はてなキーワード: 街角のカフェとは
ゼロコロナで期待されていたのはーゼロコロナを目指す人にもいろいろいた*わけだがー
だろうか
当初のゼロコロナのモデル国としてはNZ、Taiwan, R.O.C.などが挙げられ、「ゼロコロナを達成した国は(いろいろ対策をしながらも)こんなにハッピー」のような情報が回されていた。公園には子供がもどり、街角のカフェでは(ソーシャルディスタンスに注意しながら)歓談する姿が・・・のように。
①の意味で恐れられていたのは 何と言っても「医療崩壊」であろう。医療崩壊にもさまざまなレベル/グレードがあり 自宅放置中に死亡はすでに医療崩壊という見方もある。一方、感染者が何百万人生じようと全員注意深く医療が受けられ、その中から重症者が何十万人生じようと、全員速やかにICUでちゃんとした-1,2週間程度で社会復帰できるような-治療を受けられればいいだろうという考え方もあり得る。
もう一つあり得るとしたら「後遺症」の恐怖であろう。ECMO、全身麻酔で3か月がんばって命が助かったとしても、肺は瘢痕化し、発症前レベルまでに完治できるとは思えない。少なくとも足腰はへろへろだろう。倦怠感の持続、脱毛や不治の嗅覚脱失の惧れも含まれる。
*ゼロコロナ過激派には「2019年秋(夏)以前の世界を取り戻す。ワクチンも手洗いも不要、ソーシャルディスタンスも不要な世界の再来を」という人もいた可能性がある