「新日本建設」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 新日本建設とは

2023-08-02

朕は、アダムたる韓国国民の総意に基いて、エバたる新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、日本経済団体連合会と岸田内閣閣議の諮詢及び世界平和統一家庭連合韓鶴子総裁閣下の御許可を得た日本国憲法改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

2021-11-05

眞子氏が大学生活で人間なっちゃった

眞子氏が小室氏と出会ったICUという大学では、入学式で新入生みんなが「学校生活において世界人権宣言を遵守すること」を誓う学生宣誓に署名する。

https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/

みなさんは、その世界人権宣言の中身ってどんなものか知ってますか。

第一

 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳権利とについて平等である人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞精神をもって行動しなければならない。

二条

1  すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語宗教政治上その他の意見国民若しくは社会的出身財産門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利自由とを享有することができる。

2  さらに、個人の属する国又は地域独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域政治上管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

第三条

 すべて人は、生命自由及び身体安全に対する権利を有する。

四条

 何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。

五条

 何人も、拷問又は残虐な、非人道的若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。

六条

 すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

七条

 すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等保護を受ける権利を有する。

八条

 すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。

第九条

 何人も、ほしいままに逮捕拘禁、又は追放されることはない。

第十条

 すべて人は、自己権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等権利を有する。

第十一条

1  犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪推定される権利を有する。

2  何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。

第十二条

 何人も、自己私事家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

十三条

1  すべて人は、各国の境界内において自由移転及び居住する権利を有する。

2  すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。



これで全部。眞子氏の境遇に照らしてみれば、皇籍離脱前の彼女人権がどれだけ制約されていたかが改めてわかる。民主主義国家標榜する日本で、大半の日本国籍の人々が当然のように享受している人権の多くが制約された、とても特殊立場の人が、自らこの大学への編入を選び、4年間の教養教育人間中心主義(humanism)の理念と気風を涵養され、立派に「人間」になった。というか、人間としての自覚を得た。そういうことなのだ。

天皇は「人間宣言」していない

ちなみに天皇敗戦後に「人間宣言」したと言われているけど、実は「ぼかぁ人間なんです、すまんかった」などとは言ってない。原文の官報詔書新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(1946/1/1)、別名『新日本建設に関する詔書』に書かれている該当箇所は

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族優越セル民族ニシテ、延テ世界支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ


となっている。「天皇は現御神で、日本国民優越民族で、世界支配する運命にある」という戦前に言ってたことは「架空なる観念」でした、としか言っていないのだ。じゃあ現御神ではなくなった天皇戦後どうなったかといえば、「日本国及び日本国民統合象徴」になった。それはもはや神ではないし、といってただの人間日本国民でもない。それは「日本は一体である」という(敗戦後にギリギリ交渉の結果残すことができた)国民国家ファンタジーをまるごと引き受ける、人間ではない何かだ。天皇皇族は「平和憲法を遵守する新国家」を象徴する「何か」として、常に国民をいたわり思いやる理知的で心優しいファミリー役回りを多世代にわたって演じ続けることになった。それって、ありていに言えば「人形」でしょ。

人形の家には、人間は住めない

かつてのように神聖不可侵でもなく、かといって市民国民としての人権を与えられてもいない「人形」は、やがては人々のおもちゃにされてしまう。今はみんながそれを使って「人形遊び」という娯楽に興じている。政治家宮内庁職員皇室ジャーナリスト評論家らが「本人が言った言葉」とその解釈あいだにいくらでも恣意的な読み替えを挟み込むのも、メディア皇居というドールハウスの内情について真偽不明ゴシップを書き立てるのも、辛酸なめ子倉田真由美赤の他人同士の結婚について大仰に憂いたり消耗したり絶望したりしてみせるのも、本質人形遊びだからだ。相手人間ではないから、そういう非人間的な扱いをしても許されるし、人形のほうが「与えられた役柄」を勝手に逸脱し始めたら嘆いたり憤ったりしてもいいのだ。

本件をイプセンの『人形の家』をひいて論じていたのは、意外なことに山口真由ぐらいだったけど、今回の騒動を見ていて、天皇家が「人形の家」ではないと言い切れる人はだいぶ減ったんじゃないか人形の家には人間は住めない。だから人間になった眞子氏は人形の家を出た。

そろそろ人形遊びを卒業しよう

窮屈な人形の家を、人間が住めるような間取りと風通しにしてやらない限り、そのうちまた同じことが起こるだろう(直近では、同じ大学で同じように「人間」に目覚めてしまった佳子氏にも同じことが起きるかもしれない)。風通しを良くするには、これまで75年にわたって「人形遊び」をしてきた我々自身がこの遊びを卒業して、その他の「市井のなんでもない人々」に接する時と同じような儀礼的無関心を貫くことなんじゃないかと思う。ことさら敬愛嫌悪もいらない。ただの人間として扱い、他のただの人間に抱くような尊重の念を持って接しよう。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん