕したものだ。
公費に税金が使われているのだから国民は文句を言う権利がある、などともっともらしい持論を展開する者もいた。
一体、この発言者が納めた税金のうち、いくらが宮内庁で使われているのだろう。
微々たるものであろうことは、あえて説明するまでもなく明白である。
仮に結婚なさったとして、この発言者が納める税金が増えるわけがない。
ちなみに、お二人の結婚がこれほど炎上するに至ったのは、どうやら某週刊誌が発端のようだ。
小室さん自身の借金や母親の金銭問題に関して、週刊誌がほじくり返さなければ明るみに出ることはなかった。
一部メディアがバッシングしているのは、美智子さまのときと全く同じ構図ではないか。
お二人のご結婚に対して憤慨したり罵ったりしている人は、週刊誌が作り上げた特異な市場で愚弄されていることに気づいたほうがいい。
週刊誌はそのうち別のネタのほうが部数が伸びると見て、新たな「市場」を開拓するのだろう。
そして、間もなく世間はお二人のご結婚にまつわる騒動を忘れ去っていくのだろう。
***
話を戻すと、お二人の結婚について憤っている人の多くは、自身は安全地帯にいて、自分とは関わりのない世界のことだから安心して批判している。
注目すべきは、そもそも「自分の暮らしには何ら関係のないこと」を批判しているので、批判したところで何も変わらないし、自分の生活圏には1ミクロンも影響を及ぼさないことだ。
まるでストレス醸成と解消のエコシステム、あるいは永久機関のようだ。
自分に関係のないことで憤り、批判する人は、おそらくこの「永久機関」を求めてやまないのだろう。
心から批判しているわけではなく、本気で何かを変えようという気概もない。
勝手に憤って批判し、オリジナリティ溢れる罵詈雑言を撒き散らしている有象無象など放っておいて、お二人にはどうか幸せになっていただきたい。
時を経たら、多くの人を魅了するラブストーリーとして回想されるのかもしれない。