この記事は「女性エンジニア」発言についての私的見解、を読んで思ったことの続きです。
公の場で、性別、人種、出自などについて、不必要に言及しないことです。そして、世の中には多様な人間がいて、その人達は自分と異なる価値観や考え方、コンテキストを持っていることを常に忘れないことです。差別とみなされる対象は、性別や人種のような、生来の属性だけでなく、文化、宗教、学歴など、精神的や社会的な属性全てが含まれます。特定の属性を持った集団についての言及は、必要がない限りしないように気をつけるべきです。もちろん、プレゼンの内容的に言及の必要があれば、躊躇する必要はありません。
この部分には激しく同意する。つまり、私が思うY氏の悪かったところは、本筋と関係ないところでセンシティブな話題を持ってきているところだ。そしてそれを拾われ炎上してしまったわけだ。Y氏のプレゼンは「女性エンジニアが少ない」という課題から出発するのだが、これが本当に必要だったかと言われれば、私は微妙だと思う。これは完全な推測だが、どう考えてもソリューションに対してロジック部分が後付けなので、「女性エンジニア」をテーマに扱うことは不必要だったように思える。 まさに不必要な言及をしてしまい、不必要に炎上したわけである。
このリンク先で言っていることは少し反論があるが、本題ではないので書かない。
私の「Y氏はそもそも差別的発言をしていない」というのは、私がY氏の記事を好意的に読みすぎなのかもしれない。しかし私から言わせてもらえば、記事に直接的に書かれてないことを拡大解釈して差別発言とみなすのは、悪意的に読みすぎているように見える。
最後に少し攻撃的なことを書く。卑怯な言い分だが先に謝っておく。
元記事は「今後こういう炎上が起きないために、発表者側はこういった点を意識し注意してほしい」といった趣旨の記事構成である。確かにY氏の発表には問題はあった。しかし炎上させた側には反省すべき点はないのか。
「こういう解釈したらここが差別的。よって炎上すべき」という理論が今後も成り立つなら、今回の件の教訓は、「触らぬ神に祟りなし」「沈黙は金」「臭いものに蓋をする」の考え方を増長しないか。これは差別問題解消に役立っていると言えるのか。
また、元記事筆者は元記事でバイアスの話をしているが、元記事筆者自身にバイアスはなかったのか。
全てと書いていないのに「全ての女性エンジニア」、「全ての男性エンジニア」と解釈した点や、「男性は女性がいるとやる気があがる」を「女性は男性のやる気を上げるために存在する」と解釈した点などで思ったのだが、元記事筆者は「これは差別的な発言をしている記事だ」というバイアスなしで、Y氏の記事を読むことができたのか。
これは元記事筆者だけに言いたいことではない。例えばTwitterのTLに炎上していると話題の記事が回ってきたとき、そしてタイトルが『「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する』という、いかにも炎上しそうなワードが入った記事が回ってきたとき、「炎上してるのだから、炎上発言があったに違いない」というバイアス抜きで記事を読んだ人が、どれだけいたのか。
あるいは本当にY氏の記事を読んでから批判した人がどれだけいたのか。
以上。
はじめに 「女性エンジニア」発言についての私的見解 を読んでの感想。詳しくは書かないが元記事に書かれている通り、この人はある程度火付け役を担ったというか、でも言いたいこ...