はてなキーワード: 感染症とは
もはや、内情はぐちゃぐちゃである。
そうしている間に、会社は成長はしていた。
そして、成長していくと実際に価値を生み出す製造部門は特に大きくなっていく。そのため、親会社よりも子会社の方が遙かに人数が多くなった。
親会社は、高卒採用などは遙か昔に辞めており、、選ばれた大卒者、特に新入社員で育てていくと言う会社方針の下で行動している。
こうしていくと、当然力関係も変わってくる。親会社の統率もとれなくなってくる。
だから、親会社が指導して、それに従えば良いのだ、と言う様な貴族的な考え方では組織が動かなくなってくる。
昔は、成長を見込めるやりがいのある仕事は親会社社員に、それ以外の仕事は子会社にやらせる、というところがあって、仕事には差があった。そこには責任範囲が違うと言ういいわけもできたことと思う。しかし、企業規模が大きくなってくるとそんなことは言えなくなってくる。
しかし、上意下達、ビジネスパートナーとしてはでは無く、面倒を見る代わりに安く雇われろ、と言う形でしか行動してこない。
安易な経営判断と歪んだ労働組合が生み出したこのどうしようもない企業文化は、二重の意味で会社に問題を引き起こしており
このような状況で、主力としている業界で大きな変革が進み、相対的な競争力が低下。このような手段を使ってまで作り上げた低コストという売りは、全うに業務改善をしている競合他社に対して見劣りをするようになってきた。
さらに、新型コロナウイルス感染症、DXなどの大きな波を被るようになって、経営改革を目指しているようである。が、そんなものは上手く逝くはずは無い。
親会社もようやく問題点に気付いたようだ。しかし。もう遅きに失した。
残業を考慮しないと、年収が倍近く違う。
高卒で採用されが子会社社員が社歴が5年ほど長いにも関わらずだ。ただこれでは家族を養えないので、みなハードな残業をこなしている。36協定は月80時間、960時間である。
やっている仕事も、生産ラインの設計メンテというところでほぼ同じ仕事。親会社社員の方がよりやりがいのある仕事を振られ、子会社社員は親会社社員がやりたがらない仕事や雑用が中心だったが、最近は規模拡大でやってることもほぼ同じになってきた。
その他の待遇も
なお、有給の消化率だけは高い。何故ならば、親会社が休みの日は、親会社の職場が閉鎖されるからだ。親会社の職場に混ざって働く人は多い。そうすると仕事をすることが出来なくなるので、半強制的に有給を取らされることになるからである。
究極的には、ライン立ち上げ寸前など、超繁忙期でも、親会社社員は帰る。
組合が見回りに来るからだ。そしてその時、組合は会社が違うのでといって立ち去る。ぎりぎりになって夜間交代で作業しなければいけないときも「組合が駄目って言うから」という理由で、親会社社員は加わらないのが当たり前である。
そして、もはやここまで待遇に差があると、もはや改善は困難である。
何故ならば、給与を上げると赤字になって競争力を失うからだ。
危機感を持っている人はいる。しかし、費用構造を知ると、もうどうしようもないと考え、何もできずに辞めていく。
競争相手が、借金や設備投資をし、苦しいときには全員の賞与を削減してでも全員の雇用を守って、カイゼン改良を重ねて企業業績を伸ばしている中、ここは、労働組合の誤った動きに乗じ、安易な解決策に走った。
そのようなものは、長続きするはずはないのである。
ただし、 同じ待遇もある。親会社が参加する地域のお祭りの時だけは、親会社社員と一体になるのである。
つまり、親会社社員は馬鹿馬鹿しくて出席しないので、子会社社員を動員するのである。
親会社のロゴのついた特製の法被を着せられて、親会社の名前がついた山車を引っ張るのだ。(強制)この時ばかりは平等である。
こんな会社でも、親会社の名前は、地域の中では一番良い就職先として知られていた。潰れる事も無いだろうとも。だから、いくらでも人を雇えたのである。
前は。以前は。
そして今、何が起こっているかというと、人材の流出である。はっきり転職エージェントの狩り場だ。
子会社側の人材は、転職エージェントから見ると、スキルを持った人間が大バーゲンに見えるらしい。
親会社側も、待遇は非常に良いのでそれが転職のハードルになるようだが、こんな歪んだ環境はその他の色々なことが歪んでおり、堪えられなくて転職するものもどんどん増えている模様。
情報通信機器メーカが国内回帰ということで近くに工場を建てたのだが、その際に二十人以上が辞めた。他にもよい会社があると言うことにみな気付いている。
リファラル採用というなの退職ドミノ倒しは、まだ止まっていない。
流石に危機感を持ち始めたようだが、もはや無駄である。
そして、人材も激しく偏る。
親会社には現在、東京に出て行く勇気も無く、大卒で安定志向だけを求めて地元に帰ってきて、とりあえず地元で最も名前の知れた会社に入ろう、と言う人材だけが集まっている。社会をよくしてやろうとか、成り上がってやろうとか、そう言う人は入社しない。当然それ以外にも美辞麗句に誘われて来る奴がいるが、そう言う人は、歪みの多いJTCに飽き飽きしてさっといなくなる。ただし、地方としては破格の待遇のため、我慢しているやつもいるが、彼らもにらまれたくないので歪んでいる。
そして、優秀な人もいるにはいる。なんでこんな所にいるのだろうと思うと、親会社、子会社双方に、家庭の事情(実家で介護がいるとか)で離れられないことが多いのだ。そして、彼らは、その対象がなくなると(つまり、介護していた親が死んだりすると)、音もなくさっといなくなる。優秀で要になっていた様な人が多い。そんな彼らが、晴れ晴れしく、音もなく、さっといなくなる。そうして、大混乱することも多い。
大変笑える話だったと思う。さあみんなで笑え
そこまで狙ったわけでは無いが、共通認識がとれてないと成立していない、と言うことを、適切に理解いただいているようだ。なによりだと思う。
猫とドブネズミが異なる、と言うのは自明であるから例に使ったのだが、そこが同意できない、という主張があるとして、例えばこれを解消するには、
と言った説明をすることで共通認識を作ることができる。仮に同等であるという立場で話をするならば
さて、あなたはこのような整理を経て相手に「フェミニスト」と「山口達也氏」は同じ罪の無い存在として同等に扱われるべきだ、と言う共通認識を得たのか?
それが成立していないと「なぜ違う扱いをするのか」と言う疑問にたどり着くことができない。
まずは、あなた自身が相手との間で共通認識を作るべきだ。相手が断固として共通認識を持たないと拒否するかもしれないが、その前に整理して説明をするべきは、疑問を投げかける者以外にはない。
明日からマスクが個人の判断になる。マスクを外すと、万一自分が感染者だった時に、「周りの人に感染させる確率がグンと上がる」と書いてある。
つまり、基礎疾患を持つ人が周りにいるかもしれない場(公共交通機関、大学などの講義、などなど)でマスクを外す人は、「万一、周りに基礎疾患者がいて、基礎疾患者に感染させて重症化してしまっても構わない」と思っているという事だ。
社会に対する迷惑度で言ったら、醤油ペロペロ男と同じか、それ以上であるようにしか自分には見えない。醤油ペロペロ男が、万一、何かの感染症にかかっていたら、同じ醤油さしを使った人間に感染するかもしれない。が、まぁ、多分、死にはしないだろう。
一方、マスクはどうだ?「基礎疾患のある人間がいるかもしれないところでマスクを外した人間が、万一、コロナに感染していたら、基礎疾患のある人に感染させてしまうかもしれない」同じじゃないか?醤油ペロペロ男とどう違うんだ?しかも、それで重症化させて殺すことがあるかもしれないんだろ?マスク外す奴は醤油ペロペロ男より酷い人間のクズじゃないのか?
マスクの着脱は個人の判断だが、「マスクを外した人を見てどう思うか」も基礎疾患持つ人の判断であるはずだ。自分は、基礎疾患があるので、自分の前でマスクを外す人間は、自分が死んでも構わないという考えを持っている人間とみなすことにした。
仕事についてはそれで付き合いを変えることはしないが、個人的な付き合いはやめさせてもらう事にして、さらに、「〇〇さんは自分に死んでほしいらしい」という話を裏で流すことにしたいと思う。実際、嘘は言っていないしな。
時々大切なものと叫ばれる「愛国心」、そして日本やそれに関するものがすごいことをすると熱狂する国民。
ところが私はそういったものに引き込まれないどころか、つい冷めた目で見てしまう。
そんなエピソードを書き綴っていくが、自分でも理由がわからないしどうすればいいのかわからない。
時々ニュースに出てくる、「すごいことをした日本人」。スポーツや学術など分野は多岐にわたる。
言い換えると、だから何、というもので、別に私までうれしくはならない。理由は簡単だ。自分の功績ではないからだ。
スポーツ競技の日本代表は、「すごいことをする日本人」としてメディアに大きく取り上げられるものの代表例だ。
日本代表がスポーツ大会に出る時期になると日本代表戦関係の番組ばかりで埋め尽くされる。
どこもニッポンニッポンうるさい。番組内容もインタビューも日本の応援しかしない。これでは中継・特集番組じゃなくて日本礼賛番組だ。
まるでエロサイトのバナー広告のようだ。1局くらい、日本以外を応援したり、せめて日本に肩入れせずまんべんなく取り上げるようなところがあってもいいのに。
これについても、上記と同じ理由で日本代表を応援できない。勝とうが負けようがどうでもいい。
もし日本代表が勝ったら100万円くれます、とかなら本気になって応援するが、勝ったところでこちらに何のメリットはない。
というか、なぜ日本国籍があるだけで日本代表を応援しなければいけないのか。
別に興味なかろうが、どこか別のところを応援しようが自由ではないか。
その前に、今回のWBC、対戦相手に負けろとかいうのがTwitterのランキングに出てたぞ。恥ずかしくないのか。人のこと言えないぞ。反省しろ。
敬うかどうかはこちらの勝手。単に自分とは関係ない人なので、別に敬う義務はないと考えている。
正直言って天皇が病気になろうが死のうがこちらには関係ない話。ただそれだけの話だ。
メディアでは皇族を様付けで呼び、まるで何も影のない神様のように扱っているが、釈然としない。
まるで問題点を意図的にそらしているかのような印象を受け、どうしても天皇そのものを信用できない。
「天皇陛下は日本国民の幸せを祈っています」とか言われるのも釈然としない。
「日本国民の幸せを祈っています」とか言われても、だから何なの。祈られるだけで幸せになるなら今頃大金持ちだ。
最後に区別しておきたいのは堀江貴文氏のように炎上狙いでわざと天皇を貶しているわけではないことだ。
単純に敬う必要性が感じられないから個人的に敬わないだけの話である。
小学生のころ、「しゃかぽん」(朝日新聞出版)という雑誌を父親が買ってきてくれた。そこには世界各国を紹介するセクションがあり、これをきっかけに海外に興味を持った。
そして中学生のころ、英語・英会話の先生が非常にわかりやすい授業をしてくれて、英語にも興味を持ち、すぐにでも使ってみたいと思うようになった。
(結局使ってみたのは親戚の葬儀の時。故人に手紙を書こう的なコーナーがあり、私はそれをAll Englishで書いた)
背伸びしてワールドニュース(NHK BS1)やThe Travel Show(BBCワールド→Dlife)など英語圏の番組を通訳音声を切って見るようになった。
スマホにBBC Newsアプリをダウンロードし、通学途中英字ニュースを読んだり英語のラジオ放送を聞いていた。
学内には英会話講師が常駐しており、友人がいなかった私は毎日のように通っていた。
大学院のころ、外資系企業でのインターンシップの機会があり、そこで海外留学に十分なだけの資金を得られた。
しかし留学には指導教員の許可が要るものの仲が悪かったので、100円ショップで指導教員と同じ印鑑を買って押印し、そのまま出願した。
事務にはバレることはなく、奨学金(もちろん給付型)付きで送り出してもらえた。
留学の日々は非常に楽しく、刻一刻と近づく帰国の日が恨めしく思えた。
結局帰国の日を迎えてしまったのだが、羽田空港での日系企業の広告を見て「どうせブラック企業なんだろ」と思ってしまった。
ちなみに帰国したのは2020年2月初頭、新型コロナウィルスのパンデミックが始まる2週間ほど前だ。帰れなくなった方がよかったと何度思ったことか。
別に法律で決まっているわけでもないのに、なんで自分の国に協力しないといけないのか理解に苦しむ。
協力したところで何のメリットがあるのか見いだせないので協力する価値がない、と考える。
そもそもこちらは自国に協力するために生まれたわけではない。自分の人生は自分のものだ。なのに、なぜそうさせられるのか。
例えば「子供を産め増やせ」というが、なぜ今までの失策の尻ぬぐいをしないといけないのか。そんなもの移民でもやって自分で解決しろ、と言いたい。
ところで、「みんなで協力しよう」的な言葉がある。
東日本大震災や東京オリンピック前、今回の感染症の直後など、こういったメッセージを目にしたかと思う。
もう一度書くが、だからなんで協力しないといけないのか。私は奴隷じゃない。
協力したい人は勝手にすればいいが、なぜ協力しないことが非難の対象になるのか。
そこまで協力してほしければ、労働契約でも結べばいいだろう。
インターネットはもちろん、書店にも韓国に対するヘイトスピーチが散見される。
私の父親もそれに影響されたかのような言動をするようになった。
ならば私は逆に韓国の人たちと仲良くなりたいと思うようになった。
そこで、上記の留学で一緒になったKAIST出身の韓国人と仲良くなってみようとした。
「今難しい時期だが、ぜひあなたとはもちろん、韓国の皆さんと仲良くなりたい」というと、とても喜んでいた。
それを機にその人とは仲良くなり、毎日食事に行ったり、休日も一緒にするほどの中になった。今ではFacebookで定期的にやりとりしている。
ちなみに、韓国ばかり(日本からの)ヘイトのターゲットになっているが、日本人にヘイトを向ける人はどの国にもいる。
会ってみたらわかるが、韓国人はとても好意的。こういうヘイトスピーチって、外国語リテラシーも渡航経験もない人が想像で言ってるに過ぎないんだな、と改めて感じた。
何というか、個人的には「日本は生まれ育った国に過ぎず、それ以上の感情はない」と思っている。
それに、「別に住みやすければどこでもいいし、なんならそのためにどこでもいきれるようなスキルを磨いた方が効果的」とさえ思う。
せやな。
昔、墓地が必要だった理由は、死体とは感染症の発生源そのものだったことと、土葬であったためだ。
その方面から考えると、従来の形の墓である必要性はないよな。
死亡した人が感染症にかかって死んだとなると、その近くにいるだけで感染してしまうこともある。また、死体は腐る。人間を腐らせる菌とは、人間を好んで腐らせる菌であると考えられるから、隔離しておくことが必要だ。
そして土葬である。土葬は非常に広い面積が必要だ。そして、その中で死体は腐らせるわけだが、上記の通りそれが感染症の原因になったりする。そして昔はそれが、手厚く葬らないと、腐敗した体液が漏れたりして、感染症の原因になり、祟りとして伝ったのであろう。
ただ、増田が望のように焼却ゴミと一緒に処分せよ、と言うことは現代でも難しいと思われる。それは何故かというと、現代では設備が整ったから墓は簡易であれば良いと言うだけであって、本質的に放置してしまっては、感染症などへの危険は依然として残るからだ。
さらに、社会的な要求もある。つまり、好きに遺体を処分できるようになってしまうと、殺人などの重大な犯罪の防止や摘発、人権と結びついている各種制度(年金など)との兼ね合いなどが難しくなるからだ。
また、そもそも100kg近い人体のようなものは、焼却場ではきちんと焼けないと思われる。ちゃんとした設備が必要だ。
と言うことで、
と言うことでどうだろうか。
新型コロナウイルスは何十年かは後を引くよ。
人同士の物理的な接点を減らすのはごく当たり前の価値観となり、そうでない時代への回帰を願う気持ちが忘れ去られるという意味ではコロナウイルスを題材とした作品は意味不明になるかもしれないが、新型コロナウイルス (強力な感染症) のヤバさについての記憶は当面は残る。
# リチャード・ローティと長渕剛の討論:「長渕剛と猫カフェ」
## ローティ
早速ですが、あなたは真実や正義というものが存在すると思っていますか?それらはどこから来るのですか?神からですか?理性からですか?それらは普遍的に適用されるものですか?
## 長渕
そんなこと聞く必要あるか?真実や正義は心から感じるもんだろうが!神でも理性でもねえよ!俺たち一人一人が持ってる感情だよ!感情!それらは普遍的じゃねえかもしれねえけど、俺たちはそれらに従わなきゃ生きてけねえんだ!
## ローティ
感情だけでは不十分だと思いませんか?感情は時々間違ったり変わったりしますよね?あなたが今感じている真実や正義が明日も同じだと保証できますか?あなた以外の人々が感じている真実や正義と一致しますか?
## 長渕
間違ったり変わったりすることもあるさ。でもそれでも俺は感情に従うしかねえんだよ。俺は自分の歌でそれを伝えてきた。俺の歌は俺の感情だ。俺の歌は真実だ。俺の歌は正義だ。
## ローティ
あなたの歌はあなたの感情を表現しているということですね。それは素晴らしいことだと思います。でも、あなたの感情が真実や正義と同じだということには疑問があります。あなたの感情はあなたにとって有用で幸福な物語かもしれませんが、他人にとってもそうでしょうか?他人があなたの歌を聞いても、同じように感じるでしょうか?
## 長渕
そりゃ人それぞれだろうよ。でも俺は自分の歌を聞いてくれる人々に寄り添ってやりたいんだよ。俺は自分の歌で人々に勇気や希望や愛を与えたいんだよ!
## ローティ
それは素晴らしい目的ですね。でも、その目的を達成するために、真実や正義という言葉を使う必要がありますか?それらの言葉はあなたや他人を束縛したり対立させたりする可能性がありませんか?もっと柔軟で多様で開放的な言葉を使えば、もっと有用で幸福な物語を作ることができませんか?
## 長渕
柔軟で多様で開放的な言葉?そんなもんどこにあるんだよ!俺は自分が思ったことや感じたことをそのまま言うしかねえんだよ!それが真実や正義じゃねえかもしれねえけど、それでも俺は嘘つきになりたくねえんだよ!
## ローティ
嘘つきになりたくないという気持ちはわかります。でも、真実や正義以外の言葉を使うことが必ずしも嘘つきになることではありませんよ。例えば、「長渕剛」と「猫カフェ」という言葉です。「長渕剛」はあなただけではありません。「長渕剛」は私や他人が作った物語です。「猫カフェ」も同じです。「猫カフェ」もまた私や他人が作った物語です。
## 長渕
物語?物語って何だよ!俺は物語じゃねえよ!俺は俺だよ!猫カフェも物語じゃねえよ!猫カフェは猫カフェだよ!
## ローティ
あなたはあなたですか?猫カフェは猫カフェですか?それらの言葉にはどんな意味がありますか?どんな感情がありますか?どんな価値がありますか?それらの言葉はあなたや他人にとって有用で幸福ですか?
## 長渕
意味だ感情だ価値だ…そんなもん考える必要ねえよ!俺は俺でありたいんだよ!猫カフェに行きたいんだよ!そこにいる猫たちと触れ合いたいんだよ!それが有用で幸福じゃねえか!
## ローティ
あなたはあなただけでありたいということですね。でも、あなただけではありませんよ。あなたは私や他人と関わっています。あなたの言葉や行動は私や他人に影響を与えます。私や他人の言葉や行動もあなたに影響を与えます。それを無視することができますか?
## 長渕
無視する必要ねえよ!俺は自分の信念を貫くだけだよ!俺は自分の歌で自分の思いを伝えるだけだよ!それが他人にどう影響するか知ったこっちゃねえ!
## ローティ
自分の信念を貫くことは大切ですね。でも、自分の思いを伝えることも大切ですね。でも、その両方を同時にすることが難しいこともありませんか?自分の信念が他人に伝わらないこともありませんか?自分の思いが他人に反発されることもありませんか?
## 長渕
難しいこともあるさ。伝わらないこともあるさ。反発されることもあるさ。でもそれでも俺は止まらねえよ!俺は前進するしかねえんだよ!
## ローティ
前進することは素晴らしいですね。でも、前進する方向や目的地が明確ですか?前進する過程や方法が適切ですか?前進する結果や帰結が望ましいですか?
## 長渕
正直言うと猫カフェは動物虐待だと思ってるよ…猫カフェは猫を金儲けの道具にしてるんだよ。猫カフェは猫にストレスや感染症を与えてるんだよ。猫カフェは猫の適正な管理を怠ってるんだよ!
## ローティ
そうですか。でも、すべての猫カフェがそうだと言えますか?すべての猫カフェが動物愛護法に違反していますか?すべての猫カフェが劣悪な環境で営業していますか?すべての猫カフェが金儲けしか考えていませんか?
## 長渕
そりゃ全部じゃねえかもしれねえけど、多くはそうだろうよ。俺は自分の目で見たことがあるんだよ。6畳ほどの展示スペースに62匹もの猫がいたんだよ。7割が病気にかかってたんだよ。
## ローティ
それはとても悲しい光景ですね。でも、それはあなたが見た一つの例ですよね。それを一般化することはできますか?それを証拠とすることはできますか?それを根拠とすることはできますか?
## 長渕
証拠だ根拠だ…そんなもん要らねえよ!俺は自分の感覚でわかるんだよ!俺は自分の直感で判断するんだよ!俺は自分の経験で語るんだよ!
## ローティ
あなたの感覚や直感や経験は大切ですね。でも、それらはあなただけに有効ですよね。他人にも有効ですか?他人にも共通ですか?他人にも説得力がありますか?
## 長渕
俺はそんなこと気にしないよ。俺は自分の信じることを言うだけだよ。俺は自分の好きなことをするだけだよ。俺は犬カフェを経営したいと考えてるんだよ。
## ローティ
犬カフェを経営したいと考えているんですね?それはどういうことですか?犬カフェとは何ですか?
## 長渕
犬カフェって知らねえのか?犬カフェってさ、犬と一緒に遊んだりご飯をあげたりして楽しめるカフェのことだよ。
## ローティ
そうですか。それは楽しそうですね。でも、それは動物虐待ではありませんか?猫カフェと同じではありませんか?
## 長渕
2019年の暮れ、中国武漢市で発見され、翌年客船経由で日本にて蔓延が始まり、2月より世界的大流行となった新型コロナウィルス感染症。
政府や医療系の有識者などからはマスク着用や自粛の要請がなされた。
一方で私は、ノーマスクandノー自粛で暮らしてきたが、まったく体調は崩していないし、他人に害を加えられたこともない。
そんな私が3年間で続けてきたことを3つピックアップして書いていきたい。
外に出てみると、誰も周りにいないというのにマスクをしている人ばかりだ。
本来マスクは感染対策として着用するものだが、そういうところでつけていても意味がない。
一方で、人と人との距離がどうしても近くなり、マスクの着用が効果的といわれる場面もある。
その最たる例が公共交通機関だ。
航空機(日系航空会社に限る)はマスク着用が強制で、未着用の場合客室乗務員に注意され、(その他指示含め)従わない場合搭乗拒否となる。奥野淳也(マスパセ)氏の一件が有名だ。
ちなみにあるTwitterユーザーによると、全日空はその理由を「不安がる客に配慮するため」としており、感染対策がおざなりになっている印象を受けた。
バスは会社による。筆者は西東京バス(八王子駅~サマーランド線)にノーマスクで乗車したとき、乗務員に注意されたことがある。
一方未着用者を追い出して行政処分を食らったところもある。
鉄道はほとんど強制してこない。一応マスク着用の呼びかけはしているが、「国土交通省からのお願い」とどこか他人事のようだ。
改札口をノーマスクで通過しても、すぐ目の前にいる駅員は何も言わない。こちらをしっかりと見ているはずなのに。
ホームに降りる。監視カメラで見えるし、なんなら構内放送で注意できるのに、やはり何も言わない。
そのまま電車に乗ったが、注意されることもない。
Twitterを見ると「ノーマスクを殴りたい」「控えめに言って死ね」などと物騒なことを言ってはいるが現実はそうでもない。
周りはこちらのことなど気にしないし、なんなら隣に座ってくる。
目立とうと思い、その場でデレステのMASTER+(かなり手を動かす)をプレイしてみたが一瞥だにされず。
もし殴りたいなら殴ればいい。穏便なやり方で済ませたいなら口で注意するなり、通話装置で乗務員にチクればいいはずなのに。
乗務員に通報すれば施設管理権で追い出すことができ、運が良ければ警察行きにすることもできます。
(車内の通話装置は非常停止ボタンではありません。乗務員と通話できるだけで運転見合わせにはなりません)
「ヤバい奴と分かっているから何もしないんだ」と言われるだろうが、これも怪しい。
ヤバい奴だと思うなら、それを避けることだってできる。別の車両に移ればいい。
乗務員へチクりるにしても、離れたところでやればこちらに知られることがないからリスクはさらに低い。
それすらもできないならできないでそっと離れればいいのに、なぜかそうしない。
いやホント、Twitterで愚痴を言うくらいなら勇気を出した方がいいですよ。
中には「顔に自信がないからマスクする」「マスクはマナー」と頓珍漢なことを言う人も出てきた。
当然法で定義されたものではない。調べても色々な人が全く異なること、下手すると正反対のことを言う。
どこを探しても各論的なものしか出ず、誰かが言うたびにその種類は無限に増えていく。
(最近は「マナー講師」とかいう、嘘をでっちあげるビジネスが横行しているそうだが)
「人を不快にしないのがマナー」としても、その基準は人によって大きく異なる。
その論理でいえば、無感情な人の前ではマナーは存在しないし、自分を嫌っている人の前ではどう策を講じてもマナーを履行できない。
結局のところ、「マナーを守れ」というのは「自分が気に入らない」ということなのだろうか。
しかし今ではその目的を見失い、マスクすることそのものが目的と化している。
おそらく周りの乗客もマスクの意義についてはよく理解していないか、薄々疑問を感じているのだろう。
しかし日本の文化上権威の申すことや周りと同じことをしないのは社会的デメリットが大きい。
だから嫌々ながらも、あるいは何にも考えずにマスクをしているのだろう。
…と思ってTwitterを見てみると、「私だって苦しいのに」「みんなやってるのに」という、仮説ドンピシャな投稿多数。
要は小学生が学校でよく言う「みんな苦しいけど頑張っているんだよ」「障害持ってるあの子もやってるんだよ」的な代物だ。
(後者は障害者を見下したうえで無理やりやらせている気がする点人権的にいただけないが、ここでは論じない)
大人になるとなまじ知識があるからこれをカムフラージュする言説を組み立てられるが、これは非常にわかりやすい。
それに匿名を前提としたインターネットのことだ、案外リアルでは影響がないのかもしれない。
過激な意見は目につきやすい(閲覧回数が増え、拡散されやすくなる)からどうしても検索上位に来る。
それはインターネットでは目立つが、実生活では無視できるくらい小さな意見なのだろう。
そういえば、インフルエンザのときはマスク着用者や感染者を見下していたくせに今となっては手のひらを返した小説家の医者がいたっけ。
世界的パンデミックとなった当初は世界各国が都市封鎖及び外国人渡航者の受け入れ停止をしていたため、海外旅行へは行けず。
日本国内でも外出や旅行の自粛要請、それを踏まえた各種イベントの中止などがなされた。
だが交通機関は普通に動いていた。航空路線は大幅減便があったが、それでも移動には影響しない。
従って旅行も自粛しなくてよいと判断し、感染拡大前と同様の行動をとった。
とはいえ1年目は、入国関係で支障をきたすことへの不安から海外旅行はできなかった。
そこで沖縄旅行にとどめることにした。当然ながら全行程ノーマスクである。
沖縄本島は高校の修学旅行で行ったので、ここは簡単に回る程度にし、主として離島を回ることにした。
初日、羽田を出てまずは沖縄本島へ向かった。ここを経由し粟国村で一泊。
次いで本島に戻り渡名喜村、その後は北大東村、最後に与那国島を観光。
航空機・船舶路線がないところ(ナガンヌ島、黒島、水納島など)に行けなかったのは残念だったが。
その後各国が入国者受け入れに寛容になったので、海外旅行もスタートした。
すでに5回渡航しているが、最近だと、数日かけてシチリア島からコペンハーゲンまで列車で縦断した。
成田からシンガポールを経由(ついでに空港のシャワーでひとっ風呂)し、早朝にミラノに到着。そのまま午前の便でパレルモへ飛んだ。
列車でパレルモ中央駅に出て、正午過ぎの寝台特急で24時間以上。今の日本にはない列車の船舶積載も体験した。
ミラノからは特急でヴェネツィアへ。これだけで1日が過ぎてしまったのでまた寝台特急。初めての国際寝台列車でシュトゥットガルトへ。
ハンブルクへ向かい、ミニチュア・ワンダーランド(模型遊園地)へ。
さすがに疲れたので、その日はここでホテルを取り、翌日電車でコペンハーゲンに到着。
で、SASの直行便にて2月半ばの金曜日に帰国した。そのまま土日で東京ドームにコンサートへも行った。
このときから政府の指針により声出しOKとなったうえ思いっきり「密」だったが、やはり健康そのものだ。
感染拡大当初はともかく、自分以外にも自粛などしなくてよいと考える仲間がいたのが心強い。
普通に外出をし、飲み会をし、と人生を楽しんでいるようで何よりだ。
ある日のサンシャイン通りは人でごった返す中、外出自粛を呼びかける豊島区役所職員の声がむなしく響いていたのが印象的だった。
(ちょっとかわいそうと思ったが、本人は職務上やらされているだけで本心はバカバカしいと思っていたりして)
ここでは、行動というより気の持ちようについて話したい。
タイトルの通り、「お願い」「要請」と「義務」「命令」は異なるものだ。
後者は守らない場合に何らかのペナルティが科せられるが、前者は無視しても問題ない。
日本政府は「自粛『要請』」「休業『要請』」などと、「要請」しかしておらず、受けるかどうかはこちらで決められる。
一応「強い要請」もあるが、「お願いします」が「しなさい」になった程度でやはり無視することができる点は変わらない。
言い換えると法的根拠がない以上ペナルティを持った法的拘束力はなく、すなわち自由にできるわけだ。
そもそも自粛したところで何の見返りがあるのか。ないのであればする意味はない。
「自粛と保障はセットだろ」といわれたが、国が何もしない以上こちらが義理を尽くす必要もない。
「お願い」=「義務」という言説があるが、きちんと文字と国語辞典を読めと言いたい。
どこをどう解釈したら「お願い」が「義務」に飛ぶのか。そんなことが書いてある辞書がどこにあるのか。論理を飛躍させるな。
お隣さんが言おうが政府が言おうがお願いはお願い以上ではない。守る義務はない。
いったいいつから「発熱外来は真面目に要請を守っている人だけのもの」になったんですか?なってませんよね?
どこにも「外出自粛していない人は当院の受診をお断りします」なんて貼り紙はないし、ましてやそういう法律もない。
よって、どうしていようが体調を崩したら病院を受診する権利は誰にでもある。
そもそも、政府の「お願い」レベルのことを聞かないだけでだ。いつまでたっても権利が来ない義務を守り続けないだけでだ。
そんなことで壊れる社会なのですか?
その程度で壊れる社会だったら壊れてしまった方が、そして各個人がもっと自由にふるまっても壊れない社会にした方がいいのでは?
ここまで私のノーマスクandノー自粛暮らしをつらつらと書いてきた。
当然ウィルスは見えないので、こちらが感染したかどうかはわからない。
しかし1つだけ言えるのは、感染して発症するかだとか、それでどうなるかは結局のところ運でしかないということだ。
家の中でもマスクして趣味をいくら我慢しようとも感染するときはする。体調が悪いときは悪い。死ぬときは死ぬ。
どちらも確実ではない。神のみぞ知る確率でどれかに行きつくだけだ。
(素人が適当に確率を言おうとしているものもあるが、大概不正確だ)
ちなみに、私はこれでも3年間一切体調を崩しておらず、毎月PCR検査を受けているが陽性判定が出たことはない。
あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。
高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的な理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。
それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。
え、あ。
へえ〜。
はあ、そっか。
言葉が出てこなかった。普段は感情を言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。
友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。
そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ちの弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。
元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。
それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。
こんな簡単な言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手、しかも女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。
きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。
もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。
浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。
そう、私のものだったんだよ。
高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前の漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。
高校1年生の夏、みんなで頑張った部活の練習。暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。
高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後の喫茶店。お前はキャラメルのカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。
高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン。本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから、義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎、義理チョコにあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。
高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったからあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。
高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。
高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石の気持ちを強くわかったな。
高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚のスカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。
高校3年生の春、コロナが流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所に公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。
高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しかも受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語と読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。
高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験を応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。
高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。
でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。
選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。
また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラに爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯をリクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。
もう一度好きになってよ。
食糧不足が深刻化する中、コオロギを含む昆虫食が注目されています。
コオロギは、豊富なタンパク質や栄養素を含んでおり、世界中で食用にされています。
しかし、医学的には、コオロギを食べることによるリスクもあります。
まず、コオロギを含む昆虫には、アレルギー反応を引き起こす可能性があります。
コオロギを含む昆虫は、一般的な食品アレルギーの原因となるタンパク質を含んでおり、アレルギーを持つ人にとっては、食べることが危険です。
また、コオロギを含む昆虫には、有害物質を含んでいる可能性があります。
コオロギが生息する環境によっては、農薬や汚染物質が含まれていることがあります。
そのため、安全な環境で飼育された昆虫を使用することが重要です。
さらに、コオロギを含む昆虫の消化器官には、細菌や寄生虫が存在する可能性があります。
これらの微生物が、人間の体内に入ることで感染症を引き起こすことがあります。そのため、十分に調理することが必要です。
以上のように、医学的には、コオロギを食べることによるリスクがあります。
「不織布マスクを、鼻からあごまで覆うように付けましょう!」と盛んに言われている。鼻を覆う理由は、そりゃ息が出入りするところだから必要なのはわかるが、「あごまで」の理由について説明を見つけられない。多分「あごまで隠していないとすぐ口が見えるから」なんじゃないかと思うが、そういう風にはっきり解説されたものを見たことがない。
初期の新型コロナウイルス感染症に顕著な症状として「乾いた咳」というのが指摘されていたが、乾いた咳とは何かについての説明は見つけられなかった。おそらく、喉にたんが詰まったりしたときの咳が「湿った咳」で、そうでもないのに出てくる咳が乾いた咳なのかな〜と思ったが、確証がない。
アフタヌーンで大人気連載中の医療漫画「フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語も新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在、新薬JS1編へと続いてくれています。
そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。
時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。
フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。
「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」
「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」
「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家も編集もすっかり忘れて楽しくやってました」
長期連載にありがちな後から立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね。個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間が必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。
連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。
まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。
特に困ったところが「日本病理学会総会~アミノ株式総会」。かなりぐちゃった。
それに加えいつかは不明だがリアルの専門医の受験資格が経験4年から3年に変わった影響もあるかも
たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。
宮崎の試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし
あとは
・ 壮望会の悪評と建て直し
もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。
岸
森井
火箱
南波
細木
中熊
手嶌
比日野
壮望会
慶桜
岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)
稲垣、医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。
岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。
25歳前後?
将棋友道8「今月号」
恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」
原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTSが中国で特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)
稲垣、内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)
(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明「病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))
およそ13年前で火箱12歳
森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校に入学。(3話)
壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)
岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理の先生ですよね?」(18話)
物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)
岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。
火箱、アミノ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒ではいればこの辺り?
新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)
宮崎、医大卒業?。出身大学の病院で初期研修開始(80話)「初期研修は出身大学の病院」
手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカに留学して~研究職に転向した」(33話)
本郷、最後の彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33日彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)
宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」
一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)
この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎の発言と矛盾する気がするんすよぉおおおおおお
9月23日-24日開始。院内描写は24日スタート。終了は25日。
24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日
宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。
てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者の意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…
岸、森井に転職の話をする。
6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?
森井30歳?
森井慰労会(4話直後?)
火箱登場、宮崎とは初対面。
宮崎、病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)
4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?
根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」
実際何ヶ月生存したかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。
火箱、アミノ退社(14話)
(間瀬、アミノ退社)
「あれから数ヶ月」
火箱、ビフィズス入社
(14話終了)
「この前」コンサル窪田参加(15話)
高柴65歳?、定年半年前(15話)
高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)
慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬の配列設計を発見。
5月時点で布施がまだ医大5年なので病理の学校は4月以降(25話)
布施「君何年生?」「5年生です」(25話)
人物紹介 年齢
岸不明
森井31歳?
手嶌登場「4月から京都の細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)
流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?
ハル編(35話~)
野球回。(44話)
入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?
火箱が野球をテレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球は3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか。
火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。
こまごまとした話。3日謹慎や新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?
布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)
現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…
「神経内科から病理に転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?
しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html
4月越えなら
森井32歳?
宮崎29歳?
火箱27歳?
作山、リンチ編
円、27歳?「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
稲垣、オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)
稲垣、医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。
ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)
ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)
(株主総6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)
新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。
「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明。
数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)
(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎、試験願書提出?(89話))
総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月の日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。
そもそもオプジーボの同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査にいくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。
総会間近、火箱懲戒解雇(68話)
十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)
株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)
間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。
慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
弁護士編は過去が矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)
前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。
また、過去以外の話の時間は正史として前の編から地続きと考えておく。
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに
(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)
岸、壮望会に。(73話)
(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前で矛盾)
患者、菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)
菊池、状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)
森井、彼女に振られる(18巻末)
宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。
壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)
久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)
「今月の予定組むんで」(71話)
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
「夏も近い」(74話)これジョーク?
えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコースは学部4-院3~4-学部2年で学士と修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部は卒業してなくて院生2年生。かな。
「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)
「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)
布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。
日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月に仮定してるけどここが変かなぁ。
9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。
34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールだから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで