はてなキーワード: サマルトリアの王子とは
英語版での名前はRoge Fastfinger(GB版のみLagos)。「Fastfinger」=素早い指捌き、という意味なのでこれは名字というより二つ名のようなものだろうか。
水門のカギは【満月の塔】に行くのに必須、さらに言えば敵地【ロンダルキア】へ乗り込むために必要なアイテムの中の一つであるため、このラゴスを探すことが【5つの紋章】探しと並ぶ中盤の大きな目的となる。
捕まって【ペルポイ】の町の【牢屋】にブチこまれた、という所まではあちこちの人の話で足取りを掴むことができる。
やたらと強い【バピラス】や、やたらと弱い【サマルトリアの王子】との格闘の末、ようやくペルポイに辿りついた【ローレシアの王子】に向かって看守が言い放つのは、
という絶望的な一言。町の中でいくら聞きこみをしても、その後の足取りはさっぱり掴めない。
FC版ではここで詰んでしまった人や、ここの謎解きだけに数週間を要した人も少なくないという。
ラゴスを追って【ザハン】へ来た男がいることからザハン内を探し回ったプレイヤーもいるだろう。しかもこの町の隅にいる男、わかりにくいところにいるうえ「オレはラゴス…」の出だしで話し始めるため、一瞬喜んだプレーヤーもいるかもしれない。
【ベラヌール】の看守も、特定の囚人を厳重に匿っていながら意味深な台詞を吐くので、【ろうやのカギ】入手後はこちらを探したプレイヤーもいるかもしれない。
本当のラゴスの居場所、それは「ペルポイの牢屋の壁の中」である。
右側の牢屋の中に入り、上から2マス目の黒い壁に向かって右に進むと突如画面が【屋根】の外に切り替わり、そこにラゴスがいる。また、その上のマスで右を向いて【はなす】を実行することでも話しかけられる。
ラゴスの脱走したマスだけなにか壁に目印があるなどの配慮は一切なく、まるでノーヒント。真っ黒な壁のうち1マスだけ壁の中へ進入できるなどと、誰が思っただろうか?
同じ仕掛けはダンジョンなら山ほどあるが、通路の構造がまったく違う町中で同じようにこの仕掛けに気付くのは、ほとんどの人にとって意外に、そして相当難しい。場所にとらわれることなく分け隔てせず判断する視野の広さと、疑り深さが問われる。
前作では攻略必須の【ガライの町】で同じ仕掛けがあったが、DQ2が初プレイの場合かなり難解な謎解きとなる。見張りの【兵士】の台詞を鵜呑みにして牢屋の中を自分で調べず、ここにラゴスはもういないと頭から信じ込んでしまえば詰みである。逆に、「脱走?一体どこから…」と疑問を抱ければ解決は目前。
一応、間接的なヒントとしては各地のほこらの構造がある。【旅の扉】でワープした先の扉を開けてみたら、外からは見えない黒い壁の中だった、という例がある。また、牢屋のカギ自体も同じペルポイで購入できるというのも配慮された結果かもしれない。
しかし厄介なことに、牢屋は屋根の下にあって、近付くとマップ切り替えが起こるのだが、このときラゴスのいる部屋の一部がぎりぎり見えていて、そこは何もない壁。つまり無意識に、ラゴスの部屋の向こうは押しても何もないと誤認してしまうのである。実際にはもう少しだけ上のほうにラゴスが隠れているわけだが。
上述の通り発見が非常に難しいためか、ラゴスの居場所については当時様々なファミコン雑誌や少年誌にヒントが掲載されていた。
あるラジオでもラゴスに関わる話をしているが、攻略をヒントにしたラジオドラマではダンジョンのBGMを流すことでダンジョンにいるものだと引っ掛けている。
【完全攻略本】には手描きによる町のマップが掲載されたものの、恐らくネタバレ配慮のためかラゴスがいるはずの場所は普通に壁として描かれているため、このマップを見ても仕掛けはわからない。
当のラゴスという人物についてだが、なんでも壁をブチ抜いて脱走を試みたものの、壁の中で引っかかって動けなくなってしまったらしい。
看守に逃げられたと思われている状態で食事やトイレはどうしていたのだろうか?
また、話しかけると潔く観念して水門のカギをくれるが、看守に没収されずに済んでいた理由も不明のままである。
投獄される直前に飲み込むなどして体内に隠したか、他人の目からは価値があるように見えないカギだったせいで看守にも見逃されたのだろうか。
というのも、水門のカギはテパの村民から見れば非常に重要な品だが、ラゴスが持っていても何の役にも立たない代物。
それは他の商人たちにとっても同様で、売却しようとしてもFC版の頃から値段はつかない。
鍵を盾にとって村を恐喝するという手法も考えられるが、ラゴスが村を脅した様子は特になく、犯行動機が全く見えてこないのである。
本人は見つけられたときに子供じみた軽い台詞を吐くので、ただの悪戯や愉快犯的に盗んだのだろうか。
あるいは、「本来のお目当てである金品をごっそり盗んだら結果的に水門のカギも一緒に盗んでしまった」など、ラゴスにとってもある種の事故だったのかもしれない。
返してもらった後の台詞もまるで無垢な少年そのものの口調で話す。
アイテム欄が満タンで持てない場合でも、そのスキに逃げようともせずその場で待ってくれている。余談だがその時の台詞が、よりにもよってそれに似つかわしくない人物に使い回されており、ちょっとしたネタになっている。
SFC版Ⅰ・Ⅱの公式ガイドブックには「人々の耳目を驚かすためだけに盗みを働く」と紹介されている。ただ単純にテパの人々を困らせたかっただけの愉快犯であろう。
さすがに意地悪すぎると思われたのか、リメイク版ではラゴスがハマっている壁の前の床にヒビが入っており、ノーヒントでも割とわかるようになっている。
ただし居場所が牢屋の右上から右奥に変わっているため、画面を切り替えずに「はなす」だけで見つけることはできなくなった。
ガラケー版以降では優遇され、SFC版【公式ガイドブック】のイラストに準じた専用グラフィックになっている。
そしてスマホ版は縦長画面のため、なんと彼の居場所が建物の外から丸見え。そもそも謎解きですらなくなった。FC版と比べると異常なまでのヌルゲー仕様である…。
幼少の頃、俺には親友がいた。
俺が通っていた幼稚園にそいつは転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。
未熟児で早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。
そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。
一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。
俺たちは同じクラスだった。
放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。
家に遊びに行く前には必ず電話をした。
当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。
「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」
社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。
夏休み、一緒ドラゴンボールの映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。
ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。
まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。
どうすればいいかわからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言。
「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」
知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。
でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。
「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。
2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。
そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。
俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。
俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。
船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。
3月になり、ついに別れの日が訪れた。
初めて乗る始発の電車。ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。
どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。
そんな子供の願いは当然叶うことはなく、電車はすぐに終着駅に着いた。
「バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」
5年生の頃だ。
俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉が不自由だ。
クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。
俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。
そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。
当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。
殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。
その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。
親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。
その時自分を庇い、寄り添ってくれるような友人は一人もいなかった。
俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。
泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。
俺はそのシールを、当時自分にとって一番大切なものだったスーファミの本体に貼った。
なんて返事をしたかは覚えていない。
時は過ぎ、中学2年生になった。
あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。
その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、
鬱屈とした気持ちが収まることはなく、人から向けられる悪意に敏感な人間になっていた。
俺は早く親友と会いたかった。親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。
始業式の日、ドキドキしながら学校に向かい、クラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。
教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。
俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。
どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。
そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。
そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、帰国子女であることを鼻にかけ、
スクールカースト上位グループに絡みたがるような痛々しいやつになっていた。
そいつは部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。
俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。
一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。
でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。
何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。
俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分の気持ちはあの頃から変わっていないと思っていた。
でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。
いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分のプライドを守っていたのかもしれない。
俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。
つい先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。
ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、
そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。
そうして育んだ絆の上になら、きっと「それ以降」が続いたはずなんだ。
今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽を聴くと、少し涙が出そうになる。
「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺には幼少の頃、親友がいたんだ。
もう何十年(35年)も前で、2だけリメイクやってないから記憶が朧気だけど、
サマ子が言われているのはだいたいこんなん
・仲間にするためにすれ違いばかりでイラつく(合流時のセリフでさらに煽られる
など
これらについては、色々擁護できる点があったり(すれ違いはお互い様とか)、リメイク版とか後の設定とかで改善されてたり(そもそもFC版ではバランス調整不足のあおりを食らってた)と、近年では見直されたりしてるらしいが、
それ以前に凄く重要なことをみんな忘れてる
脳筋仕様になったロー子がプレイヤーの分身だから見て見ぬふりをしてるのだろう
あの世界、もし仮にパーティでの冒険ができない仕様だった場合、一番クリアに近いのはサマ子さんだということを
確かに序盤~中盤は苦労するだろう
ロー子が薬草かじりながら道中の雑魚を殴り、魔王を倒せるようになるぐらいのプレイ時間あれば、サマ子もさすがにロト装備ぐらい身に着けられる筋力得られるはず
ムー嬢さんは傭兵(肉の壁)雇って……みたいになるのだろうか。魔法効かない敵に対しては、お祈りパルプンテぐらいしか打てる手がなく、ソロではさすがにきつい。レベル上限まで鍛えたらどうなるか知らんが。
ドラクエの「勇者」はざっくり説明すると「魔王」と対峙するものである。
まおゆうは言わずもながであるが、転スラの「勇者」と「魔王」の関係はドラクエに近い。
ドラクエといえば「勇者」と思われがちだが、「勇者」が主人公のナンバリングは 1、3,4,11 と少ない。8 や 9 に至っては「勇者」の概念がかなり希薄だ。
また、先ほど述べた「魔王と対峙する勇者」も厳密には 3,4,5,10、11 のみとなる。
最新作の 11 は「勇者」らしい勇者であるが、作中では追われる立場にある。
「勇者」を職業として見た場合、デイン系の魔法やベホマズンが使えるのが特徴だ。ただし、「勇者」だけが使える特権というわけでもない。また、「勇者」のみが装備できる武具が存在し、それが「勇者」の証でもある。
ほぼすべてのナンバリングに言えるがドラクエは「勇者」というよりも「血統主義」の方が濃いと思う。
作中のセリフから推測するに、主人公以外にも「勇者」が旅立っているようだ。
1 同様にロトの子孫であることが重要視される。「勇者」として扱われることもあるが、物語上は「ローレシアの王子」としての立ち回りが殆どである。
サマルトリアの王子、ムーンブルクの王女もロトの末裔であるが、ロトにまつわる武具を装備できるのは主人公であるローレシアの王子だけである。
オルテガもその子も、魔王バラモスの討伐に旅立つことから「勇者」と呼ばれるのだろう。
生まれながらに特別な力を持っており、勇者にしか装備できない武具がある。
4 と同じく天空の勇者のみが「勇者」であり、それを探すのが主人公の目的となる。
ダーマの神殿で転職できる。特定の職業を習熟すれば、誰でも「勇者」になれる。
ただし、主人公は他のキャラクターよりも「勇者」になる条件が緩い。
主人公は「勇者」ではないが、伝説の武具を装備できるなど、5 までの「勇者」に近い特性を持つ。
6 同様に「勇者」は職業の一つ。ただし、6 のように主人公が勇者になりやすいなどの遊具処置はない。
主人公のみが装備できる武器が存在するが、6 程に特別感はない。
主人公はデイン系やベホマズンが使えるので「勇者」的なポジションだが、作中ではドラクエ的な「勇者」の概念は存在しない。
クリア後に「勇者」と呼ばれるシーンがある。3 のラーミアと同一とされるレティスとの関わりや、裏ボスが竜神王であることから、これまでのナンバリングに則り「勇者」と呼ばれているような気がする。
転職システムはあるが、6、7 のような職業としての「勇者」も存在しない。
天使であるため人間ではないが、天使として特別な血統を有するわけではない。
主人公は「勇者」ではない。基本的には、人間以外の種族で冒険を行う。
生まれながらに特別な力を持つ、さらに亡国の王子と属性てんこ盛り。
デイン系やベホマズンが使え、専用装備も存在するなど、システム面でも過去作の「勇者」の特性を有している。
ただし、物語上は追われる勇者で必ずしも讃えらる存在としては描かれていない。
まとめてみると、元増田のイメージするドラクエの「勇者」は 3,4,5 ではなかろうか。
ただし、5 は主人公ではないけども。
2は回復役はサマルトリアの王子とムーンブルクの王女の両方だけど、ムーンブルクの王女が攻撃魔法も使えるのに対しサマルトリアの王子はサポート役っていうか、FC版だと蘇生呪文のザオリクを覚えるのは彼だけだし。
4の女性キャラは女性主人公を選んだ場合を除けば3人いるけど、回復できるのはミネアだけ。でも回復役はクリフトっていう男性キャラもいるし、女性だけの仕事じゃない。他の二人の女性キャラは呪文と物理の攻撃係をやっている。
5は明らかに主人公(男性)や息子が回復役。どっちも攻撃もできるけど。で、嫁さんや娘はバンバン攻撃呪文を使うタイプ。
6もミレーユという女性キャラが回復サポーターになるけど、同じ役回りにチャモロという男性キャラもいるのでやっぱり女性だけの仕事じゃない。もう一人の女性キャラバーバラは攻撃呪文を使う役をやっている。
7は転職システムのおかげでどのキャラもなんでもできるようになるので割愛。
8の回復役は主人公(男性)とククールという男性キャラ。いや、ククールはタンバリン係なので実質は主人公。女性キャラのゼシカはやっぱり攻撃呪文でバリバリ戦うキャラですな。
9は3と同じく主人公が男女両方から選べるし仲間も性別込みで好きなようにキャラメイクできるので割愛。
10はオンラインゲームなので今までのシリーズとは毛色が異なるけど、勇者はアンルシアというお姫様で、まぁ彼女は回復も含めて万能か。
11はやっぱり主人公の回復が一番強力。他に回復できるのはセーニャという女性キャラとロウという男性キャラ、あとシルビアというオネエキャラで、とても性別のバランスが取れてる。
ってか、ドラクエのキャッチコピーは「人は誰かになれる」という、ロールプレイングゲームのロールプレイというところに一番軸を置いているもので、多分性別で役割を固定するということは意図的に排除していると思われる。だってドラクエ3(1988年発売)時点で勇者が男性女性どちらも好きな方が選べるし、仲間も男性女性そして職業が好きなように選べるシステムを導入している。
これは明らかに男の子が女の子として遊んでもいいし、女の子が男の子として遊んでもいいよというメッセージ。「人は誰かになれる」んだから、そこに性別の枠を置く方がおかしい。
東浩紀さんが中心となって出した「ゲンロン8」ゲーム特集の内容について、主にゲーム開発者の方々が批判して炎上している件。
ざっと見た限り、電ファミニコゲーマー編集長の平信一さんのtwitter・Facebook周辺が一番熱いようです(東浩紀さんご本人の他、イシイジロウさん、米光一成さん、大前広樹さん、濱津英二さん、島国大和さん、多根清史さん、清水亮さん、川上量生さん、やまもといちろうさんなどもコメント。平さんご自身は、ものすごく冷静ですが)。
中でも、痛烈に批判しているのが、ゲーム開発者の岩崎啓眞さんのようです。
Facebookの公開投稿も検索して見てみたのですが、岩崎さんの以下のコメントが箇条書きでまとめられていて、わかりやすい。
https://www.facebook.com/jun.okada.906/posts/2082518138456655
岩崎 啓眞 今回、ゲンロン8を読んだことで本当に思ったこと。
1)ゲームは技術と複雑に絡み合ったプロダクトであり、フルタイムで仕事にしている人間とそれ以外でとんでもない差がある。
2)特にスマートフォンになってからは出る数も膨大になり、そもそもの調査の段階からフルタイムVSアマチュアでは差が出てしまう。
3)技術を知らず、調査しきれない人間と調べないとリングに上がることもできない世界で生きている人間では「基本のラインが違いすぎる」
4)結論:作り手と同じレベルの話を出来るようになってから来い。
最初は怒ったけど怒る気すらなくなった。
なかなかすごい。
しかしこれはどうなのでしょう?
銀座のいろんな寿司屋にけっこう通ってる客が「サーモンはA店、まぐろはB店が旨い」などと語っていたら、
寿司屋の大将が「サーモンは輸入なンだからどこの店だって同じでぃ。素人は寿司を語るな」と言っているようなもののような気がします。
サーモンに関しての事実誤認に関してはそうなのでしょうが、だからって寿司を握った人でないと寿司を語ってはいけないというのは言い過ぎではないでしょうか。
岩崎啓眞さんがふだんどのようにゲームを語っておられるのかと思って、ググってみて、最初に「「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】」という記事を見つけました。
その中に、以下のように書いてあります。
http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b
プレイヤーがバトルに敗北したとき、『ドラクエ』は経験値やキャラクターをロストせず、所持金を半分にして、最後に訪れたリスポーンポイントから復活させるシステムなのだ。
「最後に訪れたリスポーンポイント」と書いていますが、ドラクエ1のリスポーンポイントはラダトーム王の1マス下のひとつだけで他にありませんので、「最後に訪れたリスポーンポイント」の部分は正確な表現ではありません。
http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b/2
1. プレイヤーはひとりで旅を始める
→これは『ドラクエ』と同じ構造にしてプレイヤーの負荷を下げるため
→ここも『ドラクエ』とほぼ同じ構造になっている。なお『ドラクエ』というゲームの偉大さのひとつは、このチュートリアルを30年経ってもやることだ
とありますが、ドラクエ2の1人目のプレイヤーキャラ(ローレシアの王子)は魔法(より正確には呪文)は使えませんので、4の「ふたりめの王子(引用者注:=サマルトリアの王子)がパーティに加わる」前の話なので、「2. アイテム・装備・魔法の使いかたを覚える」の「魔法」の部分は事実誤認です。
このように、ゲーマーの基礎教養であるドラクエ1・2に関しても事実誤認があります。
実はやってないのでしょうか? うろ覚えなのでしょうか?
このような事実誤認によって、この記事全部が意味がないものになるかというとそんなことはなく、変わらず大変興味深い指摘だと思います。
「事実誤認を見つけたからこの本・記事は意味がない」という姿勢はいかがなものか、ということです。
そんなことはないのでは。
事実誤認があれば指摘して、著者も素直に訂正し、それとは別に議論を深め、ゲームに対する言論を高めていく、というのが健全ではないでしょうか。
だって、ゲームを本気で語ろうなんていう人たちの規模はこんなにちっちゃいんですから。
ゲーム開発者が、ゲームの遊び手がゲームを語るのを弾圧するっていうのは本末転倒では。中国政府ですか?
ゲーム開発者の方は映画やアニメを語るのが好きな人も多いですが、「映画(アニメ)作ってないお前に語る資格はない」って言われたら嫌でしょ?
あとオンラインゲームやオープンワールドやスマホ・ブラウザゲームなどはメジャーなものだけでも全部まともにやるのは、一般社会人にとっては時間的に不可能な現実もありますので、「このゲームすらやってないのか」的な言いがかりも、いまの時代、やめた方がいいのかなーと。
全部やるのは無理だから、教えあうしかないんじゃないですかね。
https://www.facebook.com/TAITAI999/posts/1977782982291793
じゃあ一方で、ゲーム業界側(ゲームメディア含む)が、その”正しい認識の歴史”とやらをきちんとまとめるなり、伝えるなりしてきましたか?というと、少なくとも僕は見たことがないんですよね。(…)
つまり、いわゆる“ゲーム業界人”(あるいはコアゲーマー)は、長年の経験を踏まえて正しい文脈を知っているかもしれないけど、それを整理して残す努力はしてないんじゃないかと思うのです。それって、僕からすると「ゲーム業界側の負い目」に思えてしまう(少なくとも、ゲームメディアがやれてこなかった仕事だと思う)。そりゃ、業界の外の人が分からなくて当然だろうと思うのです。
とおっしゃっているので、平さんあたりが音頭を取って「ゲーム業界人から見たゲームデザイン史」的なものを作ってくださるのも素晴らしいと思います。
今回の議論でもある通り、ゲームには作り手でないとわからない高度な技術的な側面がありますので。
あ、ただ、それを「正史」にする、という発想はまた違う気もしますけども。
映画業界人が作った「映画正史」とか、小説家組合が作った「文学正史」みたいのはあまり聞いたことないので。作り手が主張する歴史が正史だ、っていうのも、なんか中国政府っぽくないですか?
そして最後にゲーマー日日新聞J1N1さんのこの部分を引用しておきたいです。
そこで自分が言いたいことは一つだけ。自分たちのゲームは自分たちで語るべきだということだ。
自分たちのゲームを語り、周囲の人や後世の人に伝えるのは、自分たちしかいない。批評家や評論家の肩書を持った偉い人たちや、経済的な課題を常に抱えるメディアに、全て丸投げする程期待してはならない。
恐らく100人中100人が違うと答えるかもしれないが、私の中では鬱ゲーにカテゴリされている。
私(男)は幼い頃から二人の姉にアニメ、少女マンガ、ラブコメ、BL等を押し付けられ、
「あのキャラとあのキャラはくっついている」という姉達の妄想を事実として受け止めていた。
サマルトリアの王子がBL要素で入ってくるという妄想を自発的に考え出す過激派となっていた。
姉達も時より私を怯えた視線で見る程に。
それから私は様々なRPGをプレイし、全てのキャラを恋愛に持っていく危険な思想に磨きをかけていた。
そんな考えが早くも確立してしまった小学校5年生の時、私は聖剣伝説2と出会った。
ランディもプリムもどストライクなキャラデザな上に、その間にポポイという妖精がいることに涎を垂らした。
しかし、プリムはディラックという恋人がいて、そいつを探す為にランディ達と旅を共にする。
私は変な所で真面目だったので、既に恋人がいるキャラに対しては全く妄想が働かなかった。
その上プリムの恋人いるくせにランディに嫉妬?憎まれ口を叩いたり強気な性格が、女性特有のわがまま
(当時私は姉達のわがままっぷりに辟易していたのであえて「女性特有」と書く)さにゲームキャラとは思えない生々しさを感じ、
そして恋人のディラックはあんなことになるし、ポポイもあれだし、迎えたEDも凄い複雑な気持ちで見ていた記憶がある。
最近、ファミコン版ドラクエ2をクリアした。バランス調整がおかしいとか、散々言われているだけあって、想像以上にしんどく、クリアにはなかなかの達成感があるので、一度遊んでみるのは割とおすすめ。
ドラクエ2と言えば、サマルトリアの王子の弱さとロンダルキアへの洞窟の難易度の高さがよく槍玉に上げられるんだけどさ、前者については遊んでいてよくわかる。攻撃力も中途半端すぎて打撃にも使いにくいし(そもそも最強武器が「てつのやり」の時点で‥‥)、かといって強い魔法を覚えるわけでもなし、ベホマを覚えないから回復にも使いにくい。そんなわけで「ちからのたて」を上げ下げして、攻撃を受ける壁になってもらうしか、活躍の場がない。でも、コイツが壁になってくれないと、他のメンツに攻撃が集中して全滅の危険性が高まるから、弱いといってもいるだけマシという状況ではあった。
そして後者のロンダルキアへの洞窟なんだけどさ、率直に言ってネットで言われているほど、難しいか?あれ。
いや、もちろん攻略情報一切なしだと難しいと思うよ。攻略情報を見ながらのクリアだから、落とし穴&無限回廊のトラップには苦労せずに踏破できたというのも大きいし。でもダンジョンマップや落とし穴&無限回廊の情報なら、当時の攻略本(徳間書店版のドラクエ2攻略本)にも書いてあるから、それさえあればさほど苦労するようにも思えない。攻略本を見ながら遊んでる人も多いだろうし。ロンダルキアへの洞窟をざっと解説すると、以下の通り。
そんなわけで、攻略情報があったから‥‥という前置きがつくものの、6階以外はあまり苦労しなかった。モンスターも基本的にはドラゴンに気を付ければいいだけだしね。
何回も言うけど、もちろん攻略情報があれば、という前置きはいる。でも攻略情報なしでのプレイなら、ロンダルキアへの洞窟をクリアする前に行くことになる海底の神殿も相当しんどい(フェイクの階段が多すぎる。泥人形のおかげで魔法が使えない。そのくせトラマナを使わないと、マグマでダメージを受ける)と思うけど、こっちはあまり槍玉に上がっていない。
そして、ネットで言われているほど、ロンダルキアへの洞窟はあまり難しくないんじゃね?と思ったのは、洞窟踏破後のロンダルキア台地&ハーゴンの神殿がそれを遥かに上回る鬼畜難易度過ぎて、洞窟の苦労なんて可愛く見えるレベルに酷かったってこと。ザコ敵相手の戦闘でも、常に中ボス戦を挑んでるような緊張感があって、レベル上げや移動するのが本当にしんどい。一体、何度復活の呪文を捏造するツールを使いたくなったことか。ほこらで常にできるって安心感はあるけどね。
あとしんどいと言えば、ムーンペタ~ルプガナの移動も。やたらと距離がある上に、途中でドラゴンの角を踏破する必要もあり、さらにマンドリルの襲撃に怯える必要も‥‥。
だから、自分の中だとドラクエ2のしんどかったところって「ロンダルキア台地>>>>>>>>>>ムーンペタ~ルプガナの移動>ロンダルキアへの洞窟>サマルトリアの王子が仲間になるまで>海底の神殿」って感じ。ロンダルキアへの洞窟はヤバいってことを散々聞かされて遊んでたから、実際に遊んでみると拍子抜けたってのも大きいか。
一応言っておくけど、ロンダルキアへの洞窟が簡単とは言ってないからね。言いたいことは、ロンダルキアへの洞窟の難易度の高さが独り歩きしすぎて、あまりにも話が盛られてるんじゃないの?と、ということ。もちろんダンジョンとしては確実に難しい部類に入るし、ドラクエ2を象徴するダンジョンでもあるのは間違いない。
追記 2017/04/21 19:00:
「攻略情報があれば楽に決まってる」ってコメントがちょくちょくありますが、そんなこともちろんわかった上で書いてるよ。だからこそ、本文中でしつこいくらい「攻略情報が~」って書いてるんだから、そこは無視しないで欲しいな。
攻略情報ありでファミコン版ドラクエ2を遊んでいて思った率直な感想として、攻略情報ありだと「ロンダルキアへの洞窟」は世間的に言われているほど難しくない、一方「ロンダルキア台地」は攻略情報があって、マップやモンスターの対策方法がわかっていても、泣きそうなくらいの鬼畜難易度で何度も心が折られかけたということ。攻略情報があっても異常な難易度を誇るんだから、難しいのはロンダルキア台地の方で、ロンダルキアへの洞窟は攻略情報があれば意外となんとかなってしまうから、洞窟ばかり難しいと持ち上げられるのは、やっぱり話が盛られている面もあって過大評価じゃないの?と思ったわけで。だからこそ「洞窟を出てから本番」ってのは、ものすごく同意する。実際、祠につくまで何度か全滅したし。
まあ今のご時世に攻略情報ありでファミコン版ドラクエ2を遊んだ率直な感想だと思ってくださいな。攻略情報ありだと、ロンダルキア台地の異常な難易度がトラウマになって、洞窟への印象は薄いんです。
(通常攻略と同じ部分は省略)
1:ラダトームで最強装備を整える→いきなりメルキドへ行って最強装備を買う、が出来ればいいが流石にメルキドへ行くのは門番のゴーレムに勝てない。最低限マイラに寄って一段階上の装備を買うべきか。
2:リリザで最強装備(ちなみに鎖鎌、鎖帷子、皮の盾)→サマルトリアの王子を仲間にしたらリリザでサマルの最強装備(ローレシアと同じ)→ムーンペタでローレシア王子に鋼シリーズ→船入手後、ザハンで金の鍵入手→ペルポイで光の剣などを買う
3:レーベで最強装備→ロマリア到着後、アッサラームへ→ポルトガで船を入手したらランシールで消え去り草→エジンベアでかわきの壺入手→サマンオサで最強装備
4:カジノのコインをひたすら買いまくれば、いのりの指輪を大量に入手して実質MP制限がなくなる。はやぶさの剣も勇者が使えばそれなりに役立つ。(5章限定)船入手後、ミントスから南南西に行ってリバーサイドでドラゴンキラー・メイル・シールドを買う。
5:オラクルベリーのカジノでエルフの飲み薬(MP無制限)、世界樹の葉(ザオリク代わり)、メタルキングの剣、グリンガムの鞭が手に入れば後は楽。
6:上ライフコッドで精霊の鎧を買ってミレーユに装備させ、サンマリーノのカジノで魔法の聖水、ドラゴンシールド、プラチナメイルを入手すれば楽になる。(世界樹の葉は欲望の街まで置いていない)
7:過去・現在のダーマ神殿手前の宿にあるカジノで、ラッキーパネルに無制限で挑戦できるが最終的には根気と運の問題の方が大きい。
8:パルミドのカジノで魔法の聖水とルーンスタッフ(使うとスクルト)が手に入る。
9:船入手後、カルパドの集落とエルマニオン学園で装備を整えられる程度。