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はてなキーワード: 街角のカフェとは

2023-06-09

悟りを開いたある弱者男性の話

一人静かに在りし私は、結婚という欲望に執着する心を離れた。

友人たちが結婚という旅路を進む一方、私はただ穏やかに独り行く。

街角のカフェ運命出会いを待ち望んだが、その姿は現れず。

彷徨う風船(恋愛という幻想比喩)を見たが、それらは何もかもはるか彼方へと遠ざかった。

だが愚かな私の恋愛運に涙することもなく、むしろ喜びを感じた。

結婚への渇望が消え去った今、自らの笑顔世界を彩りたいと思う。

幸せ出会いは、自らが内なる喜びの源となり得ることを知る。

達観の境地に至り、心穏やかな旅路を歩み続けるのである

(了)

2022-02-04

なぜゼロコロナを目指すのか(ゼロコロナによって何を達成しようと考えるのか)

ゼロコロナで期待されていたのはーゼロコロナを目指す人にもいろいろいた*わけだがー

だろうか

当初のゼロコロナモデル国としてはNZTaiwan, R.O.C.などが挙げられ、「ゼロコロナを達成した国は(いろいろ対策をしながらも)こんなにハッピー」のような情報が回されていた。公園には子供がもどり、街角のカフェでは(ソーシャルディスタンスに注意しながら)歓談する姿が・・・のように。

①の意味で恐れられていたのは 何と言っても「医療崩壊」であろう。医療崩壊にもさまざまなレベル/グレードがあり 自宅放置中に死亡はすでに医療崩壊という見方もある。一方、感染者が何百万人生じようと全員注意深く医療が受けられ、その中から重症者が何十万人生じようと、全員速やかにICUちゃんとした-1,2週間程度で社会復帰できるような-治療を受けられればいいだろうという考え方もあり得る。

その場合、必ずしもゼロコロナ必要ない。

もう一つあり得るとしたら「後遺症」の恐怖であろう。ECMO、全身麻酔で3か月がんばって命が助かったとしても、肺は瘢痕化し、発症レベルまでに完治できるとは思えない。少なくとも足腰はへろへろだろう。倦怠感の持続、脱毛や不治の嗅覚脱失の惧れも含まれる。

ゼロコロナ過激派には「2019年秋(夏)以前の世界を取り戻す。ワクチンも手洗いも不要ソーシャルディスタンス不要世界の再来を」という人もいた可能性がある

anond:20220204101058

 
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