はてなキーワード: ベターとは
「最初から傾向はあったけれど、ランキング制がその方向性を決定付けたといえる。この星形シールは小宇宙戦争における勲章であり、権威の象徴なのだろう」
俺は栞に何かを書くことも、シールを貼って評価することも、あくまで“本来の目的”に付加価値をつけただけと思っていた。
だが違う、“逆”だったんだ。
彼らにとって大事なものは栞にこそあって、その対価としてシールが存在していた。
本はそのための土台に過ぎない。
食玩のように“本来の目的”は菓子ではなく、おまけの玩具の方にあった。
本のために栞があるのではなく、栞のために本があったんだ。
「あんな星屑のために権力闘争ごっことはな。ナンセンスって言葉はこのために生まれたんだろう」
タケモトさんの露悪的な言動も、事ここに至っては適切に思えた。
「はー……」
自分の「せめて理解しよう」という生半可な歩み寄りは、まったくもって甘かった。
同じ空間にいる同じ人間のはずなのに、異世界に見たこともない生き物が佇んでいるように見える。
むしろ近くで見れば見るほど、その認識は強固になっていくようだった。
彼らは優雅にコーヒーを飲みながら読書を嗜んでいるように見えて、その実は泥水をすすりながら栞と睨めっこしていたんだ。
その有り様は思っていたよりも複雑で、多様で、繊細で、滑稽だった。
様々な感情がない交ぜになり、咀嚼は困難を極め、飲み込むなんて以ての外。
本に張り巡らされた紋様だけの栞と、そこに降り注ぐ流星雨。
「きっしょ……」
一日に二回も“きっしょ”なんて言ったのは初めてだ。
しかし俺のボキャブラリーでは、それ以上に妥当な表現が分からなかった。
「おい、テメー!」
俺が本についた栞を眺めていると、突如として謎の怒号が店内に響いた。
「テメーだったのか!」
店内にいた一人の男が、そう言いながらズンズンこちらに近づいてくる。
「やっと見つけたぞ! ボブ!」
男は俺を指差した。
ボブ……って、まさか俺のことを言っているのか?
「ここで会ったが百年目! 恨みを晴らしてくれる!」
男の様子からして、ただ事じゃないのは確かだ。
しかし俺には全く身に覚えがなかった。
「あの、何に怒っているか分かりませんし、あなたと俺は今日が初対面でしょう。それに俺の名前はボブじゃないんですけど……」
この時、たまたま俺が持っていた栞はボブの物だったらしい。
それで俺がボブだと勘違いしたようだ。
「いや、俺はボブじゃないですよ」
「散々、おれの書くことにケチつけやがって……そのせいで周りまで追従してバカにしてくる。それもこれもテメーのせいだ!」
というか仮に俺がボブだったとして、逆恨みもいいところだ。
所詮このブックカフェ内で起きた小競り合いだし、今まで面識もなかった相手だろうに、なぜここまで怒り狂えるのだろうか。
俺の冷めた視線が男を逆なでしたらしいが、多分どう対応しても無駄だったろう。
完全にノイローゼだ。
「おれをここまで追い詰めた、テメーが悪いんだ!」
男は叫びながら、こちらに向かって猛スピードで突っ込んでくる。
その行動に対し、俺は驚きや恐怖よりも諦念に近い感情が湧きあがった。
俺は溜め息を吐きながら、受身を取る準備をする。
「マスダ、危ない!」
しかし吹っ飛ばされたのは男の方だった。
センセイが間に割って入り、男を天高く放り投げたのである。
投げられた男は勢いよく本棚に突っ込み、崩れ落ちた本に埋もれてしまった。
静観を決め込んでいた他の客も、これにはザワつく。
「センセイ、助けてくれて感謝しますけど、ちょっとやりすぎたんじゃ……」
「相手が武器を持っている可能性も考えたら受け止めるのは危険だった。これがベターだよ」
一時は200万の借金に加えほとんど引きこもりに近い生活を送るほど荒れていたが、
少しずつ生活を立て直し。実家を飛び出しても2ヶ月くらいは生活できるほどの貯金もできた。
心機一転満を辞しての転職活動。今さら焦っても仕方ないしオリンピックの余韻が続く来年3月ごろまでに決められれば御の字だろうと悠長に構えていた矢先のコロナ禍。資格試験をキャンセルしポートフォリオ制作も投げ出し、ひたすら求人検索エンジンやコーポレートサイトのリクルートページをチェックし片っ端から応募。エージェントにも6社ほど登録した。
現在の仕事は夜勤も多く、仕事が終わってからエージェントのヒアリングや面接のために6時間待機し、その後反省点をまとめる作業に1時間かかり、2時間の仮眠のあとシャワーと食事を済ませてまた出社…というような日が4日続いたり、1日置きに1週間という感じでこの3ヶ月を過ごした。
丸一日休みをとれても、不安でうまく眠れないしやらなければいけないことがいくらでもある状況下なので寝てはいけない。
そんなことは何の言い訳にもならないが、転職活動を始めてから現職の方でミスが増えてしまい、上司にも目をつけられるようになってしまった。
正直いうとここ最近半狂乱に近い状態で、病院の予約時間を1時間早く間違えたくらいで「自分はこの程度のスケジュール管理もまともにできないのか」と帰りの車中で泣き喚き散らしてしまうくらいで、何にしても冷静な判断がくだせるという自信が持てない。
内定までの経緯が少し変わっていて、内定をもらった会社をA社とするとそこと全く別のB社にもともと俺は応募していた。すると採用担当とは別のB社社員から個別に電話がかかってきてA社を紹介された。A社社長と数回電話面談を行ったあと直接会って内定が決まった。
サイトを見る限り俺にとってA社は魅力的ではある。学生時代から未練があった業種に携わっていて、そこに未経験から挑戦するとすれば今が俺にとってラストチャンスかもしれない。しかし選考時の豪快さが妙に気になって仕方がない。
そしてここにきて俺はフロントエンドやWebデザインのポートフォリオ作りに熱をあげている。
もともとHTMLやCSSやらはテキストサイト全盛期だった小4の頃から見様見真似で暇つぶしに書いていた。書いていたといってもレンタルサーバに手打ちしたファイルをあげたり、WordPressに自作のテーマを仕込んだりはてなブログのカスタマイズ機能にCSSやJavaScriptをちゃちゃっと加えてたぐらい、だが、そらである程度書けるぐらいの知識はあった。
イラレやフォトショも大学の課題制作で嫌になるくらい使った。というか卒業してからもフライヤー制作とかで使った。
これくらいのことなんて常識の範疇で、AT限定免許所有者くらい取るに足らないレベルなのはわかっている。しかし病んで人と会話できなくなったりパソコンがお釈迦になって何もできなくなったりとそんな風に何かが起こっても常に俺が関心を寄せていたのサイトやWebデザインだった。
もともと転職活動で当初志望していたのもデザイナーやフロントエンドだった。借金を完済したのを契機に念願のラップトップを買ったので今年の2月から意気揚々とポートフォリオ制作を始めていた。この時はまだかっこよくてかつしっかりしたサイトが作れさえすれば、どこか拾ってくれるんじゃないかと思っていた。いや、就職できるかどうかは二の次で、かっこいいサイトを作りたい、サイトをもっとちゃんと運用できるようになりたい、もっとフロントエンドの知識を深めたいというのが一番の動機だった。
コロナ禍で転職活動を方向転換してからは求人があるうちに動かなくてはという思いで、ひたすらお気持ちポエムみたいなPR文を募集先に送りつけた。手元に何もない俺にはそれしか出来ることがなくていつも情けない気持ちだった。そんな嫌な毎日の中でポートフォリオ作りに関することが俺の逃げ場になっていった。借りてるさくらサーバー、VirtualBox上のFreeBSD、CentOSを仕込んだラズパイ、稚拙な知識を黙示録として書き記した雑魚虫なQiita…こんなとこに俺の未来なんてあるはずもないのに、もはや使い捨ての傭兵のようにこきつわれるだけで死んでく分際なのがほとんど決まってる癖に。
コロナ禍はリーマンショックとも震災とも違った。業界業種で影響の度合いに差がありすぎるし、情勢の変わり方も激しい。いきなり悪くなったり劇的に改善したりする。じわじわと影響が露出してきて経済が回復するのも長期的だった従来の経済的混乱とは違い、病床数やワクチン開発などの医療の状況、緊急事態宣言等の社会情勢で一変する。その時が来れば一気にコロナ禍による経済不安はなくなる。現に緊急事態宣言のあの騒ぎは劇的に落ち着いてしまった。
そんな中でこれは未曾有の危機!20年代は暗黒の時代だ!とヒステリックになり、よくわからない企業に飛び込んでしまうのはかなりのギャンブルなのではないかと感じ始めている。その反面これが自分の宿命なのだと得体の知れない企業で怨念にずぶずぶ浸かりながら野垂れ死ぬことを受け入れなければならないんじゃないかとも思う。
考えがまとまらずとっ散らかった文章になってしまったが、俺は何がしたいんだろうか?何が一番ベターな選択になるのだろうか。
フロントエンドの知識なんて俺にはたいしてない。30年近く生きているにも関わらず。でもだからこそもっと知りたいし、知らないことが悔しいし、しょうもない雑念に囚われて何のスキルになるのかもわからない仕事で時間を消耗することを受け入れられない。どう気持ちに折り合いをつければいいのかわからない。
タイトルが全てと言えばそうなんですけど、これ思ってる人って結構いると思うんですよ。もちろんファンアートを描く人やそれを喜ぶ作者の気持ちを否定するつもりはこれっぽっちもありません。ただファンアートをweb小説の本文に載せるのはやめてほしいのです。
何故ファンアートを載せるのをやめてほしいのか理由を説明していきます。まず当たり前のこととして小説単体って基本的には文字だけなんですよ。書籍化してる本なんかは挿絵やら表紙やらで視覚的に訴えてきますが、それは”書籍”として完成度をあげる(売れる)ためなわけです。物語を頭でイメージしやすくなったり、絵が好きで買ってくれる層も出てくるのでとても大事です。世に出ている本(ここではライトノベルとします)は書籍化の段階から組み合わせがか考えられてるセット商品なんですよ。別々の物がくっついてるわけじゃないんです。挿絵を付けるのは書籍としての完成度を上げるためなんです。これよく覚えといてください。
web小説は書籍化のフォーマットにあるわけじゃないので挿絵が付くことは基本的にありません。書籍化するとなった段階でその小説は挿絵や表紙、書下ろしなどと合わさって生まれ変わることになります。作者の方が自分で描いてることもたまーにありますが、それはともかく。
web小説を読んでいたとしましょう。挿絵がない小説ですから読者は与えられた情報で各々キャラクターの造形を頭に浮かべ、楽しんでいます。この時、読者の頭に浮かんでいるのは同じキャラクターでも見た目が違います。文字情報だけで同じ見た目の人物を思い浮かべるなんて無理なわけです。当たり前ですね。
そして続きのために次のページのリンクを踏むと『とてもうれしいことに○○さんからファンアートをもらいました。○○がめっちゃ可愛い!!』みたいな作者コメントと共にファンアートが出てくるわけです。ファンアートがもらえるということは小説に人気があり、結構続いた中盤当たりでしょう。読者が自分の中でキャラクターのイメージ像を固めたところです。そんな中で作者というこの作品の神の公認と共に出てくるファンアートは世界を一回ぶっ壊してその色に再構築させるわけです。
そのファンアートが自分の想像通りだった! という人は幸せです。なんも問題がない。神が認めた世界を楽しく謳歌できます。人生薔薇色です。
思ってたのと違う……となった読者達は選択を迫られます。何も見なかったことにするか自分の認識を改変するかです。聖典を自分なりに解釈するか改宗するかですね。どちらも辛いです。神は試練を与える。
そして性質の悪いことに誰も悪意があるわけではないのです。ファンアートはその作品を楽しんだ読者からの応援メッセージですし、作者はそれにただ喜び皆に紹介します。こんないいことがありました! と。軽い気持ちなのでイメージに合わないなら無視してね! くらいのノリです。
しかしweb小説の本文というのはその世界の聖典なわけです。ここに書かれていることが正しいし、カラスを白いと言われれば白いと認めざるを得ません。そこに置かれたファンアートは同じ重みをもってしまいます。そして信徒たちは悩み苦しみます。聖書にはこう書いてあるが受け入れ難い……でも神の言葉だし……。そのキャラが出た時、信徒たちは叫びます。「神よ、なぜこのような試練を与えるのですか!」
こうして苦しみは続いていきます。この連鎖をどこかで断ち切らねばなるまいと私は立ち上がったのでした。
まあ長々書きましたが結論はシンプルです。ファンアートは活動報告に置いてください。以上です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分の文章が悪く、この記事で言いたかった事をあんまり伝えられていなかったので追記。
コメントでもあるようにファンアートを載せるのは作者の方の自由であり、それに命令するように感じる文章はよくなかったですね。少し扇情的な文章になってしまいました。申し訳ない。
私の意見としては
・ファンアートを載せる行為は作者の喜びを分かち合うための行為だと思っている
・しかしそれを本文に載せるというのはどうしても別の意味合い(そのイメージに固定される)が発生しがちなので、それをよしとしないならば活動報告などの作者別ページに置いた方がベターではないでしょうか? という提案
・もちろんファンアートで応援する行為も、それだけの熱量を他人に与えられる作者の方もリスペクトしており、決してそれらを貶める意図はないということ
以上です。元の文は戒めとして残しておきます。
ツイステッドワンダーランドのキャラクター、ジャミル・バイパーのボイスについて。
なお、このエントリについては特定の声優さんを貶める意図はありません。
あくまで一ユーザーとして感じたことを記載したまでですのでご了承下さい。
今回ツイステにおいてフェアリーガラというイベントが開催され、
ジャミル推しの私は絶対にガラ衣装のジャミルSRを手に入れるぞと意気込んでいました。
ガチャの結果無事に推しが手元に来てくれてホッとしていたのですが、
現れた彼が喋りだしてすぐ違和感を感じました。
「声…違わない???」
ホーム画面にジャミルを設置してしっかり確かめてみましたが、明らかに声が違う。
今までは低音ボイスだったのに、随分トーンが高くなっている。
確かに抑揚も付くようになっているし、声優さんが上達したのはひしひしと感じられました。
ただ、私は今までの低い声で、でもどこか温かみのあるジャミルの声が好きでした。
今回の大幅なボイスの変更において、きっと役者さんが声優初挑戦ということでさぞかし試行錯誤されたのだろうと感じられます。
確かに明らかに活舌も抑揚も良くなり、聞き取りやすさという点は間違いなく成長されています。
きっと声のトーンが高くなられているのも、ジャミルが17歳の少年であるということを鑑み
ですが、その芝居の方向性の変更が「同じ人間が話している声か?」という疑問を抱かせることに繋がっているのは否めません。
「4章を経てジャミルは自分を解放できるようになった」「人間らしくなった」という声があるのは理解していますが、
あくまで4章をターニングポイントとしてジャミルの話し方が変わったとすれば、違和感を感じる点があります。
ツイステのカードには「カード固有台詞」と「キャラクター共通台詞」の二種類のボイスが実装されています。
カード固有台詞は、そのカードを使用した際にのみ発されるボイス、
キャラクター共通台詞は、カードの種類に関わらず、そのキャラクターを使用した際に発されるボイスです。
このキャラクター共通台詞において、ジャミルは当初の低いボイスが実装されたままです。
これはジャミルを育成した際や、授業中、バトルの際などに聞くことができ、
彼というキャラクターのイメージの核となる部分だと受け取っていました。
その一方でフェアリーガラのジャミルが固有で持つホーム画面上のボイスは高音です。
これにより、授業やバトルを経てガラジャミルの待つホームに戻ると、突然違う声でしゃべりだす彼に迎えられることになります。
正直このちぐはぐな反応に悲しみを感じえません。
仮に4章を起点として、ジャミルが人として変化した、それをボイスにも反映させた、
ということであるなら、先述した共通台詞のボイスも、4章以降は変わっていなくては整合性が取れません。
もちろん一人のキャラクターのためにそこまで手間を掛けるということはコストの面からあり得ないということは認識しています。
なので、この仮定は現実には実現不可能なものであると考えます。
そうなってくると益々このフェアリーガラというイベントのみにおいて、突然ジャミルの声が変わってしまったことを残念に思わずにいられません。
もしかすると5章以降のストーリーでは彼はこの声で話すのかもしれませんが…
ではそうしたら、今現在も存在している授業中にカリムのお腹が鳴ることを察したり、時に先生に得意げに飛行術を披露している彼をどんな存在だとして受け止めればいいのでしょう。
場面場面で話し方が大幅に変わる人間、ジャミルがそう描かれてしまっているように感じられてしまい、
けしてこれが声優さんや運営方が求められた結果ではないだろうと思います。
これは憶測でしかありませんが、今回ジャミルのボイスが大きく変わったのは声優さんがジャミルをより良くしたい、技術を向上させたいと努力なさった結果であると感じます。
間違いなく実装当初のボイスより成長なさっていますし、声優初挑戦でいらっしゃる方がそこまで突き詰められていることに感動しています。
ですが、キャラクターに主体的に関わる声優さんの立場と、あくまで受動的にキャラクターに触れる私たちユーザーとでは受け取り方に差があるのではないかと思うのです。
そうした際にその溝を埋めて橋渡し役を担ってくれるのが演出であり、お芝居における監督なのではないでしょうか。
実装時にいくら未成熟だったから、キャラクター像を掴めていなかったら、
もし仮にそうだったとしても、その未成熟な時点で命を吹き込まれたのがジャミルというキャラクターなのだと私は思います。
でも彼が初めてジャミルとして話し出した瞬間、それが彼というキャラクターの核なのです。
お芝居は生ものですから、変化や成長があることはあって当然だと思います。
ですが、キャラクターの命ともいえる核を守りながら、
役者さんの成長を反映させるというコントロールこそが、演出側に担っていただきたい役割だと考えます。
今回の変化はそうした演出側からの調整のようなものがあまり感じられず、
役者さんの試行錯誤がそのまま反映されているように感じられました。
ですが、先述した通り役者さんのキャラクターへの向き合い方と、私たちユーザーがキャラクターから受け取るものは視点が違います。
確かに著しく上達はされていますが、あくまで”キャラクターボイス”である限り
4章を以て彼が解放されたという描写の一環だとしても、別人かと思わせる域の変化をつけてしまうのはどうしてもベターではないと思うのです。
改めて運営側の皆様にはその点を汲み取っていただきたかったと残念に感じます。
これがゲームリリース前なら当然いくらでも変更があって問題がないと思いますが
それにより、彼が場面によって人格が乖離してるように見受けられるのは否めません。
長々と書いてしまいましたが、私はなんだかジャミルがかわいそうなのです。
これからも彼は共通台詞において低い声で話し続けるのでしょう。
その一方で5章がリリースされた際にはガラのような声で話すことになるのかもしれません。
そんなキメラ的な存在になってしまうことがどうしても不憫なのです。
「俺と一緒にいても…」と語りかける、落ち着いていて、情が感じられる話し方がとても好きでした。
死者に敬意がないとか言っててさ?頭おかしくない?
頭おかしいは言い過ぎかもしれんけど、こうもナチュラルにローカライズされて一部の地域だけでしか通じない思想を
さも全人類が共有しているみたいな、全然世の中のことを知らないで上から目線で、自信満々に自分の考えが全宇宙で通じる正義だと思い込んで発言しちゃうのダセェんだよ
そんなことも把握できてなくて、今回のダーウィン賞に対して怒られても、そもそういう観点の賞じゃねーからとしかならん
気持ちはわかる、俺も日本で生まれ育ってどっぷりそこの生死間前提の宗教観をお前らと共有しているからわかるけど、
それは我々のコミュニティでしか通じないことだし、それを宇宙の真理みたいに錯覚するのは、マジでヤバすぎる
ダーウィン賞に怒るのはもっともだけど、それはダーウィン賞がクソなのではなく、日本の死生観に配慮がないことを怒るべきで、
ダーウィン賞がとち狂った倫理観を持っているわけじゃなく、彼らの世界では日本のように死んだ人間を神聖視するようなスピリチュアルの文化がないだけで、文化の問題であることくらい分かれよ。
そんなこともわからんで怒り踊らされて訳わかんねーたわ言言ってるの、きしょいっつーの
お前の感覚は一つの地域でしか通じないスピリチュアルな文化だってことくらい、分かれ
わかった上で、怒るべきは、ローカルで大事にされているスピリチュアル文化に対してのフォローが欠けていて、多くの同胞を悲しませることです。
というような起こり方がベターでしょうね。
なんだよ使者への尊敬って。尊敬するかどうかはどういった人間だったかによるだろ。死んだらみんなえらい!って
お前ら(我々)固有の文化だろう。少なくとも世界中の人間の間でコンセンサスを得ているような思想じゃねーよ
プログラミング未経験者から「プログラミングを勉強してみたい、でもどのプログラミング言語をやればいいのかわからない」というような悩みを聞くことがあるので、https://redmonk.com/sogrady/2020/02/28/language-rankings-1-20/ に載っている人気の言語TOP 20について、未経験者が最初に学ぶのはどの言語が良いかという観点で簡単に解説してみます。
対象読者はプログラミング未経験者なので、なるべく難しい言葉を使わないようにしたつもりです。また、正確性よりもわかりやすさを重視しているので何かしら間違っているかもしれません。ご留意ください。
Webブラウザの上で動くプログラミング言語。元々ただの文書しかなかったインターネットの世界に、グリグリ動くページを作りたいという欲求により生まれた。JavaScriptのおかげで今のWebページはグリグリ動きまくりである。
元々HTMLをちょちょっといじる為だけのものだったが、どんどん進化を続けて今は一つの超人気プログラミング言語である。今ではブラウザ上でなくても普通に動かせる(Node.jsという)ので様々な用途で使われている。
ブラウザ上で動くプログラミング言語は基本的にJavaScriptしかないので、JavaScriptはすべてのWebプログラマが学ぶ必要があると言っても過言ではない。
ちょっとしたプログラムを書いてすぐブラウザ上で動かせるので楽しい。そういう点ではプログラミング入門に適していると言えるかもしれない。
機械学習を始めとしたデータサイエンスの分野で激烈に人気のある言語。理由としてはNumPyとかTensorFlowのようなライブラリが充実しているというのが大きく、資産がたくさんあるのでこれからも使われ続けるであろう。
言語としては、誰が書いても簡潔で読みやすいコードになる傾向にあり、小さいプログラムを書くにはいい感じである。米国ではプログラミング教育にPythonがよく使われているという話も聞くし、初心者がプログラミングを始めるのにはいいのかもしれない。
将来AIやデータサイエンスをやってみたいと思うのであればPythonから始めましょう。
ランキングでは常に一位に近い順位をつける言語。Javaができた当時は色々と革新的だったらしく、組み込み業界からWebまで流行りまくっていた。今でもその名残か使っているところは多い。過去の資産やプログラマの数が多いのが一番の理由だと思う。AndroidアプリもJavaで書く(もしくはKotlin)。
実行速度が速く、また下位互換性がしっかりしているので過去に書かれたコードが新しいマシン上でも動きやすいのが長所。短所としては、歴史ある言語で下位互換性を保っているため文法が古い感じがする。タイプ量も多くなるし、学習コストはJavaScriptやPHP, Ruby, Pythonあたりに比べると高い。
正しく使えば強力な言語だが、日本のクソSEもどきは全員(自称)JavaエンジニアであることがJavaが毛嫌いされる理由の一つになっている[要出典]。いわゆるGAFAもJavaをかなりヘビーに使っているので要は玉石混交ということである。
Androidアプリを作ってみたいというならJavaからはじめるのはアリ。
Webページを作るためだけに生み出された言語。プログラマの数が非常に多い。日本で求人が一番多いのはJavaかPHPであろう。
初心者でもとっつきやすく、すぐに動くプログラムを作れるので入門に使われることも多い。学習コストの低さはトップレベルである。しかし基本的には古くてダメな言語とみなされており、PHPで作られたWebサービスは脆弱性が多いという都市伝説もある。真実は闇の中である。
近年のバージョンアップで比較的良い方向に向かっている(と個人的には思う)ので、選択肢としては意外と悪くないかもしれない。
Microsoftが生み出した言語で、.NETというプラットフォームを使ってWebサービスを、Unityというゲームエンジンを使ってゲームを作ることができる。
最近有名なのはUnityで、今やほとんどの3Dソーシャルゲーム(の一部分)はUnityで作られている。そう考えるとC#のプログラマは結構いそうだし将来もある程度安泰かもしれない。もちろん.NETも広く使われている。
ただし.NETもUnityも触らない人にとっては基本的に縁のない言語である。
なんかゲーム作ってみたいかもなーと思う人はC#から始めてもいいんじゃないでしょうか。
C言語に色々な機能を足しまくってできた巨大な迷宮のような言語。言語仕様は複雑怪奇だが実行速度は全プログラミング言語中でも最速レベルなので、パフォーマンスが重要な開発において使われる。アプリやサービスというよりは、それらを作るためのライブラリ、プラットフォームなどを作るときに使われることが多い。Web系の会社でいうとGoogleなどは主にC++を使っている。
基本的には初心者が触る必要はない。競技プログラミングを極めたいとかならC++からはじめてもいいかもしれない。
このランキングの中で唯一、日本人によって作られた言語。作者のまつもとさんは世界的有名人である。ちなみに島根県出身、在住。
プログラミングを楽しくすることがモットーらしく、確かに書き味は良い。また作者が日本人なこともあってか日本語情報が多く、情報収集という点ではとてもやりやすい。
Ruby on RailsというWebサービスを作るためのフレームワークが世界的に大ヒットしたため、必然的にRubyの知名度も上昇した。少し前まで日本のWeb系スタートアップは猫も杓子もRuby on Railsといった様相であった。今は少し落ち着いたようだが今も人気は根強く、Web系プログラミングスクール等ではだいたいRuby on Railsを教えているとかいないとか。
Webに興味があるのならRubyから始めるのが一番無難な選択肢と言える…のか?まあ悪くはないと思う。今でも需要は多い。スクールに行きたいのであれば黙ってスクールのカリキュラムに従いRailsをやりましょう。
これは他の言語とは毛色の違う言語である。というかCSSはプログラミング言語と呼んでいいのだろうか?
CSSはHTMLを装飾するためのものである。字に色をつけたり、背景を変えたり、レイアウトやサイズを変えたりするのは基本的にCSSの役割である。
すごく大雑把にいうと、HTMLで表示する内容(文章や画像)を定義し、CSSでその見た目を整え、JavaScriptで動きをつける。というのがWebサービスの”見た目”を作るやり方である。
なので、Webに興味があるのであればある程度はCSSの知識が必要である。が、これ単独で学ぶようなものではない。Webサービスを作る時についでに調べて少しずつ覚えていけば良い。
TypeScriptは比較的新しい言語で、JavaScriptをさらに拡張したものである。Microsoftによって開発されている。
プログラムにはデータの型(Type)というものがある。例えば「1」や「2」は数値型、「あいうえお」は文字列型といった具合である。大まかに言うと、この「型」に対して厳しい言語は型チェックによりバグの混入を防ぎやすいがプログラムを書くのが大変、というかコード量が多くなる。型が緩い言語はサクサクかけるし短く書けるがバグを生みやすくプログラマの力量が問われる。ランキングの中だとJavaScript, Python, PHP, Ruby, Perlあたりは緩く、Java, C++, C, Swift, Go, Kotlinあたりは厳しい。
そんな中、世で広く使われているJavaScriptの型チェックが緩すぎるのでもっとちゃんと型をつけたい、そんな要望を叶えるのがTypeScriptである。基本的にJavaScriptを理解している人間が使うべき上級者向け言語というのが現状なので、初心者が始めるには適していない。
ただしこの先主流になっていく可能性は大いにあるので、どこかのタイミングで勉強してみても損はしないと思う。
C言語は基本的にOSを作るための言語である。OSというのはWindowsとかmacOSとかLinuxといったもので、マシンを動かすための基盤となるソフトウェアである。AndroidスマホにはAndroid(という名のOS), iPhoneにはiOSが載っている。コンピュータは基本的にOSがあって初めて動かすことができ、OSが提供する機能を使ってブラウザやスマホアプリなどを動かせるのである。
というわけで、初心者が学んで実用的なものではない。ただしC言語というのは世の中の様々なものの基盤になっており、他言語の文法もC言語から拝借しているものが多い。例えばC言語をある程度勉強していればJavaやPHPなどはなんとなく雰囲気で書けてしまったりする。
そういうわけで、コンピュータサイエンスをこれからちゃんと学んでいきたいという人(大学生とか)はC言語から始めるのもいいと思う。ちなみに筆者は初めて書いた言語はCであるが、意味が理解できるまでに2年かかった。才能がないとこうなるので注意。
SwiftはAppleによって作られたAppleのための言語である。iOSアプリ(iPhoneアプリと言い換えても良い)を作るためだけに存在している。
言語自体は他と比べて新しいため文法や機能がイケてる雰囲気があるので基本的にはいいのだが、iOSアプリ以外で使っている人は多分世界で5人くらいしかいないと思う。なのでiOSアプリに興味がない人はやめておきましょう。iOSアプリを作りたいあなたは他に選択肢はない。Swiftをやりなさい。
Swiftが生まれる前はiOSアプリを書くためにObjective-Cが必要だったため、多くの人がこの言語を使っていた。が、今はSwiftがあるので、古くからあるObjective-C製アプリをメンテナンスする時以外に使う機会はない。名前すら覚える必要がないので存在を忘れてしまって構わないが、これだけ順位が高いということは多くの企業がいまだにObjective-Cで開発し続けているということであり、ニッチな需要はこれからも残るのかもしれない。
Scalaは関数型言語と呼ばれる言語の一つ。Javaの親戚みたいなものなのでJavaとの連携が容易であり、上手く使えば性能も出るしコード量も少ないしバグも少なくて最高、な感じらしい。が、その分難易度が非常に高いので初心者が手を出すものでは絶対にない。どんなに早くても他に二つは言語を覚えてから勉強しましょう。Javaを覚えてからやるのがベター。
正直ほとんど書いたことがないのでよくわからないが、ビッグデータというワードが流行りだした頃はデータ解析用途でかなり流行っていた。その後機械学習やAIブームが来て、今でも現役で使われてはいるがPythonがどんどん勢力を拡大しているので少し目立たなくなってきた、というのが個人的な印象である。まあプログラミング初心者が最初にやるようなものではないことだけは確かである。
Go言語は比較的新しいGoogle製のプログラミング言語で、Googleのように巨大なシステムでの使用を目的に作られたものである。しかし実際には様々な企業が利用しており今一番勢いのある言語と言ってもかもしれない。
他のプログラミング言語の良い点や悪い点を参考に設計されており、実行速度の速さと生産性(プログラムの書きやすさ、読みやすさ)を両立できるような言語になっている。ただし、機能を増やすのではなく本当に重要な機能だけに絞るという思想があるようで、他の言語に慣れていると機能の少なさに不便を感じるかもしれない。
学習コストが低いという点では最初に学ぶ言語として適しているかもしれないが、GoだけでWebサービス等をサクッと作れるのかというと微妙なので、アウトプットを出しにくいというのはあるかもしれない。
シェルというのはテレビなんかでハッカー的な人間がPCを開いて謎の黒い画面に白い文字を打ち込んだりするアレである。説明としては正確ではないがまあ大体そんなもんである。何が言いたいかというと初心者が最初に学ぶとかそういうものではない。しかし実際に開発の仕事をやるとシェルの知識はあったほうがいいし、シェルに多少詳しくなるとPC上でテキスト操作をしたりファイルをいじったりというのが便利にできるようになる。ただし(通常は)極める必要はない。
Shellと言っても実際にはbash, csh, tcsh, zshなど色々あるのだがそれらをひとまとめにしてShellとなっているようだ。
PowerShellは上のShellの親戚みたいなもので、ShellがMacやLinuxで動くのに対しPowerShellはWindowsで動く。そんだけである。あと正直あまり知らない。
ランキングの中ではかなり昔からある言語で、サーバーと呼ばれるマシンには大体Perlが入っている。そのくらい市民権を得た超有名言語で、C言語やC++で書くほどでもない小さなプログラムはとりあえずPerlで書く、というくらいには広く使われていた。インターネット初期はほとんどのWebサイトはPerlで書かれていたとかいないとか。PHPなどの登場はその後である。
今でも広く使われてはいるが、RubyやPythonがPerlの後継的な位置付けであるため、初心者が新しくPerlを学ぶメリットというのはあまり思い浮かばない。何か特定の目的があるのであればいいと思う。
Kotlinは簡単に言えばBetter Javaである。Javaをもうちょっといい感じに書きたいという気持ちで作られた言語で、Scalaと同じくJavaの親戚のようなものである。
ランキングの中ではSwiftと並んでかなり新しい部類。AndroidアプリをKotlinで書けるようになったことがきっかけで人気が爆発的に上昇、今ではWebの開発にも使われていたりする。
とは言えまだまだ新参者といった感じで、ドキュメントなどの情報も他の言語に比べると物足りないので初心者には厳しいかもしれない。
言語自体はとてもいい感じなので、もう少しコミュニティが成熟してくれば最初に学ぶ言語の選択肢として有力になるかもしれない。
HaskellはScalaと同じく関数型言語である。ScalaがJava的な書き方でも動くの対し、Haskellは「純粋関数型言語」と呼ばれ、ランキング中の他の言語とは一線を画した書き方になる。どう考えても初心者にはオススメしない。少なくとも他に二つは言語をマスターしてからやりましょう。
なんとなくWebに興味がありそうならJavaScriptかRubyもしくはPHP、Androidアプリに興味があればJava、iPhoneアプリに興味があればSwift、AIやデータ分析に興味があればPython、3Dゲーム開発に興味があればC#。この辺りをやりましょう。
特に目的がないのであればフィーリングで選んで大丈夫ですが、やめておくべき言語というのはあるのでその辺だけ参考にしてもらえれば。
なお筆者はただのヘボプログラマであり、大好きな記事(http://www.mwsoft.jp/column/program_top10.html) の現代版かつより初心者向けなものを書いてみたいと思ってこの記事を書きなぐった次第である。あまり真に受けないよーに。
ほぼ同じ方法で未就職、未経験、高卒フリーター30代から数年で正社員年収4桁になった。
ただしプログラミングではなく、最初はネットワークインフラ屋。今はちょっと違う
自分のバイト経験から、プログラミングを集中して取り組むよりも、インフラ屋として、多くの社内部署や顧客の間に入り、
話を親身に聞きながら、インフラを整備する方が性に合ってると思ったから。その流れだとしてもこの内容でOK。
→完全に同意。スクールだの長期間の自己学習などいらない。正直PC持ってないのに入社するやつもいる。
→ITパスポートはマジで簡単だが、元日記の通り未経験者は勉強しないと合格できないので勉強して合格する。
基本とか応用とかは別にいらない。受験時期が固定されているのでモチベ的にも難しいがあればもちろん良い。できれば入社してから受けれると楽。
他にはLinux系、ネットワークのCisco CCNA、IT管理のITILなどは初心者向け。
→ITパスポートは覚悟を決めて、1-2か月もあれば、たとえIT未経験でも、仕事の合間の数時間の勉強で受かるはず。
4択の神が降りず、ITパスポートが受からないのであれば、自頭や向き不向きというよりも、IT業界のエンジニア、つまり、
”専門技術を持つ職人”を、未経験から目指す自分、という心構えの仕方に問題があるのかも。
大工でも刀匠でもいいので、未経験から職人になる自分をイメージして鍛錬する。
⇨年齢によっては、CCNAやLinux関連が無いとNGと言われるかもしれないので、複数の面接先で年齢と資格の少なさを指摘され続けたらやりはじめるで良い。
サーバ系資格であればクラウドでもサーバがあれば触りながら勉強できるのでなんとでもなるが、
CCNAは企業向けルーターやスイッチ、ルーティングなどの知識習得が必要で、未経験者の個人プレイ自己学習は結構ハード。
レベルとしては超初心者向けだが、工夫して手に入れないと触ることもできないし、スタートアップだけきつい。
費用も必要知識の範囲も跳ね上がる上、普段の日常生活でかかわらない。できれば入社してからが良い。
だが、なんとなーくで若者に目指されやすいWeb系、プログラマー系よりライバルが少なめで、需要は同じレベルで仕事が見つかりやすい=職人に進化しやすいのがポイント。
相手もわかっているので、CCNAや他の資格は入社してから早めに合格してください、研修します、時間あります、の会社が多い。
研修が無くても、突っ込まれた派遣先で教えてくれる、またはその時間をくれる企業も多い。が、実際にはわからないので派遣元で研修有の方が良い。
という事で最初はITパスポートで問題ないと思う。必要なのはITに未経験で入るための努力を事前に一人でできる奴なのかが伝われば良いのかと。
ただし年齢、時世次第な面もあるし、ハードルの高い会社に応募するなら基本情報やもっと専門的な資格が必要になると思う。
例えるなら、料理人に未経験から目指すために、簡単な調理方法を自宅で勉強してレストランのバイトから転職前提で始めるのか、
学校や教室で時間とお金をかけてじっくり覚え、本格料理屋の板前見習いからやるのかに近いのかも。未経験者の妙齢であれば前者を勧める。
今の状況をIT業界で変えてみたいなら、最初は欲張らずにとっとと転職してしまおう。また転職するので。
→特に未経験者の周回遅れは超本気を出さないと厳しい。資格、実務、コミュニケーション、転職を想定した立ち回り、
ビジネススキルなど、正直気が休まる時は最初の1年はないと覚悟してもいい。
でも、結果として高卒フリーター30台の周回遅れを一年で挽回できたと考えるとかなりお得だった。
→オススメ。だが、派遣元、派遣先、先輩後輩、仕事付き合いなどでそのような機会があるケースもあるので、
無理には時間を割かなくても良いのかも。たまに行く程度で構わないかもと個人的に思う。だが参加した結果誰とも会話しなくても、
良い発見やお土産、数年後にお客さんとその話で盛り上がったりと、有益なケースがほんと多い。
→どんなに慣れて居心地良くて未練があろうとも、少し給料が上がっても、最初の未経験募集中の会社に居すぎないことが大事だと思う。
自身の努力ペース、経験ペースによっては1年ちょっとで転職しても全然構わない時代。転職しないと給料や待遇はそうそう上がらない。
転職活動を少しするだけで、自身の客観的な評価も気付けたりする。
→資格については、インフラの場合、いろんなメーカーの資格が有る。大抵が短めの有効期限付きで、面接官が知らない資格も膨大にある。
だからといってミーハーに国家資格の高難易度だけ取っても面接でアピールできない事が多い。みんな持ってるし。オンリーワンが狙いにくい。
このメーカー資格って何?知らんけどすごいの?って聞かれた時に、実務経験を加えたエピソードを語れるようになると良い。それは別に自分が全部やった事でなくても構わない。
実案件がベターだが、研修で社内で誰よりも一生懸命勉強し、社内でこのメーカー製品は俺に聞け!クラスになった。とかでも努力と知識のアピールになる。
あと、面接官はメーカー資格の有効期限なんてそうそう見ない。マジで聞かれたら数日でさくっと取り直せばよろしい。
その頃には一度取ったメーカー資格の多くは無勉強や短時間で取り直せる実力がついてる。
→最初のうちは全く勉強せずにGoogle翻訳やアプリなどを駆使。最初からそこにリソースを割くぐらいなら、エンジニアの勉強に使う事に完全に同意。
→が、大手企業の中途採用のリーダーやマネージャーなどの幹部候補や、外資系の多くが、ある程度の英語力や、英語の抵抗の少なさが必須になる。
数年後にキャリアアップや収入アップを狙うなら、余裕が出てきたら合間に少しずつ勉強した方が潰しが効く。
50代になってもプログラミングやエンジニアリングを極めていくつもりならいらない。でもなんかそういう人は10代からのめり込んでる気がするし、
若い頃から特化してた人との周回遅れが取り戻しにくかったりするので、ふらふらしてた自分の幅広い経験や柔軟性を活かそうとする人が多い気がする。なんとなく。
海外出張/研修や外国人との打ち合わせがある仕事なら、いずれ少しでも積極的に参加した方が良い。
ペラペラである必要はない。英語で話したりメールしたりしてくる期間限定イベントが開始された時に、最低限意思疎通できればいい。
→英語のソースややり取りに抵抗を減らしていく。むしろ英語のソースから調べる癖を徐々につける。Google翻訳前提でも構わない。
日常生活でも、欲しい商品が海外ブランドや日本未発売なら、輸入品を楽天やメルカリで必死で探さずに、まずはブランドサイトや
海外のショッピングサイトなんかを眺める。日本発送OKなら英語で頼み、来たメールを読み、
気になる事があれば英語(by Google翻訳)で間違いだらけのメールを送りあうぐらいになっておけば、
仕事で突然メールやら挨拶やら電話やらを求められても抵抗が少ない。
まともな会社であれば、いきなり英語の大勝負は求められないので。
大の英語嫌いの人だと、いきなり英会話教室、アプリ、動画で勉強とかもハードルが高いので、
このぐらいの低レベルの英語のやり取りからだと楽な気がする。あとは英語圏の海外旅行。そんなお金があればですが。
こういう必要性が求められる系だと、割とできちゃったりするかなと。最初のITパスポートの時のようにね。余裕が出てきたらし始めるといいかも。
英語よりも日本語での意思疎通やコミュニケーションを少しでもあげた方が良い。
おしゃべり力雑談力も大事だけど、苦手なら社会人コミュ力をあげておく。
困った時にいろんなアドバイスをしてくれる、自分の専門外だった時にも知っている人を紹介してくれる、昔の話や顔と名前をよく覚えている、なども社会人コミュ力。
医者からすれば公務員は楽なんだろうし、コンビニ店員からすれば公務員は楽なんだろう
でもやっぱり公務員も公務員でいろんな否定の言葉を不特定多数の住民からもらってその書類の不備があろうものなら上司からも同僚からも自分からも受付にいるクレーマーからも否定の言葉をもらうからそりゃあしんどい
体力は使うが必要以上に人と接しなくていい倉庫整理の方が楽なんて人もいるだろう
言うほどどこの仕事も楽じゃないし、楽だと思っていてもどこかで奈落に落とされることもあるから、そのたまにくる奈落をヒョイと避けられる余裕があるのなら、多分その仕事は向いてるんだと思う。
まぁみんな基本的にどの仕事も向いてなくて、ここらへんで奈落があるって算段を付けて飛ぶ体力も大股で歩くバランス感覚もないからなるべく落ちないようにその奈落を確認するごとに穴の上に板を敷いて進んでるんだと思う。
敢えて奈落に落ちてちょっと頑張れば地上に出られるところの岩を掴むか降りるかして、そこからもう一度地上を目指す人もいるし。
とりあえずひとまず休憩ですわ。
他人の人生のスピードはそうであっても、自分の人生のスピードはそうじゃないし。
俺がどんだけ適当なこと言っても、やっぱなるべく平坦で生きていきたいでしょうし。
それがベストでも、それがバッドでも、ベターでも、ビターでもあるべきって訳じゃないから、今はただ向かない仕事との距離感を考えて、待遇や今後の銀行などによる評価を鑑みて仕事に臨むといいよ。
既存のメカニズムが問題を全て解決してくれないことと、他にベターな代替がないことは両立する。
増田の学校でも、こいつマジか?っていう先生がいると思う。あれは、何人が教師になりたくて学校は何人雇いたくていくらまでなら出せるか……みたいな変数が組み合わさった結果、仕方なくヤバイ先生が雇われ続けている。
コネがないと政治が進められないからコネがある奴しか政治家にならないこととか、一番マシな奴よりすごい奴が出てこないのに不満があるのは分かるが、体制に噛みつくのももっと丁寧にやらないと本当に無意義だよ。丁寧にやっても無意味なのは変わらないかもしれないが意義は出てくるかもしれないね。
https://anond.hatelabo.jp/20200503011104
実は言われるまでもなく安倍首相のことを応援している。しかし政治家としての安倍晋三、ついでに自由民主党は全く支持しない。どういうことか。
おれは安倍首相と同じく潰瘍性大腸炎を患っている。第1次安倍政権が潰瘍性大腸炎の悪化によって幕引きとなったとき、幼稚でバカだった俺は世の他の人たちと一緒に「下痢してやめた」などと揶揄していたものだが、いざ自分がなってみると安倍首相には尊敬の念しか無い。この病気は完治せず、下痢、血便からの大腸全摘ぐらいまではトントン拍子に進行してしまうリスクを常に抱えた病気である。消化に悪いものを食べず、体に負担をかけず、ストレス下に置かないことが大事だ。そんな中でも重圧に耐え、上記の通り病気を揶揄する声がありながらも総理で居続けられるのは並大抵のことではない。
もっと尊敬できるところは、決して病気を言い訳にしないことだ。この病気、根本治療はできないが対症療法は日々ものすごく進化している。そのおかげでおれはドクターストップからの退職寸前までいきながらも、今も定職について生活ができている。安倍首相は10代で発症したらしいが、そのころは今からすると治療法に乏しく、内視鏡検査もかなり苦痛を伴うものだったろう。だからそれだけに、そんな苦労を経てでも総理大臣に上り詰めた彼のことを、どれだけ世間から叩かれようとおれは憎みきれない。おれにとってはとてつもなく偉大なヒーローだし、尊敬の念を抱かずにはいられない。
でも、だからといってやってはいけないことはある。消費税の増税と統計不正からこっち、政治家、総理大臣としての安倍晋三は全く支持しない。なぜって、ハンディキャップを抱えているからこそ、真っ当な政治をして成功してほしかったからだ。れいわ新撰組の人たちとは違うとはいえ、おれの経験からすると潰瘍性大腸炎だってすごく大きなハンディキャップだ。だからこそ、そんな弱さを抱えてなお邁進する新時代のリーダーになりうる可能性は決してゼロではなかったと思う。強く断言する場面を吟味し、真摯に学び、専門家の意見を尊重する。アベノミクスが成功し、黒田総裁含め専門家への注目も集まり、景気は回復してみんなが豊かになる可能性はあったはずだ。でも財政政策と成長戦略は実行されることなく、なぜか消費税の増税だけには固執して、景気は悪化した。ついでに公文書偽造、統計不正、公職選挙法もろもろ不祥事ばかり起こしている。なんでそんなことになってるのよ。そんなどうでもいいことやってなければ景気回復の立役者になれて、どさくさで憲法改正だってできたかもよ?後者は良いかは別として(草案は当然だめすぎるが、それは別として)、目的に対してどうしてそんな迂遠な道を選ぶんだろう。なんで虚偽の答弁して地位にしがみついて、おれはえらいと虚勢を張り続けるんだろう。こうしてみると、病気を持ち出さないのも彼の考える「古き良き日本の強いリーダー像」なのかもしれないと思えてがっかりしてしまう。
上にも書いたとおり、おれは安倍首相を応援している。それは変わらない。でもだからこそ、すぐにでも彼には辞任してほしい。もろもろしらばっくれてしまえばみんな忘れると踏んでいるのかもしれないが、後世に彼が良い評価を受けることって、もう絶対にないだろ。今でも遅すぎるとはいえ、自分に足りないものを認めることができれば、それなりに浮かぶ瀬もあろうよ。というかそんな社会をおれたちは望んでいる。こんな小さい声は届かないものとは思うけれど、それでもひとり、おれは安倍晋三を応援しているし尊敬している。ベストとはいかないまでも今よりもベターな社会の中で、同じ病気を持つ仲間として安倍さんと生きていきたいと思っている。だからこそ言わせてほしい。安倍辞めろ。
気軽にロックダウンしろとか、自粛しない店は不謹慎とか、緊急事態宣言を延長しろとか言うやつは、きっと「責任」というものをこれまで持たずに生きてきた人間なんだろうな。
命は大事。それはわかる。でもお金も大事なんだよ。お金がないと結局人は死ぬ。
全員給付しろ、とか気軽に言うのはいいけどさ。そのお金はどこにあるの?
自粛しろ、とか気軽に言うけどさ。その間耐えるためのお金はどこにあるの?
国が保証しろ、とか気軽に言うのはいいけどさ。そのお金はどこにあるの?
自分の願望ばかり言うのははっきり言って「無責任」だよ。代案はないのか?国民が代案を示す必要はない?あれだけ低い投票率で委任しておいて、よくもそんなことが言えたな。
都合のいいときばかり国の責任にするなよ。国の責任だと思うなら、少なくとも投票率で国民の存在感を示して、安倍首相が嫌なら、デモでも何でもやって落としてみろよ。
日本の財政が火の車だというのは周知の事実だが、その責任の一端は国民にもある。日本人は稼げていない。そのために税金が取れず、財源がない。
少しでも「自分の判断が他人に影響を与える」という経験がある人は、少なくとも無責任に人を批判はしない。批判するなら "大局的"に" ベターな対案を示して行動をおこせよ。
何回か試したが、最近楽しみかたがわかってきたのでポイントを示そうと思う。
これが一番重要である。プラスチック器のまま食べているとセブンのレンチン麺と同じに思えて気分があがらない。
少し面倒だが全て移して見映えを良くしたほうがよい。また、どんぶりも予め熱湯で温めておいたほうがよい。
運ばれてきた時点でだいたいぬるい。
暖かくないというのはラーメンにおいて少しの味の差より重要である。どんぶりもそうだが、一手間をかけて暖めるべき。
■家系は大外れしない
家系のパンチ力はデリバリー程度の劣化では中々消えない。さすがセントラルキッチンが多いだけある。
ちなみにデリバリー専門ラーメン店は外れが多そうなイメージがある
基本的にどの店も麺とスープは別々に来るので伸びる心配はしなくていいが、やはり茹でたてがベターであることは間違いない。
ただ、面倒だったら別に選ばなくてもいいとおもう。
ここまでするのであれば、冷凍お取り寄せで良いのでは?と思うかもしれないが、その時に食べたいものを食べられるのはubereatsおうち麺の利点だと思う。おそらく1食辺りの値段も冷凍お取り寄せと変わらないはず(一食1100~1500円くらい)。
アベノマスクも自作マスクもどっちとも素材が布ということでウイルスには意味がないけれど、飛沫の拡散は防ぐのには効果的だからつけないよりつけたほうが良いという話らしい。でも飛沫の拡散の問題だったら咳やくしゃみをするときにハンカチで口元を覆ったり、腕で口元を抑えることで大丈夫そうに思う。
調べると厚労省にもあった。
「咳エチケット」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000187997.html https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000187997.html
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000593495.pdf
世間はマスクがいるぞって風潮だと思うけど、「咳エチケット」ができればアベノマスクも自作マスクもいらないと思う。
追記:
でもハンカチで口元押さえて咳して、そのハンカチってまたしまうじゃん?
ハンカチを二つ折りにして咳やくしゃみをするときに開き、しまうときに閉じるようにして飛沫が手につかないようすればそのリスクは低減できると思います。
また、腕で口元を抑えたときは腕を触ってしまうような癖がなければ大丈夫だと思います。
もちろんそういったリスクを踏まえマスクを使うのはベストだと思いますが、他の手段でもベターであり十分に代替できるのではないか、みんながみんな布マスクを付ける必要はないのではないでしょうか。
最近、リベラルとは何だろう?自分が『リベラル』と呼ばれる側と相いれない理由は何だろう?ということを考える事がある。
これから書くことは、あくまで私見にすぎないので、異論がある事は承知しているが、ひとまず私が考えてることを書いてみたい。
今後も、私が考えていく上での参考にはなると思うので、思うことがあればブコメでも、トラバでも、してくれたらいい。
リベラリズムの定義なんてものを学ぶつもりもないので、政治哲学的にどういったものが正しい定義になるのかは知らない、ということは言っておきたい。
だが、『リベラル』とカッコを付けて呼ばれる人々=朝日新聞や立憲民主党の一部に代表される戦い方を批判される人たち
であってすらも、根底にあるものは学識者などと変わらないのではないかと、様々な媒体で意見を見て肌で感じている。
それは
「自分を含めて、全ての人間は弱者になりうる。故に弱者は全てを救うべきだし、そういう社会であってほしい」
「自分を含めて、全ての人間が転落する可能性はあっても、全ての人間を助ける必要はない。全体効率を追求すべきである」
と、社会全体での効率を考えた時に、限界は設定すべきであると考えている。
だけど、根底にある「社会が示すべき寛容さの対象」は「全ての人間を救いたい」と言う人と変わらない。
例を挙げてみると
etc、etc。この辺りは特に反対する必要もなくYESだ。そうであるべきだと思う。
しかし、一方で、だが
などといった、全体の中の1~2割程度の、手を差し伸べる事が無駄で価値がない奴らを除外すべきである、とも考えてもいる。
恐らくだけど、この部分が、私のような層と『リベラル』が相いれない理由なのではないか。
が諸問題における、保守層とリベラル層の対立の原因であるように感じている。
効率よく合理的なベターを選択し続ける事が、実現しそうにもない完全無欠のベストを夢見るよりも、全体の幸福に繋がるというだけの事なのだが、どう思うだろうか?
日本人全員に10万円づつ支給することは無駄でしかなく、コロナによって収入が激減して運転資金や生活資金に苦しんでいる事業者や個人に支給すべきである、と思うがどうだろう?
基本姿勢の対立が長らく続いた結果かどうかはしらないが、立憲民主党がしょうもない難癖付けに終始しているのは残念な話だとも思う。
安倍首相に対して会食を自粛しろと批判していた高井議員が、緊急事態宣言後に風俗店に行った事、コロナ痛快新聞などは、そのくだらなさの最たるものだが、
「無制限の寛容さこそ善」と考えてる人々が、異常に攻撃的で論理的にも矛盾しているのはおかしな話ではないかとも思うし、そんなカッコ付きの『リベラル』は誰にとっても邪魔なんじゃないかと思いますよ。
「これは使命だと思った。全ての人間、いや森羅万象を幸福にせよという己(おれ)の使命だと」
それが世界を分裂させることだった。
「“最大多数の最大幸福”はベターな考え方だったが、ベストではなかった。多様性や自由というものがある以上、その“最大幸福の中心”から近い者ほど幸福になりやすく、遠い者ほど不幸になりやすいからだ」
かといって、人物Bが幸せになれるよう世界Aのルールを変えてしまうと、今度は人物Aが割を食う。
「ならば新たに“最大幸福の中心”を、別の世界線で作ればいい。誰にでも分かるシンプルな解答だろう?」
人物Bが幸せになれる世界Bを、人物Cが幸せになれる世界Cを。
そうしてフラッガーは次元を渡り歩き、世界をどんどん分裂させていったのだ。
「恋愛シミュレーションゲームでマルチエンドを作るようなものだよ。たくさんヒロインが出てくるのに、一人としか結ばれないなんて悲しいじゃないか。結ばれないヒロインも可哀想だ。サブキャラも攻略対象にして、それぞれトゥルーエンドまで用意しなくっちゃ」
フラッガーの例え話はイマイチ分からなかったが、自分のやってきたことを“誰もが幸せな世界”の最適解……だと思い込んでいるのは伝わってきた。
さすがSSS+級の指名手配犯なだけあって、頭のネジがブッ飛んでる。
そもそも世界が分裂すると、形を保てなくて消滅してしまうから意味がない。
仮に維持できたとしても、フラッガーの計画には重大な欠点がある。
世界が分かれている時点で、“人物も分かれてしまっている”からだ。
更に言えば、“世界Bにいる人物A”は幸せになれない可能性が高い。
つまりフラッガーは“幸せな人間を増やしている”と同時に“不幸な人間も増やしている”んだ。
もっとも、それを指摘したところで聞く耳を持たないだろうけど。
「己は全てを幸せにするために、できることをやった。お前らのような輩は邪魔をすることしか考えていない。お前らが理想郷を滅ぼしたんだ。お前達にはそれが分からない」
計画を一通り語りつくすと、フラッガーは「お前達には分からない」と連呼し続けた。
分かる分からないとかじゃなく、俺たちには分かってやる筋合いがないというのに。
自分を理解してもらおうと勝手に期待して、勝手に失望してやがる。
こいつの言う“最大幸福の中心”には、実のところ“己”しかいなかったのかもしれない。
それから十数分後。
かけつけた次元警察にフラッガーを引き渡し、俺はようやく元の世界に返れることになった。
「ちなみに、あの後フラッガーはどうなるんだ?」
帰路の途中、俺はガイドに尋ねた。
「たぶん永遠に眠ってもらうことになるだろうね」
「死刑かよ。容赦ないな」
ガイドによると、フラッガーは刑務所に入れられて、そこで睡眠装置に繋がれるらしい。
「それで心地よい夢を永遠と見れるようにするのさ。脱獄の意志を与えないようにね」
「……いや、フラッガーにとっては“幸せな世界”なのかもしれないな」
俺はその選択肢が残されているだけ、今のフラッガーよりは恵まれている方なのだろう。
理想を追い求めることも、夢を見ることも、譲ることも、面倒くさくなって妥協することもできる。
それ自体は幸せではないのかもしれないが、“目を瞑るかどうか”自分の意志で選べる余地はあるんだ。
はてブのアベガーな方々の意見はかなり偏っている。はてブは他のサービスに比べて比較的多様な意見が見られると思って利用しているが(最近だとnews picksとかのがいいかなというときもあるが)、安倍総理批判になると全く多様性を失い、ひたすら批判。否定。
どういう現象なんだろう?と思ってたけど、まあそのぐらい仕方ないかと気にしないようにしていた。
そこに来て、今回のコロナ。当然の如くひたすら安倍さんを批判、否定する人々。ここで問題にしたいのは、コロナ以前に安倍さんを否定していた人々と、今安倍さんを否定している人々は同一人物なのかどうかということである。
恐らく同一性が高いのだろうが、そうなると少し奇妙なことに気づく。安倍さんを否定している人々は、安倍さんのやることなすことを否定し、退陣を要求し続けてきた。「代わりがいない」という意見に対しては「代わりなんていなくてもとにかく退陣」。「対案を出せ」という意見に対しても「対案なんて出す必要ない。とにかく退陣」という感じ。
で、今、彼らの要求は、退陣ではなく、一律給付である。安倍さんからしてみれば、自分をひたすら叩き、人格を否定してきた人々が、有事になったら都合良く金銭を要求してくる。聞き入れる気になるだろうか。
想像してみてほしい。あなたは企業の社長である。過半数の社員からは支持されているが、一部社員から猛烈な批判を受けている。日常的に人格批判されている。
その状況で、有事になった。大半の社員は、「困ってる人に優先的にお金を回してあげてほしい」と言うが、今までひたすら自分を批判してきた一部社員の要求は「全員一律で給付しろ」である。どちらを受け入れるかは明白ではないだろうか。
ネットではやたら目にするので、アベガーの人々の動きには注目してきたが、はてブにせよ有名人にせよ、「安倍さんを退陣させたい」という目的に沿った動きをしているように思えない。権力者を叩いて楽しんでいるだけ。代わりも立てない、対案も出さない、有事も協力しない。誰がそんな人々についていくと思うのか。
今回の安倍さんの動きは、うまくないと思う。批判する理由も分かる。今後の選挙にも響くだろう。ただ、現状、代わりがいない。これは本当に致命的。自分みたいな比較的現政権支持の人間が、今回のコロナ対応でちょっと「?」ってなっても、じゃあ他に誰に任せるかというと本当にいない。これが全てだと思う。
安倍さんを引き摺り下ろしたいなら対抗馬を立てるべき。アベガーの人々は、対抗馬にもそれなりに欠点があることに気づくだろう。当たり前だ。人間なのだから。それでも安倍さんよりはマシだと思うならしっかり支援すべき。そういう人がいないなら自分が出ればいい。人任せにしてないで。Twitterでの愚痴なんて正直微力でしかない。安倍さんがなぜあんな動画を出すのか。支持する人々がいるからだ。そして批判する人々の力が弱いからだ。
一強体制を支持しているわけではない。ただ、我々は生活していかなければならない。諸外国とバランスをとりながら、経済政策を踏まえ、予算を実行していかなければならない。この営みを止められない以上、ベターな政権を支持する他ない。モアベターを提案してほしい。