はてなキーワード: コントロールされているとは
増田は元々「市販のペペロンチーノソース、味が濃すぎるからパスタ二人前が丁度良い」とか言いながらドカ食い糖尿病寸前まで行っていた馬鹿なデブである。
齢30を過ぎ、尿に変な泡が立ち始めていよいよこれはヤバいと一念発起し、30kg痩せた過去を持つ。
そのとき、健康的に痩せるために血糖値とインスリンの関係については大分勉強したので、「ドカ食い気絶」に関する雑な言葉が踊りがちな昨今、自分の知る限りの知識をこのタイミングでまとめておく。
間違っていること、曖昧な部分あるかも知れないが、それは本職の医クラさんがはてブにもいるので頑張って補足していただきたい。
そもそも我々素人が勘違いしがちなところとして、「血糖値が何故上がるのか」についてのメカニズムそのものがある。
食後血糖値というものは30分もせずに上がり始めるものだが、食後30分ではほとんどの食べ物がまだ胃の中。胃は胃酸によって食べ物を「消化」する器官であって、消化されたものを「吸収」するところではない。
じゃあ血糖はどこからくるのかというと、主に体内に貯蔵されたグリコーゲンである。人間(動物)は即席エネルギー源として常に肝臓や筋肉にグリコーゲンを貯蔵しているが、食事を取るとそれがいらなくなるので血液を介して脂肪細胞に届けて貯蔵するのである。
食事で摂取した糖質量そのものと血糖値の上下には直接的な関係がない(間接的にはある)ということをまず抑えておきたい。
いくらか指摘がありますが、この「直接的な関係」という言葉に込めたニュアンスは、基本的には(↓の一文目)だと思っていただきたい。増田はあくまで論文レベルの校正を行えるものではないので、言い回しの細かい部分への訂正はこれっきりとします。ある程度は読み手責任で「等」等を補ってださい。
専門家からの明確な指摘があったわけではないが、この下りは正確さに疑問があるため次のように修正する。血糖値の上昇には多数の要因があり、↓の補足にあるようにGI値などはあくまで目安でしかないため、経口摂取した糖質量に比例して血糖値が上がるような単純な関係ではない。
というわけで、血糖値スパイクとは、単に大量の糖質を取ったから大量の血糖が流れるというような話ではない。
大量の糖質を取っても、食事直後に流れるのは肝臓に貯蔵されたグリコーゲンだし、また健康的な膵臓をしていれば、消化吸収された糖も適切にコントロールされる。
では何故血糖値スパイクが起こるのかというと、それは主に「インスリン」の働きが悪いからである。
インスリンは、先ほど言った「肝臓に蓄えた糖を血糖として放出し、脂肪細胞に蓄える」というはたらきに関するホルモンである。インスリンがはたらくことによって、血糖は脂肪へと変換されて蓄えられていく。
つまり逆に言えば、インスリンの働きが悪いと血糖を脂肪に変換する回路がうまく動かないということである。
結果として、血糖値が下がらずに血糖値スパイクが起こる。表面的に言えば、インスリンは血糖値を下げる働きをするものなのだ。
「血糖値スパイク」に関する大きな間違いのひとつが、「高血糖で眠くなる/気絶する」という話である。
これは完全に間違いで、高血糖は体組織にさまざまなダメージを与えるが、それによって眠気とか(気絶のような)短期的な意識障害は起こさない。
よく言う「食後の眠気」は、一般的には「低血糖」で起こるものである。
これまで述べたように、食後すぐに肝臓に蓄えられた糖が血中に放出され、「血糖」となる。その血糖は「インスリン」により脂肪へと変換を促されることによって脂肪細胞に貯蔵されなおす。この過程で血中の糖質量が変化するのが「血糖値の上げ下げ」である。
この血糖値の上げ下げの結果、「血糖値スパイクの後には急激な低血糖も起こす」というのが、「食後に眠くなる」メカニズムである。
(特に難しい部分のようなので追記。「インスリンの働きが弱まることで、それを補うように分泌が過剰になる(そのせいでまた働きが弱まる)」という「インスリン抵抗」の負の循環によってこういう乱高下が起こりやすくなる。完全な糖尿病になってしまうと、インスリンの機能が失われるので自然には血糖値が下がらなくなります。)
以上のことからわかるように、「血糖値スパイク」も「食後の眠気」も、本来「ドカ食い」という一時的な行為そのものとは関係がなく、そういう不健康な生活によってインスリンの働きが弱ることで起こる複合的な現象なのである。
よって「ドカ食い気絶」なる、昨今既成事実化されようとしている現象は、厳密に言えば存在しない。
医学的にも定義されてないし、そもそも「食後に眠くなる」要因については上で述べた低血糖以外にも他の機序によって説明されることもある。
胃腸に血液が集中することによる疲れだとか、自律神経に関する問題だとか。
もちろん無理な大食い、不摂生な生活が身体に悪いことは言うまでもないのだが、ある種の非科学的な迷信と言えるところまで話が膨らんでしまうとそれは良いことではない。
ドカ食い気絶なる概念の既成事実化によって、逆に妙な(実在しない)健康不安を煽りはしないかと、増田は危機感を覚えるものである。
最近、都市伝説の動画を検索して試しに見ていた。こういうのはエンタメのための情報だから、一見するとただ面白おかしいだけに思える。
しかしよく背後の情報を確認してみると反ユダヤ主義が隠されていることに気がつく。
金融や戦争の原因を一部の権力者の裁量ですべてコントロールされているというニセ情報が典型例だ。
しかもその「権力者」が誰なのかということについて話があると、「ユダヤ人」という設定になっていることが多い。
これは危険思想の兆候である可能性がある。特定の人種が世界のすべてを牛耳っているなどということを、例えば政治家連中が信じたらどうなるか想像してほしい。
その「特定の権力者」が通貨発行権を利用できるから許せない!というタイプの浅はかな陰謀論も見たが、陰謀論自体が陰謀ではないかとさえ思えてくる。
資産大国である日本のような国の貨幣価値と資産力を弱体化させるためにインフレを起こそうとしているのではないかと。
つまり、経済というのは基本的に数学法則に支配されており、「裁定の限界」が存在するので、資産家がいつでも儲かるといううまい話ではないのである。
日本が世界一の資産大国であることは有名だが、資産を持っているだけで自動的に儲かるようなことはないのだ。
偽情報によって自らにダメージを与えたり、反ユダヤ主義を無意識に信奉している陰謀論者たちは、怪しい情報に真実性を求めるよりも前の段階で、経済の標準教科書を読むべきだろう。
東日本に住んでいる人間にとっては、触れてはいけない「タブー」のような扱いになっていたと思う。
廃炉作業が行われていること自体は知っていたけど、まあ東電と政府がうまくやっているんだろう程度に考えていた。
唯一思い出したのは、東京オリンピック招致活動の際に安倍ちゃんが「福島はコントロールされている」と演説していたのを聞いたことだけだ。
2009年9月の衆議院総選挙で民主党に一票投じた人間の一人として、後悔していることがある。
あの時に別の党に投票していれば福島原発は地震と津波で無傷ではなかったとしても、最悪の事態は免れたのではないか。
そういった後悔もあるので、福島のことを考えたくないと思っていたのかもしれない。
労働者の3人に1人が、自分はブラック企業に勤めていると思っている。そんなデータがある。
https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2108/04/news024.html
ブラック企業の社長は基本的に金持ちだし、お金に困っていない。
なぜなら本来従業員に払うべき賃金を削り、法律を破って私腹を肥やしているからだ。
それでいて、ルールを正しく守るホワイト企業と対等に渡り合う。
これがみんなにとって正しい世の中なのか?
むしろこんな糞ブラック企業が増えていくと、みんな困るのではないか。
単純計算で3回乗ったら1回事故るタクシーに乗りたいと思うか?
学歴でホワイト企業に入ればいいとか、そういう自己責任の話ではない。
皆お金が無くて苦しんでいる、そんな現代。従業員の購買力を奪っているのはブラック企業のトップだ。
実際ブラック企業に勤めていた実感として、ブラック企業の社長は自己中でサイコパスだ。
「従業員を大切にしていない。」
勤めていた同僚たちは口々に文句を垂れていた。もちろん私も。
金稼ぎに長けているという能力自体は、本当に素晴らしい事だと思う。
生死に直結する部分だし、そういう嗅覚が働いたり、努力ができるのは褒めるべきことである。
しかしだ、その類まれな能力を自分のためだけに使うってどうなの。
自分の利益を守る為なら、他人を屁とも思わないヤツらだぞ。マトモじゃない。
みんな上級国民に踊らされてるんだよ。
今は中間層や下層だけで、互いに争うように仕向けられてる。
そうやって、上級国民に不満の方向が向かないようにコントロールされている。
だから、だまされるな。
金を溜め込むだけで、その一族だけしか得しないのなら、そのお金は悪である。
トリクルダウンは富裕層が得しただけで、普通に生活している一般層には恩恵が無かった。
そういうことだ。自分たちだけが助かるような、そんな構図が仕上がっている。
まずはとにかくブラック企業を潰そう。
このままでは今の生活は保てなくなる。
困るのは中間層や下層だけだ。
ネタバレ注意
フラワー・オブ・ライフの感想って難しいな。
それでも語らせてもらうと、一般的な連載漫画って①序盤に何話かかけて世界観設定をして、②中盤は大きく設定は動かさず安定した世界観の中で1話完結とかの話をやって、③終盤もう一度設定自体を動かしてクライマックス、みたいな様式がよくあるじゃん。
この漫画も基本的にはこの様式に沿っているように見えるんだけど、実は②の部分がすべて①から③に向かう間の伏線(?)な上に、改めて俯瞰してみると②も含めた作品全体の流れの緩急が見事にコントロールされている。
で、それに加えて凄いのは、当然初見の読者はこの作品の完璧な構造の存在など知りもしないので、作品を読み進めて③にたどり着くまでこの作品を「一般的な様式の漫画」だと思い込まされて、完全に油断させられる仕掛けになっているところだと思う。
ふんふんふん、と普通に「いい話」や「人間関係のあれこれ」を追っていった先に「あの終盤」ですよ。
俺が今まで②の1話完結ものだと思って読んできたエピソードは一体何だったのかと愕然としたね。
ただ、この感想はあくまでもたまたまこういう読み方をした人間だけのものであって、初めて読んだときのコンディションとか読み方によってはまったく違う印象になることもある不安定なものだとは思う。
そういう意味では「個人的に」ショッキングだった唸らされた作者は天才だと感じた作品としては1位だけど、万人にとって1位かどうかは自分には何とも言えない。
誰かの指示通りに車を走らせるということは、本当に大変だ。
予約時に言っていた行き先を変えることはよくあるし、こちらが思うベストなルート以外を指定するお客さんも多い。
交通状況や乗車中の電話によって行き先が変わったり、引き返したり途中下車することもままある。
コンビニに寄る、途中でもう一人を拾う、人や建物を探しながら走る。
「とりあえず〇〇方面」とか、「前の車について行って」といった行き先不明の指示も多い。
これらの指示が口頭で次々と飛んでくる。
乗客がタクシーの運転手に不満を持つのは、たいていこのコミュニケーションがうまくいかないときだ。
自動運転というと、走行の技術ばかりに目が行くが、最も難しいのは、こうした指示を理解することだと思う。
これはタクシーに限らないけど、車というのは車外の人にすごくコントロールされている。
それから駐車時に、駐車位置を外からジェスチャーで指示されることが多い。
こうしたジェスチャーに適切に応えるのも難しい。
自動運転の車に乗っていると想像して、例えば深夜の郊外を走っていて、
自動運転の車は必ず止まるだろう。
そして寝ている自分を起こす。すぐ横のガラス窓を男がノックする。これは恐怖。
乗客はビルの前で止まって、降りて、用事を済ませてすぐ戻るので待機を指示、
管理人がやって来てここに停めてはいけない、10メートル前へ動けと言う。
女は降りると言う。さあどうする。
このように、走るための指示を聞き取ること、それに適切に対応することはとてもむずかしい。
これを人以外ができるとは思わないのである。
(追記)
たくさんのコメントをありがとうございます。
みんなスマホ持ってるんだから、指示や入力はスマホに一本化すればいい。
ならば機械はこんなものだとわりきって、それに合わせて、機械にわかりやすいように指示、入力する。
それでやっぱり、実際の生活で外国人同士がスマホを使って会話してるかと言えば、してないですよね。
複雑な入力はやっぱり必要だし、適切なリターンをスピーディに返すのは人にしかできない。
自動翻訳の世界と自動運転の世界、どちらも限界があるのだと思います。
一定のレベルでは、とても利用価値があるものだし、人の代わりになる。
だけどそれを超えた要求はできない。そんなところでしょうか。
中学生の恋愛なんて 憧れの延長線。自分にない魅力を持ってる人に惹かれるだけ。
シンジとアスカは、エヴァパイロットという苦痛を共有しながら、お互いに自分にないものを感じあっていた。本当にそれだけの話。
(エヴァパイロットの感情はコントロールされている…との言及があるので、それすら作為的なものである可能性があるが。)
だからアスカは「好きだった。でも私の方が先に大人になっちゃった。」と言う。
大人は『お弁当が美味しい』『私には他の人と違う態度をとってる』みたいな理由で好きにならない。確かにあの時は好意を抱いていたけど、精神年齢が28歳になった自分が同じような執着心をシンジに感じていないということに気付いた。
と思っている。
ないんじゃね。覚えてないけど。
惣流をベースにした式波モデルと思っている。なんか解説とかあるんかね。
・マリはゲンドウとユイと一緒の研究室にいた同世代の仲間のはずなのに、なんでシンジと一緒に中学生の身体で戦ってたの?一度大学生や大学院生になったあとで身体を中学生に巻き戻したの?成長を止めるんじゃなくて巻き戻すとかアリ?あとラストシーンでシンジと同年代に見えるのは何なの?エヴァパイロットの義務から解放されたら、アスカの身体が急にあのピチピチスーツよりでかくなってパツパツになってスーツが破れたみたいに、本来の肉体のタイムラインに戻るんじゃないの?つまりマリはエヴァパイロットやめたらゲンドウと同世代のルックスに戻るんじゃないの?
仮面ライダー電王に特異点って存在があるんだけど、そいつはタイムトラベルをしても記憶を持ち越すことができるんだよ。
「あ、マリとカオルは新劇場版の特異点なのか」って思ったら、割と腑に落ちたな。公式の認識と違ってるかもしれないけど。
カヲルが言うには エヴァって【繰り返される円環の物語】らしいから、微妙に変わりながら繰り返してるんだよ。
その中で 3つのストーリーが映像化された…というていにしている。
カオルは作られた存在だからずっと同じ姿で登場するけど、マリは違う姿で転生してるかもしれない。
②で、マリはゲンドウたちと近い歳で研究をしていたけど、③では②の記憶をもったまま シンジと同じ年齢に産まれた。
(そう思ってたから、年齢は巻き戻ったわけでもないし 同年代でもおかしくないんじゃね?と勝手に納得している。)
(カオルが「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」という思いで新劇場版のシンジに接しているけど、マリはマリで「ユイが遺したシンジを幸せにしてみせるよ。(だから全人類巻き込むとかアホなことするなよクソゲンドウ)」と思ってんじゃないのかな。)
ラストシーンは、シンジがつくった【エヴァがなくてもいい世界→③-2エヴァ無いバージョン】。
たぶん、このタイミングでシンジも特異点になった。というか、マイナス宇宙で世界の書き替えをしたシンジ&そこからシンジを掬い出したマリだけが特異点として【③-2エヴァ無いバージョン】に転生した。…ということに自分はしている。
エヴァが要らないということは使徒も来ません。海は青いし、冬もきます。
エヴァがないということは、エヴァパイロットの身体の成長が止まることもありません。だからシンジも大人の姿です。
(たぶん、ユイがエヴァに溶けることもないかな。違う理由で死ぬとかはありそうだけど。)
ネルフがないということはシンジはレイやカヲル、アスカと出会う理由がありません。
でも、マリとシンジは特異点なので【③-1エヴァあるバージョン】の記憶をもって転生しています。
だから③-1で同世代だった2人は同い年の大人になったし、なんやかんや山口県で会ってる。
…ってことで、とりあえずのところ 納得してる。
自民党支持者というのは、支持してるけど入れないとか別な政党の候補者に入れるとか、そういうことやる人がたくさんいるからね
票がコントロールされている人は、ほんの一部で、後は現状維持的な保守志向というだけの人が多いから
「原発の放射線量はコントロールされている」という言葉に疑問を投げかける人がいたりした.
東京オリンピックに期待して心躍らせている人もいたし,
今,オリンピックに反対する理由はもちろん「Covid-19の感染拡大を招くから」というのが語りやすい.
しかし,その影響がなかったとしても,中抜きで一部の人が儲けるだけの構造が許せないと思う人もある.
そういう人にとっては,オリンピックを中止にして,なんとか一矢報いたいという気持ちがあるのだろう.
今回のCovid-19の事件で様々なことが明らかになったが,
政治家の会食が多いことや,一部の企業が政府からの委託手数料により莫大な利益を得ていること,
ここ5年くらい、欲しくて欲しくて思い詰めているようなアクセサリーがあった。ピアスとネックレスのセットで約70万円。いやいや70万てwwと自分でも無用の長物だと分かっているんだけど、それがあれば自分は自分を好きになれる、より素晴らしい自分になれる気がして、だから欲しくて仕方なかった。
店頭にも足を運び現物も見た。とても素敵だ。これをつけてシャツにタイトスカートにハイヒールを合わせてオフィスを闊歩したら、どんなにか気分がいいだろうと思った。そのアクセサリーがあれば、「おしゃれで仕事ができる美人」というセルフイメージが持てる気がした。
勤続10年目なので、会社から祝金が出る。なので、それを原資に足して買おうと決めた矢先、異動が決まった。異動先はこれまでいた経営部門と違い現場仕事が多く、タイトスカートもハイヒールも縁遠い雰囲気だった。仕事自体は面白そうなのでまあいいのだが、そう思うともはやあのアクセサリーは何の意味もなさなかった。現場で汗を流すのに、おしゃれである必要もなければ美人である必要もない。そもそも私の新しい仕事は、作業着と安全靴が支給されるような世界なのだ。
年間120日とかの休みの日(しかも全然出かけないこともある)につけるアクセサリーに70万払うのもバカバカしいので、あのピアスとネックレスは購入しないこととした。あんなに欲しくて、毎日HPやInstagramを見ていたのに、びっくりだ。つまるところ、私はあの綺麗なアクセサリーそのものが欲しかったのではなくて、「あの素敵なアクセサリーをつけてバリバリ働く私」が欲しかったんだな、と思った。
一人目は、在日朝鮮人だった。
「戦後60年日本人はがむしゃらに働いてきた。その人たちが日本の豊かさを作ったので我々が恩返し・支える必要がある」
みたいな発言をしたところ、
「ぜんぜん?」
みたいに氷のような無表情でいってきた人。
あーこいつ外人だと思った。
「中国の諸子百家はいろいろ思想があっておもしろい。中でも孔子・老子・孟子・荘子は日本人が学んでおく必要がある」
みたいにいったところ、
「ぜんぜん?」
と、こちらも無表情で、まったく心底興味のない顔だった。
今思えば100%中国共産党員だったと思う。(他の中国人はそういう話をすると誇らしい顔になったので)
政治的に人生をコントロールされている人は、
その歴史観や人権意識も、他人にコントロールされることになり、哀れだと思った。
そこに学生時代、勉強することでフラットな思想を仕入れることができる。
しかし幼少期から親や政治組織(宗教という名の政治的組織ふくむ)から「仕込まれ」てしまうと、もうほかのものを受け付けられない。
そうして出来上がるのが、
「人間らしき姿をした」怪物でありフランケンシュタインである。
おもえば中学高校大学で、大量の文献を自由にみて選択できる日本という国に生まれたのはラッキーだったと思う。
もちろんそこでマルクス主義を選んだかもしれないし、マキャベリズムを選ぶこともできたかもしれない。
しかしそうならず、基本的人権や生命権こそすべてという思想に、「自ら選択して」なれたのは日本のおかげだと思う。
自ら選択しない(できない)フランケンシュタインがいきつくのは、兵隊としての暴力である。
そして暴力がいきつくのは、血であり、弾圧であり、臓器摘出であり、レイプである。
「ぜんぜん」
を教えてくれた二人は、人生の師だったと思う。