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はてなキーワード: 平行線とは

2018-02-20

anond:20180219193428

増田ブクマカって遠く離れた星に住む全く別の文化を持った生命体同士みたいだ

宇宙を超えて発せられる電波キャッチできるけどお互いに何言ってんのか全く分かんなくて,自分なりに解釈して電波を返している

当たり前だけどそれらが正しく相手に伝わるはずもなく,いつまでも平行線

しかも,通信に返答できるのはブクマカだけで,増田電波投げっぱなし

言い返そうにも手段を持っていないか意味からないことをただ言いつけられておしまい

ひどい構図

数年ぶりに同人世界に戻ってきたら気味の悪いことになっていた話

私は二十数年ほど前に腐の道に足を踏み入れたオタクである

書店あくま一般的大手書店)で好きな漫画の絵が表紙に描かれている「公式アンソロジー」とやらを見かけ

わず手に取り、同人誌というもの存在を知らされてしまった世代といえば、心当たりのある方もいるかもしれない。


当初は晴海に足を運び、会場が変わってからビッグサイトに足を運び、ナントカ会館等で開催される小規模なオンリー

コピー本を携えてサークル参加デビューを果たし、当時は割と楽しく活動していたと記憶している。


その後、活動していたジャンルの衰退、進路云々という人生選択等も重なり、自身創作してイベントに参加することが

自然となくなった。友人スペースの手伝い程度。それも楽しかった。


当時はTwitterpixivもなかった。



ここまでお読み頂いて「もしやこれは中年の懐古を元にした愚痴なのではないか」と思われた方。

恐らくそうなので、何か違うと思ったら閉じて頂いて構いません。




とあるジャンル同人世界に戻ってきたら面倒なことになっていた


2010年代に入り、個人的には転職をして少々生活が落ち着いた頃、とあるジャンル創作活動をしてみたくなった。

そこで遭遇したのが下記の面倒事だった。


慣れ合い、擦り寄り慣習


情報発信手段としてTwitterが主流になりつつあったので自分登録して同ジャンルの人々をフォローしたのだが、

あちこちでムダな慣れ合いや擦り寄りが日常的に発生していた。


創作者同士による「え〜〜◯◯さんの方が上手ですよぉ〜〜」的社交辞令

 こういうことを言い合う人たちはだいたい心の中では自分の方が上だと思っている

・壁や誕席に配置される創作者(一部商業作家を含む)へのあからさまな擦り寄り

 その時のジャンルには商業BLへの進出を狙う野心家も多かったため、奴らは必死だった

・良配置を得た創作者の「はわわわ〜〜私なんかがこんな配置を〜〜!!何かの間違いです〜〜!!!

 当日は私は無視してください〜〜〜!!!」という心にもないムダ謙遜

 本当に無視したら今度はすねて「どうせ私なんか…やっぱり実力もないのに…」って構ってネガするくせに

・付き合い上、特に欲しくない本を買わなければいけない雰囲気

 正直な話、あなたツイート面白くてフォローしているけれどあなた創作物が欲しいわけではない、という相手もいる


こういうことを書くとだいたい「じゃあ付き合いをやめればいい」という意見が出るのだが、一度繋がってしまったもの

それこそジャンルごと変えるでもしない限り安易に切りにくい、という事情もある。もちろん私自身の性格起因もある。

そこはどうしても平行線議論になるので、いろいろな意見もあるよね、に留めておきたい。

どちらかが正しいということではないと思うので。


ありがたいことに何年か活動を続けているうちに、個人的な繋がりのないところから私の創作物を気に入ってくれる人が出てきたり

BLであったにも関わらず男性の読者さんがついてくれたりして、それなりのやりがいも感じられていたのだが

あるイベントの終了後、急激に「なんか疲れたな…」という気分に襲われ、フェードアウトする形でそのジャンルでの活動をやめた。



どうでもいい話だが、そのジャンルには大学在学中にデキ婚出産した当時20代前半の専業主婦創作者がおり、

かにつけて「大学では◯◯を専攻していて〜就活も本当は△△(大手)を目指してて〜〜」などの「私はバカじゃない」主張や

そうかと思えば「あたしおかあさんだから」的ツイートで既婚子持ちマウントを取ろうとしてくるので、非常にうざかった。

彼女には嫌いな創作者がいて、何かにつけてはその相手ディスり「だから◯ちゃんで叩かれるんだよ…」などとツイートしていたが

彼女自身もまた◯ちゃんで叩かれていた。二人とも今頃どうしているだろうか。もう30代のはず。正直どうでもいい。



■別のジャンルで数年ぶりに同人世界に戻ってきたら気味の悪いことになっていた


さて、それから数年、本当に何の創作にも関わらずにただの漫画アニメオタクをしていた私に、また新たに興味を持てるジャンルが現れた。


久しぶりに「沼に落ちた」という表現が出来るほどのジャンル出会った私はそのジャンル専用のTwitterアカウントを作り、

同じジャンル好きな人達と繋がり、たまに自分で描いた絵をツイートに貼り付けては一般人にふさわしい数のRTいいねを頂いて

楽しくやっていたのだが、ここでもまた面倒なものが目に入るようになってきてしまった。


慣れ合い、擦り寄り慣習

以前いたジャンルよりもさらにひどい(※個人の感想ですものだった。


私がそのジャンルに落ちた時、既にそのジャンルが盛り上がり始めてから一年以上が経過していた。

その間に何が起きていたかを察するに、


1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮

2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気

3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気


下記に簡単解説するとこうなる。


1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮


私もジャンルに足を踏み入れた者としてはド新参なのだが、創作者を中心にあちこち古参に「私など新参ですから」と

謙遜して回らなければいけない雰囲気蔓延していて、辟易するのに時間はかからなかった。

全体的なジャンル雰囲気としては「ご新規様歓迎!あなたもこの作品を見てください!」という呼び込みも多いのだが、

創作者に目を向けるととにかく新参が頭を垂れている様を目撃する。

そのジャンルには商業作家はあまりいないのだが、「偉い」人は「先生」などと呼ばれて崇め奉られているのだ。


気味が悪い。


2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気


ジャンル内で「偉い」とされている創作者の中でも、一番の人気CP活動している一番「偉い」とされる創作者が存在していた。

一番の人気CPなので、後からハマって創作を始める人の中にもそのCP活動したい人が多い。

彼女らが何をしているかというと、


・その「偉い」人をまずフォローし、

・「以前から拝見していました!ファンです!!」という挨拶で忠誠を示し、

・「偉い」人が何かツイートする度にRTして空リプで崇め奉る


という、もはや偉い人の宣伝媒体となることによってそのCPでの活動領域を得るということだった。


気味が悪い。


3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気


1および2から、「偉い」彼女創作物は「読みたいから読むもの」というよりも「礼儀として購入し、読んだら褒めちぎるもの」という

何だかよく分からないものと化していた。


気味が悪い。


私自身、ハマったCPは前述の一番人気CPだった。

だが、「偉い」人の創作物は正直あまり好きではない。もっと言うと、その「偉い」人自身が好きではない。

知り合いなの?と聞かれれば、いいえ違いますということになる。

知り合いでもないのに嫌いなの?と聞かれれば、「あなたにもいませんか?知り合いでもないけど好きではないなと思うタレントとか」と

いうことになるが、とにかくその「偉い」人の発言の端々に自分とは合わないものを感じてしまい、受け付けないのだ。


ただ、推しCP推しCPである以上、どうしてもTLにRTいいねさらには空リプまで含めて彼女を崇め奉る空気蔓延する。

そこで私は彼女アカウントIDペンネーム、「先生」という単語まで含めて、彼女の影がTLに現れないように徹底的にミュートした。

それでもイベントが近づけば彼女新刊に関連すると思しき新たな単語がTLに発現するので、それをミュートする…ということを

繰り返している。もちろんはじめからフォローもしていない。信者からすれば、私は不心得者だろう。



これもどうでもいい話だが、ここまで崇め奉られる◯◯先生とやらはどんな人なんだと思ってググってみたところ、

見事に◯ちゃんで叩かれていた。なんだ、皆が皆崇めているわけではないのだなと思うと同時に、表向きは信者に見えるあの人やあの人も

心の底ではどう思っているかからないのかもしれないな、と思い、そっとブラウザを閉じた。



そんなこともあり、私は現在身をおいているジャンルではある意味中途半端創作を続けている。

たまに描いた絵をツイートに貼り付けてみたり、ある程度まとまったらpixivに載せてみたり、それで満足だ。

心優しい人からイベントに出てほしい、本を読みたいと声をかけて頂けることもあるが、上記の気味の悪い風習がなくなるか、

偉い先生とやらが去るまでは御免被りたい。

先生とやらは自己顕示欲自己評価承認欲求の塊のようなお方とお見受けするので、ジャンルが盛り上がっていて

適当キャラクターセックスさせて崇め奉ってもらえるうちは去ることはないだろう。


昨今、同人誌価格設定創作活動における人間関係に疲れる等の記事拡散されているのをよく目にする。

私はそうした疲れを感じたくはないので、今のままでいようと思っている。

[] #50-5「猫の生殺与奪権」

≪ 前

ウナギを守るためだ!」

「『人間の作った勝手尺度で他種の命を測るな』って言ったのはお前だぞ! ウナギを守るために猫を殺すってのは、命に優先順位をつけたってことだ」

貴様らは考えが浅すぎる! もっと広い視野物事を見ろ! 『殺される猫が可哀想』くらいにしか思っていないくせに、その場限りの安易気持ちで猫一匹を守ってどうする」

みんなの言い分も、ウサクの言い分も、相容れないようにみえ本質は同じように思えた。

あーだこーだと理由をつけてはいるが、とどのつまりは異なる命を天秤に乗せ、どちらがより重いか外野が言い争っているに過ぎなかったからだ。

「僕たち人間の都合で猫を殺すなんて勝手すぎるよ」

「その猫を生かしてウナギを見殺しにするのも貴様らの身勝手だろう!」

どちらが身勝手かというなら、どちらも身勝手という他ない。

理由が何であれ、猫を殺すにしろ生かすにしろ、それは俺たちの都合でしかないのだ。

だが、そうやって俯瞰しているつもりの俺もロクなもんじゃない。

ただ成り行きを見守り、自分自身が出すべき結論から逃げていたのだから

しかし逃げられるものでもないことは何となく分かっていた。

この猫を捕まえるのにだって小魚を一匹エサにしている。

その上で握った猫の生殺与奪権。

もはや俺たちは後戻りできなくなっていることを肌で感じていたからこそ、何らかの結論押し付けなければならなかったのだ。


議論平行線を辿っていた。

いや、悪化しているかもしれない。

もはや互いの主義主張をひたすら押し付けつつ、罵詈雑言が入り混じる泥沼と化していた。

テーマが何であろうと、所詮はガキ同士の言い争いってことなんだろう。

まあ、それでも上等なほうだとは思うが。

「ええい、埒があかん! マスダ、猫をこっちに寄越せ」

ウサクはとうとう強攻策に出てきた。

ダメだ! 渡すんじゃない!」

当然、弟たちが割って入る。

兄貴、その猫を連れて逃げろ!」

別に猫を庇いたいと思っているわけではないが、この状況でウサクに渡したところで事態は進展しないだろう。

弟たちとの争奪戦が勃発するだけだ。

かといって逃げたところでその場しのぎにしかならない。

結局、互いが納得しなければ解決しないのだ。

こうなったら、俺が出来る提案は一つしかない。

「みんな落ち着いて、いったん話を整理しようぜ。よく考えてみれば、猫を殺すかどうかの二択じゃないことは分かるはずだ」

「え? どういうこと?」

「この猫がウナギを食べるかもしれないことが問題なんだろ? だったらこの猫がウナギを食べなければ、殺す必要はないってことだ」

折衷である

みんなも疲れてきているから、多少のことは妥協したくてたまらないはず。

「なるほど~、頭に血が上ってその発想がなかったよ」

「ふむ、理屈は分かる」

予想通り、みんな提案に乗ってきた。

こういう口論がゴネ得だといわれやすいのは、この点が大きい。

理屈が通らなくても主張を押し通し続ければ、折衷案に持っていける可能性があるからだ。

不毛な言い争いが辿る流れはいだって同じで、俺はそれを第三者立場から少し早めただけ。

「で、具体的にはどうするんだ?」

強いて不安があるとすれば、折衷案に持ち込んだ後のことについては俺もノープランだってことだ。

次 ≫

2018-02-12

褒めるのが得意というのが幻想だった話

店の店長として、若者を中心としたアルバイトスタッフをまとめる仕事をしている。

前職で実績ができ、「褒めて伸ばすのが得意な店長」というお墨付きをいただいた。

それを見込まれ、同業種の店に転職して1年半が経った。

転職先では散々で、かなり自信を失った。

分かったことは、私は褒めるのが得意なのではなく、自分より優秀なスタッフに対してすごいすごいと言っていただけということだ。


前職のスタッフはかなり優秀だった。

名門大学大学生院生が中心で、意欲があり、飲み込みが早く、スキルも高く、育ちが良いので性格も良かった。

学生以外の人たちもかなり優秀で、年下の私の話を尊重してくれた。

「本当はこの辺りまでやってほしいけど、大変だろうからここまでやってもらえれば良いか」という指示に対しても、その先を読んで期待以上の動きをしてくれる人が多く、感動しきりだった。

私は高校進学校だったが、芸術系大学に進んだため、勉強では彼女たちにとても敵わない。

だが、その業種での経験が長いので、スタッフが困ったことは大体解決できたので頼ってもらえた。

また、学校では教えないようなことを伝えられるので、慕ってもらえたと思う。

退職時の寄せ書きには「大好き」という言葉がたくさん並んでいて、とても嬉しかった。

自己分析なので間違っているかもしれないが、おそらく私は他人を羨んだり妬んだりすることが無い。

そのため、相手が年下だろうと「すごい」と思ったことは手放しでよく褒める。

褒めると相手もやる気を出してくれて、好循環が生まれる。

ただそれだけのことだったのだが、「褒めて伸ばすのが得意」だと勘違いしてしまった。


転職先では、スタッフ教育が足りていないのが目に見えていて、時間が空くと個人的作業勝手に始めてしまうような、意欲の低いスタッフが多かった。

前任の店長は、お客様が来店しても困っているスタッフがいても気づかないような人だったので、そのためだろう。

前職のスタッフほどではないが、頭の良い大学に通っている人が多く、能力も高そうだったが、やる気のなさを感じた。

「すごい」と思えるところが前職ほど見つけられず、あまり褒めることができなかった。

しばらく経ってから、別の店も兼任することになった。

その店のスタッフは、前職のスタッフよりも平均偏差値20以上低かった。

事務作業が無いため学力特に気にしていなかったが、失敗した後に対策する力や、先を読んで行動する力が足りないと度々感じた。

また、笑顔接客することすらできないスタッフが多く、笑顔お客様をお迎えする必要性を説いても響いていない様子だった。

お客様が来店してくださった時は感謝気持ち自然に湧いてきて、自然笑顔になるものだと思っていたので、それが分からない人にはどうすれば良いのか悩んだ。

それぞれに頑張っていたかもしれないが、「すごい」と思えるところが見つけられず、ほとんど褒めることができなかった。

だが、最近とても優秀なスタッフが何人も入った。それはもうしょっちゅう褒めている。

それまで、なぜ「褒めて伸ばす」ことができなかったのか考えた。


「すごい」と思ったこしか褒めることができない。それが私の能力限界なのだと思う。

上司には「人の良いところを見ようとせず、悪いところばかり気にしてしまう」という欠点を指摘された。

もっともだと思うが、前職の上司なら「そんな点は見受けられなかった」と言ってくれる気がする。

前職でスタッフに恵まれすぎていて、きれいな水でしかイキイキと動けない魚のようになってしまったのだと思う。

現職では心身ともに疲れてしまって、スタッフに対しての言い方がキツくなってしまたことがあった。

私の存在ストレスになったスタッフもたくさんいたはずだ。本当に申し訳なく思っている。

また、上司と相性が悪く、お互いの言い分と受け取り方がひたすら平行線になってしまった。


私はもうすぐ退職する。

尊敬できる人が多い環境に身を置ける人間になれるよう、努力していきたい。

2018-02-03

anond:20180203012201

ブコメンテーターがズレた屁理屈かましてマウント取ろうとするんだろうなと思ったらやっぱりか

叩く人が違う~って「あれこれ裏技を使って潜り込もうとする(裏技と考えるほど卑怯ものかどうかという点は個人感覚でありおそらく平行線)」ことに憤りを感じてんだから

ガチンコでやってつかみ取れ。つかみ取れなかったら他に必要な人に回ったからだ」って主張だろ

合ってるわ

今こんな保育園不足の状態責任増田にはないんだから、その憤りは正当だよ

これに対して「国に怒れ」というのは社会がより良くなるような行動の強制で、お前ら大嫌いだろ

そんなに社会的に良い行動が好きなら「公立より高価な認可外はクソ」という現状を改善するためお前らが12万の認可外に入れて「保育園は超儲かる」という認識を与え競争を促し質を高めろ

経済も回って正義だろ

2018-01-29

anond:20180129115815

女性に恐怖を抱いている人はたくさんいるんだけど

自分たちを脅かしてる存在から

「お前たちの存在が私達を脅かすのだ」

って言われちゃったから「なんだとー?」ってなるのが先行しちゃったんだろうな

ネットの男女問題の論争って

女に虐げられている男と、男に虐げられている女が

男を虐げている女と、女を虐げている男が不在の中争ってるから

いつまでも議論が噛み合わず平行線なんだよな

2018-01-28

ネットにあふれるエロ女性給料の低さとか色々ある上でこんな社会嫌だ逃げたいってツイート男性差別だって殴りかかってるのって、やっぱ女は男の気にくわないことを考えるなでしかないわな。

結局女を低くみるのが染み付いてるんで、この話は平行線しかならんのだな。

2018-01-26

日本の優秀な研究者海外研究すればいいのではないか

ものすごく失礼なことを言ってしまうかもしれません。

が、山中研究室不正問題議論が起こっているのをみていると、途轍もなく言いたいことが湧き上がってしまます

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

マーケティング的に考えて。

 

ちなみに私は国立大学卒の理系です。学部卒ですけど。

先輩にも友人にも、大学院研究をしている方が数多くいますし、私はその方々を本当に尊敬しています

し、研究者もっと研究に専念できる環境研究すべきだと本気で思っています

その前提でお読みいただけると幸いです。

 

また、以下の文章は全て、「日本ローカルでないと研究できない領域研究者」は対象外です。

史学考古学人文科学などの領域対象日本列島のいずれかと密接に関わるやつ。

雑に行ってしまえば、「設備とか環境さえ整ってればぶっちゃけどこでも研究できるやつ」についての話だと思ってください。

  

 

日本人は、マスコミは、バカなのか?

 

山中研究室を取り巻く諸問題に関する議論を見ていてとても悲しく思うのは、

 

バカマスコミとその先にいるとにかく不正を叩きたいバカ日本人、そして学問研究価値理解しない日本政府

VS

学問研究人類・ひいては日本のために絶対必要かつ有益、なのに理解されない、だから日本では優秀な研究者が育たないんだ系研究クラスタ

 

になってしまっているように見えること。

実際 http://blogos.com/article/273575/ こう言う記事とか https://togetter.com/li/1193209 こう言うまとめとかバンバン出てます

 

ただ、上の対立構造になっている以上、議論平行線を辿る一方だと思うんです。

だって日本研究者資金面設備面・雇用環境の面で生きづらいのって、

マーケティング的に考えると、「日本人バカから」じゃなくて、

 

日本では学問研究価値相対的に低いから」ですよね?

 

じゃあ「日本での学問研究価値相対的に低い」原因って「日本人バカから」なんでしょうか?

ちょっと政治上予算配分の話で考えて見たいと思います

 

  

大学予算削減問題に見る日本の大問題

  

筑波大学公式サイトにこんなページがあります

タイトル日本高等教育行方 ――削減される国立大学予算

http://www.tsukuba.ac.jp/students/campus/184/1.html

ものすごくざっくり言うと「国立大学予算の削減が著しい。このままだと高等教育の質が担保できない。」と言う内容です。

  

大学社会的機能は、おおざっぱに分けると「研究」と「教育」の2つ。

まり予算が削減されると、大学運営上はどちらも厳しくなります

ただ、国立大学の収支を考えると、国から予算だけで運営されているわけではありません。

例えば「研究」だったら科研費とか、「教育」だったら授業料とか、収入を得る方法はありますよね。

ただ、筑波大学によれば、予算が厳しいからと言って授業料を上げるとなると、「どんな地域のどんな人にも均等に教育の機会を与えるためにある」と言う国立大学存在意義の一つを失いかねない、と言うのです。

これはとても合理的視点かつ重要な指摘だと思います

  

ただ、国家予算という側面で見るといかがでしょうか?

国家収入源は基本的には税金

これを必要なところに振り分けることで予算が決まります

 

ここで、「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」という命題について考えて見ましょう。

ご存知の通り日本では急速な勢いで少子高齢化が進んでいますね。

現在と同一水準の質を担保しようとすれば、福祉社会保障にかかるお金は今後増していくことでしょう。

また、中国新興国の急速な台頭によって日本産業構造も大きく変わっています

日本貿易が今どう言った状況にあるのか詳しくはわかりませんが、普通に考えたら競合が増えてますので、貿易利益(とそれからくる法人税)は減る一方でしょうね。

中国関連でいうと、領土問題もありますね。

尖閣諸島への積極的アプローチを見ていると、防衛費過去最高額を更新し続けるのもうなずける一面はあります

(これはこれで議論を呼びそうな意見ですが。)

 

ざっとこれだけ考えても、日本という国の先行きは非常に厳しい。

果たしてこの状況で「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」

とても乱暴意見であることを承知で言うならば、

高齢者社会保障犠牲にして頭のいい学生のためだけの学びの場を提供すべきなのか?」

 

少子化教育全体の受益者が減少し続ける中で、

日本政府意思決定果たして論理的破綻している「バカな」ものなのでしょうか?

私には非常に合理的で止むを得ない決断だと思われてならない。

 

 

■”質の高い高等教育”は他の教育犠牲にしてまで優先されるべきものなのか?

 

教育にかけられる予算が限られているのであれば、他の教育にかかる予算を削減してでも高等教育研究予算を割り振るべきだ。」

と言う意見もあることでしょう。

文部科学省データを超ざっくり見ると、私学助成金と国公立助成金の配分はおよそ1:3。(ソースは以下のP.31から。超ざっくりです。)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/031/siryo/__icsFiles/afieldfile/2010/04/22/1292935_2.pdf

この配分を変えるべき!と言う意見もあるかもしれません。

 

これ、ものすごく乱暴かつ危険な考えだと思います

 

実は日本大学進学率は51%らしいです。OECD加盟国で見ると低いらしいです。(ソースは以下のP.24から。)

日本大学生のうち73%が私立大学生。

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/19/082.pdf

大学生のうち、大学院に進学する/しないで比率をとったら圧倒的にしない人の方が多いでしょう。

純粋に「最大多数の最大幸福」の原理に立つならば、「私立大学教育費を削って、国公立教育費や研究費を捻出しよう」などと言う考えがいかに暴論か。

 

日本人の豊かさって、「普通にしてれば大学を出れるし、仕事もある」ことに集約されてると思うんです。

日本ってそこを優先してきたと思うんですよ。みんな幸せ的な。

飛び抜けて優秀な人が幸せって方向に振らなかったからこそみんな幸せ的な日本があると思うんです。

 

ここまで考えると、「日本において高等教育学問研究価値相対的に低いのは日本人バカから」って思えないんですよね。

残念ながら、日本研究者にとっていい環境でないことは、しょうがないんじゃないかと思うんです。

頭のいい人間投資しろなんて、この分断の時代にあってはとても危険思想と受け取られかねないじゃないですか

 

 

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

ここまで来てようやく本題です。

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

 

日本では研究高等教育価値になりにくいみたいです。さてどうしよう。

 

日本の優秀な研究者に残された道は2つです。日本研究するか、海外研究するか。

日本研究するためには3つの選択肢があります

「1.学問研究価値自体底上げする」か「2.自分研究価値化する」か「3.ひもじいのを我慢して努力する」か。

 

1. ってこれまでずっと研究者が言って来たことだと思うんです。

学問研究は将来の豊かさにつながる的な。実際本当にそうだと思うんです。

ただ、です。それが日本人全体の価値になるのか?は確かなのか?

 

極論を言えば、10年後の豊かさための研究明日死ぬ人にとって何の意味もない。

日本人全体の価値になるかどうか?の確からしさってどうなんでしょう?

少なくとも日本では半分以上の人は確からしさを感じていないのでは?

 

 

そうなったらそれって所詮思想であって、「正義」ですよね。日本人のために!ってやつ。

それって、「不正はいけない!」って言う「正義」と何が違うんでしょう?

正義」の正しさを判断するのは誰なんでしょうね?

少なくとも「正義」の強さ(≒正しさ)が民主主義的な数の暴力的プロセス承認(≠証明)されるのであれば、「不正はいけない!」って言う正義の方が強そう。

 

マスコミは強い「正義」側に立つでしょう。彼らは営利組織だ。

弱い「正義」は残念ながら資本主義社会では利益を生みにくいんです。

マスコミバカなのではなく、ビジネスマン

 

正義」対「正義」はどちらかが屈服するまで終わることはありません。

から私はこの対立構造が本当に勿体無いと思います

少なくともこの対立構造の中で議論することに、研究者メリットは全くない。

 

 

となれば2.でしょうね。実際このタイプの方は成功を収めているパターンが多いと思います

話題落合陽一准教授とか。本当にすごいと思います。後は尾木ママとかね。

 

 

3.は本当にないと思います

研究目的とするのに、研究環境を悪くするって何なんでしょう?

研究環境がプアなら、秀逸な成果に辿り着く可能性もプアになるでしょうね。

そんな頑張りに意味があるのか?

研究者として頑張る自分」に酔いたいなら。

 

 

そう考えると、本当に研究がしたい研究者にとって残された道って、

日本自分研究価値化する」か「海外に行って研究をするか」しかないと思うんです。

どっちの方がハードル低いですかね?

 

研究価値化する」ために、「価値になりにくい環境価値を探す」のと「価値になる環境に行く」の。

後者の方が圧倒的に合理的じゃないですか?

 

 

もうね、「日本のため」とか考えなくていいと思いますよ。

それはとても弱い「正義」です。

後進のために少しでも良い環境を!という思いを抱いて頑張ってらっしゃる方もいるでしょう。

それも結局「正義」でしかないと思うんです。弱いんです。

と言うか、海外で「日本研究者は優秀だ!」って言う評判を作ってくれた方がよっぽど後進のためだと思います

 

 

自分研究をどう価値化するか?」

これってマーケティングだと思うんです。

研究者にもマーケティング発想が必要なんです。

そして優秀な研究者なら絶対できます

 

世界資本主義を中心として動いている以上、一番強い「正義」は多分資本主義です。

資本主義の中で強そうな武器方法論)として採用されているのはマーケティングです。

そのマーケティングで有名な概念が”競争優位”です。

 

 

強いところで戦いましょうよ。

優秀な研究者であればこそ。

 

 

日本では、優秀な研究者が自らの研究武器にして、国防高齢者福祉に勝つのはとてもとても難しいと思います

2018-01-12

anond:20180111154059

非モテアンチフェミ男と元増田みたいな恋愛弱者恋愛アクティブフェミに傾倒してない女って一見需要供給自体はかみ合ってるように見えるけどトラバが果てしなく平行線いってて悲しくなった。

2018-01-10

私の経済成長

2017年は1.0%の経済成長率でした。

2016年の32.3%、2015年の54.7%に比べごく僅かとなり、関係各所で懸念が広がっています

野党第一党の憂鬱党は「成長率の鈍化は会社立ち上げの準備に依るもの。より確実な収入確保すべき」として、与党を追求する方針です。

それに対し俺首相は「成長の鈍化を防ぐためにも法人化必要」という姿勢を崩しておらず、両者の意見平行線となりそうです。

また、「2018年の成長予測10.8%に落ち着く」という内閣府調査を支持する立場を変えない方針ですが、

この調査に対しては見通しの甘さを指摘する声が多く、議論を呼びそうです。

2018-01-05

anond:20171230111228

「反出生主義、一理あるのかないのか」の議論は白熱しつつも平行線を辿りがちだ。

一方で、反出生主義者が何でこんな考え方を抱くに至ったのかはあまり触れられない。

自分は反出生主義者で、両者が何で分かり合えないのかがなんとなく分かるので、書いてみる。

※反出生主義を標榜する所以千差万別だと思うのであくまで一例です。

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生きていれば皆等しく嬉しいことも辛いことも経験する。

それでも世の中の大抵の人が、生まれてこれて概ね良かったと感じている。

ただ自分生来喜びとか快感といった刺激を自らに呼び込むのが下手で慢性的な充足感不足に陥っており、どうも生まれてこれて良かったという感想を持てない。

別に苦難の多い人生を経てきたとかではない)

ただ不器用感受性に乏しいってだけだけど、生まれついてからずっとこんな状態に浸かっていると、自分人生愛着が持てなくなる。

自分人生愛着が持てない人間が、子を為すということに思いを馳せると反出生主義的な思想にたどり着いてしまう。

子を為すことを考えるとき、それは「あらためて自分が生まれ直したら」という想像をすることと似ている。

でも子の将来について考えるとき自分人生に対する自分の印象・見方しか参考にするものがない。

自分人生愛着を持っている人にとっては、子を為すことは「自分が嬉しいと感じていることを人にもしている」に過ぎない。

だが自分の生に愛着を感じられない人にとって子を為すことは「自分がされてもあまり嬉しくないことを人に強いる」ことになる。

自分行為により、今自分が自らの人生に対して持っている印象と同じような印象を自らの人生に対して持つ者が生まれ得る。

そんな想像をすると、それは可哀想だ、となってしまう。

自分自分人生愛着はないが、自分可哀想だとは思っている)

反出生主義への世の風当たりの強さから思うに、今の日本社会で子を育てれば、まさに案ずるより産むが易し、大抵は自分の生に愛着を持てる人間になるんだろうと思う。

でもそうとは言え、子供を作るということにはたくさんの不確定要素が付きまとう。

万一自分人生愛着を持てない人間が育つ、自分の子供がそうなってしま可能性を考えると、気持ちがよく分かるだけに辛い。

また自分は親に愛されて育ってきたので、親の愛情が多ければ我が子が自身人生への肯定感を育める…とは限らないということも知っている。

愛が万物治療薬とは限らない。

自分人生愛着が持てないというのは難儀な病で、生まれた子がこの病を抱えてしま可能性が0より少しでもあるんだったら、いっそ生まない 方がいいと思ってしまう。

万一このハズレくじを引かされた子に、愛でそれを肩代わりするみたいなこともできない。責任を取る手段がない。

それが可哀想でならない。

これも単に一つのエゴしかないことは分かっているけど、反出生主義者は反出生主義の再生産を何より怖れるのだ。

2017-12-28

anond:20171228103634

なるほどー。

増田立場尊重する。

ただ俺としては、太っているという理由本名を奪われてしまう(と感じる)のはやっぱNGだし、何より『JKハル』が本人の人格気持ち無視して何かを押しつけられる痛みに敏感な作品(だと俺は思ってる)だからこそ、そういうことに鈍感なのは瑕疵だろうと感じてああ批判したんだよね(だからこれが『JKハル』以外の作品ならたぶん何とも思わない)。

平行線かもしれんが、最後に↑だけは言わせてくれい

2017-12-24

anond:20171224135344

だとすると平行線だわ

俺はまだ限度内だと思ってるから

2017-12-11

anond:20171211214149

理論解釈は私ので合っている?→合ってるようなので、続けるね

 単語意味完全に一致するかだいたい一致程度かは、この場合議論に影響しないと思うので

 

あくまで私という素人個人的意見だけども、どの例もハッキリ言ってこじつけしか見えない

聖書の中から都合のいい文字を好きなように拾って「予言」と称する遊びと同類に見える

見える見えないの話はこれ以上は平行線なっちゃうと思うのでやめるけど

私ならこの方法英単語を覚えやすくはならないな

2017-12-03

anond:20171203122001

女性向けだとレイプ物に愛が必要なのはわかりました

実のところ男向けでも陵辱レイプ物なんてものマニア向けでそんなに需要があるわけではないんだな、実は

だってきじゃないし

でも本質はそんなところじゃないと思うんだ

男女がエロマンガに求める物は明確に違うけどそれがなんなのか共有されてないからこの話は永遠に平行線をたどってるのではないか、と思うんだ

2017-12-02

https://anond.hatelabo.jp/20171201234424

規制側が、現在の売り方に満足していないわけだから平行線だろう。

子連れ仕事したくない私が、熊本市議の緒方さんの件で思うこと

熊本市議会のあの子連れ騒動の人が緒方さん。

この騒動を知った時のファーストインプレッション

「なんだ認可保育園入れろよ、それが親子の最も幸せ選択じゃないか

ってことだった。

でも初めて知ったんだが、市議会って月にせいぜい5回しか開かれないのよね。

まあ実際は陳情聞くやら調査するやら色々あるんだろうが、実際会議場に行くのはそんなもんみたいだ。

http://kumamoto-shigikai.jp/kihon/pub/detail.aspx?c_id=8&id=399&pg=1

この時点でまず認可保育園は無い。

熊本事情は知らないが、普通政令指定都市ならパートタイマー以下の「保育に欠けるとは認められない状況」。

じゃあ認可外保育園施設付きの託児所ベビーシッターって選択肢になる。


ここまでが前提。


まあこの時点で

女性子育て仕事を両立する難しさを見せたかった」

っつってるけど、月に4、5回の出勤で・・・?っていう思いはある。

けど我慢して整理してみる。


ベビーシッターではダメなのか



もともとはこういう要求だったよね。

『昨年11月28日午後、議会事務局長ら3人と私で話した。

妊娠報告をして「長男が生まれたら一緒に議場に連れていきたい。

議会内に託児所を設置するか、予算が厳しいならベビーシッターの手配または部分的な補助を出してほしい」

要望した。

一歩でも子育て世代議員を増やすための環境整備を進めたいとお願いしたが、市は

議員さん個人ベビーシッターを雇って、議員控室で見てもらってください」という答えだった。1、2時間話しても平行線だった」

https://mainichi.jp/articles/20171129/mog/00m/040/002000c


好意的解釈すると、

議会職員議員、傍聴人が利用できる制度を作るためにベビーシッター手配や

託児所設置をしましょうよ、公費で」

ってことだよね。

で、その先遣隊が自分だと。

じゃあ議員報酬月額674,000円だけど、その中からさないのはなぜ?

条例とか作らずに公費私的に利用しようとするのは公費私的流用(舛添のシルクの服とか)とは違うの?


それとも、自分ベビーシッター代は出すけど、

議会に関わる人が使える託児所シッター代は、今後熊本市が出していきましょうよ、って交渉してたの?

どっち??


私も、将来的には保育所無償どころかベビーシッター代も助成してくれる世の中になればいいと思ってる。

公務員議員があるべき世の中の提示をして、先に自分たちに対して実現していくのは結構だけど、

現状、保育料なんて自営業のための経費としても認められない。

その中でベビーシッター代を出せとか出さんとか言うのは、熊本市予算案をどうこうしたり、条例を作ったり

あんたのあの議題、賛成してやるからちょっとこの託児の議案そっちから出してくれん?」

とか言って偉い人に取り入ってやるんじゃないの、政治家から

なんでそんな鈍くさいやり方なの、ハウス・オブ・カード見ろや!

唐突Netflixステマでごめん。



認可外保育園ではダメなのか

認可外保育園平成29年6月1日現在熊本市内に50ヶ所ある。

ちょっと驚いた。

熊本市、そんな田舎じゃなかった。ごめん。

うち半数の認可外保育園23ヶ所が熊本市議会のある中央区存在している。

それ使わないのなぜ??

私が目指すのはさまざまな子育てや働き方のスタイルを認め合うこと。

その一つとして仕事によって母子が分離されない姿。

一緒にいるのは赤ちゃんにも母親にも大切。赤ちゃんの発達にも必要で、

大事な部分でもある。産休後は「預けなければいけない」ではなく、

母子を分離しない働き方もできるようにしてほしい。

https://mainichi.jp/articles/20171129/mog/00m/040/002000c

なるほど、様々な働き方のスタイル

結局、個人的に「母子が一緒にいるのが、預けて仕事に出るより大事幸せだと思ってるから預けなかった」ということ?

個人感覚からなんとも言えないけど、私は仕事あいだだけでも、保育のプロ真摯に面倒見てくれるのが一番幸せだと思うわ。

子供にとっては。

あなたの子と同い年のうちの子保育園に預けてるけど、

私が自営の仕事の片手間に世話するより何倍も幸せだと確信してる。

入園してしばらくしてから保育所にお世話体験に行ったんだけど、

先生は常に歌ったり(凄まじい数のレパートリー)、絵本読んだり、リズム遊びしたり。

まだしゃべらない子の代弁をして、決して怒らず、栄養満点の食事をみんなと食べて

大きな遊具で体をいっぱい使って遊んで、外に行っては砂や落ち葉にまみれて転げ回る。

ありがたくて涙出そうだった。誇張じゃなく。


7ヶ月の活発になる段階の子供を、静粛を要求される議会に連れてきてずっと抱いて座らせておくのが、

それでも親子の幸せ寄与する。なぜなら母子が分離されないから。

って言うなら、そりゃもうこの人の考え方だし仕方ないよね。


子連れ仕事できるのか



個人的には「できると言えばできるが能率は3割減くらい」という感覚

意外に新生児の方が楽で、6ヶ月~2歳くらいは指示が通らないけどムチャ動くので本当に過酷

カフェ子供を抱いて座ってるのすら落ち着けないのに、議会子連れはどうだろう。

あと、そもそも100%の力で仕事しなくてもいいじゃない」っていう意見

これ、実は分かる。

うちも従業員の方々には「7割くらいの力でやってくれたらええでー」と言っている。(従業員子連れで来ることもある。)

だって帰ってからも色々あるじゃん

忙しいんだよ現代人は。


ただ議員ってどうだろう。

民衆代議士なわけだよね。

議員にならないその他大勢に「私の代わりに頼む」って言われてその席に座ってるんだよね。

体調不良で欠席、わかる。

産休育休介護休、わかる。

家族病気で欠席、わかる。

でも月に4~5日出てきてその席に座ってる時に、あなた代表している市民のために100%の力を出して

集中して仕事して下さい、って言うのはそんなに非道で、子持ち議員に厳しい要求だろうか。

パフォーマンスなのか



パフォーマンスだ。本人もそう言ってる。

https://mainichi.jp/articles/20171129/mog/00m/040/002000c

障害者鉄道乗車拒否が普通だった時代に、あえて乗るという行動で問題提起をした。

からそうせざるを得ない状況だったことを理解しよう」(と言われた事が嬉しかった、との事)



青い芝の会の事だよね。

移動の自由という基本的人権に関わる事を不退転の決意で成し遂げた「パフォーマンス」と同一視すんの、

自分を、という感じだけど。

政治家政治的パフォーマンスをする事を悪いとは私は思わないし、テロかいう人もいるけどそれは物事を悪意ある

単純化に貶めていると思う。


だが、

こういうやり方は限界と分かっていて、みんなが悲鳴をあげているのに、

訴え続けても何も変わらない。

声を聞いてもらうにはもう議場に我が子と座るしかない。

無数の悲痛な声を可視化たかった。

これが分からんのよ。

誰のどんな声を代弁してるの?

ベビーシッターの手配と公的扶助事務局に断られたこと?

託児所を作ってもらえなかったこと?

議員控室で子供を預けてもいいと言われたが、母子を分離したくないという自分の思いを快諾して貰えなかったこと?

少なくとも、職場子供を連れて行って仕事をする事はぜったいにムリ、っていう私の声は入ってない。

子連れ出勤が世の中に広く認められるようになったら、フリーランス経営者は認可保育園ポイント

減らされてもおかしくないけど、その悲痛な声は代弁してくれんの?

自営業になる前は上の子供を職場に連れてって、タブレットアンパンマン見せながら必死コード打ってたけど

あの時の私の悲痛な声は「夫はよ帰ってこいや」でしかなかった。

父親はちゃんと母親と同じように子連れ仕事する負担を(残念ながら負担なんだよなあ)負ってくれんの?

昨日もうちの子風邪保育所Removeだよ!助けて駒崎さん!!


一体何を訴える、誰に利益をもたらす想定のパフォーマンスだったの?

ハフィントンポストでは

子育て世代の悲痛な声が、私のところにはたくさん聞こえています

その声がかき消されてしまう前に、見える形にしたかった。

私が赤ちゃんと座る姿を見せることで、目に見える形でそうした声を体現たかった。

政策決定の場にいる方々、議員や市の幹部に見てほしいという思いでした。


って語ってるけど、毎日新聞では

 --いつから子連れで議場に入りたいと議会事務局要望していましたか

 昨年11月28日午後、議会事務局長ら3人と私で話した。

妊娠報告をして「長男が生まれたら一緒に議場に連れて行きたい。

議会内に託児所を設置するか、予算が厳しいならベビーシッターの手配または部分的な補助を出してほしい」と要望した。

ってある。

ハフィントンポストで語った事は後付けなのだろうか。

後付けでもなんでも社会がいい方向に行くなら、って考えもあるだろうけど、

これはいい方向だろうか。

子持ちにとって、子無しにとって。

2017-11-21

営業に異動させられそうだ

愚痴ポエムを書き散らして頭を整理する。

プログラマー(SEとは名乗らない)から営業への異動を説得されている。

やりたくない。

若手の頃からたびたび目をつけられていた。今までは運良くタイミングが合わず、なんとか躱してきたが…中堅になった今、上の方で「そろそろどうだ?」という話になっているらしい。

やりたくない。

技術職で食っていきたいのだ。手を動かして何か作りたい。より良い設計に頭を捻りたい。コードに没入したい。ついでに世の中が少し良くなりゃそれでいい。

新卒経験就職したが、業務内外問わずそれなりに研鑽を積んできたし、日頃から技術志向であることはアピールしてきた。趣味で学んでた技術が実案件にハマって脳汁たこともあった。ほぼ最速で昇進できたのも、そこが評価されてのことだと思っていた。

でも違うようだ。その辺のスキルがようやく脂乗ってきたと思ってたのに、それを捨てろと。

つーか同年代他にもいるのになんで俺なんだ。喋れなくはないし酒の席も好きな方だが、真の意味でのコミュ力には自信ない。たまに口も滑る。外ヅラだけそれなりに良いだけの真面目系クズだしズボラだしガチ寝坊もしばしばやらかしてて絶対営業なんて向いてない。

以下説得文句

営業やると視点が広がる」

顧客課題解決により密接に(ry

「開発より自由に動けるよ?」

「開発のまま、っていうけどあと5年10年したら管理側だよ?後進もいるし」

「開発としてこれ以上成長できる案件が今ないんだよ」

「動向は知ってなきゃいけないから、技術から離れるわけじゃない」

開発一通りやっただろ?次行けよ。ってことらしいんだけど、一通りやったつもりなんて全然ないんだよ。35歳定年説かよ。あれ絶滅したと思ってたぞ?

そんなん言ったらちょい上の中堅どころとか同期とか同じ条件でいっぱいいるじゃんか。つーかその話のとき目指してる先輩方が暗にdisられててムッとした。

視点が広がるというのはあるだろう。広がった視点を持って開発に戻る、というのはちょっと魅力ある。けど営業行って開発に戻った人いないじゃんか。行ったっきりになるのが目に見えてるから嫌なんだよ。今後はローテーションも考えてるとか言ってたけど全く確証なし。

呼び出し食らってそんな話をグダグダ平行線のまま続けたのち、ひとまずは解放された。

節目節目でやる気はないと何度も念押ししたが、今回は簡単に折れてくれない。

開発のままでいたい、だけだとどうも弱くて、俺が開発から抜けることの損失を説明できないと勝てない予感。そうなると自信がなくなってくる…

あと営業が嫌な理由も強化しないと。だがそもそも営業が何やってんのかちゃんと語れないのよな。「顧客と開発の橋渡し。スタイルは人それぞれ」とか回答されてもな。

相手をよく知るため、とかで営業チームに話聞きに行ったら逆に絡め取られかねない。

あー憂鬱

あー憂鬱

ガチ抵抗しないと次年度には営業なっちまって戻れなくなる。

あるいは転職か。こんな形での転職は望んでいなかった。

あー。

似たような経験ある諸氏いたら、飛び込んでみろ意外といいぞとか絶対やめとけとか、あるいは甘ったれんな小童系の手斧でも何でもいいから投げてくれさい。

どうもここ数日、自分勝手に部下や同僚に対して自分勝手理論

発達障害レッテルを貼り、私怨を晴らしている人物がいるようだ。

この人物には障害者差別のにおいを感じる。危険人物のようだ。

凶暴な獣のように厄介だ。

発達障害人物の取り扱いに困っている振りをしている発達障害者

議論はいつまで経っても平行線で、交わることはないだろう。

2017-11-14

東京新聞によると、多くの被害者遺族から顔写真実名報道を控えるよう要請がきています。その思いは胸に突き刺さります

 社会部意見割れ平行線のままでした。(1)事件の重大性を社会が共有するために、9人全員の写真掲載は1度に限る(2)個別写真掲載はできるだけ繰り返さない-。現段階ではこう結論付け、11日付朝刊に載せました。

酷い…

2017-11-12

anond:20171112034443

男性にとっては、お互い「そうだね」とか「わかる」ばかりじゃ退屈してしまますよね。

面白いと思えることを言い合った方が楽しいですよね。

時には言葉のバトルも楽しみたいですよね。

ただ、伝えたいことを伝えるときは、バトルでは通らないことが多いんです。

あなたが大切にしている考え方は、叩かれて振り落とされないように必死で守りたいですよね。

叩かれれば叩かれるほど、考え方をしっかり守りたくなりますよね。

みんながお互いにそうしているから、お互いが考えを譲らず、議論平行線になるばかりで、モヤモヤモヤモヤするんですよ。

しかしながら、心から信頼を置く人の考えには、耳を傾けたくなるし、ありがたいと思いますよね。

そういう人に影響を受けたいって思いますよね。

通常、人が信頼を置きたくなる人は、自分肯定してくれる人ではないでしょうか。

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