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2023-10-29

anond:20231028214036

DQ2

文字通り、本作の鍵を握る重要NPCのひとり。

英語版での名前はRoge Fastfinger(GB版のみLagos)。「Fastfinger」=素早い指捌き、という意味なのでこれは名字というより二つ名のようなものだろうか。

 

【テパ】の村から【すいもんのカギ】を盗んだ【盗賊】。

水門のカギは【満月の塔】に行くのに必須さらに言えば敵地【ロンダルキア】へ乗り込むために必要アイテムの中の一つであるため、このラゴスを探すことが【5つの紋章】探しと並ぶ中盤の大きな目的となる。

 

捕まって【ペルポイ】の町の【牢屋】にブチこまれた、という所まではあちこちの人の話で足取りを掴むことができる。

やたらと強い【バピラス】や、やたらと弱い【サマルトリアの王子】との格闘の末、ようやくペルポイに辿りついた【ローレシアの王子】に向かって看守が言い放つのは、

「だが ラゴスは だっそうしてしまったのだ。

という絶望的な一言。町の中でいくら聞きこみをしても、その後の足取りはさっぱり掴めない。

FC版ではここで詰んでしまった人や、ここの謎解きだけに数週間を要した人も少なくないという。

フェイクな情報もいくつかあり、謎に拍車を掛けていた。

ラゴスを追って【ザハン】へ来た男がいることからザハン内を探し回ったプレイヤーもいるだろう。しかもこの町の隅にいる男、わかりにくいところにいるうえ「オレはラゴス…」の出だしで話し始めるため、一瞬喜んだプレーヤーいるかもしれない。

ベラヌール】の看守も、特定囚人を厳重に匿っていながら意味深な台詞を吐くので、【ろうやのカギ】入手後はこちらを探したプレイヤーいるかもしれない。

 

本当のラゴスの居場所、それは「ペルポイ牢屋の壁の中」である

右側の牢屋の中に入り、上から2マス目の黒い壁に向かって右に進むと突如画面が【屋根】の外に切り替わり、そこにラゴスがいる。また、その上のマスで右を向いて【はなす】を実行することでも話しかけられる。

ラゴスの脱走したマスだけなにか壁に目印があるなどの配慮は一切なく、まるでノーヒント。真っ黒な壁のうち1マスだけ壁の中へ進入できるなどと、誰が思っただろうか?

同じ仕掛けはダンジョンなら山ほどあるが、通路構造がまったく違う町中で同じようにこの仕掛けに気付くのは、ほとんどの人にとって意外に、そして相当難しい。場所にとらわれることなく分け隔てせず判断する視野の広さと、疑り深さが問われる。

前作では攻略必須の【ガライの町】で同じ仕掛けがあったが、DQ2が初プレイ場合かなり難解な謎解きとなる。見張りの【兵士】の台詞鵜呑みにして牢屋の中を自分で調べず、ここにラゴスはもういないと頭から信じ込んでしまえば詰みである。逆に、「脱走?一体どこから…」と疑問を抱ければ解決は目前。

一応、間接的なヒントとしては各地のほこらの構造がある。【旅の扉】でワープした先の扉を開けてみたら、外からは見えない黒い壁の中だった、という例がある。また、牢屋のカギ自体も同じペルポイで購入できるというのも配慮された結果かもしれない。

しかし厄介なことに、牢屋屋根の下にあって、近付くとマップ切り替えが起こるのだが、このときラゴスのいる部屋の一部がぎりぎり見えていて、そこは何もない壁。つまり無意識に、ラゴスの部屋の向こうは押しても何もないと誤認してしまうのである。実際にはもう少しだけ上のほうにラゴスが隠れているわけだが。

 

上述の通り発見が非常に難しいためか、ラゴスの居場所については当時様々なファミコン雑誌少年誌にヒントが掲載されていた。

あるラジオでもラゴスに関わる話をしているが、攻略をヒントにしたラジオドラマではダンジョンBGMを流すことでダンジョンにいるものだと引っ掛けている。

【完全攻略本】には手描きによる町のマップ掲載されたものの、恐らくネタバレ配慮のためかラゴスがいるはずの場所普通に壁として描かれているため、このマップを見ても仕掛けはわからない。

 

当のラゴスという人物についてだが、なんでも壁をブチ抜いて脱走を試みたものの、壁の中で引っかかって動けなくなってしまったらしい。

看守に逃げられたと思われている状態食事トイレはどうしていたのだろうか?

また、話しかけると潔く観念して水門のカギをくれるが、看守に没収されずに済んでいた理由不明のままである

投獄される直前に飲み込むなどして体内に隠したか他人の目から価値があるように見えないカギだったせいで看守にも見逃されたのだろうか。

 

彼の犯行についても不明点が多い。

というのも、水門のカギはテパの村から見れば非常に重要な品だが、ラゴスが持っていても何の役にも立たない代物。

それは他の商人たちにとっても同様で、売却しようとしてもFC版の頃から値段はつかない。

鍵を盾にとって村を恐喝するという手法も考えられるが、ラゴスが村を脅した様子は特になく、犯行動機が全く見えてこないのである

本人は見つけられたとき子供じみた軽い台詞を吐くので、ただの悪戯愉快犯的に盗んだのだろうか。

あるいは、「本来のお目当てである金品をごっそり盗んだら結果的水門のカギも一緒に盗んでしまった」など、ラゴスにとってもある種の事故だったのかもしれない。

返してもらった後の台詞もまるで無垢少年のものの口調で話す。

アイテム欄が満タンで持てない場合でも、そのスキに逃げようともせずその場で待ってくれている。余談だがその時の台詞が、よりにもよってそれに似つかわしくない人物に使い回されており、ちょっとしたネタになっている。

 

SFC版Ⅰ・Ⅱの公式ガイドブックには「人々の耳目を驚かすためだけに盗みを働く」と紹介されている。ただ単純にテパの人々を困らせたかっただけの愉快犯であろう。

リメイク

さすがに意地悪すぎると思われたのか、リメイク版ではラゴスがハマっている壁の前の床にヒビが入っており、ノーヒントでも割とわかるようになっている。

ただし居場所牢屋の右上から右奥に変わっているため、画面を切り替えずに「はなす」だけで見つけることはできなくなった。

 

ガラケー版以降では優遇され、SFC版【公式ガイドブック】のイラストに準じた専用グラフィックになっている。

そしてスマホ版は縦長画面のため、なんと彼の居場所建物の外から丸見え。そもそも謎解きですらなくなった。FC版と比べると異常なまでのヌルゲー仕様である…。

2023-10-28

岐阜県人口十万人以下の市に住んでたけど、自転車だけで余裕で生活できてたんで、「地方は車必須」っていうのは言いすぎだと思ってるわ

anond:20231027213715

医師の診断がされた正当なトランスか、一般人はその場で分かるはずないじゃん。女装おじが「私は認められてる」とか堂々と嘘ついてその場で女性スペースに入ってくるようなのが許容できないんだよね。

手術の要件だってその内プチ整形みたいに美容の枠に収まりかねないけど、とりあえず男性から女性へはちんこ切り落す覚悟くらいは必須じゃないですか? シス女性への最低限の尊重じゃないですか。

まぁごちゃごちゃ言ってはいるけど、私は「性別詐称による犯罪厳罰化」が為されたら手術要件撤廃していいです。

あと女装おじへ職質かけたり、ことと次第によってはそのまま逮捕でいける感じになるととっても安心です。

2023-10-26

くめ納豆醤油がクソ

マジで仕組み的に手にかかるか袋の端をつたって納豆パックの外にびしゃびしゃに溢れる。生産者くめ納豆食べないんですか?それともいつも机びしゃびしゃにして食ってんの?

くめ納豆のご意見箱(クレームコーナー)が電話番号必須かいちょっと高いハードルだったので増田で書かせていただきます

袋の隅を千切るとかいちょっと凝ったギミックしてるくせに千切るときは手につくわ千切ったあとはこぼれるわでゴミゴミカスカスうんちマンです。勘弁してくれや。

社会現象になるほど流行アニメ子供向け要素が必須

ワンピコナン、鬼滅、スパイファミリーとか

結局子どもにウケないとダメなのか

子供流行れば×2の大人が金を出すから

マスコミが飛びつくから

いや、アニメに興味ない一般人層にまで広がりなおかつ子供のために金を出すということが大事なんだろうか

子供受けだけだと妖怪ウォッチまりなので20代男女に受けることも必須とは思うけど

進撃はさすがにお子様層には届かなかったと思うけどあそこまで流行ったのはすごかった

2023-10-25

トイレ性別ではなく合理的要件で分けるべき

性別変更時の生殖不能手術要件違憲ということでが世間を賑わしている。私個人としては、戸籍上の記載変更に侵襲性の高い手術を必須とするのは個人人権を侵していると思うからこの判断には賛成である。反対派は、男性器をぶら下げた人間女性トイレに入ってきていいのか!などと言っているが、これはトイレなどを性別で分けるという発想自体おかしい。つまり何が言いたいかというとトイレ性別ではなく機能で分けるべき、ということである

少し前に"東海道新幹線男性専用・男女兼用・誰でもトイレ3室で女性専用がない!女性専用を作るべき!という主張への諸々の反応"(https://togetter.com/li/2181429)というまとめがあった。これはとある女性が、新幹線女子専用がないから今の兼用トイレ女性専用にすべき、と主張したところから始まる。確かに数だけ見れば男性優遇に見えるのでその女性意見もわからなくはない。しかしながら男性諸君ならわかると思うが、この意見は決して採用してはならない。男性専用トイレは立ち小便専用なので、男女兼用トイレ女性専用にすると男性は大便ができなくなり、月曜朝の新大阪ではウンコを漏らす出張サラリーマンが続出することになる。件の女性男性トイレを詳しく見たことが無いのでそう思ったのだろう。このような誤解は性別ベースの「男性トイレ」ではなく機能ベースの「立ち小便用トイレ」としておけば生まれなかったはずだ。

新幹線以外の一般トイレにしても、性別でわける問題は大きいのではないだろうか。自認では女性なのに女性トイレから締め出されるから個人尊厳が損なわれる。故に機能ベース合理的要件で分ければよい。

男性にはペニスがあり手早く立ち小便できるので、男性便器を設ければ回転効率を上げて混雑を防ぐことができる。これが男性トイレを設ける理由である。従って、これは機能ベースで「立ち小便兼用トイレ」と呼ぶ方が正しいだろう。また、なぜ女性トイレがあるかというと、トイレのような無防備空間ペニスを持った人間侵入すると、性犯罪が起こりやすくなるので、ペニスを持たない人間保護するためだろう。つまりペニスという危険物の持ち込み禁止区域である海外映画などではVIPルームに入る前に銃を預けさせられるシーンなどを見たこともあるだろう。そういう発想である。昔の時代劇ではまさに「ここから先はお腰の物をお預かりします」などというシーンもある。同じ腰のものではあっても、残念ながらペニスは取り外せないので、別室とするのが合理的となる。つまりトイレや浴場は「立ち小便兼用トイレ」と「ペニス(orペニスバンド等)持ち込み禁止トイレ」の2通りにすれば良い。

そもそもトイレとき個人アイデンティティを試すようなことがあっていいはずがないのである

生殖能力を残す性同一性障害の特例法のニュース見てSF小説書いた

性別変更の手術要件めぐり 特例法の規定憲法違反 最高裁

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231025/k10014236581000.html

10年後の未来にこういうカップルがいたら個人的萌える、というぐらいの突貫工事

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私が性別適合手術を受けてから半年が過ぎた。

傷はすっかり癒えて、うすい手術跡以外は生まれた時から私は女性だったのかも、という勘違いをさせてくれるぐらいには、足の付け根の新しい姿を気に入っていた。昨日までは。

最近生意気じゃない?こんなもん付けたままなのに、そのスカートも私への当てつけでしょ?」

しかった2人での鎌倉旅行からわたしたち永遠を誓い合った家についた瞬間、彼女は怒った。

押し倒されてソファに倒れ込むわたしの……見た目上は何も無くなった股間に、彼女はずっとヒザ蹴りを入れていた。わたしたち身体が揺れるたび、2度と感じたくなかった痛みがわたしを襲う。わたしの、股の奥に埋め込まれ睾丸だ。

わたしは、いわゆるMTF だ。

小さい頃から男として生まれ自分とその身体呪い続けて生きてきた。

高校生の時、このままの男の身体では生きていけない自分に気がついて、25歳までがむしゃらに資格お金を貯めてきた。

それまでも、みて見ぬふりをしているだけで、ずっと自分を傷つけながら生きてきた。

小さい頃からハサミで自分のモノを切ろうとして、少し血が出てやめたりする、そんな衝動がずっと続いていたからだ。

そんなわたしを受け止めてくれたのが、大学生時代出会った彼女理沙だった。

バイセクシャル彼女は、私を男だと思って付き合い始めた。人から好意を向けられるのが初めてだった私は、しばらく、自分普通になれることを祈りながら付き合い続けた。

ちょっとヤンキー気質で派手な金髪彼女は近寄りがたかったけど、「優しいところが好き!」と言って懐いてくれる彼女を無下にしたくはなかったからだ。

半年後、どうしても男性としてセックスがしたくなかった私は、彼女の家で泣きながらカミングアウトした。

その時から彼女わたし女性として生きていけるように本当に色々なことを教えてくれた。家族以上に、わたしの第二の人生にとって密接な関係だ。

彼女に手術の相談をしたとき、「女になるのは応援してるけど、金玉は残して欲しいんだよね……私たちの子供、欲しくなるかもしれないしさ。」と言われた。

2033年の今は、昔と違って性別適合手術に生殖腺の摘出は必須ではなくなっている。

それどころか、わたしの通っていたジェンダークリニックでも睾丸摘出はしないことを勧められるようになっていた。確かに男性ホルモンの産出は増えるが、わたしがすでに十分女性的な外観であることと、今後性ホルモンが著しく減少することによる更年期障害リスクを鑑みてのことだった。

かに去勢まで済ませた先輩MTFの方々の一部は更年期障害に近い症状を抱え、女性ホルモン投与の頻度が増えた……と言う話を聞かないわけではない。最近の手術例では、手術後の股間の内側に睾丸を埋め込むことで、去勢せずとも外見を女性のものにすることができるようになっていた。

人生で一度も必要だと思ったことのない、むしろ有害だった睾丸を残すことに大きな抵抗があったが、体調を一番に考えて欲しいという母の言葉と、彼女意思を考えると、断れなかった。

最終的に手術した病院でも、睾丸の切除は勧められなかった。わたしは、最後まで「いりません」とは切り出せなかった。

私が最終的に手術自体は簡易的なもので、造膣もなし。男性器を解体して、女性器らしいパーツと睾丸だけ残して身体の中に埋め込む……というような手術だった。見た目は彼女と比べて見ても完璧だったし、自分に見るのも嫌だったアレがついていなければそれでよかった。彼女とも、セックスに耽るような仲ではない。

そんな彼女が、いま私につかみかかって、身体不本意に埋め込まれ睾丸を狙って膝蹴りをしてきている。

発端はきっと大したことじゃない。

旅行中、何回か意見が合わなかった。

そのとき彼女冗談わたし股間を蹴ってきたのだが、痛くてうずくまってしまった。

その日はお互いパンツルックだったのだが、確かに今日はそれが怖くてロングスカートを履いていた。

ここまでイライラさせてしまってるのは、たぶん、わたしには縁がないが、時期的に生理前だからだ。

下腹部に来る痛みとも言えない痛みと、いっそこのまま潰してくれないかという暗い気持ちと、吐き気

なんだか旅行の疲れと痛みと無力感で遠のいてくる意識の中で、「理沙内緒でもう一度お金貯めて、金玉取ろう」という決意だけが残った。

なんでドライブレコーダー必須に近いぐらい推奨されるのに

靴にカメラ仕込んだら犯罪になるんだ?

俺の身に何かあった時どうやって記録するんだよ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-24

現在35歳、子供を産まないと決めたのは17歳とき

少子化対策や減税、一回金を集めてまた配るみたいなアホな政策やめて本当に真剣に取り組んだ方がいいと思うんだよね。

私の場合はこの先の見通しが暗い世の中に我が子を産むのは可哀想だと思って産まないと決めた。

その判断は正解だったなって思ってる。産まないと決めたあの頃より今の方が世の中の状況が悪い。

身体経済的DVを受ける可能性があるから子供を産まないなら結婚しないほうがいいなと思って未婚。

結婚して子供を持って幸せにしてる友人たちもいるか子供がいる幸せ存在してるということは知ってる。

ただ、そうした友人や可愛い子供たちを見てても産まなくて良かったという感想は変わらない。

外国人による犯罪も多いし、性犯罪も多いのに大して問題視されない。

我が子がいて女の子だったら毎日毎日心配で仕方なかったはずだ。

ジャニーさん被害者記者会見で「おじさんに触られたり舐められたりしたんですよ、忘れられます!?」みたいな発言が確かあったと記憶してるが、男ですらそうなんだから女性なら尚更だ。(私自身は電車股間押し付けられるのと露出狂卑猥言葉を投げかけながら延々とついてくるしつこいナンパに合ったことがある。ナンパは逆上させないように断ったり店に逃げ込んだりする必要があるため毎回怖い。触られなくったって怖い)

性犯罪に合う比率は女の方が高いけど男女関係なく性犯罪に合うわけだから我が子が男の子だったとしてもやっぱり毎日毎日心配で仕方なくなる。

今私が17歳だったとしても、絶対生まないって判断をする。

若くたって子供だって馬鹿じゃ無いからいろいろ理解できてるんだよ。

小3くらいのときにはすでに大人になったら年金払いたくないなって思ってた。ニュース見てたら普通に理解できたからね、年金制度少子化破綻していくって。

今の世の中を見て、今の子供たちや今の若者たちはどういう判断をしていくんだろうね?

産む人は0にならないけど、産んだだけでは国は存続しないからね。一定学力が無いと他国に負けていくだけ。日本の名が地図から消えるだけ。

安心して産めるように出産費用保険適応にして保育園保育士を増やして、まともな人が教育に関わってもらえるように小中学校待遇を良くしてくれ。(もちろん保育士待遇も)

モンスターペアレントはすっこんでろ。学校無理難題投げてきたり無理な対応求めてくるモンペ営業妨害で処せるようにしてくれ。いじめは即通報しろ犯罪対応教師仕事範疇じゃ無い。

高卒馬鹿にすんな。進学した人より一足早く社会人になって納税して世の役に立ってくれてるんだぞ。大学進学は必須じゃないって空気作ってかないと勉強する気もないのに進学して既得意識ばかり肥大化しただけの大学生が量産されてしまうぞ。高卒とは関係ないが外国人集めてどうにか定員埋めてるFラン大に税金投入されてるのもいただけない。

GPAなんてアホな制度は無くせ。GPAを気にして大学生は難しい科目や幅広い科目に挑戦しなくなってる。せっかく進学したのに、この制度のせいで学びの機会が失われてる。

少子化対策や減税だけじゃないね問題は山積みだ。産まなくて良かった。孫を抱かせてあげられなくてごめんね。私が末代だ。

[][] プラチナまでの勝ち方

久々のドラフトだったんだけど今回は勝敗の記録をサボってしまったので戦略日記を書くこととする。

普段は3勝で上々を信条にしてるところだけど、スタートブロンズ初期(指輪はさぼった)を除いてゴールドになってもわりと5勝以上が多く2、3勝以下の記憶がなかったので個人的にかなり勝ちやす環境だったと思う。

 

素人記事に目を通すよりはなにはともなく行弘さんの記事のほうが優先度が高いことは書くまでもない。

https://mtg-jp.com/reading/yukuhirolimited/0037239/

 

3勝目指すざっくりポイント

ポイントは2つ

・赤黒ネズミを狩れ

・緑をやれ

だ。

さらに低ランク特有受身な話で言うと青白タッパーを美味しく頂けば勝利数は増えていくだろう。

赤黒ネズミを狩れ

とりもなおさず最強アーキといっていいだろう。上手く回ったネズミはまさに最強だ。

しか自分も何度か挑戦してみたが、やはりネズミは出せてもサポートするカードが引けず負けるような、シナジー依存度が高い印象を受けた。(それでもマルチ一枚で2、3勝出来る力がある)

グロシナジーが苦手な自分は数度の経験からよっぽどでない限り赤黒ネズミを避けるようになり、逆にこれ対策念頭ピックするようになった。

 

具体的には肉・肉・肉。今回は除去の優先度がかなり低い。普段は飛びつくような除去でも優秀なコモンアンコクリーチャーが居ればそちらを優先していて、平均すれば除去採用枚数は1枚をゆうに割っている。

とにかくクリーチャーを立て、全軍突撃に相打ち以上を狙えるように耐える。我慢試合だ。いか攻撃を躊躇わせ後ろにずらすかのみを考え、序盤のすれ違いは一切しない。(速攻は少ないので安全なら殴ってもいいが)

クリーチャー採用基準ネズミ(1/1)を討ち取れるか。なので黒白の231はかなり取りたくない。不気ミントは食物がでるのでまだ…ハツネズミタフネス上昇がほぼ自ターンと役に立たない。相打ちが美味しくないという理由111も取りたくないカードだ。青の204は…わからない…避けるし。

序盤を耐え切り高コストを立てられれば相手息切れでもじもじしているところをサイズ差で殴り勝てるだろう。

 

コンバットも、基本的にはネズミトークンの討ち取りを意識する。相手の全軍突撃には常に赤バーランのかじりつく大合唱意識して、パワー+2を考慮トークン撃破を優先、ライフに余裕があれば一体だけをブロックなどで、(盤面上の)有利交換をできるだけさせないように動くと良いと感じた。

 

注意点として、私は今回のトップアンコ、イモデーンの徴募兵を一度しか見なかった。その一度も後半に引いて出来事は打たれたが突撃させず勝てた試合で、自分ピックでも一枚も見なかったりで全然遭遇しなかった。イモデーンの徴募兵無しで赤アグロを語れない気がするが、体験できないものはしかたないのである

緑をやれ

ネズミ意識した結果、今回はほぼ緑がらみのデッキを組むことが本当に多かった。活躍したコモンを挙げよう。

虚ろの死体あさり/Hollow Scavenger

1ターン目を出来事で穴埋め、殴る4ターン目からは実質対生物5/4でブロックされる率がかなり低い。壁にしても高コストと相打ちできる。3マナ以下と相打ちでも食物が残り赤黒の出来事役割(+1

アップ)に強いデフォパワー3が優秀で非トークンへのブロック要員になる。

何枚あっても嬉しい狼。複数あれば食物の補充ができる。攻防の押し付け感が強く、相手していても出されるとかなり動きづらくなる。

ルートワラ系は普段はそれほど取らないが、出来事と、とにかく1マナ起動が便利だった。

 

根乗りのフォーン/Rootrider Faun

213マナクリ。

ネズミを倒せる、22を受け止められるマナクリと非常に優秀。それと赤の先制攻撃2/1を止められる2マナは少ないのも見逃せない。今回は2マナ以下に恐いコモンが少ないのでかなり頼れる。

マナクリと見てもいいし、倒すにはジャイグロを切る必要があるので2マナに使わせただけでも全然不味くない。

緑の熊はやんちゃなアウフで協約で11交換かつ協約なしで出すことが圧倒的に多い。と頼りないので、2マナはこれか防衛持ちか他色のものに頼りたい。

 

新緑の偵騎/Verdant Outrider

342起動で威圧

ネズミを最低限討ち取れるタフ2、高コストと相打ちできるパワー4と頭でっかちコモン

コイツの真価は受けきった後のアタッカーで、今回は役割もあるせいかパワー2が多いので膠着まで持ち込んでからすり抜けて殴り勝つシーンがかなり多かった。パワー4は人が死ぬ数値。

攻め手に回ると虚ろの死体あさりの5/4でパワー4以上を差し出すか低パワー2枚を差し出すかを棒立ちのコイツで悩ませたりで楽しい

 

小村の大食い/Hamlet Glutton

766軽減持ち緑ファッティ

緑のゴール。出せたら相手は動けなくなる…はず。雑にサイズで勝つので書くことがない。

虚ろの死体あさりやタフクッキーあたりの食物をタネに5マナで出したい。意外とピックできないときがあるのが難点。

  

コモンで欲しいのはこのあたり。出来事の凶暴な人狐も強いしあればとるが、勝利貢献度と対ネズミ視点では上の4枚を意識している。タッチ3色や菓子復讐の夜があるならランパンも多少あり。逆に一番取りたくない肉コモンは空獣の追跡者で424リーチは出してみてこいつどうすればいいの?と頭を抱えた。

 

 

相方の色は白・黒・赤から適当に。肉は緑に頼るので、単純にいいカード出来事、除去がある色でいい。緑黒アンコやタフクッキーがわりと流れてたので緑黒食物になることが多かった。

 

青も悪くない

青をやる指標書庫ドラゴンを引けるかどうか。引けたならやってもいいかなというぐらいにはこのドラゴンに勝たせてもらった。3枚流れてくるほどAIも嫌ってるが、青白で6勝いただいたので感謝してる。

今回は空がかなり空いてるし確定除去が黒5マナか白の反応協約ぐらい?前者はward2が刺さるし。占術も助かる。

あるいはおとぎ話枠の孵化計画があれば一考できる。

青は呪われし者などを切るタイミングが難しく(ネズミには刺さらない・システムクリーチャーに無力・低PTには低下値が低いなど赤黒・テンポに弱い)、特に出来事持ちは当事者から入ればよかったとなることも多くプレイ難度がやや高い。しかPTはそれほど悪くないので、やはりクリーチャーを並べることを優先して考えればやれないことはない。

注意点としては白と組んだとしてもタップアーキには入らないこと。赤黒ネズミが合わない人は白青タップシナジー依存度が高く合わないかもしれない。

地上を固め、白のコモン飛行とドラゴンスカスカな空を攻めると勝利数が増える。

 


以上、簡単ネズミ意識した緑コモンピックの考えを書いた。

フォーゴトンレルムや真夜中の狩りなど一強のような環境では基本、自分もその組み合わせを狙っていたが、今回は肌に合わないこともあってカウンター思考をしてみた結果上手く行った。

エルドレインの森は今のところ理不尽すぎるボムレアを喰らう印象は薄く、コモンアンコモンと出来事などを合わせたやり取りが主がで楽しい

おとぎ話もようやくこれぐらいのパワーレベルなら許せるかなという按配で不快感が少なかった。

やはり出来事は楽しく、アンコは多色必須だし当事者から入りたくなるような慎重な調整も伺え、協約も一方的ボーナスではないので常に最良・妥協、アド・テンポを天秤にかけるように悩ましい展開がピック段階からあり、よくできていると感じる。

プラチナまで上げなかった指輪物語のせいで久しぶりのせいかもしれないが、かなり良い出来に仕上がっているのでは?

今後のパック変更の影響が心配だが、これからドラフト環境にも期待している。絶対取らないようなコモンがなくなると嬉しいなぁ。

大いなる存在の一部になり、貢献する

「大いなる存在の一部になり、貢献する」ということには抗いがたい魅力がある。

ファン活動推し活というものはその最も典型的な行動であり、スポーツチームやアイドルなどのファンを名乗り、金銭応援などでその対象に貢献する。

愛するもの自身を同一化し、愛する者の役に立つ、モチベーションを高く保つ必須要素が完全に揃っている。

個人レベルでも、結婚というのは近年では個人個人契約という側面が強くなったが、かつては「家」という枠組みが強くあり、家に紐づく先祖の武勲や武勇伝なんかに触れることで

籍を入れた家(そこに連なる先祖名誉)という大いなる存在自身を同一化する快感があったのだろうと推測できる。

そういう熱狂が家という制度を維持し続けてきた原動力になっていたのだろう。

人が社会的動物である以上「大いなる存在の一部になり、貢献する快楽」は本能レベルで備わっているのでこれに抵抗しようとするのは無駄である

しろ自分の中にあるこのメカニズムを利用してあらゆる行動のモチベーションを高く保つのに利用するのが賢い。

さぁ貴方ももっと大いなる存在の一部となり、貢献しなさい。

anond:20231024005450

元増田の主張にも「穴はある」(名義を変えてもダメとか、ゾーニングが「一切」されていないとか)が、性暴行露骨に描いた作品が、少年漫画を描いている作家の名義でもろに出てきてしまうという状況は好ましくないと私も思う。私としては、意図的ゾーニングを超えようと興味を持ってしま子供がいる方が健全であると感じるし、この程度でおよそ少年誌への連載が許されるべきではないとは思わない。しかし、せめて名義を変えるべきとか、アカウント登録必須化するなどの方法で年齢確認厳格化するべき(あまりにも幼い子供でもクリック一つでするっと超えられる程度のものでは望ましくない)ということは求めても良いように感じた。

そういう意味で、少年誌はこういうものから潔癖であるべきだという増田の主張は、同意はしないが社会全体の意見の「幅」としてあって問題ないレベルであり、抗議の呼びかけが不当を超えて違法であるなどとは到底考えられない。

それにしても、こういう意見に対する一部ネット意見は見るに堪えないレベルで、ブコメでは威力業務妨害罪などという言葉まで飛び出し、人気ブコメに表示されるレベルである

この主張は、(暴言暴力扇動しているわけではない)「抗議をしよう」という表現活動の内容に着目し、国家による刑事罰をもって規制するべきという意見であって、表現の自由と最も厳しく対立する主張である。無論、その主張もまた表現の自由範囲内ではあるが、現行法解釈を前提にすれば、威力業務妨害罪に「該当する」という主張は端的に誤りと言っていいレベルであり、また、表現の自由を重視するという立場からは極めて遠いところにある主張でもあるだろう。

近時のいわゆるキャンセルカルチャー問題のようなものへの懸念はわかる点はあるのだが、それでも単なる私人間の言論による対立と、国家権力を利用して一方の主張を禁止することには質的に差があるということは強く意識されるべきであり、今許されている「権利」であっても常にその正当性へのチャレンジの道は開かれているべきだろうと思う。

チームのパフォーマンスを上げるか増田須間軽げあを寸まーぉふぱのムー値(回文

おはようございます

物思いにふける秋。

思い悩むわー

またいつものスプラトゥーン3の話しで恐縮しまくりまくりまくりすてぃーなんだけど、

独りで戦うには限度がある様な気がして、

ここまでくると勝ててもまぐれで勝つって感じがして

強いチームはなんか連携取れてる感じフレンドで攻めてくる感じがするのよね。

どうしても。

私が思うに、

連携出来たらさぞ強い作戦

キルされて復帰するまでの時間があまりにもロスすぎるので、

如何に復活時間最前線戦線への復帰の時間を短縮するかってことに的を絞って文字通りエイムなのよ。

そんで私が持ちチームで挑んで

ユッキーナレヴェルで事務所総出で戦える作戦の戦法を唱えるなら、

エナジードリンクジャンプビーコンを上手く運用するってこと。

エナジードリンクは圧倒的にパフォーマンスが上がるし

キルされても復帰の時間が0秒なのでマジで恋する5秒前なのよ。

そんでジャンプビーコンは設置したところにイカジャンプして、

即座に戦線復帰って感じかしら。

もちろん安全なところにジャンプビーコンを設置するのはもちろんイカジャンプ短縮ギアも付けておかないとジャンプ力貯めてる時間戦線復帰出来ちゃうぐらいに結構ギアで強化してないとイカジャンプ時間短縮出来ないので、

それは付けておきたい必須ギアなのよね。

そんでさー

ジャンプビーコンを独りで試して使ってみるんだけど、

人の設置したジャンプビーコンは危なくてみんな使ってくれないってのが私の感想よ。

まり戦線最前線にビーコン置いたとしても、

即またキルされかねないし、

最前線ちょい後ろの安全な物陰に設置するのが良いかも!と思って自分ジャンプビーコンを運用しているのよ。

かにこれなかなか良い作戦

キルされてもすぐに戦線復帰できるのが良いポイント

デメリットとしては

独りで運用するのでブキがジャンプビーコンをサブで使えるブキでしかこ作戦が行えないことと

キルされる前提になってる戦い方も如何なものかしらってイカだけに。

なので、

自分の立ち回りが上手く出来るブキが使えないところが痛いので

チーム総出でそれこそユッキーナレヴェルでの事務所総出での作戦

チームのメンバー

ジャンプビーコン得意な人と、

エナジードリンク得意な人と組む必要があるのよね。

エナジードリンク屋さんも楽しいけど、

みんなの通る道に設置しないとみんな取って飲んでくれないのよ

戦線最前線に設置されても遠くて行けない時もあるし、

みんなが飲んでくれる取ってくれるルートに置くのがエナジードリンク屋さんとしての良い運用の仕方よね。

やっぱり独りで好き勝手塗ってるってだけだとどうしても限界がありそうな山脈に向かってヤッホー!と叫びたい気持ちがあるけれど

ここは野良メンバーでもチャー3だとしても

チャー3のチャージャーの人達と3人組のメンバーになるとマジ泣けるっすわ。

流行ラーメン屋さんのどんぶりの周りのふちにチャーシューを3周ならべてひらひらにするあんまり綺麗とは私は思えないあのチャーシューの飾り方より酷いチャー3なの!

でもたまにいる戦線最前線に突っ込んでバンバン自らキル取りに行く戦いに行く強いチャージャーもたまに存在するのは事実なんだけど滅多にそんな強い立ち回りの人はいないのよね。

そうなったときは運が悪かったと思うしか無いけれど、

如何に野良メンバーでもチームのパフォーマンスを上げられる作戦必要なのよね。

そうなると無難なのはエナジードリンク屋さんを開くしかないのよね。

ジャンプビーコンはなかなかみんな使ってくれないわ。

これが私の知った事実よ。

最近気付いた、

ふと独りで戦っていてもどうよ?って疑問に

じゃーチームのパフォーマンスを上げていけば良いんじゃね?って作戦

だけど皆集まる野良メンバーだと連携が取れないので、

そう言った野良メンバーでもパフォーマンスがすぐに上がる作戦

やっぱりエナジードリンク屋さんなのかなーって。

しかもみんなが飲みやすいところにエナジースタンドスタンドとして設置するべく、

あ!

エナジードリンクって何のことか分からない人も入るから説明すると

エナジードリンクなのよ!

ぜんぜん説明になってないけれど、

インクの補充スピードと移動速度とキルされたときの復活の時間ゼロ秒になるのと

良いこと尽くしの寿司ざんまいビックリ両手を大きく広げて言いたいぐらいなそんな世の中なのよ。

ちなみに

ジャンプビーコンは

装置マップ上に設置すると

ジャンプできるポイントとしてマークされてるので、

通常は仲間の位置スタート地点にしかジャンプ出来ないところを補うジャンプ先の増設ってところかしら。

仲間のところにジャンプしても良いけれど、

だいたいは最前線ドンパチやってるので

飛んで行ったとしてもキルされるのが関の山よね。

なので戦線復帰にスタート地点から行くよりも

より最前線戦線に近い安全なところにジャンプビーコンを設置して戦線復帰のロスタイムを無くすって作戦なの。

フレンドがいないからチーム戦で戦えないのがネックだわ。

来る者拒まず

なんかフレンド申請してくる人が入るけど

小学生っぽくってバトルに誘われるけど

とても戦力になるとは思えないし

なぜか誘われるのはバトルじゃなくお散歩でって感じで

プライベートでバトルしないの?って不思議に思うけど

多分小学生のちびっ子なのかしら?って思うわ。

あとプライベートルーム開いてバトルしてるとき撮影モードにしていると無敵になるのね?

知らずにバンバンキルを狙いに行ったけれど

無敵だったので、

それなんておさんぽモード?って思ってしまったわ。

うーん、

やっぱり独りで戦うにも限度があるから

チーム戦チームで戦えれば

エナジードリンク屋さんでジャンプビーコン設置でかなり戦力パフォーマンスが上がると思うんだけど、

独りだと限界があるわ。

でも独りだとしても限界突破しなくちゃ多分S+のランクには到達できないか

今は多分そう言う季節なんだなーって今シーズンは思うのよね。

普通に遊ぶにはいいけど何事にも高みを望むなら難しいってことよね。

きっと。

物思いにふける秋だわー。

うふふ。


今日朝ご飯

家にあるメープルパンしました。

たくさんあるので保存性よろしく日持ちもしているので

消費しなくては!って思うので朝はそれを食べてきたわ。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラーね。

急須面倒だから耐熱グラスに直接茶葉を入れて沈むまで待って飲むスタイルってオシャレじゃない?

違うかー。

横着しちゃったそんな緑茶ホッツウォーラーよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-10-23

anond:20231022034936

増田に非は無いからそこは自分否定しないで良い。

誰が悪いかという話を敢えてするなら、成人している増田について未成年責任能力はないと譲らない両親だけが悪い。与えてくれたものが多いとしても増田人生における巨悪レベル

そんな親だからこそ今後もいくら増田自身の考えや思いを合理的に説いたとしても理解、納得してくれる可能性は低いだろう。

そんな親によって認知を曲げられている増田被害者だよ。

もう立派な成人で自分がどう生きるかは自分で決める権利があるし、決めた結果が良くても悪くても自分の成果で両親の物ではない。両親に相談する、秘匿するのも増田メリットリスクを勘案して決めること。

それを踏まえてこれからどう生きたいか考えると良いと思う。

 

コミュニティツールの有無は確かに必須だが、それさえあれば友達は何らかのコミュニティに加わればすぐ作れる。

ゼミ会社スポーツ音楽などの趣味サークルオンラインゲーム増田自身がやってみたいと思うことに飛び込めばあとは増田の人柄とかかわり方次第。

自分は中高時代両親の教育方針のせいで友人がまったくできなかったが、一人暮らしを始めて30過ぎた今は気軽に飲みや食事に誘えたり相談できる友人的な存在が両手で収まる程度にはできた。

増田には何かするのに十分な時間があると思うよ。

2023-10-22

秋も継続して自転車乗ってます

7月末辺りにミニベロ買いました。

10月末が近付いてますが、なんやかんや定期的に乗ってます

  

9月初めから10月末にかけての変化

・休憩回数の減少

 8、9月は暑すぎて休憩必須すぎて、1時間に1回休憩が必要だった。

 10月に入ってからは2、3時間に1回で良くなり、大分漕ぎやすくなったんだなと。

 とは言え後述してますが、9月から速度が落ちてる?のが多い感じがして、

 知らぬうちにペース配分が変わってただけかも。

輪行袋の利用

 山の近くとか、1つ県を超えた所からサイクリング開始できるようになった。革命的。

  

■変化していない点、落ちている点

体重

 乗り始め62kgとかだったはずだけど、今では64kgになった。

 飯が旨くて太ったんだろうなと。腹も太もももプルプルしててちょっと憎い。

・1日走行距離

 あまり増えず、1日60kmが今の所限界な感じ。

 距離目標ではなく、目的地を決めて走る都合上あんまり走行距離が増えない。

 行きたいところはまだまだあるけど、そこに行こうとすると100km超えるのがネック。

 1日100kmはまだまだ自分には無理な気がしている。

 輪行袋使わずに朝早くから漕げ!って感じだけど横着してる。

・速度

 車道は12km/h~15km/h、サイクリングロードは15km/h~17km/hぐらい。

 遅くなってる気がする。

  

■欲しいもの

・靴

 ランニング用に買ったメッシュシューズをずっと利用しているので、そろそろ冬用に変えたい。

 冬のランニングシューズって何がええんだろね。気軽に交換したいので安いのがあればいいが。。

anond:20231022132924

お通し通用する店ならそこでワンドリンク必須ってことにしてそれはもうアルコールでなくてもなんでもいいってぐらいで解決するよな

おかわりまで要求配慮はさすがに考えないでいいし

めんぼう

1,2ケ月つかってなくてこないだよーやくやすいのみつけてかってやってみたらめっちゃきいろくなったわ

おいらは湿ったタイプから耳かきじゃなくて綿棒必須なんだよなあ

いちおうまいかいシャワーあびるときに耳のアナにもかけて、ふだんもティッシュとかで入り口付近と指が入るところくらいまではそうじしてたんだけど

中はやっぱ汚いなー

かさかさだったらもっとらくなんだろうなあかきだすだけだから

しめったタイプワキガは綿棒ひっすなのつらいわー

つまようじはやすいしたくさんあるからそれにティッシュまきつけて綿棒がわりにすることも考えたけど手間のほうがかかりすぎるからやめたんだよね

おれのみみあかをせんじてはてなーみんなにのませてあげる

したがしびれるあじがするよ

[] 人生に本当に必要な物はなにひとつとしてお金では買えない

家族恋人友達、生きがい、健康、それらはもちろんのこと、ペットすらそうだ

ペット自体は生体販売お金で買えるけど、ペットとの絆はお金では買えない

  

でもいうて、成熟していないので、結局は些細な贅沢を辞めれず、ある程度はお金奴隷なっちゃう部分はあるのかな・・・とは思いつつも、

これらについてぼんやり考えてる

 

まず、田舎職業として農業やるとか猟師自給自足するとかは、ツテも能力もまったくないので無理だ

東京まれとは言いつつも周囲には住宅しかなかったので都会っ子の自認はまったくないのだが、

やっぱ、街灯がまばらで青年会が山道の整備とかしている地域とか、雪かき必須地域で生まれ育った人らと比べると、あらゆる面において貧弱だ

メンタルもやしでツテが無くても、器用でDIY得意だとか、人付き合い能力めっちゃ高いとか、大柄で筋肉隆々だったら、またぜんぜん違ったんだろうけどな

宝くじとか当たって家庭菜園レンタル畑をやれたらいいなとは思う

でも、薄ぼんやりとした食糧不安をずっと持っているので(農業従事者の平均年齢が70歳を超えてしまっている。あと円安)

宝くじ当たらなくても、農家サブスクレンタル畑くらいはやってもいいかも知れない

 

次に必要お金

円がゴミ屑にならない前提・食糧に困らない前提で、雑に月30万くらいあれば特別なことが無きゃ老後過ごせると思っている

60歳から40年で1億4400必要で、所得もしくは売上げを全額貯金に回せば余裕でイケる額だけど、当然ながら全額貯金は出来ない

娯楽(ゲームマンガエロ)で一発当てるか、人を雇う規模感でのビジネス成功か、投資で爆益が必要なわけなんだが、

宝くじに期待するのとあんま変わらん気がする

なので基本的には一生INを確保する・・・まり一生働ける方法を考えなきゃいけない

 

あれ?お金奴隷にならないってのはどうしたんだって話だが、どうあってもお金の話はついて回る

家族恋人友達、生きがい、健康を買わない(買えない)のに、『お金でなにを買うつもりなんだ?』と言ったら、

"安全" と "快適" だよね

 

日本は今のところ先進国かつ銃でヒャッハーしている人はいないので "安全" は多少目は瞑ってもいいが(いうて、侵入窃盗ひったくり放火・寝タバコが多い地域は避けた方がいい)

"快適" は、世界中どこでも価値のあるものだよね、もちろん日本においても

"快適" と "不要な贅沢" の線引きは難しいが、人間幸福には下記のどちらかは必要だ(両方あるとより望ましい)

 

 

このどちらかを維持するのに必要な経費が "快適" だろう

 

 

 

しかし、任天堂山内氏の経営哲学は、本当に "それはそう"感 あるな

面白いと思うものをつくれ

商品が売れるか売れないかは、正直いって誰もわからんよ。しかし、面白いか、面白くないかは誰にでもわかる。おもしろものをつくれば会議検討したり、市場調査をしたりする必要もないわけや。事実ゲームソフトで370万本売って超ベストセラーになった「スーパーマリオブラザーズ」など、100人中90人までがおもしろいと評価していたよ。

実力だけではなく運も認める

運を認めないといけない。運を実力だと錯覚するということは、これほど愚かなことはないんです。経営者としてね。ところが、人間ですからついつい運の存在無視して「俺の力だ。俺のやり方が良かったんだ」と言いたいんですわ、人というものはね。それは駄目。

世間にはよく成功した人間尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね。

ーーーー

「世の中でうまくいっている人の言葉金言のように聞いて、『なるほど』と言って真似をしたがる人がいるけれど、自分にはそれが理解できない」

「なぜなら、うまくいっているのは全て運だからだ」

運を天に任せる

人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。そのときは、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、しくじったら、そのとたんに、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、次から次に反省が生まれものです。だから、どんなに人事を尽くしたつもりでも、人間所詮天命を待つ心境にはなれない。そういう意味でもわたしは、任天堂の名の由来のごとく、人事を尽くして天命を待つのではなく、単純に「運を天に任せる」という発想を積極的に取りたいと思っています

 

経済的成功出来るかは知らんけど、少なくとも自分自身面白いと思える作品や、自分自身は役に立つと思うシステムについて、もっと真剣に考えたいなって改めて思いました

あと、立派な人は経済的成功していなくても誰の目から見ても立派なので、世間評価がどうこうではなく、やはり引き続き、善行ができる人を目指したいと思いました

TERFは分断の楔になってしまうのか

女性スペース守れ」有志デモ罵声新宿)ってニュースを見た。トランスジェンダーの人が戸籍上の性別変更をするのに性転換手術が必要とされている現行の法制度が適切か、最高裁でいま検討れいているという話もあったが、これらの件で面倒なのは、両者が「人権」「ジェンダーフリー」そして「社会的弱者」というよく似た基盤をもちながら、対立の構図を生み出している点だ。

デモ杉並区拠点活動する「女性子ども権利を考えまちづくりいかす杉並の会」が主催した。

(中略)参加した約20人の女性らはプラカードを手に、「男女以外の性別はない」「女性スペースに身体男性は入るな」「女らしさ、男らしさから自由になろう」と訴えながら、新宿駅周辺の車道を練り歩いた。

だが、こうした参加者の訴えをかき消すような怒声も飛び交った。

参加者を上回る数の抗議者らが、レインカラーの旗や「トランスジェンダー権利は〝人権〟」「ヘイトスピーチ、許さない」と書いた紙やフラッグを掲げ、歩道からデモ参加者の顔を撮影したり、「トランス差別をやめろ」と声を張り上げたりした。(同ニュースより。魚拓ははじかれたのでリンクナシすまん)

コレたぶん、多くの人(特に男性)の印象は「どっちにも加担したくないなあ」だろうと思う。それは、彼らの価値観親和的でないからではなく、むしろ親和性が高いほど問題で、それは両者にとっても社会全体にとっても一番マズい結果にしかならんと思う。

たとえば信頼してる気の合う知人が2人いたとして、どんないい人らであっても、彼らが喧嘩はじめたら両者から距離を置くくらしか現実的には対処できなさそう、みたいな感じ。リベラル寄りの政治社会運動が失速するのって大体コレで、逆に言えばリベラル寄りの運動を失速させたいとき定番は、そういう「分裂の楔」を見つけて提供することなんだよね。で、現状この対立はまさに「人権」「ジェンダーフリー」「社会的弱者立場運動における「分裂の楔」になってる。そして、その「楔」にたくさんの人が踊らされている。

立場を同じくするなら、本来「手を取り合って解決する」道はあるはずなんだよ。たとえば、トイレの種類を増やす風呂についてはもう全員水着着用を必須とする、とか。そう、一部の人でなく社会全体が薄く広くダメージを被る形での解決を目指すのが本道なんだが、それをするためには社会全体の納得が必要で、現状それが追い付いていない。この問題いかに厄介か、少数の人がいかに苦しんでいるか、それを目指すことが社会全体にとっても結局はどのくらい価値があるか。多くの人がピンとはきてないんじゃないか

たとえば障碍のある人への社会的な対応は、この数十年で相当進歩したけれど、それは問題に直接かかわっていない多くの人々への粘り強い社会教育とセットになっていて、そして、それら抜きでは実現しなかった。点字舗道、音声信号、駅などのエレベータスロープの設置……今では当たり前なそれらの風景は、この数十年でまさに「社会全体の合意を得た上で広く浅くコストを負う形で」実現したものだ。だがもし、当事者たちが「分断の楔」に足を取られていがみ合っていたら、絶対に実現しなかっただろう。

から

 抗議者「(デモに)参加した女性顔写真さらす」「トランス差別をやめろ」=攻撃レッテル貼り

 デモ側「男女以外の性別はない」「ヘイトスピーチ批判される意味が分からない」=言うこと言っておいて知らん振り

……なんていう、無自覚でも意図的でもお互いに対する攻撃は何も生まなくて、落ち着いて話し合いと協力を目指すのが唯一正解への道だと思うし、その際には、いかにして多数の人に訴えを届けるかについて方策を練った方がよいと思う。

たとえば(くだらないたとえ話だが)、「風呂場に『身体男性』の人がいることで受ける恐怖」を理解させるためには、「風呂場に『身体女性』の人がいて情欲を感じないと断言できるか」と考えさせてみるのもいいかもしれない。それに対する答えはもちろん多様でありうるだろう(「すでにゲイ男性が入っていることは避けられない」「自分情欲を感じない」から「むしろ自分が気恥ずかしい(のでやめてほしい)」に至るまで)が、そういう議論男性の間で起こっていない時点で、この問題はまだ社会全体で共有できていないということなのだ。ぶっちゃけ男性同士がこの問題上記のような観点議論しているのを見たことがない。

……と言うと、「その程度の想像力がないのか!これだから男性は…」とか毎度毎度のように絶望しはじめる人もいるかもしれないが、当事者でない限り人間にそうそう便利な「想像力」が発揮できるわけない、ということすら毎度毎度想像できないならそんなこと言わない方がいいと思う(つまり馬鹿馬鹿と言っても無駄だと気付けないのは十分馬鹿だ、ということ)。そうやって味方同士刺しあうより、手を取り合う方法検討した方がよい、というのがこの書き込み趣旨だ。上で見たように、わずか一つの「楔」が運動全体を崩壊させるのならば、逆にそれを打ち消す「絆」を実現するのも、意外とちょっとしたアイデアや行動であったりするかもしれない。それはそんなに難しいことじゃないかもしれないのだ。

2023-10-21

むね肉って時々ハズレがある、臭いがきつい時がある

高いむね肉買えばいいんだけど、グラム100円切るのを買っちゃう

やはり下ごしらえは必須だな

anond:20231021101949

スマホがなかった時代に戻らないことと今の社会ではスマホが(周りがみんなスマホだよりだからと言って)必須かどうかは独立した問題だぞ

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