はてなキーワード: センシティブとは
「慈悲を強制する=他人の意志を捻じ曲げる」というおかしさに気付いてもらえるだろうか。
犯罪者が突き止めにくい交通手段が通勤・通学の要である以上、状況が修正されるまでは現実に即した対応が必要。増田は男性専用車両も併設されれば満足かな
「現実に即した対応」がなんら関係ない他人に負担をかけ、かつそれが当然という認識がまかり通っていることが問題。
男性専用車両については、謂れのない負担を押し付けあってるだけでなんの解決にもならないから反対。
女性専用車両があるから男性専用車両設置→(女性専用車両を利用しない女性に負担)
ほう。その「平等」と「公平」とやらの正しさは誰が保証してくれる?
「公平」でない「平等」あるいはその逆があったとして、誰がその正しいラインを設定する?
もし、男性なら、ただの強者の論理。女性でも、すべての人が戦える者と考えないこと。性別で戦っている人なら、社会が成熟してなくてすみません。
そして、このブコメの愚かなところは、すべての男性が強者だと思っていること。
男性はもはやそれだけでは強者足りえず、女性も女性というだけでは弱者ではない。
逆に女性専用車があって困ったことがあるのだろうか。自分は別に困らないし、正直センシティブな人はそっちに行ってくれた方が、冤罪リスクが減るのでありがたいなと。
乗り換え時に困ることはしょっちゅうだし、そもそも困る困らないの問題ですらない。
これは「男女平等」か否かの問題で、そして現状は平等ではない。
あと、女性専用車両で冤罪リスクは全然全くこれっぽっちも減らない。
センシティブな女性がセンシティブなまま一般車両にも入ってきて、男性のみ負担を強いられているのが現状。
社会のあるべき姿としては戦うなんてことしなくても安心して過ごせる空間だ。
男性が捨て置かれてるからって女性も同じに落ちろなんて意見に賛同できん。男性も弱いから守って欲しいと声を上げるのが洗練された社会。
ならば今すぐ男性に、競争も戦いもない社会を授けて見せろと言いたいブコメ。
男性が捨て置かれているのに、女性がさらなる要求を続けてるのが現状。
とりあえずもう一回貼る。女性が痴漢されてる女性を助けようとしたら痴漢の男にカッターで切られて流血沙汰になったっていう記事
もうこの手の論にはあきた。
私や大半の男性は、女性を痴漢もしなければカッターで斬りもしない。
一緒にしてもらっちゃ、困るし怒る。
貴方はカッターで斬られた被害者に乗っかって利益を得ようとする卑劣漢に過ぎない。
気持ち悪い
私は痴漢も強姦もしない。にも拘らず、一緒くたにされて迷惑している。
そして、「一緒くたにしている」行動の主体はあなた方。だから私はあなた方に怒りを向ける。
それは性犯罪者に向ける怒りとは種類も質も異なるもので、両立している。
とりあえずこの人が何らかの理由で女に恨みを抱いて拗ねてることだけはよくわかった。でもきっとフツーの顔して誰かの隣にいる。それは私かも。怖い。
でも、あなたみたいに社会への問題提起を「恨み」「拗ねてる」と矮小化して考えもしない屑が隣にいるとしたら、私は怖いね。
✕「女性は弱く守るべき存在」、◯「被害者や弱者は守られるべき存在」/俺は女性だからって弱いとは限らないし被害者や弱者に男性もいるぜと思ってブコメしたんだがわかってないなこの増田
女性専用車を無くすために、活動している男性や制度に反対している男性の皆様。
女性専用車を利用していて、男性が乗り込むことで拒否反応を示す女性が多いこと、動画等でお分かりでしょう。
男性を信用していてそれほど怖がって居ない女性は、女性専用車は利用していない人も多いです。
あの車両を使うのは、男性に対しなんらかの拒否感がある人です。じゃなきゃあんな不便な位置にある車両に乗りに行きません。だって都内だと女性専用車は不便な割に空いてはいないんです。
女性専用車をなくしたら、
男性に恐怖感や不信感をもった女性が普通車両に乗り込んできますよね。
どうなると思います?
もしかすると、少し手が当たっただけでも被害を訴えたり、恐怖感で泣き出したりとトラブルは多発するでしょう。
こういう私も高校生時代結構痴漢に合いました。痴漢ってお尻の肉のところを撫でるだけではありません。悪意がある人だと明らかに股関節の間を執拗に狙ってきます。とても気持ち悪いです。そういう目似合うともう男性が近くに居るだけで悲鳴が出そうになります。
一方で冤罪が生まれるリスクもあります。被害にあってセンシティブな精神状態になった女性には冷却期間が必要なんです。
お互いのために女性専用車を一両だけ設ける事、許容しませんか。使いたくて使っているというより、それ以上人を信じられなくならないように使ってるという人もいるんです。
大丈夫だよな?
http://www.afpbb.com/articles/-/3139363?act=all
現代のニューヨークでも未成年同士の小さな抗争程度ならあるよな?
ポリコレを支持する左翼がいっぱいいて、熱狂的な愛国者の右翼が山ほどいるアメリカを舞台にしてアメリカ人を描くんだけど大丈夫か?
俺自身はポリコレはあんまり支持してないけど、それがポリコレ支持者の多いアメリカを舞台にするとなりゃまたちょっと別だし。
人種差別とかレイプとか差別用語とかめっちゃセンシティブな内容扱ってる作品だから覚悟を決めて作って欲しい
もちろんそういう、容赦のない差別用語の使用とかがリアリティを感じさせるBANANA FISHの魅力なんだけど。
そういう差別用語を使いまくってる奴らが徐々に手を組むのが典型的ではあるけどやっぱ熱い展開なんだよ。
失敗したら大炎上しそうだけどナタリーのインタビューは脳天気すぎて心配になってきた。
ストリートチルドレンがいそうなところに聖地巡礼するのか?(笑)
Amazon Primeで国内外にて独占配信とか書いててまじで心配になってきた。
今日、twitterのタイムラインに以下のツイートが流れてきました。
「待機児童、待機児童っていうけど世の中に「待機児童」なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ。」
引用終わり。
この方を知らなかったので調べてみると、現在は自民党で衆議院議員だそうです。
上のツイート、ただの言葉遊びとも思えますが、ツイートした人の立場とタイミングが良くない。
まずタイミング。
地域にもよりますが、今は認可保育園・無認可保育園共にもっとも入園数が多い4月入園の結果が出始めている時期です。
保育園へ預けることを希望している親は、まだ結果がわからなくて毎日不安でそわそわしていたり、期待していた保育園に入ることができず不安な気持ちになっているところかと思います。
待機児童問題についてはセンシティブになっている時期です。この時期に特に必要がないのに親たちを刺激する意図がわかりません。
次に、立場。
その方が、女性の仕事復帰に罪悪感を抱かせ呪いをかけるような発言をするのはいかがなものでしょうか。
「私も子供を預けて働いてきた親ですけど。苦労は人一倍知っています。拙著を読んでくださいね。」
引用終わりです。
驚くべきことに、自身もゼロ歳児クラスから子供を預けて働いていたようです。
それでいてなぜ、同じように働こうとする母親の罪悪感を感じさせるような発言をするのでしょうか。
保育園に預けて働いた親たちが払った税金も自分の賃金や活動費用を構築していると想像ができないのでしょうか。
(個人的にはtwitterという閲覧フリーのSNSでの発言に異議を唱えられて、拙著を読めという態度もどうかと思いますが、本筋ではないのでこれ以上言及しません)
「保育園落ちた、日本死ね」論争は前提が間違っています 日本を貶めたい勢力の真の狙いとは…
http://www.sankei.com/premium/news/160702/prm1607020006-n1.html
以下、引用です。
「ですから「保育園落ちた」ということは「あなたよりも必要度の高い人がいた」というだけのこと。言い換えれば「あなたは必要度が低いので自分で何とかしなさい」ということなのです。
たぶん、このブログに書かれている保育園とは「認可保育所」のことかと察します。保育所には認可保育所のほかに、無認可(認可外)保育所もありますし、待機児童が問題となっている大都市には「認証保育園」なる制度も登場しています。また、民間のベビーシッターも多く存在します。
自分で何とかできる部分は自分でやらないことには社会は成り立ちません。何でも税金におんぶと抱っこでは、日本は潰れてしまいます。「自助・共助・公助」の順番を間違えてはならないのです。」
「前述の「朝まで生テレビ」において、多くの女性論客は「保育所を義務化すべきだ」と主張しました。残念ながらこの主張は多くの日本人女性に支持されています。その背後に潜む大きな危険に誰も気づいていないからです。
子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をする。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしているわけです。
労働組合に牛耳られたごく一部の特殊な学童保育所などでそういった保育が行われていることを公務員時代に目の当たりにして問題意識を強く持っていましたが、それが数年でここまで一般的な思想に変わってしまうとは本当に驚きです。
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。」
以上、引用終わり。
まず、前段の発言です。
東京都などの保育園激戦地域では、無認可保育所にも入れない人が多くいるのが現状です。
現在の保育園激戦区では、いくらお金を払っても預ける保育所がない、という事態が発生しているのです。
(ベビーシッターと保育所は環境と機能がことなると考えますので、同列としません)
衆議院議員の方がこのような現状もわからずに発言をしているのでしょうか。
後段の発言については、自身も保育園に子供を預けていたからの発言とは思えません。
朝まで生テレビの彼女の出演回については拝見していないのでわかりませんが、個人的には「保育所を充実させるべきだ」という意見は多くあっても「保育所を義務化すべきだ」という意見が多いという印象は受けません。
日本には三歳神話も根強く残っている印象もありますし、自分の手で子どもを育てたいという親も多いです。
保育所を洗脳施設と称するこの記事は、保育園で働く保育士さんたちを侮辱しているようにも感じます。
世の中色々な意見がありますし、思想や主張は自由です。しかし、現職の衆議院議員の方の発言としては配慮に欠けるように思います。
好きに発言して選挙に挑めばよいと思いますが、比例でも出馬しているのであれば、党の意見に合わせた発言をされた方がよいのではないでしょうか。
ハゲがコンプレックスの人もいればスキンヘッドに自信持ってる人もいる
身体的特徴はあくまでただの特徴であり、そこにポジティブな評価もネガティブな評価も周囲が下す必要はない
目をひく自分の特徴を生かして仕事に結びつけるのは、モデルやスポーツ選手もそうだし、ハゲ芸人やブサイク芸人もそう
それはそれで、本人の特徴として認めるべきことと思う
世間が褒め称えるモデル体型も、本人からすれば長身や小顔、手足が長いことがコンプレックスであることもある
冨永愛も、宇宙人と言われてよくいじめられた、とか話していたことがある
当たり前のことなんだけど、
ブサイクにブサイクですね、と言うのは褒め言葉にも傷つける言葉にもなる
モデル体型に足長いですね、と言うのは褒め言葉にも傷つける言葉にもなる
今のネットの議論の流れからすると、ブサイクにブサイクいじりはしちゃダメだけど、モデルの体型は褒めてもいい、みたいな変な方向にいきそうでちょっと危機感を持っている
一番大事なのは本人の主観で、本人が傷つくならしない、本人が嬉しいなら言う、でいいと思う
ただ、相手が本心でどう思うのかなんてわからないし、センシティブなことは無難に触れない、というのが多くの大人のたしなみではあるよね
そして、テレビや広告の場合、言われる本人は嬉しくとも、見る人が不快に思うなら、ちょっと微妙、というのが今の流れなのだと思う
やめるべきとは言わないけど、なるべく好き好んで探さないと目にしない媒体でしかすべきでない、というのがベターなのでしょうかね
映像化されたコンテンツでの出来事を語るには、作者の死ではないけど、本人の気持ちはもはや関係ないところにいってしまうから
これはもう、正しい間違っているではなく、表現の当事者以外は、リスクマネジメントとして受け入れるべき時代な気がするよ
文学なんか、かなり過激で奇人変人多いし差別も多い表現があるけど、文学は芸術であり意図があり、さらには映像ではないのでマイルドで、見たくない人が見てしまうという件数が圧倒的に少ないのが問題にならないポイントなのかな、とも思ったり
面白い考え方だとは思ったけど、それ以上に言葉遊びというか、哲学遊びな気もするな。
「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的と言うけれど、
誰もが「限られた時間」や「あり得た未来」という代償を支払い続けて生きている以上、マイナスのない行為など存在しない訳で、
代償を恐れることは即ち生きることを、何もしないことも含めた全ての事象を恐れるに等しい訳で、
・車には交通事故という、他者の権利を侵害するマイナスがあるから倫理的に廃止した方が合理的
・インターネットはそれによる犯罪の誘発という、他者の権利を侵害するマイナスがあるから倫理的に廃止した方が合理的
もっと言えば、
・現代人は限られた資源を一方的に使い捨て、将来や発展途上国の人が活用する余地や権利を侵害しているから科学技術自体を廃止した方が合理的
・限られた食物を消費することは他の誰かが食べられた食物を、特に貧困地域の人の生存権を奪う事に繋がるから生命活動も廃止した方が合理的
これが「出生」というセンシティブな大事に適用されてるから、物凄く鋭敏に聞こえはするのだけれど、
世界は色即是空でプラスもマイナスも存在せず、苦痛の存在しない楽園では快楽も認知・定義・存在することはできず、
人の認識が生み出す虚構の世界に対し、絶対的で普遍的な価値を見出そうとするが故の苦悩と言うか、
ある種の『悲劇のヒロイン症候群』的な思考遊びでしかない気がする。
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「出生による苦痛」を特別視して、且つその前提条件を割と当然のように語られる方が多い印象だったので追記。
これはもはや宗教的な話になってくるのだけれど、
何故、「生まれてくる前の世界が、苦痛も認識も存在しない“無”である」ことを当然のように前提にしているの?
例えば『六道輪廻』みたく、今より悪い世界から現世というより良い,より苦痛のない世界へ生まれ変われるという可能性は?
これは別に宗教論議をしたい訳ではなくて、現代科学では出生前も死後も“あること”も“ないこと”も分かっていない以上、
言わずと知れたこの件。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
今回の論点は、
である。パワーを使ってセクハラをする、あるいは、パワハラの手段の一つとしてセクハラを使う、というものを告発しているのである。
パワハラとセクハラが絡み合い、その根元はパワハラであるというものについての告発である。
これに対して過去の童貞いじり発言には、パワハラがほぼ存在しない。(中にはちょっとした名のある人の全体に向けた発言に勝手にパワーを感じ取ってしまう人たちもいるため、「ほぼ」とした。)
「筋が悪い。」
この筋の悪い批判は、論点と関係ない部分をあげつらって攻撃しているだけであり、過去に実際に童貞いじりがあろうとそれがセクハラであろうと論点に関係がない。
論点に関係ないのに、論点に絡めた文脈での「童貞いじりセクハラ批判」は、完全に別件であり、誹謗中傷となり、下手すると「ただの人格否定」まで落ちてしまう。
童貞いじりがセクハラかどうかは、「セクハラを伴う”パワハラの告発”」が落ち着いた後にカウンターとして別で行うべきなのである。
こういった批判は、時間が経てば自然といつもの「はあちゅうさんが嫌いだから、ことあるごとにdisっている人たち」にまとめ上げられて過疎化するはずだったのだ。
過疎化していくにつれ、まじめに#metooについてやセクハラを伴うパワハラについての議論が活発になったはずだった。
また、きちんと考えてから投稿する人間の中には、平日暇ではない人も多い。
土日にいろいろ考えを投稿しようと考えていた人たちが見る見るうちに話が変わっていって「あーあ。」となってしまったケースも多いだろう。
じっとしていればよかった。
ということだけだったのだ。
それができずに、はあちゅうさんからヨッピーさんまで釣れてしまったために、論点の中心から離されてしまった#metooもBuzzFeedもいい迷惑である。
そもそも、今回の件、まず勘違いしている人も多いし、もしかしたら本人も思い込んでいるのかもしれないが、
はあちゅうさんのやりたかったことは、本当は#metooを後押しするであるとか、社会的意義を感じて立ち上がるなんてものでは全然なかったはずだ。
彼女を突き動かしたのは、
「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」
という一言に尽きるのだろうと思っている。
言ってみればいじめられっ子が、8年越しでいじめっ子に強烈な一撃でぶちかましてやっただけなのだ。
学生時代は自分はやられるタイプではないと思っていたのに自分はいじめられたんだというやるせない気持ち、
少し離れればただのクズ行為をするおっさんだという事実、そんなもんに当時傷つけられた自分の若さ、バカさ、
今の自分ならあんなおっさんやり返してやれる力を持ったのにという自信、
そんなやつに当時ただ従って人を差し出したんだという強い後悔、申し訳なさ、
こんな気持ちが普段見えない奥底に渦巻いていて、ふとした時に、やっぱり自分は傷つけられたんだという事実が心に影を落としてふと苦しくなっていたのだと思う。
同時に、まあ、別に今はもういいんだけど。とも。
しかしこういった気持ちは、消え去るものではなく何かの弾みで顔を出し、膨らんだりしぼんだりするものである。それは、その人の名前を見たり聞いたりしたときフラッシュバックする。
そんななか、岸さんは4月についに電通から出資を受け自分の会社を立ち上げ、あげく本も出して世間に注目されてと、自分の無視できない場所にどんどんと顔を出してきた。
あんな奴がいまだにチヤホヤされて評価されている理不尽さ、ますますの調子に乗りっぷり、…もう、耐えられるわけがない。
証拠は残っている。自らの発信力はある。世間に広めるのに筋のいい媒体も協力してくれる。
つまり、はあちゅうさんの中で、仕返しをするのにメリット・デメリットを天秤にかけた結果、ついに圧倒的にメリットの方が上回ったから実行したというだけの話なのだ。
岸さんとは近い業界にいるとはいえ、仕事の方向性は全く違うから手を回されたとしても大きな影響はない。むしろ自分はこういったネット上の流れに乗って自分の道を切り開いてきた自負も実績もある。
対して、岸さんはもともと電通のクリエイティブで個人の名前を売っていたとはいえ、所詮狭い業界内で巨大企業の庇護の恩恵を受けて活動していた中、
ついに独立して本当の意味で個人の名前で勝負しなければならない非常に大事な時なのである。
その流れで本も出している。
また、一部上場企業である電通の出資も受け、社会的信用が死活問題となった時でもある。結果からもわかるとおり、こういったスキャンダルは致命傷となる。
通常、こういった仕返しを一発やってやった場合、正面から暴力を使った場合は、心情的には同情され社会的には許されつつ制度上の違反については(酌量される部分もありつつ)淡々と処罰が下り淡々と受け入れたりする。
他の手段をとる場合は、誰がやったかわからない方法を取るなどやや陰湿的な方法になるため、世の中にあいつが勝ったんだということを見せつけることが難しくなる。
代表例は、なんだろう、まとめサイトの「スカッと」タグあたりでも漁ってみてください。
どちらにしても「完全勝利」はつかみにくい。
そんな中、今回は、目的も支持されるものである上に手段も正当であり、めったにない完全勝利が見込めるチャンスがやってきたのである。
やらない手はない。
その仕返しの中心的役割を担う媒体として#metooとBuzzFeedを利用しただけである。
これはこれで全く問題ないし、むしろ#metooはこれを社会的にサポートする機能となるだろう。いじめをした人は正直どっかでやり返されるべきなのだ。
BuzzFeedにはそれを周知する媒体になれるという社会的意義もあった。
なお、追随している人で相手の名前を出さない人もいるが、#metooは相手の名前を出して実行した時に、よりあなたを守る効果が発揮されるということは頭の片隅に置いておいて欲しい。
最初、はあちゅうさんがこの件に関してはもう取材は受けないという宣言をされた時、「すごい!やり遂げるんだな!」とカタルシスに似たものを感じたものだった。
しかしその後の、余計なことから何から何まで発言しまくりの現状を見ると、たぶん上記のことは肌で感じてスタートを切っただけで、やった後の自分の動き方の想定まではあんまりしていなかったんだなーと残念に思った。
やはりどこまでいっても、本質は自分がかわいい女子大生ちゃん止まりなのだなと。
https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293039.html
それに対して岸さんという人は、さすがメディアの頂点の会社で第一線でやってきただけあって、撤退の仕方が完璧である。徹底的に完全撤退。その後完全沈黙。兵法!
1.まず、勝ち目のない内容と認識するや、発表前に個別に謝罪。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
2.つぎに、発表されるとともに即謝罪。
それも改ざんの恐れがなく、最後まで通しで自分の主張を読んでもらえる自コンテンツのみで謝罪。
岸さん側の感覚に立ってあえて改ざんといっているが、謝罪メールを取材相手のBuzzFeedに送るとしたらどうなるか。
行間にたっぷりはあちゅうさんやBuzzFeedの見解を差し挟まれながら発表され、読者が読みながら大きく印象の誘導をされる恐れがあるのだ。
エビデンスのある部分、のちのちバレそうな部分は完全に謝罪し、ファジーでエビデンスが出なそうなところは否定してしっかり楔を打っている。(登壇をやめさせるように相談した経緯については、ついバレないだろうという希望的観測が出てしまったのだろうか。もう電通の庇護にないことを忘れてしまっていたのかもしれない。)
https://note.mu/kishiyuki/n/n363633a5776e
3.それでも沈静化の目がないと感じるや、代表取締役を即辞任。
(2017/12/29現在:今見たら会社ページが「2017年12月18日 代表取締役の異動(辞任)に関するお知らせ」だけになってる!まじか!まっさらに完全撤退。最初はまだ通常のいろんな会社情報が載ったままだったんだよ。)
いじめられっこの復讐の鉄則は「不意をついてピンポイントで大将に大ダメージを与え、ヒット・アンド・アウェー」である。
社会人としての戦い方で、せっかく大きな勝利を収めたのに、自らの自意識から、小さいながらもまたしても1つ負けがついてしまったのだ。
今回は力を持っているはずの自分が、自らの下手クソさで起こした敗戦である。
せっかく、消えはしないまでも大きな傷はスカッと仕返しして返せたのに、完全勝利で終われるはずだったのに。
はあちゅうさんの心の中に小さいシミとしてまたしても残ってしまわないだろうか。
最悪なのはヨッピーさんである。私怨の復讐を成し遂げた直後の「友達」が語る擁護の言葉には百害あって一利なしだ。
まず、内容云々ではなく、いくらもっともらしいことを言っていても「友達の発言」以上には聞いてもらえない。
それが正しいものだとしても(実際、筋として間違った話はしていないしちゃんとしたこと言ってるんじゃないかな)客観的に見ている人であればあるほど「友達の発言」をそのままでは聞かないし、聞くと泥仕合に引き込まれる怖さがある。今回はPCデポのケースとは違うのである。
鈴木一が石原に一発入れたあとに、スンシンがのこのこ出てきて「俺があいつ(石原)は間違ったことをしたからやったほうがいいって言ってやったんだ。トレーニング付けたんだ。」って出てきたら、
「お前、、出てくんなや。。」
って残念な気持ちになるはずだ。
一通り落ち着いてから、「近くで見ていた人として…」と語りだすくらいがヨッピーさんにできる援護だったはずだ。
インターネットの時間の速さの中で生きてきた人たちにとって、数週間黙るという行為はこちらが思っている以上に難しい、というか想像の範囲外の行為なのかなという感想を持った。
なお、ここから先は(いや、ずっとそうなんだけど)個人的な意見だから今後も好きなように続けていただければいいのだが、ヨッピーさんには基本的にオモシロ下品(今はどちらかというとオモシロ無礼かな)の世界で生きていてもらいたいのだ。もともと俺パンからのゴブ僕つながりでオモコロへと続いて読んでいった自分にとって、オモコロに書き始めた頃からヨッピーさんの記事は面白くて好きなのだが、自サイト等で長文で主義主張をするバージョンのヨッピーさんは全然面白くないと思っている。これ以上はやりすぎであると思っていることや、やる必要がないと思っていること、あいつがおかしいだろうということなど、書いている内容のバランスも悪くないし、よく考えられているし、そうだよね。同意するよ。と。
「でも、そんなことは知ってるんです。」
ヨッピーさんがそんなこと考えているのは知っているのだ。ヨッピーさんの記事を読めば、いつも、伝わっているか、誇張していないか、面白く作れているか、でもやりすぎていないか、人を傷つける笑いでないかというギリギリのところを自らに問い続けかつ読者にも問い、問いに回答があればそれを受け止めて、その視点を組み込んだり自分に問い直して組み込まなかったりしながらオモシロ下品(/無礼)な記事を作っていることは明らかだからだ。
長文で主張していることを考えていることなど、記事を読めばわかるのだ。だから完全に蛇足だと思うのだ。ヨッピーさんがTwitterでセクハラ発言をする相手だって、セクハラ発言に期待して絡みに来ている人たちなのは明らかなのだ。
フミコフミオさんはTwitterになると途端につまらなくなるから読まないのと同じように、ヨッピーさんがブログに長文を書いても読まないようにするだけだから構わない。
これはこっちの問題であって、本人に顔出しで文章で考えを書いて公開して、それによっていろいろなフィードバックを受けるメリットを捨てさせることまではしてくれとは言えない。どちらかというと本人のためには続けた方がいいことだろうとは思うので続けていただければと思う。
いちいちスタンスを説明されるのはこちらとしては面白くないが、やはりそこには、メディアの世界で一人の人間として顔を出して立ったことがない者にはわからないレベルのストレスとプレッシャーがかかり、説明する必要が出てくるものなのだなと感じている。
本来、今回のはあちゅうさんの告発は、スタート時点では非常に意義深く、社会に絶大なインパクトを与えうるはずのものだった。
なぜなら、
ということが言えるからだ。
高橋まつりさんがあのようなことになってしまった原因は、本当は「セクハラ(及び長時間労働)を伴う”パワハラ”」が原因だったはずだ。
原因を長時間労働に一本化され、1年かけて社会に対して働き方についての風向きを変えてきたが、それが大きくグルっと回って形を変えて返ってくるはずだったのだ。
実は人ひとり亡くなっていたのである。
#metooは今とは比べ物にならない大きなムーブメントとなっていたはずだったのだ。
もしかしたら周りで見ているだけしかできなかった人たちによる#hertooなども始まったかもしれない。(やり方については非常にセンシティブではあるが。。)
また、マスコミ業界・広告業界、その中でも特に当事者の電通は、傷の癒えないうちに二度目の爆弾を中心(今回は傍流ではないのだ!)に食らい、もしかしたら回復困難な処分が下される危険性すらあった。
二度目のダメージというものはでかい。墓所も傷の癒えないうちにガンシップの弾を食らった際には大きなダメージを受けていたことはご存じだろう。
これが、はあちゅうさんが悪手に悪手を重ねたことによって問題が歪曲、矮小化され、あさっての方角で炎上し、その間に本丸の火がすっかり鎮火してしまい、おそらくあちらの防御態勢もすっかり整ってしまったことだろう。
核弾頭で人を殴り、手が滑って足に落としているのを見せられた気分だ。
前述のように、はあちゅうさんは「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」という気持ちだけで動いているので、そこまでこちらの期待を負わされる謂われはないのだが、
自分のために#metooとBuzzFeedを利用したのだから、そのくらい#metooとBuzzFeedに見返りを与えてあげてもよかっただろうとは思う。つくづく惜しい。
ちなみに、童貞いじりについて、セクハラかといえば、まあセクハラだろう。(個人的にはどうでもいいと思っているが。)
これについては「あなたはパワハラにセクハラを混ぜられて辛い思いをしたかもしれませんが、仮にセクハラ単体でもいやでしょう?童貞いじりもセクハラですよね?」
という突っ込みをしてやれば、少なからず彼女にダメージを与えつつ、一部認めさせることもできたのではないだろうか。
いま彼女の中では「いつもの、話の通じない、頭のおかしい人たち、無視すべき存在、また人気があるから変なのに絡まれた」として十把一絡げにぽいっとされてしまっているのだ。
ここは良く考えずに脊髄反射してしまったあなたたちのミスですね。
なお、職場でパワハラをしたことがある人間には、「次はお前の番だよ。」という言葉を送っておくので震えて眠ったらいいと思う。
https://megalodon.jp/ref/2017-1225-1137-22/https://twitter.com:443/akismd/status/944763947634139136
https://megalodon.jp/2017-1225-1138-58/https://twitter.com:443/akismd/status/944782963505430528
はあちゅうと一緒に童貞をいじって遊んでいた霜田明寛という男に、とことん腹が立っている。
「いい記事なのに『オトナ童貞』という単語で誤解されている」という友人からの発言に対して、
霜田は「真面目な話やいい話をそのまま表現するのが苦手で、ついふざけてしまう」と返している。
要するに霜田にとって、"童貞"というのは真面目な話を軽くふざけたトーンにまとめるための飾りにすぎないのだ。
大概にしてほしい。
性経験の有無という極めてセンシティブでナイーブな問題に向き合わざるを得ない立場を示す単語を、
自分たちがふざけた軽い空気を演出するための道具として使われたら、
この霜田という男は極めて上手く、狡猾に立ち回ってきた。
最初にはあちゅうの友人として自らの立場を明かした後は事件に対して大きくは触れず、
一定の距離を保ったまま、まるで当事者ではないように振舞っている。
が、霜田ははあちゅうと共に目も当てられないような童貞いじりを散々繰り返し、
それなのにこの当事者性のなさ。呆れるほど上手い立ち回りである。
霜田はまるで最初から童貞いじりに関与してすらいなかったかのように
黙殺を決め込んでいる。
自分たちの仕事を口当たりよく、そしてより読者の射程を広げるために
それはわかる。勝手にやればいい。
盟友であるはずのはあちゅうが炎上すると、過去の童貞いじりについてちゃんとした釈明もしない。
そして自らに火がつかないのをいいことに、だんまりを決め込んでいる。
この霜田明寛という男を、私は許すことができない。
友達と遊んでも、ゲームをしても、2chを見ても、美味しいものを食べても、心から楽しくなるようなことはなかった。
「彼女いない歴」という言葉も、当然「童貞」という言葉も大嫌いで、見るのも嫌だった。
「お前彼女いたことあるの?」「もしかして童貞?」という言葉が投げかけられるのが怖くて、飲み会にも行きたくなかった。
女の子から話しかけられることもなければ、女の子に話しかける勇気もない。
コンプレックスの塊を抱えながら、出口のない毎日を過ごしていた。
大学では順調に単位を取得し、就活も順調に終えたある日、ふと風俗にいってみようかと考えた。
風俗で脱童貞なんていうありがちでかっこ悪いシチュエーションに対する嫌悪感や、初めての風俗への恐怖と1週間ほど戦った後、覚悟を決めた。
決行は10月2日。
当時は地方の大学生だったが、10月1日は内定式で東京に行く予定があった。
旅の恥はかき捨て、じゃないけど、知らない街であればお店に入る時やお店から出る時に知り合いに会うことはない。
誰にも言わず、スケジュール帳にも書かなかったが、その翌日をX dayと決めた。
髪を切った。
服装はスーツで行く予定だったのであまり気にならなかったが、パンツと靴下を新調した。
毎晩お店を検索した。
東京にはこんなにも多くのお店があるのかと感動し、一方でそれだけの風俗嬢がいるという事実に信じられない思いだった。
やはり大きな悩みは、自分が童貞だと伝えるべきか、ということだ。
自分が童貞だと伝えれば、きっと女の子がエスコートしてくれるだろう。
だが、正直、伝えたくない。
恥ずかしいし、その話を広げられるのも嫌だ。
悩んだ末、2chで相談してみると、その仲間たちは本当に親切にアドバイスをくれた。
そして、当日は、初めてであることを告げようと心に決めた。
10月1日、内定式を終え、内定者懇親会も早々に切り上げた俺は、一人池袋のホテルにいた。
お店の前まで行くと、思ったよりも看板がギラギラしていなかった。
もっと、『ソープランド』という文字がピカピカしているものだと思っていた。
この中に入るのは大したことないように思えた。
決行当日。
意を決して、お店に向かう。
まだ外は明るい。
周りの目を精一杯気にしながら、滑り込むようにお店に入った。
お店の人と話し、少し待合室で待ったあと、女の子が待つ部屋に案内される。
最初に二言、三言交わしたと思う。
ドキッとした。だってそれは俺から伝えようと思っていたことだったんだ。
「えー、うそでしょー?童貞でしょ?私わかるよ。」と、彼女はさらに続けた。
先に言い訳をしておくと、その時はできるだけ平然を装っていたと思うけど、心臓は爆発しそうで、頭の中は真っ白だったんだ。
そして俺は逃げた。
「あ、すいません、やっぱりいいです。」と言って、荷物を持ってお店を出た。
今思っても、どうかしてるぜ。
もちろんお金は払った。でもそんなものはどうでも良かったんだ。
それから一週間は寝込んだかな。
何もやる気が起きなかったし、自分はなんて馬鹿なんだと、自責の念でいっぱいだった。
今思い返してみれば、彼女は悪くない。
だって、お客が童貞かどうかを知ることは、彼女にとっては重要なことだ。
でも、当時の俺にとって、自分が童貞であると誰かに知られることは、とても怖いものだった。
たとえ自分から伝えようと思っていたことだったとしても、そうだったんだ。
社会人になり、童貞としていじられるのだけが嫌で、非童貞として振る舞う日々。
それでも童貞だろ、っていじられることもあった。
童貞じゃないって言っているのに、なんでバレるんだろう。
当時の俺は、童貞である自分が悪いと思っていた。それが恥ずかしいと思っていた。
でも最近の件で、色々と思い出し考えた結果、やっぱり童貞は極めてセンシティブな話題であって、人を深く傷つける場合があるということを、彼女のような女性に知ってほしいと思った。
正直そんなセンシティブな問題だと思ってなかったけど、「男らしさ」の強要なんだね。「お前は今まで女の一人もモノにしたことないのか?」「もっと男らしくしろよ」って。
20年来の付き合いになる友人が何人かいる。高校を卒業してから数えても15年は経つ。
いまだにコミケのたびに戦利品を持ち寄って集まったりする仲の親友たちだ。
となるともちろん、エロゲー談議に花を咲かせたことだって数知れずある。
いわゆる泣きゲーについてだけではなく、抜きゲーについてだって暑苦しく語り合ったこともある。
こいつは百合好き。そいつはおねショタ。あいつはいつの間にかNTRに目覚めていやがった。
だが、女性経験がないやつもたぶんいる。話題にしたことがないからわからないけれど。
成熟した大人は性的な話をするべきではない、みたいに考えてるわけではない。
はあちゅうの童貞いじりを童貞たちが中心になって批判し、謝罪に追い込んだという。恩知らずにも程がある。はあちゅうこそが、お前たち童貞に居場所を作ってくれたのだ。
まず、童貞が生物として劣った存在であるということは誰もが納得すると思う。もちろん病気などの理由で性行為ができないとか、性同一性障害とか、人里離れた孤島などに1人で住んでいる場合などの事情があれば別である。そうではなく、生殖行為に必要な男性機能を有しているにも関わらず童貞である人のことだ。
たしかに現代社会では童貞にも等しく人権が保証されているから、社会生活で差別的な措置を受けることはない。たとえば童貞は社会への貢献が足りないという観点から税金を課すなどの対策は考えられるが、童貞かどうかを機械的に判定するためのチップを埋め込む技術などが普及しない限り、運用は困難だろう。
そうは言っても、自らが童貞であることを他人に知られるのは極力避けなければならない。自らが属するコミュニティから生物として劣っているとみなされることで、童貞からの脱出がますます困難になるからだ。童貞はこうした抑圧を受けることで、実質的に「童貞税」を払っているともいえる。そこに救いの女神として現れたのがはあちゅうだ。
はあちゅうは童貞をいじることで、童貞であることを笑いに変えるというコペルニクス的転回をやってのけた。ここに童貞はキャラとして成立した。生きる意味を与えられたのだ。今では飲み会の席などで誰もが自分が童貞であることをカミングアウトできる。童貞を理由に降格されたり、閑職に追いやられたりする社会的不利益を被ることもない。
これに対していまだにアンタッチャブルな存在が「処女」である。社会通念上認められる年齢を超えた処女は極めてセンシティブな問題になり、飲み会の席などで気軽に触れられる話題ではなくなる。なぜなら、万が一自分は処女であるというカミングアウトがあった場合、それを笑いに変える文脈が存在しないからだ。
はあちゅうに童貞いじりをやめさせれば、何が起きるか想像してほしい。童貞はキャラなどではなく、少子高齢化や人口減に苦しむ人類が直面した解決すべき社会問題の1つとなる。やがてペナルティとしての童貞税を課された童貞たちは、はあちゅうが童貞をいじることで作ってくれたあの居場所の温もりを思い出すことになるだろう。
差別とは、身体的特徴を元に不当な扱いを受けることである。例えば、肌が黒いということで、奴隷扱いされる、または汚い、不潔とされて侮辱されること。
では、身体的特徴を指摘、言及することは良いのか?肌が黒いね、黒人は背が高くて、運動能力が高いよねなど。ポジティブに捉えられる、おおよその場合において、これは問題ないと捉えられる。
ただし、これが女性の場合、セクハラ・差別として問題になる。胸の大きさ、お尻の大きさなど。身体的特徴でも、言及箇所によってはネガティブと捉えられる。
黄色人種なら、目の細さや、平らな顔か?
おそらく白人の美的感覚から逸脱した特徴がネガティブなものであり、それら特徴を元に侮辱、不当な扱いを受けることが差別なのだろう。
特徴の指摘から侮辱、までがセットで差別だとは思う。しかし、場合によっては特徴の指摘の段階で、侮辱の意味が込められているとして、差別と判断されることもある。だからこそ、純粋な疑問を抱く子供の問いは、その裏に侮辱意識が無いとして、差別とは判断されないのだろう。
セクハラの場合は、特徴の指摘から、だからあなたは性的に魅力的で猥褻行為をしたい、という意識を汲み取ることで、防衛意識からの拒絶反応になるのだろう。
差別の難しさは、この指摘段階で差別と捉えられる点だ。どこまでの指摘、言及が差別と捉えられるかは、その発言の背景と、発言者の背景が求められる。
だか現状、多く場合、発言・言及・表現した時点でアウトだ。これが非常にややこしく、煩わしい点であり、差別言及が過激化する要因の一端だと思う。
私が感じている違和感は、この差別の適用範囲の過激化で、まるで言葉狩り、表現狩りのように思える。日本でも、身体障害者を表す言葉が数多く規制されてきた。
過激化は、人種差別から性差別、LGBTの全てにおいて見られる。
過剰にセンシティブな世界において、我々は幸せなれるのだろうか?全てが平坦で、そこから少しでも逸脱した人間が、過剰に攻撃されることは平等なのだろうか?
http://eikaiwa.dmm.com/blog/26789/
上の記事は、海外で「あなたはどの宗教を信仰しているの?」という質問に下手に「私はなんの宗教も信仰していません(=無宗教です)」と答えるのはやばいよ、という内容で、無宗教者だというのがNGな理由として、
>宗教は精神を支えるいわば「背骨」のようなもの。このため、何も信じるものがない人のことを、「得体の知れない軟体動物」のように感じてしまうようです。
>また、信仰心の厚い人たちは、その信仰心ゆえに行動が自制され、倫理的・道徳的に問題のある行動を回避するため、「無宗教?この人の自制心や倫理観は大丈夫なのだろうか?」と不安に感じてしまう部分もあるようです。
>宗教に関する話題はセンシティブな面もあるので、「無宗教」と答えるのが無難と思う方もいるかもしれません。しかしながら、単に「無宗教」「神は信じない」と答えたのでは、「信じるものがない空っぽの人」「倫理観が欠如している可能性のある人」と、相手にマイナスの印象を与えてしまう可能性がありますので、注意が必要です。
と書かれていたけど、これだけじゃないと思うんだよね。
昔ちょっと海外に住んでたことがあったんだけど、向こうの“無宗教者”と名乗っている方々(の多く)は本当に徹底してる。
ガチで「神の存在さえ一切信じてません」って感じ。クリスマスをお祝いしない(人もいる)し、宗教的施設でお祈りなんてしない。
でも、日本人には無宗教というわりにクリスマスもお祝いするし(商業的イベントなので笑)、お寺や神社にお参りする人が多いじゃん?
それって結局、積極的信仰者ではないにしろ、消極的信仰者なんだよね。無宗教者とは厳密に違う。だから、下手に無宗教ですと言っちゃうと、クリスマスパーティーに誘ってもらえなかったりするときもある(笑)
同記事内で答え方の例として、
> “I’m not a deeply religious person, but…”
と前置きした上で、次のように答えればよいのです。
“I practice both Shintoism and Buddhism.”
とあったけど、私はいつも「よくわかりません。でも、祖母は仏教徒です」みたいな答え方をしていた。もしくは、「神様の存在は信じています」とか。
バイセクシャルになった。
性自認は男、身体的にも男で、女の子大好きなのだが、バイセクシャルになった。同性とするセックスが好きになった。
きっかけは女性にペニスバンドで逆アナルプレイをされたことがきっかけで、そこから「女装男子に犯されたい」となり、それから
間もなくして同性とセックスしてバイになった。ちなみに女装一切なし。
男性に寝バックで「かわいい」って言われながらガンガン後ろから突かれ、
みっともなくあえぎ、「突いてっもっと突いてっすき〜〜」って言うのが好きになってしまったのだ。
LGBTに関しては寛容なつもりであったが、当事者になって色々と感じたことがあったので書き散らしてみる。
LGBT(正確にはもっと多くの枠組みがある)は意外と多い。Twitterで漁れば漁るほどどんどん出てくる。皆言わないだけで。
ゲイの友人に「バイになった」と言ったらものすごく驚かれたのと、「愛のカタチは皆それぞれ違うわよね!」とすごく喜ばれた。仲間がふえたかのように。
ちなみに自分は他の人達から見ると「とてもバイに見えない、爽やか系」らしい。バイに見える人ってどんななんだ……。
ヘテロ(つまりノンケ)だった頃は、周辺にゲイやバイ、レズがそれなりにいたし、百合エロ漫画とか大好きだったので「同性愛?好きな人がいるのはいいことだし恋愛は人それぞれだよー。社会はもっと寛容になるべきだし、言えばいいのに」と言っていたが、いざ当事者になってみると、言えない。
気持ち悪がられるかもしれない。冗談でも「うわ〜俺の事狙うなよ〜」と言われるかもしれないし、そう言われたら親しい友人ゆえのちょっときつい冗談だとわかっていても傷つく。
友人にも言えないし、本当にごく一部の、腐女子やそういった人たちの中でも、絶対的な信頼を置いた人物じゃないと言えない。それ以外では恐らく墓まで持っていくだろう。
特に、インターネット上では伝統的にゲイ・ホモジョークが氾濫している。その手のジョークは俺は否定しないし、淫夢ネタは俺だってよく使うし、Twitterの本垢でRTしたりすることも多々ある。
ただ、それを目の当たりにすると、面白いと思っても、どうしても一瞬だけむっとしてしまう。
でも、同じバイセクシャル同士でナチュラルに淫夢用語を使うことは多い。「あ^〜いいっすねえ」とかよく言うし、何より気軽なコミュニケーション手段として使いやすい。黒人が黒人同士でni**aをカジュアルに使う一方、黒人以外に言われると激怒するようなものだろうか。
「両方できるから、異性とセックスできないなら同性とすれば解決じゃん!」って思ったらそんなことはなく、異性とセックスしても同性とセックスしたい欲は消えないし、同性とセックスしても異性とセックスしたい欲は消えない。
わかりやすく言うと、シムシティでRCI(住宅、商業、工業)と需要メータがあるところに、更にもう一本横に工業メータが増えてRCIIとなったようなものである。
言われてみれば当然だが、好きな異性のタイプがあるように、同性でも「好きなタイプ」がいる。
男の同性愛者が誰でもクマのような男や、ガッチリした体型の男が好きだったりするわけではない。
ただ、中性的な男性ってなかなかいない。一番めんどくさそうである。
ましてや、「女装が似合う中性的な男性に組み伏せられて寝バックで犯されたい」と日常的に言い続けている。
ちなみに、同性愛や両性愛はものすごく色々と細分化されている。
新参者とはいえ当事者のはしくれである自分ですら全然わからないし、思わぬことでかなりセンシティブなことに触れて不快にさせることもある。(その割に情報が少ないし、ぶっちゃけ細かいことまで気にしなきゃいけないのでめんどくさいとすら感じる)
ちなみに「セックスはするが恋愛感情は無い」というパターンもあリ、自分もそういうタイプ。ヤリ専と言うらしい。ええ……(困惑)
行ったことないし今後も行くことはないだろうが、ハッテン場にはネコが多く、タチ(攻め側)は重宝されるらしい。
とくに、前述の自分のタイプである「女装が似合うタチ」なんかはレアである。
ちなみに、ネコしかいない状態のハッテン場を「猫屋敷」と言うらしい。熱烈歓迎されそう。
今のところネコの経験しかないので、タチもやってみようかな?と思うけど、腸壁破っちゃわないか心配。
同性愛者でコンドームをしない人は意外と多い。妊娠リスクが無いし、気持ちいいからだと思う。
肛門を使う上で間違いなく汚いし、粘膜が使われることでHIVウイルスの感染リスクが異性間の数倍にも跳ね上がるから、自分はちゃんと洗った上でコンドームをつけてセーフセックスをすべきだとは思うが、意外とコンドームをしない人が多い。
ちなみに自分はつねにつけさせている。
最近LGBT関係の話題が多かったり、何かと問題提起されてたり、時にセンシティブな話題になったり、差別がどうのこうのとか、ポリコレ棒がどうのこうのとか色々とありますが、単純に同性セックスは楽しいので皆もっと軽率に始めればいいとおもう。
ちなみに百合も好きなので、将来的にはバイセクシャルの女性の彼女を作って、彼女に彼女作ってもらって目の前でイチャイチャしてもらいつつ、彼女に2人きりのときは女の子扱いされてみたい。まずは彼女作るのが先だけど。
他人の言葉を見て、自分のことを言っていると勝手に思い込む。その後の反応は、自分が相手をどう思っているかで分岐する。自虐するかキレるかは誰が言っているかで決まり、何を言っているかは関係ない。
こっちは個人的に何とも思ってないのに、勝手に深読みしてキレられてもなあ。
放っておいても対応しても結果は同じだし、取り扱いに困るよ。ほんと。
追々記乙!!!
事態が進展してうおおおおってなったけど、何よりも、元増田とお嬢さんが話せたのが良かったです。
何があったのか、少しずつわかってきたね。
みんなの前で告白(の、ようなこと含め)をされたなら、クラスメイトや部活友達が知っているはずです。
センシティブなことだから訊きにくいけど、いじめの犯人になるか否かの瀬戸際だから、周囲への聞き込みでクリアにしても良いのではないか…と感じました。
おせっかいだったら申し訳ないのですが、元増田自身も、他のご家族とかお友達とか、相談したり愚痴ったりする相手を確保できていますように…。