2021-10-24

母親が死んだ日のこと

昨年秋の夕方5時、仕事中に突然姉から電話がかかってきた。

「お母さんが1週間前から具合が悪くて、今朝電話したら床で寝てるらしい。さっき電話したけど繋がらない。明日の朝救急車を呼ぼうとお兄ちゃんとお昼に話しした」

姉は結婚地元を離れており、私は実家から歩いて5分のアパート暮らしていたので何か知っているのではと

電話をかけたらしい。

が、私は母親が具合が悪いことすら知らなかった。

私は基本的LINEとか電話の類が嫌いだし、当時仕事パンク状態で参っており、会社アパートを往復する以外は何も出来ないような生活を送っていて、

休みも歩いてすぐの実家に帰る気力もなかった。

それ以前にそもそも母親のことが好きじゃなかったので接触を避けていた部分がある。

母親と同居している兄にも連絡を取っているが携帯は繋がらないし、勤務先の番号も知らないと。

母親電話をしたところやはり繋がらない。

おそらく急を要する状況だ。なんで姉と兄が今日じゃなくて明日救急車を呼ぼうなんて言ってお互い納得したんだろう?と思いつつ、

2人とも私と色んな部分が合わない事はこれまでの人生で散々あったのは分かってる、それはいいか自分が出来ることをしようと思った。

私は会議キャンセルし、実家救急車を呼び、電車で1時間かけて搬送先の病院にに向かった。

救急から電話朦朧としているが意識はあるとのことだった。

隣町の搬送先の病院検査したところ、発熱があるためコロナ危険もありその病院で受け入れられないので、発熱外来のある大きな病院に行ってくれと言われ、救急車に母と一緒に乗り、そこに向かった。

久しぶりに会った母は全く意識が無かった。

9時すぎぐらいに発熱外来のある病院に到着し、母にコロナの恐れがあり、私も接触してる可能性あるので発熱外来専用のプレハブ小屋隔離され、待っていてくれと言われた。

私はテンパって会社を出たためコートを忘れており、二十畳ぐらいあるプレハブで、部屋にいるのが私ひとりで暖房を全開にしても寒くてしょうがなく、スマホバッテリーも切れてしまい、パイプ椅子にへたり込みながらつまらないテレビを見ていた。

11時ぐらいに兄がやって来たが、「頭痛いから帰っていい?」と言われた。

私も上司取引からストレスで色んなところが具合悪いんだけどと思いつつ、兄と同じ空間で息を吸うのもイヤだったのでいいよと言って返した。

夜の3時、ようやく医師から母親の状況が敗血症性ショックで相当まずい状況、コロナが原因か他の病気が原因かわからないということを告げられ、すぐ集中治療室うつすと言われた。

頭がぼーっとなり、誰かに話をしなきゃと思ったが、スマホバッテリーが切れていたので出来なかった。

なぜかよくわからないがプレハブからICU家族用控室に移動していいよと言われ移動した。

ICUの控室はテレビはないがソファーフカフカパイプ椅子とは雲泥の差だった。暖房もしっかり効いて快適だった。

朝になりとりあえず一旦帰っていいですよと言われて少し眠った。

10時すぎ兄から電話が来て病院から電話が来たので一緒に来てほしいと言われた。

タクシー病院に向かい、一緒に医師から死亡した旨を伝えられた。

姉はどうしても抜けられない仕事があり病院に来るのが昼以降になるとのことだった。

11時頃、PCR検査の結果が出てコロナ陰性だと分かったので母親と面会できることになった。

ただ寝てるだけにしか見えず、死んでいるのが信じられなかった。

ずっと母親のことは好きで無かったし、今もそれは変わらないんだけど、こんなに泣いたのは生まれて初めてというぐらい泣いた。

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