はてなキーワード: 思い入れとは
コミュニケーションろくに取らないとかざら。
日テレ「漫画原作のドラマ取れたで!どうやら原作者はかなりこの作品に思い入れがあるらしい。よーし、原作者ファーストで行くで!」
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日テレ「作者めっちゃ話に注文つけてくるやん!でも、原作者ファーストだから脚本家と調整しながらやっていくで!」
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日テレ「最終2話は原作者が脚本かきたいだって?漫画のプロではあっても、ドラマ脚本はまた違うんだけどなあ…でも、原作者ファーストや!脚本家降格させて、原作者をアサインや!これぞプロの調整力!
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日テレ「ドラマも無事終わったで!テイストは変わったけど、これはこれで良いっていう感想もあるし、良い着地だったんやないか?二期もまたよろしく頼むで!」
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日テレ「脚本家がなんかインスタでぶつくさいってるな。でも、個人の発信を大手マスコミのワイが制止するのも無粋な話やで。放置放置。」
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日テレ「原作者ながーいお気持ちをTwitterで書いてるで。で、でも、ワイらは可能なかぎり要求を汲み取ってた訳だし。原作者の一時的な不満に一々反応してられへんわ、次のドラマの制作で忙しいんじゃい!」
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昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
某 の人と仕事をしているが、本当にクソ。
重箱の隅をつつくわりに、何も決めない。
慎重に話し合い合意を取りながら進めてきたが、そんなことは決めていないといきなりハシゴを外す。
たくさんの人が関わっていてお金も発生しているのに迷惑がかかることなどおかまいなし。
こちらからおねがいしてやっているわけでもないのに、終始やりたくない態度。
かといって注文は多く、それを守ってたら、何もできないし進まなくない?というレベル。
都合よく言ってたこと撤回するし、そのたびこちらは悪くないを連呼。
こちらが困ってるほど嬉しそうにサディスティックに嫌がらせをしてくるやつもいる。ドン引き。
保身の塊なだけでなく悪意の塊。
めちゃくちゃ偉そう。
指示を出さないわりに、提示したものに対しては後出しジャンケンでダメ出しの嵐。
さっさと縁切りたいが、間に入ってる人のメンツを考えて形だけやっている。
それはそれで思い入れを入れないでやるからしんどい。けど仕方がない。
ほんと、叩かれるのには理由があるわ、と思う。さっさと潰れてほしい。
叩きすぎじゃね?と思ってたが、中身から腐ってるわ。
腑に落ちた。
いや別に嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、特別好きでもない。無に近い。
そのことに、映画を観てやっと気が付いた。
20年前、思春期だった自分の周りには、SEEDが好きな友人たちがたくさんいた。
MSが好きな人、キャラが好きな人、CPが好きな人……皆それぞれ何らかの形で熱を上げていた。
みんながこんなにハマるのだから面白いのだろう。素晴らしい作品なのだろう。私自身も毎週リアタイしながら、そう思っていたつもりだった。
で、20年越しの映画ガンダムSEED FREEDOMを観た。
ビッッックリするくらい盛り上がらなかった。私だけ。
周りの人たちは終映後、早速盛り上がっていた。あれがよかった!これがよかった!スゲー!神作品!そんな声まで聞こえてきた。
私はというと、「こんなものか?」くらいの気持ちでボケーと座席に座っていた。
映画自体の出来は素晴らしかったと思う。映像は見応えがあった。ストーリーもまあいい話だった。
私はSEEDシリーズが好きなんだとずっと思っていた。でも確かに、思い返すと「何が好きなのか」は長年よくわからなかった。
MSのカッコよさは私にはわからなかった。キャラクターも誰が好きとか特になかった。映画を観て好きになったキャラとかもなかった。みんながんばってるなあ、とボケ〜と眺めるだけだった。
映画を観た後、興奮気味に感想を語ってくれる友人たちの話を聞きながら、私はそんなにSEEDに興味なかったんだなあ、ということをぼんやり自覚していた。
でも周りの人たちは私のことを「SEEDが好きな人」となぜか認識しているので、四方八方からすごい語られてきて今ちょっと困っている。
その昔、かぐや様は告らせたいの実写化の際に赤坂アカ先生が以下のようにコメントしたのは有名だが
漫画の実写化は、漫画の連載を100年やっても読まないだろうなっていう遠い層に向けて『かぐや様』を届けてくれる漫画家としては滅茶苦茶有り難く、かゆい所に手が届く文化です」と、実写化についての考えを吐露しました。そして、原作のファンに「かぐや様がより遠くの人へ届く様に、後押しする感じで応援して欲しいと願っております!
実写化するのは原作ファンの為ではないという表題はもっとオタクが認識するべきだと思う。
じゃあ誰のためかと言うと原作ファン以外の人のために作られているのだ。それは俳優や女優のファンだったり、お茶の間でテレビを見る層や、ミーハーな人のため。他の売上を立たせるために作られている
原作ファンの為の作品作りなら実写化しない方向でグッズやイベントなどのメディア展開したほうが確実にファンの満足度は高いわけだし。生身の人間が二次元の人間を表現するって言ったって限界がある。
よく実写化の中でも称賛される事がある2.5次元の舞台だって熱狂的なファンは多くいるが、テニミュなどの有名な舞台でもテニスボールは直接打たれてる訳ではない。
キャラクターだって出番や台詞の少ないキャラは演者のオリジナル解釈だけで生きる事になるし、それがある程度許容される事も少なくない。そもそも、2.5次元の舞台ですら原作を見たことがない人も多く入っていることは知られるべき。
今回のセクシー田中さん、ドラマを見てた者からすると確かにラストの終わり方は不完全燃焼だったように見える。
原作から入ってる人ならふわっとした終わりで漫画に期待が出来るラストだったと思うが、ドラマしか見ていない層の方が多い地上波で描かれた人間関係の結論もなく(恋愛的な要素抜きにしても)、スッキリはせず続編を期待する人も多かったように思える。
ドラマとしての完成度なら脚本家の思うように書き切った方が良かったのではないか?と視聴者が思うのも見てみればわかると思う。
実写やアニメは原作の二次創作という捉え方もあるくらい、限られた枠の中で普段触れて来なかった層にアプローチするにはある程度のストーリーの改編やキャラ解釈の変え方があっても致し方ないものだ。
その改編にもし原作者が怒りを露にするならそもそも実写化なんてさせるべきではなかったと思う。現実的にある程度の事は許容せざるを得ないのだから
実写化に限らずアニメ化だって声優がイメージと違う事や、アニメ雑誌で描かれた製作会社の一枚絵に原作者がこのキャラはこんなポーズしないと激怒しアニメが円盤化しなかったジャンプ作品もあったが、あまりにも思い入れの強い原作者は実写化や他のメディアミックスはしない方がいいし、原作ファンは実写化なんて見ない方が幸せだと思う。
漫画家の芦原妃名子さんが、自分でテレビ脚本に関わっても良いという契約をしたときは、誰が代理人または顧問だったのか
脚本を書いた経緯をブログやXに乗せて話題にしようとしたのは、誰と相談してのことか
話題にしたかったのに、どうして炎上とかしたら、あっさり消したのか
脚本を自ら書くほど作品に思い入れがあり、それはまだ連載中なのに、どうして自殺したか
行動が不自然だし、顧問弁護士なんぞが操っていたんじゃないのか
弁護士は味方の役割のくせに(消したブログに名前出てたか?)、依頼人が死んだらもう出てこない?
具体的な司法手続として、死因を特定しない事件カテゴリを作らないと、殺人事件時効を撤廃した意味も薄れる(「原因不明死」とか)
弁護士頼むときは、死後対応も求めないといけないな(権利承継の手続)
増田はある種の芸能界弁護士の言うことをハイハイ聞いてて、病院に送り込まれて死にかけたことがあるし
NHKのトイレ事件も自殺扱いだったな(「NHK解説副委員長が自殺 局内トイレで」)
誰が悪いのか。
1.原作者
2.脚本家
3.プロデューサー
4.日テレ
https://fujimedia22.com/2024/01/29/ashihara-hinako/
商業目的なので、原作に拘られてもTV番組として成り立たない事が有るため、
そのような事が起こりうることは理解してい貰わないと話にならない、等という事が考えられる。
海外の例でも、スティーブン・キングの原作が映画化されたものがいくつも有るが、
どの作品を見ても原作とは大きくかけ離れたものになっている事実は否めない。
但し、契約として原作から逸脱するようなストーリー、演出が有った場合は原作者が拒否できるものならば、
原作者と契約しそれを反故にした側が悪いのは決まりきっているが、現段階では契約内容を知り得ていないので。
原作者は自分の作品に対して非常に思い入れのある人だったというコメントを目にした。
それは当然のことだと思う。
でも自分の思うようにさせてもらえなかった、自分の思うようにいかなかった、
それに腹を立てたのか、心が傷ついてしまったのか、
はたまた、そんなに揉めるつもりはなかったのに、自分の考えを上手く伝えられずに炎上してしまった事に心を病んで...
心の奥底の事は分からないけれど、自ら命を絶つような事ではなかったと思うのだが。
残念でしかない。
合掌。
重曹ちゃんこと有馬かなは「子役時代は売れていたが天狗になって干された女優」というキャラで
彼女の造詣にあたり作者は「未就学児の頃は売れていたが、今は干されて滅多にテレビにでも出れずマイナー舞台とバイトで食ってる女優」の春名風花ことはるかぜちゃんにインタビューをした
はるかぜちゃんは声優でもあるが、アニメ化で重曹ちゃんの役はもらえなかった
そして実写化も決まったが、そちらでもはるかぜちゃんは重曹役はもらえず
はるかぜちゃんとママは「実写重曹ははるかぜちゃんがよかった」というツイートをリツイートしまくり、「舞台化したら今度こそはるかぜちゃん」とアピール
https://twitter.com/info_amagoi/status/1749940357339676902
https://twitter.com/info_amagoi/status/1750022988702024109
https://twitter.com/info_amagoi/status/1750024103820701882
「こどものおもちゃ」の主人公役や夢見りあむクレクレしてたころと同じムーブ
馬鹿な信者が勝手に脳内キャスティング披露するのと同じノリで本人や母親がやるのは痛いんよ
推しの子には思い入れないから本当にこいつが来て阿鼻叫喚になっても面白そうではあるけど
こどものおもちゃ欲しがってた頃の取り巻きがだいぶ消えて、役を射止めた子がバッシングされるような空気がなくなっただけ良かった
娘の顔が元嫁に似てきた
吐くほど気持ち悪い
正直言って早く出て行ってほしい
クソ女の血入ってるのがよく分かるお前の顔見たら
全部滅茶苦茶に引っ掻き回したクソ女の本性とか
稀に来る親や兄夫婦がお前の事を綺麗なった言う度
顔だけは綺麗やったクソ女がダブって気分悪くなる
いつか誰かの人生ぶっ壊していくのかもな
何をどうしても一生好きにはなれん
ルールを守ってお前を育ててるだけやねんで
ついでに言うとクソ女が出て行って以降、
「娘おる家は気を付けたほうが良いかも」なんて
周囲に助け求めたり相談するのなんて早々諦めたわ
「今いいですか」「すみません」って言われる度
お前は一回も反抗期が無かったな
それだけはありがたいと思ってるわ
反抗されて腹立つとかそんな次元じゃなくて
嫌いなお前が、何に腹立てて何が不満なのか
多分そうなったら俺は何も解決できんかったやろな
もう自分の娘やと思って扱ってすらないんかもな
だって俺の血入ってるかどうかすら怪しいもんやで
お前にとっては嬉しい事やと思うけど
お前次第やけど、一応お互いあともう数年の辛抱や
金なら必要なだけ渡すし
全部お前の好きなように勝手にしたらいい
俺はお前の夢も成績にも全く興味ないから
全部好きに決めて何もかも自由にしたらいい
頼むから一日でも早く出て行ってくれ
俺には嫁も子供も生涯おらんかった事にしたいんや
出て行ったら一生連絡して来んな
二度と俺のところに帰って来んな
そうしてくれたらやっと俺は
この世で最も憎い人間の事思い出さずに済むねん
もうタイトルの通りなのだが、結論から言うと小学生の頃から20年以上付き合いのある友達と連絡が付かなくなった。かつては毎日のようにLINEをしていたのに、今確認したら最後にLINEしてからもう2年経とうとしている。どちらが悪いのかと言えば私が悪いのだが、正直謝るにも時間が経ち過ぎており、どうしたものかと考え続けて今に至る。
この年齢で今からA子に変わる人に出会えるとはとても思えないが、この先誰かと友情を結ぶチャンスがもう一度私に訪れたら、その時は間違えないようにしたい。
ですよね? 結論から言っていないのに結論から言うとと書くのはまず止めましょうというかいくらなんでも文章を推敲してください。まあ増田なんかに書く文章を一々推敲しねえよというのもわからんではないんですけどね。
私→これを書いてる人。関東在住。28歳。少年漫画ジャンルや女性向けソシャゲを嗜む腐女子。
A子→今回主に登場する私の幼馴染。小学校の頃からの付き合い。同い年なので彼女も28歳。女性向けソシャゲの他、乙女ゲーや少女漫画も好む。腐女子。
色々と身バレ防止フェイク要素を入れてるんだろうとは思うんですが、ここで年齢を明記するのはなんなんですかね。
あなたの自称する執筆歴がガチだと、この辺のディティールについつい拘ってしまうみたいな話なんでしょうか。
もし万が一リアル年齢なら(そうでなくても)、端的に言ってあなたは自己顕示欲が高すぎです。何故なら年齢を明記する必要が以下一切無いからです。
●幼馴染との関係について
小学生の頃から幼馴染と作家の真似事のようなことをして遊んでいたが、それを本格的に一次創作として小説にしたりマンガにしたりし始めたのは中学生ぐらいからだったと思う。
最初、A子だけでなく同級生の友人5人ぐらいでやっていたのだが、年を重ねるに連れて一人、また一人と抜けていき結局最後に残ったのは私とA子だった。
主にスクエニ作品やテイルズシリーズにありがちなファンタジー系の世界観で、各々自分のキャラクターを考えて同じ世界の中で他メンのキャラと絡めたり、時にはカップリングにしたりといったことをしていた。
書いた作品はpixivにアップロードしており、共用でアカウントを運用していた。
A子はどちらかというと長い物語の脇で起こったサブシナリオや小話、アニメでいう日常回を考えるのが好きな人だった。
それも、どのキャラでも出来るわけでは無く、彼女の書く中ではレギュラーになっているキャラもいれば、上手く動かせなかったのか初登場から年単位で名前を聞かないキャラもいた。
逆に私はキャラクターの性格と特徴さえわかれば大体誰でも動かせるタイプなので、特に思い入れの無いキャラや出番の少ないキャラでも問題なく話を作ることが出来た。
シリーズ構成…私
と言う状態だった。
5人ぐらいでやっていた時は私の他にも大筋の話を書いてくれる人はいたのだからある程度分散して出来ていたのだけど、二人だけになったらそれはこうなる。仕方のないことだ。
一切申し訳ないと思っていないのに申し訳ないと書くのはやめましょう。
あなたの自称作家歴がマジなら読者に申し訳ないと思わせる(と書いた自分として感じる)くらいならちゃちゃっと文章を推敲すれば済む話だからです。
結論の話もそうなんですけど基本的にあなた一切申し訳ないと思ってないですよね。
●事の発端
正直なところ、私は鬱展開が好きだしエログロ性癖(グロ寄り)だ。痛そうな目に遭うキャラクターに興奮するし、キャラが憎いとかではなく辛くて痛くて可哀想なキャラに興奮を覚える。それが楽しい。
A子は鬱展開や過激表現に過敏なところがあったが、全くそれらを見られないわけでは無い。普通にゲームではニーア・オートマタとかバリバリ遊んでいるし、鬼滅や呪術にもしっかりハマっていた。なので、私も話の大筋に必要であれば鬱展開も書き、過激なエログロ表現(R-18G)を描くこともあった。
A子は当初自分のキャラのR-18G表現を描くことを許可していたものの、いざ書いてみるとあまり反応は良いとは言えなかった。
褒めてくれてはいるものの無理をして言っている気配すらあった。が、許可はあるし書かないでくれとも言われていないので、しばらくR-18G表現を含む作品の執筆をつづけた。
「反応は良いとは言えなかった」「無理をして言っている気配すらあった」ですか。そこで何で妙に遠回しな表現をするんですか?
「(今にして思えば)A子は嫌がっていた(んだと思う)」が、つまり正しい表現ですよね? あなたはA子が嫌がっていたことに気付いていたけど自分の好みを優先させたんですよね?
ファンの反応の良さはA子がそれを嫌がっていたのにあなたが好みを優先させたことを何ら正当化しません。
しかしある時、A子から「実はR-18G作品を見るのが辛い。出来れば私の子にはそういう目に遭わせないでほしい」と申し出があった。
本当に喜んでいたんですか?
思えば創作を始めた当時は小学生だったから当然と言えば当然なのだが、元々はグロ表現のない作品だった。元の正当派ファンタジー路線にこの機に戻すのも悪くないか……と思っていたその矢先。
私のプライベートでは祖母が認知症になり、深夜にウロチョロ徘徊する日々が始まった。
人は眠れないと物凄く正常な判断が出来なくなる。深夜の2時に家族にたたき起こされて近所を探しまくって、空がうっすら明るくなるような4時とか5時に家の縁側で発見した、みたいなこともザラにあった。日中はブラック企業で働いて、家に帰れば認知症を患った祖母の介護(月に数回脱走オプション付き)。
大変でしたね。
流石にストレスを発散する先がないとやっていけない。
それは仰るとおりですね。
5回目ぐらいの祖母捜索からの帰宅をした翌日、私はA子に泣きながら電話して、全てのストレスをぶちまけた。
仕事も家もストレスで、今は創作だけが心の拠り所で、正直に言うと自分の性癖を抑えないといけないのはかなり無理を感じるということ。
A子は黙ってうんうんと聞いてくれ「増田ちゃんの好きなように書いたらいいよ」「何かあったら相談してね、おばあちゃん探すのも手伝うから」と許してくれた。
この時点で何歳くらいの話なんですかね。全てのストレスをぶちまけるようなことを普通の大人はやりません。
というかこの時点であなたはA子に相当な恩義が発生しているのですが、正直なところ感謝している感じが文章からは全く伝わってこないのですが、受けた恩をどう思ってるんですか?
それからしばらく、私は辛い現実から逃避するように作品を書きまくっていた。
出来るだけA子の好きなキャラクターやA子が考えた子には危害を加えないよう考慮し、それでも話の展開上どうしてもA子の推しやA子宅のキャラを酷い目に遭わせなければならない場合は「どの程度なら問題ないか」「もし無理そうであれば展開を変える」などの提案をしてA子の負担にならず、かつ自分の好きな表現が出来る創作を目指していた。
「話の展開上どうしてもA子の推しやA子宅のキャラを酷い目に遭わせなければならない」
その展開を考え執筆しているのがあなたである以上、そんな必然性はあなたの心の中にしかありませんし、本当に配慮してるならそもそもそんな展開にしません。
あわよくば、私が自分のありったけの好きを込めて書いた作品を見て、A子の心が動いて、A子も私と同じものを好きになってくれればいいと思っていた。それがモチベーションだった。
世間でChatGPTや文章生成AIが出てくるようになったのは丁度この頃だった。
画像生成AIがまだメジャーじゃなかった当時、小説や詩を作るのに特化した文章生成AIが話題になっていた。
2年音信不通なんですよね? 文章生成AI自体はありましたけど、ChatGPTって2年前時点で一般ユーザーが使用可能でしたっけ?
元々物語を量産できるタイプでなかったA子は、ここから覚醒した。
アイデアを出すためにChatGPTを使い、出てきた案の中から面白そうなアイデアを文章生成AIを利用して書いていく、ということを始めたのだ。それまで1カ月に5,000字の話が一本書けたらいい方だったA子は、自分の考えたキャラの話を中心にポンポンと話を量産するようになった。
私も私で作業効率が上がったので、この頃は文章生成AIを使って新たな作品を書いていた。これは分割すると第1部、2部、3部…と大変長丁場になり、最初の2部までは私の推しキャラや推しカプを中心に話を進めていたのだが、3部からは過激な表現を極力抑えつつA子の推しキャラ達にもスポットを当てようと考えた。その旨を伝えるとA子は喜んでくれた。
しかし、実際に3部を書き始めた時のA子の反応は、予想以上に薄かった。
A子の推しやA子の推しカプを主軸に据えているにも関わらずである。本人は「語彙力ないから良い…としか言えない」とか言っているが嘘つけ。お前が書いているその長文小説はなんだ。
端的に言ってつまらなかったんでしょうね。
さて、そこで思った。
一度そう思ってしまうと段々とはらわたが煮えくり返って、自分でも抑えきれないほど黒い感情が湧きおこった。私は今までA子のために散々頑張ってきたというのに私の書いた物語はもう彼女にとって価値がないのか?文章生成AIの方が私よりも彼女を満足させるっていうのか?
あなたの作品がA子にとってつまらなかったという現実を認めるのが嫌でそういう理解に逃避したということですね。
私はA子とのさぎょイプ中にふっと我慢できなくなり、これまでの怒りをA子にぶちまけた。
ふっと我慢できなくなるような人は我慢できなくなるキッカケを探すものなので、まあくだらない何かがあったんでしょうね。
が、言ったことは大体こんな感じ。
A子が私の書いた作品を読んで楽しんでいるように見えない。
私はA子の好きなキャラクターを取り入れているのに、反応が薄い。
友達だと思ってる人からいきなりこんなガチギレされたら普通は泣いちゃいますよね。
ちなみに、あなたの文章からは泣かせたことに対する申し訳なさみたいなみたいなものを一切読み取れないので、別に申し訳ないと思ってないんですよね?
それでも私は感情が収まらず、追い打ちをかけるように「私が長編を書き終わったらA子の今書いている作品を見せるって言ってたけど、それって私への報酬のつもりなの?」「だったら私の推しカプ書いてよ、私だってA子の推したちを書いてるんだから」と、どんどん思ってもいないことを言って詰めていってしまった。
正直、お互いパニック状態に等しい状態だったのでこの後どうやって会話を終わらせたかあまり覚えていないが、流石に翌日になってマズいと思い、私はA子に謝った。
多分ですけどパニックだったのはあなただけでA子は「そんなこと言われても……」と困惑してたんだと思いますが。
てかここに至ってようやく「マズいと思い」とのことですが、「自分がマズいことをしたと思う」のと「相手に対し申し訳ないと思う」との間には雲泥の差がありますが、大丈夫ですか。
A子は気にしていないし、私が悪いからと許してくれた。
当たり前ですが、気にすべきなのはどう考えてもあなたの方ですよね。
●崩壊
最初の異変は、このさぎょイプから2カ月ほど経った頃に起きた。
A子が自分の好きだったキャラクターを自分の作品の中で酷い目に遭わせるようになった。あれだけ私が書いたグロてんこ盛り作品を苦手がっていたのに、自分からA子は自分のキャラ達ををぐちゃぐちゃにし始めた。ここに書くのは憚られるような内容だったので敢えて記載は避けるが、少なからず可愛がっていた己のキャラに対する仕打ちではなく、それなのにA子が物凄く楽しそうに自分の生み出した子たちを痛めつける作品の話をしているのが少し怖かった。
A子としてはあなたの方に寄せてみたわけですよね。それに対して内心としては「怖かった」。つまり芳しくない反応をあなたがしたんですよね?
そんな感じの事が3カ月ほど続いた後……A子はパッタリと新規の作品を発表しなくなった。
この頃には私も正直飽きが来ていたので、話作りの真似事を始めた頃から換算すると15年近くやってきたこの創作もそろそろ潮時だろうか、と思い始めていた。
この頃、A子と一緒にご飯を食べたり外出する機会も増えていた。このまま昔のように戻れるものだと、この時の私は思い込んでいた。
A子としては恐らくかなりの勇気であなたの方に寄せてみたら芳しくない反応されたんで、そりゃ嫌になって当たり前なのでは。
ある時、別ジャンルに行った友人から「これもしかしてA子?今も創作続けているんだね~」と言ってあるTwitterアカウントのスクショが送られてきた。見ると、アイコンはA子が好きだったキャラにそっくりだし、絵柄がどことなく特徴的で普段小説を書いているA子がごくたまに絵を描いたときのそれとそっくりだった。
他人の空似だと思い、そのスクショを見ながらTwitter垢にアクセスしようとしたが……
ブロックされていた。
見ず知らずの垢に。何の接点もないアカウントに。
は……?と思った。
この辺はA子が悪いというか迂闊でしたね。
そこで、サブ垢として持っていた垢でログインすると今度は普通に見ることが出来たので、現状のこの垢のツイートとメディア欄を確認出来る分は全て確認した。
ブロックされているアカウントのツイートを見ようとするのは既に異常者の行いなので猛省した方がいいですよ。
結論が遅くないですか。この流れで「結論から」と書くなら崩壊という小見出しの次では。
その瞬間、自分の中で何かが壊れたような気がして、とんでもない虚脱感に襲われた。
A子は私と創作するのをやめたばかりではなく、ご丁寧にブロックまでかまして自分だけのコミュニティを形成してのうのうと変わらず創作を楽しんでいたのだ。
これは正直気持ちがわからんでもないんですよね。そりゃ腹立ちますよね。
今までどれだけ時間を費やしたと思っているんだ。
当たり前の話なんですけど、共同創作を止めただけで友達は友達だとA子は思っていたわけですよね。
共同創作者であるということが友達の必須要件なわけないので、異常なのはあなたの感覚です。
私は自分のSNS、そしてA子と共同運営していたpixivのアカウントを全て削除した。
A子が認識できる限りインターネット上から姿を消し、A子の出方を待った。A子はまさか昔一緒に創作していた友人経由で自分のもう一つのアカウントがバレたとは夢にも思わなかったのだろう。
数日後、アカウント削除に気付いたA子は慌てた様子で連絡を寄越してきた。私はSNSを消したのは新しいジャンルを見つけて心機一転しようと思ったからであることと、pixivはここ最近生成AI問題であったり個人情報管理の面で心配だから一旦別サイトに移転させようと思って取り急ぎ削除した。相談無くやってしまい申し訳ないと伝えた。
A子は物凄く色々言いたいことがあっただろうが、それ以上何も問い詰めてこなかった。
A子の対応は迂闊なんですけど、それに対してカウンターでそんなことをしたあなたにはもうA子の対応を非難する権利はありません。
だが後日A子に会う機会があり、そこでA子はTwitterやpixivの削除について改めて尋ねてきた。当然だろう。私の個人アカウントはさておき、pixivに至ってはA子も共同で運用していたアカウントだ。普通に考えてA子にはこの事について物を言う権利はある。
私はA子にこう言った。
「人気が出て良かったね」
この時のA子の表情は多分私は一生忘れられない。多分犯罪を犯したり、絶対にバレないと思って不倫をしたり、そういう人は自分の悪事が一番知られたくない人にバレた時にこういう顔をするんだ、とどこか冷めた頭の中で思った。
A子を完全に一方的に悪者にして自分を正当化している言説なのですが、これは無意識なんですか? 意図的なんですか?
私は極力感情的にならないように「リアルで接点のある人のアカウントをブロックすると、逆に特定に繋がるからやめた方がいいよ」とだけ伝え、その話題はそれきりにした。
こういう感じで自称する人はだいたい自分で思ってるよりよっぽど感情的に振舞っていますので気を付けてください。
文字数制限に引っかかったので続き→anond:20240125103028
ウクライナで5歳まで暮らしてその後日本に移住した人が、アイデンティティは日本人と同じだと決め付けられるのって本当に理解出来ないんだよね
みんな5歳の時ってそんなに幼かった?普通はもうとっくに物心ついてて言語も話せる年齢だよね?
実際私は日本国内の話だけど5歳で移住して、移住前に暮らした土地こそが故郷だと思っているもの。
移住後の土地には何ら思い入れはない。それどころかこんな所早く出て行きたいってずっと思ってた。
思い入れがあるのはポケモンの赤緑金銀までだから、パルワールドがめちゃくちゃ楽しい
最近の3DCGで繰り広げられる人間ドラマ、面白くはあるけどかったるい
みんな同じドラマを見るならゲームじゃなくて実況動画でいただろ
ソードシールドはミライドンを乗り回せて楽しかったけど、ミライドンじゃなくて他の手持ちのポケモンにも乗せてくれよ
ただ撫で回すだけで愛着って湧かないだろ
草むらに入ったら殺されかけるような
虫取りのポケモンが好きだった
パルワールドは、昔の下品でワイルドなポケモンが好きだった気持ちを思い出させてくれるいいゲームだ
開発者はキャッチーさのために見た目を似せただけであろうが、ポケモン批評としてポケモンに似た見た目でなくてはならなかったと思う
さまざまな界隈で日々話題になるパクリ騒動だが、いつも思うのは外野の心無い声がでかすぎること。
どんな騒動でも外野は口をつぐんでいるのがベストだと思っているが、パクリ騒動は特にそう思う。
あのな、自分の思い入れのあるものがパクられた経験のないやつは黙ってろ。
パクリ騒動は、パクリで心を引き裂かれた人間とその経験のない人間の差が大きすぎる。
パクられるってのは、それを経験したことがあるやつじゃないとわからないくらい大きなショックを受ける。
法的にセーフだろうが、ディスリスペクトな態度だったりが腹立たしくてたまらない、強烈なネガティブ体験だ。
そしてこの衝撃は、実際に経験してみないと非常に想像しにくい。
必ずしも自分が作ったり、携わったものが、というだけでなく、自分の推しているものがパクられないと、この感情はわかりにくい。
一般的には、パクられる痛みを経験したことのない人間のほうが圧倒的多数だろう。
そういう人間側視点だと、パクリ騒動って、「権利をうるさく主張する小姑」くらいに見えたりするんだよな。
それを見て外野は、よくわからないゆえに雰囲気でパクられた側を叩いたりする。
パクリとオマージュの違いがわからないやつも参戦したりして定義問題から始まったりと、本当に地獄の様相を呈する。
パクられたことがないやつは黙っとけ。
さまざまな界隈で日々話題になるパクリ騒動だが、いつも思うのは外野の心無い声がでかすぎること。
どんな騒動でも外野は口をつぐんでいるのがベストだと思っているが、パクリ騒動は特にそう思う。
あのな、自分の思い入れのあるものがパクられた経験のないやつは黙ってろ。
パクリ騒動は、パクリで心を引き裂かれた人間とその経験のない人間の差が大きすぎる。
パクられるってのは、それを経験したことがあるやつじゃないとわからないくらい大きなショックを受ける。
法的にセーフだろうが、ディスリスペクトな態度だったりが腹立たしくてたまらない、強烈なネガティブ体験だ。
そしてこの衝撃は、実際に経験してみないと非常に想像しにくい。
必ずしも自分が作ったり、携わったものが、というだけでなく、自分の推しているものがパクられないと、この感情はわかりにくい。
一般的には、パクられる痛みを経験したことのない人間のほうが圧倒的多数だろう。
そういう人間側視点だと、パクリ騒動って、「権利をうるさく主張する小姑」くらいに見えたりするんだよな。
それを見て外野は、よくわからないゆえに雰囲気でパクられた側を叩いたりする。
パクリとオマージュの違いがわからないやつも参戦したりして定義問題から始まったりと、本当に地獄の様相を呈する。
パクられたことがないやつは黙っとけ。
案の定トラバにパクられたことも、これからパクられることもないやつが集まったな
ただ権利を主張するという文体がなんとなく傲慢に見えるからなんとなく反抗するだけ
そういう態度がらいんっつーこと
ようするにトンポリな
>徹頭徹尾一言一句知るかバーカで構成されている名文 なにか作る前にまずは法律を勉強して遵法意識を持とう
パクられた側の話をしてるのに、なぜか遵法意識という言葉が飛び出す馬鹿ぶり
論点ずれてるくせに言いっぱなしはださいから、国語やろうね。めいぶんがいっぱいだよ
>おまえがパクられたわけじゃなくて草おまえもパクられた奴ではないんだから黙ってろよ
何の件についてか知らんが何にも言及してない
>日本なんて欧米のパクリだけで構成されてる国の国民に言われましてもね…。
>パクられたことで何か損害が出ているわけでもないし お気持ちの問題だけだったらお前がSNSに出てこないほうがいいよ
パクられた側は損害がでるんだわ
損害の話なんで、黙って口をつぐむのは悪手なんだが
診断済みADHDのパートナーとの関係にどうしたもんかなと悩んでいる。
付き合ってしばらくして、ひょんな会話の流れでADHDであることを聞いた。
あ~あれは多動、衝動、不注意、過集中だったんだなと、今までの出来事を思い返して合点がいった。
むしろ、それらの行動が「増田に対する好意や信頼が足りないから」ではなかったことで安心できる部分も大きかった。
例えば増田がプレゼントしたアクセサリーをパートナーがなくしてしまったとする。
それが「アクセサリー(あるいは増田)に対する思い入れのなさによる」不注意なのではなく、
「どれだけ気を付けていてもなくすもんはなくす」特性なのだから仕方ないとは思うし、さして怒ることもない。
しかし現実としてプレゼントしたものをなくしたのは向こうなのだから、せめて「ごめん」の一言くらいは欲しい。
確かに仕方のないことではあるが、あるのだが、
「仕方ないじゃん」と向こうが言うのは筋が違うだろうと思ってしまう。
これについてADHDの特性というか、ASDが混じっているのでは? とも思うのだが
恋人はおろか友人にも言わないだろうというような、いわゆる配慮の足りない発言も気になるようになってきた。
今の言い方は傷ついたのでやめてほしい、思っていてもせめてもう少し柔らかい言い方を選んでほしいと頼むと
やはり「ごめん」の言葉はなく、代わりに「これが自分の性格なので気にしないで」と返された。
瞬間、コミュニケーションに当事者意識のない、とても相手任せな発言だなと思ってしまった。
注意をしていてもものをなくしてしまう、言葉を選んでほしいと言われても選べない、
だからこその発達障害だし、パートナーであればなおさらできる限りのフォローはしてあげたいと思う。
でもどうしても「仕方ない」も「気にしないで」も、言うのは増田であってあなたではないと思ってしまう。
一対一の関係なのだからよりよいコミュニケーションを図れるようお互いに協力していこう、という意識が見えないのがたまに腑に落ちない。
もういい年齢をしているし、遠くない将来には結婚もしたい。
だからなのか、上記の態度さえ改善されればと思わざるを得ないことが多く、どこか気持ちに熱が入り切らないのが正直なところだ。
今までも周りに発達障害者は複数人いたし、扱いが難しいと言われる人とも人並みよりはうまく付き合えていると思っていた。
でもパートナーとなるとこうも話が変わってくるんだなと日々感じている。
もちろん増田自身の発達障害への知識・理解が不十分なのはあるだろう。
世の「理解のある彼くん/彼女ちゃん」はどうやってこの感情と折り合いをつけているのだろうか。
不満にも勝る愛の力で乗り越えているのか?
だとすれば、そこまでの力は増田にはないのかもしれない。
昨年末から文春の一件で、はてブも増田も騒ぎまくってる大して思い入れがないから話題に入りづらい。
今年度で37歳だけど、世代的なもんかね。
90年代だとまだ小学生だったし、そのとき夢中で見てたのはウリナリやめちゃイケみたいなバラエティ番組がメインだったからな。お笑いが主体の番組だとバカ殿みたい、動きがあって子供に分かりやすい笑いの番組なら見てたけど、それ以外は全く持って記憶にない。たぶん見てすらいなかったと思う。
「伝説の教師」と「明日があるさ」のドラマを見てたから、松本人志自体はそこで存在を認知してたけど、それくらいか。
そういや、吉本芸人をなぜか昆虫化したメディアミックス作品で「ヨシモトムチッ子物語」ってのがあったけど、そこでもあまり出番がなかったな。
サブスクなりで既存の曲の配信が決まって熱狂的に喜ぶというのが謎だ。
スピッツとかハイスタとか、結構ネットで話題になってた気がする。来たら多分ブルーハーツとかも。アイマスもよう知らんけどするとかしないとかで騒がれてた気がする。気のせいかも知れない。
熱狂的に喜ぶくらい入れ込んでんなら音源持ってるんと違うのって思う。「本当」のファンなら云々という美味しんぼじみた話ではなく、ごく常識的な考えだと思う。そうでもないなら思い入れと喜び方が釣り合ってないでしょって。
それこそアイマスとか、その手のコンテンツで曲が膨大にあるとかならまあ分かるかもしれない。揃え切れなかった分をサブスクで選び放題なら嬉しいかもしれない。
音源は持ってないけど、たまにyoutubeなりで聴く程度の曲が配信決まって、お〜来たかってくらいの喜びならそれも分かる。ただ歓喜するほどの熱量には見合わない気がする。
音源持ってるけど単にローカルのやつ流すのが面倒で、配信が来てちょっと便利になった事に対して喜ぶのも分かる。ただこれも熱量に見合わないと思う。
正規で入手出来る音源がなくて、ついにサブスクで実現されたのなら熱狂するかもしれない。
でもそんな事ある?って思う。インディーズとかならいざ知らず、ネット上の話題としてそれなりに通用するレベルのグループで……
株式会社Wacomは、高品質なペンタブレット類を筆頭に、クリエイター向けのデジタル製品を展開する埼玉県の企業だ。
超有名ペイントソフト『CLIP STUDIO』のセルシスと提携してイラスト情報サイトを運営したり、YouTubeにて著名作家による液晶ペンタブレットでのメイキング動画を配信するなど、顧客だけではなく、クリエイティブの世界全体に寄り添ってきた印象の強い企業だった。
そんなWacomが、言うまでもなく数多のクリエイターから侮蔑され、今に至るまで常に批判を浴び続けているAI生成画像を広告に使用した。
当然、界隈には激震が走り、すぐさまWacomは非難と誹謗中傷の雨あられにさらされることとなった。
全ての発端となったその画像は、Wacom米国支社が新春セールの告知バナーとして掲載した画像に使用されている龍のイラストだ。
それは昨今の精緻化しつつあるAI画像事情を考えればまったく稚拙と言っていいAI丸出しっぷりのカスみてえなクオリティのポンチ絵であり、切り抜きすらガバガバで、目にしたユーザーが正気を失うのも無理はない瘴気を放っている。
Wacomの弁明によればストックフォトサイトから購入した画像であり、説明には手描きですって書いてたらしい。信じるなよ。
ゆえに、
①ペンタブという、血と汗と涙を流してがんばるクリエイターの相棒となる機器を売っている会社が、クリエイターの成果物を無遠慮に搾取して作られたAI画像なんぞを広告に使いやがったことへの怒り
②たとえ本件が広告代理店単独のやらかしであってWacomは悪くないのだとしても、創作の現場と密接に関わってきたはずのトップ企業があんな分かりやすいAI画像を見抜けなかった、あるいはチェックさえせず素通りさせた可能性があることへの懐疑
③そもそもWacomとかいう超有名かつクリエイターと親密なはずの企業が、自社の広告に使うイラストを新たに発注せず、ストックサイトから拾って済ませたことへの落胆
④ユーザーの告発がバズったさいに、迅速な対応を見せることなく火元の投稿を無言で削除してしばらくだんまりだったうえ、ようやく出た謝罪文がどうも歯切れの悪い内容であることへの🤔
⑤Wacom製品の宿痾であるタブレット用ドライバの虚弱体質への不満が炎上ついでに大噴出
上記を主な理由として燃えに燃え、もはや消し炭すら残さないフェーズに入っている。
自分は生成AIをゴミだと思っている人間であり、Wacomのbambooに導かれて絵を描くようになったおえかきオタクであり、同じくWacomが展開する液晶ペンタブレットのフラグシップである"Cintiq pro"に憧れてきた一介のユーザーであるため、Wacomが燃えているのは我が事のように苦しく、歯痒い。
はじめはWacomに対する困惑と、とにかくは炎上を追わねばという気持ちだけがあり、なぜAI画像を使う羽目になってしまったのかさえ知れればよいと思っていた。
だが、炎上が際限なく広がり、どこまでも飛び火しまくっている現状を見るほどに、自分でもよく分からない様々なお気持ちや悪態が自分の内で噴き出しまくってないまぜになり、どう整理すればいいかさえ分からなくなってしまった。
非難にあわせて拡まった不買運動や、やおら他社製品の液晶ペンタブレットを持ち上げ始めるインフルエンサーの挙動にイラつく自分も情けない。
その代替として挙げられた製品だって過去にAIで広告作って燃えてるし、そもそもそいつらがCintiqに敵うものかよ。
一方で、そんな悪口が出てきてしまうのは、私が持ち合わせているある種の国粋主義的な、権威主義的な部分が強く認知を歪ませているせいであるという点を否定できない。私はWacom信者だ。恥ずかしながらこの目は曇っている。
なんにせよ、よく分からないお気持ちを抑え込むことさえできない自分があまりに馬鹿みたいでつらいのだ。
AI慎重派の筆頭論客でもある某イラストレーターが「XP-PEN(Wacom以外であれば真っ先に候補に上がる中国の優秀なメーカー)の液タブ買ったよ」というツイートをしただけで「Wacomへの当てつけかよ!!!?!!!!!!!?!」となってしまう自分の単細胞が恨めしい。
だから、彼がとてもとても理性的な筆致で書いてくださっていたnoteを読み、示されていたフラストレーションの殺し方のすすめに従って、こうして文章の形で消化しようとしている。私は絵でしめすより文章をしたためるほうが相対的に得意だから。うまくいくかな。
思いついた順に書く。くどいので今後は液晶ペンタブレットを「液タブ」と表記する。
本件を概観するうえで見落としてはいけない気がするファクトとして"Wacomの液タブ"という存在・概念が、デジ絵に親しむ者にとっては単なるハイエンド製品に留まらない、絵描きとしてのステータスシンボルでさえあった実情がある。
「Cintiq」という名は単なる製品の名前ではなく、それこそCHANELの「N°5」のような、ある種の象徴を背負ってきた。なぜなら長い長いあいだ、Cintiqこそが唯一の“本物の液タブ“だったからだ。
どういうことかといえば、Wacomの特許でもある電磁誘導方式(EMR)という動作形式で作動するの液タブは、長らく新生Cintiqシリーズしか存在していなかったのである。
EMR方式は、グラフィック用タブレットの動作方式として最も優れていると言っていい代物だ。飛び抜けて高度な筆圧感知と動作検知能力を持つため、まるで紙に線を引くかのように繊細な描画が可能であり、ペンの充電に煩わされることもない。
かつては板タブの専売特許であった強力な描画能力を、液タブだてらに誇示してみせたことでCintiqは伝説となった。
EMRの特許が切れた現在となっては、他社も盛んにEMR方式の液タブを発表しはじめているものの、依然としてそのクオリティの高さは変わらず、Wacomの歴史に根ざした信頼もあって、“Cintiqという名前“は永遠に“すんげーつよつよ液タブ“の比喩であり続けている。
趣味であれ生業であれ、デジタル創作に親しむ人々はみな、ショーウィンドウ越しのトランペットを見つめる黒人少年のごとく、Cintiq proに憧れながら絵を描いているのである(主語デカ案件)。
だからこそ、"あの"Wacomが!!?という衝撃は大きかった。よその企業がAIを使いやがったときのそれとは、話が違うのだ。
むろん、いくら創作にまつわる機器を扱う会社だからといって、告知に使う全てのイラストにコンペを設けたりできないことは、さすがに分かる。
それでも、だとしても、誰しもが「なんで社内イラストレーター使わねえんだよ」と失望するほどには、Wacomの名前は重かったのだ。
当のWacomにさえ抱え切れないほどに。
また、消費者による企業への信頼とはすなわち資本への信頼でもある。
ただ、ただ単純に「高え金払ってんだからしっかりしてくれよ頼むよ」という話だ。
「Cintiq pro27」とかでググっていただければ分かるとおり、Wacomのフラグシップ製品は、おしなべてアホみたいに高い。Apple製品とタメを張るくらい高い。ちなみに企業姿勢もどとこなく似ているところがある。
Wacomがどんだけ儲かってるかは知らんけど、あんな高いもの売ってるなら相応にお行儀よくあってくれたまえよという話なのだ。
これはカスタマーが企業に怒りを覚えるポイントとしてあまりに分かりやすく、またその気持ちを分からない消費者はいないだろう。
ちなみに、米WacomがAI画像をうっかり購入したフォトストックサイトが、よりにもよってAdobe Stockであるのも見逃せない点だ。
かのAdobeもまた、AI魑魅魍魎に占拠され AI汚染の震源地とすら揶揄されるようになったAdobe Stockの有様をユーザーに咎められ、「高えAdobe税払ってんのに自社のフォトストックすら守れねえのかよ」という失望を集めて絶賛失速中の身である。どうも示唆的なものを感じずにはいられない。
ただまぁ、個人的に上記の諸々は単なる背景情報であって私には正直どうでもよかったりする。ここまでクソ長々と書き綴ってきたうえでこんなことを言うと正気を疑われるかもしれないが。
私はただ、頭が固くて権威主義で旧弊なオタクであり、Wacomを埼玉の誇りだと思ってる埼玉県民ゆえ、ただただ、たった1回の過ちでWacom製品を投げ捨て、""有象無象"“の""中華""製品に手を伸ばせるみんなのフットワークが信じられないのだ。
そして今回の傷が重篤な致命傷なのは否定できないとはいえ、なにもWacomが主体的にAIを推進したわけでもないのにここまで炎上が広がっていることに引いているのだ。
なんかこう…例えばCintiqの次世代モデルにAI積みますとか言い出したわけでもなく、ただAI画像をなんとなく手にとってしまっただけなのに、叩かれすぎじゃないかと思うのだ。確かに迂闊で許される範囲じゃないとは思うけどさ。
とくに、まるでWacomが生成AIを大歓迎し、諸手を挙げてユーザーに押し付けようとしている企業であるかのように罵っている一部のAI慎重派の言動はあさましく思えて仕方がない。
むしろWacomは絵柄を署名のように扱える技術を研究し、「AIでAIをぶちのめす」道を探ろうとしている途上にあるというのに、というかその話題が出た当時はみんなしてさすワコしていたというのに……。
……長い長い冬を抜けて、ようやく著名なイラストレーターの方たちでさえ腹を括ってAIの被害を訴えてくださるようになり、ここ最近にきて生成AIに関する議論が持ち直したように感じられる場面が増えたように思う。
一方で、その暗い冬のあいだに摩耗した精神を顧みぬまま、あれもAIこれもAIAIAIと呪詛の言葉を撒き散らすようになってしまったインフルエンサーの方が何人か思い浮かぶ。
特に、最近になって「2023年8〜10月以降にいきなり生えてきためちゃうま絵師は基本AIだと思え」というド失礼な認識が自然発生し、ぽつぽつと苦言が出ることがあっても、とくに大きな反発もないままその認識が界隈に定着したのを見たとき、私は「底が抜けてしまった」と思った。
そこに畳み掛けるようにして、絵描きの最良の友であったWacomへの過剰な警戒がドバドバドバドバ噴出しているのだ。しっちゃかめっちゃかだよもう。
AIbroが吐き捨てていった「AI規制派はフェミ!」というお里が知れる鳴き声を、彼の意図した形ではないとはいえ、私は捨て置くことができない。
今の「AIカスどもVS絵師とかの連合」の泥沼バトルは、慄然とするほど「"フェミニズム"VS表現の自由」の界隈が辿った道筋に似すぎているのだ。
あの人たちはどうなった?
ギャグみてえな炎上の渦中にあっても気高く振る舞ってきた、"フェミ"と蔑称されるいわれなき本物のフェミニストたる女性達は、数回の炎上ですぐさまインターネッツ・レスバの無意味さを悟り、彼女らがまだ"まなざし村"という懐かしい名で呼ばれていた時代の終わりと共に雲隠れしてしまった。
こうして萌えコンテンツをひたすら理不尽に憎み、ダブルスタンダードな思想を振り回しながらLGBTに迷惑をかけまくる、だいぶ苛烈な女性だけが鼻息荒くリングに残ることとなった。
一方の"オタク"の側も、愛するコンテンツを守りたい一心で不器用にも声を張り上げていた層が、本当はそんなふうに怯えなくてもいいことを知り、安心して去った。オタクコンテンツを傷付けやがる連中の正体見たり枯れ尾花。好きなものを愛でる時間のほうがよほど大切なことに気づいたのだ。
そうして気持ち悪くて不謹慎な処女厨の童貞が一番カッコいいという化石じみた価値観のまま、アニメやゲームに言うほど思い入れがないにも関わらず、現実の女性を逆恨みする原動力として自分をオタクだと思い込まねばならない可哀想な男性だけがオタクのバトンを勝手に引き継いだ。
そんなこんなで、かの界隈は"炎上のための炎上"の火の手が毎日どこかしらで上がり続ける、オタク嫌いとミソジニストがこの世の終わりみたいなナワバリバトルをやるだけの地獄と化してしまった。
他人事とは思えない。
「絵が描けるだけで好きなだけイキれてvtuberにフォローしてもらえるキモオタどもが羨ましい」という凄惨な嫉妬が胸の内で渦巻いていることにさえ気づけないまま、自分は最先端技術を理解しているすてきなテックギークだと心から信じて、満たされることなく価値のない画像を貪り続ける“彼ら“の壮絶さを思えば、相対する我々はたしかに、さすがに、今のところは同じ場所まで堕ちてはいないと言っていいだろう。
今のところは。
だが、その尊い正気が首の皮一枚でつながっているに過ぎないことを、前線にいる多くのひとが忘れてしまっているように思う。
自分がすぐにでも怪物に成り果ててしまうほど疲れ切っていることに気づかず、このまま怒りと悲しみを免罪符にして諍うだけの日々を送っていれば、すぐにでも炎上の熱狂と、レスバのライブ感に飲まれてしまうことだろう。
これは自戒でもある。
この戦いはコップの中の嵐ではない。
議論の場としては最悪なインターネットが唯一のフィールドというのも逆風だが、それでも。
非常に緩慢なテンポで、ときに腹立たしい揺り戻しに見舞われながらも、世界は確実に、ゆっくりとまともな方向に舵を切ろうとしている。
それもこれも、生成AIという忌子の産声に迅速に反応し、大衆がことの重大さに気づく前から、狼少年のような扱いを受けながらも折れることなく声を上げ続けてくれた人々がいたおかげである。
あなたたちが戦ってくれたからこそ、ようやくたくさんの人々が目を覚ましはじめている。
だから、我々はその目を裏切ることなく戦い続けなければならない。
だから、少しでいいから、休んでほしいのだ。ふと立ち止まるだけでもいいから。
この局面にあって、些細なことから「やっぱ反AIって頭おかしいわ」と思われるような事態があってはならないのだ。
私は恥ずかしながら、かつて表現の自由戦士と揶揄される感じのあのへんの活動に片足を突っ込んでいた。
そしてその日々の中で、素晴らしく聡明で、洞察力があって、敵を糾弾する時も優しさを忘れない、人間としても尊敬を集めていたオピニオンリーダーがある日突然ぶっ壊れてよくわからないことを言い出し、クソほど炎上するのを何度か目にしてきた。敵にも味方にもそんな人が出ていた。彼らはそのまま、“炎上のための炎上”をやるためのゾンビと化していった。
思い返せば彼らはいつも最前線に立って、独りで戦っていた。“界隈の人間ではない“人間がそばにいて、エコーチェンバーの反響を適度に遠ざけることさえできていれば、ガス抜きさえできていれば、何かが変わっていたかもしれない。
怪物と戦うものが怪物にならない方法は、ひとつだけ。連帯することだけだ。
あなたたちの仕事は言うまでもなく私が、そしてなによりあなたたちが呼び覚ました無数のビジランテが引き継いでいく。
だから、少しでいいから息をついて、AIbroどもにもみくちゃにされる中で削ぎ落とされてしまった何かを取り戻してほしい。我々にとってあなたたちが必要だからこそ、壊れないでほしいからこそ、私はこんなことを言っているのだ。
Wacomを許せるなら我々はまだ引き返せるはずだ。
このエントリがあなたたちの目に入ったら、お前は手ぬるいだの悲惨な現実を理解できてないだのの有難いお言葉が飛び出してくることだろう。
確かに前半のWacom擁護は、贔屓にしている会社かわいさゆえの妄言ではあると思う。正直。
でも、後半で言っていることを取り下げるつもりは絶対にない。
現実がまじくそだとしても、だからこそ、意地汚くAIを押し付けてくる連中とこれからも戦っていくためにもここで少し立ち止まり、あたりを見回して我が身を振り返らねばならない時期にきていると私は強弁する。