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2024-05-06

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トマト缶とカレールウとオートミールを食った

やっぱりトップバリュのルウはまずいなあ

辛口だと辛さでごまかして本当にギリギリ食えるレベル つーかギリギリアウト

んで1週間ぶりのシャワー

がんばった

やっぱり気持ちいいな

頭がかゆくない・からだがくさくないのはいいことだとわかってるんだ

今せんたっきまわしてる

いまから干したら乾かないとは思うけど

だいぶあったかくなってきてるからワンちゃん

いや無理かなー昨日雨だったしなー

きょうも くもり だし

まあやるだけやおう

せんたっきまわさないよりマシだ

それにしても洗濯3週間ぶりだけど、

あとパンツ2枚しかない

しかも両方ともゴムゆるゆるでクリップでとめないといけない

ズボンはあついからはきたくないんだよな

いまはパンツ胃腸

ヒャッキンでパンツ買わなきゃ

ユニクロだと3枚1000円が最安だし、どうせ使い素手からヒャッキンでいいんだよな

いまのもそうだし

それで5年くらいもてば全然大往生でしょ

でもいまのとこひっこして2,3年でだめになったのは、

ほしっぱでいたんじゃった可能性が高いと思ってる

かわいたとおもったら、もしくはもう少しで乾きそうくらいになったら、

しごといくまえにとりこんだほうがいいな

うんこ

うんこ

うんこ

2024-05-05

ヨドバシお気に入り登録している食品飲料まわりの備忘録

記載の内容は執筆当時のものです。

筆者について

筆者そのものについて
筆者とヨドバシまわりについて
  • 多少の不便はあってもヨドバシを使いたい
    • Amazon と比べると品揃えが劣っていることが多い
    • 唐突に取り扱いが終了することがある
    • でもなんとなく Amazon よりヨドバシを使いたい
筆者と食品飲料まわりについて

ヨドバシお気に入り登録している食品飲料について

食品まわりについて
飲料まわりについて

付記

卵かけ納豆ご飯の食べ方について
シリアルについて

2024-05-04

anond:20240504152341

お疲れ様です

以下追加しときます

2024-05-02

anond:20240502024440

どう見てもお前みたいな、ネットでは極端な男性口調使えば性別ごまかせると思ってる屑どもが暴れてるだけじゃん。

んで、実際に、今チー牛がーとか言ってるのも、お前みたいなキモ腐女子丸出しのチー牛ブス女

2024-05-01

anond:20240501205745

なんで彼らの言説は主流派から無視されるのか

https://note.com/stairlimit/n/nbf959f27b718

まあこんなタイトルつけたのは経済学を見越しての話だけど、情報収集してみるとたいていのまともそうな学問は同じ問題を抱えてるみたいねぶっちゃけ日本経済学会論文審査がまともに機能してる経済学はまだマシっていうレベル基準がぶっ壊れてるところもあるっぽいし……

さておき。最初これ、「なんで経済学は数式を使うのか」という話で収めようと思ってたんだよね。

でも実のところ、数式を使う必要があるわけではないし、ルーカス批判だって本質は数式じゃないところで語られてるわけで。

アローとかドブリューみたいな数学から出てきた経済学だって思想面の方に特筆すべきシャープさがあるし、本当に数式しかいじってなかった有名な人ってナッシュぐらいじゃね。そしてナッシュって経済学者じゃねえよな。とか思って、これを引っ込めた。

代わりにポパー反証主義の話をしようとしたんだが、これすらなんか違う感がしたので、いまのタイトルに至る。つまるところ、学問にはそれぞれ固有の「ルール」があって、そのルールは主流派が決めてて、それに従わないと無視される構造になってるのはなぜか、という話だ。

あ、主流派なるものが一部の既得権益者みたいに思ってる人にいまのうちに言っておくと、主流派って言われる人たちはすごい速度で入れ替わってるからね。でも上の「ルール」が根本的に変わることはほぼない。だから自分たちは主流派から不当に排斥されている!」という主張はおかしい。排斥されていない新しい人が山ほどいる状況でそれはないよ。

で、なんで固有の「ルール」があるか、という話だけど、これすごい簡単なんだよね。

無駄議論を省くため。これだけ。

数式を使った理論モデルの展開で思い描いた通りの結論を言うのがどれだけ難しいか、やったことある人はだいたいわかってる。

定性的議論でその種のごまかしをやる文献にはたいてい、結論仮定しているような荒唐無稽仮定がどっかにはさまっている。

データと照らし合わせる場合データが再アクセス可能であることが大半の場合求められるし、それが無理(実験データなど)な場合にはデータ取得の方法の明示が求められる。

つまるところデータ分析の追試験を誰でも行えるようにすることが求められるのだ。

経済学だとポパー主義がよく取り沙汰されるけど、ことは経済学に限ったことでも、ポパー主義に限ったことでもなく、上のような議論で最も重要視されているのは、「自分研究攻撃したい人間攻撃やすいように発表形式を整えること」である

その要件クリアしているからこそ、攻撃に耐えて残った理論には信頼性が認められて、学問の一部としての地位を得ることができるのだ。

から、もし「誰か」の理論が主流派から無視されているとしたら、それは「攻撃やす形式で発表する」という、最低限のルールを守っていないからだ。

もちろん、その「形式」が具体的になんなのかについては、学問ごとに少しずつ違う。

けど、「ルール」の目指すところ自体はたいていの学問で同じで、「ごまかしている場合ごまかしていることが発覚するように」発表することが求められる。

このルールがないと、無駄議論間延びし、時には間違っている方が勝利した体裁になることすらあるということを、学者たちは経験的に知っているから、ルールを破っている言説には厳しいし、それが認められることはないのだ。


で、ツイッター一部の人が、「学会の連中は学会外の議論もっと聞くべきだ!」とか気炎を上げてるのを見るけど、ルール守ってください。以上。

だって時間無駄じゃん君たち。攻撃しにくいように言い逃れ余地作って仲間同士でつるんでる馬鹿どもに構ってる暇なんてあるか。

tag: MMT

2024-04-30

anond:20240430162601

うるせー!!

AとB対消滅してくれってSNSでよく言うんだけど

党派的にはAが宿敵で死ぬほど嫌い。本音ではAだけ消えて欲しい

党派的には味方のBは擁護できないほどの失敗をやらかした。敵側からのBへの批判をはね返せそうにない

こういう時に対消滅してくれって言ってるよ

はてブでもたまに使う

これ使うと味方の失敗もごまかせて便利なんだよ

その辺の無学低能ですら万引きできるなら当然俺にもできるはずだしそれを許している環境制度や仕組みが悪い

セルフレジ適当ごまかしてやってみるか

anond:20240430185107

政策は何でもそうなんだけど、税金っていうのは政府から国民に対する「推奨生活」のメッセージっていう側面があるんだよ。

そう考えると消費税に込められたメッセージは「モノを買うのもサービスを買うのも損です。消費はやめようね。貯金しなさーい」というメッセージとして機能するから、これだけに依存する税体系は、どんどん消費が縮小して景気が冷え込むディストピアだ。

から消費税のみに一本化した場合の試算というのは実はあんまり意味がない。いまの必要予算を概算して、それを消費税で割り算して%を決めたとしても、それを現実化した場合経済が縮小するので、より多くの割合消費税必要になり、消費税を上げれば消費が冷え込むのでさら経済が縮小し……っていうループになるから

そういう意味消費税っていうのはじつはあんまり良い税のアイデアではないんだよね。にも関わらずいま先進国で主流の税になっているのはなぜかというと、補足しやすく、取り立てがしやすく、政府が恨まれにくい(最終消費者から見ると商品が値上げされた用に感じで、政府に直納している感が薄い)からという、それだけの理由なんだよ。

大企業富裕層投資利益の分割などで払う税がコントロールできるけれど、末端庶民は食べないとか電気使わないっていうのは自殺行為で、ごまかしようがないから、政府から見れば確実に取れる鴨だ、っていうそれだけの税なんだ。

なので消費税に一本化するよりも、分散化したり、資産税の可能性を探ったほうが建設的だと思うよ。

2024-04-29

今更だけど相模原障害者殺傷事件の話(にかこつけたきょうだい児の自分語り

いわゆるきょうだい児の私からしたら、植松がやったことは「法的・倫理的には許されなくても心情的・実利的には悪くない」と思う。事件当初から思ってて、今も思ってる。

前提として、きょうだい児全員がこんな優生思想内面化したやべーやつだとは思わないでほしい。同時に、きょうだい児全員が「私は障がいのあるきょうだいが大好きで誇りに思います」とか宣えるわけじゃないことだけは叫ばせてほしい。

事件のことを知った時、私は率直に「植松が姉のいる施設を襲ってくれてたらよかったのに」と思ったのを、今も覚えている。植松が姉を殺してくれていたら、私は「被害者遺族」という圧倒的「正義」の旗印をもらった上で、姉という重荷から解放されたのに、と。

姉が障害者でいいことなんか一つもなかった。マジのガチで一つもなかった。私はきょうだい児界隈の中ではとっても恵まれ立場(姉とは違う学校、姉のことでいじめられた経験無し、親から姉の介護を頼まれ経験無し、姉のことを知った上で結婚してくれた人がいる等々)だから、どの層からも「お前ふざけんな」って言われそうだし、私の生きづらさの8割は私自身の特性のせいだからアレなんだけど、やっぱり姉には早く死んでほしい気持ちがある。ずっとある

きょうだいの話を振られるたびに嘘をついたりごまかしたりするのは疲れる(この感覚は例えばセクシャルマイノリティの人がパートナーの有無や『好きな異性のタイプ』を聞かれた時の気疲れに似てると思う)。姉がいるのに「普通お姉ちゃん」がいたらできることは何もできない、のに私よりずっと何もできないIQ25未満のきょうだいを「お姉ちゃん」と呼ばなければいけない。家族で出かけるたびに周りの目が気になって、歩くだけで恥ずかしかった。その一方で、姉を施設に預けたまま姉抜きで旅行外食に行くことに罪悪感もあった(けど姉がいたら絶っっっっ対にできないことがいっぱいできて楽しかった!)。あと、私は知的には問題なかったけど発達障害の傾向があったから下手したら姉以上に面倒な子どもで、両親は姉より私によっぽどお金時間も手間もかけてくれた。それは本当に本当にありがたいんだけど、私は20歳そこそこで施設に入れられて無為生活を送らされてる姉の人生って何なんだろうなってよく思う。

施設での姉の様子はよく知らないけど、片道1時間かけて送迎してる父いわく「家に帰る時はテンション爆上げで施設に戻る時は顔が死んでる」らしい。でも私は姉が家にいるとテンション爆下げだったし両親も大変そうだった。そのうち送迎も家での介護もできなくなるから姉は近い将来一生施設で暮らすようになる。それは気の毒だけど、私は姉を引き取れと言われたら絶対拒否する。むりだもん。結婚で逃げれて本当に良かったと思ってる。

中学生になるかならないかのころに、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の存在を知って、読んで、チャーリイ(が受けた手術)がむちゃちゃうらやましかった。もしそんなことが叶うのなら、姉に「頭が良くなる手術」を受けさせて、ほんの一時でもいいから「普通お姉ちゃん」と姉妹でいたかった。正直、この願いは今も捨てきれていない。

あと、これは私の勝手想像なんだけど、姉の一番の被害者は母だ。母は仕事が大好きで自分仕事に誇りを持ってたけど、姉が障害児だったせいで育休後も職場復帰できずに専業主婦になって、それっきりずっと家にいた。姉が健常児だったら母は何らかの形で仕事を続けられていたのは間違いない。この点に関しては本当に母が可哀想だと思っている。そんなこと言ったらマジギレされるから言わないけど。

とにかく、私にとって姉は(一般的きょうだい児に比べれば笑えるほど軽いけど)重荷でしかなくて、可能なら両親が元気なうちに死んでおいてほしいと思っている。私は姉が死んだら普通に泣くだろうし普通に悲しむだろうし自分がおぞましいことを考えていたと後悔するだろうけど、でも心のどこかでホッとするだろうなと確信している。だから、もし植松が姉を殺していたら、私は「被害者遺族」として世間から気の毒がられながら、ちゃっかり重荷から解放されて(部分的には)ラッキーとさえ思ったかもしれない。

私がここまでクズいことを書いても、読み手の何%かは共感すると思う。植松が言ってた「役立たずは死ぬべき」という価値観は、私を始めとした現代日本人の結構割合に浸透してて、というか多分人間本質として「人権」とかいう後付理論矯正しない限り、障害者は殺したり座敷牢に入れたりするし、高齢者は姥捨するし、子供使い捨て労働力にするし、役立たずはバンバン殺すと思う。そして「じゃあ貴方自分が『役立たず』になった時に死を受け容れるんですか?」と聞かれた時、少なくとも安全圏にいる時点では「もちろん死にます」って言い切っちゃう人間は少なくないと思う。まあこれは私が反出生主義入ってる生粋ネガティブクソメンヘラからそう思い込んでるだけかもしれない。もしくは著しい想像力の欠如かな?

とにかく、私はきょうだい児だけど差別主義者で植松断罪できない側の人間だ。本当に死ぬべきは姉じゃなく私なんだろうな。

2024-04-24

anond:20240423111950

性別関係なくね?と率直に感じた。

発達障害だとか社会人に向いてないだとかそういう問題ではなく

この世界は社交性があるかどうかやろ。

自分容姿含めた能力がないのなら、持たざる者同士で傷を舐め合うように深い関係性を築くか

どんなコミュニティでもいいか親分を見つけてごますって飼いならしてもらうしか無いのよ

ボケとツッコミ階層

海藻? 深度? 新海わかめ

閑話休題

XというSNS(様々なネタ送信できる)で見たペラ1(数コマ?)漫画

本来であれば引用要件を満たしそうなので、ペタっと貼ってもよっぽいのだろうが、引用者が匿名というケースはどうなのかを見たことが無いので

特に違いなさそうだが、こまごま書くのが面倒なのも)

ネタとしては、(引用諦めたのでボヤっと書く)

1)魔王勇者に攻め込まれてて、「ほな、四天王をぶつけた口」て、四天王を呼び出す

 参じろ四天王! みたいなコテコテ招集パターンはほんとに初期の初期だけで食パン曲がり角と同じでど真ん中があまりないやつかも

  さんじろて魔王が言うのは合ってるかわからん

2)で、四天王キャラが全部まとめてボケ

 簡単にいうと一人称が「おで」 オデ系と表現されている

  オデは勇者を倒す(オデだけど役割理解できるタイプ。オデ系の中では有能)

  オデは腹減った(一見無能だが、キレポイントがあちこちにあるので、殲滅力は高くて使い道はありあり)

  オデ、全部壊す(一人目の発展形。制御がむずいが使える)

  オーデー、オデオデオデー(←サッカーチャント。お花畑歩いてるだけで街を壊すとか、やっぱキレポイントあるとか)

   元のキャラから少し変えたり変えなかったり(変更に特に意味はない、今のところは)

3)で、オデ系ばっかやん……と魔王が凹む

という流れの面白い漫画


で、このボケ(小ボケあるあるは置いておく)に対して、最低(よしあしではなく、レイヤーの)レベルツッコミは、

キャラかぶっとるやんけ!

 ぐらいではなかろうか。もっとふわっと、「不安やな!」とか「大丈夫かこいつらで」みたいなのもあるか

その次に、カブりの要所を攻めて、

・「一人称が全員オデやんけ!」

 とか。それを推敲してったら、

「オデ系ばっかりやんけ」となる

ノブ「オデが多いんよ」「オデ四人!」「これはもうオデ祭りじゃあ」「どっからこんな個性集めて来た?」「よう集めたな」

※以下、多くなったので末尾に移動

で、作内で、そのツッコミ魔王がやってる。魔王「オデ系しかいないじゃん!」

 引用やめた都合上なんとなく微妙ニュアンス変えて面白くなくなってるが、元ネタはかなり面白い

で、ツッコミが入ってるのでそれで終わってるのだが、

テレビ等の本ネタ放送じゃない場合テロップ(やワイプの表情、ふたつ合わせて)で補強したり、本ネタやってるけど、MCなりの外からツッコミがあってさらに盛り上がる

というのも増えて来てる。

ex.レッドカーペットムーディとか、じわじわくる系の加速装置として等)、あらびき団TVで流すほどのネタではないので)、千鳥のクセすご(ゴールデンあらびき)

という時代で、TVで弱いネタとか伝わりづらいネタを見てたら、隣で見てる上級者が補完してくれるのもよくある光景(ないというならない)

で、この場合増田が思いついたのが、「自分で選んだ四天王やないんかい!」というもの

冷静に考えたら魔王配下四天王人事権魔王にあるはず

で、元ネタ引用元)は作内で完結してるので、これ以降を述べるのは不適切かもしれないが、以下のようなパターンもかんがえうる

・あえて余白(ツッコミ代)を残した

 リズムや語感、あるいは(か総合的に)一般Xユーザー所属階を加味してバランスのよいところを

 整合性がないのは承知というパターン

 伝えなければ伝わらないが最近の風潮。行間くそくらえ

 つまりは作中で言っていないことは作内で触れるべきではない

 実は魔王人事権が無いとか、四天王選定にはすごくしがらみがあるとか

 どれかひとつ掘るだけでも続編が描けそうなくらい

 総じていえば「お前が選んだんやろがい!」がキャンセルされるような世界

 

書いたの覚えてたら大幅加筆修正など予定(未定


フットgoto「オデオデしすぎてて(ほにゃらら)」

禿げ峠(魔王立場で)「なんて四天王だ」「やってらんねーよ!」

西田orてつお「そんなんちゃうわ(←のような適当かつミニマムなつっこみ)変われ」

CHの人「ゆーとりますわ(オデキャラばっかの四天王出てきましたけど)」

三村「使えねーな!」なんか違う「オデばっかかよ!」なんか違う

2024-04-23

すごくどうでもいいけど

トンカツ屋さんでトンカツごまドレッシングをかけたら美味しかった

塩の次に好きかも

2024-04-22

anond:20240421235302

一所懸命に語ってるけど、お前の本性を言い表せば「自分が殴りたい相手に対して便利に使える武器を強くするためならそれを妄想で補強して大丈夫と思ってる異常者」だよ、そこに一切の誤解はない

正直これ以上「ワタシ正義!」な人にまともに語るのも時間メンタル無駄からこれで最後にするけど、世の中の事件はお前のオナニーのための材料じゃねえんだわ

中立気取ってるようだけどはたから見れば「もしなにかがあって状況がひっくり返ったときに、自分が叩いてたことをごまかすためのテキトー中立ごっこ」でしかない

「私は脳天気なので」とか言ってるけど最後の「みんな大好きだよねぇ?」のあたりに突っ込まれて揺れてるのが出ちゃってるよ、上から目線ドヤ顔雑語りさん

anond:20240422103104

ささみは茹でて甘いごまだれかけてむしゃぶりつけ!

2024-04-21

anond:20240420164311

お前の勝手アイデンティティ他人適用しようとするな

いま40から50代の奴らってば、ちょうど迫害経験してから市民権を得だした世代から

オタクを居場所にしてる奴が多すぎるんだよ

若い世代なら、ある程度もう「趣味」なのよ

60代から上で生き残ったやつは、気合が違うのね、面構えが違うんだ

40から50代の奴って中途半端なんだよ

虐められたり、就職できなかったり、そういうのをオタクという枠に逃げ込むことでごまかしてたやつが多いの

それも自覚的にやってるなら救いはある、次の居場所を見つけるだけだ

自転車バイクに移ったり、釣りに行ったりな

でも、その自覚がなく、自分オタクだと勘違いしちゃってるやつはキツイんだよ


そういう奴らがな

年取って、居場所として機能しなくなったオタク愚痴りだすのよ

やれコンテンツを楽しめなくなっただの

やれジャンルに人が居なくなっただの

うるせぇんだよ

黙って消えろよ

コンテンツが楽しめないんじゃねぇよ、そのコンテンツコミュニティに居場所を作れないからツマラナイの

もともと楽しんでたのはコンテンツじゃねぇんだよ

コンテンツはお前が依存する砂場じゃねぇの

お前はオタクじゃなかったんだよ

単に人付き合いをしたかっただけなの

2000年代とかすげぇ多かったんだぜ、そういう奴

でも年取ったら、若者に混じってオフ会にも出られない

ガルパン人気は、そういう層をすくい上げてる部分が一定度あるんじゃないかなって思ってるんだよね

2024-04-20

私は香水を体につけたいわけではないんだよな

香水自分が嗅ぎたいのであって、他人アピールするためではないので

けど家の中でハンカチにつけて持ち歩くのも面倒なので、腹だったり膝下だったりにつけてる

首につけるのは相当に香りを楽しみたい時くらい

自分のように香水を内向きに使う人も最近は多いはず

歴史的には風呂に入ってない人のニオイのごまかし用なので、外向きのエチケット用品でありオシャレ用品なのだろうけど

アユーラという化粧品関係ブランドがあったけど、あれが自分のための香りと明確に主張している香水だったな

アユーラ香水はなくなってしまったけど、他にもそういったブランドはあるんだろうか

香水他者アピール自身への癒しでまったく違う使い方をすると思うんだけど

そういえば少し前に、香水業界の重鎮らしい外人のお爺ちゃんが、香水は手首ではなく手の甲につけるのだ、と説明している動画話題になっていた

その方が(自分自身に)よく香りが届くからだそう

からの基本としては脈打つ体温の高い場所に付けることを良しとされていたけど

いろいろ変わるもんだなあ

自分は100パー自分のためにしか使わないので、そういう用途に適した商品、付け方、道具とか今後きちんと分かれてできてくるといいなあと

公共の場所で癖の強い香りを付けるのがマナーとして望ましくない、無臭が最善の香りなわけだし

こっちも他の人に何か働きかけたくて香水使うわけでもないのだし

夢中でいるのに飽きた人は煽り散らかす

下を見て飽きをごまかすのである

2024-04-19

「全ての大学私立大学しろ。」と言っているのと同じでは?

文部科学省で開かれた或る会にて、慶応義塾大学伊藤公平学長(または塾長)が、国公立大学学費を年150万円程度に引き上げることを提案し、そのことがXなどで物議をかもしている件。

伊藤学長の「大学全体の教育の質を上げるために、公平な競争環境を整えたい。」という理屈は確かに一理あるのだが、その方法として「国公立大学授業料を150万円程度に値上げする」というのは、すこし変だなと思う。

だったらまず素直に国や地方公共団体から国公立大学に配られる運営費交付金をなくすのが先だろう。授業料を同程度にそろえても、国公立大学だけに運営費交付金があるなら公平にはならない。運営費交付金を無くすことで収入ベースをフェアにして、そのあとで国公立大学各自授業料を調整すればいい。

公平な競争環境にしたいというのは、自由市場競争したいということだ。つまり国公立大学廃止して、全ての大学私立大学にしたい。」と言っているのとほとんど同じだ。伊藤学長は、変にごまかさず、「日本大学を全て私立大学しろ。」とはっきり言えばいいのだ。

あと「国公立授業料を150万円程度に上げることで、一部の私立大学は国公立より低水準の学納金設定で公平な競争に参加できる。」と言っているが、なぜ国公立大学が一部の私立大学より高水準で競争しなければなければならないのか?公平な競争環境なのであれば、低水準で参加しなければならないような私立大学はさっさと淘汰されるべきではないのか?

2024-04-18

anond:20240418144339

言うならば産休入る事を社員が快く思えない状況にしてしまった会社側に問題あるかなって思う

しろ今まで育休叩き妊婦叩きに対するはてなーの反応って、そういうのが定跡ってぐらい決まりきってたはずなんだよ

だいたいこの三本立て

妊婦や子持ちが叩かれそうになったら、とにかくこれさえ繰り出しておけばタゲそらしできたし、不毛な議論だって止められた

少なくともはてな民マジョリティであるところの左派は今までそうやってきたんだから、今回もそれで終わりにすりゃいいのに

ガキの奇声ですら「あれは騒音にあらず」と、まるで自民党自衛隊にやってるような解釈駆使してまで、ひたすらごまかし続けてきたというのに

どうしてそうしないのだろうか

なぜか知らないがスープストックのあたりからどうも流れが変わった感がある

今までのタテマエ捨ててでも限界フェミに寄り添わなければならなくなったのかもなぁと勝手に予想しているが、ちょっとよくわからん

2024-04-16

「絵が上手いの、ずるい」と言われた

子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。

子どもたち「絵、うま!どうして?」

「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」

親「え~w最初から上手だったんだw」

最初はこの子たちより下手でしたよ~」

親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」

子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。

こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。

ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。

最近オタク文化根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)

 

というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?

 

ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。

 

初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。

幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき

想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。

 

小学校に入ってからはつらかった。

漫画が好きで漫画をメインで描いていた。

しかし当時は

絵を描く=オタクキモイいじめていい

みたいな時代だった。それか自分学校治安が悪かったのかもしれん。

教室で絵を描いていればカースト上位にぶんどられて

「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」

である

移動教室ちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。

鉛筆や道具箱消えているし。

キャラを描いていたら

おっぱい描いてるwきっも~~~www」

だ。

しばらくして図工教室に籠もるようになった。

図工の先生だけは「上手!」ってほめてくれたから。

担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。

 

その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミク衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。

どんなに周りから馬鹿にされても描き続けていた。

同士がいることは本当に心強かったな。

 

中学に上がり、第一の衝撃があった。

絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。

マジで上手い。

な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!

ペリー来航だ!!!明治維新だ!(?)

自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。

ここで初めて自分の絵が「下手」ということを認識する。

下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。

 

そいつ鈴木とする)はまじで上手かった。

しか鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。

絵に対しての自信が違いすぎる。しかも懐もでかい

増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」

いいやつすぎる…なんだこいつ…。

こいつと一緒に絵を描いていると、下手なのが申し訳ない!!!

 

鈴木コミュ力も高くてどんどん絵描き仲間を作っていく。

私立だったからしらんけど、絵描きいじめるやつはいなかった。

しろ絵が描ける=すごいって認識だった。

 

そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。

「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」

と、好き勝手描くのではなくちゃんと人体や構図を意識して…。

鈴木コミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。

 

ここで自分の親は偏見を持たなかったのもでかかったきがする。

パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親相談した。

父親電化製品が大好きで、PC自作するタイプ人間だった。

秋葉原学生時代から足を運んでいたらしい。

父親ペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。

「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。

 

ここでアニメ絵という存在を知る。

すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。

この絵柄ジャンプとかじゃみない!かわいい

逆に渋くてかっこいいのもある!

 

イラストの描き方本がたくさんある場所も教えてもらった。

ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。

 

ますます絵を描くのが楽しくなった。

デジタル最初、まったくわからなかった。

レイヤーバケツ解像度ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?

でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。

 

中高一貫だったのでそのまま鈴木とともに高校に上がる。

このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。

美術部を差し置いてそんなそんな…。ありがたいことだった。

自分バリバリ運動部だった)

 

鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。

自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。

でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。

 

このあたりから自分は絵が上手いんだと思うようになった。

鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。

 

Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。

とあるジャンル二次創作にはまってどんどん絵を描いた。

ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?

でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。

 

大学受験が疎かになってペンタブ没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。

変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。

 

大学にはなんやかんや頑張って受かった。

……芸術系の。(美術専攻ではないが)

そう、これがやばい

 

第二の衝撃。

みんな………………絵が………………うますぎる。

え?みんな先月まで高校生だよね?

え?え?

プロじゃないの?!?!?!?!?

美術専攻でないのにこのうまさ?!?!??!!

落書き!?!?

同人誌だしている?!壁サー?!?!?

 

井の中の蛙大海を知らず。

鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。

鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)

しかネット上ではない。リアルにだ。

ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットから実感がなかったんだと思う)

 

比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分もっと下手になる。

 

改めて自分の絵を見る。

へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!

は?何が「自分は絵が上手いんだ」だ。馬鹿か。ドアホ!

クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!

恥ずかしいわ!!!!!!!!!!!!

 

みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!

でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!

息をするように神うま激うま絵が出てくる!!

 

困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラスト漫画

計5部くらい売れた。終わり。

(身内+他の島の本も全部買うタイプ富豪人間の5部)

隣接サークルボンボン売れている。

明らかに通りすがりの人の立ち止まり率が違う。

ようやく現実を突きつけられた。

自分はうまくないんだ…」

 

鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。

もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。

ありがとう鈴木。本当にいいやつだな君は。

 

 

大学時代結構つらかった。

何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。

ペンを動かしても「違うよな…」となった。

塗り方を変えてみたりした。

たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物構造は何があるかちゃん勉強した。

 

高校生まではちゃん勉強して絵を描いていなかった。

なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。

でも限界があった。

 

嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。

だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。

絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。

どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。

授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。

片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。

下手だから上手くならなきゃとただ漠然と絵を描いていた。

 

周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。

「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。

だってもっともっともっと上手い人が周りにいる。

つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?

人体通りに描けていれば上手いのか?

でもそうじゃない人もいる。

崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。

ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。

 

絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?

鈴木を超えたら終わり?

楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい

想像が目に映る形になるのがうれしい!楽しい

でも上手いってなんだろう?

 

そんな時、大学とある講義教授がこんなことを言った。

 

芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。

技術科学芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。

社会貢献という形で自己確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』

 

自己完結世界自分一人ならいいが、そうじゃない。

絵が上手い人は自分世界を持っている。

その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。

絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。

想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。

なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!

 

そのために、もっといろんなものを見よう!

せっかく芸術系大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!

他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!

そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!

それでこそ自分想像が完成する!自分勘違いで終わらせない!

という結論になった。

 

自分自身の絵を振り返って、自分の描ける絵柄を見直した。

流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメギャル塗りを極めようと絞った。

そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分100%実力が出せるように調べた。

 

大変だった。

初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。

漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。

何を描いても必ず楽しいにはならなかった。

ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。

何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。

くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。

でも、自然ペンは握っていた。

 

ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。

急にだった。どうした?

なんか漫画もすんなり描けたぞ?小説も苦じゃない。

徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。

無我夢中だったのか?

積極的コンテストに出始めたのもこのあたりだった気がする。

SNSでも反応が増え始めた。

 

大学4年になってもう一度コミティアに出た。

完売した。50部

 

え…?

え……?

え"?!?!?!?!?!?

 

しか漫画完売した。

 

は?!?!?!?!?

 

感想めっちゃくる。賞もちまちまと頂けた。

 

へ?!?!?!?!?

 

た、たどり着いたってこと?!

第三者が見ても絵が上手い人間!!!!!!

 

人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。

まらねぇ~~~!!絵描くの楽しい~~~!!!!!!

つか作るのたのしぃ~~~!!

思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分勘違いじゃない!

 

賞をいただけて、意図が伝わっている!

伝わっているってこんなにも楽しいなんて!

 

20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。

なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!

 

1つのゴールにたどり着き、次のスタートが始まった気がした。

 

 

ばーっとかいたけど、頑張ったんだな自分

「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。

どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。

 

 

「絵が上手いね。どうして?」と言われたら

「ずっと描いていたからね」と回答する。

とりあえずの最適解なんだよな。

 

でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。

 

自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。

からおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。

 

AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。

ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。

考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。

 

 

<余談>

鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。

鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。

絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。

でも鈴木には負けない自分の上手さがある。

そして鈴木に勝てない自分の下手さもある。

中学から変わっていない。

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