「ダビデ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ダビデとは

2024-02-12

再掲

2018年に書いたトップXの代名詞案に解説を足したよ

頂点--
双璧--
御三家家康の子のうち格別に家格が高かった三藩主徳川義直・頼宣・頼房
四天王仏法において帝釈天に仕える守護神四天持国天増長天広目天多聞天
五大老豊臣政権末期の政務にあたった五大名徳川家康前田利家毛利輝元宇喜多秀家小早川隆景
六卿西周王朝行政組織における六名の最高官職冢宰・司徒・宗伯・司寇・司馬・司空
七賢人古代ギリシアの優れた七人の統治者クレオブロス・ペリアンドロス・ピッタコスビアスタレスキロン・ソロ
八部衆仏法守護する八尊の護法善神天衆・龍衆・夜叉衆・乾闥婆衆・
阿修羅衆・迦楼羅衆・緊那羅衆・摩睺羅伽
偉人中世ヨーロッパ騎士道体現した九人の英雄ヘクトール/アレクサンドロス大王/カエサル/ヨシュア/ダビデ/
ユダ・マカバイ/アーサー王/シャルルマーニュ/ゴドフロワ・ド・ブイヨン
十傑史実元ネタなし(強いて言うと維新の十傑?)-

 

フィクションのは挙げてないけど有名っぽい代替案は、六神将(テイルズ オブ ジ アビス)、七英雄(ロマンシングサガ2)、十天衆(グランブルーファンタジー)あたりかな。

3に関して、頭に数字をつける縛りなら、三羽烏または単に三傑とも呼ばれるね。十傑と被るから避けたいけど。

5に関しては、五大老しわしわすぎて合わない場合は、五賢帝汎用性高そうだね。古代ローマの。うん、その方が文明コンプ感高まっていいと思う。仏法はまだ被ってるけど。

2023-12-05

やっぱり猫が好き主題歌David」についての考察

矢野顕子さんの名曲Davidについて、ちょっと語りたい。

猫飼いの人には是非読んで欲しい。特に、猫とのお別れを経験した人や、ペットロスになった人には響く内容になってるので。

 

まずはDavidという曲がどんなものなのか、先入観を持たずに聴いて欲しい。

https://youtu.be/ERZvi4iDmyE

 

この曲は1986年やっぱり猫が好き」という深夜のドラマ(?)のオープニング曲だった。

やっぱり猫が好き(やぱ猫)は、恩田三姉妹(長女かや乃:もたいまさこ、次女レイ子:室井滋、三女きみ恵:小林聡美)が繰り広げる、ドラマのようなアドリブトークのような、時にはドタバタを含む深夜番組

日本代表するコメディエンヌが3人だけで毎週様々に起こる日常の小さな事件(主にレイ子が事件を持ってくる)をゆるゆると乗りこなす、そんな「日常系」の深夜ドラマ事件と言っても些細なことで、寝苦しい夜に一緒に寝ようとか、すき焼き食べてたらハエが出たから外に追い出してたら、ベランダロックがかかって閉め出されたとか、ドタバタユルユルが融合した、本当に面白い番組だった。三谷幸喜脚本も多々あり、三谷幸喜出世作とも言われている。この番組きっかけで小林聡美結婚した、という伝説深夜番組なのである

 

まぁ、それはおいといて。猫が好き、というタイトルのわりに「サチコ」という猫が、たまーに出てくるだけのドラマなんだけど、このタイトルDavidの結びつきが、試聴してた頃はなんとも思わなかったんだが、最近になって、この歌詞意味がスーッと理解でき、このDavid歌詞を深く理解するに至り、この曲を思い出すだけで泣いてしま状態になってしまった(ノ∀`)

 

これは、解釈としての一部であり、本当のところはどういう意味矢野顕子歌詞を書いたのかはわからない。

でも、この曲は「やっぱり猫が好き」な人でない限り書けない曲だと思ってる。

矢野顕子いわく「Davidって誰?」と聞かれるけど、誰でもない。と答えている。ダビデだ、という説もある。

しかし、この「誰でもない」はこの歌詞を読み解くひとつのヒントとなる。

 

では、あらためて歌詞を書いていこう。

 

  果てしなく広がる街から ひとり離れて

  読み返す あなた手紙 漂う思い出

 

  David わたしたち

  こんなに遠い 時間場所

  ここへ置いていって

  静かな微笑みを 遠い日々の歌を

 

  どんなにか つらかった日々を

  あなたは 見つめた

 

  よく笑い よく泣くあなたの 話を聞かせて

 

  David わたしたち

  こんなに近い 同じ思いで

 

  ここで待っているよ

  聴こえるでしょメロディ みんなで待ってるよ

 

  大きな声で叫びたい あなた名前

  私のともだち Oh David

 

歌詞を書いただけで、もう涙が止まらなくなってるんだけど、頑張ってひとつずつ解説したい。

 

この曲は、亡くなった猫が飼い主を思って歌ってる歌なんだ、と。

まりDavidは飼い主であり、私は天国にいる猫だ、と解釈すると、この曲の意味がわかってくる。

 

果てしなく広がる街、というのは、猫の視点からすれば、ただの街ではなく、そこは果てのない大きな大きな街に見える。

ひとり離れて、というのは、亡くなって離れていった。

あなた手紙、というのは、たぶん火葬する時にDavid手紙を書いて、その猫とともに天国に持たせたものなんだろう、と。

から、読み返すうちに思い出が蘇ってきた、と。

 

こんなに遠い ということに対して「時間場所も」というのは、やはり猫の時は止まっているけど、David時間は進む。だから時間も、という表現になる。

ここへ置いていって欲しいのは、静かな微笑みや楽しげに歌ってた日々。つまりDavidにはペットロスを乗り越えて、日々を進んでいって欲しい、という猫からの願い。

 

どんなにか辛かった日々を というのは、多分闘病していた猫の辛い日々や、ペットロスになったDavid日常を空の上から見つめていたんだと思う。

そして、泣いて笑って、そんな日々を思い出して「ここで待っているよ」って、天国で再会することを待ち望んでいる。

みんな、というのは、きっとこの猫より前に飼っていた猫たちのことだろう。会いたいという気持ちは、飼い主だけでなく私たちも同じだよ、と。

 

最後に「わたしのともだち」というのは、飼い主のことを友達のように思っていた、ということなのかな、と。

パパやママという感覚ではなく、猫としては飼い主を友達のように思ってた、っていう。

 

この解釈David聴くと、涙が止まらなくなる呪いがかかるでしょうw

やっぱり猫が好き」というタイトルだけ聞いて曲を書いた矢野顕子さんが「失ってもまだ猫の心と私の心は繋がっている。寂しいけれど、やっぱり猫が好き」という気持ちでこの曲を書き上げたのではないかな、という推測が成り立った。実際はコメディ番組から、ここまでの深い考察をするまでは、まったくそんなこと、思いもよらなかった。

 

自分も先代の猫たちに会いたくて、今でも泣いてしまうけど、この曲の意味をこう解釈することで、亡くなった猫への思いを整理つけてペットロスから抜け出せるような気がしている。

2023-06-16

増田ムシキング部推薦ムシ

グランディスオオクワガタ コクワガタ ミヤマクワガタ

グラントシロカブト アクティオゾウカブト カブトムシ

ラコダールツヤクワガタ メンガタカブト ヒラタクワガタ

フェイスタメルシワバネクワガタ ノコギリクワガタ ギラファノコギリクワガタ

コーカサスオオカブト アトラスオオカブト エレファスゾウカブト

インペリアリスツヤクワガタ フォルスターフタマクワガタ ネプチューンオオカブト

ガシラクワガタ

オウゴンオニクワガタ モーレカンプオオカブト ブルマスターツクワガタ

メカブト ケンタウルスオオカブト マキシムスマルバネクワガタ

サタンオオカブト ヘルクレスリッキーブルー アヌビスゾウカブト

ファブリースノコギリクワガタ ディディエールシカクワガタ ハスターノコギリクワガタ

サンボンヅノカブト カンターゴカクサイカブト バックレイフキカブト

ギアスゾウカブト ギガスサイカブト ヘルクレスオキシデンタリス

パプアキンイロクワガタ マルスゾウカブト スティーブンスツヤクワガタ

デリカトゥスマルバネクワガタ ラテペニスツヤクワガタ パリーオオクワガタ

ヘルマンミヤマクワガタ ヘルクレスエクアトリアヌス サバゲノコギリクワガタ

ルイスツノヒョウタンクワガタ インペラトールホソアカクワガタ アスタコデスノコギリクワガタ

ダビディスカブト ピサロタテヅノカブト フンボルトヒナカブト

ジュダイスミヤマクワガタ ギラフケイスケレッド ウエストウッドオオシカクワガタ

ポルテリータテヅノカブト インターメディアツヤクワガタ アラガールホソアカクワガタ

ウルスヒラタクワガタ メキシコゾウカブト

2023-05-30

ブロンズコレクターナイスネイチャ

現役中も引退後も多くの人に愛されたナイスネイチャが、2023年5月30日ついに亡くなった

35歳1か月14日にわたる生涯は

マイネルダビデ(1997年共同通信杯)の36歳8カ月27日

シンザン(1964年牡馬クラシック3冠他)の35歳3カ月11

に続く、JRA重賞勝ち馬長寿ランキング史上第3位の記録である

同馬といえば現役中ブロンズコレクターとして有名で、自身モデルになっているウマ娘キャラクターも3着ネタに事欠かないが

最後最後にまたしても"3着"を記録することになった

そんなところもまたネイチャのネイチャらしいところかもしれない

でもとってもとっても立派な生涯だったよ。ネイチャ


追記

ごめんなんでかリキエイカン(1968年阪神3歳S他)の35歳2か月27日が漏れてた

指摘ありがとう。正しくは4位です。菊花賞と同じ

2023-01-26

人間って意識して泡を吹くことってできるの?

拷問系のアダビデを見ていて、女優が首しめられた後に泡を吹き始めたんだけど、どうやって泡を吹かせてるの?女優の特技?

2023-01-18

anond:20230118194523

増田も書いてるけどダビデ象の鼻やぞ

俺偉いんだぞアピールでわかってないのに注文・指摘だけつけて、

わかってないから、注文・指摘したところが何も変わってなくても気付けないって話

 

 

ただ偉いんだぞアピールがしたいわけでなくても、納品物に違和感を覚えることはフツーにあるわな

その時に専門知識が無いとうまく言語化は出来ないよね

そして直したよって言われたら専門家が言うならそうなんだって大抵の人は引くわな

ワイは検証して引かない派だが

anond:20230118193854

ダビデ象の鼻」っっていうお決まりお話があるんやで。

2022-09-09

昔のジャンプを読んでるんだが

ダビデくん面白いのになんで終わってしまったんだ

2022-01-21

座ってしても大丈夫

便座に座って小をしても問題いくらいの大きさである。こんな利点があるんだぜ。ダビデ

2021-09-22

聖書を読み終えた

エルサレムのおとめたちよ

野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください

愛がそれを望むまでは

愛を呼びさまさないと。

聖書(新共同訳)

大学2年生をしている。

一昨日、旧約聖書新約聖書を読み終えた。

キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。

なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。

率直に感想を述べる。

長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。

そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。

なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。

得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。

これからつの掌編を引用して、それぞれコメントをつけたい。

全文引用ちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。

なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書1052ページに載っている。



まずは『放蕩息子』からだ。

子どもの頃、こんな題名ドラマを観たことがあるかもしれない。

放蕩息子のたとえ

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたし友達宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなた身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

――ルカによる福音書 15.11-32(15章の11節~32節) P.139~140


最初意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。

「あ、これ講義で習った!限界効用の逓減だ!」とも思った。

さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。

なるほどと思った。イエス説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。

神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。

現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人意志尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。

聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。

次は、『不正管理人のたとえ』だ。

不正管理人のたとえ

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったときあなたがたは永遠住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかであるあなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140


それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画台詞を思い出した。

読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。

こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学Web講義中に、何度も考える機会があった。

からなかった。結局。

それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャー作品らしい。

しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。

どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。

腑に落ちない。聖書には矛盾する箇所がいくつもある。

例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。

(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)

でも、その一方で、「金持ち神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。

約二千年前に作り始められたわけだから矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正管理人の話には納得がいかない。

そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。

捏造された聖書

要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語解釈意図が入り込んでいった、とのことだ。

ならば納得できる。この『不正管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正管理人のたとえの正体である――解決

解説サイトヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしものおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想



聖書を読んでよかった。

はっきり言おう(ここイエス意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツ原典元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品派生しているか原則述べない。

例えば、①エジプト王宮でのモーセアロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャクセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。

かにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画小説ゲーム元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。

特に士師記サムソンには笑わせてもらった。スラップスティックギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。

聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。

聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。

ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。

キリスト者を迫害した人や、信心律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。

しかし、世の中というのは、そういうものではないか

同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。



わたし若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。

最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。

わたしの生まれた日は消えうせよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

――ヨブ記 3.3(3章の3節) P.777


サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。

いつかは口に出してみたい台詞ランキングで第1位に入っている。

面白い書物だった。また一度は読んでみたい。

2021-09-15

anond:20210915123321

幼少期からダビデ俳優みたいなメンタリティの子はほんと堂々とタオルいらずで着替えてたよな。

あの胆力はうらやましい。

みんな大物になってるだろうな。

2021-08-20

ダビデドラゴボ、ゲボドバ、濁点の多い略称の魅力

発声したさある

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