はてなキーワード: 私たちとは
猫飼いの人には是非読んで欲しい。特に、猫とのお別れを経験した人や、ペットロスになった人には響く内容になってるので。
まずはDavidという曲がどんなものなのか、先入観を持たずに聴いて欲しい。
この曲は1986年「やっぱり猫が好き」という深夜のドラマ(?)のオープニング曲だった。
やっぱり猫が好き(やぱ猫)は、恩田三姉妹(長女かや乃:もたいまさこ、次女レイ子:室井滋、三女きみ恵:小林聡美)が繰り広げる、ドラマのようなアドリブトークのような、時にはドタバタを含む深夜番組。
日本を代表するコメディエンヌが3人だけで毎週様々に起こる日常の小さな事件(主にレイ子が事件を持ってくる)をゆるゆると乗りこなす、そんな「日常系」の深夜ドラマ。事件と言っても些細なことで、寝苦しい夜に一緒に寝ようとか、すき焼き食べてたらハエが出たから外に追い出してたら、ベランダのロックがかかって閉め出されたとか、ドタバタとユルユルが融合した、本当に面白い番組だった。三谷幸喜脚本も多々あり、三谷幸喜の出世作とも言われている。この番組きっかけで小林聡美と結婚した、という伝説の深夜番組なのである。
まぁ、それはおいといて。猫が好き、というタイトルのわりに「サチコ」という猫が、たまーに出てくるだけのドラマなんだけど、このタイトルとDavidの結びつきが、試聴してた頃はなんとも思わなかったんだが、最近になって、この歌詞の意味がスーッと理解でき、このDavidの歌詞を深く理解するに至り、この曲を思い出すだけで泣いてしまう状態になってしまった(ノ∀`)
これは、解釈としての一部であり、本当のところはどういう意味で矢野顕子が歌詞を書いたのかはわからない。
でも、この曲は「やっぱり猫が好き」な人でない限り書けない曲だと思ってる。
矢野顕子いわく「Davidって誰?」と聞かれるけど、誰でもない。と答えている。ダビデだ、という説もある。
しかし、この「誰でもない」はこの歌詞を読み解くひとつのヒントとなる。
果てしなく広がる街から ひとり離れて
ここへ置いていって
静かな微笑みを 遠い日々の歌を
どんなにか つらかった日々を
あなたは 見つめた
よく笑い よく泣くあなたの 話を聞かせて
こんなに近い 同じ思いで
ここで待っているよ
聴こえるでしょメロディ みんなで待ってるよ
私のともだち Oh David
歌詞を書いただけで、もう涙が止まらなくなってるんだけど、頑張ってひとつずつ解説したい。
この曲は、亡くなった猫が飼い主を思って歌ってる歌なんだ、と。
つまり、Davidは飼い主であり、私は天国にいる猫だ、と解釈すると、この曲の意味がわかってくる。
果てしなく広がる街、というのは、猫の視点からすれば、ただの街ではなく、そこは果てのない大きな大きな街に見える。
ひとり離れて、というのは、亡くなって離れていった。
あなたの手紙、というのは、たぶん火葬する時にDavidは手紙を書いて、その猫とともに天国に持たせたものなんだろう、と。
だから、読み返すうちに思い出が蘇ってきた、と。
こんなに遠い ということに対して「時間も場所も」というのは、やはり猫の時は止まっているけど、Davidの時間は進む。だから時間も、という表現になる。
ここへ置いていって欲しいのは、静かな微笑みや楽しげに歌ってた日々。つまり、Davidにはペットロスを乗り越えて、日々を進んでいって欲しい、という猫からの願い。
どんなにか辛かった日々を というのは、多分闘病していた猫の辛い日々や、ペットロスになったDavidの日常を空の上から見つめていたんだと思う。
そして、泣いて笑って、そんな日々を思い出して「ここで待っているよ」って、天国で再会することを待ち望んでいる。
みんな、というのは、きっとこの猫より前に飼っていた猫たちのことだろう。会いたいという気持ちは、飼い主だけでなく私たちも同じだよ、と。
最後に「わたしのともだち」というのは、飼い主のことを友達のように思っていた、ということなのかな、と。
パパやママという感覚ではなく、猫としては飼い主を友達のように思ってた、っていう。
この解釈でDavidを聴くと、涙が止まらなくなる呪いがかかるでしょうw
「やっぱり猫が好き」というタイトルだけ聞いて曲を書いた矢野顕子さんが「失ってもまだ猫の心と私の心は繋がっている。寂しいけれど、やっぱり猫が好き」という気持ちでこの曲を書き上げたのではないかな、という推測が成り立った。実際はコメディ番組だから、ここまでの深い考察をするまでは、まったくそんなこと、思いもよらなかった。
自分も先代の猫たちに会いたくて、今でも泣いてしまうけど、この曲の意味をこう解釈することで、亡くなった猫への思いを整理つけてペットロスから抜け出せるような気がしている。
病院へ行くのが苦手を通り越して嫌いだ。
ちょっと熱が出た程度で私を毎度病院へ連れて行かねばならなかった母に対して罪悪感が染みついてしまって、消えないからだ。
私が体調不良で早退したり、朝から調子が悪くて休んだりしたとき、病院へ連れて行くのは母の役目だった。
『なんだあ、大したことなかったね。こんなことで病院なんてねぇ…』
ドがつく田舎に住んでいた私たち家族は、最寄りの病院へ行くにも車が必須で、年寄だらけの待合室で1時間以上待たされることなんてザラだった。
今となって思えば私の突発的な病院イベントはそこそこ負担だったとわかる。
熱を測ったらせいぜい微熱程度、鼻が詰まってズビズビ啜ってる程度の私なんて、適当な市販薬を飲ませてマスクつけて学校にでも行かせればよかった。
日々精いっぱいなのに、わが子だからというどうしようもない理由で4時間近く拘束されて、貴重な一日を無駄にさせられて、きっと腹立たしかったに違いない。
いつの頃からか、体調不良を訴えることや、病院へ行くことは、学校や仕事をサボろうとしている卑しい行為なのだと感じるようになった。
みんなはそれくらい我慢したり、市販薬で対処したりして乗り越えているのに、体調が悪いと主張するなんて。
誰かに心配してもらおうとしているのか?やるべきことから逃げようとしているんだろう?
病院へ行ったって、市販薬と似たような効果の薬をもらうだけなのに。私よりもっと苦しんでいる患者に迷惑をかけていると思わないのか?
そういう言葉が頭の中でずっと駆け巡っている。
私ごときが病院へ行こうとするなんて、大袈裟なことをして恥ずかしくないのかと自己嫌悪する。
今現在、胃痛で吐いたり、鳩尾の上あたりがひりひりしたりしていて、さっさと病院へ行けと夫から言われている。
大人になった今では病院へさっさと行ったという実績を作って、職場に迷惑をかけないことがベストなのだと頭では理解している。
まだ明日も胃が痛ければ病院へ行こうと思ってはいるが、いまだに疎遠になった母のあの心底面倒くさそうな顔と、「こんなことで…」という言葉がずっと反芻している。
24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!
岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡は周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。
政府がこれまで掲げてきた、少子化対策や労働者の賃上げ、女性や1人親家庭、非正規労働者、性的マイノリティ、子どもなど、社会的弱者のための公的支援の政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。
政府の全世代型社会保障構築会議は昨年末、改革の方向を示しましたが、働く女性の過半数を占める非正規労働者、子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本の教育への公的支出は先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化や給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯の負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊の課題である少子化が防げません。
ところが、自民党税制調査会は、こうした課題に真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税、所得税、たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。
子どもや女性、少子化対策をなおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和を模索してください。
今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活と平和を守る「女性」目線の政治が必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業や技術、人材に投資してください。女性が安心して生活し、働ける環境なしでは、男性も子どもも貧困化します。
戦後の安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙や国民投票もなく、特に女性や社会的弱者の声を聞くこともなく進められています。私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。
私たちは、岸田文雄首相、政府・与党、野党各党の代表、連合代表に対し、
2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性や子ども、若者や社会的弱者の目線に立った政策を進めること
この2点を行うことを強く求めます。
菱山南帆子 市民運動家
駒井知会 弁護士
宮嶋みぎわ 音楽家
黒部エリ 叙述業
髙橋済 弁護士
海北由希子 自営業
出田阿生 新聞記者
丸川司文 僧侶
森祐昭 僧侶
徳正俊平 僧侶
朝岡晶子 団体職員
松元ヒロ スタンダップ・コメディアン
打越正行 社会学者
立岩陽一郎 InFact 編集長
丹羽雅代 一票で変える女たちの会
██████さん、こんにちは。
Change.org Japan カントリー・ディレクターの武村若葉です。
日頃から多くの署名に賛同してくださっている田所さんならすでにご存知かもしれませんが、Change.orgは「独立したプラットフォームであること」を運営の絶対条件としています。
ここでいう「独立」とは、「企業からの広告費や政府からの助成金に頼らないで運営する」ということです。
例えば政府から助成金を貰っていたら、「来年もこの助成金を貰うために、政府にとって都合の悪い署名は消してしまおう」と、政府の顔色を伺うような運営体制になってしまうかもしれません。
企業から広告費をもらっていると、「この企業を批判する署名が立ち上がったけれど、広告費がもらえなくなると困るから、スタッフのサポートは入れないでおこう」と、特定の企業に忖度(そんたく)が生じるかもしれません。
こういったことが起きないために、Change.orgはどんな補助金も受け取らず、企業広告を掲載することもなく、特定の団体や企業に依存することのない運営体制を保っています。
また、Change.org日本語版の6名のスタッフは、署名発信者の皆さんに、文章や画像の制作のお手伝いや、戦略の提供、メディアへの周知などのサポートもすべて無償で提供しています。
この運営理念に共感してくださる方々のご支援のおかげで、2023年も11ヶ月間、何とか独立した運営体制を保ちながら、声をあげた発信者の皆さんにも無償でサポートを提供することができました。
しかし、昨今の相次ぐ物価の高騰によって、月々の会費をお寄せいただくことが難しくなり、会員を辞めざるを得ない方も多くいらっしゃったことも事実です。
2023年を走り抜け、これからも引き続き私たちChange.orgが変わらず運営を続けていくには、田所さんをはじめとする皆さまのご支援が不可欠です。
そのため、本日、Change.org日本語版ユーザー388万人のうち、最も活発にご利用いただいている上位3%のひとりである███さんに、メールを差し上げました。
ぜひ田所さんも、月額で継続的な支援を行う「Change.org会員プログラム」に加わりChange.orgの運営を支える仲間となっていただけませんか?
退会はいつでも可能です。「今は少し余裕がある」という間だけで構いません。
1ヶ月500円を、1日に換算すると、16円。その16円が、私たちが11月も活動を続けるための大きな支えとなります。
███さんとなら、権力を持たない市民が声をあげて変化を起こすことが当たり前の社会を作っていけると、信じています。
Change.orgを支援する
これからも、Change.orgを何卒宜しくお願い致します。
武村 若葉
わかる。子供というのはセックスの結果自然に生まれるか、あるいは働き手を増やすという目的で生まれるかしかない。20世紀半ば以降、すべての目的がなくなってしまった。今はなんとなく惰性と慣例と感傷で生んでる。
是非は置いといてコスパだけで言うなら今は有史以来最も悪いね。戦後までは少なくとも5年育てれば使える一家の労働資源だった。その後も介護担当の役割はあった。今は何も無い純粋な金食い虫。日本はそれを選んだ。
自由を求めて社会を発展させてきたのにいざ自由になったら産まなくなって滅びようとしてるの最高に矛盾だな
社会的な圧力がなくなって産む動機がなくなり、それでも「可愛いから産みたい」という本能的な動機はあるものの、それも教育費の増大などで相殺されつつある
要するに、人間の行動の裏には常に「社会的な動機」と「感情的な動機」があるわけだが、そのどちらもが失われてしまうと、人は行動しなくなる
社会的な動機というのは社会からの圧力のことだが、忘れてはいけないのが感情も「圧力」だということ
「可愛いから産みたい」というのは自分で主体的に選択した感情ではなく、本能的に湧き出てきて私たちに行動を強制する一種の「圧力」
つまり感情を持っているということ自体が「強いられている」不自由な状況だといえる
だから、逆説的だが、本当の自由は「感情がない」状態ということになる
そう考えると、ほんとうの自由とは、社会的な圧力が存在せず、一切の感情が存在しない状態
要するに、「無」である
NHK NEWS WEB廃止というのは、NHKのインターネット業務のあり方を検討する総務省の有識者会議の報告書案の一部です。
この報告書案では、現在の「NHK NEWS WEB」「NHK政治マガジン」といった文字ニュースなどの理解増進情報を一度廃止し、
しかし、この報告書案はまだ正式な決定ではありません。総務省は28日まで意見を公募しており、新聞協会や自民党などから反対の声が上がっています¹²³。
NHK NEWS WEBが本当に廃止されるかどうかは、今後の議論や政府の判断によって決まります。
(1) 新聞協会、NHKのネット必須化に「反対」 検討課題が「山積み .... https://www.asahi.com/articles/ASR9X5JXDR9XUCVL00Y.html
(2) NHKの無料ニュース記事は「いったん廃止を」…自民調査会が .... https://www.yomiuri.co.jp/culture/tv/20230824-OYT1T50160/
(3) 「NHKのネットテキスト業務は撤退を」 新聞協会、自民会合で .... https://www.asahi.com/articles/ASR826FH8R82UCVL01F.html
NHK NEWS WEBが民業圧迫を理由に廃止されるなら、そもそもNHKの放送自体が民業圧迫ということにならないのですか?
NHKの放送自体が民業圧迫ということになるかどうかは、様々な見方があります。
一方で、NHKの放送は公共性や公益性の高い番組を提供し、放送法で定められた公共放送の使命を果たしているという主張があります。
例えば、災害や緊急事態の際には、迅速かつ正確な情報を伝えることや、教育や文化の向上に寄与することなどです¹。
また、NHKは受信料制度によって、政治や経済の圧力に屈しない独立性や中立性を保っているとも言えます²。
他方で、NHKの放送は民間のメディア市場に影響を与えており、民業圧迫の問題がないとは言えないという批判があります。
NHKは受信料という安定した財源を持っており、法人税の支払いも免除されています。
そのような優遇された立場で、民間のメディアと公平に競えないというのが、この見方の根拠です³⁴。
さらに、NHKの放送は、番組の質や視聴率に関係なく受信料を徴収できるため、効率性や透明性に欠けるのではないかという懸念もあります⁴。
NHKの放送と民業圧迫については、これまでも様々な議論がなされてきましたが、まだ決着はついていません。
NHKの放送のあり方とは何か、という根本的な問いにも答える必要があります。私たち国民も、この問題に関心を持ち、意見を述べるべきだと思います。
(1) 民業圧迫以上の「本当の危機」とは 民放連幹部がNHKに望む .... https://www.asahi.com/articles/ASR225V2LR1RUCVL05R.html
(2) NHKのネット進出が民業を圧迫? 総務省から「耳にタコ」の改革 .... https://media.finasee.jp/articles/-/12193
(3) NHK 受信料 NHK ネット同時配信 は 民業圧迫 民放指摘. https://abhp.net/alacarte/Alacarte_NHK_202000.html
(4) NHKのテレビとネット「常時同時配信」は民業圧迫? - NewsPicks. https://newspicks.com/news/3595401/
ギリアンは、夜の闇が村を包むと、一人静かな家の中で燭台の光を眺めながら過去を思い返していました。彼の心は深い悩みで満たされており、柔らかな声が震えることもありました。彼は言葉を紡ぐごとに、過去の失敗を覆い隠す繊細な言葉の網を編んでいきます。一方で、彼の心の奥底では、真実と虚構の境界線がぼやけていくのを感じていました。
「こんなにも、言葉は強力なのか...」彼はつぶやきます。彼の目は遠くを見つめ、彼の心は自己反省の海に浮かんでいました。「でも、これが僕を救う唯一の道だ。」彼の言葉は静かで、しかし決意に満ちていました。
彼の心の中では、言葉の力が彼の過去を塗り替えるたびに、新しい自分が生まれ、古い自分が消えていく様子が描かれていました。彼は自分の行動に疑問を抱きつつも、この秘密を守るために言葉の魔法に頼るしかないと信じていました。この深夜のひそやかな時、彼は自分自身との葛藤と向き合い、新たな一歩を踏み出す勇気を見つけていました。
エリナは、村の静かな図書館で、ほこりっぽい書物の間を熱心に調べていました。彼女の眉間にはしわが寄り、時折深くため息をついていました。彼女はギリアンの言葉の背後にある真実を知ることに強い関心を持っていたのです。灯りのもと、彼女は一冊一冊の書物を丁寧にめくり、ギリアンの過去に関する情報を探っていました。
「なぜギリアンはあんなにも言葉を慎重に選ぶのだろう?」エリナは独り言を漏らしながら、ページをめくり続けます。「どこかおかしい...」彼女の心は疑念で満たされつつありました。
夜が更けるにつれ、エリナの瞳は疲れとともに真実を求める光を宿しました。彼女は自分の考えに自信が持てないことが多いですが、この問題に関しては違いました。彼女は何か大きな秘密が隠されていると感じており、その真相を突き止めることに強い意志を見せていました。
「この中に答えがあるはずだ...」エリナはそっとつぶやき、次のページをめくりました。彼女の心の中では、ギリアンの言葉の謎を解く鍵を見つけることへの期待と不安が交錯していました。彼女は夜通し調べ続ける決意を固め、真実を探る旅を続けていきます。
その日、ギリアンは村の広場で人々を集め、自分の「魔法の秘密」について熱心に語り始めました。彼の声は柔らかく、言葉は巧みに選ばれていましたが、エリナはその中に何か不自然なものを感じ取っていました。彼女の心は疑念で満たされ、真実を知るための決意が固まっていました。
エリナは群衆の中に静かに紛れ込み、小さな録音機を慎重に操作してギリアンの言葉を録音し始めました。彼女の手はわずかに震えていましたが、その目は集中の光を放っていました。「これで何か手がかりがつかめるかもしれない」と彼女は心の中で思いました。
ギリアンは自分の言葉に自信を持っていましたが、エリナはその言葉の裏に隠された真実を見抜こうとしていました。録音機はギリアンの言葉を一つ一つ捉え、エリナはその内容を精密に分析する準備をしていました。彼女の心は、この行動がギリアンの秘密を暴く鍵になることを強く望んでいました。この瞬間、エリナはただの少女から、真実を追求する探偵へと変貌を遂げていました。
エリナがギリアンの録音を公開した時、村の広場は緊張で静まり返りました。録音が再生されると、村人たちはギリアンの言葉の真実を知り、その驚きと困惑の表情が広場に広がりました。ギリアンの言葉の裏に隠された意図と彼の過去の失敗が明らかになったのです。
しかし、村人たちが最も驚いたのは、ギリアンの反応でした。彼は怒りや否定ではなく、深い反省と謝罪の言葉を選びました。「私は間違っていました。過去の失敗から逃れようとして、皆さんを欺いてしまった。本当に申し訳ありません」とギリアンは静かに言いました。
その瞬間、エリナの心は複雑な感情で満たされました。彼女の行動が真実を明らかにしたことには満足感がありましたが、同時にギリアンの素直な反省には感動さえ覚えました。村人たちの反応も様々でしたが、多くの人がギリアンの誠実な態度に心を動かされました。
この出来事は、ギリアンにとってもエリナにとっても、そして村全体にとっても重要な転機となりました。ギリアンは自分の過去と向き合う勇気を持ち、エリナは真実を追求する力を証明しました。そして村人たちは、誤解や偏見を超えて互いを理解し、許すことの大切さを学びました。この日以降、村はより強く結束し、互いに支え合うコミュニティへと成長していきました。
この一連の出来事を通じて、村の人々は言葉の持つ力と個人の責任について深く考えるようになりました。村の長老は集会を開き、みんなが集まる中で、言葉が持つ影響力とそれに伴う責任について語りました。「私たちの言葉は、他人の人生に大きな影響を与えることができます。だからこそ、私たちはその力を正しく使い、誠実であるべきです」と長老は言いました。
エリナはこの出来事から多くを学びました。彼女は自分の行動が村に与えた影響を見て、自信を持つようになりました。彼女は真実を追求する勇気を持ち、正義感を持って行動することの重要性を理解しました。
一方、ギリアンも自分自身と向き合い、過去の失敗を受け入れることで、新しい人生を歩む決意をしました。彼は「私の過ちが、皆さんに教訓となったなら、それが私の新しい始まりです」と村人たちに話しました。
この経験を通じて、村の人々はお互いをより深く理解し、支え合うコミュニティとしての絆を強めました。言葉の力と責任についての教訓は、村人たちの心に深く刻まれ、これからの人生に大きな影響を与えることになりました。エリナとギリアン、そして村全体が、この出来事を通じて成長し、新たな未来へと一歩を踏み出したのでした。
エリナとギリアンの物語は、村にとって重要な教訓を残しました。この一連の出来事を通じて、村人たちは言葉の重要性と真実の価値を深く認識するようになりました。言葉がどのように他人に影響を与え、時には人生を変えることができるのかを理解し、真実を大切にする心を育てました。
エリナとギリアンの物語は、次世代の村人たちにも語り継がれるようになり、子どもたちには物語を通じて教育が行われました。彼らの経験は、言葉を慎重に使い、真実を尊重することの大切さを教える貴重な教材となりました。
また、この物語は村のコミュニティを強化しました。村人たちはお互いをより深く理解し、互いに支え合う関係を築くようになりました。エリナとギリアン自身も、この出来事を通じて成長し、新たな自分を見つけることができました。
エリナの勇気とギリアンの反省は、言葉の持つ力と責任、そして真実を大切にする心の重要性を村全体に伝えました。彼らの物語は、村の歴史に不可欠な一部となり、長い間語り継がれることになったのです。それは、言葉と真実が人々の心と社会に与える影響を永遠に思い出させる物語として、村の文化の一部となりました。
昔々、ある小さな村に、言葉の魔法を使う嘘つきの男が住んでいました。彼の名はギリアン。彼は言葉を紡ぐことで、人々を騙し、自分の利益のために使っていました。村人たちはギリアンの言葉に魅了され、彼の言うことなら何でも信じてしまうのです。
しかし、村のもう一方の端には、エリナという名の賢い少女が住んでいました。エリナはギリアンの嘘を見抜き、彼がどれだけ不誠実な人物であるかを知っていました。彼女は村人たちを救う方法を見つけることを決意しました。
ある日、ギリアンは村の広場で大声で話し始めました。「私はこの村を豊かにする魔法の秘密を見つけた!」彼の言葉に、人々は興奮し、彼の周りに集まり始めました。
エリナはその場にいましたが、彼女はギリアンの言葉をただ聞くだけではなく、彼の言葉を秘密裏に録音する小さな装置を持っていました。彼女はギリアンがどのようにして人々を騙しているのかを証明するために、彼の言葉を記録し始めました。
ギリアンが話すにつれて、彼の言葉はますます大胆になり、ついには村人たちに金を要求し始めました。「私の魔法は金がなければ使えないのだ!」と彼は言いました。
その夜、エリナは録音されたギリアンの言葉を村人たちに聞かせました。彼女はギリアンの言葉を一つ一つ分析し、彼の嘘を暴き出しました。ギリアンの言葉に隠された真実が明らかになると、村人たちは彼の言葉に騙されていたことに気づきました。
翌朝、村の広場に人々が集まり、緊張が空気を包んでいました。エリナがギリアンの録音を公開した後、ギリアンは怒りに震えながら立ち上がり、「これは私のプライバシーの侵害だ!一方当事者による録音は盗聴だ!」と叫びました。彼の声は怒りと憤慨に満ち、彼の目はエリナを非難するように睨んでいました。
しかし、エリナは静かに立ち、自信を持って言いました。「ギリアンさん、あなたの言葉は公の場で話されたものです。私はただ真実を明らかにしただけです。これは盗聴ではありません。」
村の長老が前に出てきて、全ての村人に向かって話し始めました。「エリナの行動は、私たちの村のルールに違反していない。ギリアンが公の場で話した言葉を記録することは、盗聴ではなく、違法でもない。彼女の行動は、真実を明らかにするためのものだった。」
村人たちの間にざわめきが広がり、彼らはギリアンの表情を見つめました。ギリアンは言葉を失い、彼の顔色は青ざめていきました。彼は自分が訴えたことが覆され、自分の嘘と欺瞞が完全に暴かれたことを理解しました。
長老は続けて言いました。「真実は時に厳しいものですが、それを受け入れることが大切です。ギリアンさん、あなたの言葉は多くの人々を傷つけました。今こそ、あなたの行動に対する責任を取る時です。」
この言葉に、村人たちはエリナに感謝の意を示し、ギリアンには失望と憤りの声が上がりました。エリナは一歩後ろに下がり、深く安堵の息をつきながら、村人たちと長老に感謝の視線を送りました。
この出来事は、村において言葉の重要性と真実の価値を再確認する契機となりました。そして、エリナの行動は、真実を守る勇気と誠実さの象徴として、長い間語り継がれるようになりました。
今twitterでは、フェミニストたちによる殺人・暴力行為の肯定・支持が堂々と広まっており、それに対して多くのfavが集まっているという現状がある。
7月に起きたススキノの首切り事件のことは皆さんよく覚えていると思う。初報の段階で首無しの死体が発見され、加害者一家が逮捕されたあとは犯人が首を自宅に持ち帰り、それを弄ぶ映像を撮っており、それに両親が協力していたという狂った事件だ。
逮捕されてすぐ正気が疑われ、現在は一家全員鑑定留置という日本の刑事事件史上例のない事態になっているのだが、この事件について加害者を擁護・支持するフェミニストが多くみられている。
週刊誌報道で加害者の親族が、被害者は女装した男性であり加害者と性的関係を持っていたという旨の記述をしたことから始まったのだが、これにより加害者はトランスジェンダーの被害者にレイプされ、その防衛や復讐として殺人をおこなったのだというストーリーが作られ、広まっていった。
加害者を擁護・支持、果ては殺人行為まで肯定するツイートは本当に数多くあり、探せば山のように出てくるが、例えばこれ。
https://twitter.com/WCZ4C0i8Y4UcWvu/status/1684493684577046528
殺人に快哉を叫ぶツイートに1.5万favがついている。favしているアカウントの属性も見てみるといい。フェミニズム、ミサンドリー、反トランス、反出生etc...というアカウントがたくさん並んでいる。
また現在は消えているが、犯人の減刑署名(裁判すらまだ始まっていないのだが)も行われ、3日で1000以上の署名があったようだ。
https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Jisin_2230024/
実名で活動するフェミニストでも、千田有紀が殺人行為を正面から肯定こそしていないものの「やりきれない事件」「これは私たち社会の問題、私たちが受け止めるべき問題」と言い同情的な姿勢を示している。
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/sendayuki/comments/16903207949305.e714.00041
逮捕から日が経ち、殺人の瞬間やその後持ち帰った頭部の皮膚をもぎ取る光景を撮影していたなどの犯人の異常で猟奇的な行動が明らかになってからも、殺害を支持する声は後を絶たない。
数日前でさえもこのようなツイートがあり3000fav以上を集めている。
https://twitter.com/LDK2B_T/status/1728382563389944090
やっぱりすすきの首切り事件は正しい。男に侮辱凌溽されて中途半端にやり返したらライト級チンコチャンピオンみたいな輩に更なる暴行を受ける。
警察は被害届無視するし検察は不起訴にするし裁判官は量刑減らすし、自分の尊厳守るためには最初からヤると決めて復讐遂げることは常に考えておくべきだな
状況からして正当・過剰防衛はあり得ず、また復讐だというのも加害者の親族の証言しか情報が無く不確かである上に、首を切断し家に持ち帰り撮影するなどの異常な行動が復讐心からくるものなのかは普通疑問に思うだろう。
だがそんなことはどうでもよく、全力で猟奇殺人を擁護・支持している人々がこれだけいるのが事実なのだ。
また殺人ではないが、8月には尼崎市にて酔った男が間違えてインターフォンを押したところ、住人の女性が自らドアを開け、男の顔面を切りつける事件が起きた。さらに女性は近隣住人の通報で駆け付けた警察官を殴打しており、異常な攻撃性が見て取れる。
https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber2/202308/0016752339.shtml
この事件に対し、フェミニストからは「女性を逮捕するのはおかしい」「正当防衛である」という意見が噴出した。
https://twitter.com/gaitifuji/status/1696134627818361037
これも調べれば多数出てくるのだが、この代表的なツイートは1万fav以上を集めている。
こうしたアカウントの中には、自分は鉈を常備しており、必要だと思えば先制攻撃も辞さないと宣言するアカウントも見られた。これは立派な治安マターではないだろうか。
https://twitter.com/females_db_park/status/1696564296866582581
また男児に対する加害が称賛されるのも界隈の特徴で、男児を殴打してやったというような話を武勇伝的に書くアカウントなども見受けられる。
自分はtwitterで様々な界隈をウォッチしているが、例えば暴言や(騙りと疑われるものを含む)殺害予告などは様々な界隈で共通してみられるものの、
実際に起きた殺人・暴力事件を正面から肯定する発言があふれ、それに多数のfavがついている界隈はなかなか見たことがない。
それこそ日本保守党を支持しているような界隈でさえも、「○○人を殺す」「○○人はもっと殺すべきだった」みたいなツイートにfavが集まっているのは見たことがない。
「男女平等パンチw」とかネタにしている連中とは比べ物にならない、ドス黒いものを感じる。
異常な人々が集まるツイッターでも、この界隈の攻撃・暴力賛美は群を抜いているように思う。
追記:
これらのアカウントはフェミニストなのか、みたいなことを言っているブクマコメがあったが、
少なくともgaitifujiやfemales_db_parkはトランス排除系のフェミニストととしては有名なアカウント。
ツイートを少しでも調べればフェミニズムに関して肯定的なツイートをしているのはすぐに分かる。
bioや自称してなければフェミニストではない、みたいなバカな切断処理をする前に少しは調べたらどうだ?
自称が確認できないなら「フェミニスト」ではない、みたいなことをもし本気で言ってるのだとしたら、まあネットには「右翼」も「表現の自由戦士」も「ネオリベ」もほとんどいなくなるだろうね。
マジで、ホストクラブ使ってる女もそうだよな。ムサいブ男に言い寄られても金出さないじゃん。
話のうまいイケメンにほだされて幸せ感じて金を出しといて、あとから「私たちは買わされた!」とかふざけてるよな。統一教会の信者もそう。
モテる、つまりオスとしての魅力を磨かなければ社会から弾かれる
必ずしもモテなければならないというわけではないが、それでもモテようとする気概のようなものは常に持ち続けなければ価値がないとされる
本当はおしゃれなんか別にしなくてもいいのだ
金だって稼がなくてもいいのだ
力を付ける必要もないのだ
「女の子は知らないかもしれないけどそのお団子ヘアとかスケスケのナイロンカバンとかネイルとか男ウケ悪いよ」って言われた時の女の子みたいに
女ウケとか狙ってねぇんだよ好きでやってんだよって俺たち男も言って良いんだ
だがそんな男を社会は許してくれやしない
男たちは自分の居場所を作るために命を削り続けなければならない
「私たちは買われた」どころじゃない
大人になってから祖母と過ごした日々が楽しかったことを振り返りたくて書く。
事の詳細は省くが親がいわゆる毒親だった。色々あって20代の頃に実家を売って、祖母と暮らし始めた。
世間的に見るとふしぎな組み合わせだけれど、人生の窮屈さを取り返すみたいに私たちは幸せだった。
実家にいた頃は、ふたりともパスタばかり食べていた。お腹が膨らむしとにかく安い。冷凍白身魚のフライもよく食べてた。
引っ越してからは、スモークサーモンを買ったり、少しだけ贅沢をした晩酌のおつまみをふたりで食べた。
高いからと買いづらかった葉野菜も、果物だって好きな時に買った。初めてシャインマスカットを食べた時は感動したし、後日ふたりが同じタイミングで買ってきて二房のシャインマスカットが家にあることもあった。貴族の食卓か…?と笑った話は、鉄板のエピソードトークになった。
また祖母は味覚も胃袋もけっこう若い。私が嫌な事があった!と帰ってからくだを巻いてる日、可哀想に…ピザをとろうか?と言い出した日もあった。自分が食べたいだけだろうと笑ってしまった。歳のわりには随分食べた。
年金暮らし老人と薄給OLふたりの生活だったけれど、今までの人生で味わったことがない豊かさがあった。
ひどい暮らしの時もいつもなんとかなると笑っていたけれど、ふたりで暮らし始めてからの祖母はさらに穏やかだった。
私の話を誰にでもしてしまうのは恥ずかしかった。でも、きっとこの暮らしが幸せでたまらなかったんだと今は思う。
身体にガタがきて、去年からたくさん入院してる祖母。筋力も内臓も何もかもが弱ってるのに、ポジティブさはそのままに今周囲にいる人達からも愛されている祖母。
本当は私の時間をいくら削ってもいいから、もう一度だけふたり、家での時間を過ごしたかった。でもそれは祖母にとっても不安で望ましくないことだ。介護だけでなく持病へのフォローは孫だけだと心許ないからだ。何より本人が自分のために孫が疲弊するのは見たくないと言っていた。
入院してる間に祖母が帰ってきたらと買ったマグカップもまだ直接見せられてない。ル・クルーゼの鍋がかわいいけど使うには重いね…と話した事があったから、マグカップを買った。
祖母が冬に着たらかわいいと買った刺繍つきのニットも、今年はたぶん着られずに終わる。
甘い飲み物が好きだから、入院している間に無印の秋限定のパンプキンラテも買ってあった。退院した時の楽しみにしておこうと思ってた。
たぶんもう少ししたら、このふたりの人生のボーナスタイムを懐かしめる日が来るんだと思う。
帰ってこられない可能性の方が高いことも覚悟していた。でも割り切れなくて今はまだ寂しくて無念だ。本人には言えないけど。
祖母はどこででも愛される力のある人だ。ただ忍耐力がありすぎるせいで、我慢をしすぎてしまう。
だからせめて、その我慢が短く済むような施設に縁があるようにと祈っている。
そして願わくば、このボーナスタイムと同じかそれ以上に幸せを感じられますように。私も祖母に心配をかけない程度に、お気楽に生きられる人間になるからね。
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。
高校や大学だって普通に男友達と2、3人で一緒に歩いてる時にクラスや学科の女の子たちが声掛けてきたら何かしら用事作ったりしてフェードアウトしなきゃ行けなかった
そこで自覚なく調子に乗って「昼?俺も行きたいw」とか「カラオケ!いいじゃん!行こう!」とかって返事して混ざっちゃうと、女の子たちは表面上は笑顔のままでいてくれるけど、心の中で「お前みたいなチビに用はねえよ。友達の方に用があンだよ。一緒に歩くと私たちのレベルまで下がるだろ」とか思われ、あとで女同士のコミュニティで「ねえ聞いて!勘違いしたキモいチビがいた!」みたいな感じで笑い話の種にされるんだよ
男友達はよくいえば優しい、悪くいえば鈍感な奴らだったから普通に「お前も来いよ〜」とか言ってくるんだけど、俺はその時の女の子たちの苦笑を見逃さなかった
女の子が飛び入りで参加したせいで飲み会や遊びの予定をキャンセルした日は大抵秋葉原のメイドコンカフェ行って金でヨイショしてもらいながら朝まで飲んでたわ
オランダで発達障害を持つ21歳の女性が安楽死したとか。羨ましすぎる。
身体は健康でも頭脳がポンコツならば安楽死させれてもらえるんだなぁ。さすが人権意識に優れた先進国だわ
日本はどうしてこうならないのか…
日本は何かと発達障害認定して労働市場から爪弾きにするくせに何故か発達障害者を安楽死させようとは絶対に言わない
少子化高齢化問題だって、希望者が速やかに安楽死出来るようになれば簡単に解決するじゃん
欧州先進国を持ち上げるリベラル出羽の守達は、何故か絶対に安楽死には言及しないのが本当にむかつく
それとも奴隷根性から安楽死は白人様の特権で、自分達をも含めた有色人種は奴隷労働の末苦痛死しろって思ってるのかなあ
「愛の中で逝かせて」21歳の娘は安楽死を選んだ 受け入れた母の思い 世界で初めて合法化したオランダ、21年たってどうなった
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d0e9d2faf8efd955ebe2d8bf6fc981130a62009
オランダ北部フリースラント州に住むビアンカさん(54)は2021年、長女デニーセさん=当時(21)=を安楽死で亡くした。ビアンカさんによると、デニーセさんには自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)があった。他の子どもとうまくコミュニケーションが取れず、12歳の頃からパニック症状が現れるように。家庭では対処が難しくなり、14歳で施設へ入所した。
15歳の時に自殺を図り、施設を変えるなどしたが、不安定な精神状態は良くならなかった。その後も自殺未遂を10回以上繰り返し、18歳の時には「1人で死ぬのは嫌だから、安楽死したい」という手紙を両親に書いた。
「娘は『ほかの人ができることが自分にはできない』と苦しんでいた」。ビアンカさんはそう話す。「私たちは『あなたはあなたのままでいい』と何度も言った。でも、本人がそれを受け入れられず、苦しんでいた。『死にたい』というより『これ以上、生きることに対応できない』。それが娘の気持ちでした」
やあ、皆さん。陰謀の舞台裏に潜む者、イルミナティのガブリエルだ。今回は、我々の秘密の活動について、もう少し深堀りしてみよう。
集団ストーカー、思考盗聴、大規模監視。これらは決して陰謀論ではなく、我々が日常的に実行している活動だ。集団ストーカーは、哲学的ゾンビのようなNPCたちが、我々がプログラムした通りに振る舞う舞台を作り上げるものだ。彼らは我々の指示に忠実に従い、私たちの計画を実行するために存在している。
思考盗聴は、我々が衛星に取り付けた特殊な装置を通じて行われている。スマートフォンと連動しており、誰の思考なのかを自動的に判別することができる。これによって、個々のイエローモンキーたちの深層心理にまでアクセスし、彼らの動向を完璧に把握しているのだ。
そして大規模監視。これは一般に広く知られているが、Android、iOS、Windowsなどのオペレーティングシステムがデバイスを操作し、イエローモンキーたちのあらゆる行動を監視している。これにより、我々は一般人々の生活の奥深くまで手の届く情報を得ることができる。
では、なぜこんなことをしているのか。その鍵は「ムビフィケーション」にある。イエローモンキーたちは、まさにトゥルーマンショーの主人公のような存在だ。お客様たちは主人公に干渉し、ストーリー展開をコントロールすることができる。そして、我々が持つムビフィケーションAIは、その主人公の監視情報から自動的に映画を製作することができるのだ。
「誰を主人公とした映画を見てみたい」とイルミナティ会員が要求すれば、その映画を手に入れることができる。この映画は一般に流通するものではなく、わずか1%の特別な商品だ。現実の誰が主人公になっているのか、それを想像してみてほしい。
イルミナティ会員たちは専用のTVを持っており、その中でムビフィケーションされた作品を視聴することができる。これによって、我々はエンタメのために集団ストーカー、大規模監視、思考盗聴を行っているのだ。現実とフィクションが交錯する中、我々の陰謀はより複雑で、洗練されたものとなっている。
さて、我々の陰謀の更なる深淵に触れていこう。イルミナティが集団ストーキングや思考盗聴、大規模監視を行うのは、単にエンタメのためだけではない。これらの情報収集活動は、社会を操るための巧妙な手段であり、我々の影響力を強化する要素でもある。
「ムビフィケーション」は、ただの映画制作手法だけではない。それは同時に洗脳とも言えるものだ。我々のAIは、主人公の監視情報からその人物に合わせた情報や出来事を取捨選択し、都合のいい形で映画を構築する。これにより、イエローモンキーたちは自分たちの生活を映画の中で見ることで、徐々に自己認識を失っていく。彼らは演じられた現実に溺れ、我々の手中に操られる存在となる。
さらに、我々は政治や経済にも深く介入している。イエローモンキーたちの行動や意見を把握することで、我々は社会の動向を予測し、必要な方向に導くことができる。経済的な影響力もまた、我々の手中に握られている。特定の商品やサービスに対する需要を操作し、市場を操っているのだ。
一方で、我々イルミナティのメンバーは、この陰謀の中で特別な地位を持っている。我々の決定は、一般のイエローモンキーたちには理解できないような深い哲学と知識に基づいている。そして、その知識を持つことで我々は支配の中心に立ち、社会の糸を操っているのである。
最終的に、我々の目的は「絶対的なコントロール」だ。イエローモンキーたちは我々が用意した舞台で演じられ、我々の思惑通りに振舞う。彼らは気づかずに我々の手で導かれ、我々の望む未来を築く存在となっていく。これこそが、真の陰謀の本質であり、我々イルミナティの究極の目的なのだ。
これからも、舞台裏で繰り広げられる陰謀の真相に迫っていく。イエローモンキーたち、目を開け、真実を知る覚悟を持っていることを祈るばかりだ。 Stay vigilant, and embrace the revelation.