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はてなキーワード: ラベリングとは

2023-03-19

ジャニー喜多川の件がめちゃくちゃ面白いと思っている

今まで日本の闇と言えば安倍統一教会であり、統一教会擁護とすると左派からウヨと呼ばれる風潮があった。しかし今回のジャニー喜多川の件では逆に右派がその件を推しているのはご存知だろうか。左派は割とどうでもいいと思っているか擁護している。ツイッターを見てるとおおよそそんな感じだ。おそらく壺壺言われた仕返しのような感じだろうか。しか右派は大体頭悪いのでそこを上手く活用できてない。ジャニアノンとかラベリングして口汚く罵ってもいいか右派にはもっとずる賢くなってほしい。こうやって立場が逆転するのは面白いのでそんなことがどんどん起きてほしい。

2023-03-16

ジャンプ+の読み切り鹿野くんって美味しそうだね」が良すぎたので

最&高作品感想を書く。ジャンプ+は莎々野先生に「マリトッツォだっつてんだろ」でアナログ部門賞をあげた責任を取ってさっさと短編集を出して欲しい。

本作があまりにも性癖クリティカルヒットしたので思わず筆を取ってしまった。

何が最高かって、キャラも可愛くて純愛で、そして適度に闇があっても作品根本には人が人を想う思いやりにあふれているところ。空気感がエモくて二人の関係恋愛ゴッコから運命恋人に変わっていく流れも最高だし、何より溢れ出す感情言葉にできず涙としてしか吐露できないシチュフェチの筆者にとって終盤の展開が死ぬほど刺さる。

ただ、作品ステレオタイプに「ヤンデレメンヘラもの」とラベリングしてちゃん物語を読み解いていない人が散見される。それはとてももったいないので、後ろで自分なりに補足を書きたいと思う。

かわいい

とにかく鹿野くんも狩谷さんも可愛すぎる。狩谷さんにうでギュッってされる度に「アッ」とビクンビクンするのは、女、いや人慣れしなさすぎてまさに野生のシカみたいだし、自分から振ったくせに泣きながら揚げ物かじる姿は滑稽可愛いし、初デートで初めてばかりの経験に目をキラキラさせて精一杯楽しもうとしている姿も素直でかわいい

「語尾にハートがつくような甘々口調でしか恋人献身的で可愛くておっぱい大きな女の子」だけど「実は傷を抱えていてバイブル少女漫画)に書いてない自分本音晒すときうつむいてつっかえてながらでしか喋ることができない」ギャップヒロイン(狩谷さん)みんな大好きでしょ? 少なくとも筆者は大好き! あと作中に出てくる二通の狩谷さんの手紙便箋デコっているシール女児みたいでめっちゃ可愛い。髪の毛が細いから毛が浮いて輪郭がホワホワしているところも好き(懺悔すると、筆者は別れ話を告げられた時の狩谷さんのどんどんと感情が抜けてゆく目と回らない呂律という可哀想てんこ盛りのシーンにちょっぴり興奮してしまった。)

でもやっぱり一番好きなのは、二人の最後のページ顔だよ。狩谷さんの笑顔キスで照れて赤面している可愛い鹿野くんに向けられて、鹿野くんは狩谷さんの真っ直ぐな笑顔ますます照れてしまう。無限機関はここに実在した。

ヤンデレメンヘラ描写について

本作の感想ホラーだとか鹿野可哀想だとか漫画の(しかも絵だけの)表層しか理解していない意見散見されたが、狩谷さんをメンヘラと呼ぶのは(一応)正しいけどヤンデレは間違いであって、本作のストーリーライン理解していない発言である。狩谷+鹿野を指してヤンデレメンヘラに捕われた彼くんと考えるのを止めるのは、作者のミスリードに見事に引っかかっていると言えるだろう。主人公の狩谷は一見愛が重くて行き過ぎた愛情表現をする少女に見えるが、実際はかつて元カレの心ない言葉で酷く傷付けられ心に呪いを受けて苦しんでいる怪我人であり、本作はその彼女鹿野の若く真っ直ぐな愛で呪いから解き放たれる物語である

作中の時系列に従うと、狩谷の心境の変化は次のように説明できる。

  • しかし、元カレにかけられたその呪い鹿野の「自分は狩谷さんが好きだから一緒に居たい」という言葉、そしてその後の「恋している人はみんな馬鹿だ」「あなたおかしいなら一緒におかしくなるから」という頭がおかしくたってそれが普通なんだという告白で解呪されました。目の前の鹿野くんは真っ直ぐに私のことを好きだと言ってくれていて、私は頭がおかしくないしそれが普通なだって。(余談だけどp61の「狩谷さんに一回ぐらい殺されそうになろうと 狩谷さんを受け入れる選択をする」と告げる鹿野を無言でじっと見つめる狩谷さんの涙の跡が残る顔が、強く睨んでいるようにも惚けているようにも見えてめっちゃ好き)

元カレに傷付けられた心も癒えて、お互いの想い合う気持ちも伝えて、あとはもう二人が人生の終わりを迎えるまで何度も生きてきた中で最高のキス更新していくだけだよ!!!!!! ラブあんハッピー!!!!!!!!! お幸せ!!!!!!!!!!!!

鹿野くんは光の彼くんなのか

軽く流し読みしただけだと鹿野くんは病んでる狩谷さんを都合よく支える彼くんに見えるかもしれない。しかし、ちゃんと彼の発言分析するとそうではないことが分かる。前述したレストランの一幕、ラブラブカップル専用ジュースを頼む奴らなんて頭がおかしいという近くの席から聞こえる陰口に、彼はそんなこと言う奴らの方がモテないしブサイクだとこちらも大概な偏見丸出しの発言をする。自分自身が陰口を打つ彼らと同じ側の人間であることを証明しているのである(「アッ(気付き)」とか漏れ出る情報から分かるように腐れオタクだしね…)。そして傷ついたからと独善的に狩谷さんに別れを切り出すところもそう。自分彼女と付き合う自信が無くなったくせに「彼女元カレを忘れられないから」と欺瞞を重ねて一方的彼女に別れを告げるのは、頭でっかち自分のことしか考えていない独りよがり非モテの発想他ならない。

これらの事例から分かるように、鹿野くんも年相応に青くて不器用少年なのである。これまで彼女が居たことがなく、作者曰く「中学生の頃は教室の隅でニヤつきながら、如何にリア充が害のある生き物であるかを友達と話し、そんな会話がなんだかんだ肌に馴染んでいた」少年だ。だからレストランの時に彼女に言った「恋愛していると皆バカになる」という発言実体験を伴わない聞きかじっただけの知識披露しただけだろうし、相手が狩谷さんではなければ上から目線ウザみたいに思われていたかもしれない。しかしその時彼の前に座っていたのが狩谷さんで、しかもその言葉元カレに淡い恋愛観をへし折られ傷ついている狩谷さんにとって最も必要ものだった。彼がこの発言をしたのは自己肯定感が低いオタクからというのもあるのだろうが、ただの偶然だとしても、その偶然の積み重ねが運命なのである

そして彼の最も偉大な功績は、狩谷さんに対して真摯に向かい合い続けて、自分の素直な気持ち楽しい、嬉しい、一緒にいたい)を伝え続けたことだ。元カレの心ない言葉に傷ついて自分恋愛観が信じられなくなっていた狩谷さんにとって、真正から彼女気持ちを受け止めて感情を伝えてくれる彼の存在特効薬だった。二度目の「恋している人はみんな馬鹿だ」は彼女デートして浮かれてしまった自分体験に根ざした、心から気持ちだし、真剣に、本当に正面から彼女気持ちを受け止めて打ち返したのは本当にすごいことだ。

まだ青いけどいい奴なんだよな鹿野くんは。狩谷さんを一方的に振った後も泣きながら一人で反省していたのだろうし、「俺は狩谷さんのことが好きだからです」以降は覚醒して包容力化身と化しているし。正直告白以降の鹿野くんは光の彼くんと言ってもいいと思う。もう鹿野くんがいる限り狩谷さんは大丈夫だろうけど、へんにスカしたりせずに素直なままでいるんだぞ。

2023-03-14

anond:20230314091524

その認識のものが知性に背を向けている発言なので反知性というラベリングをされる

2023-03-08

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2023-02-20

anond:20230220110117

今まで生主とか配信者にさして興味なかったけどVtuberってラベリングするようになってから面白く感じるようになってしまたから絵の効果ってすごい

2023-02-06

anond:20230206022856

ワシの元カノも似たような感じだったけど

ワシの元カノ精神科通ってたけど診断持ってなかったぞ

多分なんらかの発達障害の気はあったと思うし

医者も近い見立てを持ってたと思うが

本人が望まない限りラベリングしないんじゃないの

2023-02-02

anond:20230202020747

なんか微妙に思うところがあって完全に他人事とは思えぬ30代女です

増田そもそも「私は非モテ女」って意識を変えたほうがいいのかなと思った

話聞いた感じ、モテ文脈じゃなくても、例えば同性の友人とかとでも増田とお付き合いするの結構苦労してると思うな…(ごめん)

でも増田は今うまくいかないことの理由に対して雑に「非モテ女だから」ってレッテル貼りして、なんというかしかたがない不幸を嘆くだけで努力せず満足しちゃってる状況だと思う

ので、そのラベリング一旦剥がして本当の自分と向き合って、一個一個原因追求して、どうしたら人間として魅力的になれるか悩んで努力したほうが最終的にモテやすくなるんじゃないか

せっかく今の友達もいるんだし、増田の良いところ気になるところを腹割って教えてもらうといいと思う

最後増田のいいなと思ったところを。

言及ブコメも多くて、中にはただの暴言だったり無関係に盛り上がったりしてるものも多いけど、増田が拾い上げたコメントちゃん増田のことを思ってのものが多い印象を受けた

かい内容はともかく、発言者意識をきちんと汲み取れる素敵な能力だと思う

まあ頑張ってよ!

2023-01-28

anond:20230128173456

その「あくどい」というラベリング自体社会的に構築された恣意的ものに過ぎないんじゃないの?

2023-01-22

数学者無名具合に疑問

第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。

マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。

数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。

これらの人物共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論公式発見者かどうかということに過ぎない。

特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代人物数学者でも知名度が高い人がいることになる。

ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。

高度な現代数学でも岡潔望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。

岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分コネを使って論文掲載させたこと。

そういう生き様センセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。

ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。

ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者土俵はもっぱら実験実証なかにあると思う。

実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。

もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。

一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。

理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである

理論構造自体も目に見えるようなわかりやす因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから知識の欠落がなかったとしてもその理解純粋に難しい。

しかし高度な論文作成はその先にあるのだからこの数学研究というものは果てのない作業なのである

望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである

そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。

ようするに現代数学者天才である。あの手の分野の数学者受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっと現代数学者絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合問題なのであろうけど。

そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。

私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。

から劣等感元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。

彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか

あるいはこういうことなのかもしれない。既存知識理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。

まり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。

現代数学者チョムスキー生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれ言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論創造できたのだろうか。漢字世界白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史巨人になれただろうか。

理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるもの量化などもちろんできない、一種特殊能力なのではなかろうか。

数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。

コペルニクスだったか海上水平線帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまり理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかい論説委員の本に書いてあったと思う。

本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人発見した事実ベース論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。

ただしコペルニクスデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。

しかしできないのだとしてもそれは役割問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀イギリスでは優秀な人間天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。

学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感センスで決まると認識があった証左なのだろうか。

そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。

そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。

まあそれでも既存知識理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものあるかなノー勉東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。

dorawiiより

2023-01-12

anond:20230112183601

しかしあのアカウントが垂れ流してる妄想ヘイトは見るに堪えない

アノンさんたち。

こういうのをラベリングと言います

これがヘイトです。

税金よりヘイト大事

おかしいと思います

このデタラメな態度で税金が盗まれています

2023-01-07

誰かがラベリングしないと、漫画描くAIとか出てこなくない?

イラストに関してはdanbooruデータセットで、画像の中のどこかってセグメント情報まであったから出来たけどさ。

あるところまで出来たら普通にdanbooruサイトに付いてるタグでいけるみたいだけど・・・

漫画に関しては一部しかないじゃん。

2023-01-03

anond:20230103181631

うーん単なる沈黙だと、追加燃料がドンドン見つかるケースに対応できないわけで不誠実のラベリングを甘受しなくちゃいけないことになる

継続的活動には痛手じゃね?

最初に燃料出し切ってあとは沈黙ってのがいいんだろうけど

例えばcolaboの件なんて自爆も含めて継続的燃えてるわけで最初弁護士並べたあとダンマリ決め込んでるけど一向に収まらんぞ

やってるうちに国会騒ぎになったらさらなる延焼ってわけでダンマリがうまく機能してないケースもある

2022-12-31

[] ハッ⚡️意識高いのでは?(チラッ →  気のせいだったようだ🐶(ションボリ →  まいっか🍖(むしゃむしゃ →  ハッ⚡️意識高いのでは?(略 を繰り返して生きてる

意識の高い・低いは、性質と日々の積み重ねなので、ある日突然、意識高くなったりする事は無い

でも何故か、ふと過去出来事を思い出して引っ張り出してはラベリングして、実は意識高いのでは?!ごっこをしている

 

しかし残念ながら、今日またひとつ気のせいだったことが判明した

 

保育園の頃、顔に大火傷負った女の子がいた

の子は避けていたようなのだが、自分はまったく気にせず遊んでいた

それは単純に気にならなかったかなのだが、保育園先生やそれをきいた母ちゃんにえらく褒められた

それ以降も、自分自身を含めて人の美醜を気にしたことも興味を持ったこともなかったので、

きっとワイは意識高いんやな✨と思ってそこにラベリングをしといた・・・・・・・が、

どうやら、ただ単に、相貌失認だっただけの模様、無念である

 

自分自身の容姿が気にならないのも別にどうでいいの強度が常人と違うだけやったんやなぁ・・・

2022-12-19

本当は恐ろしい暇アノン

https://anond.hatelabo.jp/20221219221334

なぜかいっぺんにかけないので続き

Colaboがナニカグループお金研修名目で流していることがバレたから?

けいた

@0721_gg

この人が受けてる講習、一体何?

アノン、どんどんヤバくなってませんか。

午前7:48 · 2022年12月17日

https://twitter.com/0721_gg/status/1603884906802974720

ColaboをNPO法人と言ったアカウントが何を言っているのやら。

夜風

@nocturnospirito

今回のColaboの件に関連して、かなりファナティックな暇アノンの人のTwがTLに飛び込んできて、なぜかと思ったら普段かなり信頼している人がフォローしているからだったりするケースが頻発しており、もうTwitterやめちゃいたい気分になっている

午後8:35 · 2022年12月14日

14 件のリツイート1 件の引用ツイート66 件のいいね

https://twitter.com/nocturnospirito/status/1602990785280053248

いわゆる独り言系。まともに事業内容が説明できない税金チューチュースキーム。利益相反しかないAV新法と有識者会議

これらを擁護している以上、あなた社会的不正義の参加者であり、あなたの気分は何ら正しくない。間違っている。

柏木哲夫

@tkore61

こういうのをヤバい人と思えないならキミらも暇アノン🥱

https://twitter.com/tkore61/status/1604348003933818880

午後2:29 · 2022年12月18日

そして今回重視したのはこれである

【#脱原発】旧・反核男子部(非公認意識低い系

@hankakudan_uo

Colabo叩きの暇アノン北九州NPO抱僕の奥田知志さんにまで手を広げてきたぞ

「全部繋がってた」「答え合わせ完了」とかドヤってる

これ関係者は要警戒だと思うぞ、炎上デマ撒かれそう

#暇アノン

午後10:58 · 2022年12月11日

https://twitter.com/hankakudan_uo/status/1601939428859342848

【#脱原発】旧・反核男子部(非公認意識低い系

@hankakudan_uo

【 どなたでも相互フォローします、お気軽にどうぞ 】 クールトール&ダーク&ハンサムでワン・マンアーミー昭和オッサン紳士の群れ。反原連(脱原発一択無党派ワンイシューが基本。福岡反核界隈に非政治的に出没。このアカウントでは拡散推奨なツイート紹介(RT)を主に行っています、再RTなど各位様の活用を是非お願いしま

しかしそれをフェミ松速報で知るかな(苦笑)。それはさておき、この暇アノン隠蔽しようとしたものは抱樸との繋がりであるということがここでわかる。

ジミー加藤(フルモデルナ+ファイザー)

@KATOHSAMANOSUKE·

12月18日

おじま議員が暇アノンとか使ったツイートいいねしててしばき隊野間レベルがバレたのは草生える

https://twitter.com/KATOHSAMANOSUKE/status/1604141833751523328

このように都議れべるでも平気で個人抹殺に加担する。都議という連中がいか有権者バカにしているかがわかると思う。そういう連中しか居ない。

tama ishi

@Codr00

12月15日

いいねでも訴えるとした団体を支える会が暇アノンなどの様なレッテル張り投稿に何度もイイねするのって・・・ #colabo

まとめ暇アノンが流された過程目的

アノンという単語が流された過程

まり、今頃参加しだした連中とは、勝部元気が犬笛を吹いていることに反応した連中だと言える。

アノンという単語を流した目的

そしてその目的は、コラボのためではなく、ナニカグループと抱樸の奥田疑惑が向けられているからだと言っているアカウント存在する。

そうすると、不正会計で税金チューチュースキームには抱樸の奥田が関与しており、その関与を隠蔽するために暇アノンという単語ツィッターに流したということになる。

なぜなら、暇アノンプロパガンダのうち、「ラベリング」という手法であり、この手法を使う目的は「信用破壊」ということになるからだ。暇空茜は嘘を付いている、信用ができないやつだ。あんなのを信用するのはおかしい。

この暇アノンプロパガンダ都議学者マスコミ社会学部学生、そして当然ブルージャパンが関与しているだろう。現在の流れで行けばそう言わざるを得ない。

完全に誹謗中傷であり人権侵害

問題なのは、このような行為は日頃あれだけ言われている人権侵害誹謗中傷なのである。これを学生を含め、労働組合関係者等がよってたかったて行っている。しかもそれはずっと続いているのである

これが暇空氏でなければあっさり潰されているだろう。

日本人自分たちに誠実な都議学者マスコミ存在しないのだ。

2022-12-15

anond:20221215122109

それは原義のリベラルじゃなくてネット保守層が雑にラベリングしてる「気に入らない奴ら」という意味での「リベラル」だろ。

そんなの例外しかない少数派。

2022-12-12

anond:20221211230416

女は男女平等なんて望んでないから仁藤を支持してるんだぞ

女が本当に求めてるのは女尊男卑

それを聞こえがいいように男女平等ラベリングしてるだけ

anond:20221212024243

その発達障害ラベリングというのはおいておいて、なんとなく符号はした

2022-12-11

anond:20221211082129

元増田を読んで、これまではてなツイッターで見かけた光景について個人的メモ。(何かの正しさや間違いを主張するものではなし)

最近、叩くことが出来る存在を叩いても問題がないというような風潮がある気がする。

が言えてしまい、ますます党派性が強化され仮想敵への憎しみを募らせることになる。自分正当化意見内輪ネタほとんどの人はふざけて発言しているだけだと信じているけど、同時にその発言に感化されてバイアスが強化されている人がほぼ間違いなく存在することも確信している。

叩く人は印象で叩くからデマ再生産していることに無自覚なのがたちが悪い。

anond:20221210180454

勝手ラベリングして対立構造や敵を作って叩くことを楽しむキッズが増えたなという印象。

意見や考えの出し合いを楽しむ場ではなくなったかな。

2022-11-24

anond:20221124073539

右と左の定義について小学生でもわかるように説明するのでぜひ読んで。




右と左。保守リベラル

最近政治家でも、よくわかってないんじゃね?っていう人が増えてきたので

ちょっと分かりやす説明したいと思う。

大体この本を読んで、自分なりに解釈した感じなので

気になる人は読んでみると良い。(なんか今セールで300円くらいだった)

右翼左翼 (幻冬舎新書) | 浅羽通明 | 哲学思想 | Kindleストア |

https://www.amazon.co.jp/dp/B01CFU33J2/


人が集まって、

みんなで何かを決めなきゃならない時がある。

学生だと「文化祭の出し物どうするか」みたいな。

そして「社会をどうしていくか」を決めるのが政治役割

「何かを決める」ときに、

ある程度、良い結果を見込める方法は2つある。


①前からやっているやり方にならう

②新しい解決方法を考える


①が保守で②がリベラルだ。

どちらか一方が正しいということではない。


これは、

「何かを決める自分たちの知性」をどう評価するのか?

という態度を決めることでもある。

ある問題解決方法として、

A(今までのやりかた)かB(最近開発されたやりかた)を選ぶとする。


保守の考え方はこうだ。

「俺たちの現在技術では、Bというやり方を取ることもできる」

しかし、父親の代もその更に前の代もAを選択してきた」

「よく調べてみると、過去の人たちもBを検討したり、選択したが失敗した歴史を経ている」

「そういった先人の知恵や挑戦と比較して、自分たちが特に優れている訳ではない」

「だから、先人と同じようにAを選択しよう」


一方で

リベラルの考え方はこうなる。

「俺たちの現在技術では、Bというやり方を取ることもできる」

しかし、父親の代もその更に前の代もAを選択してきた」

「よく調べてみると、過去の人たちもBを検討したり、選択したが失敗した歴史を経ている」

(ここまでは同じ)

現在技術知識を使えば、過去と同じ失敗をすることはない」

「だから現在を生きる我々はBを選択しよう」


まり

自分たちの知性よりも「時のやすりにかけられた、古くからある考え方を尊重する」のが保守であり、

「今の状態こそが、最も進歩した考え方ができる」と、自分たちの知性に信頼を置くのがリベラルである


ここまでの話を土台にすると、ある程度年齢を重ねた人ならば

ウィンストン・チャーチル

20歳の時にリベラルでないのなら情熱が足りない。

40歳とき保守主義者でないのなら、思慮が足りない。」

という言葉意味するところを、腹落ちできるのではないか


ちょっと古い例になるが、

自称リベラルである民主党政権担当時に行った

事業仕分けは、内容や結果はともかく、

「今までやってきた国の事業って、本当に必要なの?」というのは

リベラル的な意思決定としては、当然行われるべきものである


しかし、

自称保守である自民党菅政権初期の

学術会議任命問題は、保守のやり方ではない。

「今までは推薦された学者をそのまま任命してたかもしれないけど、今回は俺の判断で任命しない」

というのは、リベラルのやり方である


大体ここまで基本的な考え方である


次に「右」と「左」について

議会制民主主義の先駆けだったフランス

最初に問われたのが、


王政を倒したけど、これから議会政治的決定をする上で、王の扱い(拒否権など)をどうする?」

ということだ。


もう分かってきたと思うが

「王は倒したけど、ここまで国を運営してきたわけだし、俺たちには分からないこともあるだろうから、ある程度関わってもらった方が良いのでは?」

という保守っぽい意見から

「王はもう政治に関わらせない。これからは俺たち市民政治を決めていく」

というリベラルっぽい意見まで、当然出てきた。


議論するんだから意見が近い人で座る場所自然と分かれる。

それが議長から見て、

右側に保守左側にリベラルに分かれていたため、

右翼」=保守・「左翼」=リベラル

という呼び方ができた。


「右」と「左」が分かりにくい理由

そもそも保守とかリベラルとか自称している人が

ここまでの基本知識を持ってるのか?という疑問はあるが。。。


端的に言うと、

現在政治で決めなければならないことがたくさんあるから


ここまでを見て分かるように、

何でもかんでも「保守」的に決めれば良い訳ではないし、

リベラル」的な解決が正解な訳ではない。


同じ人が、ある問題に関しては、「リベラル」で

ある問題に関しては「保守」という立場を取ることは十分にある。


また、新型コロナへの対応として、

公衆衛生啓蒙と人流抑制保守的な解決策)+mRNAワクチンデジタル化の加速(リベラル的な解決策)の両方が必要だったように、

一方の立場解決可能問題はもはや重要な争点では無いということも多いにあると思う。

そして、「保守」・「リベラル」の定義の都合上

時代の流れとともに、

「かつてリベラルだったものが、保守となる」

ということも、分かりにくくなる要因かもしれない。


結婚したら、夫婦は同じ姓にしましょう」という決め事が、

明治維新後の、戸籍制度の整備を進めていた時期には「リベラル」的な発想だが、

現在価値観では、「保守であるように。


まとめ(というか私の意見

「右」と「左」・「保守」と「リベラル」は源流をたどれば、

物事を決定する時に、より良い決定をするための補助線となる。


そこを知らないまま、誰かの意見に対して、

人格ごとラベリングするような物言い

パヨク」とか「ネトウヨ」とか言っちゃうのは良くないと思う。


ここまでの内容について、

誤りやご意見等あったら、はてなの皆様の知見で、

追記していただけるとうれしい。

2022-11-22

自由を履き違えた炎上

好き勝手放言したあげくに、 逆方向から好き勝手放言する奴らをアンチラベリングして吠えてる馬鹿って何様なんだろうな。

同じ穴の狢なんだよ。

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-06

anond:20221106074916

お前が気に食わない連中のことを「冷笑系」とラベリングしてるだけだから理由はない

2022-11-02

anond:20221102155937

知りもしない他人一方的ラベリングする行為も同じくらい野蛮で無神経である

君が読み手に対してやっている行為のものでは

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