はてなキーワード: 小林聡美とは
猫飼いの人には是非読んで欲しい。特に、猫とのお別れを経験した人や、ペットロスになった人には響く内容になってるので。
まずはDavidという曲がどんなものなのか、先入観を持たずに聴いて欲しい。
この曲は1986年「やっぱり猫が好き」という深夜のドラマ(?)のオープニング曲だった。
やっぱり猫が好き(やぱ猫)は、恩田三姉妹(長女かや乃:もたいまさこ、次女レイ子:室井滋、三女きみ恵:小林聡美)が繰り広げる、ドラマのようなアドリブトークのような、時にはドタバタを含む深夜番組。
日本を代表するコメディエンヌが3人だけで毎週様々に起こる日常の小さな事件(主にレイ子が事件を持ってくる)をゆるゆると乗りこなす、そんな「日常系」の深夜ドラマ。事件と言っても些細なことで、寝苦しい夜に一緒に寝ようとか、すき焼き食べてたらハエが出たから外に追い出してたら、ベランダのロックがかかって閉め出されたとか、ドタバタとユルユルが融合した、本当に面白い番組だった。三谷幸喜脚本も多々あり、三谷幸喜の出世作とも言われている。この番組きっかけで小林聡美と結婚した、という伝説の深夜番組なのである。
まぁ、それはおいといて。猫が好き、というタイトルのわりに「サチコ」という猫が、たまーに出てくるだけのドラマなんだけど、このタイトルとDavidの結びつきが、試聴してた頃はなんとも思わなかったんだが、最近になって、この歌詞の意味がスーッと理解でき、このDavidの歌詞を深く理解するに至り、この曲を思い出すだけで泣いてしまう状態になってしまった(ノ∀`)
これは、解釈としての一部であり、本当のところはどういう意味で矢野顕子が歌詞を書いたのかはわからない。
でも、この曲は「やっぱり猫が好き」な人でない限り書けない曲だと思ってる。
矢野顕子いわく「Davidって誰?」と聞かれるけど、誰でもない。と答えている。ダビデだ、という説もある。
しかし、この「誰でもない」はこの歌詞を読み解くひとつのヒントとなる。
果てしなく広がる街から ひとり離れて
ここへ置いていって
静かな微笑みを 遠い日々の歌を
どんなにか つらかった日々を
あなたは 見つめた
よく笑い よく泣くあなたの 話を聞かせて
こんなに近い 同じ思いで
ここで待っているよ
聴こえるでしょメロディ みんなで待ってるよ
私のともだち Oh David
歌詞を書いただけで、もう涙が止まらなくなってるんだけど、頑張ってひとつずつ解説したい。
この曲は、亡くなった猫が飼い主を思って歌ってる歌なんだ、と。
つまり、Davidは飼い主であり、私は天国にいる猫だ、と解釈すると、この曲の意味がわかってくる。
果てしなく広がる街、というのは、猫の視点からすれば、ただの街ではなく、そこは果てのない大きな大きな街に見える。
ひとり離れて、というのは、亡くなって離れていった。
あなたの手紙、というのは、たぶん火葬する時にDavidは手紙を書いて、その猫とともに天国に持たせたものなんだろう、と。
だから、読み返すうちに思い出が蘇ってきた、と。
こんなに遠い ということに対して「時間も場所も」というのは、やはり猫の時は止まっているけど、Davidの時間は進む。だから時間も、という表現になる。
ここへ置いていって欲しいのは、静かな微笑みや楽しげに歌ってた日々。つまり、Davidにはペットロスを乗り越えて、日々を進んでいって欲しい、という猫からの願い。
どんなにか辛かった日々を というのは、多分闘病していた猫の辛い日々や、ペットロスになったDavidの日常を空の上から見つめていたんだと思う。
そして、泣いて笑って、そんな日々を思い出して「ここで待っているよ」って、天国で再会することを待ち望んでいる。
みんな、というのは、きっとこの猫より前に飼っていた猫たちのことだろう。会いたいという気持ちは、飼い主だけでなく私たちも同じだよ、と。
最後に「わたしのともだち」というのは、飼い主のことを友達のように思っていた、ということなのかな、と。
パパやママという感覚ではなく、猫としては飼い主を友達のように思ってた、っていう。
この解釈でDavidを聴くと、涙が止まらなくなる呪いがかかるでしょうw
「やっぱり猫が好き」というタイトルだけ聞いて曲を書いた矢野顕子さんが「失ってもまだ猫の心と私の心は繋がっている。寂しいけれど、やっぱり猫が好き」という気持ちでこの曲を書き上げたのではないかな、という推測が成り立った。実際はコメディ番組だから、ここまでの深い考察をするまでは、まったくそんなこと、思いもよらなかった。
自分も先代の猫たちに会いたくて、今でも泣いてしまうけど、この曲の意味をこう解釈することで、亡くなった猫への思いを整理つけてペットロスから抜け出せるような気がしている。
こんな時間に二度寝できなくなったので、頭の中のガラクタ整理しよ。
こないだ家でクリスマス会の最中、CS番組で大林宣彦版「転校生」がやってて、懐かしくてつい見てしまったのだが、まだあどけない少女の小林聡美があけすけもなく、成長途中のおっぱいを丸出し、スッポンポンになってて驚いた。こんなに脱いでたっけか……。
それでふと思ったのが、若い頃にさっさとヌードを披露してすべてをさらけ出してる女のひとって、実はかなり強い存在なのではなかろうか?(熟女ヌードについては、ここでは敢えて除外する。脱いで以降の未来を生きる時間が短いから)
裸一貫って言葉でないけど、どんなに容姿が美しくて自信があっても裸体を人様にさらす決意、度胸や覚悟を決めるのは並大抵ではないだろうし、それを若いうちにやってのけてるのが素晴らしいというか。そんな点でいうと、AV女優なんかも尊敬してしまうのだが。
その流れで連想したのが、宮沢りえの「サンタフェ」。当時中学校のクラスの中で回し読みして衝撃を受けた世代なので、彼女はかなりメンタル強いのかなーと思ってたのが、つい先日のSNS誹謗中傷疲れのニュースだったので、あなたはあんなに美しい裸体を見せてくれたのだから、こんなつまらんことで折れてしまうワケないだろう! と激励したい気持ちになった。
心も体も許したひとりの異性に見せる裸と、ファインダー越し=万人に見せる裸とでは、比較もできないし意味も違うだろうが、裸自体よりも、裸を見せるまでのプロセスや意志などのパーソナル面が、裸=外観でない魂自体が美しく輝いているというか、とても興味深い。
今の時代はスマホでこっそりセルフヌードを撮ったり撮られたりしてる女のひとも、おそらく少なくないのだろうが、できればうんと若い頃に、裸体の記録を撮っておいて、そっとどこかにしまっておいてほしい。いつか年老いた自分や誰かに見せるためでもなく、撮るだけ撮っていてほしい。若い時分の私にはそれができなかった、思いつかなかったのが、今では少し後悔している。スナップ写真程度でしか分からないけど、昔はもっとシャープな体つきだったのかな……と、すっかり入らなくなった20年前のジーンズを試しに穿いてみたら、案の定太ももでつっかえて、若さゆえの眩さと危うさに気づく。
「この世界の片隅で」
戦争モノなんだよね? で、最後に原爆落ちるって観客が知りながら見るんだよね?
武蔵とか青葉とか、つけ麺屋っぽい軍艦が寄港するんだよね、そうそう呉。
呉と広島って距離的に結構離れているから、のんちゃんも原爆とはあんまり関係ないって感じになるんだよね?
予告編見たけど、こりゃ泣くわ~と思った。いかにも泣きそうな感じ。やっぱ見に行くのやめとくわー。
「君の名は。」
これ分かんないんだけど、彗星が出てくるんだよね?72年に一度の。
小林聡美がオッパイ出してた映画のアニメ版って解釈で合ってる?
男と女が入れ替わったら、当然「あれ、チンポがない!」ってシーンも出てくるんだろうね。
そのあたりはコミカルなの?泣けるのかなあ?
あと。すごく絵が良いらしいねえ。いやあ正直、アニメ知らないから比べようがないんだけどw
「シン・ゴジラ」
見たほうがいいってみんな言うよねー。京急壊すんだよね?
そんで羽田空港あたりから立川あたりまで歩くんだよね、ゴジラが。
あ、ゴジラじゃなくてガッジーラ?
会議のシーンの描写が細かいんだよね確か。オタクが会議やるらしいじゃん。
ていうかほとんど会議のシーンばかりで寝ちゃうっていうのもホント?
>昔、小林聡美さんのエッセーに子供がほしいようなことが書いてあり、三谷さんがその気でないようなことが書いてあった。だから、離婚して若い嫁をもらい、子供をつくってのろけているのを見ると、他人事ながらなんとも嫌な気持ちになる。男の人って残酷ですね
これを読んで何だか非常に気の毒になった。
子供がほしかったけど旦那が欲しがらず諦め、年を取ってから夫が急に欲しがり若い女に乗り換えられ子供を作りのろけているのを一人で見るなんてぞっとするがありそうな話だ。
男も普通の人は40過ぎて離婚して子供を作れる年齢の人を捕まえて子作りをして育てるのは非常に困難だ。
ネットを見ていると私の希望で選択子なしだったけど年取って旦那の親も死んでからやっぱり欲しくなったと言ったら旦那が号泣して絶望してるとか、選択子なしと約束してたのに40すぎて欲しいと言い出した許せない離婚とか、相手の旦那に同情する話が多い。