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2015-01-23

日本人男性リタイアが遅いのは、「晩爺化」のせいだ

http://anond.hatelabo.jp/20150123232043

★ここで大胆な仮説を書いてみる。

 「日本リタイア年齢の後倒しの背景として、孫が出来る年齢の後倒し、ないし孫無し老人の急増」が関係しているのでは?

 「孫が出来る年齢の後倒し」って、長ったらしいので、一言で「晩婚化」ならぬ「晩爺化」と称することにしよう。

★「老人としての通過儀礼」として、「仕事リタイア」に匹敵する、いやそれ以上のイベントが「孫が出来る」ことである

 孫を抱くことで、「ああ自分も老人の仲間入りした」と実感することになる。

★いくら「リタイアを後倒しして、永久青年を気取ろうと」したところで、生物学的な「祖父母になった」という事実は変えられない。

 リタイア拒否して永久青年を気取ってた人が、孫が出来てしまったことで、『自分は老人であるという現実を受け入れて』リタイアする

★ところが、最近の子供(といっても、60歳代シニアの子供だから、まあ30歳代)はなかなか結婚しないし、

 結婚してもなかなか孫を作ってくれない。

 その結果、少し前なら60歳になったら過半数の老人が「孫持ち」だったのが、最近では65歳、70歳・・・と「晩爺化」が進行している

 その結果、以前なら還暦と同時に孫持ちになり、「これで人生一丁上がり」とリタイアに踏み切っていたのが、

 65歳・70歳と晩爺化することで、どんどん「人生の上がりの見極め時期」が後倒しされてくる。結果、リタイア年齢も後倒しされる。

★ちなみにお隣の韓国も、日本以上に高齢者就業率は高いらしい。

 韓国が「年金制度が不備だから高齢者就業率が高い」のかどうか、わからない。

 ただ、韓国日本以上に晩婚少子化の国なので、ひょっとして「晩爺化」で「老人になることを認めたくない高齢者」が増えているから、韓国就業率は高いのか?

リタイア忌避で働き続ける日本人男性のお陰で、年金財政はそんなに悪くない

★よく「年金はこのままだと破綻する!!」と恐怖感をあおる報道がなされる。

 或いは、金融機関とか保険会社が、「だから養老保険に入りましょう」とセールストークする。

 でも、年金が「見込より2~3割程度少なくなる」ことはあるかもしれないが、

 「年金が見込みより半額以上減る」ことは現状考えづらい。

 「半額以上減る、破綻する」と不安煽って商売する金融機関雑誌テレビは猛省すべしだと思う。

 彼らのせいで、日本人経済行動が過剰貯蓄になり、さら不安先行心理になって、出生率まで影響しちゃう

★これは私見だが、日本年金財政は、実は雑誌が煽るほどには悪くないんじゃないか、と思う。

 出生率の予想は外し、利回りの予想も大外れなので年金財政悪化方向であるのは事実だが、

 一方で、「70歳近くまで、年金を受け取る側じゃなく、年金を払う側」に回る人も多い。

★実は、65歳以上高齢者の「就業率」国際比較データを見ると、日本は突出して高齢者就業率が高い。

 社会学者は、その理由を「日本年金水準が低いから(現役時代所得代替率が低い)」の一言で説明している。

 実際「年金水準が低いから、仕方なく働かざるを得ない」の理由な人も多いだろうが、

 それだけでこの高就労率を説明できるだろうか?

 「経済的には働く必要もない」のに「リタイアするのが怖い、リタイアすると生きがいが無くなる、自分の居場所として職場が欲しい」

 という「精神理由リタイアしない人」も、日本では結構多いんじゃないかと思う。

★成人になるのに、社会によっては「通過儀礼」を行うケースがある。

 昔の日本元服式、今の成人式、未開部落ではバンジージャンプ韓国では徴兵制

 今の日本では成人式通過儀礼になってない。だから精神的に大人になれない、なりたくない20歳以上」が増えてる。

 ・・・老人も全く同じである

★60~70歳男性にとって、「退職」とは一種の「老人としての通過儀礼」。

 しかし、「自分は老人だと認めたくない、精神永久青年」が増えているため、

 「老人としての通過儀礼であるリタイア」を極力後倒ししようとする日本人男性が多い、それが「60歳代後半の異常な就業率」の正体では?

★ちなみに、日本の平均リタイア年齢が69歳程度なのに対し、フランスは60歳を切っているらしい。

 かの国では、「老人になることを受け入れる」精神風土があるのではないか?

世界23カ国に「シニアの勤労意識調査」を行った結果、

 22か国では「働く必要があると考える年齢」より、「リタイアしたいと思う年齢」を下回ったらしい。

 世界的には、大多数の人は「もっと早くリタイアしたいのに、経済的にやむなく働かざるを得ない」

 唯一日本のみが「働く必要があると考える年齢(60歳)より、もっと長くまで働きたい(62歳)」と回答したらしい。日本人リタイア拒否症状は重症

★また、『職位では特に管理職が、より長く働きたいと考える結果』だったらしい。

 この調査結果は、すなわち、日本人リタイア後倒し現象が、経済的理由に起因するものではないことを裏付けている。

 管理職なら、経済的には『働く必要がない』のに、あえて働いている。

 恐らく、管理職の『まだまだ若いモンには、ウチの会社は任しておけねぇ』という訳判らない『責任感』が、

 リタイア先延ばしにつながっているんだろうなあ。

★これ是非とも、「年収資産」と「いつまで働きたいか?」のクロス統計を見てみたい。

 諸外国だと『年収資産が多いほど、希望リタイア年齢は低い』の相関関係だろうが、

 日本だと『年収資産多寡希望リタイア年齢は無相関』、ないし海外と逆相関の可能性も。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.14 『ONE~やむべからざる、必要と実質』

■本文。

 朝のワイドショーで[社会的ひきこもり]を特集するようになるとは、世の中、つくづくアレなんだなあ、と思う今日このごろですが、今月のお題は『ONE』です。本当は最終回まで取っておこうと思っていたのだけど、小倉さんとデーブ・スペクター斉藤環が同じ画面に映っているのを見たら、辛抱たまらなくなったのですよ。しかし、『二時のホント』が終わったのは、ワイドショーマニアの筆者には痛い……。

 ―――さて、『ONE』をプレイして強く感じたのは、母性父性の欠損に対して、援護射撃に頼らない直球勝負を挑んでいることだろう。ただ、同じ主題を扱っていても、手慣れたテキストの『Kanon』に比べると、まだ手探りの部分が多く、比喩などにあからさまな引用も多い。だから、必ずしも褒められたものではないのだが、BGMと画面演出の組み合わせを効果的に使う[音の魔法]に頼っていない分、言霊比重が高くなっている印象を受けた。

 重要ポイントは、この作品で描かれる世界には、超えるべき父性最初から存在しないことだろう。同時にそれは、学習することもできないということでもある。[他者]は、主に母性を巡るものとして描かれているが、主人公である浩平の母親は、カルト系の新興宗教に盲従した結果、母親であることを放棄している。そして、浩平は、他人との関係性を肉親から学習しないまま=子供のままで妹に対し、父の代わりを演じたが、妹の死により、父性の獲得=男性としての自立にも失敗してしまう。そのため、主人公は二重の意味で心理的欠損を抱えているのだ。

 更に、母親発狂し、ウロボロス的な母性を発動させてしまった際に、母親拒否している浩平は、壊れた母性に対する嫌悪感を潜在的に抱き続けている。由起子おばさんが、一度も浩平の視界には現れないことや、長森シナリオでトゥルーエンドに辿り着くためには、長森を嫌悪し続けなければならないことの理由でもある。いわば、母性父性の欠損を巡る内面問題こそが、『ONE』という物語の核になっている。また、宗教によって母親発狂し、浩平の前から姿を消すシーンは、『ONE』の前作にあたる『MOON』の主題継承しているとも言えるだろう。

 だから、この作品の基本構造は、どのシナリオアプローチの違いこそあれ、本質的には同じだ。他者との距離感を知らないまま成長していくことに、情緒的な病による死を予感した浩平自身本能が、自然死を避けるために、偶然を装った出会いを起こし、浩平に欠損した部分を取り戻させようとしたことが、物語動機になっている。そして、浩平自身本能は、ゲームの作り手であり、浩平はプレイヤー自身である

 だからこそ、浩平の鏡像となる女の子たちは、それぞれが身体的なハンディキャップや心理的外傷を持つ者ばかりが選ばれたのだろう。同情という媒介を用いなければ、出会いという動機を持つことができないほどに、浩平の病状は悪化していたし、宝探しを始めるには、同じ宝を共有できる相棒必要だったのだ。

 本能の企てに乗せられた浩平は、達成されなかった父性確立に再度挑戦する。ところが、達成寸前に壁が現れる。それが[えいえんのせかい]という、癒し象徴でもある異界への願望だ。もっとも、異界が具体的に描かれることはない。まあ、具体的に描いたら、山上たつひこの『鬼面帝国』か、出口王仁三郎の『霊界物語』みたいになってしまうような気もするが(笑)

 ―――いや、最初から浩平は異界に取り込まれていたのだろう。つまり、浩平が抱いていた、思春期独特の中途半端世界認識が、そのまま、異界への潜在的な願望として、妄執のように内在していた。それが、絆の発生で、完全な鏡となった女の子を介して照らし出されたのだ。つまり中途半端に終わった目的を今度こそ達成しようという意志現在)と、中途半端のままで反復しようとしている記憶過去)が衝突したことで、[えいえんのせかい]という、思考停止状態に陥ったのだろう。

 さて、プレイヤーとしての浩平が一度、舞台から退場することで、今度は、選ばれた女の子自身母性主題自覚することになる。そして、父性母性相互補完的に成立することで、浩平は再び舞台に戻ることができる。つまり、互いを鏡像他者認識することによって、欠損を補填した訳だ。この構造自体はありふれたものだが、ありふれたものであるがゆえに、強い言霊を生み出すことができる。そして、この作品特筆すべきことは、美少女ゲームで描かれる世界が失われたロマンティックであり、実際にはあり得ない世界だということを巧妙に描いていることだ。

 何故なら、『ONE』の登場人物たちの多くは、自分たちの生きている世界に対し、無自覚肯定をしない。強い否定もしない。約束された楽園が既に失われてしまっているということを、登場人物自身自覚しているように見える。プレイヤーもまた、物語を介し、その完結に立ち会うことによって、楽園が失われたことを知りながら、ゲーム内の楽園に耽溺するという、二律背反的な認識を持つことになる。

 例えば、『ToHeart』が、ゲーム内ではいったん完結しながら、アニメ化メディアミックス)にあたって物語世界を再構築した際に、約束された楽園主題を持たない真空状態を維持すること……終わらない物語であり続けることを選択し、ユーザー楽園願望を全面的肯定したことで、現在でも現役の商品として、人気を保っているのに対し、『ONE』の場合は、主題を巡る部分が『Kanon』と『鈴がうたう日』という二つの作品分岐&移行してしまったことで、作品商品の両面で、既に幕を閉じているのだ。

 この辺の違いについて、最も分かりやすいのは、やはり、長森シナリオであろう。『ToHeart』のあかりシナリオに対するメタ的な構造を持っているかなのだが、筆者も鈍いので、気づくまでに何度かキレそうになったのは余談だ(苦笑)。

 もっとも、『ONE』以降、恋愛描写を重視した[泣き系]の作品が氾濫したことで、相対的主題空洞化と、[お約束]としての普遍化が起こっているのは否めないが、この作品自体は、非日常日常や、万能感と無力感の間で葛藤する思春期独特の世界認識通過儀礼を描いた作品として評価できるだろう。

 更に言えば、本来は『WhiteAlbum』や『デアボリカ』のような、ユーザー価値観を揺さぶタイプ物語が担っていた役割を、『ONE』の成功で、思考停止による癒しを主目的とするタイプ物語でも担えることを証明したのだ。

 物語とは、社会と個人を繋ぐ媒介だと思う。いつの時代も、その本質は変わらないが、物語を伝達する手段は、時代の変化と共に変わっていくものだと、筆者は考えている。美少女ゲーム媒介として、社会と繋がり、社会学習していくという構図も存在できると思うし、一見楽園肯定するような表現に重層的な含みを持たせることで、現実社会との距離感認識させる手法確立を、本格的に模索する時期に入っているのではないだろうか?

■あと一回のお知らせと総括。

 ホームページでは既に告知済みだったのですが、本コラムは次号で最終回となります。次回は連載総括という形で、これから発売される作品について触れたいと思っていますので、作品ごとの論評としては、今回が最後です。

 降板理由は、今年に入り、筆者の健康状態が悪化して、月刊ペースでの連載が難しくなってしまたからです。無理に書いて、自己模倣に陥ってしまっては意味がありませんし……。

 ―――そういう訳で、読者とメーカーの方々には、一年と少々、筆者の回りくどい文章に付き合っていただき本当にありがとうございました。連載はあと一回ありますが、この場を借りて御礼申し上げます

2014-09-15

「この人はどうやって生きているんだろう」という人生

私はちゃんとしていない。

から完璧主義認知が歪みまくっており、とあるきっかから自殺しかねないような状態になった。

そのときは本当に周りに迷惑をかけたし、自分でも恐ろしかったので、思い切って色々諦めることにした。

完璧自分一人で生きていかなくてもいいかなと思った。

鬱の人間がゴタゴタするより少し暗い人間のんびり暮らしているほうがいいのではないか。

そうして今はなんとか必要最低限働いて生きている。

贅沢は出来ないし我慢することは多いが、前より随分楽な気持ちでいられるため幸せである

だけれど、(誰でもあることだろうけど)

他人と比べて自分はまともか?」と考えると不安な気持ちにはなる。

わたしの中で「まとも」というのは、収入生活レベルが安定しており、

通過儀礼をしっかりクリアしている人のことだ。

その点私はまともではないと思う。

他人からは「この人はどうやって生きているんだろう」と思われているはずだ。

友人と会うと「どのくらい働いているの?」などと聞かれることは多いし、

自分でもこの程度で生きていけるのかと不思議なくらいだ。恵まれていると思う。

まれていて申し訳ないと日々感じている。

とにかく、死にたいと思わなくていいというのはいいことだ。

「この人はどうやって生きているんだろう」と思われても、死にたくないのが一番だ。

ただ、「まともじゃない」ことがきっかけで死にたくなりませんように、と毎日考えている。

2014-07-02

最近何に価値があるかわからなくなってきてしまったのです。もしかしたら、何にも価値がないかもしれないですし、あらゆること、は価値があるかもしれないとも考えています倫理的でないこと-例えば、人を殺す。しかも、特に理由なく。それすらも価値があり、また価値がないとも考えています

また今、体調を崩していまして、仕事をしていません。働かない理由の一つにすることもしないことにも価値を見出せないことが一つかもしれません。

また、生きることについて、死ぬことについても考えています。まあ、これは在学時、また、それ以前からも考え続けたことでありますが。「社会的」(社会という単語もここでは自分日本語以外の言語が使用できないので日本社会のことを指します)に意味があるとされていることは本当に意味があるのか、建前は意味があると装っていて、実はそこまで辛い思いをしてまで建前を貫き通すことが出来ない人が増えている。そのように、私(のみているパースペクティブ)としてはそう思います。それがニートであり、そこからさら抑制された状態で、いわゆる「無敵の人」なのだと考えています

彼らは社会ハイコンテキスト空気適応出来ず、社会の無言の圧力抑制された存在なのだと思います社会倫理に虐げられた人間に今更、社会倫理で説得しようとするのは無駄なことでしょう。しかしながら、刑罰という面において従順なのが不思議なのです。それは、おそらく、日本教育、〜しなければならない(must be)が蔓延している結果なのでしょう

最近永井均中島義道に興味を持っています。私がその気になれば、すこしくらいなら直接話ができるくらいの距離にいます

彼らになぜ興味を持っているかと言うと、恐らく彼らも、哲学という手法を用いて意味価値、生、死について問いづづけた人だからでしょう

今、自分自身がどうしたらいいかわからないのです。社会的には休養して仕事をするという回答をえられるでしょうが、今の仕事は、マニュアル化しコンサルタントによる効率化によって、(世界的も含み)社会コモディティ化されている。それを経営者はわかっているので、マスメディア的にも経済社会的にも、現在若者ゆとり世代といい、多くの問題最近の若者的な問題すり替え押し付けている。俺たちの時代もそうだったと昭和世代はいうのだけれど、無縁社会化、監視社会化、昭和的なあなあさの消失失われた10年年金問題等々、当時の社会とは違い成長や豊かさという大きな物語が失われたのに関わらずのに同じもの、いやそれ以上のものを求められている。

また、就職活動においてもビジネス化が進み、自分世代もそうだったが、もはや、通過儀礼(イニシエーション)ともいえるものを乗り越えなければならない。しかも、この通過儀礼文化人類学的な単純なものではなく、ホンネとタテマエが入り混じり、時にはそれが入れ替わる。欲望、または純粋希望。そう言ったものが入り混じりそれを通過するにも。とてつもない精神的苦悩のあるものである

その通過儀礼を通過したとしても、ビジネスモデルとしての使い捨て、いわゆるブラック企業跋扈している。厳しい競争を勝ち抜いても、その後に、さらに厳しい社会へと放り込まれるのだ。

今の会社グローバルな競争に向かわざるをえず、主要企業の行っていたビジネスモデル一年たらずで崩れてしまう。

企業倒産による、失業リストラ些細なミスによる解雇、これらは社会においては自己責任であり、手を差し伸べるものでは無くなってしまった。

働かざるは食うべからず。行く場所行く場所そう言われる。

生活保護を受けるのは非国民のような扱いを受ける。そもそも生活保護を受けるのも役人によるしぶとい駆け引きに勝たなければならない。

しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している

障害を持つものも、内臓疾患であれば甘えと言われ、精神疾患も同じく。足がなくとも、同じ状況にある人間ががんばっているんだといい、目の前にいる人間言葉無視する。

重要なのは、働くことのみである

たとえ儲けが出なくても、働かざるは食うべからずという圧力仕事が作られる。

駅でお菓子を売っている障碍者たちは働かざるは食うべからずの精神で駆りだされ売っている。全く売れなくても「そうしなければならない」のだ。

彼らの中にはそういった欺瞞性に気付くものもいるが、どうすることもできない。運営してる福祉ですら、その欺瞞性を飲み込んでいかなければならない。

初めは人を救うという意志があったものの、欺瞞性政治の結果、福祉の人として道を外れてしまい、いわゆる「腐った福祉」になってしま

しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している

朝。そこには雀の気持ちいい鳴き声すら気づかない。

昨日の疲れが取れなかった苦しみだけが残る。

殺気立った満員電車突っ込み

痴漢冤罪にならないことを恐れなければならない。

改札のタッチミスで舌打ちが聞こえ、時に電車が止まる。

人身事故だとしても、その人を心配する人はおらず、

しろ遅延証明書遅刻の報告のほうが重要なのだ

知らない人間の命は関係ないーー

こういった風景を見てきてどうすればいいかわからなくなりました。どうすればいいでしょう

2014-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20140530234821

なんだか五年位前の音楽界が受けた「通過儀礼」を、絵描きとか評論の分野が追従してるようにも見える。

2014-03-09

青二才ゴーストライター擁護する理由を読んでみた。

https://twitter.com/tm2501/status/442408904987639808

安全うまい飯なら消費者はどこ産だってわず食べると思うんです。一度は佐村河内守音楽をありがたがったり、ゴーストが演出したビジネス書をありがたがった人!楽しませてもらったんでしょ?いいじゃない!

https://twitter.com/tm2501/status/442410005568819200

ゴーストライター騒動に関して思うのは、「騙された」じゃなくて「自分感性面白いかどうかの議論で総括したら?」ってこと。大体仕事に関わってからネタばらしするブラックジャックによろしくの作者さんも加担したのだから追求するとしたらそれは自己批判だよね…本気でアレはどうかと思ってる 。よく考えて欲しい。初めてに近い執筆で百ページ以上の本を書くのは大変です。普通できません。支離滅裂になったり、日本語おかしくなったり、挫折したり…手直しする方が折れたり…そんな真実でも読みたいですか?そもそも特に訓練してない人は30ページぐらいまとまった構成で書くのも無理!「前に小説家志望者は大作志向を捨てて短中編を書こう」という話を創作クラスタの人とまとめたことがあるけど、アレと一緒。ブログの数千文字で支離滅裂になる人だって世の中にはゴロゴロいるのになんで芸能人だけ達筆さ?内心、ホリエモンゴーストライターの話で盛り上がってる世の中を見て、僕はほくそ笑んでます。「ざまーみろ!お前達が文章の技術や書物をバカにしてきたからそんなことも見破れんのだ!見破れなかっただけならまだしもうろたえるのだ!」と思ってる。一応、長文書くのって手間暇かかりますので。伊東四朗が演技について駆け出しだった頃に「演技がヘタに見える役者さんが自分ぐらい、普通に見える人がプロ、うまく見える人はその業界神様だ」みたいなことを言われたことがあるらしいけど、これ書物でも同じ。2000文字まとまったもの書いて読み返してみ?自分が下手だと感じるはずだから創作論、書物論をああだこうだ言うのは見苦しくて好きじゃないし、正直言って書ける人同士の間では当たり前の「野暮」でしかない失敗談なのよ。思春期とか反抗期みたいな通過儀礼。でも、知らない人は簡単に騙される。自分自身が普段ポジショントーク消費者トークの二枚舌を使い分けてる自覚さえない。昨夜、ブログに書いたことにも重なるけど、自分がよく考えないでいらないと決めつけたもの既得権益だとか誰にでもできる簡単な仕事だと思わない方がいいよ。思うのは自由だけど、わざわざ言う必要ないよ。少なくともそれをしている人は傷つくか、無知さを見抜いてげんなりしそうなので。本当に評論批評としてかっちりとした文章を書くのは難しいし骨なんです。紙媒体で買ってもらうような作品を書く時にはそれを丁寧にできないといけないので、骨が折れます。(苦労を知らない人は文体や語彙力が技術であることも知らぬ)お金を儲けたでも、人気を得たでもそういう人に対して嫉妬するのはいい加減辞めたら?そういう人と関わりを持って働いて「彼と同じ努力強いられた。あの会社社長ブラックだ」とか言う言い分はまだわかるけど、人気があるからうらやましい。でもあの技術は評価されない…は愚痴であり嫉妬無意味


はい、それでは青二才自分で書いた同人誌の評価を見てみましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20121120220837

http://anond.hatelabo.jp/20121120224627

それに対する本人の言い訳を見てみましょう。

http://tm2501.hatenablog.com/entry/2013/11/16/000506

青二才にこそゴーストライター必要だった。

青二才にこそ編集必要だった。

青二才にこそ文章の指導をしてくれる人が必要だった。

青二才にこそ本を出す前に文章を読んでくれる友人が必要だった。

しかしそういうもの必要だった青二才にはその時何もなかった。

それでも青二才はあきらめず裸一貫で挑戦した。

そんな青二才を誰が笑えようか。

誰にも笑わせはしない。

本人以外には。

https://twitter.com/tm2501/status/442319653126168576

媒体で買ってもらうような作品を書く時にはそれを丁寧にできないといけない

http://anond.hatelabo.jp/20121120224627

うん、いいこと言うじゃない。でさ、想像してみようよ。

文章系の同人誌を買う客が仮に「自由にすればいい」を手に取ったとしよう。

あらすじはない。登場人物紹介はない。あとがきもない。手書きポップもない。

売り子に聞いてもあらすじがわからない。表紙も手抜き。

パッと開くと文字密度ラノベ以下。

買うと思う?普通に考えて。商売に詳しいんでしょ?

2014-02-19

自分は人付き合いが本当に苦手で、そういうわけだから当然オタクでもある。

美しい概念世界で、ひどくモノ知らずに成長してしまった。

それで、例の準強姦ともとれる記事を書いたPJ息子みたいな、強引なコミュニケーションをとれる非ヲタをワンランク上と思っていた。

ウェーイ系の大学生みたいな人とかも。ああいう人がコミュ力があると言うのかなと思ったりしていた。

でも違うらしい。あれは雑魚というらしい。私は無理して、わざわざ雑魚になろうとしていたのだった。

本当に人付き合いが苦手なので、人間関係圧力を持ち込む人に屈するのがコミュニケーションだと思っちゃったようだ。

一気飲みの強制の雰囲気作る人とか、「ここまで着いてきてセックス断るってないでしょ」みたいなことする人ね。

ああ言う人にあわせるのが、コミュニケーションなのかと。

オタ友が、こういう人たちと無理して付き合ってさんざんな目にあってるのを見てきた。

それはまっとうな人間になるための通過儀礼なのかと思ったけど、とんでもなかった。

けれど話が面白くないオタクを相手にしてくれる非ヲタなど雑魚くらいしかいないわけで……

強くなりたい。雑魚に屈さず、素敵なひとたちと有意義時間を過ごすために強くなりたい。

でも…どうしたらいいんだろうね……素敵な人間になるには素敵なものがあるところにいかなきゃなんだけど

そうなってくるともう、中学生くらいからやり直さないとな、みたいになってきてしまう。

2014-02-09

教師=左 って思春期通過儀礼みたいなものなんでしょうか

2014-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20140124191957

うわさの横キター!!

横って書けば何かいても良いんだよね!

横だけど、ヨって語尾がジジイっぽくてキモいね!

なんかテンションあがってきたwwwwww

通過儀礼をこなした気分。

これでこそはてな民!みたいな。、

2013-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20131218120035

昔は、電車内で少年ジャンプ読んでるサラリーマンや、いい年してアニメみてるオッサンが非難されてたわけでさ。

通過儀礼ナチュラル無視する美魔女が増えれば、別に何も言われなくなるよ。

2013-12-05

褒められることが不快だった。

文字にすれば、このつかみ所のないもやもやとした暗い気持ちにも整理がつくかもしれないとの期待を込めて、心の暗部を覗いてみる。

 

物心ついたときには、父親に褒められることが不快だった。

照れていたのではない。悲しいような、つらいような、屈辱的なような、とにかく、これは嫌な感情だ。

小学校で、たびたび音読宿題が出た。教科書の指定された箇所を、親の前で声に出して読み、その感想と日付を、専用の表に親に書いてもらって、先生に提出する。当時、そういう機会では空気を読まずにはしゃぐタイプの子供だった私は、必要以上に大袈裟演劇的に抑揚をつけて、大きな声でハキハキと音読していたと思う。

父は、私が音読をすると、とてもよく褒めてくれた。

天才だ。」

「すごいね~。」

「上手だなあ。」

それが本当に不快で。

なんだかひどく屈辱的な気持ちになった。だから私は音読の相手は母に頼んでいた。でも、父は仕事が終わるのが早く(夕飯はいつも家族皆で食べていた)、母が家事で手があかないと「お父さんに頼んで」ということもあったし、そういう時は本当に嫌だった。自分プライドが許す限り、つまらなそうに、つまらない気持ちで読んだ気がする。

まり覚えていない。

でも父親が笑顔ベタ褒めするのも、読めない達筆というよりは汚い字で何か一言コメントを残すのも、嫌な気持ちが湧き上がるものだった。

 

父は、自他共に認める親バカで、私のことをことあれば「天才だ、頭がいい」「かわいい美人だ」と褒めていた。

美人だね~と言って育てると、美人に育つらしい」と言っていたから、意図的積極的に言っていたのもあると思う。

5歳の時に、親や祖父母が、この子東大に行けるんじゃないのウフフみたいな話をしていて、私は「東大ってすごいところ? じゃあ行く~!」と発言をした。この発言は高校生になるくらいまで繰り返しひっぱられ、その度に父は頬を緩ませた。あいにく東大はさすがににムリだったけど。顔面の方も、まあ仲いい人には褒められることはある。くらいに人並みで、劇的なモテエピソードなんかは特に無い。

 

父はとても頭のいい大学の頭のいい学科卒業し、頭のいい人しか取れないような資格をとって、それでたくさん稼いでいる。ブランド志向というか、学校名前をすごく気にしていて、私の受験ときも、あそこは旧帝国大学だ、筑波大は横国に比べて昔なんとかかんとかだったから格上だ、とか、そういうところをニコニコと語っていた。

 

父は私のことを間違いなく愛していたと思うが、小学校低学年くらいまでのころは、子供の子供な所に我慢ができず、時々キレて怒鳴ることがあった。

私はすぐにものを散らかしっぱなし、部屋を汚いままにしてしま子供で(今もだけど)、「片付けなさい」といって片付けを始めても、他のことに気を取られてしまい、気がついたら片付けがちっとも進んでいない。ということが、たびたびあった。片付け以外にも、何か、やりなさいと言われて、「あとでやる~」と返事をしたきり、いつまでたってもやらない、ということはよくあった。そういう子供だった。今なら気持ちもわかるけど、子供の将来を思ってしつけが~とか、それ以前のところで、父はイライラしてキレた。(その気持も今はわかるんだけど)。

  

「なんでお前は言われたことができないんだ。」

「俺は命令しているんだ。俺がやれといったらただそれだけをやればいいんだ。」

「ただ1こやってほしいってお願いしているだけなのに、何でお前はソレ以外のことだけをやるんだ。」

「何回言わせるんだ。」

「お前は俺がやれといったことだけをやればいいのに、なんでそれだけのことができないんだ。」

「何度も何度も何度も。これだけ言っているのになんでわからないんだ」

 

なんていうか、たまに裏声混じりにでもなりかけた、抑揚のある言い方で、時には囁き時には大声になる、メリハリのある語り口で、父は私をよく、叱りつけた。

 

思えば反抗期は無かった。というより、させてもらえなかった、いや、できなかった。

父に少しでも叱られる…言及される可能性があることを避けていたから、いわゆる反抗期の時期は、自室でばれないようにばれないように泣くことが増えた。それだけだった。

家族で服を買いに行くことができなかったし、今でも親におねだりということができない。ちらりとでも、例えば「違うのにしたら?」みたいなことを言われると、なぜだかわからないけれど辛くて、泣いてしまう。

  

 

12月になって就活が解禁になって、自己分析とかそういうこと、その度に私は自分の卑屈さに苦しめられる。

頭ではおかしいとわかっているし、友人に溢す度に否定してもらっていることなのだけれど、自分存在企業にとって足手まといになるとしか思えなくて、つらい。失敗をして迷惑をかける未来しか思い浮かばないし、なにか自分決断が、ささやかながらこの社会に影響をおよぼすのかと思うと怖くて不安で、何よりも申し訳なく後ろめたくて仕方がない。

この気持ちはもちろん、就活ストレスになっていたり、ゆとりつくした学生から社会人へとなる上での甘ったれた逃げや、通過儀礼的なものも多分に含んでいるのだろうけれど。

あなたが重視する価値観は? という分析では、「他者への影響」がゼロで「組織への忠誠」がマックス、「先人や上司への尊敬」が次いで高かった。ちょっと気持ちの悪い結果だ。笑ってしまった。

 

この卑屈さをたどったら、父に怒鳴られ萎縮してただただ泣いた15年前を思い出した。そうか、小さいころあんなふうに怒鳴られたら、そりゃあ卑屈にもなるなって。

少し違えば反骨精神あふれる人間になったかもしれないけれど。なるほど、あの過去が今にこうつながるのね。納得。

 

でも、褒められた時のあの不快感けがうまく説明できない。

なにがあんなに嫌なんだろう。

私は父の笑顔のなにがショックだったんだろう。

育児論でよくNGとされる、「努力ではなく才能を褒める」ことをしたから?

じゃあ父は、どういう態度を取れば私は喜んだんだろうか?

 

2013-11-03

私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つ

私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。

それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。

彼女らはことごとく魔法少女コスプレにすぎない。

もっと制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。

あなたもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。

そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女現実に我々の社会を照らす光なのだということを。

魔法少女の系譜は危機に瀕している

最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。

嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味パロディ作品であった。

——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか

その思いを抱かされたところに『まどマギ』の新作上映である

その日が来る前に、伝えておかなければいけない。

まどマギ』には魔法少女資格が欠けている

敢えてそう主張しよう。

魔法少女資格

それは何だろうか。

笑わないで聞いてほしい。

「すべての女の子の憧れの存在であること」だ。

この意味アイドルもの魔法少女ものとは姉妹関係にある。

魔法少女とは時代年代で移り変わる少女価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女資格であり、約束事であり、存在意義なのだ

いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートフラメンコガールくらいのものだろう。

ミンキーモモ』の光

ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。

男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。

主人公12歳の女の子魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。

女性が働くということが闘争を意味した時代の作品なのだ

それでいて普遍的価値代表している。名作の所以だ。

繰り返そう。『まどマギ』には魔法少女資格が欠けている。

アンチ魔法少女という主張

すると賢しい人はこんなことを言う。

まどマギ正統派魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。

……いいだろう。

そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。

魔法少女とは何か

まずは魔法少女定義について掘り下げてゆこう。

アーキタイプ(元型)理論を利用するとすっきりする。

アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中神話民話に繰り返し登場する人物像を抽象統合したものをいう。物語分析おいてはキャラクター類型論の礎として重用される。

この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプ還元される。

〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女至上命題だ。

誰でも知っているように、すべての魔法少女フェアリーテールおとぎ話)の主人公なのである

アンチ魔法少女とは何か

では次にアンチ魔法少女について論じてゆこう。

本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年アニメ版は2010〜2012年)だ。

以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。

知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。

以下に読み解いてゆく。

鏡としての主人公

ウテナ』の真の主人公姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲アイコンだ。

一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルキャラクター

しかしこれは倒錯ではない。

洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。

ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。

さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。

閑話休題

他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦であることに説明は不要だろう。

なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。

「不具の男性性の同伴」である

未確認生物サル?)のチュチュ典型的ダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。

ウテナ』の結末

そんなウテナとアンシーは最後にどこにたどり着いたのか。

「学園の外の世界」だ。

そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生メタファーである

管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。

選んだのは未知に挑むという生き方

王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。

『マルドゥック』の結末

ではバロットはどうなっただろう。

彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。

さら最後の敵(破壊象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。

運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。

どうだろう。

バロットはもちろん魔法少女ではない。

といってただ性別を反転させたダークヒーローとも違っている。

彼女男性とは異なる価値観武器を身につけたバトルヒロインとして成熟階段を登っているのだ。

ミンキーモモ』における自己否定

締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。

この作品は途中、主人公事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しか彼女はその後ふつう人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。

この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナ処女喪失シーンはこの発展ともいえる。

魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。

魔法少女まどか☆マギカ』の主人公

それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。

結論からいえば暁美ほむらはダークヒーロー女性版に過ぎない。

そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後ヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。

結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがり正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。

それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。

実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。

90年代過ぎて自分でも嫌になるがそれはさておき。

皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。

願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である

ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。

食べてはいけない

無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。

しかし、だ。

まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズム糾弾であるようで、その実勝つために既製概念ルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。

そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。

しかし、我々は豚ではない。

食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。

あなたもまたそうではないか

——部屋の灯りが落とされた。

そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。

最後に。

これだけは言っておく。

忍野扇ちゃんは僕もかわいいと思います

2013-09-05

冷蔵庫に入るのは

そんなに大きな罪じゃないと思う。

でも自分佐々木俊尚さんの意見には全く賛成できない。

あのまとめのコメント欄をながめてもはてブコメントを眺めても全然建設的な議論になってない。

まあこれは程度問題で白か黒かで結論が出る話だとも思わなかったけど、それでも佐々木さんの発言はひどかったとおもう。

「吹聴するのがなんでいけないの?」

「そんな事を気にするくらいならなぜ中国野菜を使った弁当を食べられるの?」

他にもっと悪い事があるからこっちはええやん、という言い方は理性的ではないし反感も招くのは当然。

こういう言い方を変えれば話の流れも少しはかわったのに、と思ってます

実際佐々木さんに否定的な意見をもったひとでも、あのアイスクリームをまちがえて食べたからって健康に影響が出るとか、

そういうふうに考えてる人は少ないと思うし、言いたかったのはそこじゃないと思う。

Togetterコメントでも多かったけど、「俺も昔は悪かった、若いときはみんなそうだろう、通過儀礼じゃないか、なぜ寛容になれないんだ」

的な物言いに反感を抱いた人がいたんじゃないだろうか。

自分もそんな偉そうなことを言えるような倫理的人間じゃないけど、でも能動的に人の迷惑をかけるような行動はしてこなかったつもり。

からといってむかしバカやった人の事を責めてるんじゃなくて、でも過去自分のバカを少しは反省してるようでないとこっちはイラつく、てのが正直なところ。

昔バカやった人が今一丁前の大人になって分別ありげに「こんな息苦しい社会じゃだめだ、寛容さはどこへ行った」ていうのは簡単だけどね、

その「バカ」「ヤンチャ」のかげで汗を流している人のことは忘れたらいけないと思う。

「ウェーイ」て居酒屋で騒いでグラス割ったりこぼしたり駅でゲロ吐いたり、どんだけいい思い出か知らないが、それを陰で片付けてる人は必ずいる。

壁にかかれた落書きのスプレーを必死で消してる人もいるだろう。チャリンコ盗まれて困った思いをしてる人も多いだろう。

佐々木さんの一連のツイートからはそっち方面への想像力が感じられなかったなぁ。

「昨今の倫理を過剰に求めすぎる社会は」とか、悦に入って論じてるひと、言葉だけ聞けばそれは全く正論だけど、倫理規範は厳然としてあるんだよ、

そこをふまえた上ではじめて、「ゆるそうや、固い事いうなよ」、ていう話が出てくるんじゃないの?逸脱する為にはその元となる規範がいると思う。

実際に「社会」を成り立たせてるのは、黙々と道のタバコポイ捨てを拾ってる人とか、理不尽に客に絡まれる駅員さんとか、そういう地道な人の営みなんじゃないの?

そこに目を向けずに「昨今の社会は」とか能書きたれられてる様な気がして、その「寛容」論は、違うやろう。という気になる。

で、そういう人の営みに敬意も何も抱いてないから、ああい写真をアップする輩が出るんでしょう?

彼らは別に冷蔵庫に入る事が主目的じゃないよね、SNSにアップして注目を浴びたい、承認欲求を満たしたいからでしょう?

これは別に今に始まった事じゃなくて、海水浴場監視員の制止を振り切って高い岩場から飛び込む若者とか、ある種普遍的な事ですよね。

そしてそれを自らネット上にあげる。それを見かけた我々がそれに対して「否。」ということがそんなに悪い事だとは思わないんだけど。

時にはそれがすごい数の否定が突きつけられるかもしれない、でもそれが社会的に間違った行為なら、それを指摘するのは間違っているとは、おもえない。

そこで悪い事を悪いと言わない事が寛容さでは、ないと思う。そしてそれは、「その店の関係者でも直接的な客でもないのに言う資格がない」

という話でもないと思う。だって彼らはアイスピザを汚して、客に売りつけようとしてやった行為ではないのだから

もっと普遍的な、人の仕事の、社会の営みの重さを知らずに、いちびり賞賛を得られると思って世に吹聴する、という行為を目の当たりにして、

それは違うと意見表明するのはそのコンビニピザ屋の客であるかどうかは、さして重要ではないのでは?

だってかれらは、SNSを通じて、我々の目に届けてしまったのだから。そして我々もそのコンビニに行かずとも、意見を表明する場を得てしまったのだから

ネットにあげられる前なら、その店の上司が、社内規定をまげて温情で彼らをゆるす、ていうのはあるだろう。

そういうのは今までも、現在もよくある話なんだと思う。それを否定する気は全然ない。

その上司なりが自分責任の範囲におい規範ちょっと逸脱させて部下を許す、そういうのが「寛容さ」ではないのかな。

ただ彼らはいきなりそれをネットにあげてしまって、ローカルな問題をグローバルな問題にしてしまった。

ローカルでは逸脱できる規範も、グローバルではそういう訳にもいかない。規範をすべて壊してしまう訳にはいかないから。

ルーターサブネットマスクを設定するように、身内と世間ルールを使い分ける、こういうタテマエ論が社会規範を守ってきたのではないのかな。

そうなると上司自分責任で彼らをかばう事もできなくなる。

今までは一つの出来事でドミノが一つ倒れるだけだったのが、今では一気に100個も1000個も倒れちゃう時代なんだと思う。

しかもそういう場に自らが投稿しているんだからね。)

佐々木さんは最初ドミノを倒す人の事は放っておいて、末端のドミノに踏ん張れ、倒れるな、って言ってる印象なんだよなあ。

こういう事件があった時、我々はその商品を買う消費者であり、事件を起こした企業の一員であり、同時にネット上の傍観者であり得る。

無責任にならない為には、いろんな立場を考えて行動、発言しないといけないとは思うけど、事件を引き起こした彼らの立場は、いちばん共感し難い位置にあるのは確か。それに対して「俺も若いときは悪かった」てな事で共感はできないし、それができる人間にも共感したくない。

彼らの事をネット上で非難する人達は、決して安全なところから暇つぶしに言ってるんじゃなくて、

消費者としての自分当事者企業の一員になった自分想像するからこそ、否定的な意見が出るんだと思う。

もちろんそれでネットによる過剰な叩きを肯定するわけにはいかないんだけど、でもやっぱり「悪い事は悪い」。

そこに軸足と体重をかけた上で、叩き対策を考えるのが本来の姿なんじゃないかなと思いました。

寛容さや規範からの逸脱が時には必要なのはわかる。でもその為には規範必要

2013-09-04

店の冷蔵庫に入る彼らを大人にする方法ひとつしかない

現代若者飲食店冷蔵庫に入った写真を公開して馬鹿だバカだと叱られているが、昔は大学山荘に立てこもって仲間を暴行したりして警察突入されて、それをテレビで全国中継されていたのだから、大幅な洗練と進歩があったと言える。

http://twitter.com/masah/status/371855268063084544

学生運動コンビニ冷蔵庫に入るのも同じ「自作自演通過儀礼であるとみなす考え方は、大枠は外していないと思う。問題はその自作自演通過儀礼を行う層の学歴の低下だが、これには「大卒就職活動の激化」と、それに歩を合わせた「家庭的小規模産業の衰退」を原因として見て取ることができるのではないかと思う。

どういうことか。

まず、現代大卒就職活動はじつに「通過儀礼」としてうまく働いている。「日常大学生活」を離れ、「危険場所面接会場」に赴き、「宝=内定」を得て帰還すれば「大人=社会人」として認められる、という一連のプロセスは、多くの民族に見られる通過儀礼構造のものだ。これが多くの学生に普及した結果同年代学力上位半分(大学学者)にとって過剰な自作自演通過儀礼必要ではなくなった。これがひとつ

もうひとつは、生活の隅々にまでロードサイド大企業が進出した結果、これまで多くの低学歴若者雇用を吸収していた「家庭的小規模産業の衰退」を招いてしまった。彼らを雇い教育するのは血縁あるいは地縁でつながった「知り合いのおっさん」ではなく、本部から派遣されてきた「よく知らない兄ちゃん」に変わったのである。その結果「大人」であることの説得力は遥かに低下し、「ポカをやっておっさんにドヤされ、許される」という職業人としての通過儀礼もうまく提供されなくなった。よって彼らは「仲間内に過激なネタ提供する」という自作自演通過儀礼に走らざるをえなかったのである

この分析がある程度正しいとするなら解決策は一つしかない。すなわち、「職業教育の復権」である学力階層の低い若者には、早いうちから「大人」に混じって働く機会を与え、あるいはまとまったスキルを与えてマックジョブ的な雇用ではなく「大人」の職場に吸収されるようにすることによって、彼らが「大人」になるのを待つしかない。

***********

ローソンアイス冷蔵庫に入る男→契約解約及び当該店舗の休業を決定!」

http://matome.naver.jp/odai/2137384951250882101

もちろん話はそう単純なことばかりではない。この事例では馬鹿をやった若者店長の息子だった。これは「家庭的小規模産業に吸収されたとしても、ちゃんと条件が揃わなければ通過儀礼は発動しない」ということをはっきりと指している。

加えて、大学生アルバイトについてはここで述べた議論以外の対策が必要になる。

***********

佐々木俊尚さんのコンビニ冷蔵庫議論まとめ」

http://togetter.com/li/558574

ここで展開されている議論というのはすなわち、「社会全体が彼らにとっての教育の場となれ」ということである。むろん佐々木俊尚氏自身が著書で書いているように、国民国家崩壊に向かっている現在ではそのようなことは不可能である

2013-09-01

シリア化学兵器保有から軍事介入までの私的まとめ

時系列


2012年7月23日

ロイター

シリア化学兵器保有認める、軍事介入への使用示唆も| Reuters

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE86N00T20120724


シリア外務省のマクディシ報道官化学兵器保有と外国軍事介入に使用する可能性についてコメント


2012年8月20日

CNN

大統領シリア化学兵器使用に警告 武力行使念頭

www.cnn.co.jp/world/35020664.html


いわゆるレッドラインについて。

アサド政権に対して通告してきた通り、我々は化学兵器の移動や使用が目に入った時点で、越えてはならない一線を越えたとみなす」(オバマ大統領)


2012年12月2日

NY Times

Syria Moves Its Chemical Weapons, and U.S. and Allies Cautiously Take Note

http://www.nytimes.com/2012/12/03/world/middleeast/syria-moves-its-chemical-weapons-and-gets-another-warning.html

シリア化学兵器使用の兆候か 米情報当局が懸念

CNN

http://www.cnn.co.jp/world/35025181.html


化学兵器使用の懸念を伝える(兆候のみ)


2012年12月23日

IRIB(イラン・イスラム共和国放送 / イラン国営)

シリア、同国のテロリストによる化学兵器の使用について警告

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/34082-%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%81%E5%90%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%8C%96%E5%AD%A6%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%AE%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%AD%A6%E5%91%8A



おそらく、このタイミング最初に使用されたものと思われる。

イラン反体制側の使用と主張。リビアで盗み出された化学兵器は、シリアの暴徒やテロリストたちの手に渡っている、と。


2012年12月25日以前

アルジャジーラ反体制勢力側から情報としてシリア空軍から化学物質を搭載したロケット団を投下と報道


The Voice of Russia

シリア反体制派:政府軍化学兵器を使用した

http://japanese.ruvr.ru/2012_12_25/shiria-hantaiseiha-seifugun-kagakuheiki-shiyou/


2013年1月15日

ロイター

シリア化学兵器使用と米誌報道、米政府は否定的見解

http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK830895520130116


この時点ではNSC化学兵器使用を認めていない。


IRIBもこれには好意的な反応。


米、シリアでの化学兵器の使用を否定

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/34575-%E7%B1%B3%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%A7%E3%81%AE%E5%8C%96%E5%AD%A6%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%AE%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%82%92%E5%90%A6%E5%AE%9A


このあと、IRIBは度々反体制勢力による化学兵器保有・生産リビアからの入手をほのめかす報道


2013年1月30日

イスラエルダマスカス郊外科学研究施設を空爆


AFP

イスラエルシリア空爆を暗に認める

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2925432/10214232


レバノンへの化学兵器流出を止めるため、との見方。限定的。


2013年2月18日

ロイター

シリア戦争犯罪でICCに付託要請国連調査団が安保理

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE91I00920130219


調査団は、殺害や拷問などの戦争犯罪政権側と反体制派双方に見られる


コメント。ただし、シリア国内での調査は行われていない。化学兵器についてはコメントなし。


2013年3月2日

ロイター

国連事務総長シリア化学兵器保有を懸念| Reuters

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE82101L20120302


3月19日アレッポ北部などで使用したとの情報

ロシアNOW

シリア化学兵器を使ったのはどちらか?

http://roshianow.jp/politics/2013/03/22/42033.html


The Voice of Russia

シリア化学兵器使用

http://japanese.ruvr.ru/2013_03_19/108399085/


3月20日

CNN

シリア化学兵器使用か、政府反体制派が双方を非難

http://www.cnn.co.jp/world/35029732.html

ただし


4月首都ダマスカスなどで使用したとの情報


WSJ

シリア化学兵器を使用か

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324309104578431510694834152.html


5月ごろに化学兵器を複数回使用したとの情報


afp

シリア軍による化学兵器使用、「疑惑が高まっている」 仏外相

http://www.afpbb.com/article/politics/2946600/10792831

ジャーナリストによる証言も。


cnn

トルコ、「化学兵器」被害の患者存在明かす シリア内戦

http://www.cnn.co.jp/world/35031925.html


この辺から、少なくとも使用は間違いない状況。ただしどちらが使用したかは確定的な証拠はない。(シリア国内での調査ができないので)


6月4日


時事通信

化学兵器、4回使用に「根拠」=戦闘は「新局面」-国連調査団

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013060400776


国連が「信じるに足る根拠がある」とする報告書を公表。現地査察は行っていない。3,4月に起きた戦闘で使われたとの報告。


6月13日


cnn

政府シリアは「一線を越えた」 化学兵器使用と断定

http://www.cnn.co.jp/usa/35033394.html


一方でロシアはその情報を認めない。


WSJ

ロシア、米の武器供与に反発─シリア化学兵器使用は「説得力なし」

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323504304578546861074009782.html


国連潘基文事務総長アメリカ反体制側への武器供与決定に反対、現地調査で事実証明する必要と強調。



7月9日

afp

シリア反体制派が化学兵器を使用」、ロシア国連大使が報告書

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2955110/11022598


今度は逆にロシアによる反体制派の化学兵器使用との主張。 西側諸国はこれに反発。この時点で10件の使用を報告。


7月10日

反体制派がこれに反発。ただし、アレッポ北部以外には触れてない。


ロイター

シリア反体制派が化学兵器使用を否定、ロシア報告書に反論

http://jp.reuters.com/article/jp_mideast/idJPTYE96A06Y20130711


7月18日

シリア国連による調査受け入れを表明

IRIB

国連シリア化学兵器調査団が、シリア訪問

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/38715-%E5%9B%BD%E9%80%A3%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8C%96%E5%AD%A6%E5%85%B5%E5%99%A8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3%E3%81%8C%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%92%E8%A8%AA%E5%95%8F


7月27日

毎日新聞

シリア:化学兵器調査へ、アサド政権合意国連調査団

http://mainichi.jp/select/news/20130728k0000m030052000c.html


最後段落

在英の反体制組織シリア人権観測所」によると、アレッポ郊外では24日ごろ、反体制派に加わるイスラム過激派投降した政府軍兵士51人を殺害した。

記事の内容的に少し違和感を持ったので抜粋




8月1日国連の現地調査団派遣に合意


AFP

シリア化学兵器使用疑惑国連調査団受け入れへ

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2955110/11022598


12日にも受け入れかとの報道


8月18日

AFP

国連調査団がシリア入り、化学兵器使用を調査

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2962475/11204973


調査団がダマスカス入り。2週間の調査の予定。

19日にも化学兵器が使用された模様。双方とも相手側を非難。


8月21日

CNN

シリア化学兵器使用の情報、1300人死亡か

http://www.cnn.co.jp/world/35036249.html


Huffington Post

【閲覧注意】化学兵器で1300人死亡か シリア反体制派、アサド政権への非難強める

http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/21/syria_chemical_weapon_n_3792176.html


今回の流れを決定づけた、重要な事件。ただし、人数については反体制シリア国民評議会による発表


8月23日

AFPシリア化学兵器攻撃」目撃者証言、青ざめた窒息遺体 吐き気や目の痛みも

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2963440/11234526


医療スタッフ二次被害にも触れている。


一方、この時点ではオバマ大統領軍事介入に慎重な発言。

ロイター

オバマ大統領シリアへの軍事介入に慎重姿勢崩さず

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE97M02720130823


米国がいずれ、シリア国内における複雑な宗派対立を解消できるとの考えは行き過ぎだ」



8月24日

産経新聞

シリア化学兵器」に4つの謎 調査団が活動中なのに…政権側優位なのに…

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130824/mds13082408450001-n1.htm


使用されたダマスカス近郊アイン・テルマがどちらの支配地域意見が分かれる。


8月26日

NHK

シリア化学兵器問題 国連 調査は継続

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130827/k10014056831000.html


21日の攻撃について26日から国連が現地調査するものの、向かう途中で銃撃に合う。


8月27日

WSJ

米英仏、シリア軍事介入準備ほぼ完了―アサド政権は対決姿勢崩さず

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324361104579039493731361738.html


23日の時点では慎重だったオバマ大統領もこの時は踏み込んだ姿勢に。


8月29日

議会、対シリア軍事介入認めず 米単独で行動も

http://www.cnn.co.jp/world/35036572.html


当初、英議会を通す前に限定的な攻撃を行うか、との観測すらあったが、結局下院の判断を待つことに。もともと無理筋だったので議会に諮った時点でキャメロン首相は攻撃不参加の腹づもりだったのかもしれない。


8月31日

ちょっとソースが見つからないが、テレビCNNではオバマ大統領が米下院電話攻勢。働きかけを強めてるとのこと。


読売新聞

国連調査団シリア出国…米国議会に説明

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130831-OYT1T01057.htm


CWC 化学兵器禁止条約

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bwc/cwc/jyoyaku/pdfs/05.pdf

9 「この条約によって禁止されていない目的」とは,次のものをいう。

.d 国内暴動の鎮圧を含む法の執行のための目的



メモ

国連査察が正確かつ包括的に行われるかにかかってるといえるが、これに賭けるには少々イノセントか。

通過儀礼にならないためにはスピードの問題が大きい。

双方ともに使用している可能性も。


化学兵器の出どころ、入手経緯

アサド政権側は大規模な生産体制があるとの報道。500トンとも1000トンとも。

反体制側はリビア経由での入手との話も。また、アサド政権反体制側も生産能力があると主張。


誰が使用したか

そもそも反体制側が本当に化学兵器を入手しているのか、というところを含め不明。化学兵器もいろいろあり、扱いやすさや攻撃能力も違う。ただ、8月21日の使用がどちらの手によるものなのかは今後最大の焦点になると思う。それ以前での使用では、政府軍が味方の陣地内に着弾させてしまったとの情報もあり、ミスなのかそれとも。


アメリカは何のために介入するのか

ここが一番良くわからない。確かに去年8月の警告から何度も、使用または移動で一線を越えたとみなすと言っている。イデオロギー保護・拡大という時代でもあるまいが、イスラエル1月30日の攻撃で警告どおりに行動に移したというのは影響しているのかもしれない。

少なくとも、反体制派が一方的な善というのはありえない。また、アルカイダ反体制派に協力しているという奇妙な構図もある。

もうひとつ戦闘が終了したあとも、この中東地域ではアメリカ統治がうまくいかないのは民主党オバマ大統領が良くわかっているはず。(それがある意味危険を伴うにもかかわらず。9.11の遠因を忘れたわけではあるまい)

本丸イランとみるべきか。にしては予定している規模が小さい。

にしても、なぜこのタイミングなのか。

まり遅くなると制裁意味が無いとの観測もあるが、それなら規模が小さくてももっと早い段階で介入すべきだった。

軍事施設を民間人居住区に移す時間を与えないためという側面はあるだろうが。

8月31日になってオバマ大統領軍事行動について議会承認を求めることに。若干軟化か。



ロシアはなぜ安保理決議に反対するのか

シリア同盟関係にあるが、この化学兵器の使用に関しては国連による真相究明が先だと一貫して主張している。もちろん、それは初期にアサド政権自体が国連の調査を求めたからで、その後の反体制側による政権側の化学兵器使用の証拠があるとの報道以降は逆に受け入れを拒否するようになったのだが、ロシアは突き放す発言も目立つ。21日の件に関しては国連の調査が始まったばかりのタイミング政府軍が行うわけがないと主張。

2013-08-29

「子無し」の感覚

先日会社の人と横浜みなとみらいに行ったのだが、夏休みもあって、結構混雑してた。

幼児連れが多かったことについて、会社の人が「いくら夏休みはいえ、何故?」と聞いてきたので、

「恐らく、アンパンマンミュージアムのせいでしょう」と回答したら、

アンパンマンなんて、もう流行ってないでしょ?」とのたまわれて、ズッコケた。

「確か作者死んだよね」って、クレヨンしんちゃんと混同してないか

アンパンマンについて言えば、「卒業する」というのはある。

早ければ3歳、遅くても4~5歳になると「卒業」するものだが、

アンパンマンを見たことない」「アンパンマンが嫌い」という乳幼児には、自分はお目にかかったことがない。

日本乳幼児にとって、アンパンマンはもはや「通過儀礼」化している。

アニメ放映開始時(25年前)の「アンパンマン乳幼児への浸透度」が20~30%程度だとしたら、

現在アンパンマン乳幼児浸透度は、恐らく90%を超えているのではないか

少子化で、乳幼児向けキャラクター市場パイが、どんどん細っている」という話なら、納得できる。

だが、その細っていくパイの中に占めるアンパンマン比率は、高まりこそすれ、低くなることはない、

それが「実際に乳幼児の子を持つ親」の皮膚感覚である

アンパンマンなんて、流行ってないでしょ?」と発言した会社の人は、結構トシだが、子供がいない。

子供が出来なかったのか、意図的に作らなかったのか、不明)

子供を持ってない人と、子供持ち(自分)との間で、ここまで皮膚感覚が違うとは、思わなかった。

一応ウチの会社、BtoC部門もあるし、子育て層は重要顧客層なので、幼児キャラに無関心だと

仕事にも影響するんですが。

「当社ノベルティーアンパンマン採用したい」という稟議を上げても、この人に却下されるのかな?

2013-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20130630133403

知り合って間もない男同士で集まり、飲んだりすると、通過儀礼のように「初体験はいつで、体験人数は何人」というような話題になる。

なんねーよw

どんなDQN環境なんだよw

やらはた やらみそ やらよそ

知り合って間もない男同士で集まり、飲んだりすると、通過儀礼のように「初体験はいつで、体験人数は何人」というような話題になる。

大学であったり、バイト先であったり、就職先であったり。

童貞なんでできるだけ下ネタからは逃げるわけだけど、どうしてもそういう話題の好きな人がいて、つかまって白状させられてしまう。

20代のとき別によかった。むしろ周囲から励まされた。

30代のときは気まずいが、それ以上踏み込まれず、同情的に「こういうのはタイミングから」となぐさめられた。

40代……ついに体験済だと嘘をついてしまった。

だって気持ち悪いと思われそうで。

もちろん、本当のことを言っても周囲の態度は変わらないのかもしれないし、相手は嘘だと勘付いているのかもしれないが。

よく性欲がないという人もいるけど、そういうわけではない。

好きな人と、ちゃんと初体験したいと、いまとなれば高望みをしていただけだ。

それでもいつまでたっても童貞なのを悩んではいた。

20代は女友だちも多かったし、飲み友だちに悩みを相談したとき「いまフリーから、わたしでよければ相手してあげるよ」と言われたこともあった。

迷っているうちに新しい彼ができてしまい、あとで「1回やったくらいで責任とれなんて言わないのに」と笑われた。

30代で女性出会う機会も減る。

合コンなんかもあるにはあるけど、そこでいい出会いが起こることはなかった。

まだ「ちゃんと恋愛したい」という願望も捨てていなかった。

40代でもう誰でもいいやなどと思い始めても、今度は自分若い女性からは対象外になっている。

失礼かもしれないが、同年代女性はなかなか性欲の対象にしづらい。

じゃあ風俗だ。

でも風俗は金銭が絡むから、昔から嫌悪感がある。

いまさら風俗、というのも虚しすぎる。

はいえこしか手段はないのかもしれない。

でも嫌だ。

そうやって自縄自縛になっている。

週末、新しく知り合った男だけのグループで飲みに行き、やはりそういった話題になった。

そこで嘘をついた。

ストーリーとしては、件の飲み友だちに誘われて、短い期間だがつきあったことになっている。)

ほとんど逆恨みに近い感情質問した男性に感じたが、見栄を張ったのも自分だし、「やらよそ」なのも自分責任だ。

なんとかするしかないだろう。

ただ、年々上がっていくハードルに、呆然となっている自分がいる。

もう棒高跳び並みですよ。

2013-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20130415112842

わかるよ。大人になると確かに幸福感が変わる。子供の頃目指していた大人になれていないし。

子供幸福感の正体ってなにかな?自由に夢を描いたり、欲しいものが手に入ることなんじゃないかな?

だけど大人になると、根拠がない幸せには不安が芽生えてきてしまう。

これは、棚ボタ幸せ一喜一憂することのバカらしさを学んだからじゃないでしょうか?

“何のために”欲しい物を手に入れるのか、手に入れて何ができるのかを考えだした。それは決してネガティブではないと思います

例えば、子供は「うんこ」とかのリアクションで笑える。ハラハラドキドキの、ワンパターン映画でも素直に楽しめる。意味テーマを咀嚼せず、反応しているだけだから

でも大人になるにつれて(頭が良くなるにつれて)「うんこの何がおもしろいの?」「あの映画と同じテーマだよね」って気づきはじめる。裏側の意味を楽しむようになる。

ワンランク上がるって言い方は語弊を招くかもしれないけど、意味のないものに楽しさや幸せを見いだせなくなった。ただそれだけじゃないかな?

そして、それを受け入れてみるのはどうでしょう

幸せにとらわれすぎたら、しんどいよ。

と言うのは、幸せになろうとするんじゃなくて

自分を受け入れた結果が幸せ

ってこと。

大人の幸せは「今の自分を肯定すること」だと思います。今の自分未来に繋がってるから。今の自分にしっくりきてないのに、バラ色の未来を描くのは難しい。

あなたはそれがわかっているから、バラ色の未来が描けないでいる。頭がいいんだよ。根拠もなくハッピー未来を夢見るのは、子供からできること。

だけど不幸だとは思っていない。自己実現はともかく、ある程度の欲求は満ちている。

可もなく不可もなく幸せです。

とか、そこらへんの考え方の根本的な部分が知りたいのかもです。

結局、妥協とか諦めみたいな事なのかな、って思ってしまますが。

「諦め」って言葉ネガティブに使われがちだけど、元来は「明らかにする」って意味だし、悟り。明らかなうえで受け入れる。

妥協は受け入れないで、擦り合わせること。

ここから少し自分語りになってウザいけど、

自分場合は、暗→明のほうへ人生が180度変わる出来事があった。とは言っても、精神的な変化だからきっかけらしいきっかけはないけど。

ただ、それ以前が底辺すぎたから平穏を手に入れて嬉しいと感じた。

幸せって精神的なものなんだ」って気づくと同時に欲が消えた。煩悩が消えた感じ?冒頭の例のように、奥行きが必要になってしまった。

あ、欲がなくなったと言っても食欲と睡眠欲はあるよ。性欲はなくても困らない。

時々「鬱なのかな?」って心配にはなるけど、死のうとは思ってないか大丈夫なんだと思う。

で、気とかオーラとか占いとかスピリチュアルとか、なぜか周囲にそういう人たちが増えて、一般的にあやしいと思われている分野へ足を突っ込んだ。

最初は、あなたと同じで疑り深くて苦手でした。今でも信じてないです。

でも「なぜそう言えるのか?」を調べていくのは楽しい。いずれも元を辿ると西洋哲学東洋思想にたどり着く。

すると、人が人であるがゆえの悩みは普遍的で、それを整理する方法も大昔から研究され尽くしていて、それなのに未だに人は悩み多き生き物なんだってわかった。

ハード進化してるけどソフトはあまり進化していないって。だから生きてるんだなって思えました。考える葦なんです。

せっかくなので、あやしい話を

インナーチャイルドハイヤーセルフはご存知ですか?

前者は「内なる子供」で、後者は「高次の自分」と訳されるけど、適当アレンジして「子供性」と「大人性」で解釈するとわかりやすいかな?

そのバランス意識しなきゃいけない時期に差し掛かっているのかもしれませんね。

二十歳になったら成人式やって法的に大人になるけど、本当に大人になる瞬間は、経験によって人それぞれにバラバラで、

あなたが今置かれている状態は通過儀礼ではないかと思います自分2024歳までモラトリアムになって、24の時に脱皮した。

大人性というのは、いつも自分を律したり、自分に指図している自分

一方の子供性は、ありのままでいようとする自分のもの子供は「快・不快」に敏感。

ハイヤーセルフは、自分をあるべき姿へと導いている。だけどインナーチャイルドが時々「私って幸せなの?」と問いかけてくる。

心をないがしろにして自分を律しすぎている時には「素直に泣いてもいいよ」って子供が出てきていて、

ウダウダが長く続けば「あんた、ヤバイんじゃないの?」って大人が出てくる。

ややスピった考えを言いますが、

「どちらの存在も、自分がより良き道へ進むために出てくる」

と考えてみてはいかがでしょう?律している自分必要だし、駄々っ子自分必要

「よくわからないけど、幸せじゃない。おかしいな」って感じている。今、そういう状態だよね?

今は心の中にいる子供がグズグズしている。そう考えると、啓発より癒やしかなぁと思います

自分だって考えたら自分を上手く癒せないけど、自分の子だって考えたら少し優しくなれませんか?

子供だと思ったら「泣くな、元気出せ」って言えないでしょ?

「無邪気に幸せを感じていた子供自分」を否定しちゃう辛いです

それはそれ、仕切り直しの気持ちで「子供の頃はこうだったけど、今の自分はこう」って考える。

今が充たされないと、未来は見えないです。

あちこちのサイトを見るとわかると思いますが、インナーチャイルドとかハイヤーセルフが出てくるサイトには

天使やら偉大なるマスターやら、神秘的に説明されていて、知性面から捉えると「あやしい」ですw

でも、

感情精神性を整理するために、人格化を用いている

って捉えてみると、この概念結構使えます

さいごにおまけ

これも持論だけど、啓発って「気づき」を得ることだから、人に教えてもらうもんじゃないと思います

啓発本は「こうしたらイケてる奴になれるぜ」ってやつだから、すでに前向きな意志が持てて、契機づけたい時にの有効

「教えやがれ!この野郎」って思える時に読むのがおすすめで、やる気が落ちている時にはあまり意味がない。

啓発本には啓蒙的なものが多すぎるし、意識だけやたら高くなっても、肉体がついていかないと使えないです。

スピ用語を使わずに伝えるにはどうしたらいいかな?と思っているうちに、長文になっちゃいました。

上手くまとめられていないと思うので、わかりにくいところはまた質問ください。参考になれば幸いです。

2013-03-28

面接ウソについて


面接では素直に話せ!」。よく見かける言葉だ。

就活ってつくづく腹の探り合いだな、なんて思うのだ。

私は今までの面接でだいたいのことは素直に答えてきた。

多少、不利になりそうなことでもこれは言っとかなきゃいけないと思うことは言った。(例えば一緒に仕事したくない人とか)

その結果、全部落ちてきた。

確かに回答から自分に有利なことを言える賢さっていうのは見抜くのは大事なことだし、すべきことだと思う。

ただ「ミスマッチを防ぐ」なんて綺麗事は本当に辞めてほしい。

使えない奴を落とすための面接だなんてことはお互い十分に分かっていることだ。

そろそろ私も嘘をつくことをしっかり覚えなければいけない。

素直になるなんて結局コドモのすることなんだと言うことを痛感させられた。

就活社畜になるための通過儀礼なんだということをひしひしと肌で感じている。

こうやって「普通サラリーマン」は生まれるのだ。

嘘をつくのと、自分に有利なことを言うということは異なることだと思う。

ただ、隠すということには何も変わりないことだろう。

ミスマッチなんかあって当然だ。

明日面接ひとつ頑張ってこようと思う。

2012-12-06

文化人類学で説明できないだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20121206034726

これは実際、結構ある動機だと思う

夫婦間では分からないが、親子間では確実にある

漫画を親が捨てるのなんかその典型

大人ってのは、ぬいぐるみを捨てて口紅を、合体ロボットを捨てて煙草を手にすることなんだ

子ども時代を断ち切って大人社会の成員とならねばならない

大事ものから捨てないで」なんて主張は、一人前の大人になることを拒否していつまでも子どもでいたいという甘ったれ精神の発露と解され、社会では通用しない

しろ、電撃処分というショックを与えて大人に叩き上げイニシエーションを行わねばならない、という動機づけにさえなる

嫌がる『のに』捨てるのではない

嫌がる『から』捨てる

それで説明は付く

社会の成員としての生まれ直しを周囲の手で行わせる儀礼だということ

結婚式でのサプライズ暴挙が相次ぐのも同じ文脈で読み解けるのではないか

ラブプラス破壊の前にも、何かサッカーゲームでもあったはず)

新郎同意していてはイニシエーションにならない

バンジージャンプが元々成人儀礼だという話は有名だが、死ぬ思いをして勇気を示すから役割を果たす

アトラクションとして楽しむようなら通過儀礼にならないわけだ

既に大人同士であるはずの夫婦間についてはこれでは十分に説明できない

仮説だが、富の偏在を生まないための習性として人類が獲得したビルトインスタビライザーなのではないか

財を著しく溜め込んだ者がいた場合に、放棄することで富の再分配を、あるいは破却することでリセットを行うよう習性付けられているのではないか

スペースを侵害しているわけでもない夫のもの勝手に捨てる妻(逆でも良いが)の脳裏には、富の集積=悪という、まれびと殺し譚の印象が過っているのではないだろうか?

こちらは強引だとも感じるので継続的に考えていきたい

2012-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20120127174235

ちょっと横だけど。

新卒ときは手書きで履歴書書いたが、転職ときは当然ながら履歴書職務経歴書も全部wordで作ったな。

新卒の手書き文化はまぁ良い社畜になるための通過儀礼みたいなもんだと思うけど、転職者で履歴書とか職務経歴書とかを手書きしてくる馬鹿っているのかな?

2012-01-11

ゲーム機発売当時の誹謗中傷あれこれとその後

ニンテンドーDS
PSP
XBOX360
PS3
  • 高過ぎるとか開発が難しいとか
  • 順当に値下げを繰り返し今や国内据え置き機では実質一人勝ち状態
Wii
3DS

これらを踏まえて、

PSVITA

まあ発売直後のゲーム機が叩かれるのはいわば通過儀礼というか、「いつものこと」なんだよね。

WindowsXPだって当時としては要求スペックがそこそこ高くて、Windows2000でいいじゃんみたいに言われてたし。

大事なのは自分が楽しめるかどうか。でもって、本人さえその気になればどんなゲーム機でも十分に元が取れる位の楽しさを提供してくれる。これは間違いないよ。

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