はてなキーワード: 四角四面とは
100石取りの侍というのは領地としてだいたい1村を任された(与えられた)状態です。
いわゆる村の殿様。
1村の収穫が約100~130石。
仮に四公六民の殿様なら実収入は40石。物価などの違いがあるので断言しにくいですが感覚的には現代の年収400万円サラリーメンといったところですね。
戦があれば自分と、郎党あるいは村民に小遣いをやって懐かせた暇人を1~2人連れて出かける(自分を含めて2.5人が出陣している計算)。
100石の侍が100人(=1万石)いれば戦のときに約250人が揃うことになる。
上の計算から行けば1000石取りの侍は10の村を支配して400石を得る=年収4000万円という感覚になるだろうか。ここまでくると、自分自身が侍身分の家来を数人抱えます。
1000石取りの侍とその家来数名で、上の約250人を指揮するわけですね。これを備と呼び、指揮する彼は侍大将というわけです。
大勢で叫んだりしているうるさい戦場で、指揮官の命令する声が直接聴こえるのは200~300人くらいだという説があります(中隊という概念の元)ので、侍大将が1備を指揮するのは順当といえます。
ここまでで1万1千石を使いました。
仮に1万1千石の大名だったら、101人の家来たちに分配したことで自身は無一文になってしまいますし、100石取りの侍たちだって出世したいですから上記のようにはなりません。
実際には200石取りのちょっと偉い侍とか500石取りの中級重臣なんかがいたわけです。大名本人の収入にする数千石だって必要ですし。
その場合、上では250人のうち100人が正規の侍で150人が郎党や農兵でしたが実際は250人全部農民なんてことにもなるわけです。
ところで、
漫画『シグルイ』に登場する岩本家は300石とされていました(順当に考えるなら村を3つ支配して年収1200万円か)。
家屋敷の大きさや生活を見れば、絵的に想像つきやすいのではないでしょうか。
当主のほか、弟子という形で屋敷内に侍身分の者を5人も飼っている他、召使いの下男もおり、仮に戦があれば当主もあわせて7人が出陣するといえます。
しかし彼の作る家具には寸分の狂いもなく、ガタつきも緩みもない様子を敬意をこめて”ドン・ピシャリ”と呼ぶようになった。
そこから転じて様々な要素が狂いもなく合致する様が”ドンピシャリ”と言うようになったのである。
しかし、それを快く思わない者もいて、人間性のない四角四面な言動や取り付く島もない様な物言いを、敬称のドンを抜いて”ピシャリ”というようになった。
それが日本に伝わり、「どんぴしゃり」「ぴしゃり」という言葉になっていったというわけである。
この話は、史書である南イタリア連合の起源(United South Italy Origin:USO)800ページに記載されている
なんとなく、まあこういう考えの人は多くいるよなあと思う。みんな自分の好きなように生きる選択をして、それでも社会が成り立っていくようにするにはどうしたらいいんだろう。
私は人間1人あたりが新しい人間1人を生み出さないと、次の世代の負担が爆増してもっともっと厳しい貧しさが到来するぞと思ってすぐ悲しい気持ちになってしまうのだけど(既に私たちの世代が厳しい貧しさを体験している)、次の世代の痛みなど知らぬ、という人もそりゃいるか。とは思った。確かに。でもそれってあんまり大人らしい態度じゃないなと思った。自分が属するグループ、組織、社会の将来を良くする=人類を良くするために生きるのが、人間ってもんじゃないのか。もちろん、次の世代の苦しみが少なくなるように政治でなんとかしようという動きが今後出てくるかもしれない。ただ、団塊、そしてその次に団塊Jrの世代が死に絶えてやっと人口分布がまともになり、若い世代が苦しまなくなる、という、その時代到来までの半世紀くらいで、日本人の貧しさによる精神ズタボロ度はすごいことになってしまうんじゃないか。心配である。
私は人口が漸減していくことには概ね賛成だが(そんなに多くの子供をかかえる余地はもはやこの国にはないし、実際的に仕事に必要な人間の数はこれからどんどん減っていく)、ドデカい退役世代を、細々とした現役世代が養うというのは、無理があるし、つらい。
今の退役世代はまだ貯蓄があるからいいが、団塊Jrが退職し非労働人口になった時に、彼らの生活を金銭面でも身体面でも、現役世代が支え切れるのかは本当にわからない。年金制度の崩壊と言われる2025年は2年後に迫っていて、そこから本当の地獄が始まると思う。
すごく極端で非倫理的な話をすれば、老人達が長生きしすぎで、これは現行の年金制度を作った時には想定されていなかったと思う。そして、老人というのは家や車を新しく買うことはないので、まとまったお金があってもそれを経済に返還できない。子世代の建てる家や土地にどんどん老人たちがお金を出してやればいいと思うのだが、それはそれでしがらみになりそうで、難しい問題だと思う。そうして遺産相続の時が来る頃には、子世代ももはや退役している。長生きしすぎである。頼むから70くらいで死んでくれ。私も70くらいで死にたい。
70くらいなら子世代もまだ40とか50のはずで、孫世代の教育費に遺産を宛てたり、新たに家を建てたりできる。ただ、孫の世話をまかされている祖父母を考えた時に、70は早すぎる。かもしれない。私の祖父は80で死んだ。祖母は認知症を発症し、施設でまだ生きているが90を過ぎ、これは生きすぎだと思う。ただ、戦前生まれの体が頑丈なのであって、敗戦後に生まれた人々はもっと軟弱で、そんなに長生きはしないと思うし、生活習慣が変わったことによる病気も多いと思うので、平均寿命は現実的には80弱くらいになって欲しいと思う。介護現場の人手不足は国の縮図で、少ない現役世代が、自分たちの数倍の人数の入居者の世話をしている。
下の世代が苦しみながら、「もうじゅうぶん生きた、早く死にたい」と言っている世代を支え続ける構図は続く。ただでさえ老人の数が多いところに、出生率1.3というのは、「1.3人の人間の働きで(金銭的にも身体的にも)2人の老人を養う」ことであるから、国が必死になって子供を産ませようとしているのは確かに理論としてはスタンダードだ。
しかし、子供を産み育てる土壌があまりにも貧しくなってしまったために、子供を持つことはかなり難しく、私にはもはや特権化しているように見える。経済面、また、身体面および精神面で一定の条件をクリアし、他人(異性)と生計を一にすることができる人、というのが、現在この国で子供を持つ権利がある人々である。ここがもうかなり狭き門のように思える。異性愛者または子供のために異性と性交することができる人、かつ、健康で共働き+家事+育児ができ、子供の教育費を過不足なく捻出できる人。で、できねェ〜〜〜〜〜。こんな…ハードモードすぎるってばよ。
加えて出産(初産)は30までに済ませておいた方が体の負担が少ないので(と私は思っている)、20代で仕事をしながら、人生のパートナーが誰なのかを見極め、その人と着実な関係を構築しなければならない。ウワーーー!難しいよ。私は友人からもきつく「お前は子供を持ってはならない」と言い含められているとおり、そもそも治療薬の関係で妊娠ができないし、おそらくこの病状では育児にも耐ええないだろう。その前にパートナーがいないことも大きな問題だ。私のような「外れ物」が子供を持てないのはまあ当然として(本当は「家族」というものが欲しかったが…)、それなりに普通の生き方をしている多くの人が、上述のなんらかの条件をクリアしていないために、40年前なら結婚出産をしていたであろう結構なボリューム層が、非婚のままである。
ただ、40年前のように誰でも彼でも結婚出産しましょう、という風潮だと、本来その能力のない人が親になり、私のようなアダルトチルドレンおよび精神障害者が大量発生してしまう。正直、親世代の雑な育児のツケが回って「結婚できない」という人もかなり多いと思う。それを言い出したらキリが無いかもしれないが、ちょうど戦後に生まれた人達というのは、目まぐるしく変わった価値観を土台にする社会を生きながら、親は戦前の四角四面な道徳観念をもっており、それによって躾けられるという、かなり不安定な人達なのである。既にこの世代からして。大人の「未成熟」というのは、敗戦後生まれた人達から始まる問題だと思う。「未成熟」という言い方はよくないかもしれないが、大人としての役割のひとつだと私が思っている、「子供が1人で生きていけるように育てる能力」を有していない人が、この辺りから大量に出てくる。
または、戦前はそこまで個人の責によらず、社会全体でなんとか、どんな子も生きられるようにしよう、という、厳しさ前提の優しさがあったのかもしれない。たとえば子供がだめでも、孫が優秀かもしれない。そうやって、とにかく世代を繋いでいくことが優先されていたのは、日本古来の習慣(家制度)である。敗戦により、新自由主義、個人主義が「日本人なりに」受け入れられた結果、家制度は解体され、本人の希望によってパートナーを見つける形に変わった。それが時代の進歩というもので、これが「自由」である。どんなに下の世代が辛い思いをしようと、私たちは「自由」を手放してはならない。破れ鍋に綴じ蓋だったり、不均衡だったり、時には大きな問題のある相手を宛てがわれてする結婚は終わり、自分にとっての最上の相手を探す時代が訪れた。
そこで、今まで「宛てがわれて」結婚していた層の「問題のある人達」は結婚できなくなり、子供の数は減っている。これは、その人たちの遺伝子が淘汰されるならいいのでは?と一瞬思うが、遺伝というのはそう単純なものではなく、最悪な親からでもまともな子供が生まれたりするので、とりあえず宛てがって産ませよう作戦は、生物の生存戦略としては優秀賞だと思う。
ただし私たちは人間なので、やはり「自由」を捨ててはならない。子供を持たない人間たちは、その仕事によって次世代になんらかのものを残すしか手がない。私たちは「自由」だと体を張って証明すること、そして、自分より後に生まれる命のために、少しでも貧困の構造や社会制度をよりよいものに作り替えておくこと。これは子供を持っている人ももちろんやっていると思うが。私は結局子供は社会で育てるものだと思っているので(親個人の責任はそこまで重くするべきではない)、実際に子を持たない人でも、その働きはひいては次世代のためのものなのだから、誰が子供を持っているとか持っていないとかで揉めるべきではないと思う。
性犯罪の冤罪をつくる加害者になるのと、性加害者になるのとでは全く話が違うから分けるぞ
それは考える必要すらない
なぜならそんな行為をすることは頭に浮かびすらしないし、そういった実例を知り合い含め体験したことはないからだ
そもそもこれは性犯罪ではなく詐欺の類なのでセックスの話と並べるものでもないだろう
ただし、自分が接していないだけでこの世にそんなことをする輩がいることについてなら、大変に許せないことだ
性加害者について
いわゆる強姦や痴漢のようなものであれば、上と同じで考える必要すらない
恋愛の中でも自分から手を出すことはなく、断るか受け入れるかでしかないので加害にはなりようがないと考えていいだろう
ただし、会話の中で気付かずに相手がセクハラ的だと感じる発言をしているような可能性はあるので気を付けなくてはということはよく考える
と、質問に四角四面に答えてみたが、そもそも他人を陥れて金をせしめたいだとか、誰でもいいから性欲をぶつけたいというような動機がないので、挙げられた例について自分が加害するかもという視点はありえないのが結論だ
仁藤夢乃がホストを好感しているように見えるし、それに違和感を感じているフェミニストも多いですよね。
結論的に言うと、公的な福祉が届かないところにアウトリーチするからっていう話ですよね、これ。
まあ、仁藤がそこまで考えているわけではなくて、自分の経験から直感的にやっているだけなのかもしれないですけど。
フェミニストとして支援活動していく中で、ホストにハマり良い様に貢がされ借金を重ねた人、
そのまま風俗落ちしてしまった人、既婚者なのにホストに入れ込み家庭も経済も破綻した人もいる。
id:frothmouth あれはホントに謎ですね “ホストという存在は女性のエネミーとしての一面を確かに持っているのだがそんなホストという存在に好感を抱き散々持ち上げている時点で、彼女と私とではスタンスが違いすぎる。”
https://b.hatena.ne.jp/entry/4725107326971118659/comment/frothmouth
まず、大前提として、若い女性というのは性的な価値があるので、それを換金するにせよ、あるいは直接に消費する形にせよ、買手は引く手あまたなんですね。
このため、若い女性が好感するように振舞うこと、例えば優しく振舞ったり、あるいはオラついて強さを感じさせたり、適度に頼ってみたりすることで、搾取するというビジネスが成立するわけです。これがホストやスカウトですね。
これは、金を持ってるオッサンに好感させて、金を貢がせるというビジネスと本質的には変わらないんですが、バカなオッサンはそうそう金持ちにはなれないのに対して、若い女性であること、あるいは容姿や気立てが良いことはそういう知性や理性と無関係なんですね。なので、ホスクラでは金もない若い女がツケで何十万のシャンパンを入れて、ツケを払うために体を売るということが頻発するわけです。キャバクラで豪遊するオーナー社長はシャンパン入れるけど、年収600万のサラリーマンは、あんまりそんな飲みかたしないからね。
で、女を落とすことで金を稼ぐホストやスカウトと、福祉をやってる公務員がヨーイドンで、若い貧困女性にアプローチしたらどうなるか、という話です。
方や、四角四面でああせいこうせいと「正しい」指示をしてくる小汚いオッサン公務員と、自信満々のイケメンが優しくしてくれたり、頼ってくれたり、オラついたりして、偉そうに「正しい」ことを言わないホストやスカウト、そりゃ後者が勝つに決まってるんですよ。
仁藤は、学校や家庭でうまくいかず非行に走った経歴なわけで、今回の補助金関係の話でもあったように、お役所的に証跡残してちゃんと事務をするっていうのが嫌いなわけですよ。偉そうに細々と指摘してくる木っ端役人や教師や親みたいなのが嫌で嫌で仕方がない子だった自分のような子を救いたいっていうのが仁藤の原点なんでしょう。
そんで、今、たまたま「アウトリーチ」って言葉で、役所の手が若い女に届かないってことが政治的に認識されるようになった結果、仁藤のやり方に公金が突っ込まれるようになったわけですが、そもそもお役所的なアプローチが嫌い・苦手なところにやってるから、今回みたいな問題になっているんでしょうね。
まあ、ぶっちゃけ、この問題に限らないけど「若い女に性的価値があるから」ということでスポイルされることは多いし、多くの問題の原因もそこなので、フェミニストの人たちはがんばってください。
同業でもないし、あなたの仕事を見ないと確定的なことは言えないけど、
もしかしたら私が私の部下に対して思ってることと同じかもしれない。
私の部下もマニュアル通りの仕事はこなすことができるし、言われたことはやるんだけど、
なぜ?と言われると言葉にするのが難しいんだけど、
彼の仕事は四角四面で「マニュアルにこう書いてあったのでこうやりました。おわり。」で終わっちゃうんだよね。
「気が利かない」とも言えるし、「仕事に広がりがない」とも言えるし、
業務の意味を一歩深く理解して「じゃあこういう場面ではこう動くのがいいかな」って考えが足りてないとも言えるかもしれない。
あなたの上司と"落ち着いた状況で"よくお話をするのがいいと思う。
どうしても喧嘩腰になりやすい話題だと思うけど、相手を責める気持ちは抑えよう。
ブコメにたくさんある「上司に気に入られてないからだ」って理由を正解にしてしまうのは楽だけど、そうじゃない場合もたくさんあるのでお気をつけて。
真面目という隠れ蓑を被った適当にしか物を考えてないバカなやつのことが、一瞬で頭に血が上り気が触れ過ぎて一瞬、失神するくらい嫌いだ。いじめがあるという報告に対して、いじめはよくない、はい、いじめはよくないです、とか尻馬に乗って軽々しく四角四面なことを堂々という。だから??????で??????っていう。もっと本当にいま考えるべき、考えなければならない問題は無限にあるだろ???おい、お前気が狂ってんのか?それとも意地悪で言ってんのか?おれがこういう状況でそういう発言をした場合、そのどちらかしか考えられないんだが?え、意地悪ですらないの???余計、信用ならないわ!!!!!すげーわ逆に。そういう心底、人間を舐め腐った軽蔑すべき適当なやつがお父さんお母さんありがとうとかいうテディベアとかを真面目に送ってる。だから俺はそういう奴らが雑談で単なるヘイトを撒き散らしていても涼しい顔で「そうですね」と返す。その光景は見るやつが見れば俺は”適当”なやつであろう。また私は自分で適当なやつであると自称もするし、他称されれば喜ぶくらいであった。が、それは嘘だ。本当に適当な連中とは、何も考えずとりあえず正当と思える凡庸なことだけを平然と言い、その実、それについては全く何も考えたことすらないような「真面目」な連中たちにこそ与えられる蔑称である。私はそういうことを言う奴らを何があっても信用しない。故に、ヘイトだろうと、事実確認論的なアホロボットの同語反復だろうと、意に介さず、涼しく適当に真面目にのみ応答するだろう。その振る舞いのデフォルメされた滑稽さをしてメタ的に「適当だ」と記述されることが快感であったのは、言わばその行為は、私がバカしかいない世間の写し鏡として私の批評性を担保していた、と同時に、それを見抜いた者(掛け替えのない仲間!)の発見を慶んでいたという訳だが、もうこんな周りくどい嘘を自分につくのはやめよう。適当なのは私ではない。むしろ私は適当さを唾棄している。真に適当なやつらこそ、頭悪いやつほど学級委員だの風紀委員だのをやりたがる、頭が悪くても優等生になれる、すでに誰にとっても明らかな正しさにのみしがみつくしか能がないだけで何らか他人と張り合えてると思ってる己の真面目さについての病識を欠落したまま、何がなしそのことにどうやら誇りを持って生きているほどに適当に人間を生きていることでおよそ人間というものをコケにし尽くし腐っていることにすらクソ無自覚なあいつらだ。そんなやつらともう一ミリも関わりたくない。奴らのことを人間と呼ぶなら私はいつ人間を辞めたっていい。
店長に今の店を辞めると伝えて三週間くらい経った。
辞めると決めたらそれだけで気分が清々してしまって、何で辞めたくなったのか段々思い出せなくなってしまったのだけど、昨日、転職先のオーナーと面談していたら思い出した。
現勤め先ではオーナーの経営方針が現場の従業員に全然伝わってないのが、私は嫌だったんだなぁと。現勤め先のオーナーは超潔癖症の神経質で、何を最重要視しているのかというとやっぱり整理整頓清潔清掃なわけなんだけど、それを現場の誰もわかっていない。オーナーがそういう大事な事を飲み会とか表彰式とかでしか言わないのがいけないんだけど。
私はどうも人から説教しやすい相手と認識されやすいみたいで、オーナーからも顔を合わす度にどんだけ清潔だとかお掃除だとかをくどくど語られがちだった。
そんで「隙あらば掃除しろ、お店を快適に保て」と厳命されるので、私はあぁそういうものなんだと思って、それが私の仕事上での最優先事項・行動原理みたいなものになっていた。
でも外の人達は違った。皆それぞれ独自の最優先事項を持っていて、それに従って動いているので、一緒に組んで仕事をすれば当然に軋轢が生じる。
例えば、ある人はコンビニ以前は長らくスーパーのレジ打ちをしていたので、コンビニの仕事もレジ打ちが最優先だと思っているので、いくら売り場がみだれていようが、駐車場がゴミだらけだろうが、フロアにお客様が五名ぶらぶら歩いているとなればそれだけでもう「忙しい」判定をしてレジにスタンバイして他の事を何もしなくなってしまう。お客様がレジに商品を持って来たらすぐに受け付けられる事が最も重要だと思っているので、その人にとってはお客様がフロアにいるときに掃除や整理整頓や品出しをするのは「サボり」なのだ。
またある人は、現場従業員や正社員達の「働き易さ」を最優先事項としている。だから、掃除などの雑用を几帳面にこなすのは皆の「負担」だとおもっているので、わざと手を抜く。しないくらいで丁度いい塩梅妥だと言うように。
また別のある人は、お客様とのコミュニケーションと季節商品の売上が一番だと思っているので、掃除をする暇があるならお客様とお喋りをするし、お喋りをしながら季節商品を売り込んでいく。買ってくれるお客様には優しくするけどそうでないお客様には容赦ない塩対応を食らわす。
そんな感じでみんなかんがえている事は違うし、オーナーの一番の要望である「清潔で整理整頓が行き届いた気持ちのよい職場」というのは叶えられないままで、むしろ近隣のコンビニと比較してあり得ないほどきったねーお店になってしまっていた。
偶々、私はオーナーの要望に耳を傾けた。というか、耳を傾ける人だと思われた。それで私が誉められる、優遇されるという事はなかった。たぶん、私の行動を他の従業員に良いこととかお手本になるとかいう風にオーナーが言った事はないだろうと思う。
けど、他の従業員は私の事を、レジや接客を「サボって」雑用(掃除)ばかりしているとか、四角四面で融通のきかない性格とか、たぶんそんな風に思って私の悪口ばかり上に伝えるのだと思う。たぶん、ワタシのことをいけすかない理由はそんなところだが、それをわざわざ言語化する人というのはいなくて、ただムカつく、やりづらい、使えない、くらいのやんわりボンヤリした悪口でしか言わない。
だから、オーナーにはたぶん私の評判の悪さは伝わっても、なんで?ちゃんと仕事してるのに?ははー女の子達は難しいなぁーくらいにしか思われないのだと思う。
だからオーナーは、私のいうことなど誰もきかないのに、私が真面目に掃除や整理整頓をする後ろ姿を根気よく皆に見せ続ければ、皆は私の背中から学ぶと思っているのだ。
それは違う。オーナーは皆に自身の考え方を言葉で説明しなければならないのだ。そうでなくては何も伝わりはしない。私だって、偶々オーナーとバックヤードで顔を合わせて延々説教を聞かせられなかったら、何も知らないままだったのだし。
こういうことで仕事を辞めたらキリがない気もするけど、今の職場での私はもう詰んでるとしか思えないので、転職はやむを得ないと思う。