はてなキーワード: 問答無用とは
うん。めちゃくちゃ肩入れしてるよ。私はナウシカという人物が大好きだし。
そして、ナウシカは現人類に肩入れしている。ユパが好きだし、アスベルやチククも好き。クシャナやクロトワだって好きだ。風の谷のみんなが好きだし、トルメキア人やドルク、蟲使いも。それ以上に王蟲が好きなんだけど……。いがみ合いは嫌いだが、いがみ合ってる人物そのものを嫌っているわけではない。
その好きな人々を亡くしたくないんだよ。そのためにできることは何でもするだけだ。犠牲行動を「良い」と思ってやっているわけではない。行動原理は「その相手を助けたい」だ。そのためなら瘴気の中でマスクだって取っちゃうし、周りをドルクに囲まれて死の一歩手前だろうがトリウマを助けるのが先だ。「良いか悪いか」で判断してるような人にこの行動はとれない。
ナウシカは墓所が現人類に邪魔だから消したんだよ。私もその決断に同意する。「私達のように凶暴でなく、おだやかで、かしこい人間」なんていらない。少なくともそれを生かすことによって自身の愛する世界を失うことになるのなら、その障害を潰すことを厭わない。
作中の現人類の多くはこの思考に同意するだろう。漫画の世界ではなく、今PCを閲覧している読者の多くも、ヴ王と同様に「そんなもの人間とはいえん」と思っているだろう。
うん、それは私の思い込みだな。新人類が進化して「凶暴で、おだやかでない、バカな人間」に、現人類並みに育つ可能性はあるよ。私はそれまで待てない、と言い換えるか。それにどうせ現人類並みになるならリセットせずに今の現人類を使えばいいじゃない。そしてそのとき、墓所の技術は現人類にとって危なすぎるの。そこの技術が現人類のいがみ合いの種の一つになってるから。「ヒトラーと同じだ」というが、ヒトラーなら優性思想だから「おだやかで賢い人間」を生かすんじゃないの。知らんけど。
墓所側が攻撃するのは当たり前のことだ。旧人類の悲願は人間性の闇を捨てることだ。現生人類を死滅させたいのも当たり前だ。それが残っていては計画が水の泡になる。交渉する余地など最初からない。武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある。
あ、そういうこと言っちゃうんだ。じゃあまあ墓が弱かったから仕方ないね。「交渉の余地すらない。武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある」と言うからには負けた旧人類と新人類は黙って消えるしかないだろ。どうもあなたは「墓所が勝った場合は人類に交渉の余地はない」しかし「墓所が負けた場合は、墓所は交渉のテーブルに着かせてもらえる」と思っているようだが、そんな甘いわけがない、巨神兵の裁定はおりている。そして巨神兵をプログラムしたのは旧人類だ。
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ
「今」を生きるのに精いっぱいの人々にはるかかなたの未来に生きる人類を気にかけてる余裕なんかない。21世紀の現代日本ですらそうだろ。繰り返すけど、あなたは物語の中の今を生きている人類に寄り添えていない。そんな人物の言説を誰が聞く?
古今東西、人を説得できないと物事は変わらない。国会でどれだけ「日本を良くする法だ!」と自説の正しさ唱えたところで、党内の票をまとめられなければ法案は通らず歴史は変わらない。
その、愚かな人類と決別しようとする "新人類教" では物語の中の世界を変えられないんだよ。せいぜい数千年後にまだしぶとく生き残っている現人類が「古文書見つけた!『お前ら人類は虐殺者だ』『ナウシカは悪魔だ!世界を滅ぼしたのだ!』とか書いてあるよ。新人類教だってさ」と珍しがる程度だ。
そうだろうね。そしてそういう人物は、誰かを殺す心配をするまでもなく、とうに誰かに殺さているだろう、と先にも書いたよ。
ナウシカの世界は、その環境の過酷さにより人々がいがみ合い、憎しみ合っている。しかしそれぞれの人は "新人類ではない" から、憎悪の一方で愛も持っている。良い一面も悪い一面も持っている。これが人間だ。そういう人々の行動を変えるにはどうしたら良いか。まずは説得だ。ナウシカは数々説得してきた。しかし凶暴で賢くない人類だから、説得には応じられないこともあるだろう。では説得に応じない相手はどうすれば良いのだろうか?そう "行動を起こす" のだ。あなたは「交渉する余地などない、まず武力だ」と言っているが、まずは交渉、のちに行動。
最終話近く、マニ族とクシャナ軍がにらみあっている。ユパが、ケチャや年寄り連中と一緒に必死にマニ族を説得している。だがマニの若者たちは納得しない。彼ら彼女らも "復讐は何も生まない" と理性では分かっているのだ。だが自身の感情を説得しきれない。そして、この気持ちを晴らすにはトルメキア人を殺すしかない、と"行動を起こし"クシャナに襲い掛かかった。(法の整備された現代日本では許されないよ)
ここでユパも説得は通じなかったことを悟り次の手段に出る。マニ族とクシャナの間に割って入り、マニの刃を受けることで双方の連鎖を止めた。先だって左腕も犠牲にし「この片腕、わしの心のあかしだ。たのむ判ってくれ」と再度説得。単なるきれいごとではなく、自らを痛めてまで訴える人間の言葉は人の心に届く。(これには先立ってマニの僧正が同じ方法でユパの命を救っており、恩返しという側面と、僧正の念がこの場に出現しマニ族を説得するという流れになっている。この通り、聞かなきゃ殴るだけが行動ではない)
ナウシカも同様に、数々の行動によって人々を説得してきた。
ナウシカは恐れでためらうことが少なく、瞬時の判断力を持っており、おおむね良い方向に作用する。(主人公補正はあるが)
アスベルを新人類と入れ替えてみたらどうだ?と言いたそうだな。やってみようか。新人類は生き残ろうとしない。生に執着しない。あなたと同様に「人間の凶悪さを発揮し蟲を殺してまで生きようとは思わない」と言い残し、ナウシカに遭遇する前に蟲に食われる。おしまい。
説得・行動・説得・行動だ。これによりナウシカは数々の障壁を超えてきた。残念ながらあなたの思惑とは違い、最終話ではもはやナウシカを止める人はいない。ナウシカはもう辺境の一首長ではない。行動により強力な支持者を得て、民衆を説得できる力を持った。ナウシカはみんなをつなぐ糸になれた。
あなたには説得力もなければ行動力もない。だから序盤で死んでいるだろうけど、それを大目に見てこの場で
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ
と言えたとしよう。で?誰が耳を……あ!聞く耳持つ人がいたわ!墓所と守り人。ヒドラ。
これがあなたの発言。そして墓所・庭園の主『歴史は繰り返す』『お前達はその朝をこえることはできない』。そっくりだな!といってもあなたは墓の側に立って意見を出してるんだからそりゃそうか。
あなたが墓所かヒドラだった場合、結局ナウシカを説得できなかったので歴史は変わらない。変えるとしたら、最後の生き残りの人々の前に現れ、今回の数々の教義を唱え、賛同者を募ってナウシカを止めてもらう必要がある。
そこにいる人々は、戦乱の世を必死に生き延び、死にたくないと願い、場合によっては人を殺めても生き延びてきた人たちである。その中でどのくらいあなたの賛同者がいると思う?ナウシカを引き留めるには到底足りないと思うんだけどね。
ナウシカだって最初は無垢でいたかったんだよ。でもそれだけでは自分の愛する人は救えないと理解し、成長する物語だ。そしてナウシカは罪悪感や自己矛盾をちゃんと受け入れている。「人類を滅ぼしにいくのかもしれない」と自覚している。「悪魔として記憶されてもかまわぬ」と言っている。それに比べりゃ私たちなんて楽なもんだ。最後の決定をナウシカに任せちゃえるんだから。だからこそ、その決定について、ナウシカに責を負わせることはしないでおこうと思う。
新人類だってあなたを救世主だとは思えないだろう。「その人は私たちのために何かをしてくれたの?」「なんだ、世界の片隅で祈ってただけか」と。
あなたは、未来を変えたいが、自分の手は汚したくないという。墓所の主はそういう役割としてプログラムされているからまだわかる。しかしあなたはには自分の意志があるのに、その体があるのに、先へ進もうとしない。今の自分を超えようとしない。現人類より新人類側に思いを寄せている。もしかしたらあなたも旧人類のように全てに絶望しているのかもしれない。どうせ全滅するのだから何をしたって同じか?「そうではない」とこの物語は示している。
ナウシカの行為に正当性を産むことができるとしたら現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。
「答え」なんか分かるわけがない、っていうか自分で考えろってことだよ。人類は再度火の七日間を起こすよ。歴史は繰り返す。人類は愚かだから正統性より目の前の命を取る。
今回私が書いたことはほとんど漫画の中に描写されていることだ。あなたは最後の答えを知りたいというが、まずそこに至るまでをうまく読み取れていないじゃないか。まずもう一度通して読んでみてはどうだ。
あなたは結果を重視しているが、私は現人類の過程を重視している。あなたは「自然に任せよう」と思っているらしいが、あなたが自然だと思っていることは実のところ人間のプログラムだ。穏やかで、賢い、人工の物体だ。自然体は許されない。人も動物も全てを書き換えるつもりだ。ナウシカの方法の方がずっと自然だ。「今」を乗り越えても、凶暴で頭の悪い人類は結局は滅ぶかもしれない。でも人類は滅んでも虫や動物は生き続ける。人類は滅ぶが、世界は滅ばない。とはいえ、人類はそんな簡単には諦めないという話だ。
たとえ過去1万回同じ過ちを繰り返したとしても、諦めなければ1万1回目でクリアできてしまうのが人類だ。1万1回やったけどダメだったから諦めたのが旧人類なんだろう。現人類は1万2回目、歴史は繰り返す。しかしそれがいつになるかは現人類が決めるし、現人類はその今を精いっぱい生きるの。
このあたりはどこまでいっても平行線かもしれない。だからあなたが「私はナウシカの決断に同意できない」と宣言すること自体に問題はない。ただ、最後の決断をした人物を責めてはいけない。私は旧人類の決断が間違っていると思うが、旧人類がそれしか取る手がなかったのだということは受け入れる。旧人類を責めはしない。現人類として、その決断には従わないという意思を示すだけだ。
1万2回目の人類の最後はナウシカが決める。少数の反対を除き、私を含め大多数はナウシカに最後を託した。
歴史に埋もれたできごとが間違っているわけではないが、トルメキアとドルクをクシャナとチククが再興していくことを考えると、はるかかなたの未来に生きる人類たちはナウシカを「救世主」として受け止めることになるよ。「青き衣の人」として。新人類は生に執着しないが、もし執着するほど進化したとしたら、その時は現人類の選択を理解し受け入れるだろう。(同時にはなし得ないのでパラドックスだが)
あなたは現人類に絶望しているのだろうが、それでも旧人類の決断に自分を託すんじゃなくて現人類として自分で決めよう。誰からも必要とされない自分なんていなくていいと思っているかもしれないが、人の評価で未来を決めることはない。
本当に絶望の淵に立っている人に「マンガでこう言ってるし」「不安も絶望も背負って、それでも生きていくしかない」と諭してもまったく力にはならないだろうなとは思う。私は漫画版ナウシカから力をもらったけど、絶望中にはせいぜい現実逃避として読んでただけな気がする。ある程度元気になって、現実世界に少し救いがあったからこそ、余裕をもってああだこうだ言える今がある。
とはいえ、あなたは「マンガだし」と投げ捨てず、その内容について意見を書き綴れるくらいの力があるんだから、もう一度立ち止まって読んでみてはどうですか。
あなたの視点は読者として外の世界から見ているからこそ言える「神の視点」なんだよ。
『墓と和解せよ』というけど、裁定者となった巨神兵が話合いのために責任者を出せと言ったのに墓は問答無用で攻撃してきた。交渉を拒否したのは墓側だよ。
『勝手に一人で現生人類を愚かだと決めつけて』というが、ナウシカは色々なところで何度も説得したよ。でも民衆は聞かなかったの。
『それがエゴ以外の何だというんだ』については先にも書いたけどその通り「エゴ」だよ。これは本にも描かれてる。
"虚無" から『お前はもう何人も殺してるくせに何カマトトぶってんだ』なんて言われてるし。
『どれだけ苦しくても人の命を奪ってでも生きたいと願わない人間もいる』
そういう人間がいた方がいい。しかし、あの世界のナウシカにそれは不可能だった。風の谷を守るためにトルメキアの捕虜になり戦場へ赴かなければいけなかった。
少年兵だと分かっていながら切り殺さなければいけなかった。そこで自分が死んではいけなかったからだ。ナウシカは風の谷を守るために人を殺してでも生き残る必要があった。
ナウシカのエゴ。戦場で赤ちゃんを拾っても足手まといなだけだ。戦場を一騎で駆け抜けたり、兵士が瘴気を吸って吐いた血を口で取り除くなんて自殺行為だ。トリウマ一匹に泣くなんて無駄だ。
しかし、これらのエゴが兵士や民を惹き付けた。あのクロトワですらな。
村の長なのに一人で腐海の深部をうろついて凶暴な王蟲を愛でている。この無謀な行動が、"汚れているのは土である" に繋がり、"粘菌の暴走の原因に気づくことができた" 理由であり、
"王蟲の信頼を得ている”ので "大海嘯の最前線に入ることができ" "王蟲は怒っているのではなく腐海となって土地の傷を癒そうとしている" "腐海は土を浄化するためにある" "これらが大海嘯の原因である" "どうも地球は腐海まみれになって滅ぼうとしているのではなく、ギリギリのバランスで生き残ろうとしている" というすべての流れに繋がっていくんだよ。それでも一回諦めちゃったけどな。
これがあなたにできただろうか?ナウシカは無敵のマンガの主人公だからなんて話は聞かないよ。私なら頭悪いから腐海に入って5秒で死んでる。あなたはおそらくどこかの時点で自らの命を絶っただろう。「最後の決断」まで辿り着けない、のはまだしもナウシカを助ける脇役にもなれないだろう。
『どれだけ苦しくても人の命を奪ってでも生きたいと願わない人間もいる』
というあなたと同じことをする人物がこの物語の中に存在する。綺麗で争わない新人類だ。あなたは私から見るとどこか「大人しくて清らかな人類の側」に立っているようにみえる。あなたは物語の中の今を生きている人類に寄り添っていない。
そして、あなたは新人類と王蟲を同列に扱い「新人類にも希望を」と言っているが、私はこの二つは同列に扱えないと考えている。
まず、旧人類は「汚染に適応した人類を元に戻す技術もここに記されている」と現人類を諭しているが、おそらくこれは嘘だ。または条件付きだろう。ロボトミー手術よろしく、頭を書き換え清廉潔白な体になれ、と。これを現人類が受け入れるわけがないし、旧人類もそれは承知なので、危険な現人類を生かしておきはしない。役目が終わったら死ぬようにプログラムした。
そして、墓もエラーが出ないように旧人類がきちんとプログラムしている。夏至と冬至に1行アウトプットするだけだ。同様に墓が管理する卵にもエラーはない。恋愛があれば争いが生まれるので、単性生殖すら避け、墓が製造した卵からのみ増えることになるだろう。
ではなぜ王蟲にはエラーが出たのか。それは ”王蟲は自然界に放たれたから”に他ならないと思う。"外敵"に襲われ、自然の驚異にさらされるなか命を長らえ、交わり子を産み世代を重ねることで突然変異も生まれる。
敵のいない、すべてを中央コンピュータに支配された新人類は、何世代も進化のないまま一種類のウイルスに対応できず全滅するだろう。"血を吐きつつもそれを乗り越えて飛ぶ"力はない。だからといって殺しても良いとは言えないけどさ……。
(墓所も能力に上限がかけられてて自我を目覚めさせるレベルにはないと思う。最後なんやかんや喚いてるがあれは旧人類の伝言。自我は巨神兵が担ってるし)
『その場にもしヴ王がいたらやはり選択は違っていただろう』『居たような気がする』
そう、その場にヴ王はいたよ。しかし、ヴ王がいても選択は変わらない。
ヴ王はナウシカの「私達のように凶暴でなく、おだやかで、かしこい人間になるはずの卵です」という言葉に「そんなものは人間とはいえん」と返している。
ヴ王は人間の闇の部分がわりと好きなんだよ。王に対してボロカスな口をきく「道化」を蹴っ飛ばしながらも割と仲良くやってるしね。清廉潔白な人なんか面白くないと踏んでる。お人よしかどうかの話ではない。
「とんでもないことになると分かってても欲しがるタイプ」というのは正しい見方で、まったくもって危ない人物ではあるけどな。
最後に毒気が抜けたのは「お綺麗な」墓の光を浴びたのでまさに「毒気が抜けた」んだろう。この辺は漫画だから「そんな超常現象」とか言わずにね。ナウシカのカリスマ性も一因だろうね。
ここまでで挙げたように、たぶん今あなたは手元に本が無いから?内容を曖昧にしか理解できていない気がする。
という私もコミックをある所に持ち出したら、その場に定着しちゃって置いてきたから今は持ってない。勘違いしてる部分が沢山あるはず。ちゃんと買って読み直そうっと。
横からだけど。あそこに至るまでに全人類の希望をナウシカ一人に責負わせちまったからなぁ。
命をもてあそぶのをやめろって言ってもやめないし、争いをやめろって言ってもやめない。なんでこんなことになったのかというと墓のヤバイ技術が漏れ出してるからで、そんな墓何のためにあるのよと思ったら「現人類はバカだからリセットして、争わない綺麗な新人類を作るんだ」だもん。ざっけんなよって言いたくなるわ。
(整理。旧人類:巨神兵や王蟲を作り、火の七日間を起こした世代。現人類:ナウシカの世代(浄化までの捨て駒)。新人類:世界浄化後、卵から生まれる予定の綺麗なジャイアン)
まああんたの言う通り、王蟲も巨神兵も人工物だけど当初の予定以上の知能を持つようになったんだから、頭空っぽの新人類だって年月を経ればまともな感情を持つかもしらんよ(オーマは裁定者として元からスーパーAIだったろうし、王蟲と墓の血液が同じだと分かったのは墓の崩壊後だけどな)。
綺麗な新人類はすぐに邪悪な現人類に攻撃されて滅ぼされそうだけど、それをナウシカが守ってやればいいじゃんってのもまた一理ある。ただな、最終話の時点で人々はもうどうにもこうにも限界が来てた。旧人類が絶望の末に綺麗なジャイアンや音楽くらいしか残す価値を見出せなかったように、人間は絶望すると余裕のある判断はできなくなる。
なにより前提として、そこに至るまでにすでに現人類はナウシカに全部を託したんだよ。そうしないと現人類絶滅が避けられそうになかった。ナウシカによってどうにか破滅の一歩手前で止まってたわけ。ヴ王とかに任せてたら巨神兵使って再度核戦争まっしぐら。
で、託してしまった以上「文句を言うのが遅い」と思うね。本当に綺麗な新人類を助けたいなら、それまでに現人類がナウシカを助ける必要があった。現人類同士での争いをやめて、新人類を受け入れるくらいの余裕がありますよと言えればよかったのに…できなかった。クッソ重い責任をたった一人に背負わせて「最終判断間違ってるぞ!」って責めるのは酷だろう。
ナウシカは一人の人物ではあるけど、結局はそこに至るまでの過程を現人類が選択したんだよ。あなたならその時破滅を止めるために何か協力できただろうか?
絶望した旧人類の選択を、これまた絶望した現人類が書き換える。傲慢だ。ただそれはちゃんと漫画にも描写されてて、旧人類にはああするしかなかったと書かれてるし、ナウシカ(というよりは現人類)が傲慢だってのはまあそうだ。その傲慢さを持つのが人間だと。
『巨神兵を使い捨てにした』と言うが、技術が未完成で育つ見込みは薄かった。そしてナウシカが指示したわけではなく巨神兵(オーマ)自身の判断もある。あの時点で裁定者として動き始めてたからな。前線でドンパチやってる「墓所」を前にして「責任者を出せ」と言ったら墓所が問答無用で発砲してきたのが発端。最後はナウシカもオーマ本人も、助かる見込みはないということが分かっていて、ナウシカの最後のお願いを聞いてオーマは発砲し死んだ。ナウシカ自身もオーマに自身を母親のように認識させておきながら同時に「オーマの死を望んでいる」。物としては危なすぎるからな。その傲慢さは本人も自覚している。
結果として、墓の崩壊とヴ王の死去により今後はクシャナ殿下が国を統治することになり、人類は少しは軌道修正できるだろう。
最後にユパが身を挺してトルメキアとドルクの報復合戦を止めたことも大きい。そのユパの存在はナウシカの存在によるものが大きく、ナウシカなくしてはユパもまだ腐海の探検を続けてただろうし、ここまで身を挺さなかっただろう。
ナウシカが巨神兵を物扱いせず名前(オーマ)を授けたことで、巨神兵の知識が急速に進み「昔の人は巨神兵をただの兵器としてではなく裁定者として作ったのかも」ということが分かった。
旧人類は自らに絶望し、すべて新人類に託すことにした。一方の現人類は、旧人類同様リセット寸前だし、浄化後の世界に耐えられないかもしれない、だがそれでも「我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ」という選択ができた。
俺としては「ナウシカは称えられこそすれ、責められるべきではない」「ナウシカに全責任を負わす前に、人類が自分たちで踏みとどまる必要があった」だな。
業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。
文系でも同じですが。研究という営みの本質は文系も理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているから相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系は研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラルな上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系と文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用で理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)
もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線で研究をしていることが前提だ。
いや、レビューがオリジナルな研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナルな研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗の論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナルの研究成果だ。博士論文の書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル(典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチのオリジナルな研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナルな研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。
ひょっとして文系の研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)
だから、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人の研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女が政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者で彼女を学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女の雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田は最初「和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わず、レビューしか書いてないなんて研究者とはいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。
いずれにせよテレビの研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。
そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文は研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PDや東大講師、あるいはテレビの出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大の問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビの問題、言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者のリテラシーの問題でしょ。理系の学位や肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由で開放的な性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。
文系増田は日本の研究者の日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用でアピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率極まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中の学者が言語習得に苦労するだろう。
うんだから、文系の研究者が色んな外国語を勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語とドイツ語の研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代や中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語の地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。
これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語の地位を高めていくべきだ派と、日本のアカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本の文系研究者の多様性は、アメリカやイギリスほどじゃないにせよフランスやドイツやロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史や英文学からアフリカの人類学、オセアニアの少数言語、中央アジアの歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人やフランス人やドイツ人がそうできるように、自分たちの言語でそれらの分野の最先端の研究成果を手にすることができる。東アジアや中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語で博論を書いて自国で教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。
もちろん、日本研究を専門としていない欧米人に日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本の論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたものを翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究が日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。
こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文はアメリカ人が日本語を翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀のフランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語が頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別に昔からずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人が中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文で論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産の動物種の研究だと英語論文に和文論文が引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語が統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。
いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田の感覚はわかるんだよ。というかそれは文系の研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語で積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端の研究成果を自分たちの言語で読めて、どんな地域の研究だって自分たちの言語で遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語が日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマの研究はホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史を研究する上で西洋史で探究されてきた研究モデルや概念が意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国の政治についてなんの情報もなしに、自国の政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツールは必要なんじゃないか? ジャーナリストや政治家が欧州統合やアフリカ経済やアメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本のEU研究者やアフリカ研究者やアメリカ政治研究者がみんな英語で論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。
昔は妻が離婚とかで追い出される場合は問答無用で子供奪われる&押し付けられる事が多かった
それも無一文とかで
そんで夫の元に残された子供は当然だけど苦労するし、女の子は特に家事の強要とか性虐待とかがすごく多くて、時代が変わっていくと共にだんだん母親(というか離婚時の女)と子供の権利も認められるようにはなってきた
「子供引き取らない母親はクズ」「父親が引き取ったらそれだけでエライ」「親権取れない女なんて非があるに違いない」
なんだよね
最近、女性専用車に男性らが乗り込み、トラブルになったというニュースが話題になっている。多くのコメントはこの男性らに批判的だ。そしてその多くが、自身が差別主義者的であることに無自覚である。
鉄道会社が男性乗客に対し、任意で非乗車の協力を求めるものであり、法的根拠がない。なぜ任意かというと、法的拘束力を持たせるためには運送約款を改訂する必要があるが、到底そのような改訂が許されないことが、鉄道営業法及び鉄道運輸規程の趣旨からして明らかであるためだ(なお法34条2号は今日でいう女性専用車とは無関係)。
これらの法は、鉄道が公共インフラであることに鑑み、誰でも円滑に利用できるようなルールを定めたものである。この誰でもという点が肝心で、これを不当に制限することは許されない。鉄道会社は、法的拘束力のある男性乗車制限が不可能であることを認識しているからこそ、「任意のお願い」という形で逃げている訳だ。
一部に、女性専用車を公共インフラではない一般の女性専用○○サービスと対比する向きがある。が、代替性の高い(公共性が低い)一般のサービスと、鉄道のような公共インフラの核心をなすサービスでは、その性質が大きく異なる。
例えば、飲食店が店の特色を出すためにレディースデー=女性のみ優遇をしているとしても、気に入らなければ別の店に行けば良い。ホテルは公共性を有する面もあるから、一般ホテルが性別に基づく宿泊拒否を出来ないという点では飲食店より制約があるが、(近年のホテル事情では)鉄道よりは代替性が高いので、防犯のため女性専用フロアを設け、男性の立入りを禁じる程度のことは許される。
公共空間であっても、許されないのは不当な制限・差別であり、現実の差異に基づいて合理的な制限を加えることは、差別とは言わない。しかし、女性専用車が合理的な制限とは言い難い。
第一に、男性である点に着目して排除している点で、不当である。差別が許されない理由は様々であるが、大きな理由の1つとして、本人のコントロールの及ばない属性に基づいて排除される不当性が挙げられる。性別は、その最たる物だ。
第二に、制限の内容が不当である。先にも述べたように、鉄道は公共性が極めて高いサービスであり、特定車両への乗車禁止は利便性を著しく損なう。乗換や出口付近に適した車両を選択できないといった不便もあるが、最も大きいのは、女性専用車が無いときに比較して相対的に混雑率が向上させられた車両に乗ることを男性のみが強制される一方、女性は空いた車両に乗ることができるという点であろう。一級国民と二級国民の世界だ。
痴漢被害は、男性加害・女性被害の類型が非常に高い割合を占めるいうデータがある。従って男性を排除すれば、痴漢被害は大きく減少するだろう。これ自体はロジックであって、誤謬は無い。
しかしこのような犯罪類型が多いからといって、男性という属性のみをもって、大多数の無関係な男性を問答無用で痴漢加害者予備軍に仕分けることが不当なのであって、それ自体が差別であり、許されない。
よく誤解されているが、多くの差別に根拠はある。女性は男性に比べて圧倒的に育児休業や結婚退職をすることが多いから就業差別が行われてきたし、人種差別に際して黒人は白人に比べて犯罪率が高いというデータはあった。今日、このような就業差別や人種差別が決して許されないことは論を待たない。根拠があることは、差別を正当化しない。
ついでに言っておくと、差別意識が無いことも差別を正当化しない。
痴漢は許し難い犯罪であり、撲滅すべき対象であることに疑いはない。しかし、その手段として差別が用いられることも、許されるべきではない。監視カメラ導入、警備員の乗車、混雑率緩和といった痴漢対策を徹底すべきであろう。また一市民として、道徳的観点から満員電車に乗車する女性や子供に配慮することも求められよう。
--
自分の顔が嫌いだ。醜い。
だから日常生活では自分の顔を見ないで済むように努力している。
髪を切りにいくときはメガネをかけていかないようにする。あるいは入る前にメガネを外す。裸眼だとほとんど見えないため、鏡の自分の顔もぼやけてて見ることができなくなる。
電車に乗っている時にふと外を見るとガラスに自分の顔が映り込んでいる時があるので外は見ないようにする。
パソコンの画面やゲームの画面に顔が映り込むことがあるので、映り込まないように常に角度を意識している。
一番困っているのが、自分が写った写真がLINEで送られてくるときだ。問答無用でサムネイル(しかも結構大きい)が表示され、読まないと既読にならない。なのでその際は薄目にしたり寄り目にしたりして画像を見ないようにする。ただ、これが間に合わないときや突然送られてくるときなどがあり、一番困っている。
併せて、なるべく顔を見せないようにもしている。見た人が不愉快になると思うからだ。
10数年前にはケータイ小説というものが流行して、その程度の低いデタラメ小説をネットのオタク達は嘲笑っていた。しかし数年後にはケータイ小説と似たような程度の低い文章のカジュアルで劣化アニメみたいなライトノベルがどんどん増えていった。
アニメばかり見てる奴が書いた「漫画もイラストも描けないから小説で僕の考えた最強の妄想を!」という怠惰な下心が透けて見えるほどの薄っぺらなライトノベルは、嘲笑すべき低俗な小説に過ぎない。
…いやでも俺そんなのが結構好きなんだなw。
低俗な妄想でも、その作者の面白いと思うものが詰め込まれたラノベは魅力に満ちている。
中身や質を捨てても内容がガバガバでも、その作者のフェティシズムに全力を注ぎこんだ文章には駄菓子のような問答無用の面白さがある。質より甘さ、安くてうまい。
ラノベにはそういった俗な魅力があると思う。
文字数と行間に文学を詰め込む苦労をいなくても成立するカジュアルさ。
執筆のモチベーションの全てを文学的表現ではなく書きたい事だけに集中できる気軽さ。
本質のみに注力できて、高尚な事を書かずとも良いという、俗ゆえのメリット。
そういったラノベが世間に少なからず受け入れられているという事実。
創作には苦労が付きまとう。どういった創作であっても完成させる事は困難だし、完成させても評価される事は稀だ。それでも創作し続ける者にしか日は当たらない。
例えばラノベ投稿サイトに作品をUPしても概ね9割は殆ど人目に触れないのだそうだ。俗な文章の世界でも成果を得るのは困難を極める。
それでもラノベを書く事には価値がある。マスターベーションだ。自慰の快楽を伴う創作が許容されているなんて素晴らしい事ではないか。
俺オッサンだけど、そんな感じで時間のある時にシコシコとラノベを書き綴っていた。
鼻から「こまけぇことはいいんだよ」と割り切って書くラノベ執筆のなんと楽しい事か。
昨年8月から書き始め、ある程度の段落が揃ったので、そろそろUPしようかと思って「なろう」の投稿の仕方とか調べていたところなのですが。
…なんだか俺の書いたラノベと似通ったアニメが放送されている!
いまからUPしてもパクリと言われかねないほど設定とか似ている!
こんな事なら完結の目処が立たないうちからさっさと公開していればよかったと後悔しながらお蔵入りとなった自作ラノベは書きあがる前に挫折したのでした。
侮っていたけど難しいもんだラノベって。
とある業界の仕事が好きで長年続けていたのだけど、最近になって会社を辞めた。
理由は職場環境にある。どんなに自分が誇れる仕事でも大好きだと思ってやってる仕事でも、環境が地獄だと心が死んで好きなものが嫌いになってしまうことを実感した。
文章下手かもしれないけどとにかく言いたいのは、職場の環境に悩んで死にそうになってる人はガンガン転職していいってこと。特に人間関係は経験上一度もうダメだこの会社と思ったらどんなにそこで頑張っても自分がしんどくなるだけ。社内に味方がいないというのはとてもつらい。
どうやって心を殺されていったか、手順はこうだ。
まず所属していたチームのヒエラルキーが問答無用で最下位。そのチームというだけで雑な扱いをされるもんなんだけどまずその風潮がおかしいってことにどうして誰も気づかない。自分の挨拶は無視されるのに先輩の挨拶は通る。社内での露骨な差別。
「お前が死んでも代わりはいるもの」とばかりにオフィス内全体が雑。自尊心がなくなる。
あれ?みんなにこのチーム丸ごと見えてない?あれ?みたいなことはもちろん日常茶飯事。集合写真でも当然のようにはぶられる。自尊心がなくなる。
わからないことは上司や先輩誰に聞いても知るかよと言われるので頼りにせず全て自力で解決。むしろ人に頼ってはいけない、自分は人に頼るダメなやつと思い始める。自尊心がなくなる。
タイムカードなにそれ?シフト制だけど希望休なんてものはないし有給なにそれ?朝は誰より早く出社して全員が就業時間ぴったりに仕事を始められる準備をするのが当然になってくる。し、誰にもそれを止められない。タイムカードはデジタルだから改ざん可能だやったね!
さっきも言ったけどシフト制だから突然休むとチームの仕事が回らない。張ってでも行く。
祖父が亡くなった朝、その日はチームの仲間が全員休みで自分がいないと仕事が回らないからと出社した。判断力が狂ってる。
結局早退して次の日会社に行くと、お悔やみどころか昨日お前が帰った後大変だったと先輩上司からのバッシング。みんなじーちゃん大事にしような!
そうしている間に上司は有給使って海外旅行とか行ってたなぁ……お土産みんなには配ってたなぁ……
エクセルで写真編集しろ?ポスター校正?それは専門の業者に発注したほうがいいっすよ先輩!!!やりまぁす!
上司のミスなのにしこたま怒鳴られていやあなたのミスですよって指摘しようものなら無言の圧力!いや今自分のミスって気付いたやんけ謝罪なしかい!!もういいよ甘んじて受けますよその説教。自信なくすし自尊心もなくなる。
評価などされない。体調不良なら冷えピタしてレッドブルかっこみながら仕事するのが当然、心配はされない。クレームの電話と小一時間戦い受話器を置いた後でも周りは我関せずと静まり返る。お疲れ、の一言があれば救われただろうに。
他にも都合のいい時だけ都合のいいように使われる奴隷のような扱いを受けてきてあーそうか透明人間だからみんなには見えてないんだーとか聴力を一切シャットアウトしてパソコンに没頭したりと無心じゃなきゃやってられないぜって感じだったわけで、そうなってくると自然と自尊心がなくなる。
自尊心がなくなる。
唯一お互いに仲間であるはずのチーム内でも亀裂というかなんというか生まれてくるわけだ。みんなも奴隷のように働いているから自分の保身で精一杯で人を思いやる心を忘れてしまう。
半年で4人の奴隷が辞めていった。4人で回すチームなのにね。確かに誰かが死んでも代わりはいたけど短い人3ヶ月持たなかったね。みんな毎日泣いてた。
こうして味方がいなくなり、自分自身にも自信がなくなり、そんな状況で働いてもうまく行くわけもなく社内で一番何もできないダメ人間と自分で自分の評価を落としてしまう。自尊心が消えた。
ただ仕事は好きだった。濁しまくっているからこの感動をうまく文章で伝えられないのが悔しいけど社内で評価されなくても自分の仕事は別のところで活きてると知っていたし、どんなに自尊心をなくしてもこの仕事が好きだということだけがモチベーションだった。
でも心を殺された先駆者が口を揃えて言うように、心が削れて死んでいくと、好きだったものが好きじゃなくなってしまう。
嫌いになると言うより興味をなくす。貴重な休日に外出する気力もなく布団に引きこもるし新しい情報を収集する気が起きない。自分で自分がおかしくなってることに気付いているのにどうしたらいいかがわからない。原因は明白、だけど仕事をしなくちゃならない。仕事をしなくちゃ。会社に行かなくちゃ。
そうだ、考えることをやめよう。
ただただ朝起きて会社に行って仕事をして帰宅するそれだけに全生命パワーを注がないと人としての形を保っていられない感じになってくる。友達からのLINEとか返せるわけがない。Twitterも見ない。
毎朝の通勤で泣きながら歩き、帰りも泣きながら歩く。普通じゃない。けどこの時はもう自分が悪いからこうなってるんだと思ってる。頑張るしかないと思ってる。
頑張ってもどうにもならないこともある。
この仕事を嫌いになる前にもう辞めようと決心して上司にどれだけつらいか、この環境がどんなにおかしいか、自分以外のチームの全員が精神的に参っている、訴えたけどうわべだけの「そうなるまで気づかなくてごめんね」をもらった。そう言われるのは知ってたよ先に辞めていった綾波達もそう言われてたからね。マニュアルかよ。この人たちには血が通ってないんだ。
もっとつらい環境で仕事してる人もいるとか、その程度で泣き言かよとか、そうじゃなくて自分が今しんどくて死にかけてるんだったらそんなところ居る必要ない。
仕事辞めて転職して、めちゃくちゃ心が回復したし好きなものを好きだと思える毎日は楽しい。新作映画のチェックをする余裕もあるし休日無駄に美術館とか行っちゃう。楽しい。
毎日地獄のように過ごしてて正直ずっと仕事辞めたい辞めたい辞めたいってなってる人はある程度自分の人生に無責任になって一旦放り投げるのもアリだと思う。死にながら毎日を消費するよりずっとマシ。
少なくとも仕事辞めて転職して生き返った人間がここにいる。職種も違うけどこれはこれで楽しいから逆に視野広がったしキャリアアップである。仕事辞めてもなんとかなるよ。
あと社内に味方がいなくても誰かしら味方はいることを忘れちゃいけない。それが家族なのか友達なのか知らんが頼れる人には甘えていい。
どうでも良いけどなんのための社内義務ストレス値チェック診断なのか。あれかなり数値オーバーしててお前の精神状態ヤバいぞってメールバンバン来てたけど医者にかかろうとすると内容を会社側に開示するシステム、プライバシー皆無すぎて自己申告できるわけねぇーーー
仕事は大事だけど自分の心身よりも大事な仕事はないと思った。以上。
長いのに読んでくれてありがとう。
ツイート主「英単語の意味を調べるために、先生の許可を得てスマホを使っていたら別の先生に怒られてスマホを没収された。スマホは2月1日まで返さないと言われた。その日の放課後、持病で学校のトイレで倒れて目が覚めたら夜の8時で学校内には自分以外誰もいなかった。トイレの窓は開けっぱなしで吹雪いていたので死ぬかと思った。センサーが反応してアルソックが来てくれて助かった。アルソックの費用は学校持ち。ざまあ。持病があるのにルールを押し付けて携帯を没収して返さないなんてクソ!」
まとめ
https://togetter.com/li/1193685
○スマホ使用の許可を出した先生はフォローしてくれなかったのか?○○先生が使ってもいいって言いました、とは言わなかったのか?それでも問答無用で没収?
○放課後になったら返すとかじゃなくて高校生の携帯を何日も没収って今時ありうるのか?
○夜の8時に先生も生徒も全員帰ってるってあるか……?部活だのサビ残だので残ってる人いそうだけど
○当番の先生が毎日全ての教室やトイレを見回りして帰るはずだが
見回り手抜きしてトイレの個室ひとつひとつちゃんと見なかったっていうのはあるかもしれないけど窓が開いてことに気づかないってある?
○センサーがあるような学校なら窓が締まっていないことを感知するシステムがあると思う
○アルソック1回呼ぶごとに金かかるの?
○8時まで帰宅しなかったのに家族は学校やツイート主の携帯に連絡を入れなかったのか?
○死にかけたのに〆が「携帯返せ!」って
↓
○ツイート主は友人と何らかの金銭取り引きをする約束があったのだが、この騒動が原因で入金を数日延長させてもらっている状況らしい
↓
○先日のローチケ騒動のように入金を延期もしくはすっぽかすために偽の事件をでっちあげた?
と、まあツッコミどころだとか予想コメントとかいくつか挙がってるけど
「教師死ね!」「人のものを没収するなんて窃盗!犯罪者!」「教師死ね!」「早く学校を特定してその教師を殺せ!」という論調の人も多い
教師を叩くためならみんな簡単にこんな怪しい奴の言い分を信じてしまうんだな
たとえ数時間でも生徒の持ち物を奪うなんて駄目って奴もいるけど
授業中のスマホ弄りを何回注意してもやめられない奴がいてもそれでも携帯の一時預かりはNG?
俺学校にこんなもの持ってきちゃったぜ~~wってゲーム機だの折り畳みナイフだのコンドームだの持ち出してウェイウェイ大騒ぎしながら見せびらかすバカへの対処はどうするんだ?持って来たもの勝ちでお咎めなしか?
底辺高校じゃなくてもこの手の奴は一定数いると思うけど野放しでいいの?
ルールを撤廃した結果不快な思いするのはいわゆる陰キャの奴らだと思うけど
俺も学校には色々と恨みがあるから気持ちは分かる、しかしあまりにも教師憎しが先行してないか
最近は「店員だって人間」「母親だって人間」なんて声もよく挙がるようになったのに先生相手だとそういうのほとんどない
いたいけな子どもが鬼畜教師に暴言・暴行の被害を受ける、そういうことだって確かにあるけど実際はクソガキがゴミみたいなことやって叱られてることの方が多いだろ
神経逆なでする広告はそりゃ注目を浴びるよね。だから、やっぱりAdBlockは必須だわ。
とくに婚○周りがひどいや。
伏せ字にするのは、そのトレーシングでまたその広告が増えるから。
神経逆なでするようなことを散々広告提示してきて、ある時、「はよ婚○せんかい!」みたいなババアのドアップで、うざいのがでたので、
それ以降は問答無用で婚○の文字が出たらすぐバン!って打つようにその広告枠ごとブロック。
そうすれば、俺に婚○の広告出したら広告枠ごと潰すよ!?と少しは理解してくれたらなぁと。
別に社員の不正を疑ってるわけでなく、何だこの技術?と思って、ワンクリックして、ああ、あの技術ね。と納得して終わった。
それ以来、あそこの広告がもうほんとうざい。社員不正してるよ!?あさらないと大変なことになるよ!?みたいな感じで。
婚○ほどじゃないからまあ、放置してるが、なんとも微妙なところ。
そろそろブロックしようかな?どうしようかな?
1つ上の姉が物心ついた時から大嫌いで、30になった今に至るまでマジで喋るだけでイライラする。
例えば昨日久しぶりに動画で電話したんだけど、うちの子0歳が机の上に登ろうとしたら、それを見つけて躾をどうだこうだ言い始め、うちの子はこんな風に言い聞かせてたから全然そんなことしなくて、以下ずーっとダラダラ自分の教育論が続く。
うざ。
いや言い聞かせてるけどね、性格があるからね。と反論するといや、うちの子も少し登ろうとするけどダメよっていうとすぐやめるよー!やっぱりゼロ歳から言い続けないとね。この子たち大人の言葉ちゃんとわかってるから!ゼロ歳まで許してたのに、一歳から急に言い始めてもね、今までいいって言ってたのになんで!って思うのよやっぱり!
うるせー、なげー、黙れブス!
あぁむかしなんかの小説で読んだ。家族だから問答無用で好きとはなれないんだって。
マジうぜ、関わりたくねー
センセイの話によると、こういうことらしい。
だがタバコがポピュラーになりすぎると病気の人間が増え、保険料が増えてしまって本末転倒。
だから教育メディアを通して、タバコのネガティブな側面を認知させることでそれを抑制。
そこで禁煙法を制定。
紆余曲折を経て、最終的に二択を強いるわけだ。
「税金をうんとかけてでも吸いたいか? それとも吸うのをやめるか?」
問答無用で受け入れざるを得ないってことらしい。
「そうやって喫煙家と嫌煙家を対立させ、程よく“議論が深まった”ら、タバコの重税を落としどころとして提示するってわけ」
つまり政府にとって禁煙法の目的はタバコの根絶ではなく、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手にいれることだった。
「道理で禁煙法が制定されても、センセイたちは割と冷静だったんですね。政府の思惑を理解していたから」
「政府だって、あの市長みたいな輩ばっかりというわけでもないからね。タバコを簡単にクビにできるほど、私たちの国は金も心も豊かではないことくらい分かっている」
「でも、それって……つまり嫌煙家を煽り立てて、その実は喫煙家を飼い殺しにしたってことですよね。税金をたくさん手にいれるために」
「悪い言い方をするなら、そういうことだ。だが私たちはそれで納得せざるを得ない。様々な人間が一つの社会で生きている以上、各々が自分の望むものを享受するには、多少のことは甘受しなければならないからな」
「不服じゃないと言ったら嘘になるが、政府を責める気はねえぞ。社会を動かすのは名分だが、支えるのは実利だ。それを両立させる必要があったから、ヤツらは自分の仕事を遂行しただけ」
タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで多く儲ける。
何だか矛盾しているような気もするが、その矛盾を成立させるのが彼らの仕事なのだろう。
しかし、俺は理屈の上では理解できても、何だかモヤモヤが拭えないでいた。
「じゃあ、市長の前で俺たちが言ったことって、大した理屈じゃないってことですか」
「一応の筋は通ってはいたんだが、まあそうなるな。身も蓋もないこと言うと、禁煙法が上手くいかなかったのだってタバコがポピュラーな嗜好品だったからなのが大きな要因だし」
「今でこそ縮小しちゃいるが、一昔前はこの町で人口の半分以上が親しんでいたもんな。そこまで普及したものを、ちょっとやそっとのことで無くせるわけがねえ」
「そうなんですか。てっきり俺は、あの抗争はセンセイたちが裏で色々と根回ししたからだと思ってました」
俺が冗談めかしてそう言うと、さっきまで笑いに包まれていたカフェはいきなり静かになった。
「……マスダ、そういうことは思っても口にするもんじゃないぞ」
「そうだ。本当に俺たちがそんなことしてたらタダでは済まない。お互いに」
「……まあ、他の理由を挙げますと、組合や協会などの強大な組織があったのも大きいですな。同じ理由で、餅やストロング系飲料とかも結局は合法化されましたし。この調子だと、マリファナもいずれ合法化するかも」
「ははは、さすがにそれはないだろ」
「それにしても、そうやって害悪なものを容認することが結果として是になるなら、いずれ課金ゲームのガチャとかも税金がかけられるだけで残り続けるんでしょうか」
「もう、かかってるよ。近々、値上げするんじゃないかな」
「マジすか……」
「マスダはもう少し、自身の情報アンテナを強化したほうがいい」
『物事には善悪だとか好悪だとかでは単純に語れない。そういうケースが多くある』
センセイが以前に言っていたことだが、俺がその意味を正しく理解する日は、もう少し先になりそうだ。
誰がタバコを吸ってる?
俺たちが吸ってる
それはタバコだよな?
俺たちは愛煙家
誰がタバコを吸ってる?
俺たちがタバコ吸ってる
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
タバコ 誰が好き?
タバコ 俺が好き
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
私的メモ。 https://anond.hatelabo.jp/20171230110506 こっちの追記。
2クール目のボールルームへようこそは1クール目テンポ悪いなあと思ってたけど千夏ちゃんと組んでから最終回の流れは良かった。
生放送については軽く あんまり見てないからあんまりどうこう言えない
実況系だけで言えば既に他サイトに対して勝ち目が全くないな とは思います
・重い
問答無用 今やveohやdailymotionより遅い 過去動画についてはシークもできない
淫夢系のネタとしてある「ケツデカ課長」をサンプリングしてピングーをアテレコする「ケツデカピングー」という動画シリーズがあった
10万再生されていたシリーズだったが突如全削除された 理由は権利者削除
ところがどっこい なんとこの動画シリーズ youtubeに転載されたものは権利元もセーフのお墨付きがついてる
ゲイポルノ動画素材を子供向けアニメにくっつけた物が権利的にセーフになってるって それ本来ニコニコがすべきことなんじゃないのか
言葉尻警察になってしまうが発表会での「現状ニコニコにはMAD文化的なものしか優位な部分がないと思うが」という質問に対して
という会長の言葉はまぁ なんというか 本当に何もわかってないんだ というか
立場的にどうしようもないのかな っていうのが割と最初から使ってきた人の印象
リベリオンみたいなB級映画をコメしながらたらたらみるのとかすっごい面白かったんだけどなぁ 今ほぼ全滅してる
youtubeなんか削除追いついてなくて結局無法地帯と化してるし
割と書く気だったけど発表会の音声聞きながら書いてたら気持ちがなえてきた
伊尻さん、早くyoutube垢作ってくれ お前の動画を高画質で見たい 多分荒いんだろうけど
追記
例のアレに関していえばそこまで好きじゃないけど自分からしたらボカロも同じぐらい興味ないのでそう言い換えてもいい cluster aって知ってますか?
それなりの視聴者数が確保できる文化があるならそれを持ち上げないまでもやんわりと保護できるならなんでそれをしないんだ?唯一の差別化ポイントなのに っていう