はてなキーワード: センシティブとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/feature/1014
寮生は情報発信が苦手だから、誤解されがちなことや誤解じゃないことについて勝手に書いてくよ
そこまで深く運営に携わってるわけじゃないから勘違いや誤りがあるかもしれないけど、自分が理解してる範囲で無責任に書いてくよ
匿名掲示板やSNSなんかで寮に関わる都市伝説的な話がまことしやかに語られるのは遠巻きに見てる分には愉快だけど
ブコメを見て思い込みベースでバッシングされるのはなんか悲しいなーっと思ったので
明らかに裕福そうな家の人もいるにはいるし、寮に来なくても暮らしていけそうな人で言えば多分結構いるし自分もそう
とはいえ素知らぬ顔で一緒に暮らしながら、仲良くなって家庭環境を知ってみると結構壮絶で
授業料免除と寮暮らしとアルバイトでどうにか通ってるような人も一人二人とは言えないくらいには知ってるから
あくまで印象だけど、学生全体の平均と比べてみても割合的にはやっぱ低所得層の家の人たちが多いんじゃないかなって
寮生は多分300人近くいるはずなので、一人一人の政治的な信条について断言はできないけど
少なくとも自分が住んでる数年間の観測範囲では、そういう人達が寮内で大手を振って活動したり、運営に首を突っ込んでる姿は見たことない
というか今時、ああいう連中の妄言にまともに付き合う人っているんかな?(大学構内ではやたら元気に活動してるけど)
一方でマイノリティの権利なんかにセンシティブな人達はいたりはするけど、そういう人たちは勝手にやっててるし無理やり勧誘してくるようなことはないので...
入寮してから表には一切姿を見せず研究室と寮の往復しかしない院生なんかもざらにいるので、寮で付き合いを強制されることはそんなに多くないと言えるんじゃないかな
これはマジ
とはいえそのこと自体が強制されるわけでもないし(嘘か誠か昔は強制されてて、『敬語を使うんじゃねえ!』と先輩に殴られたとかいう笑えない話がある)
自分なんかは入寮するまでの人生で年功序列制を十分すぎるほど内面化していたし、人見知りなので入ったばっかの頃は同級生にすら敬語だったよ
いざ敬語を使わないのに慣れてみると年齢の感覚が曖昧になって、干支ひとまわりくらい離れてるおっさんとも普通に友達になれるようになったし
立場の違いを必要以上に気にすることがなくなってフラットな人付き合いが出来るようになったよ
向き不向きはあると思うけど、自分にとってはこれが一番好きな部分かもしれない
長いこと住んで感覚が麻痺しててしまっている自分ですら、今のような湿度の高いじめじめした季節には廊下の饐えた臭いが鼻につくし
汚さに関していえば共有スペースはともかく、個々の住人の部屋に関して言えば綺麗な人はどこのモデルハウスだってくらい綺麗なので千差万別
写真で見ると不思議とイカニモな感じに見えてしまうけど、変な人もいるにはいるが大半は普通の大学生なので
当たり前にサブカルに興味ある人もいれば、そうじゃない人も多い
寮にサブカル的な価値を見出したり、挙句自分がいかに変わっているかアピールし出すのはむしろ、訪問者側の人たちに多い印象かな
というのも良くも悪くも、住人にとっては寮はまず第一に家であるし、一緒に暮らす住人に自身の特異性を必要以上にアピールしたって遅かれ早かれ化けの皮がはがれるだけなので...
気が向いたら増やす
勿論、そこには多大という言葉ではくくれない程の犠牲を払ったのだ。
中王区と呼ばれる、男性を完全に排除した区画で政は行われるようになった。
そこで新たな法が制定された。その名もH法案。人を殺傷するすべての武器の製造禁止、及び既存の武器の廃棄。しかし、それだけでは愚かな男性の争いは根絶されない。
なので、争いは銃ではなく人の精神に干渉する特殊な【ヒプノシスマイク】にとって変わった。
言葉が力を持つことになったのだ。
そして争いに親和性のあるラップを使い、優劣を決する世界になった。
男性は中王区外のシンジュク・ディビジョン、シブヤ・ディビジョン、イケブクロ・ディビジョン、ヨコハマ・ディビジョン等の区画で生活をすることになる。
各ディビジョン代表のMCグループがバトルをし、勝った地区は決められた分の他の領土を獲得することができる。
これは、兵器ではなく言葉が力を持つことになった世界で紡がれる男たちの威信をかけた領土バトルなのだ。
有名なライターのダイマツイートや新譜の影響で今かなり注目されている新進気鋭のジャンルだ。要はいわゆるオトメイトにありがちなキャラクター個性の強いイケメンたちの話なのだが、今までになかった「オタク向け×ラップバトル」という所が独特である。
現在、アニメや小説ではなく、オーディオドラマとキャラクターのラップの収録されたCDが主体のコンテンツになっていて、このラップパートにかなり力が入っている。藤森慎吾やサイプレス上野、新譜にはラッパ我リヤやAvecAvecが参加していて、どれも中毒性の高い曲に仕上がっている。
正直、結構ハマっている。新譜が更新された日も、日付が変わってすぐに聴きに行った。前述の通り曲もかっこいいしかわいいし、ドラマパートも思いもよらない掛け合いや、思いもよる掛け合い、オタクなら妄想した展開が起きたりしていて、5年前の自分なら「マジ公式が最大手wwww病気www」と呟いていたと思う。
だけど一方で、このジャンル、かなり危険なんじゃないか、とも思っている。完全に馬鹿にされて乗せられているんじゃないかと感じてしまう。
女尊男卑のH歴では男は女の10倍の税を貸されていて、中王区を囲む高い壁と厳重な門は税金で作られている。男と男のディビジョンを巡るラップバトルの際は許可を得てその門をくぐって中王区に入り、そのバトルは恐らく放映なり中継なりされて、女性の巨大エンターテインメントになっているらしい。しかもかなり人気があるようで、次の日に初バトルが控えているキャラクターが女性に追い回される、という展開もあった。
この「女性に消費されるエンタメとしての男」という在り方は完全に女性向けジャンルの在り方と一致している。イケメンが出てきて、カッコイーだの顔がいいーだの個性強すぎだの言って話題にする。物語の中でもラップバトルの勝敗は女性が付けるようだけど、CDに投票券が付いているので、これはリンクというより完全に重なり合っている。
これが例えば「女性アイドルが露出や過激なサービスを男性に消費されていることへのアンチテーゼ」とか「流行り廃りの早い女性向けジャンルの在り方へのジョークで笑い所」ならかなりブラックだとは思うがまだいいのだ。けれど、設定の基幹、何度も繰り返し強調される部分で行われている。
体制側に女性を置き、打倒すべき相手として設定することで、今の社会なら「クソ女」と言えば差別で蔑称になるのを、不満や怒りの発露、当然の悪口のようにしてしまう。逆に「所詮お前も男ということか」というセリフが出てくるが、これは侮蔑として受け取れるし、そう発する女性に対してキャラクターたちは唇を噛む訳だ。
私にはこの置き換えがホモソーシャルにおいて女性を排除する事への正当化にしか思えない。
オトメイトレーベルは女性向けなのもあって女性キャラクターがほとんど出てこない。そこに正当な理由があるんですよ、としたいがための設定に過ぎないんだと思う。それを元に作り込むような丁寧な世界観構成とは言い難い。
言い訳にしては、女尊男卑の世界観はあまりにメインターゲットに失礼ではないか。
本当に女尊男卑が貫かれているならいい。税金10倍、手取りも悪くて、がんばってもマトモな仕事につけない。女性からは常に舐められる。正社員なのにお茶汲み、ものを頼めば「ほんと生意気、やっぱ男だから仕方ないか〜(笑)」と言われる、そういう世界観なら確かにキャラクターに肩入れして「このクソみたいな世界を変えてくれ!」に素直になれる。
ホストはもてはやされ、お客の女の子を「子猫ちゃん」と呼ぶ。別に上から目線の営業、という訳ではなく、むしろ紳士的な営業のタイプだ。
サラリーマンと同じ職場には女性もいるし、その友達(ホスト)が職場に来た時にナンパをしまくった、という描写から、少なくとも声を掛けられるような関係だとわかる。
警察官という官職にも、医者にも男はなれる。それがとても恵まれた特別なことというような描写はないし、そういう仕事は権力の弱い男に押し付けるということでもないようだ。
ヤクザは「権力・金・女に酒」と歌っているから、少なくとも世の女がほとんど皆男に対して高圧的で支配的な訳ではなく、むしろ逆の立場の女性もいるということがはっきりわかる。
別にこれらだけを抜き出せば女性差別すぎるという訳でもない。現代と変わらないレベルだと思う。
あるいは女性だけのクラス壁の中だけ異常に差別が強いのか、と思えば、レストランの店員の女性に生意気な口を訊いても追い出されるわけでもなし、道で女に声を掛けても「キャー!」と黄色い声を上げるだけで、デリカシーのない発言は返されない。
そのような実状の描写がありながら、ストーリーの旨みのために「覇権を女ばかり握る間違った世の中」としてしまって、巨大な壁を描写して、わかりやすい敵として女性全体を想定することはおかしいのではないかと思うのだ。それならもっと徹底すればいいし、あるいは燃えやすいジェンダーへのdisは避けるのだって定石だ。
しかも元々ラップやヒップホップというのはかなりミソジニーな文化である。FSDではラッパーの女性に「おまえもいつか妻になる 妻になり母になり、そのあと『なんでお母さんあんなことしていたの』っていわれないように」と向けられたほど、女性はスタンスや地元、これまでのバトルよりもジェンダーをdisに上げられてしまう。
それが問題視され始め、ジェンダーフリーなヒップホップをと少しずつ声が上がり始めたまさにその今、こういう性差別的コンテンツが出て来た意味は、偶然というには出来すぎている。単に商業的にいいフィールドだったとしても悪趣味だ。
ヒプノシスマイクというジャンルが怖いところは、ポップでキャッチーなキャラクターや、「ラップで回復・精神干渉・防御する」というコメディチックでバカバカしい、笑ってしまうような楽しいジャンルとしてパッケージングされているところだ。twitterで検索をかけても、ヒプノシスマイクのミソジニーを指摘している人はいるにはいるがそう多くない。みんな楽しんで考察や二次創作をして盛り上っている。
こういう時、「あなた達皮肉られているかもしれないんだよ!」とファンに言っても無駄だ。女性向けジャンルでソシャゲのトレス疑惑が騒がれた時、ファンは指摘する側を非難して意見を潰そうとした。ましてやはっきりいけないことという訳でもない思想の話、騒ぐ方が野暮だといえば黙って頷かざるを得ない。
けれどここで不快なジャンルは無視しよう、になれないのは、私もまたファンの1人だからだ。好きなキャラクターもいるし、新曲はかっこよかった。投票結果がどうなるのかも楽しみにしてしまっている。ここでとりあえず文字にすることで、あるいは盛り上がりの中心まで届くんじゃないかと思うのだ。
創作物と現実はもちろん違う。しかし、創作物の行間においてこそ現実の常識や意識が反映される。行間を埋める努力が足りないままセンシティブな問題をただ面白みとして利用するのは軽率だ。純粋なファンにしてみればうるさいだけだとしても、世に出した以上、世間の流れと切り離すことは不可能だ。
先程書いたように、ヒップホップはジェンダーフリーを目指すべきだ、という転換期に来ている。勿論、ヒップホップ以外も世間全体が性別に囚われない個人評価の時代になってきている。ヒプノシスマイクが女性が権力を握る社会への単なる下克上ストーリーではなく、ジェンダーで立場が縛られる価値観への一石になることを願ってやまない。
まだ23歳なんだけど、去年の夏ごろから急激におでこの両端からハゲ初めた。
正直かなり焦った。親しい友人に髪の毛が薄いと言われることがここまで辛いこととは思わなかった。
最初は脂漏性皮膚炎のせいで抜けてるのかと思ってたけど、治療が終わっても抜け続ける。
おでこの両端と頭頂部付近が薄くなっていたからこれはAGAだろうと思い、皮膚科に貼ってあったAGAは治せるというチラシを見てお医者さんにプロペシアの処方をお願いした。
もちろんフィンペシアなどの海外製ジェネリックの存在も知ってはいたけど、センシティブな話題なだけに失敗は許されないという強迫観念で、念のためにプロペシアをお願いした。
基本的には半年間の連続服用をしないと効果が出ないということで、そのとおり半年飲み続けた。
費用は8000x6=54000円。かなりきつい。しかもそこまで効果が実感できないし死にたいとなった。
これはもうミノキシジルに頼るしかないとプロペシアの服用を続けながらリアップX5の使用も開始。
両方合わせると一月でもかなりの出費。
しかしここから怒涛の追い上げが始まる。プロペシア服用7ヶ月+ミノキシジル使用1ヶ月でおでこの両端がほぼ毛で覆われた。
泣きそうなくらい感動したし、逆にこれまでかなり気にしていたんだなと実感した。
しかしここで生まれたのがプロペシアいつまで服用するのか問題。
ネットで調べた限りだと、やはり服用停止からしばらくするとまた脱毛が始まるのは間違いないとのこと。
ついにフィンペシアに手を出した。
安すぎる。しかも成分保証もついているしちゃんとした通販で購入すれば内容はプロペシアとほぼ同じ。
まとめると、自分の場合はプロペシアしか服用してないと半年経ってもほぼ効果はなく、ミノキシジルを使用し始めたあたりから急激に回復したというかんじ。
いまフィンペシアを服用し始めて2週間ほどだけど髪の毛に変化はないし、むしろ順調に毛は太くなってる。
髪の毛は生えてくるけど他の体毛も濃くなるんじゃないの?っていう質問があったので。
僕もある程度それは覚悟してたんだけど、見事にそのとおりになってる気がする。
特に顕著なのは腕と手の甲。手だけケアしとけばシャツ着てごまかすことはできるけど
事の始まりは6/11、消印もなければ料金後納でもない封書が自宅マンションのポストに入っていた。
曰く、「貴殿はヘイトスピーチサイトを即座に停止し最寄りの警察署に出頭せよ」とのこと。
一目見て変だなと思うと同時に、厄介なことに巻き込まれていることを自覚した。
心当たりはある。
私は、自分で言うのも説得力がないが、至って清貧なWeb屋だった。
全ては独学で、どこの会社に勤めるでもなく、デザイナー・コーダー・プログラマ・エンジニアと出世魚のごとくキャリアを積んできた。
無料ブログサービスで使用するブログパーツやテンプレートの制作。手打ちされたHTMLが無数に存在するサイトのCMS移行。フルスクラッチで何万行というコードで書かれた複雑怪奇な商品比較サイト。ブラウザベースで動作する業務システム他諸々。
フルスタックという名の器用貧乏で、Webに関連することなら一通りのことはやったと思う。
ペアプログラミングのペの字も知らず一人で突き進み、次第に大量のサイト群をメンテしきれなくなり、新規開発との並行によるデスマーチが日常となった。
下手な自営業の典型だったことも災いし、往々にして工数と賃金は釣り合わず(相見積もりからの値切りは日常茶飯事だった)、プライベートを犠牲にしてまで働く虚しさに日々磨り減っていった。
やがて完全に心を病み、後遺症は残らなかったが脳の病気(おそらくは過労が原因だろう)で倒れたことを機に一線から引退した。
鬱の治療をしつつ、近頃はコンサル的な業務か、リアルで付き合いのあるごく一部のクライアントからの受注に絞った。
数年前、インフラエンジニアの知人経由でサーバ関係の相談を受けたことがあった。
その際、「一日〇〇万PV級の某有名CMSで動くサイトの負荷対策」として諸々をレクチャーした。無論、例のサイトとは知らずだ。
依頼についての請求書を出した時、こちらの住所を記載していた。(向こうは個人名ではなく見知らぬ会社名だった)
継続して相談を受けるうち、サーバ上で運用されているサイト名を知って手を引いた。
個人情報が漏れたのであればそこからしか考えられず、しかし何故今なのか不思議だった。
例のサイトについて調べるうち、#ネトウヨサイト裸祭りを知った。
最初に投函されたその『警告』にも、アフィ広告剥がしの運動が行われていることは記載されていた。
さすがに張本人からの物とは思えないが、共感を覚えた誰かしらのうち私の住所を知っている者が(あるいは請求書で住所を知った管理人やインフラエンジニアの知人など、私に極めて近い何者かが)リークしたのだろうと思った。
しかし相手が何者かも分からなければ、私にはサーバ=サイトを停止する権限もなく、仮に出頭したところで頭の病気を疑われるだろう。
そのため、内心怯えつつも無視し続けるしかなかった。(後ろめたいところはないが)個人的に警察沙汰は嫌だという気持ちもあり、被害届も出さなかった。
そのうち例のサイトの広告が全滅したというBuzzFeedのニュースを目にして、ようやく安心した。
「ああこれで顔も知らない手紙の相手も溜飲を下げることが出来ただろう」「皆も例のサイトへの関心が薄れるだろう」
「ほぼ無関係な私も標的からは外れるだろう」、そんなふうに楽観していた。
そして昨朝になって、前回と同じような差出人不明の封書が届いた。
曰く、「サーバ管理人である貴殿らを近々メディア(文春やハフポ、BuzzFeed等)に告発する。個人情報を匿名掲示板及びWiki上で公開する。
サイト管理人〇〇〇(調べれば出てくるが一応個人名なので伏せる)共々罪を償わせる手筈は整った。これは最後通牒である」とのこと。
嫌な予感が当たった。
例のサイトがさくらインターネットとバリュードメインの利用規約に違反しているという記事をつい先日読んでいた。
はてブでもそれなりに話題になっていたので、他人事ではなくなっていた私は正直戦々恐々としていた。
ただし、「さくらインターネットや(バリュードメイン親会社の)GMOが今回の件で一方的な契約解除などの対処を果たして行うだろうか?」という感覚でいた。
広告の件はまだしも、ホスティングサーバを提供するさくら社が動いたとしても、ドメインもといレジストラであるGMOが「(主に第三者による)クレーム」で動くというのは少し考えづらかった。
例のサイトが最高裁に上告したことも知っていたため、仮に契約が停止されるとしてもその段階ではないかという気がしていた。
一方で、私に手紙を送ってきた者は「最初からサイトの停止を目的としていたのではないか?」と思えてきた。
漫画村問題以降、悪質サイトは広告剥がしによる兵糧攻めが効果的という話が周知の事実となっていたこともあり、広告剥がしの運動はその延長にある気がしていた。
けれど、根本的にサイトを潰したいのであれば、捨て身覚悟でサイトそのものか当事者へ攻撃を行うのが最も有効だろう。
ちょうど今朝だったか、グリーンピースがフランスの原発にドローンをぶつけたというニュースを読んで、なんとなく悟った。
これは「保守速報のサーバ管理人」である(と誤解されてしまった)私へのテロルである、と。
もしかしたら、「本当のサーバ管理人」も同じような手紙を受け取っているかもしれない。
なぜなら手紙には「貴殿ら」と複数形で書かれていたためだ。それに関してはお気の毒だなと感じる一方で、ざまあないねという気分だ。
あくまで私見を述べると、現在裁判所で係争中のヘイトスピーチに係る問題について、私は例のサイトの管理人の肩を持つつもりは一切ないし、法のもとで公平に裁かれることを期待している。
ただ、この一ヶ月弱、ある種の当事者として騒動を見守っていて、やはり「行き過ぎではないか」と感じた。
ネット上で起きた問題であっても、司法のもとで裁かれるべきであって、私刑によって晴らされるべきではないという気持ちがある。
さくらインターネットやGMOへの申告は「被害を受けた当事者たち」が行えばよいのであって、それを承知の上で「押すなよ、絶対押すなよ」と言わんばかりの記事を拡散して「第三者であり不特定多数の善意」を期待するやり方は正直に言って寒気がした。
例のサイトの肩を持つつもりはないと言いつつも、実害を受けている立場上どうしても公平性を欠く見方をしている自覚はある。
元々オタクであり、事ある毎に表現規制絡みのセンシティブな話題を目にしてきたことで、常日頃から肩身の狭さを感じる身ゆえに中立とは呼べない「寛容さ」を持ってしまった可能性もあるだろう。
それでも、第三者を巻き込んだ運動や行動(手紙の件は私には脅迫としか思えなかったが)によって社会が良くなるのならば、という思想は反面で危険をはらんでいるように感じる。
他人から何かを剥奪する時、それがたとえ社会的に真っ当な仕打ちと思える処分でも、本来その権限を持たぬ者たちによって軽重が左右されることには本能的な恐怖がある。
なんの利害関係もない、「純粋な義憤による裁き」は、その正当性が担保されなくなった瞬間に理不尽ないじめの構図と変わらなくなる。
ならば「誤っていたと認めなければよい」という方向に流れて、一度始めると引っ込みが付かなくなり、時に際限なく激化する辺りもよく似ている。
「いじめられる方にも責任がある」という言い分も心情としては理解できる。かと言って、少なくとも私が受けたそれらは、あくまで私自身の範疇で「当然の報い」として飲み込める程度のものではなかった。
第一、私を告発しても(例のサイトへの攻撃としては)まったく意味がないのだから尚更だ。多少の犠牲もやむを得ないということならもう知らないが。
私が今後どのような処遇を受けるか考えたくもないが、社会的な死に陥る可能性は五分五分だろうと思う。
「少しでも関わった時点で同罪」「被害者面すんな氏ね」「増田の住所を特定して晒し上げにしろ」とブクマで罵詈雑言を浴びる可能性を覚悟した上で、それでも今回は書くことにした。
なぜなら、私は手紙に対して直接返事を書くことが出来ないからだ。
せめて差出人がこのエントリを読んで、もしも人違いであると気付いたのならば、文字通り命乞いで情けないが思い留まってほしい。
断っておくが、お先が真っ暗だからと言って、私は低能先生のように自棄になって破滅的な行動を起こす気力がない。
それ以前に、今回のことがなくとも、もうボロボロに病んでいる。義憤に駆られたり誰かに恨みを持つのはそれだけで体力を使う。そういう持ち合わせはもうない。
だから、ある日朝起きて、ネットの海に漂う自分の住所を目にした時には、全てを諦めようと思う。
それは明日かもしれないし、幸運にも一生やって来ないのかもしれない。
何事もなかったところで、怯えて日々を暮らすうち、悲観に飲まれて気の迷いを起こすのも人間だと知っている。
たとえ私がいなくなったところで、この国ではよくある、珍しくもなんともない瑣末事として処理されるだろう。
これが遺書にならず、怪文書やポエムの類いとして笑い話になれば幸いだが、念には念をというやつだ。最後はこの言葉で〆ようと思う。
グッド・バイ。
この記事は「女性エンジニア」発言についての私的見解、を読んで思ったことの続きです。
公の場で、性別、人種、出自などについて、不必要に言及しないことです。そして、世の中には多様な人間がいて、その人達は自分と異なる価値観や考え方、コンテキストを持っていることを常に忘れないことです。差別とみなされる対象は、性別や人種のような、生来の属性だけでなく、文化、宗教、学歴など、精神的や社会的な属性全てが含まれます。特定の属性を持った集団についての言及は、必要がない限りしないように気をつけるべきです。もちろん、プレゼンの内容的に言及の必要があれば、躊躇する必要はありません。
この部分には激しく同意する。つまり、私が思うY氏の悪かったところは、本筋と関係ないところでセンシティブな話題を持ってきているところだ。そしてそれを拾われ炎上してしまったわけだ。Y氏のプレゼンは「女性エンジニアが少ない」という課題から出発するのだが、これが本当に必要だったかと言われれば、私は微妙だと思う。これは完全な推測だが、どう考えてもソリューションに対してロジック部分が後付けなので、「女性エンジニア」をテーマに扱うことは不必要だったように思える。 まさに不必要な言及をしてしまい、不必要に炎上したわけである。
このリンク先で言っていることは少し反論があるが、本題ではないので書かない。
私の「Y氏はそもそも差別的発言をしていない」というのは、私がY氏の記事を好意的に読みすぎなのかもしれない。しかし私から言わせてもらえば、記事に直接的に書かれてないことを拡大解釈して差別発言とみなすのは、悪意的に読みすぎているように見える。
最後に少し攻撃的なことを書く。卑怯な言い分だが先に謝っておく。
元記事は「今後こういう炎上が起きないために、発表者側はこういった点を意識し注意してほしい」といった趣旨の記事構成である。確かにY氏の発表には問題はあった。しかし炎上させた側には反省すべき点はないのか。
「こういう解釈したらここが差別的。よって炎上すべき」という理論が今後も成り立つなら、今回の件の教訓は、「触らぬ神に祟りなし」「沈黙は金」「臭いものに蓋をする」の考え方を増長しないか。これは差別問題解消に役立っていると言えるのか。
また、元記事筆者は元記事でバイアスの話をしているが、元記事筆者自身にバイアスはなかったのか。
全てと書いていないのに「全ての女性エンジニア」、「全ての男性エンジニア」と解釈した点や、「男性は女性がいるとやる気があがる」を「女性は男性のやる気を上げるために存在する」と解釈した点などで思ったのだが、元記事筆者は「これは差別的な発言をしている記事だ」というバイアスなしで、Y氏の記事を読むことができたのか。
これは元記事筆者だけに言いたいことではない。例えばTwitterのTLに炎上していると話題の記事が回ってきたとき、そしてタイトルが『「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する』という、いかにも炎上しそうなワードが入った記事が回ってきたとき、「炎上してるのだから、炎上発言があったに違いない」というバイアス抜きで記事を読んだ人が、どれだけいたのか。
あるいは本当にY氏の記事を読んでから批判した人がどれだけいたのか。
以上。
NHKで津田大介がhagexと低能先生の件で発言した内容が炎上してる。
hagexがライフワークとして指摘し続けていた、はあちゅうのアレなツイートですら概ね好意的に受け取られイケハヤはスルーされ、すでにヒールからベビーにイメチェン終了してるやまもといちろうの発言は共感を生んでいるのに、津田大介のみが叩かれている。
ネットに関しては津田大介は、音楽以上に造詣が深くないのはパブリックイメージにすらなっているのだから、人の死というセンシティブな話題に適当に触れて誤った情報をいつもの様に発信したらどうなるのか、それぐらいは彼でもわかってただろうにだ。
これに関して増田のみなさんの「フラットな意見」を聞いてみたい。
問:何故、津田大介は何故専門外(ネットでの出来事)の事を(適当に)話したか
A・・・・ネトランでネットの情報拾って違法コピーの方法を書いてた頃からネットリテラシーが高いと勘違いしたまま今に至ってるから。
B・・・・自分の評判を落としてでも実現したい理想があるから。
https://twitter.com/stop_abe_seiji/status/1011603254269095939
D・・・・その他
それと、余談になるが、聞いてほしい。
津田大介は三浦女史に対して決して許されないレベルのセクハラを行ったが「身に覚えがない」といって否定し炎上していた。
三浦女史は直接指摘したという事実を明らかにしている。そしてその後早稲田大学で講義を1回置き換え「セクハラ」について生徒に伝えている。
セクハラについて津田大介は当事者であるが専門家ではないだろう。するべきことは否定したことへの謝罪と、三浦女史への公式謝罪なのだが、彼はセクハラについて発言することが重要だと思っているようだ。
https://asajo.jp/excerpt/35151
https://twitter.com/dantarou/status/895968624770404352/photo/1
↓
https://twitter.com/lullymiura/status/896374919834906625
↓
https://twitter.com/tsuda/status/986574385048776705
↓
津田大介勤務先の早稲田大学悪質セクハラ事件について早稲田学生に語る
https://twitter.com/tsuda/status/1011452798519554052
つまり、自分の専門性と役目について彼がどう思っているかという点に関してはかなり特殊であると増田は推測するのだが、これについても今回のアンケートで様々な増田の意見を聞くことで考えをまとめればと思っている。
元増田です。
補足ありがとうございます。うまく読み取れてない部分があり申し訳ありません。
補足を読んでの感想です。
あなたの言う通り、「彼が言った事は、裏返すとこういう事になる」という考え方はありだと思います。これ自体はしょうがないことだと思います。今回の件は、その考え方をする人たちが、その考えを膨らましすぎて炎上したと思っています。
「彼が言った事は、裏返すとこういう事になる」というあなたのような考え方と、そうしない私のような考え方(「彼が言った事は、裏返すとこういう事になるかもしれないが、そのような事は言っていない」という考え方)は、それこそ人それぞれで、この差異をどうこうするのはもはや解決困難なことだと思いました。
それを踏まえて、やはりY氏はこのセンシティブなテーマを扱わないことがベストだったのかなと思います。
自分は「差別性が見え隠れする、差別性に無自覚な発言」と感じました。差別というのは基本的に、する側の意図や目的ではなく、される側に与える影響の方によって定義づけられる物だと自分は考えています(平たく言えば、される側が差別と感じたら差別、という話なのですが、そう言いきると無根拠な言いがかりも正当化されてしまうため、敢えて回りくどい書き方をしてみました)。
これに関しては、やはり私はそもそも差別発言をしていないと思うのですが、そう捉えらてもおかしくはないという部分は理解できます(「なんか炎上しそうだな」という炎上アンテナが反応しているので)。「される側が差別と感じたら差別」というのは、これが正しいかどうかは置いといて、今の風潮としてあると思います。なので、やはりY氏はそのように捉えられる発言をするべきではなかったと思います。この辺の考え方は、もはや正しいとかどうとかではなく、現代を生き抜く自衛のため、そうせざるを得ないと考えています。恐縮ですが、この辺の私の考えに最も近いと思う部分を、あなたの記事から再度引用します。
「そんな事を言いだしたらどこにも足の踏み場なんか無いじゃないか、言って安全な事なんて無いじゃないか」そう反論したくもなるでしょう。残念ながらそうなのです。
https://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom/topics/2018-06-22_women.htm を書いた人です。
概ね認識に相違は無いと思っていますが、正確を期したいと感じた部分があったのでコメントします。
「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった。かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」
とあるが、ここでいう「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった」を、私は「かわいい声の女性エンジニアがいれば、Y氏はこのようなソリューション自体作ろうと思わなかった」という意味に解釈した。
ここは「彼はそうは思わなかっただろう」ではなく「彼が言った事は、裏返すとこういう事になる」という、彼の発言の危うさに対する指摘のつもりで書いた部分です。
悪意というと「こいつを悪者に仕立ててやろう」というようなニュアンスを感じますので、そういう意図は否定しておきたいです。
ただ、こういう意味にも取れる、ああいう意味にも取れる、という中の一つとして「元発言に否定的な感情を抱いたケースでの解釈」であるという事は否定しません。
自分は「差別性が見え隠れする、差別性に無自覚な発言」と感じました。差別というのは基本的に、する側の意図や目的ではなく、される側に与える影響の方によって定義づけられる物だと自分は考えています(平たく言えば、される側が差別と感じたら差別、という話なのですが、そう言いきると無根拠な言いがかりも正当化されてしまうため、敢えて回りくどい書き方をしてみました)。
「誤解」というと自分は「差別性が無い物に無理矢理差別性を見出している」というニュアンスを感じるので、この点は明確に自分とは考えが違うと思っています。
なので、例えば私のような人間がチェックをした場合、「差別発言をしていないが、炎上しそうなので却下」という理由でリジェクトすることになる。これは逆差別と捉えられかねないし、また別の問題を生みそうである。
そうですね。なのでもし仮にそういう時があったら、「炎上しそうなので」というフワッとした理由ではなく、自分が書いたような解釈がありうるのでここはこう改めるべき、と明確な指示を出すための材料に使ってもらえれば本望です。
この記事は Y社のエンジニア炎上について思ったこと -「女性エンジニア少ない問題 の続きです。
ありがたいことに、よくまとめられた記事を書いてくれている人がいる。
こっちが匿名で反論するのはフェアではないのは承知で、この記事に関しても私の意見を述べていきたい。
この記事はどちらかというとY氏批判側の記事で、私のどちらかといえばY氏擁護派とは異なった立場の記事であるので、できれば元記事を読んでからこの先を読んでほしい。
冒頭の記事に限らず「女性エンジニア」という言葉が使われる場面で一定数観測される代表的な問題が、「女性であるというだけでのコンパニオン扱い」です。技術職の専門家として雇われているという点で男性エンジニアでも女性エンジニアでも差はないはずなのに、
(中略)
どうでしょう。身に覚えはありませんか(無いならあなたは幸せ者です)。最初の1回2回は頼られて嬉しいかもしれないけど、それが何度も続いて、その都度自分がやりたい事を中断させられたり予定を狂わされたりすると、そして大した報酬も出ないとなると、ウンザリしてきませんか。「PCを普段から使っている」というだけの事で何故そこまで諸々押しつけられ背負い込まされないといけないのか。面倒臭い。そうです、その面倒臭さと同じ物なのです。
ここまでは同意する。
「それは藁人形論法だろ。件の発表では『女性の声』という所にフォーカスしていて、声聞かせるだけだったらべつにええやろ」と思う人もいるかもしれません。ちょっと待ってください、低い声の女性もいればガラガラ声の女性もいますよ。演技としてかわいい1オクターブ上の声を出す事はできても、いつもその声で喋れるとは限りません。そういう人達に「やる気が上がらない声だ」「もっと気合い入れてかわいい声で喋ってよ」なんて言うんですか? 思うだけなら自由ですが、言ったら駄目でしょうそれは。
確かに、そういう人たちに対して「やる気の上がらない声だ」「もっと気合い入れてかわいい声で喋ってよ」なんて言う奴は嫌なやつだ。しかし、今回の話とは関係ない(Y氏はそのような主張はしていないし、そのようなソリューションでもない)。
あと、ここで「例の発表の内容は『だから機械学習を使って技術で解決します』という話で、面倒さからの解放を謳ってるんだから何も問題ないじゃないか。実際の女性エンジニアが楽になる話なのに、何が悪いんだ」という反論・擁護が出てくるかもしれません。はい、繰り返しますが、「それを技術で解決する」事それ自体は問題視していないのです(少なくとも僕は)。
何が問題なのかは、こう言い換えれば分かりやすいのではないでしょうか。「今回は技術で問題を解決したけど、かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった。かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」。はい、一気に嫌らしくなりましたね。悪意に取りすぎでしょうか? いいえ、悪意に取ったのではありません。「無邪気な発言」は、こういう嫌らしさと表裏一体という事なのです。
「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった。かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」
とあるが、ここでいう「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった」を、私は「かわいい声の女性エンジニアがいれば、Y氏はこのようなソリューション自体作ろうと思わなかった」という意味に解釈した。
この部分には反論をする。きっと、かわいい声の女性エンジニアがいても、作られたと思う。なぜならかわいい声の女性エンジニアは多すぎて困ることはないからだ。
「かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」という部分は反論しない。そのとおりだと思うからだ。そのとおりで、現実はそうでないから、Y氏は機械学習で解決を試みたのだ。
「悪意に取りすぎでしょうか? いいえ、悪意に取ったのではありません。「無邪気な発言」は、こういう嫌らしさと表裏一体という事なのです。」
という部分に関しては、「表裏一体」という部分のみ同意する。つまり、Y氏の「女性の声で挨拶されたらやる気アップ」みたいなソリューションは、「かわいい声の本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」という願望が見え隠れするという部分に同意するという意味だ。
しかしわざわざそのように解釈するのは、悪意がなければそうならないと私は思う。
(なので、仮に件の発表に「かわいい声の女性がいると実際男性も女性もやる気が出ます。でもそのためだけに『かわいい声の女性エンジニア』を増やすというのは本末転倒です。技術職の人に求める話ではありません」というような一言でもあれば、また話は違ったのではないかと僕は思っています。)
この部分は同意する。つまり、女性エンジニアに「かわいい声」を求めるなということである。
話を整理するが、Y氏は「女性エンジニアが増えれば男性エンジニアのやる気がアップする(だろう)」と主張して、「だからといって女性エンジニアを1から育成したり新たに雇うのは現実的ではない」として、「男性を女性にする」というソリューションを打ちだしたのだ。
女性エンジニアをかわいい声にしようとはしていないし、そうすべきだとも主張していない。
印象的な部分を引用する。
「そんな事を言いだしたらどこにも足の踏み場なんか無いじゃないか、言って安全な事なんて無いじゃないか」そう反論したくもなるでしょう。残念ながらそうなのです。
この章で書かれてあることも、多くは同意する。
ただ、
また、チェック機構が働いていたにもかかわらず見過ごされたのであればなおさら問題です。それはつまり、チェック機構になるはずだった周囲の人達もまた前項で述べたような点についての意識が薄いという事であり、また同じような事が繰り返されかねないという事だからです。
私はY氏が差別発言をしたとは思っていなくて、「センシティブなテーマが拡大解釈/誤解されて炎上した」と思っている。なので、例えば私のような人間がチェックをした場合、「差別発言をしていないが、炎上しそうなので却下」という理由でリジェクトすることになる。これは逆差別と捉えられかねないし、また別の問題を生みそうである。
よって、炎上した手前チェック機構には責任はあるとは思うが、そもそも拡大解釈/誤解をしないでくれ、と私は世間一般に望む。
共感する。
私も熱くなってしまった。
「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する
これの記事が炎上しているっぽいことがTwitterのTLを見てたらわかったのだが、実際に記事を読んでみても、なぜ炎上しているのかが理解できなかった。こんな事を言うと、「これを読んでなぜ炎上するのかわからないやつはネットやめたほうが良い」とか言われるわけだ。「女性軽視だ」、「性差別主義者」、「エンジニアやめろ」、「発表者を懲戒解雇しろ」的な声が異様に多く言い過ぎ案件だと思ったのだが、具体的に、論理的になぜ駄目だったのかを説明しているアカウントは驚くほど少ない( と思ったら、これを書いている間に書いてくれた人がいた 。最後のほうでこの記事について言及する)。マジで誰か解説してほしかったのだが、FF外から失礼してリプを送っても、フォロワー数の差で今度は自分が炎上する未来が見えたのでやめておいた。
そういう理由で、上記記事のよくある批判をひとつひとつ取り上げ、それに対する反論を書いていこうと思う。ちなみにこのカンファレンスには行ってないので、記事からしかY氏(以下、登壇者をこう呼ぶ)の言葉を読み取っていない。
最初に私の考えを書いておく。
・Y氏は差別発言をしていない
・「男性は女性がいるとやる気があがる」が、「女性は男性のやる気を上げるために存在する」に拡大解釈/誤解された
・Y氏のロジックは炎上の危うさを孕んでいることに本人が気づき、やめるべきだった
・Y氏のソリューション自体にはなんら倫理的/差別的問題はない
Y氏の提案はこうだ。
課題が生む問題: 女性エンジニアが少ないと、以下の問題が生じる
問題点①: 男性エンジニアは『いいところを見せたい』というやる気が出ない
解決方法: 「男性エンジニアが女性エンジニアになる」というのを提案する
最も多い批判がこれ。
「女性はコンパニオンじゃねーぞ」「女性エンジニアはエンジニアとして見られないのか……」といった批判である。
そして、これによって生じる問題は、男性エンジニアにとっては、「いいところを見せたい」というやる気が出ない。そして、女性エンジニアにとっては、女子トークができない。これは非常に重要な課題だと思います
さて、この批判は、
①Y氏は「職場に女性が少ないと、男性エンジニアは『いいところを見せたい』というやる気が出ない」と主張した
②よってY氏は、女性を「やる気を出すための存在」として見ている
ということだと思うのだが、どう考えても①と②の間に飛躍が見られる。
「男性は女性がいるとやる気があがる」と、「女性は男性のやる気を上げるために存在する」では全然違う。本来は前者だったのが、後者の解釈がされてしまったのが炎上の主原因だと思っている。
たとえば「家に猫がいないと、俺は『明日も頑張ろう』というやる気が出ない」という人に対して、「お前は猫を『やる気を出すための存在』として見ているのだな」と言うだろうか?
猫が人のやる気を出すのは事実かもしれないが、そこからあたかも「やる気を出すため だけ の存在」みたいな解釈は、あまりにもひねくれている。
「男性が女性を意識することで仕事に取り組む姿勢を変える(やる気を出す)」というのは十分ありそうな話で、これは男女を入れ替えても同様の話だ。まさかそのような姿勢の変化は許されないという批判ではないだろう。もしそうだとしても、それなら性差・性別を持って生まれた人類の特性が悪いことになり、すると性別は人類の原罪という話になるので、許されざるはY氏のみではなく人類全体ということになる。
女性を猫に置き換えたので別の方面で炎上しそうだが(そういう意図はありません)、つまり言いたいことは、「女性が多いとやる気が出るんです」と言った奴に対して、「女性をやる気が出るための存在だと思っているのかこいつは」と考えるのは早計ということだ。
もっというと、私は最初①は「職場に女性が少ないと、男性エンジニアは『(女性に対して)いいところを見せたい』というやる気が少ない(あるいは思う機会が(少ない|ない))」と読んだ。だからなんだよなのだが、この辺も読む人によって解釈が変わり、差別だ・差別じゃないの応酬の原因なのだと思っている。
ついでに言うと、Y氏のソリューションによって、女性エンジニアにとっては「女子トークができるようになる」という女性側のメリットも掲げているので、一概に男性本位のソリューションとは言い切れないことを言及しておく。
更についでに言うと、今回のソリューションは、男性が女性(女装・女声)になることで女性エンジニアの数を増やすというものなので、仮にコンパニオン的活動をしなければならない場合(そんな主張は記事では一切していないが)、それをするのは男性である。
該当部分を引用する。
ただ、女性エンジニアを1から育成するっていうのは、非常にコストが大きいんですね。これは正確なデータは取りづらいので、短大や私立の学費、卒業するまでにかかる費用にしたんですが、安くても300万、高いと800万といった、数百万単位でかかってしまいます。これはちょっと現実的じゃないですよね。
ここでいう「現実的じゃない」は、「職場の女性を増やすための手段として、女性エンジニアを社内で1から育成する」ということだと思う。まあ、これは炎上しそうな文ではあるが、以下の2つの反論を用意する。
(1) 気持ちはわかるが、そういう話ではない
(2) そもそも機械学習系のソリューションは大体安上がり系のこれ
(1)については、男性だろうが女性だろうが社内で1から育てるのは大変である。そしてこの文章で腹が立つのも共感できる。たとえば私が「男性エンジニアを1から育成するのは現実的じゃない」と書かれた文を見つけたら、「ん?なんで今『男性』をつけた?」とひっかかりを覚えるのは当然だからだ。ただ、今回の場合ではY氏には「女性エンジニアを職場に増やしたい」という文脈があるのはわかるので、「女性」という冠がついてもやむなしである。このへんは文脈を汲み取ってもらいたい。
(2)については、機械学習系のソリューションは大体「人を雇うとお金かかるので、機械(またはAI)にやらせましょう」なので、これを否定されると機械学習そのものの否定となり、ひいては産業革命の否定となる。別に否定してもよいが、Y氏が特別に非難されることではない。
男性エンジニアを女性エンジニアに変えるというソリューション自体が、女性軽視であり、男性軽視に当たるという主張だ。
これはよくわからないのだが、例えば、男性から女性に性転換した人は別に男性軽視したことにはならないだろう。
さらに言うなら、おじさんからバーチャル美少女になろうとしているVTuberは漏れなく差別主義者になってしまう。
「加害者は、加害者本人にその意図がなくても、被害者を傷つけるものだ」という文脈での批判(?)である。
これはどこまでも正しい。
ただ、このようにして傷つけた場合、それは女性差別になるのだろうか。
「技術自体は問題ないが、本題とは関係ない掴みの部分にセンシティブなテーマを持ってきたせいで炎上してしまっている」「もっと慎重になるべきだった」という声がある。
この見方は正しい。
と書いてある。
もうこの一文で炎上しそうな要素がてんこもりなわけである。「エンジニアを勝手に代表するな」「他にも重要なことはあるだろ」「まーた女性エンジニアを取り上げて」といった具合である。
たとえそういった意図が一切なくても、炎上というものはするのだ。
炎上アンテナがバリ三の人間なら、「女性エンジニア」という単語だけでも炎上の匂いを嗅ぎ取り、うかつにその話題を出さない。出したとしても、枕詞や随所に「私は女性蔑視を意図してこのテーマを取り扱っているのではないですよ~」的なニュアンスを挟むのであるが、今回の人は公の場にもかかわらずそれを怠ってしまっていた。
この辺は会社の人間がチェックしてそこでストップかければ良かったという声もあるが、それもまあ、結果論でしかない。私のような「これの何が悪いのかわからないけど、炎上しそうなネタではありそう」みたいなチェッカーが「何が悪いのかわからないけど、炎上しそうだから却下」とは言いづらく、最終的にGOを出したのかもしれない(結局炎上してるので責任があるのだが)。またあまり神経質になりすぎると登壇者からしてみれば「これでストップかけるのか」という反発も考えられる。
私が思うベストは、「本人自身が炎上しそうな話題を最初から避ける」。これだ。Y氏自身がこの話題に触れるべきではなかった。
まるで女性エンジニアを腫れ物扱いしているように聞こえるかもしれないが、そのような意図はない。もしそう捉えられたのなら謝罪する。しかし申し訳ないが、私からしてみれば自衛のためにはこのくらい慎重にならないといけないと思っている。
再度言うが、たとえそういった意図が一切なくても、炎上というものはするのだ。
ただネタ度高めで若手の発表なので、そこは汲んであげるべし。
「女性エンジニアのメリットが女子トークかよ」「女性エンジニアはカフェの話をしたがっていると思われているのか」などの声がある。
これはまあ、炎上してしまったが故、色んな所に目がついてしまったのではないかと思う。
実際、例は適当でないと思うし、私も「女子トークて」と思った。
これは完全に推測なのだが、おそらくY氏は課題から解決方法までを導いたのではなくて、解決方法(今回の場合「男性の声を女性の声に変える」というソリューション)ありきでロジックを組み立てたのだと思う。
そう思う理由は、普通に考えて女性エンジニアを増やそうと思って男性を女性にしようとは(真面目には)思わないし、機械学習歴10ヶ月と言っているので、自分が面白そうだと思って作ったものに後付で理由を足したと考えたほうがしっくりくるからだ。
この擁護は危うい(本人はただ呟いただけだと思うが)。
当然、擁護した本人にとっては、そもそも差別発言自体していないものが拡大解釈されて炎上してしまっていることを指して「こんなことで」と表現したという認識なのだが、誤解している人間にとっては、「この差別発言を『こんなことで』って言ってるやつがいる」という誤解を生むからだ。
ありがたいことに、よくまとめられた記事を書いてくれている人がいる。
こっちが匿名で反論するのはフェアではないのは承知で、この記事に関しても私の意見を述べていきたい。
この記事はどちらかというとY氏批判側の記事で、私のどちらかといえばY氏擁護派とは異なった立場の記事であるので、できれば元記事を読んでからこの先を読んでほしい。
Y氏はエンジニアをやめなくてよい。
こういう問題はセンシティブで、下手に指摘すると健常児と障害児の分断教育につながりかねないね。
https://note.mu/lib_sheep/n/nbdd168ac76a5
https://note.mu/lib_sheep/n/n0b09e2721e09
この人のツイッターはたまに眺めてて、去年のおひつ騒動とかどうでもええわ。って言葉にだすのもどうでもいいなと思って眺めてた。
ちなみに、私は親との仲は良くないし、(彼女と違って両親両方に対して信用とか信頼はない)(結婚式で感謝の手紙とか読みたくなかったから読まなかった)
同じ女性として彼女の考え自体は否定しないし、女性だからといって選択肢自体がなくなることはおかしいと思ってる。
ただ、おひつ問題のときの旅館の仲居さんや結婚式場の対応も分かるんだよ。
LGBTフレンドリーとか男女平等ってコンセプトをウリにして運営している所なら、
ぶっちゃけサービスの提供者だってサービス受ける側だって、いちいち片っ端から聞いて聞かれて自分の意志を決定してくのめんどうじゃん。
(経済学での商品の選択肢が増えすぎると客が自分で選択をする気力(コスト)がかかりすぎて売上が下がるってのと同じ。)
何が気になるか、こだわるかとかは人にって変わるから、どこまで意向を聞けばいいか難しいし。
なんでもそうだけど片っ端から選んで選択してくのは、金銭的にも、気力的にも、体力的にも非効率だ。
ある程度の雛形やフォーマットに沿って決めて、自分のこだわりポイントだけアレンジっていうのが効率がいいと思う。
(一時期こだわってジュエリーや服のオーダーにハマって出た結論は、既にある既製品を選んで買うだけってなんて楽なんだろう。オーダーは自分がこだわりたいものだけでいいや。)
私自身のことになるけど、私はビールが飲めない。苦くて全く美味しいとは思えない。
だけど、多くの飲み会での一杯目は他の人と同じようにビールを手にしてることも多い。
そのビールは乾杯の時だけ使われ飲まれずに放置されたり、誰かにあげたりしている。
たまに私のお酒の好みを覚えてくれてる人は個別に配慮してくれたり、
人数少なかったり、仲のいい人が幹事だったり参加者に多かったりする場合は、一杯目から自分が飲めるお酒を個別に注文したりする。
私がビールを飲めないことをわがままだとか、もったいないし、自分で飲むべきだ!とか言う人がいたら死ねよ。と思うし、
飲み会でのまず一杯目は一応ビールで。というのは個人的には迷惑な制度だと思ってるけどけど、なくなればいいとは思わない。
だって、大人数の飲み会で最初の乾杯から全員の飲み物を意向を聞いて、それを配ってたらそれこそビールの泡がなくなる(笑)
私はビールが飲めないのに、毎回の飲み会で私、ビール飲めませんって自己申告して、わざわざみんなとは別の飲み物を注文するのが悲しい。
一杯目の定番はビールですよ。って私はビールが飲めないのに言われるのが悲しい。
一杯目からビールを渡されて嫌々飲んでる子がいる!ビールだって美味しく飲んでくれる人においしく飲まれたいはず!飲まずに無駄になったビールがいっぱいあるのはもったいない!
みんな一人一人飲みたいお酒は違うはずだから一人一人の飲みたいお酒を聞くべき。って言ってるようにしか思えなかった。
確かに無駄になったビールはあるだろうけど、その無駄になったビールの代わりに最初の一杯目の乾杯をスムーズに行うっていうメリットがあるんですよ。
嫌なら飲まないければいいし、もったいないと思うなら誰かにあげればいい。
一杯目から好きなもの飲みたかったら、誰かになに飲みたい?ビール以外のがいい?って聞かれるのを待ってるんじゃなくて自分で声をあげて「私は梅酒で!」って言うしかないと思う。
毎回、声あげるのはたるいけど。(それもあって私は割り切って一杯目の飲まないビールを手にしてることも多い。)
どうしても我々みたないのってマイノリティーじゃないですか。
慣習とか社会自体は大多数の人を効率良くさばけるようにやはり最適化してくと思うのですよ。
さっきも書いたけど、絶対一杯目はビールを飲めって言われたら死ねよと思うようにマイノリティーがマイノリティーとしての選択肢を全くないのは、よろしくないと思うんだけど、
マイノリティーばかりを前提に社会のシステムを組み立てると無駄が多いと思うのですよ。
福祉制度は一部、マイノリティーに十分配慮した制度にしなきゃいけないものがあるけど。
あの記事を書いた彼女は、大学に行くまでの彼女曰く「田舎の家制度」の下での長年の抑圧されてきた環境が色々なことを世間一般よりセンシティブに感じさせてしまうのだろうなと感じた。
私も「家族仲良く」「親子仲良く」といったことにはセンシティブに感じてしまうってことがあるから理解自体はできる。
(そしてセンシティブに感じすぎた事は世間にはあまり理解されないし、彼女が悪妻って言われるように私は親不孝って言われる。
おかしくない普通の人がなにも感じないことを、センシティブに反応してしまった場合、世間から理解されないのは当たり前だ。)
よく言われる話だけど、ビールを飲めないなんて社会人失格!っていう一部のあたまおかしい人が彼女や私が育ってくるごく身近にいたせいで
一杯目はまずはビールっていう制度までまるで自分を踏みいじられているかのように感じて過剰反応してしまう。
実際は、ほとんどなにも言われないし、もったいないと言われても「私、ビール飲めないんです。もし良かったらどうぞ飲んで下さい。」って言えば終わる話なんだけど・
マイノリティーとしての部分は、世間から理解されにくいし、特に成人するまでの時に田舎にいると辛いこともおおい。
マイノリティーじゃなかったら、どんなに楽だっただろうと思う。
みんなが何もしなくていいときに自分だけ声をあげて自分用にカスタマイズしなきゃならないのもだるいときもある。
でも多分私はずっとマイノリティーなわけで、現時点でのマジョリティーになりたいわけじゃないなら、
(親と仲が悪い人よ増えろと思うほど私はすさんでない(笑))
一杯目はまずはビールという習慣のせいでビールだけ選択肢が多い、ビールばっかり普及してる。不公平だって言われたら、
そりゃ消費が多ければそうなるでしょう。と。
今後、梅酒がもっと世の中でマイノリティーじゃくなったら自然と選択肢が増えるし、梅酒が世の大多数になれば梅酒の銘柄も梅酒に合ったつまみも増えるよ。
そのためにぜひ梅酒の布教をして、一杯目はまずは梅酒です。ってなるように多くの人の啓蒙してください。
私は自分からは特にしようとは思いませんが、そうなってくれたらラッキーと思って頑張れ~って思ってます。
いま現時点で幅広い梅酒の選択肢のなかから選びたいなら梅酒バーに行けば?としか言えない。
いやいや一杯目から皆さんに好きなものを飲むべきなんです。っていうなら、
一杯目の乾杯まで非効率で時間のかかる飲み会を許容してくれる人とだけ飲み会をするか、
みんなバラバラのお酒で効率よく乾杯ができるためのシステムをぜひ構築してください。
それも自分でしたいとは思わないけどたまにがんばれ~とは思うよ。
いやいや牧師さん面倒な花嫁って感じててもおかしくないでしょ。
わざわざ土曜の朝に電話対応しなきゃいけない時点でめんどいでしょ。
でもいいじゃん。べつに人倫に反するようなこと言ってるわけじゃないんだし、一生に(多分)一度の結婚式なんだからそのくらい言ったって。別に泣きそうになって手が震えることのことじゃないよ。って私なら笑いながら言ったかもな~と思ってた。
というわけで、皆さんからのおすすめの梅酒の銘柄の紹介を楽しみにしてます。
※たまに聞く一杯目はまずはビールで注文しようとしてるのに、「俺飲めないんで、他ので」って注文する若手に対する叩きについては条件設定がなさ過ぎてなんとも言えない。ただ、個人的にはなんでも言えばいいわけではなく、自分がそれを言うこと言わないことでいろんな意味での比較衡量して言うべきだと思ってる。
※選択式夫婦別姓については、手続きめんどいから賛成!って思ってる。
ただ、実際そうならないのは、強固な同姓主義者の意見が強いというより、
別姓に対して多くの人がなってもいいかな~なればいいな~程度(私もそう)で大きな国民的世論にまで発展しない(たまに局地的に起きてる程度)から変わってないだけだと思う。
※結婚式場の下見の件は、私の場合は、私がお金に結構細かいのでめっちゃいろいろ聞いてたら、プランナーさんがお金の話のときはめっちゃ私のほうばっかみてたから分からん。(笑)
勝手な想像だけど、結婚式って新婦ばっかり関わって新郎ほとんど参加しないってパターンが多いから、少しでも参加出来そうなところはってことで気を使ってたのかな。なんでそうしたのかプランナーさんに聞いてみたい。
対策を練るには目標の性質を正しく理解する必要があります。そのために偏見や誤解は邪魔になります。
まずは典型的なレイプ魔の描像を知ってください。私の理解する限りですが以下に解説します。
ひょっとして世間には「性行為できない/もてない人間がレイプ魔になる」という認識があるのでしょうか?
もしそうだとすればこれは誤りです。多くのレイプ魔は彼女がいます。結婚して子供のいる人もいます。
彼らは性行為の機会がない人ではなく、残虐な行為でしか満たされない人なのです。
また、そのような嗜好のある人の全てがレイプ魔になるわけではありません。
私たちは自分の欲望をうまくコントロールし社会に適応し生きているのです。
「残虐な性嗜好」「欲望をコントロールできない」2つの特徴を持ちあわせ、ある境界を超えてしまった人がレイプ魔になるのです。
これは、お酒を飲む人の全てがアル中になるわけではないのと同じです。
「このままでは捕まってしまう」「明日はやめよう」「こんどこそやめよう」
そうやってズルズルと続けるのがレイプ魔の典型的なパターンです。
ネトゲ廃人が以前話題になりましたね。ネトゲをレイプに置き換えてみればわかりやすいかもしれません。
「レイプをしやすくするために拘束時間の少ない職に転職した。手取りは減った」「レイプするために会社を辞めた」
以下はまとめサイトの記事ですが、痴漢を名乗る人の告白です。理解の助けになるかと思うのでリンクします
http://blog.livedoor.jp/hitosoku/archives/4309584.html
誤解を恐れずにいうと、典型的なレイプ魔は「性依存症」という病気です。心療内科で治療できます。
異常な性は病気なのか?特徴の一つなのではないか?治療して良いのか?
発達障害などでも繰り返される議論ですね。よりセンシティブに書くなら
「本人が社会に適応できず悩んでいるのなら心療内科で手助けできる」
といったほうが良いかもしれません。
先の事件には強い憤りを感じていますし、そしてレイプ及び殺人被害者を減らせないかとずっと考えて来ました。
そして私のたどり着いた結論は「被害者を少しでも減らす方法は、レイプ魔を治療につなげ救うこと」でした。
検索すると性加害者を積極的に受け入れている病院も出て来ます。
もしあなたが、もしくは周囲の人が、異常な性に悩んでいるのを見つけたら病院に繋げてあげてください。
私の願いは、自信の異常な性に悩む人が気軽に心療内科を訪れ治療し社会生活を送ることができる未来です。そのために一人でも多くの人に性依存症に関する知識を持って欲しいと願っています。
そして性依存症に悩む人はそれをコントロールし社会に適応している限り、迫害されてはならないと考えています。
なぜならば、上述のように「本人が悩み治療したいと思っている」ということが大事だからです。
レイプする可能性のある人でも本人の意思に反して投薬することは人権問題になるのです。
そして「会社をクビになりたくない」は治療の十分な動機付けになるはずです。
重要なことを書き忘れました。
まず、以上に書かれたことは私個人の意見であり、性被害に遭われた方を代表するものではありません。
それから、性被害の多くは身近な人からの犯行といわれていますがこの記事では扱っていません。
それは私がそれらの被害を軽んじているわけではなく、単に語る知識を持たないからです。
(ここで述べたレイプ魔と me too されている人たちは別物です。後者はそもそもレイプしている自覚も罪の意識もなさそうに見えます。)
おそらくレイプ魔に関する描像が私と違っていただけです。
被害者を守るつもりで書いてる方に妨害するようなことを書いて申し訳なく思います。
どうか、怒らずに協力していただけたら嬉しいです。
鬱じゃなくて躁鬱なのでは、躁鬱は統合失調症と並んで不治の病というブコメがあったので、
そういえば躁鬱って不治なんだっけ?どうなんだっけ?と不思議に思った。自分の思考整理と記録のために書き残す。
なまえをかくしてたのしいにっき。
■誤診期
「誤診」と書いたが、診断確定の難しさは他でもない私が知っているので、「誤診」よりもイメージの良い、精神科医の名誉を傷つけないワードがあったら教えて欲しい。
時期:十年前~七年前
症状:元々パワフルで仕事人間、しかし分配された家事はきちんとやる母であった。共働きフルタイムだったが、食事ははおいしかったし、稼ぎもそれなりにあり、仕事も好きだった。趣味があまり無かったが、車は嫌いではなく毎日の通勤に乗っていたのでストレス発散の手段はゼロではなかったと思う。
母は突然、朝起きれなくなった。仕事に行けなくなった。
涙を零すとか不満をぶちまけることはなく、全てのことに無気力になってしまった。
休職期間が切れ退職扱いになるまでの一年はあっという間で、家族(父、増田を含む兄妹二人)は通院をはじめとした外出に抵抗を示す母を引きずって病院に通いながら、減った収入を補填すべくがむしゃらに働いた。
診断:鬱病。加齢によりが少し体のある器官のせいで、全盛期に比べ仕事の効率が目に見えて落ち、生きがいだった仕事への活力が失われたことが原因ではないかとの意見。
まだ地獄ではなかった。
時期:六年前
症状:何をするにも無気力で食事を採らせるのも一苦労、10キロ以上体重が落ちほぼ寝たきりの状態だった母から、仕事中の増田に電話がかかってきた。
内容は「お前を大富豪にするビジネスプランを考えた。今すぐに実行しろ、金は私が出す」。
我が家に金なんてない。
妹に対しては「お前を玉の輿にのせるプランを考えた。」という電話があったらしい。
その後、仕事中に着信が1分1件ペースで入る。
躁鬱に対する知見が全くないので家族はパニックに陥り、全員が仕事を早退し家に帰ると、見違えるほど元気な(元気すぎる)母がいた。
・投資用マンションの契約をしようとする(一番やばかった、本当に手付け金が帰ってきてよかった)
・キッチンをめちゃくちゃにする
・アドレス帳のすべてに電話を何度も何度もかけまくる(母本人の希望で疎遠にしていた人含む)
・テレビを壊す、壊れたからといって過剰に大きいサイズのテレビを買う
・そのほか高額なものを買いまくる
・「私の考えた最高のビジネスプラン」を話しすぎて、喉が切れて血が出る。血が出てもまだ話すので、口元からずっと血が垂れ落ちている
などなど。今から考えると「自殺をこころみる」が含まれていないのは、本当にラッキーとしかいいようがない
診断:「わたしの鬱病は治った」と言い切る本人をなんとかだまくらかして病院に連れて行くまで半月、その間に家の中は大惨事。様々なもののクーリングオフ、迷惑をかけた方々へのお詫び行脚に明け暮れる。
医師は「躁鬱の波が長いタイプ。鬱が最初に来てしまったので、診断できなかった」とのこと。
なんと躁鬱に効く薬と鬱に効く薬は全く別で、医者も家族も効くわけもない薬を無理やり嫌がる母にのませていたのである。「効果ありませんね~」じゃねーよ、とこの時は思った。暴れるのを抑えるための措置入院を経て、三年間見たこともなかった名前の薬に変わる。
■回復期
時期:五年前~
症状:正しく躁鬱の薬を処方されてからはかなり早く、措置入院は1カ月、その後はテンションの上下自体はあるものの、順調にその波はおさまっていった。勿論きちんと薬を飲むか等、かなり細かく監視の必要はあったが、「鬱だな」「躁だな」と判断出来るようになったことで、家族全員がだんだんそれぞれのパターンでより刺激しない接し方を覚えていった。
また、この頃、自分が通院する必要性について自分でやっと理解できたように見えた。激しい鬱期は被害妄想が強く、躁期には「治った」と思いこんでいたため。
少しずつ少しずつ安定した生活習慣を取り戻し、知り合いのツテで仕事にも一部復帰。(突発的に休む可能性がかなり高いにも関わらず専門性の高い仕事に復帰させて貰えたのは奇跡としか言いようがない。復帰後の職場の皆さんには、今でも、母も自分も頭が上がらない)仕事をするようになってからは、自己肯定感が増し、安定している頻度が増えたように感じた。働くことはプレッシャー増であると考えていた自分には意外だった。
■寛解期
時期:三年前
診断:「寛解」
精神病には、基本「全治」はないという。
骨がくっつきました、とかと違って明確な基準がないため。
が、家族から見ると、一度病気を経た母は少し罹患前より変質しているようにみえた。9割5分、記憶のままのマトモな母だが、やはりどこかしら違ってしまったことがあるように感じた。
私が好きだった母と全く同じものは、もうどこにもいないかもしれない。それは少し寂しかったし、それこそが「寛解」と「治癒」の差かもしれないと感じた。再発のリスクは、限り無く少ないが、ゼロではない。
■最近
おまけ。
寛解から三年たってようやく、「あのころこうだったね」等の振り返りを当人含めてできるようになってきた。妹は良く「玉の輿に乗る方法」の話をして笑いをとっている(※妹は未婚)。
もしかしたら病気になるまえの母はストレスを押し殺していて、本当の母ではない=今の母が本当の彼女の姿なのかもしれないと漸く思うことができた。確かに、記憶の中の母よりもほんの少しだけセンシティブである。
でも我が家はこれを乗り越えられてよかった。家族みんなが、自分のストレス閾値を考えられるようになり、出来ないことを頑張りすぎないようになった。そして家庭の外でも、頑張り過ぎようとしている人に優しく出来るようになった。人間的成長ではなく、壊れたらより損失が大きいことを身を持って知ったからである。
結果、皆母のために暫くの間キャリアを犠牲にはしたが、最終的には職場での評価はあがった。
振り返ると家族の中に三人働ける人間がいたこと、子供二人はまだ未婚で家族以外にかける迷惑が最小限で収まったこと、そして三年の膠着期間を経たとはいえきちんと正しい診断がおり寛解に至れたこと、様々な幸運に助けられたんだなと思う。
かなりベストに近い形だとは思うが、それでも躁に転じたとき二段回目があるのか、この先もっともっとおかしくなるかもしれないという底知れない恐怖ははかりしれない。母がどうこうというより自分だっていつかは、ああなってしまうかもしれないと恐ろしかった。
周りにもし近い状況になっている人がいたら情報共有したい経験ではあるし、我々のように幸運が重ならなかったとしても、何からのセーフティーネットで患者や家族がなんとか生きていける社会であればいいなと思う。