はてなキーワード: 平行線とは
ブコメ見てると「マネジメントする人間が悪い」という論調と、「マネージャーはスーパーマンじゃないよアホ」という議論が平行線だ。
これを見ていると、今の日本人は他の人のせいにする他責型の人間が多いのが問題の原因かなと思ってしまう。
いま、自分の会社ではインターンの取り組みを行っているが、「外国人」のインターンと「日本人」のインターンの学生が全く違った話をしたい。
先月、外国人のインターンプログラムに参加したなかで、ベトナム人やインドネシア人のインターンと一緒にディスカッションをした。
まだ21歳前後の彼らだが、日本人のマネージャークラスに匹敵する優秀さだ。
「自分はこの日本へ来たことを活かして、日本の法律について学びたい」「日本とベトナムの人材育成について学んで本国で生かしたい」「私の将来の夢は、日本の介護について学び、将来の自国の介護システムをつくる会社をおこしたい」
とにかく発想が自分事なのだ。彼らはこれからの自分の未来を自分で切り開いていけると信じている。
また、インターンにもかかわらず、インターン先の会社組織について学び、今いる会社をよくしようとする案も積極的にぶつけてくれる。
また新しいビジネスも積極的に提案してくれて、すごく感心する。
一方、今週、日本の就活中の大学三年生のインターンプログラムを行ったところ、あまりの差に愕然としてしまった。
・将来の夢について聞いてみたところ、誰一人として答えられない(10人もいたのにだ)
・質疑応答の一番最初が「有給休暇はどれくらいとってますか?」
・仕事内容に関する質問はゼロ。9時~18時まで働く会社の内容を何も知りたくないのだろうか。
とにかく、自分で何かをしようという気概が一切感じられない。与えられたものに対してYESやNOを言うだけだ。
かわいそうだけど、この人たちは全員わたしの部下にはしたくない。
上記の出来事は直接イキイキママ問題とは関係ないが、「マネージャーの苦労を考えずに制度を主張する他責型の人間」と、
「現実にマネージメントしていかなければいけない苦労をわかってほしいマネージャー」の溝が、今回の議論が平行線に終わってしまっている原因かなと思った。
マネジメントする側としては、当然産休や育休については考えているし、子供がめでたいのはわかるので祝福してあげたい。
でも、業務に穴をあけるのは事実であり、すぐに穴を埋めるのが難しいこともある。それに対する理解もして、配慮してほしいということだ。
「こういった業務改善をすればよいのではないでしょうか」「これから育休をとる会社だということをPRし、採用活動に繋げることが出来れば会社も発展するのでは」
こういった前向きな発想をしてくれるのであれば、こちらとしても育休・産休をとるのは大歓迎だ。
この際、姿勢だけでも構わない。アイデアだけでもこちらとしてはうれしいのだ。
産休・育休をとることを個人と会社にとってどうプラスにしていくのか、お互い共通認識をもって歩むことが出来れば、だいぶ社会は良くなると思う。
一応俺なりにがんばって、NHKのクローズアップ現代のサブリース問題の回をばあちゃんに見せたり、国民生活センターや消費者庁の資料を紹介したり、地元の人口動態資料持ってきたりしたんだけど、ばあちゃんに全然響かず…。
ばあちゃんは「あやしい会社もあるけど、うちがお願いする不動産会社さんは信頼できる。いい土地だし、人が減るっていってもそんなに深刻じゃないでしょ」と言ってて、正直不動産会社のことを信用しちゃってるし、今後急激に人口が減るってデータがあっても生きてる間にそんなことが起こったことがないから実感がないから全然ピンときてないんよね…。
むしろばあちゃんとしては「息子・孫に家賃収入を遺せる」といいことしてると思ってるくらいで。
俺「そんなん建てられても、ローンが残って困る。」
ばあちゃん「ローンは残るけど、家賃収入から返せばいいじゃない。」
俺「いやいや、人口動態見ても下手したら10年後くらいには借り手がつかなくて困る状況になるのは目に見えてる。」
てな感じで完全に平行線。
透視図法の基本はこれだけ。
昔、美術の授業で二点透視図法を習ったとき、斜め向いてる複数の箱を描けるようになって満足していたが、そのすぐ後には
「あれ?これだと、違う角度で斜め向いてる箱はうまく描けないじゃん」
みなさんは、幼い私のこの疑問に答えられますか?
相当後になってわかった答えは、
だった。
なんじゃそれ、ぜんぜん二点透視じゃないじゃん。
これは四点透視とでも呼ぶのか?もちろん呼ばない。これは相変わらず二点透視だ。
平行線は何本あろうとも、無限に彼方の同じ点に向かって消失していく。これを消失点と呼ぶ。
それはすべての線が平行である場合に限るのであって、別の角度の線は、別の消失点に向かう。
ただし、観察者の目線に対して垂直な線(つまり、キャンパス面に対して平行な線)は、消失点を持たない。
なぜならどこまで伸ばしてもキャンパス面から離れられないからだ。
上段を踏まえ、1個の立方体について考えてみる。
立方体には辺が12個ある。これらは4つずつが平行になっている。つまり、平行線のセットは3組ある。
3組の平行線があるということは、消失点が3個できるということだ。
これが、三点透視図法、ということになる。
また、平行線の組のうち、キャンパス面に平行なものがあれば、そのぶんだけ消失点は減る。
たとえば観察者の目線が水平であり、かつ立方体が水平な状態(床に置いてあるなど)であれば、12本の辺のうち鉛直な4本はキャンパス面に平行なので、消失しない。
さらに一つの面がちょうど観察者を向いている状態なら、横向きの4本の辺が消失しなくなり、消失点は1つ。一点透視図法。
要するにこれだけの話だったことを、誰も教えてくれなかった。
描きたい物体が、全て同じ向きの直方体のみで構成されていれば、上の議論により最大三点までの透視図法で対応できる。
でも、ちょっとでも違う角度の線、たとえば立方体の上に45度回転した立方体が乗っている、みたいな図を描こうとすれば、三点では足りない。
そんなのはないなら、初めから一点透視も二点透視もないんじゃないか。
あるのはただ透視図法だけ。
女性に対して危害を加えず理解があるとか、美的センスが高いとか。
けど結局地に落ちてるのは公衆浴場などで見境なく乱行するところがあるなどの有害性が情報として流れてるからではないでしょうか。
なんでもそうだけど個人の我欲を満たせる量的なもので善悪がきまるのかもしれません。
合成保存料もAVも、一番人を殺してる車も、個人の欲求を束ねることができたから。
同性愛者が自分たちの欲を束ねても、それを安寧を求めている束と対決するためにつかうと結局どちらかが折れる。
共存っていうのは対決じゃないでしょ。
お互いの束が接しなければ潰し合うこともなかったのに。
その切り込み隊長になるテレビの新キャラクターをつかって、境界線を引くのか攻め込んでくるのかで既存の安住者は態度をきめるでしょう。
ほかのマイノリティもいじっていいのか、もちろんだめだろみたいなことになってるけど逆効果だと思います。
まず電気を入れたらむりやり情報が流れてくる媒体で、どんな形でも登場させて既存の環境に適合させるストーリーをみせなくて存在し得ない。
存在していないものを突然理解しようとか日常にあらわれたらそれは異物として反応されて当然ではないですか。
どこかで喫水域をつくって、全員ではないにしても一部が両方を行き来できるようにする、広義の一般とマイノリティを。
できるのはそこまでじゃないですか。
それ以上まぜて選択肢を用意する必要も、実際それが常態化して社会が成り立つとマイノリティの方も思ってないのではないですか。
いまの、いままでに形成されてきた人間の生物生存環境がすべて間違っている、自分の愛こそが人のあるべきだ、とはどのマイノリティの方も思ってないですよね?
抗議するのはよいですけど、先に占領している一般を攻撃するかたちで何度攻め入っても犠牲者を増やすだけで、みなその犠牲者を苗床に爪先立ちでバランスをとる形で社会付近に依存するだけだと思います。
なぜ共存を選ばないのか、という視点から口うるさく抗議してくるマイノリティの方は境界線を腐敗させそこに巣食うことを目的とした問題性のある他生物というイメージがつきがちだと思います。
お互いの束ねた安住の領域を行き来するために傷つけあい、傷口同士を結びつけることで異なる環境を社会の拡張として得るならば、その傷口をつないだ管はとても清潔であるべきだと思いませんか。
輸血する二人の心がどういう形であれ、つないだ管が腐敗していたら両者の被害が甚大だと思うのですが。
どちらかが正しく、吸い取るために噛み付くような対話ではいつまでたっても平行線だと思うのですがまずマイノリティが社会的にマイナーである理由は危険性ではなく少ないだけとか、安全であるとか、そういう交流はできないものなのでしょうか。
そうしたら「キモヲタ」なんて単語は差別丸出し過ぎてすげえなあって思う
ネット上で定義の共有なんて無理なので一生平行線なのはしょうがない
しょうがないとは思いつつ定義の擦り合わせできねえかなあと常に考えてしまう
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。
例えば、ある地図を正しく読み取れるか、という実験があるとする
男性の40%が正しく読み取れて
(もっと言えば、男女問わず地図を正しく読み取れる者、正しく読み取れない者がいる)
こんなところだろう
こんなだったりする
この結果は、地図を正しく読み取れなかった男性と、地図を正しく読み取れた女性を無視している
そもそも5割以上の男性が読み取れなかったなら、男性も「読み取れない」はずなのだが、
一定層居るから、量の話をしようとしても、そういう人には二元論的な話しか理解できないので
平行線になり「差別だ」と言われたり、逆に差別的な結論に至ってしまう
邪魔なのはこういった人たちなのだが、困ったことにそういった人は社会の重要なポジションに居ることも多いし、
どうしてもこじれる
なので多くの者は面倒くさくなって口を噤んでしまうんだと思う
大事なのは政治や会社の意思決定などの重要な画面でそう言った変な者を排除することだが
それが完全にできているとは言い難いだろう
子供ができた。
産まれるのはまだ先なので、夫婦間で名づけについてはまだ話し合っていない。
というか、お互い牽制しあっているといったほうが正しい気がする。
なぜなら、自分は「字画なんてまったくもって興味なし。好きな名前を付けたらいい。」という考えに対し、
相手は「字画は重要。それに合わせて名前またはつかう漢字を考えるべき。」という考えだからだ。
以前、何気ない会話の中でこのお互いのスタンスを話した。
そのときはまだ子供を作ろうとしていなかったので、気軽にこういう話ができた。
ただ、お互い「へーぇ」と言いながら、心の中では引っかかる部分があったんだろう。
その後もたまに話したが、「字画なんてどうでもいい」「いや、字画は重要だ」の平行線だった。
でもそろそろこの問題に対して真面目に取り組まなくてはいけない。
あたりまえだけど、わざと悪い字画の名前を付けたいわけじゃない。
そもそも、字画の概念は誰が言い出したのか、根拠は何なのか、まったくわからないのが気に食わない。
(私の調査不足かもしれないけど)
私の中では、血液型占いや、荒唐無稽な新興宗教の教義と同レベルだ。
どこぞのオッサン(おばさんかも、じいさんかも、ねーちゃんかもしれないが)の根拠もない戯言に
なぜ我が子の、大切な、一生を共にする名前にケチをつけられなきゃいけない?
親(自分たち)の考えより、見ず知らずの赤の他人の、根拠も何もない言葉のほうが大切なのか?
この子は私たちの子だ。会ったこともない奴の謎理論がなぜ介入してくる。
昔は神社やお寺に行って名前をもらうこともあったとかいうのは知ってる。
だけどそれとこれとは別次元だ。
世の中には、字画を妄信して、他人の姓名判断までしてくる有難迷惑な奴がいるのもわかってる。
何よりも大切な我が子だ。
理由があろうがなかろうが「悪い」より「良い」方が良いに決まってる。
それでも、何から何まで「最高」にはできないのだよ。
字画のために、読みを、漢字の意味を、私たちの想いを犠牲にするのか?
私はそれが我慢ならない。
昨今繰り返される、いわゆる萌え絵とそれを批判する勢力の論争。
誰にだって好き嫌いはあるから分かり合えないのは仕方ないねーと思っていたのですが、主張を見ていくとそんな単純な話ではないことに疑問を抱いていました。はて、なぜ彼女らはここまで憎むのでしょう。当の被害者であれば理解もしますがどうやらそうではなく、自分以外の"誰か"のために怒っているように見えます。
その疑問の答えになかなか辿り着けず、もやもやとしていたのですがつい先日、正に天啓の如く閃きを得ました。
まさか、いや、そんな。こんなのは私の思い込みや誤解であって欲しい。しかし、あまりにもあり得ないため完全に眼中になかった可能性を検討してみると全ての辻褄が合ってしまう。
まさか、まさかとは思いますが、あなた方はもしや、「自分が二次元美少女と同一カテゴリの"女性"である」とお思いなのですか?
文字通り次元が違う存在であるにも関わらず、キャラクタが"女性型に描かれている"というたったその一点だけで、自分を含む女性全般の尊厳を傷付けられたと…。なるほどなるほど、それは大変に申し訳ない。まさかその視点はなかったのです。この世の理想と妄想を詰め込んだ完全無欠の二次元美少女が、夢も希望もない現実の女性にリンクするとかそんな烏滸がましいにも程がある自覚を抱くだなんて想像だにしなかったのです。
何でも食べると謳われる広東人だって、四足だからといって流石に椅子と机は食べません。きちんと分別はあるのです。
言うまでもありませんが(そして残念ながら)現実の女性と二次元美少女は全く別の存在なのです。嘘をつけ、女の形をしているだろうが!!と反応したくなる気持ちもわからなくはありませんが、それでもやはり別物なのです(というか、最近は女性ですらない男の娘キャラがジャンルを問わず人気ですがそれすらも外見で同じだと見做してしまうのでしょう)。
たとえば、親兄妹が風呂上がりに全裸でリビングを歩いる姿を見て劣情を催すのか?という話に近いでしょう。可愛いとか格好良いとかそういう次元ではなく、ただただ醜いとか見てられないとかさっさと服着ろと思うのが大半の人だと思います。無論、ごく僅かに例外と呼ばれる人はいるのでしょうが、そんな極一部の例外を大勢のものだと誤解しているのが、萌え絵騒動に於ける双方の擦れ違い・平行線の根幹にあるのではないでしょうか。
繰り返しますが、二次元美少女とあなた方は根源からして違うし、そもそも二次元美少女に抱く"萌える"という感情は三次元には決して抱けないものなのです。"女性"が好きなのではなく、"キャラクタ"が好きなのです。
仮に二次元美少女が現実の女性と等しいものだとしたら、美少女系イラストレーターは全員男性かレズビアンの女性になってしまいますが、そんな話は寡聞にして存じません(西又御大なんてシンデレラ城で結婚式挙げてましたね。おめでとうございます)。
四本足が全て食物に見えてしまう人には理解できないかと思いますが、そもそも現実の女性というカテゴリ自体に興味が全く無いという事実を理解して頂きたいものです。
というと極一部の例外を取り上げて叩くのでしょうが、母数が増えれば一定割合で現れるエラー因子も増えるのは仕方のないことです。警察力を遺憾なく発揮できるよう、監視カメラの設置推進や罰則強化に賛成した方が余程実りがあるのではないでしょうか。
そしてこの生物的な差は、男性は体験できないという一点において、理解されがたい。
また、女性側でも個体差が大きいため、男女合わせての共有が難しい。
この生物的な差を理由に「女性はつらい」「男はずるい」と言うのであれば、「男は望んでも妊娠できない。妊娠できる女はずるい」という論法が成り立ってしまう。
故に、この生まれつきの性差をもとに、「男はずるい」「女はずるい」と言ってはいけないのです。なぜなれそれは、永遠に平行線だし、不毛だから。
当方、フリーの IT 技術者。ある Web ベースのシステムを開発しているのだが、プロジェクトのマネージャー、リーダーをはじめとするメンバーの無知と無理解のおかげで作業が進まずに困っています。
ブラウザーのキャッシュの仕組みを少しでも知っている人なら、非 IT 系の方でも読めるように書きました。ぜひ助言をお願いします。
私は発注元(A 社)に客先常駐している。私が契約しているのは A 社のグループ会社である B 社だ。
A 社内のチームメンバーは以下のとおり。
さて、今開発しているシステム(以下システム P)はもともとスタンドアローンで運用する形態だったが、最近クラウドバージョンの提供も始まり、現在はスタンドアローンバージョンとクラウドバージョンの並行開発となっている。X さん、Y さん、Z さんは主にクラウドサーバーの管理や、私や W さんが作った部分のテストを担当している。
クラウドバージョンの初めてのアップデートを控えた 6 月に問題が発覚した。コードをアップデートすると、ブラウザーのキャッシュが効いていて表示がおかしくなるというのだ。
プログラマー以外の 4 人は実は Web システムの案件は初めてで、ブラウザーのキャッシュの仕組みすら理解していない。X さんから相談を受け、「Web アプリケーションからブラウザーのキャッシュをクリアーすることはできない。代わりに、HTML から読み込まれる外部リソースの後ろに『?v=3.14』のようなダミーのクエリー文字列をつければよい。アップデートのたびに数字を変える。これは一般的に採用されている手法で、これ以外の解決策はない」ということを伝えた。具体的にコードエディター上で修正イメージを見せて、すべてに対応するのに 1 日あればできる、とも。
これで「そうですか、ではお願いします」となれば、テストを含めて 2、3 日で終わった話なのだが、ここから長い混乱が始まる。
X さんから、「変更箇所をなるべく少なくしたいので、前回リリース分と今回リリース分で変更のあったファイルのリストを出してほしい」と言われる。変更のないリソースにはクエリー文字列をつけたくないらしい。
内心呆れつつ、Git (ソースコード管理システム)でファイルの変更履歴を調べ、一覧表を提出した。X さんに「それぞれのページでソースコードを確認し、この一覧表に載っているファイルにはクエリー文字列がついていることをひとつひとつ確認するのですよね。却って手間が掛かりますよ。それよりも、すべてのファイルを対象にしたほうが作るほうもテストするほうも楽です」と伝えた。
6 月も残り 1 週間を切ったある日、Z さんから、「実際に問題になっているのはどのファイルのどの部分か、スタイルシートのどのクラス・ID 指定が効いていないのか、V さんが知りたがっている。原因解明に必要なので調べるように」と指示が出る。
私は「ブラウザーのキャッシュが効いているためで、キャッシュを消すか無効にすれば直る。今までも修正のたびにテストではキャッシュを消してもらっていたでしょう」と説明するが、調べろ調べろと繰り返すばかり。「そんなことを調べて何になるんですか。キャッシュの問題ですよ?」と言うと、Z さんは手をわなわな震わせて、「お客さまが知りたいと言っているのに、『そんなことを調べて何になるんですか』とはどういうことですか!」と声を荒らげる。しまいには「お客さまのご要望にお応えして私たちはお金をもらっている。お客さまからの依頼なら応えるのが当たり前」と言い出す。技術的に意味がないことをいくら説明するも理解されない。
非プログラマー 4 氏の知識の底上げをしないといつまで経っても平行線だと思い、Redmine (課題管理システム)にブラウザーのキャッシュの仕組みを解説する文書を投稿した。ほぼ同じものを以下に掲載する。非技術者にも分かりやすく書いたつもりだ。あまり細かいことを説明しても混乱させるだけだと思い、リクエストヘッダーの Cache-Control や Expires などは説明を省いた。
キャッシュとは
キャッシュ(cache) とは、一度読み込んだデータを内部に保存しておく機構のことです。2 回目以降の読み込み時はキャッシュを読み込むことで、処理時間の短縮を図ります。
ウェブブラウザーにおけるキャッシュは一般に、HTML ファイルおよび HTML から読み込まれる外部リソース(スタイルシートファイル、JavaScript ファイル、画像ファイルなど)に対して適用されます。
キャッシュが作られるタイミング
ブラウザーがあるファイルを読み込もうとする時、キャッシュがなければ実ファイルを読み込んだ上でそのファイルの内容をキャッシュします。
キャッシュが破棄されるタイミング
キャッシュがいつ破棄されるのかは完全にブラウザー依存です。異なるファイルのキャッシュが同じ期間だけ存在するかどうかも分かりません。
キャッシュはユーザーがブラウザーの操作で明示的に削除(クリアー)することはできますが、 サーバー側からクライアント(ブラウザー)のキャッシュをクリアーすることはできません。
ウェブアプリケーションのキャッシュ対策
ウェブアプリケーションをアップデートした際、クライアントのキャッシュを無効にするために、以下の手法がよく使われます。
< link rel="stylesheet" type="text/css" href="style.css" > < script type='text/javascript' src='script.js' >< /script > < img src="picture.jpg" alt="" width="640" height="480" >このような外部リソース読み込みについて、ファイル名の後ろにクエリー文字列を追加します。
< link rel="stylesheet" type="text/css" href="style.css?v=2.4.0" > < script type="text/javascript" src="script.js?v=2.4.0" >< /script > < img src="picture.jpg?v=2.4.0" alt="" width="640" height="480" >スクリプトでない静的ファイルにクエリー文字列を付加しても、読み込まれるファイルは同じです。つまり、
style.css
とstyle.css?v=2.4.0
は同じ style.css というファイルを指します。ブラウザーが style.css をキャッシュしている状態で、この行を読み込んだとします。
< link rel="stylesheet" type="text/css" href="style.css?v=2.4.0" >ブラウザーは「
style.css?v=2.4.0
というファイルはキャッシュにない」と判断し、style.css?v=2.4.0 というファイルを読み込みます。結果として、ディスク上の style.css が読み込まれてスタイルシートが更新されます。この HTML をまた読み込んだ時は、「
style.css?v=2.4.0
というファイルはキャッシュ済み」と判断し、ディスク上のファイルではなくキャッシュを利用します。ウェブアプリケーションをバージョン 2.5.0 にアップデートする時には、「
?v=2.4.0
」の部分を「?v=2.5.0
」に書き換えてリリースします。< link rel="stylesheet" type="text/css" href="style.css?v=2.5.0" > < script type="text/javascript" src="script.js?v=2.5.0" >< /script > < img src="picture.jpg?v=2.5.0" alt="" width="640" height="480" >同様の仕組みで、2.4.0 時代のキャッシュがあっても 2.5.0 用に書き換えられたファイルが読み込まれ、キャッシュの問題は起こりません。
この手法は、キャッシュ問題を解決する手段としては一般的に用いられているものです。俗に「キャッシュバスター (cachebuster)」とも呼ばれます。
数日経った日の午後。Y さんが A4 判数ページにもなる「調査報告書」を作成した。問題になっているスタイルシートについて前回リリース分と今回リリース予定分の差分を取り、それぞれの行について「新規」「変更」「削除」の印をつけ、「とりあえず、このクラス指定が効いていないだけなので、HTML 中にインラインスタイル(< div style="..." >)で指定すればよい」と結論づけていた。
報告書には「状況から見て、変更・削除されたスタイル指定は影響が出るらしい。新規に追加した部分については影響がないようだ」とも。私が書いた説明を読んでいないのか、理解できなかったのか。
この報告書を元に、X さんから「この行とこの行にインラインスタイルを指定してください。これで暫定対応とします」と指示が出た。
私は「この修正は何ら根本的な対策になっていないことは理解していますか。『現状で問題になっている箇所』は、この環境でたまたまそうなっているだけの話で、ほかのお客さまの環境では別の画面が崩れるかもしれないのです。それを承知の上で、これを暫定対応としてよいのですね」と X さんに確認。X さんは「はい」とだけ答えたので、黙って作業を完了した。Git のコミットメッセージに「この方法は何の効果もないこと、それでも作業をしてよいのかを X さんに確認の上、作業」と書いてコミットした。
しばらくすると X さんから「うまく表示されています。OK です」と報告があった。
夕方、私が帰ろうとすると、X さんが Y さんに「画面がおかしい」と言っている。横から覗くと、先ほど「暫定対応」とやらを入れた画面で、表示は正常だがボタンを押しても何の反応もない。私は静かに「JavaScript のキャッシュですね」。
聞けば、Y さんは「キャッシュはスタイルシートにだけ効く」と思い込んでいたらしい。やはり先の説明を読んでいないようだ。そして、Y さんの環境ではボタンは有効だったとも。
私は「Y さんの環境では(JavaScript の)古いキャッシュは効いていなかった。X さんのところではキャッシュが効いていた。これが、私が言っている『環境依存』の意味です。昼の暫定対応ではダメなんです。半月前から私が言っているように、すべての外部リソース読み込みにキャッシュバスターをつけないと解決にならないんです」と伝える。
Y さんは観念した様子で、「キャッシュバスターって、一部分にだけ適用することもできますか」と聞く。この人、理解してないなと思いつつ、「はい、できますよ」と返すと、「では、問題の発生している範囲を調査して、問題が起こっているファイルにだけキャッシュバスターを……」。やはり何も分かっていない。
私は繰り返し、ブラウザーのキャッシュは環境依存なのですべての外部リソース読み込みにキャッシュバスターを付加しないと無意味だと説明した上で、こう付け加えた。
「指示されたことだけを黙ってやっていれば、そりゃあそっちのほうがラクですよ。でも、喧嘩をしてでも、場の雰囲気を悪くしてでも自分の意見を主張するのは、技術者としてのちっぽけな良心からです。お願いですから、専門家の言うことを聞いてください。私の意見が信用ならないのでしたら、ほかの技術者に意見を聞いてください」
この数日後、本件の対応を先送りにすることが決まったと X さんから報告があった。
聞けば、リリースを急いでいるのは特定の顧客の要望によるものらしい。その顧客はスタンドアローンバージョンを利用しているので、アップデートの現地作業の際にブラウザーのキャッシュを消してくればいいとのこと。
リリースに間に合わない間に合わないとあれだけ騒いでいたのに。プロジェクト管理がまるでできていない。
そして今日の夕方、この件についてレビューを開きたいとプロジェクトマネージャーの V さんから言われる。レビューって、何をやればいいんだろう。何をすれば気が済むんだろう。Redmine に書いた説明を読んで理解してもらえれば、やるべきことはひとつしかないと分かろうものなのに。
X さんから質問を受ける。「例の件、ほかの方法はないんでしょうか。『こういう方法もあるけれど、工数が掛かるので採用しません』というのがもしあれば話が進めやすいかと」。残念ながらありません、せいぜいファイル名そのものを変更するくらいですが、本質的には同じことですし管理の手間が増大します、と伝えた。
ついでに、X さんに「あの説明を読んで、よく分からない部分があったら教えてください」と尋ねると、実は忙しくて斜め読みしかしていないと白状された。その状態で対応策を一生懸命協議していたのですな。
レビューの席でまた一悶着ありそうだ。どうやったら彼らを納得させられるのだろうか。信用できない技術者に説明してもらったって、信じないんだったら意味がないのにねえ。
中学生時代、実はその気があるのではないかと気がついてからはや数年がたった。幸いにも生来オツムの弱い俺は自身がマイノリティであることを深くは気にも留めず、それより目下のところの悩みは人間関係をうまく構築できないことにあった。
高校に上がるときに状況は変化した。うまく人間関係が行くよう、仮面をかぶることで自分自身を作ってしまえば良いと悟ったのである。高校生になるまでそんなことにも気がつかない程度には頭が悪かった。考えてみれば、あたりを見渡すと、みんな真っ白で、まるで自分には負い目がないかのように振る舞っていたのだった。美しい世界だった。互いが互いを牽制し合うことで、負の部分は徹底的に平らかにされ、狭い学園内に、その生態系特有の標準像が形作られていた。もちろん、個々に特徴はあった。しかしそれは決してマイノリティではなかった。それを知った途端、皆がよそよそしくなり、あるいは全力で忌避しだすような。
まんまと学園の標準像を手に入れ、学園内における人間関係に満足できるようになった俺は、初めてやっと自分がマイノリティであることそれ自体を直視し、その孤独に深く怯えた。暇ができれば「ゲイ 割合」でググった。ググったところで孤独がどう収まるわけでもないのにね。けれど、動揺は表に出さないようにして、ひたすらに勉学に打ち込み、孤独と不安がよぎりながらも結局はマイノリティであることを見ないようにする努力を重ねた。
大学に入った俺は、Twitterで界隈の情報を知るようになっていた。そもそも自分自身が性的志向を隠していたこともあり、いわゆる「お仲間」は一人も知らなかったから、出会う人達が本当にLGBTsであることが信じられなかった。
そこには様々な人が暮らしていたのであって、ウェイ系や趣味を謳歌する者、社会人や地味な者が渾然一体として存在していた。それはもう殆ど社会と変わらないのであって、一つ違うのは皆がマイノリティであることだった。彼らは一緒にコミュニティを形成し、つるむことで根底にある孤独を紛らわしているかのようだった。
そして同時に、ネット文化(淫夢など)やネットでの論調を目にするにつれて、俺にある疑問が浮かぶようになった。
「LGBTsであることはそんなにも悪なのか」
一部のLGBTsに対して進んだ国・都市ではPrideを大きなスローガンとして、市民権を得られるような活動が続けられてきた。日本にもPride文化は輸入されたのであって、実際にパレードも行われているし、わりと盛況しているようだ。だけど、違うんだ。そうじゃない。そもそもそれらの国・都市はアイデンティティや個性を重視する文化を長い間かけて育んできた。この文化が素地としてあってこそ、LGBTsにかぎらず、他の多くのマイノリティも声を上げることで市民権を得ようとしてきた歴史がある。だから、Prideなんて言葉を使うようになったのだろう。
でも日本はそうではない。少なくとも日本にはアイデンティティや個性を重視しようという文化はない。こんな文化は自然発生するものではないのであって、意図的に育んでいくものだ。日本は残念なことに育んでは来なかった。日本において個性を尊重しているようにみえるのは、実際には個性を見世物にして消費するか、あるいは黙認という形式を取り、なかったことにするかにすぎない。高校時代の美しい世界もまさにその通りで、別に性的マイノリティに限った話ではなく、ひたすら皆が標準像を追い求める一方、標準像として収束される先にも残り続ける、ただひとつの「日本人」という個性の姿や文化といった共有資産が賛美されることに満足を得る人間も出現し始めた。マイノリティに関して言えば、ゲイのアイコンとしての「オカマ」や「淫夢」は見世物として消費され、その他のゲイはなかったことにされている。そんな国でPrideなどと言ってみても滑稽なのだ。だからこそ輸入されたコンセプト・スローガンでは対処ができない。
ゲイが理解されないことの一つに、「自分にも危害が加わる可能性があるから」というのがある。でも、考えてほしい。人が自分に好意を持ってくれることは少しも危害ではないのではないのではないか。そもそも性的暴力で実力行使に出るような輩は、ゲイを理解云々の以前に一定確率で行使しようとする。でもそれは、ヘテロ男性の中に女性を強姦する人がいるのと変わらないので、ご指摘には当たらないような。
そして、ゲイのくせにヘテロ男性に告白してきたらキモいというのもよくわからない。そのような人たちの中で、告白相手の女性がレズビアンである可能性を少しでも考え、躊躇した人間がどれくらいいるのだろう。結局、物事はすべてマジョリティが当然のこととして行っていることは当然のことで、同様のことをマイノリティが行おうとして、マジョリティの行動との間に違いが生まれた途端声高に主張し始める。マジョリティは自らの行動を顧みず、棚に上げた上で我々の一挙動を観察する。人から愛を向けられることがそんなに嫌なのだろうか。俺だったら、自分に魅力があるのだと知れて誇らしいことだと思うのに。
どんな社会を望むのかといえば、答えは明白で、「LGBTsの存在が当然のこととされている」社会だが、まあ無理だろう。こんな世の中じゃ。何か新たなネタが見つかるたびに、徹底して皆が食いつき叩き上げ、消費し尽くす。そこには様々意見が入るものの、結局はネタを消費する手段にすぎないから、意見は平行線上をたどったまま、次のネタ、次のネタへと移っていく。誰もが同じ生け簀から出ようともせず、古い水を変えようともしない。食い散らかした餌の破片と糞尿で薄汚れた生け簀の中で、同じ境遇であることに何故か安心感を覚える。そして誰も自分の意見を変えようとしない。それぞれが意見を表明し、その意見はどこか遠くへ流されていくのみだ。寛容などとは程遠い。日本の体質自体が変わらないと始まらない。俺だってなにも好き好んでこう生まれてきたのではないのに。
それにしても、「生物学的におかしい」とか「自然の摂理に反する」とか、「異常」「変態」「公の場には出ないでほしい」みたいな言説は読み飽きてしまった。もう死んでしまいたい。
あいつらは「批判」をすっごい悪いことって意味で使ってるの。
「批判」は和を乱すとか喧嘩を売るって意味でしかない。ケチをつける。因縁をつける。人の気分を悪くする。
批判は、すごくネガティブな、ピースフルでない、縁起の悪い行いなわけ。喧嘩とかケチ付けってことなわけ。
と、ここのコメントの1つ
研究者の頭脳と時間を、違うことに使いすぎている - 日経テクノロジーオンライン → ブコメ
基礎研究と応用研究、政治家はアカデミズムと算数ドリルがまだ区別できておらず「基礎なんかすっ飛ばして最初から応用問題が解けた方が効率よいし偉くね?」って本気で思ってそうなくらい、基礎研究軽視だからなー
2017/06/24 17:10
なんで歴代ノーベル賞受賞者の面々が口を揃えて異口同音に「日本は基礎研究に予算かけなさすぎ」って叫んでるのに、政治が一向に基礎研究への予算配分増に対して及び腰なのか、
一方で金欠だ振興費はもう頭打ちだと言う割に「チョコレートで脳が若返る」とかいう、明治のPRにノせられスライドだけ無駄に立派なトンデモ似非研究に内閣府が飛び付いて、予算がすんなりタンマリ通るのか、自分の中で勝手に謎が氷解した。
いつもなら「選ぶ側の政治家が科学や研究学問に対して無知無理解だから」「真偽を判断するだけの科学リテラシーと知識が無いから」で済まされて、最終的に「日本の政治家がバカばかりなのが悪い」と結論づけられるが、
多分それだけじゃない。使ってる言語体系と価値観の相違も勘定に入れるべきだったんだ。
つまり、内閣府の皆さんや現行の政治家の皆さんの多くが「基礎研究」「応用研究」の頭に付く「基礎/応用」という修飾語を、我々と違うニュアンスで捉えてるかもしれない、ってことだ。
・「基礎研究」と「応用研究」(大学や研究機関)
・「基礎問題」と「応用問題」(数学の問題集)
似てるようで全く異なる両者を、同じ意味でイメージしていらっしゃる可能性が非常に高いかもしれない…ってことだ。
つまり
「基礎研究というものは、延々と3+(-4)=-1… みたいな、計算ドリル初歩の練習問題を繰り返してつまづいている段階であり、それすらすぐ正答できないという事は無知で後進的で恥ずべきこと。
基礎なんかはもうとっくに出来てる前提で、応用研究(問題)がスラスラ解けるようになる事が到達目標であり良いこと。だから限られた研究予算は、基礎研究(問題)なんかをいつまでもダラダラやってる子(大学)よりも、
成果がすぐ見える応用研究(問題)をいっぱい手がけてる優秀な子(大学)に優先して配分するよ!」…という盛大な勘違い価値観のまま、表彰対象を選んでる可能性がある。
…いやそれも「連中が無知なのには変わりないだろ」と突っ込まれるかもしれないが、純粋に知らないのと、知ったつもりで誤解したままなのでは話が別だ。
もし「基礎<応用」という上記のニュアンスで捉えている人が多かったら、科学者の"基礎研究を大事にしろ"の声が政治家に届かない理由も分かる。
"基礎研究なんて膨大な無駄の中からほんの少し凄いものが出てくるって世界(id:k_oniisan)"っていう正論も、「基礎の段でつまづいてるような出来の悪い子が、こづかい減らされるのを恐れて出来ない理由と言い訳を並べている」
としか受け取られていないかもしれんわけだ。たまーに偉いノーベル賞受賞者の先生が擁護して同じことを言っても、「出来の悪い子を、自分の身内やお友達や生徒だからって庇い立てしてるだけだ」と見做されているわけだ。
他方、基礎を終わらせて、もしくは基礎を飛び級して、成果の出る研究、金になる研究、応用研究に軸足を移し、先駆けて沢山手がけている子こそが優秀であり、高効率であり、限られた科研費の優先投資先として
相応しいのだと。そういうロジックで選んでるのだとしたら、民間企業協力のキャッチーな予備実験や仮説もどきの方が最先端研究だと持て囃されるのも実に納得だ。
そりゃ平行線にもなるわ。
書いてて絶望的になってきた。自分だけの思い込みかもしれないけど、これで科学立国とかマジで無理ゲーじゃね?
思った以上に賛否色々とブコメ、トラバを頂き、話題をすぐ畳むのが勿体なくなったので折角もう少し風呂敷広げてみよう(広げた後に収拾する気があるとは言ってない)
・id:outalaw 「予算」という言葉がすれ違っていそう。科学者たちは恒久的な人件費を含めているが、行政は一時的な雇用費や物品費こそ予算と捉えており、行政のいう予算は横ばいだが科学者のいう予算は減り研究時間も減っている。
・id:death6coin トランプアメリカはもっと低い次元にいそう/http://www.nistep.go.jp/archives/32530によれば予算的には減っていないが出どころが変化しており、研究者に成果へのプレッシャーがあるのではないかとの分析がされていた。
確かにその可能性も高そう。年度毎に補助金申請書を書き直さなくてもよい永続的フローが保障される事を要求する研究者サイドと、◯期活動分のキャッシュを確保することに奔走し、科研費増なんて出来るわけがない現実を見据えてる政治家サイド。
かたや「基礎研究への予算が増えない」と嘆き、かたや「予算は水準維持してる」と主張するのも、どちらかが嘘付きって事ではないはず。おなじ「金」のことを話してるんだからすれ違うはずがないと思いきや、両者の中で定義が違うままと。
で、河野太郎の研究者の皆様シリーズもまた、ブクマ上位によく来る人気エントリだが、結局できる事は"成果を生まない大型プロジェクトをつぶしてほかのことに振り替えるか、または成果を生まない研究者の予算をほかに振り替えるか"
実際上記の通りプレッシャーかかってますね
*id:kaeuta 馬鹿にしたい気持ちはわかるが、今の政権は経済産業寄りという点に尽きる気が。国民感情的に「膨大な無駄」が許される状況ではなく、基礎研究がすぐに金を生まない以上、金になりやすい応用研究が推進されるのだろう
*id:mainasuplus 増田にもあるけど、短期的に金になると想定される分野にしか研究費を突っ込みたくないのだろう。基礎研究や文系学問に研究費が落ちてこないのはほぼこれに尽きると思う。
予算は限られてて、社会保障費並の伸び率で野放図に増やすわけにはいかない。じゃけんせめて、振り分ける対象の厳選仕分けと優先順位付けくらいきちんとしましょうね~ という大筋は正しい。
が、それでも「基礎研究に割り振る比率はもう十分与えたから、与えられた枠内で工夫するか減らすかしてね」には強く反対する。
また抽象的な例え話に飛ぶが、国民も政府も喉が渇いてて、収穫すればすぐ生食できて喉が潤う万能フルーツ『成果』の大規模栽培を皆が渇望しているわけで。
収量予想や収穫期限コミットまで厳しくガン詰めされているので、使える湯水(金)も限られ、なおさら『成果』を優先栽培する以外に選択肢はないわけで。
でも、その『成果』を栽培するにあたって必須となる土づくりと肥料、その名も『基礎研究』…これは今すぐ食えるモノじゃないし成功の保障も低いから、金かけるのは後回しにしてね。そう言ってるわけだ。
もしこれから科学事業を再び仕分けていくにしろ、まかり間違って奇跡が起き科学振興予算が倍増するにしろ、上記の思想ベースである限り、どれだけ湯水の如き金があっても、きっと土壌と肥料は最後まで後回しで、
皆こぞって効率良い『成果』の密植技術開発に明け暮れるのだろうね。やがてサイエンスという土壌は、キャパを超えて過剰密植された『成果』に養分を吸われて徐々に痩せてゆき、追肥もされないので
最期は何も生えない不毛の大地だけが残りましたとさ。めでたしめでたし。
これには強く同意する。事業仕分けとかで管轄範囲の権益を侵さない限りは、知った上で正しく確信犯として野放しにしてる感
「ボケ、痴呆→認知症」っていう事例もあることだし、たかが言葉遊されど言葉遊び、形からでも変えてみる意味はあるかもね。
但し、「障がい者、子ども、メクラチビゴミムシダマシ」のように、無理に言葉狩りして理念が追い付いてない、仏像彫って魂入れずだと反感を買うおそれもあるね
いつも遊んでる友人が恋愛し始め、疎遠になってしまうっていう話について頭がこんがらがってしまった。
29歳男性の私は、飲み屋で知り合った22歳の女性Aにアプローチをして友達以上恋人未満な関係になっている。
出会ったのは1年半以上前、その飲み屋にはAを含め学校の同じクラスの女性4人組で来ていた。学生だったから出来たことだと思う。
それが卒業と就職をきっかけに4人で集まることが少々難しくなったのか、以前のように毎週末全員が揃うことがまれになった。
それでもAともう一人Bは毎週末ほぼほぼ欠かさずその飲み屋で飲む仲を維持しているようだった。
私もカウンターだけのその飲み屋には少々縁があってよく通っていたので、曜日が合っていたのかその子達とはよく隣になって飲んだ。
4人ともLINEを交換し、みんなで他の飲み屋や誰かの家で鍋パをするような仲になった。
そのうちに私はAを好きになり、Aと2人で会うようになる。
そうなると休日が似通っているAとBと私なので、置いてきぼりのBは寂しさを覚えるようなった。
そんな折、Aに誕生日が近づいていたある日、私はAを飯に誘った。
待ち合わせの繁華街、落ち合ってしばらくするとBと4人組のもう1人がその飲み屋で飲んでいるという連絡がAの元に入った。
その飲み屋も歩いて数分なのですぐにでも顔を出せたが、この時私はAと2人で居たい、Aに選ばれたいという衝動にかられAを引き止めた。
Bを選ぶな、私を選んでほしいと強く思った行動だった。
Aは私との関係性と友人との関係性に揺られ決めあぐねる間も時間は過ぎ行き、とうとう終電を迎え、もう1人の方が帰ってしまったと連絡が入った。
その時わかったことだが、友人たちはAの誕生日サプライズを用意していたようだった。
それでもBは待っていて、Aは私も一緒に行こうと誘ったが、私は行く気にはなれず、Aがその飲み屋に行くなら私は帰ると言った。
とりあえずAと私は店を出て、繁華街を歩きながら、
私はAと一緒に居たいが、その飲み屋に行くなら帰ると言い、
Aは私と一緒にその飲み屋に行ってほしいと、その平行線のまま1時間が過ぎた。
すると飲み屋の方からBが駅に向かって歩いているのを見つけた。
両手にはAへのプレゼントを持っていて、顔をみると泣きじゃくった痕があった。
Bは感情を抱えてしまう性格で多くは語らなかったが、目一杯の寂しさを感じていたことは誰が見てもわかった。
今回これを書いてみて改めて明確になったが、どうやら私はお邪魔虫のようだ。
集まっているという最初の連絡の時点でその飲み屋に向かっていればきっと良かったのだと思う。
誕生日サプライズを察するべきだったのか、いや事前にBにAの誕生日はどうするか聞いていればよかったのか。
それとも、Aが優柔不断だから悪いのか、誕生日はAなのにもかかわらず。
はたまた、BがAに対しての依存が過ぎることが悪いのか?
私がAともっと深い関係を望むならAと友人たちの時間は奪うことになるが、それは悪いことなのか?
私は30代前半、既婚の女です。今は結婚数ヶ月目、旦那さんと2人で暮らしています。
27歳のときに2年ほど一人暮らしをしましたが、そのあとまた実家に戻って、結婚するまで住んでいました(ちなみに一人っ子です)。
(といっても、大学生ごろから少しずつほころびは見えていたのですが…)
もう30歳にもなろうとする私に対して、母は、
彼氏の連絡先を入手するやいなや、デートで私の帰りが遅くなると、SMSで、
「こんなに夜遅くまで出歩かせて、申し訳ないという気持ちはないんですか」
「親だから心配なんです、私の気持ちをわかってくれますよね?」
「あなたはまだ子供ですね、人の気持ちをもっと考えられるようになってください」
10万円もする健康器具(正直私は使いたくない)を「あなたのために買ってあげるね!」と言うので断ると、
「感謝を知らない冷たい子」となじられたうえ、
「あんたは気づいてないけど、あんたのためになるんだから使いなさい」
と結局渡されたり(しかも「嫁入り道具に持って行け」と…新居狭いのに…)、
と、これらは一例ですが、とにかく私への依存・過干渉がエスカレートしていきました。
私の結婚が決まると、寂しさからかその態度はいっそう強くなり、
私が「半年後くらいには引っ越しして、そこから2人で結婚式の準備をしたい」と無邪気に伝えると、すごい剣幕で叩かれ、
「結婚式と入籍と引っ越しは同じ日にやるのが常識でしょ!!!!!!!!」
「プロポーズされてから最低1年は花嫁修行の期間として家にいなさい!!!!!!」
「友達の娘はお母さんにそういうの相談しながらやってるのに、なんであなたは勝手に決めるの!!!!!!!」
とまくしたてられたり(当然大げんかになった&話し合いは平行線のままだったが、私の理想スケジュールは、申し訳程度だが伸ばすことになった)、
「当然うちの近くに住むでしょ? 女の子はそうするものだもの」
と言われ、答えに窮していると(当然私は離れたいと思っているが、言うと大変な事態になるので言えない)
「あんたはほかの女の子と違う!!!!!!」と泣き叫ばれたり、
あまりに聞き続けるのが苦しかったし、だからといって応戦するのも馬鹿らしいと思って自分の部屋で声を出さずに泣いていたら、部屋に勝手に入ってきて、「こんなことで泣くなんて嫌味な子!」とまたマシンガン罵倒がはじまり、
もうだめだ壊れてしまうと思って「やめてーー!」と言って耳を塞いだら、「やだお父さん、〇〇が頭おかしくなったみたい」と父親を呼んで2人でヒソヒソしだしたり、
私たちの新居を見て「火事になりやすそうなとこね」「空気も悪い」とだけ言いすてたり、
彼氏(夫)もそういう様子を私から聞いたり、結婚挨拶のときに目の当たりにしているので私の実家に寄り付かず、
「短時間だけ!」と私が頼み込んで、義理を果たすためお正月に夫を連れて実家に遊びに行き、お昼ご飯を食べて15時ごろに「今日はそろそろ帰るよ。夫くん、個人の仕事が忙しいみたいだからさ」と帰ろうとすると、
母親が、今度は私に対するのと同じような剣幕で夫に「〇〇(私)の幸せを考えたら、もっと奥さんの実家に通うのが夫のつとめでしょ!?」
「思いやりがない!!!」「あなたは子供!!!」と迫ったり(結局その日は夫と私、2人で応戦したが話通じず「興奮してるみたいだから帰るね」と帰った)、
あげくの果てに、
結婚式の前日に私と両親でご飯を食べることになったのですが、母親は正月のことを根に持っていて、食事中ずっと無言&口を開いたと思ったら
とだけ言われ、
もうなにもかも嫌で結婚式の日は一言も会話をかわしませんでしたが、式のなかで、両親にギフト(私の手作りです)を渡すと「なにこれ、かわいくない…」と言われ、
なんかもうダメだなと思いました。
連絡も、向こうからきたものに「ふーん」「そうだね」とかひとこと返すだけで、まったくとっていません(一人暮らしの時は、ほぼ毎日連絡しないと怒られたので、こんなことは初めて)。
そんな母親に対して(父はそこまで実害はありませんが、裏で母親と一緒に私の悪口を言って火に油をそそぐ係をしているので、あまり信頼していません)、
まぁ、ここまで書いてきて、「結構ひどいことされてきてるな」とは思いましたが・・、DVや無視はされなかったし、小さいころはけなされなかったし、風邪をひくと一生懸命看病してくれるし、「子供の母親」としてはいい母なんです、本当に。
「大人になった子供の母親」として、ちょっと未熟だっただけなんじゃないかな・・と。
だから、「毒親」と呼ぶにはちょっとためらうんですよね。「微毒親」ぐらいかな、と。
正直、今は連絡をとるのが怖いです。コンタクトとると大体何かしらの形で傷つけられるので。しかも、親だからか、めちゃめちゃ一言一言の攻撃力が高いんですよ。立ち直るのにも時間がいります。それが怖い。
じゃあ絶縁すればいいじゃん!とも思うんですが、「絶縁したいのか?」と自分に問いかけると、そうしたいわけではないんです。
超超超理想を言えば、親と仲良くしたいです。
理解はされなくてもいい、でも、軽めの家族の交流ができる程度にはつながっていたい。私がなにか態度を工夫することでそれが可能になるなら、そうしてみたい。
もちろんそれが甘いってことはわかっています。
でも、「微毒」だったら、絶縁以外でもなんとか付き合っていける方法はあるんじゃないか、と、思っている・・・。
で、ようやく本題ですよ。
母の誕生日が迫ってきました。
会いにいけば、これまで会いにいかなかったことを罵倒されるだろうし、
メッセージやプレゼントを送れば、それに対する返信で「会いにもこないでひどい子ね」とねちねち嫌味を言われそう。
だからと言って何もしないと、きっとすんごく悲しむのが目に見えているし、後々すごい恨みになって返ってきそう。
昨日の晩、そろそろ結論を出さねばと思ってぐるぐる考えていると、すごく辛くなってきて、ひとしきり泣いたあとに寝込んでしまいました。
「ごめん、具合悪くてなにもできてないんだ」と返信すると、
1時間後、私の好物を買って夫が帰ってきました。
私は、セブンイレブンのレアチーズどらやきを食べながら、夫に本当のこと(具合が悪いんじゃなくて親のことで落ち込んでたこと)を話し、
その時点で導き出していた、一番答えに近そうな考えを伝えてみました。
「私ね、自分の状況を客観的にとらえるために、別の似たケースを探してみたんだ。そしたら『ダイエット』と似ているなって思ったの」
「例えば私がダイエットをしているとしよう。
そんな私の目の前に、すごく美味しそうなケーキがあって、私はそれをすごく食べたいとする。
でも、ダイエットの目的は、『痩せたい、もしくはこれ以上太りたくない』だよね。そのためには、おそらくケーキは食べないほうがいい」
『ストレスをためるほうがダイエットに悪いとも言うじゃない。自分の気持ちに素直になった方がいいよ、食べちゃいな! その代わり、そのカロリー分運動で消費しよう!』」
「これを今の私の状況に置き換えてみると」
「目の前に、親にコンタクトすべき機会が迫っているんだけど、私は何もしたくないと思ってる。
でも、最終的な理想は、『親と仲良くなりたい、もしくはこれ以上仲を悪くしたくない』。そのためには、おそらくなにかしたほうがいい」
『長い目で見たら今は連絡しないほうがいい可能性だってある。自分の気持ちに素直になった方がいいよ、連絡しなくても大丈夫! その代わり、別の方法でコンタクトしよう!』」
「こんな感じだと思うんだよね、でもその『別の方法』がわからないんだよ・・・」
夫は「意外と面白い話だったw」と笑っていました。
そして、
「お母さんの好きな食べ物はなに?それを贈るのはどう?」
と。
「エビかな。でもそれだけ贈るのって、やっぱなんか『冷たい子』『よそよそしい』ってぐちぐち言われそうじゃない?」
そう答えると、夫はうーんうーんと何やら考え始め、「エビのグッズとかないの?」と言いました。
私「えっどういうこと」
夫「なんかさ、エビ贈るだけだと、真面目っていうか、形式的な堅い印象やん。
でも、送られてきたのがエビなんだけどアクセサリーだったり役にたたなそうなものだったりとかしたら、『何これww』ってなりそうじゃない?」
私「たしかに・・それを先に送りつけて、後日『本物もあるから』って言って本物送ればフォローもできるしね」
夫「プレゼントへの返答も、自然と『何これw』にならざるを得ないから、心配してた返信メッセージの怖さも軽減するよね」
そうして2人でエビグッズを探したところ、見つかったのがこれ
[rakuten:http://item.rakuten.co.jp/wishorder/a520065011384s/]
私「これなら、使用シーンの写真とか自然と送りたくなるし、『責める(親)』『避ける(私)』以外のコミュニケーションが生まれそう!これなら親が望んでいる、『私とのコミュニケーション』が私にとっても嫌じゃない形で実現できる。めっちゃいいじゃん!!」
夫「よし、じゃあ次は本物のエビを探そう!」
・
・
・
とまあこんな感じで、
結果はまだわからないけど、ダイエットのたとえのところで書いた「連絡しない、会わないで済む別の方法」が見つかったなという気持ち。
あと思ったのは、日常のなかにもっと「ユーモア」が必要なんだな、ということ。
長くなるが、気持ちの整理のためここで吐き出させてほしい。
一緒に生活していたときは週末公園などに連れて行くなどしていた。
娘たちには学資保険をかけている。
自分の両親が学費が高くても行きたい学校に通わせてくれたことから、
自分の娘たちにも行きたい学校、就きたい将来の為に苦労はさせたくないとはじめたものだ。
離婚時の財産分与のなか、学資保険は自分が契約者のまま続け、養育費は別にすることで決着した。
今はどちらの親権も元嫁にあり、向こうの実家近くにアパートで3人暮らしをしている。
「今月の家賃や光熱費が払えそうにない。学資保険を引き出せないか?」
といった連絡が来た。
当然断った。
子どものためにしているものであり、途中で引き出して良いものではない。
まして、自分たちの問題で離婚して始めた生活が厳しいといった理由でそれを使って良いものではないと思ったからだ。
家賃や光熱費などの生活基盤は親権者である元嫁が責任をもつものであるはずだ。
それをそのままぶつけると、向こうからは
といったことが返ってくる。
そのどれにも反論どころがあって返すのだが、「自分は正しい」の考えから一顧だにしない。
しかし、出費は重なり、収入を越えることが増えて4人暮らしになってからは火の車だった。
自分の見栄や意地で生活を安定させようとして黙って消費者金融に借金を作った。
どうしようもないところまできて両親に頼ることになり、借金などは持ち直すことは出来たが、前々からあった自分への不信感から元嫁は離婚を要求。
子どもの事を考えて離婚を避けるように話を繰り返したが聞く耳を持たず。
元嫁のパート代は向こうの管理だったため、自分の給料からまかなうしかなかったが、そんな状態を相談もせずに進めてきたのは完全に自分の落ち度だ。
でも決して私利私欲にはしったわけではない。
酒も飲まないし、タバコもしない。
趣味らしい趣味も無くなり、欲しいものはあっても買うことはしなかった。
自分に使う余裕があるなら娘たちに使うことを優先した。
そんな話を繰り返しても、お互いの主張は平行線。
これ以上不仲な両親を見せることは忍びなく、次女の小学校進学もあってこの時期での離婚を承諾。
離婚後は気持ちを切り替えて再出発をしようとしていたのだが、2か月経つというのに今回のように未だに金銭で揉めている。
それに加えて相手の落ち度を追求し、自分には非があることを自覚しないところがある。
あまりこういうことを人に相談しなかったが、少ない友人からは「モラハラ」であるといわれる。
調べてみると確かにそうだ。合致することが多々ある。
ただし、変更しても養育費に上乗せるだけで実質の支払いは自分がするというのが向こうの主張だった。
その時から学資分を相手側に振り込んでも正しく使われることに疑惑を思っていたため、変更は拒否し、契約者は自分を継続させていた。
今回の引き出しの要求を断ったことで、向こうは再度契約者を変更して自由に引き出せるようにすることが目的である。
そんなことはさせたくない。