はてなキーワード: プライバシーとは
地方に住んで自動車通勤するようになっていかに東京の(満員)電車通勤が非人道的なものか思い知った
その点車通勤は最高だ
玄関→外(クソ暑い)→駅(クソ暑い&人ゴミ)→電車(プライバシー皆無の満員電車)→駅(クソ暑い&人ゴミ)→外(クソ暑い)→会社
だったのが
になるんだからな
厳密には駐車場から30 秒程度歩くが、駅まで徒歩5分で有難がってた時代から考えれば無視していいレベルの距離だ
それと車なら荷物の量を気にしなくていい
俺はADHD気質があるのかとにかく忘れ物が多いが、車移動なら忘れやすいものをハナから車に入れっぱなしにしておけばいい
欠点と言えば酒飲んだら代行頼まないと帰れないことと、移動中手が離せないことくらいだが
前者に関しては飲み会嫌いな人間からすれば断る口実になるので逆に長所だ
そもそも地方はお互い車移動なので急な飲み会の誘い自体が激減した
後者に関しても耳は自由なのでカーナビとスマホをBluetoothで繋ぎ好きな音楽やラジオ聴いたり、英会話リスニング等の勉強もできる
当然車移動には(被害、加害両方の)交通事故のリスクが付き纏うけど、正直毎日の満員電車の方がよっぽど心身の健康に対するリスクが高いと思う
とにかく徒歩と満員電車で片道一時間近くかけて通勤していたときと比較すると車通勤は快適すぎる
ぶっちゃけ地方に住んで額面年収150万ほど下がったし、車のイニシャル、ランニングコストは安くないけれど、QOLは爆上がりだ
(そもそも車のコストは東京と地方の住居費の差額でお釣りがくるくらいだ)
それと通勤のことばっか語ってきたけど、プライベートでいつでも自由に使える車があるって結構便利
天候や他人を気にしなくていいから東京にいるときより休日の外出頻度がだいぶ増えた
はてなは車に否定的な人多いし、俺も運転自身は好きじゃない、むしろ嫌いなくらいだけど、車を持つことによって総合的なQOLは滅茶苦茶上がった
首都圏の満員電車なくすのなんて多分俺らが生きてるうちには無理だろうし、思い切って車通勤(ができる地域で生活)に切り替えたほうがQOL高まるよ、マジで
未だに中学生の記憶を思い出しては夏の入道雲のようにモクモクと怒っている.
特に中2,中3の担任の先生は自分の部活の顧問でもあり,強く当たられた記憶がある.
典型的な管理教育と体育会系のノリの教員で,僕は当時から反発していた.しかし中学生である.
その言いくるめられたときの悔しさを未だに思い出している.
授業の予定と宿題,連絡事項とともに5~10行程度の日記(生活記録)を書くのである.それを担任に提出し,担任は生活記録に対してコメントを書くことが多い.
現在では生活ノートはTwitterで凝ったイラストや文章と教員の反応がセットになった画像がバズることもあるし,
担任とのやりとりが小説家を志すきっかけになった人もいるらしいので全国の学校で広く行われているのだろう.
ただ,私はもともと,小学生の頃から生活ノートが苦手だったこともあり,中学生のときもずっとやらないでいた.
中学生の頃の私はいろいろと反発するタイプだったので,よく教員からの呼び出しを受け,その際,生活ノートの提出がないこともついでにとがめられたものだ.
担任は
「みんなきちんと提出していて,君だけが提出しなくていい理由なんてない」
といったことを何度も主張した.
今思いつく反論は
「教育の名の下に異常なあるいは,非科学的な,不合理な,非人道的な,反社会的なことが行われていたとき,声をあげる人でありたい」
「生徒に悩みを書いてもらうことがあるといいながら,学級通信に引用したり,生徒に返却を手伝わせたり,プライバシーは確保されていないじゃないか.」
「どんなことでも書いてといいながら,学級通信にそのまま書き写したり,担任が私の記録に対してコメントするなんて,生徒側が秘密にしてほしいと考えているのに担任の勝手な判断で書き写されるリスクだってある.」
「『はー。』だけが書かれた生徒の生活記録さえ学級通信に書き写されている.」
「書き写すだけで学級通信書いたつもりになっているのは時間の無駄.教員の労働時間は税金である.無駄使いするな.」
「読者が想定できない.」
それはプライバシーだよw
知人が言ってた。
めっちゃ怒ってたよ。娘さん二人いてる人だけど、もう創価学会には入んな、くらいに言ってるらしい(自分で決めればいいって)。
ただ、高齢者などのしがらみがあってやめられないだけ、なんだって。
その人とずっと昔付き合ってて強烈な勧誘を受けて失恋した人ですw
勧誘に必死だったのは、結婚して親と離れたかったから、と言い訳してたけど、どう考えてもあんなん当時はガチな人だった。
色々と利権がらみの話ばっか。
腐ってるんだってさ。
これ、割とやろうとしないでまっすぐ来る人が多い。
自分は人混みや室内以外ではマスクをつけてないので相手に悪いと思って道を譲ってるけど、これからの季節はむしろみんなマスクは取ろう。
コロナの感染拡大防止で飲食店の道路利用が緩和されているらしいけど、そこでタバコ吸わせてる店が多すぎ。
自治体がただ緩和するんじゃなくて喫煙の制限を同時に十分に周知させてないのが悪い。
マスク越しだと何喋ってるかわからないし聞き取るには距離が近くなる。ソーシャルディスタンスの危機。
前を向いたままでもマスクを付けたままでも快適に会話できる。
店内でも小声で会話できるからプライバシーも守られて一石二鳥。
ウォーキングや徒歩通勤中につけると背中が汗でじっとりとしなくて捗る。
パソコン入ったリュックサックを背負ってるけど後ろから見ても目立たないからなお良い。ただし肩紐は汗だく。
イートイン増えて安い刺し身食べて失敗した人は挙手。
安い刺し身がまずい理由は臭みと脂の少なさ。
お好みでお酢もいいよ。
トマトを一つ(湯剥きしやすいようにヘタを取って下に包丁で十字の切込みを入れておく)入れておくとスープがめっちゃ美味しくなります。
・無駄のない卵黄の取り出し方
生卵の要領で叩いて割ると卵黄だけ生、外側だけ固くなった卵白のゆで卵ができる。
「嘘をつけないようにする機構」が、観測と審判による「神の視点」で機能するか、発話者自身の認識によって行われるか。
最強の真偽判定装置。たとえば「COVID-19は満員電車で感染クラスターを生じる恐れが高い」と断言しようと試みればその真偽を判定できる。プライバシーも消滅する。「増田さんは私のことが好き!」。未来予知でもある。
本人が嘘だと認識していなければ「自分だけ嘘をつける」という大きな優位性が手に入る。当面は自己利益につながる嘘を真実であると信じ込む技術が今以上に発達する。意図的な記憶喪失の発生と任意に回復させる手段も盛んに研究される。「嘘を防ぐ臓器」を摘出したり、薬物によって機能を止める試みも生じる。
いきなり、●●さんに告白されちゃったんだけど。
もしかして、●●さんの性自認や性指向って特別なのかな?って思ったんだけど。
でもそれは、プライバシーの問題だから敢えてそこは言及しないんだ、私は。
こんな風に、相手の性自認も性指向も知らないと主張したうえで、告白した事実についてだけ相談するスタイルが流行るでしょう。
いわゆる、におわせみたいな。
Hagexの件は知らないけれど、こういうのは法的対処が一番後腐れない。
プライバシー侵害された人が警察に相談しに行って、書類つくってもらう事で、Aの居住地域の割り出しと所轄警察に周知させ、もっと深刻な事件が起きた際の足止めになってもらう事が大事。
これらはすべて自分の思い込みであるかもしれない。それを前提に、各々判断された上で、できれば助言を賜りたい。
多少長くなるが、最後まで読んでもらえれば伝わるはずだ。これは決してはてなユーザーにとって無関係の出来事ではないと自分は考える。
ある迷惑系YouTuberがいる。(そもそも「迷惑系YouTuber」なるジャンルが存在している時点でげんなりするが)仮にAとしよう。
自分がAを認識したのはおそらく半年ほど前。自分がたまに動画を見るYouTuberにAが絡んできて、ごちゃごちゃしていたのがきっかけだ。
「ああ、炎上芸ね」と思って、自分の中でAの存在をミュートした。
それからも、ちょこちょこAの存在がちらつくこともあった。相変わらず、有名YouTuberに凸をして知名度を稼いでいるらしいということは知っていたが、特段気にしていなかった。
先日ほぼ初めてAの動画をまともに視聴する機会があった。詳細は省くが、その動画では、とあるYouTuber(Bとしよう)の自宅に凸し、B本人ではない関係者(つまり一般人)に対するプライバシーの侵害が堂々と行われていた。
考えるより先に当該動画をYouTubeに通報していた。当然、チャンネルごとBANされた。
(余談だが、当該動画がBANされる以前にこの動画を取り上げていたYouTuber系情報サイトがあり、PVほしさにプライバシー侵害に加担しており、あまりにevilと言う他ない)
そもそもそのチャンネルも2週間ほど前に新設されたチャンネルで、迷惑行為、時には犯罪行為を動画にして、その度にチャンネルがBANされている。
まず当該動画を観た時点で、強い嫌悪感と同時に、違和感を覚えた。
BANされた当日、チャンネルをまた立ち上げ、1本目の動画では、「もう迷惑行為はしない、Bの自宅にもいかないと思います」と宣言(?)していた。その数時間後には、そのチャンネルに、BANされるきっかけとなった当該動画を再び投稿。新チャンネルも即座にBANされた。
本題はここからだ。
Aの行動はもう、炎上で知名度を稼ぎ、再生数を伸ばして金を稼ぎたい、という初発の動機から逸脱しているからだ。
別のYouTuberが「何がやりたいのかもうよくわからない。当初、戦略的に迷惑行為をしていると考えていた。けど、本当に何にも考えてない奴なんだ」と言っていた。その通りだ。
「承認欲求」が現代ではまるで悪かのように語られることが多いが、それ自体は自分を愛するためには必要なものだ。ただ、Aの承認欲求はどんどん肥大化して、暴走が始まっているようにしか見えない。
このまま彼を放っておけば、取り返しのつかないことが起こるかもしれないと思っている。
自分の考えすぎであればそれが一番いいが、過去の痛ましい事件を教訓にするなら、何かアクションを起こすべきだと考え、悩んだ末に増田に書いている。
言うまでもないが、Hagex氏の殺害事件を念頭に置いている。
あらかじめ言っておきたいことがある。ここまで書けば、Aについて思い当たるユーザーもいるかもしれない。しかし、ブコメで当該人物の名前やリンクを貼るのは止してほしい。このエントリが本人に届くことは本意ではない(だからタイトルも抽象的にした。正直伸びるか不安だ)。
実は、Twitterで本人に注意することも考えた。しかし、それは逆効果ではないかと考え、対応に窮したため今この増田をしたためている。
はてなとは文化圏が違いすぎるため、このエントリーが自然と本人に届くことはない。
自分は、AからYouTubeを取り上げるべきだと考えた。当該動画のサムネイルがすでにプライバシー侵害にあたり、そのサムネイルが投稿されているため、Twitterも通報しようかと考えた(まだしていない)。
しかし、それでは何も解決しないどころか、逆効果かもしれないと思った。
自分には専門的な知見はないが、Hagex氏の殺害事件については、多くのはてなユーザーと同じく、衝撃を受け、その後の裁判の推移を見守り、どうすれば防げたのかについて考えた。
https://anond.hatelabo.jp/20191114021558
Hagex氏の殺害事件について、犯人について、「何度も通報されてBANされ続けた犯人は、はてなという居場所を奪われ、運営やユーザーを敵と認識し、殺意が芽生えたのではないか?」という指摘がある。
もともと犯人の言動はおかしかった。通報は妥当だった。しかし、それが彼の行動をエスカレートさせた側面がなかったとは言えない。
今YouTubeでも同じことが起きている。Aは今後も、何度もBANされるだろう。その度に、行動がエスカレートするかもしれない。
当該動画の再生数は、自分が確認した段階で数十万再生ほどあった。味をしめて、ますます過激化するかもしれない。
コメント欄は、YouTuberキッズで溢れている。読まずともわかるだろう。そこには、Aを煽り、犯罪行為を助長させるコメントが並んでいる(もちろんまともなコメントも沢山ある)。
そして、YouTuberは、他のYouTuberの言動をたびたびネタにする。的を射た批判もあれば、炎上に乗っかって再生数を稼ぎたい中身のないものもある。
例に漏れず、Aについて、他のYouTuberがこぞって動画のネタにしている。これも、Aを助長する要因になってしまいかねない。
凶行に対して自衛することはできる。しかし、このまま放っておけば、AあるいはAの周囲で、痛ましい事件が起こるのを防ぐことはできないのではないか。
先のエントリでも書いた通り、自分は、日々起こる事件の一部は、経済的支援(例えばBIの導入など)によって防ぐことができると考えている。しかし、この国でそれは期待できない。
例えばAが、犯罪行為以外の動画配信に切り替える。あるいはYouTube以外の食い扶持を確保する。
例えば身近な人間がよくAの話を聞く。その上で、必要に応じて、しかるべき機関(病院や警察)に協力を仰ぐ。
自分が考えられるのはそのような方法だが、調べた限り、Aの身近な人間で、そのような提案を受け入れ協力してくれる人は見つかっていない。Aの仲間やスタッフ(マネージャー?)と思しき人間は存在するが、その人間に期待することはできない。
正直に言ってとても面倒くさいが、自分自身が警察に通報することも辞さないつもりだ。ただ、Aが犯しているのは軽犯罪の類で、反省しているふりさえしていれば執行猶予がつくだろう。またすぐにでもYouTubeを再開するのは目に見えている。
Hagex氏の殺害事件は痛ましいものだった。自分ははてな民として、せめてあの事件を教訓としたいと思っている。
(今日1日とても忙しくしているためほとんど反応を追えないし追記などもできないので悪しからず)
反応見ました。コメントも全部読みました。読んで、ましてやコメントをくれてありがとうございます。
そしてこの期に及んで、ブコメで名前を出したり、Hagex氏の刺殺犯を蔑称で呼ぶユーザーがコメントを残していることに、多少なり失望しています。
まず、その後について報告します。
Aは、逮捕された可能性があります。スタッフがSNSでそう投稿し、本人も沈黙を守っています。
報道されたわけではなく事実の裏どりができているわけではありません。
ただ、彼に迷惑行為、あるいは犯罪行為をされたYouTuberは多く、そういう意味ではいつ逮捕されてもおかしくないため、事実である一定の可能性があると考えます。
自分は当初、逮捕されても意味がないのではないか、といった懐疑的なことを書きました。
悶々と眠れない夜を過ごしそのままの勢いで書いた今朝から時間を置いて、冷静になった今、皆さんのコメントを読んだ上で、多くのユーザーが指摘されている通り、やはり司法の手に委ねるのが一番いいと思い直しました。
コメントに答える形で、もう少し、自分の立場と考えを説明させてください。
親愛なるとかいっといて自分は増田で身分隠して書くのかおめでてーな 増田を汚すなよカス
指摘はその通りです。しかし、自分は匿名をかさに、普段、対面で言えないような言葉遣いはしないように最低限気をつけています。
自分が顔と実名晒してその迷惑系ユーチューバーとやらを攻撃してターゲットを自分に移せばいい話
そのくらいの覚悟なしに他人を集団でイジメて何か解決すると思ってんのかクズが
これもその通りです。覚悟がないわけではありませんが、現時点ではその覚悟を固められていません。しかし、大きな誤解があります。Aを批判する意図はなく、単に無駄な人死にをできれば防ぎたいというだけです。理由は後述します。
たとえどういう文脈であろうと、低能先生の内心を慮ったり心情を推察したりHagexに殺された理由を求めてみたりしたくはないし、するべきではないと思う。意味不明幼稚な動機で人を殺した奴を絶対に赦してはならない
自分は、そうは考えません。人生を踏み外す瞬間は実にあっけなく訪れます。必ずその時、本人は思います。「まさか自分が」と。
今日と同じ明日が来ることを何も疑わないでいられればそれは幸せですが、その幸せはある日、何の理由も脈絡もなく奪われることがあります。
これは単なるつまらない事実です。その事実を踏まえて、自分は、明日自分が被害者ではない確信も、明日自分が加害者でない確信も、持つことはできません。
主張と意思には同意するけど「犯罪やりそうな奴がいるので、実際にやる前に『矯正』してあげよう」という事でもあるしなあ。
もしかしたら、そうかもしれません。昔でいう『マイノリティ・リポート』、今でいう『PSYCHO-PASS』みたいな世界観でしょうか。
しかし、ことが起きてしまった後に「こうしていればよかった」と自分自身が悔やまないために、痛ましい事件を未然に防ぐために、今この時自分に何ができるか、それを考えるのがそんなにおこがましいことでしょうか?
自分は、「人を救いたい」とは思っていません。人が人を救うなど、おごりが過ぎると考えます。単に、必ずしも起きなくてもよかった悲劇をできれば避けたい。そう思っているだけです。
Bもsamyuの実家にいる両親に凸して晒しあげて稼いでだから嫌いだわ。
自分も同意見です。自分は、そもそもYouTuberというジャンルが苦手です。中でもBは比較的嫌いな部類に入ります。YouTubeを見る時間は、はてなを見る時間のおよそ20分の1程度です。
しかしAの件に関しては「Bも嫌い」という話ではありません。好き嫌いの話ではなく、このままでは抜き差しならない事態になるのではないという危惧を表明しています。
来られた方もロクなもんじゃない事には触れないのな。hagexの時と同じで卑怯者だよ。お前は生前のhagexや◯◯◯◯には苦言を呈そうとしたのか?どういう行動原理で動いてんだよ。(勝手に伏せ字にしました)
大きな誤解があります。自分は、たとえ被害者であろうが、Hagex氏の言動は看過できないものと考えています。Bも同じです。できればBにも、他人を煽り、「〜〜〜を救いたい」みたいなクソにクソを塗るような妄言を垂れ流す動画を投稿するのは金輪際やめてほしいと、そう思っています。
しかし、B自身は“戦略的”で“打算的”な人間です。再生数ほしさに犯罪行為に走るほど血迷っていない、という意味で。その点、抜き差しならない状況にあるのは、Bではなく明らかにAです。
増田は何を守りたいの?A自身?Aに迷惑をかけられているYoutuber?事件を未然に防げたかもしれないのにと悔やむ未来の自分?自分が絶対守りたいものをひとつだけ選ぶと自ずと行動が決まるのでは。全部は守れないよ
目の前で、命のやりとりが行われそうになっているとしましょう。自宅の隣で、今にも、誰かが誰かの命を奪いそうな状況を察知しているとしましょう。
できれば止めたいと自分は考えます。それは、誰かのためではないのです。強いて言えば自分のためでしょう。
隣で殺人が起きても、自分は平和に暮らせるでしょう。でもある日きっと、わからなくなる。あの日、殺されていたのはどうして自分ではないのか。あるいは、あの日、殺したのはどうして自分ではないのか。
あの日の自分を止めたい。ただ、それだけです。この感覚を伝えることは非常に難しい。ただ、自分はAのためでもBのためでもなく、“AにもBにもなっていたかもしれない自分”のためにだけ、胸を痛めています。
単なる一視聴者に過ぎないのに責任を感じすぎ。もうYouTubeを見るのをやめたら?精神が持たないぞ。いやむしろ既に精神的にヤバくなってるからこそ首を突っ込んでる可能性もあるか…
ヤバくないです。むしろ、ヤバくならないために、どうすれば防げるかということを考え、質問しています。
すごいこと発見した!「愛なるは」を反対から読むと「はるな愛」だ。
ほんとだ!
人は、放っておいても死にます。何なら、すぐにでも死にます。だから、無駄に命を縮める必要はない。自分はただ、そう思っています。
・国際情勢
日本のGDPは5位かそれ以下まで低下。代わりにインド、シンガポール、タイ、韓国、台湾などが上昇。
GDPのトップ5は中国、アメリカ、インド、ドイツ、日本(or 台湾 or 韓国 or タイ or シンガポール)の順に入れ替わる。
日本の経済力、生産力は少子高齢化により慢性的に低下を続けるが、一方で外国からの投資は積極的に行われる。
鉄道会社や電力会社をはじめとするインフラ関係各社は外国資本となる。JRは「繁華デリーレールウェイ株式会社」に改組される。
中国を中心勢力とするパターナリズム勢力と、アメリカを中心勢力とするリバタリアニズム勢力が新たな冷戦構造を作り上げている。
この二つの勢力は法令や憲法、理念、外交などを共有する緩やかな共同体を形成しているが、日本は2060年現在どちらにも加盟していない。
この時代では「共産主義」「資本主義」「民主主義」「独裁」などの単語が持つニュアンスは後退し、おおむね「パターナリズム」か「リバタリアニズム」にそれぞれ収斂している。
日本はそのなかにあって「パターナリズム・リバタリアン政治」を自称し、両勢力の良いところどりを模索しようとしているが、実態としてはあまりうまくいっていない。
コンタクトレンズ型の情報端末が普及している。神経系と接続して思考インターフェイスで操作することができる。
ここ10年の間に普及が進んだが大脳と直結することから個人のプライバシーが侵害されるとの声が強く、リバタリアニズム勢力下ではアナログ操作型の情報端末を選好する者が少なくない。
しかし広告業界にとっては非常に都合がよいのでコンタクトレンズ型の普及は時間の問題だとアナリストは指摘している。
一方、パターナリズム勢力下では健康情報をはじめとする国民のデータ収集と、それをもとに国民へ「指導」を行う必要性から積極的に用いられている。
特に中国では満五歳児から全国民の常時装着が実質義務付けられており、特に理由のなくこれを外すことはよからぬ嫌疑を生むことになる。
今後20年以内に「国民の安全保障と人生設計の精度を高めるため」に全国民の視界を無差別録画し、収集する機能実装を目標としている。(中国政府発表)
日本ではパターナリズム勢力の支持を受ける推進派とリバタリアニズム勢力の支持を受ける反対派、どちらともつかない日和見、もとい、慎重派の三すくみとなっていて、よく国会論争のタネになっている。
そのほか、電源は必要な電力が低いものはおおむね無線電源が普及しており、自動車や鉄道、バイクなどは電力での駆動が前提で設計されるようになる。電動航空機もだいぶ普及してきている。
発電はどの勢力下でも改良された原子力発電と自然エネルギーの二つが主で、火力発電の全体に占める割合は環境への配慮から大幅に減少傾向にある。核融合発電は目下研究中である。高速増殖炉は先進国に限り実用化されている。
宇宙開発は民間が主体となって行われている。中国は2032年に初の月面有人飛行、2044年に初の火星有人飛行を達成し、アメリカも同年に成功させるがそれ以降、国家規模での目立った計画は特にない。
2060年現在では月面開発が各国民間企業によって進められている。既に定期往復宇宙船と宇宙港もいくつかの国に設置されており、往復120万新元ほどで月面旅行が楽しめる。
ただし行動可能区画はかなり制限されているため観光の自由度は低い。定番のお土産は月の石。
リバタリアニズム勢力下は当然のことながら格差が激しく、最下層の人々の暮らしはその日の食事にも差し支えるほど困窮している。
アメリカの中流階級以上の平均寿命が90.2歳(2058年保健省統計)なのに対し、低所得者層のそれは75歳を下回っている。
国民皆保険制度がいまだ存在しないので中流階級以上であっても重病や大怪我などにより多額の支払いを迫られ、貧困層に転落することが珍しくない。
ただし食事の内容や日々の生活について政府から指導や管理を受けることはなく、マクドナルドやケンタッキーは2060年現在でも健在である。
他方、パターナリズム勢力下では実のところ格差がないわけではないが低所得者層に対する生活保障制度があり、すべての国民は健康的な食事と生活を送ることができる。
ただし睡眠時間、食事の内容をはじめとする生活のほぼすべてにおいて当局の「指導」に従わなければならず、そもそも政府が健康に益しないと判断した飲食店の開業は許されていない。
パターナリズム勢力下の国ではマクドナルドもケンタッキーも存在せず、ラーメン二郎は特定有害飲食物として政府認定を受けている。蘭州ラーメンは政府認定の優良飲食物とされている。
当然、タバコや飲酒も厳格に禁じられており、カフェインの摂取にも一定の制約が加えられている。レギュラーコーヒーは1杯150mlを1日3杯まで。
これらの徹底した管理によりパターナリズム勢力の中心である中国都市部の平均寿命は97.2歳(中国政府発表)にまで伸びている。
・教育
パターナリズム勢力下ではどの学校も学費が無償であり、すべての教育機関は公立または国立である。私塾の開設は特例を除き禁じられている。
すべての国民は各々の学力に応じていつでも学びを得ることができる。高卒程度までが義務教育とされ、卒業試験も課されている。
卒業後は成績にもとづいて大学に進学を推奨(実質強制)されるか、または適性のある職業に就くことになる。無就労かつ無就学で、特定の期間以内にどちらかの準備をはじめていない者は「指導」の対象となる。
他方、リバタリアニズム勢力下ではあらゆる方針の私立学校が無数に存在し、詐欺同然の無意味なものから1000年を越える歴史を持つ由緒正しい学校まで選択肢の広さにはこと欠かさない。
ただしこれらには多額の学費が必要であり、中流階級であっても借金しなければ通えない。特に優れた大学・大学院の研究力はパターナリズム勢力下における最高の国立大学・大学院のそれをしのぐと評されている。
なお、義務教育制度は廃止されているので本人の選択によっては小卒のままでいることも可能だがまず間違いなく職には就けない。
産学連携が盛んで、民間人が教授職に就いたり、民間企業の出資を受けた講義、あるいは教育機関そのものの運営もリバタリアニズム勢力下ではごく当たり前である。
パターナリズム勢力下では99.9%が最低でも高校を卒業し、その中の7割が大学まで進学しているが、リバタリアニズム勢力下では高校卒業までで8割ほど、大学進学はその中の4割程度に留まる。
パターナリズム勢力下において文化芸術は認可制であり、なにが正しい表現かは政府が厳格に定めている。
ただし「時として刺激的な表現物が市民の精神衛生に益する場合もある」との見地から、特定の年齢に達し、必要なリテラシー試験をクリアした市民に限り部分的に「刺激的な表現物」の閲覧が許されている。
とはいえ過度に反社会的であったり、反体制的な表現物が認められる余地は一切ない。「1984年」(ジョージ・オーウェル作)はもちろん発禁である。
対してリバタリアニズム勢力ではあらゆる表現が無制限に認められている。ヘイトスピーチですら可能。国旗を燃やしたり、大統領の写真を切り裂くことも可能。VR空間でバーチャル・ドールとまぐわうのも自由。
パターナリズム勢力下ではインターネットが厳しく検閲されているが、一定の知識がある者はこれらの規制を技術的な工夫でくぐり抜け、リバタリアニズム勢力産のコンテンツを密かに閲覧して楽しんでいる者も少なくない。
1時間ほどでここまで書いたがさすがに飽きてきたので後は任せた。
「小児性愛のカジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛のカジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛のカジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体がセクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的に断罪することはマジョリティの傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。
批判者が「小児性愛のカジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。
「娘の成長を見てくれ」と言って筐体で遊ぶ小さい娘さんの写真を2枚貼ったツイートにも、リプ欄で「えっちです」ってのがあったんだけど、こういうコメントを気軽に送れちゃうのも社会で小児性愛がカジュアルになりすぎた結果だと思うんだけど— E (@nice_comp_net) May 29, 2020
しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラの一種であり、「対象が児童だから」問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛のカジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛を批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存の議論焼き回しである。
小児性愛と成人性愛の本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代の倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である。児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義と児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である。
「児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値な命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャル、さらにはアセクシャルを自認する人々からも批判が殺到した理由はそこにある。
「(実在児童を対象としない、無機物を対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているからである。
前節では、問題の本質は「小児性愛のカジュアル化」ではなく、「性愛のカジュアル化」であると言った。では「性愛のカジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボンの荻野さんも以下のように言っている。
逆に、実質、ポルノとしてマーケティングするものであるのなら、18禁でなくとも、広告だけでなく、表紙の陳列やらまで含めて、賢明にどんどんゾーニングして頂くというのが、多分最適解なんだけどねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) November 13, 2019
その理由としては例えば、①性的プライバシーの問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題を内包する言動」こそを「性愛のカジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。
①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要な概念である。実際、他人の自慰を制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)
「男女を問わず、自慰は最も内密の行為である。誰の権利も侵害せず、自分の性的趣向と欲望を満足させる行為であり、性的自己決定権の領域に入っている。女性を卑下するという理由で自慰道具を禁ずるとしたら、女性を卑下せずに可能な自慰行為とは何なのか?」 pic.twitter.com/3lyXymSaF0— NPOうぐいすリボン / Uguisu Ribbon Campaign (@jfsribbon) May 29, 2020
話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートなものである。故に、他人の性的領域に、物理的にも精神的にも安易に踏み込むことは許されない。「性愛のカジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしまう効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人のプライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体が話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別は曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペースを尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛のカジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。
②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年にポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。
ここまで、「性愛のカジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易に断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。
荻野さんは次のようなことも言っている。
いわゆる2次元系の性表現が、本当に純粋に「ポルノ消費」されてるだけなら、こんなには揉めてないんだよね、というところを、表象を批判する側だけでなく、擁護する側もなかなか自覚できないというのが、この話の味噌なんじゃないかねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) October 22, 2019
ここで、各国のゲイ・パレード、プライド・パレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。
https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html
https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver
https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/
https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E
やはり、非常に過激でセクシーなファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?
彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体が政治的意味合いを持っているのである。それ自体が政治的表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したからである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのままに表現した、アイデンティティそのものなのだ。
とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインクの配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなたが独善的な基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである。
さらに言えば、政治性とポルノ的であることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別は不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである。
誤謬を見出して批判することは容易である。しかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。
緊急事態宣言が解除されてから、新型コロナウイルスの感染者が再び徐々に増えているようだ。
新規の感染者については感染経路が追えているケースとそうでないケースがあることはご承知のとおり。しかし、仮に自身が不本意にも新型コロナウイルスの感染者になってしまい、保健所から過去2週間の行動を報告してほしいと要請されたとき、すぐに詳細を言えるか?
おそらく、言える人はほとんどいないだろう。
「感染経路不明」というと、何かやましいところに出入りしたのでどうしても言えないというような人を想像してしまいがちだが、実際はそうではないケースも多いのではないかと思う。だから、どんな場所でどんな行動をすると感染するのか、より詳しいデータが必要だ。
日本では、韓国や台湾のようにプライバシーを犠牲にするような方法が難しいと言われているが、国民一人ひとりが日々の記録をとっておけば、それに代わるものになり得るのではないか。
新型コロナウイルスとうまく共存していくためには何をすると感染し、何が大丈夫なのかということを、一人ひとりが正しく把握することが必要だ。そうでなければ無意味な自粛を求められることになり、経済的なダメージが非常に大きくなる。
もはやこれ以上の自粛が難しいことは、誰の目にも明らかだろう。なるべく、コロナ以前に近い経済活動をしながら適切な感染予防策を行うしかない。不必要な自粛をしなくて済むようにするためにも、多くの人が毎日の行動を記録しておくようにすべきではないか。
beataraxia ゲイというだけでコンテンツとして腐女子に消費されるっていうのがゲイからするとなんかイラッとする。我々の恋愛はあなた達の妄想のためにあるんではないんです。
こういう言説毎度毎度みるけどなんかおかしくない?
別にお前を名指しにしたりお前のプライバシーを暴いてオカズにしたりしたわけではない訳じゃん。
それっぽっちで咎められるの?
じゃあゲイの皆さんはその程度の身勝手な妄想もせずに心の中まで清く正しく生きてるわけか?
俺の知ってるゲイはそんな修行僧みたいに生きてはいなかったが。
しょっちゅう好みの芸能人とかスポーツ選手とか妄想のネタにしまくってワイワイ楽しそうに語り合ってたよ。
それとも妄想で抜くたびに謝ってるわけ?
「警察官の職務は僕のオカズのためにあるんじゃないのに。えーんえーんごめんなさい」って。
謝ってねえだろ?(謝ってたら病気だが。)
ゲイだって普通の人間なんだから絶対身勝手な妄想しまくってるしネットにもバンバンそういうこと書いてんだよ。
「我々の恋愛はあなた達の妄想のためにあるんではないんです。(キリッ)」
とか言えるわけ?
このタイプのゲイさんがいったいどういう思考してるのか気になるんだよ。
(ゲイみんながこんな面白い感じじゃないことはもちろん知ってる。)
「お前ら」呼ばわりっていうのはどこから来たの。
だからそういう風に個人のプライベートに踏み込まれたり名指しされたりはしてないわけじゃんあのゲイは。
つかあのさあ、それまさに最初に潰してある反論ポイントなんだよね。
「別にお前を名指しにしたりお前のプライバシーを暴いてオカズにしたりしたわけではない訳じゃん。」と先頭に書いてあるの。
あーたていどが思い付きそうな詭弁はきちんと真っ先に潰してあるわけ。
kitassandro
コロナ患者の人が恋愛している話、身体障害者が結婚する話、とかさ、そういうのだったらどう感じますか?風俗嬢が、原発作業員が、とかだったらどうですか?
どう思いますかも糞もそういうのは既に大量にあるしな。
白血病で死んじゃう美少女とか、信長のとこにタイムスリップするやつぐらいにいっぱいおったぞ。ヒロインが耳聞こえんとか車イスとかいうトレンディドラマもあったし。「実は同性愛者」なキャラが葛藤したり自殺したりするのを感情揺さぶる要素として使ってる創作なんてのすらとっくに色々あるわいな。
質問の意図がわからんけど「どう思いますか」と言われたら「ありふれすぎてて今さら特段の感想はない」だな。
俺のすい臓でも食ってろ。
欧州に行くと、ジャップはうっすら差別されるね。レストランでいい席には通されないわな。自分が少数派になる環境を体験してみるのも面白いよ。
はあ?
あのさあ、俺の話を理解してるのか?
俺は「社会に差別なんてない!」とか「ゲイは差別被害を訴えるな!」とかそういう話してた?
ゲイにも腐女子にも恨みも恩も言いたいこともないし、まさにこういうバカについて言っているわけ。
こいつのブコメはなんか「社会の中の差別を指摘している」と言う点でポリコレポイントは高い。
でも相手の話と全く噛み合わない、問題文一文字も読まないで書いた答案のような頓珍漢コメントなので国語力とか論理性とかでは深刻なレベルの0点じゃん。
こいつやこいつに星つけたような奴らはもの考える能力が全くないわけよ。
一見お利口そうな真摯そうな姿勢を作ることだけは押さえてて、少しも真面目に考えてないよね。
ゲイに対して失礼なのはおめえらの方だよ。というかゲイに限らず誰に対しても失礼。
こういう頓珍漢なことしか言ってないけどポリコレ点だけ高いアホをきちんと見抜いて軽蔑できるようになりましょうということを、俺は言いたい。
ロリコンが女性や子どもの権利を守るのではなくむしろ都合良く利用する側であるように、腐女子もゲイの権利を守るものではなく一方的に利用する側。それを肝に銘じて初めて「同性愛(者)」に向き合えるのだと思うよ。
じゃあゲイもノンケを「一方的に利用する」側なので、更衣室やトイレを使うときなどは身の程をわきまえることが肝要だな。ノンケに対する一方的な性愛に引け目を感じ続けることを肝に銘じて初めてノンケに向き合えるのだと思うよ。
誰でも他人や他集団にどんな妄想を抱いても自由だし、同時に誰でも自分や所属集団について妄想を露わにされたらイラッと来てよい。考えるべきはその妄想の表象・流通の仕方には非対称性や権力性が伴うってことです
ゲイは腐女子をオカズにしないけど腐女子はゲイをオカズにするから?
ならゲイはノンケに対して権力性を持つんだなあ。申し訳ない顔で生きるべきなんだ。ほえー。
そこに座っててくれ。
自陣営の論理が壊れてても「権力構造ガー」「非対称性ガー」などと喚けばダブスタセーフだと思ってる考えるの苦手な身分制思考のバカ達にはいい鬼瓦として機能するだろう。
要するにあいつらは自分達のスペックの悪い頭を甘やかすためにそういう言葉を便利使いしてるんだよな。
困ってる弱者の誰かに優しいんじゃなくて自分の頭悪さに優しいの。
社会的に否定されがちだったりマイノリティであることの悲哀を、大衆の娯楽のために利用されるのは腹立たしい、という気持ちはあるのかもな。そういう気持ち自体は誰が何を言おうと否定することはできないと思う。
バカ達よりはまともな回答なので罵る気はないけどさ。
その「気持ち」はきちんと観察すれば成分を分解できるよね。
問題なのは「社会で否定されがち」ということでしょう?そこはゲイとしていくらでも言い続けていいこと。
けど妄想することはお互い様であって、それ自体に問題ないんだから、結びつけて抗議するのおかしくない?
その「社会的に否定されがち」と好きなときだけ自在にくっつけて抗議する論法を認めると、どんな恣意的な抗議も八つ当たりもやりたい放題になるんだよね。
それは違わない?ゲイがかわいそうな目に遭うシーンというのは社会のなかにまだまだあるし、そこで辛い気持ちをしたことは否定できない。
けどその気持ちを別の場面にくっつけることで非論理的な怒りを表明できるし周りはこうべを垂れるべき、というのは違うよね。
だってそれでなんかゲイの問題が解決されるの?されねーよ。そういう非論理的フィールドを発生させると、考えるの苦手なバカが寄ってきてさも倫理的風に頓珍漢な非論理論陣でいいこちゃん顔したり誰かをつるし上げたりして楽しむだけ。
バカどもが卑しい愉悦を楽しむための養分が生まれるだけなんだよ。
そこを考えてほしいね。
当たり前のことをどや顔で言うべきではないし
そうね。ストレートの人間だってヘテロ恋愛の漫画やらドラマやらAVやら楽しんでるわけだし一緒だよ。とはいえセクシャルマイノリティはまだまだ酷い扱いをされていると思うので増田みたいに雑に扱う気も起きないが。
あのさあ、よく読んでくれよ。
俺がいつセクシャルマイノリティを雑にあつかったの?具体的なこの部分だ、といえるなら言ってみ?
fukazawakyoko 腐女子フェミニスト「女性性への搾取だァァァァ!」腐女子フェミニスト「ゲイ搾取?おまえのことじゃないしキリッ」
そういう種類のフェミニストがおかしいと思うなら同じ論理で腐女子が叩かれてるときも擁護すべきだと思う。
これは女性が普段性的消費だの何だの言ってることの意趣返しなんだと思ったけどな。なんで自分達が消費するのは良くてされるのはダメなんて言えるんだ?