はてなキーワード: 自己責任教とは
全然分からない考え方だな…という思いと、他の考え方とのバッティングがあるから慎重に考えないといけないなという思いが両面ある。
ある程度の歳の人間の行動は、その個人のみが責任を取るしかないと思っている。(保証人とか企業での法的責任とか、そういうのは別で)
そこで家族や環境のせいという考えがよぎるとすれば、その思考自体が他責的、自らの責任を放棄する無責任なもので、むしろ罪を犯す弱さに近付くような気がしてしまう。
それと同時に、本人のみに原因があるという思考はどこか自己責任教的な、個人を社会から切り離し、根本原因に目を向けない、表面的な解決を優先する無責任さを持っているようにも思える。
思想自体には共感しないけど作品は好きなのでフォローしてちょくちょくRTしたりふぁぼを送っていた。
でも最近どんどん言動が酷くなりつつあり、さすがに見てるだけで辛くなってきた。
与党全肯定はともかく、自己責任教・女叩き・トランプ支持・ニッポンスゴイ・コロナはただの風邪と満漢全席フルコース。
気に入らない相手をコケにしないと気が済まないらしく、朝から晩までずっと周囲に対する呪いをまき散らしている。
あれこれ色んな話に首を突っ込んでドヤ顔で解説しているのに、知ったかレベルの浅い知識しかないもんだから誰からも相手にされていない。
人間関係がうまくいかないことが悩みのようだが、そりゃそうだろう。
でも、それなのに、作品はほんっっっっっっと~にイイんだよなぁ・・・。
なんでこの人格からこんなに愛あふれる感動的な話が出てくるのか不思議だよ。
誰ともまともに関われないから、創作物の中で理想の関係性を構築しようとする執念によって作品の強度が上がっているのか?
逆に、常に配慮が行き届いた言動と誰からも好感を持たれるようなチャーミングな性格で絵師仲間はたっくさんいるけど、作品が絶望的につまらない人も結構いる。
コミュニケーション欲求がちゃんと満たされているからか、「・・・で?」としか言いようのない毒にも薬にもならない5秒で忘れるような薄い話ばっかりなんだよな。
[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る
https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK
富岡、浪江、飯舘の3町村の住民は原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。
つまり、被災者たちは強制的に避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである。
今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」
Sさんたちの住む東雲の国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。
完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html
宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。
震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。
地震が起きたとき、男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波で生活に必要なものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。
「市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなたの場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、
『あなたの場合、自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者の男性)
国は災害救助法の運用基準で、仮設住宅に入居できる対象を原則として次のように定義している。
「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府の告示)
70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。
「うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性)
[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子店 Tさんの9年
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html
岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケートの自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。
Tさんは東日本大震災の津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います。
Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族で住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。
しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅で不自由な生活を送りながら仮設店舗で営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料だけが増えていく日々が続きました。
▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージの言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志と希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています。
当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジにお金を入れたこともあった」と語りました。
それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。
工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。
震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。
Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政の方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。
ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅が高台に移転し商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。
Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています。
なるほど。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
いくつかのブックマークを取り上げてそこに共通性を見出すなんて
あたまいい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ustam
言い方が悪すぎるわwww
山本太郎となかまたちを擁護するのに、よりにもよって自己責任持ち出すって、いったいどういう理屈なんだよwww
cha16
年収220万円だと、支払っている税金の額より価値のある行政サービスを受けたり、いろいろ減免されている可能性が高いと思うけど。この間ホリエモンがそんなこと言って炎上したときどう思っていたの?
ほーら出た出た、例によってれいわ擁護のためにネオリベを正面からぶつけにかかるこの珍ムーブwww
でこういう輩に限ってまた、自分がかわいそうだと同情した奴が似たような低収入だったら「この人が本来得るべき金を上が搾取している!」ぐらいのことは普通に言っちゃうわけじゃんw
同情してたらw
apct
怒りの矛先は、高いお給料もらっておきならがらも何もせず、低所得者から税金をむしりとるようにしてきた政治家に向けるべき。あと、自分より弱い人間の年収があがったことをひがむ前に、スキルアップして転職しよう
そしてこいつもタゲそらししつつ結局「政治の問題じゃない、お前が悪いんだ」と自己責任をぶつけにかかる
だったら最初から誰が政治やろうが、れいわの議席がいくつあろうが、みんな同じことだろうが
そうじゃないという期待を勝手に抱いてしまったのが間違いだったと言えばそれまでだけどさ
いやもうさあ、お前らって自分の感情移入のありなしだけで、ホント別人みたいになるよね
Fushihara
彼らが頑張って障害者保証が今より手厚くなれば、あなたが病気になった時に恩恵を受ける事が出来るんだよ。それが出来るなら一人二人に2000万くらい安い安い
うちの身内にも増田の親父みたいになった奴がいるからよくわかるよ。
うちの場合は弟で、全貯金と子供の学資保険をつぎ込んで独立事業やろうとしたらそれ全部とかした上に1000万ちかい借金作ってね。そっからはもう実家にひきこもって子供の世話すら放棄して高齢の親に責任なすりつけてヒモになる人生えらんだよ。まーなんとか叩き出したけど親も住み慣れた家を失って70歳超えても働く羽目になって極貧生活よ。
増田にはうちのようなバッドエンドは迎えてほしくないので、うちの失敗談からえた教訓をいくつか教えておきたい。
まず親父さんは現在は病気やら借金やらで心が完全に折れて、もはや自身で問題に対処するのを放棄した状態だと思う。人間ってどん底に落ちたさいに「自己責任教に陥って心を病む」か「周りや家族に責任を擦り付けて自分は悪くないって言い聞かせる」の2タイプがいると感じるんだが、親父さんはどうも後者のようだな。
まず母親に親父さんの借金返済させるのをやめさせよう。「長年付き合いがある業者に悪い」といっているが、どうせ破産したらどっちみちある程度は踏み倒すことになるから一緒だよ。だから母親の精神に余裕があるうちに取引先の人には「申し訳ないですが、もう無理です。今後は主人に直接連絡してください」と頭さげてお願いしましょう。親父さんはお母さんが頑張って回している間は自身の問題に向き合う気にはならないよ。
法テラスとか役所の相談窓口に相談にいくのも悪くない。ただ最初にいっておくけどそれで問題が解決することは期待しちゃダメ。破産するにせよ、離婚するにせよ、そこから逃げるにせよ、結局は本人たちが重い腰をあげて動くしかない。しかも破産やら借金の整理なんかは親父さんが自分でやらないと何も進まないし今の状態じゃそんな周りがいくら騒いでも自分からは何もせんだろうね。だから取引先への借金支払いもやめて、親父さんに直接プレッシャーがかかるように仕向けて行こう。まぁもし離婚したときのことを考えて、今のうちに母親が住める低所得者用住宅に応募しておくのは悪くないかもね。
ただ法テラスや役所が何もしてくれなくても、あきらめずに助けを求め続けるのは大事だからめげないでね。その時の担当者との相性によっては、いままで自分たちが思いもつかなかった対処法を教えてくれることもある。役所の人やNPOのソーシャルワーカーとかけっこう当たりはずれがあるから、担当が変わって対応が激変することもよくある。だから最初は冷たくされても違う担当の方がいたらまた助けを求めていってほしい。
直接的な解決法はないです。時間をかけて実家の事情を整理して伝え続けて、母親と姉の味方を増やして少しずつ外堀を埋めていきましょう。その過程で親父さんはどんどん素行が悪くなり家族に怒鳴り散らしたり暴力をふるうことが増えると思いますが、そのときは実家から離れた増田が一番冷静に対処できるはずなので、容赦なく警察をよんでください。(ただ家族間での喧嘩では警察は来ても話を聞くだけで大したことはしてくれませんのであまり期待はしないように)
もしうまいタイミングで親父さんを精神カウンセリングなどに連れて行って専門家に相談させることができたら是非やってください。うちは無理でした。。。なにせ本人が自分の意志で通院しないと無理ですからね。逆にそれくらい自身を客観視できたら親父さんも救いがあるかもしれません。
ともあれ今後本気で実家の問題に取り組むなら、泥臭いうえに金のかかることが多いです。とにかくこまめに母親とお姉さんと連絡を取り合って、外部でいい専門家ともコンタクトして長期戦で臨んでください。状況が厳しくなったらまた書き込んでください。