はてなキーワード: リスペクトとは
メビウスの41話「思い出の先生」はなかなかに過去の作品をリスペクトしていて
食いつぶせる遺産とは思っていないと思うけど…
俺も「思い出の先生」好きだし、ティガの「ウルトラの星」も大好きだよ。
古いとこだと「ウルトラセブン参上!」や「ウルトラの星光る時」なんて脳汁出まくるしね。(帰マン好きなの)
こういう愛に溢れた感じでたまーにやってくれるなら全然歓迎なのよ。
新作が始まるとYouTubeで予告だけは見るからどんなのかは知ってる。
ポケモンみたいに山ほどカードやら人形、ガジェットを持ち歩いてて、
「行け!ゴモラ!」「頼むぞ!タロウ兄さん!」みたいなのでしょ?
そこにはまったく愛を感じないね。カプセル怪獣じゃないんだから。
だよね。ライダーも同じだよね。
その後は買収先とバンダイナムコが主導で作ってる
以前はウルトラ大好きだったクチなんだけど、ここ10年くらいとんと見なくなってしまった。
マックスくらいまでは「先人達をリスペクトしつつ、新しいものを作ろう!」という志の高さが感じられた。
「第三惑星の奇跡」なんて「超兵器R1号」や「怪獣使いと少年」に匹敵する名作だと思う。
でもそれ以降、大集合映画を乱発したり、ポケモンもどきの大怪獣バトルやセブンの息子など
過去の名作たちを「困ったときに食い潰せる使い勝手のいい遺産」みたいな感じに扱いはじめたんだよね。
デザインもどんどんゴテゴテしていって、小物玩具を売るためだけの番組に成り下がった感が出てきた。
放映権もテレ東に移って、再放送なのか新作なのか良くわからない放送形態。それが嫌で見なくなっちゃったなぁ。
リファインしてるデザイナーの言う通りにできないのであれば元の設定画に忠実に仕上げてほしい。
小顔、腰高、足長のウンコパティーンをなんでもかんでも適用しようとしないでほしい。
ディジェのウンコアレンジとウンコ筋彫りには心底失望したし、百式のディテールは凸凹と溝が無意味に走ってるだけのウンコだし、
ハンマハンマの予告画像も設定画とくらべて妙なアレンジががっちりキマっている(笑)
社内にデザインについて生半可にかじった発言力のあるクソがいるんだろうなと思う。
思えばレイズナーからウォーカーギャリアの流れも本当に汲み取り式ウンコだった。
バンダイのクソデザイナーがクソみたいなアレンジを施して汲み取り式トイレの中にボトボトと溜まっていく様子は見るも無残だった。
ギャリアだけは(あ)の人のおかげで到着すべきところに落ち着いたが、評価できるのはそれだけ。
ダンバインもクソだったな。リアルな軟便だった。設定画にも世界観にもまったくリスペクトがなかった。
売れ筋ではないレアなものは(レイズナーとかバーザムとかハンマハンマとか)は出るだけで嬉しいものだ。
そういったレアなものは商品化自体が奇跡だから、まずは普通に設定画に忠実な物を欲しいんだよ。
クソアレンジのキマった、ウンコを鼻から詰めて匂いを楽しむようなことはして欲しくないんだよ。
ガンダムとかザクは商品化に恵まれてるから奇抜なアレンジ物でも欲しいなって思う。普通の物がすでにあるわけだからね。
ディレクターの資質もまるで無いからデザインをどんな形でどのようなスタイルで着地させればいいのかもわかってない。
プラモデルの成形の技術、部品割の技術、デザイン画を立体にするにあたりどのように簡略化できるのかの妙を持つ技術。
何が決定打なのか分からないだけれども、人から打てば響くタイプなのだと思われるようだ。
学校、アルバイト先、職場などで、様々な人の下についたけれども、明らかに仕事の内容プラスアルファの哲学のようなことを説かれる。
そして、大体そういうことは自分から失敗したからお前にはして欲しくないんだということでうんざりする。
そこが出来ていないから、こちらとしてはリスペクトしきれない箇所を、ここぞとばかり説かれる。
本当なのか常套句なのかわかないけれども、お前にだから言うんだぞという、いらないプレミアム感をつけていうのかわから腹立たしい。
そういうことを言われて、受け入れたふりをして納得出来ないで、ストレスを感じ、そのコミュニティを去る、っと言ったパターンが何回かつづいているのだが、どんなコミュニティ・上下関係と、こんな苛立ちを感じるものなのだろうか。
もし、あいつはほっとこうと思われて、上からの哲学的なことの押し付けがないなら、最初から放置されるような、分かりにくいような人間になりたい。
マタニティマークとは?
・ 妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするもの。
・ さらに、交通機関、職場、飲食店、その他の公共機関等が、その取組や呼びかけ文を付してポスターなどとして掲示し、妊産婦にやさしい環境づくりを推進するもの。
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おれってコミュ症じゃん?
でも電車で座った方が良さそうな人見たら譲るようにしてるんだよね。
以前、老婆に気付かず譲らなかったらボソっと暴言吐かれて心折れちゃったからさ。あんな思い二度としたくないじゃん。
ここで譲らないで、もし後で
「電車で目の前に座ってるハゲが席譲ってくれなかった。女が生きづらい時代。夫の給料も低いし死にたい。」
みたいなエントリ見つけたらなんか嫌じゃん。だから譲ろうと思ったんよ。
比較的空いている電車なら、無言で目配せして立ち去るのだけど今日は満員電車。
満員電車で席を譲ると、座ってる自分と立ってる相手の場所が入れ替わる事になる=その場から離れられない。
話好きの人だとその後会話が発生するから辛いんだけど、相手はマタニティストという事でそんなん言ってられない。
おれはハゲでマザコンなので、これからママンになる女には苦しい思いをして欲しくないのだ。
立ち上がりながら「どうぞ、座ってください」と席を指差した。
「は?いやいや、大丈夫なんで」「いや本当に大丈夫なんで、マジでほんとにいいです」
ものすごい拒絶が帰ってきた。おれも食い下がったが、語彙の少なさから、ガチの拒絶と不機嫌を感じた。
2回断られたら止めるのがマイルールだ。これ以上押すと雰囲気が悪くなる。
直後に、おれとのやり取りを見ていなかったと思わしき2席隣の女が席を譲ろうとした。が、それもおれの時と同じ感じで断った。
おれと若い女の2度に渡る席譲りオファーを断ったマニフェストは、目に見えて不機嫌度が増していた。
スマホがフリーズしたのかすごい勢いでホームボタン連打したり、降車しようとしたオッサンと肩が軽くぶつかった時には具合悪そうにクソデカ溜息など、かなりピリついた様子だった。
ここまではまぁ、あるっちゃある話なのかな?
おれ妊娠した事ないけど、大変なストレスが10ヶ月間も続くなんて考えただけでも腹が痛い。妊娠以外にも色んな理由があるのかも知れない。痔とか。
ここからが変だった。
数分後、三茶で世話焼きそうなオバハンが乗ってきて、マタニティーマークをぶら下げたマジリスペクトに気付いて
おれに「この方、妊婦のマーク付けてるでしょ、だから良ければ席を譲ってあげてくれませんか?」と言ってきた。
あ、めんどくさそうと思った瞬間、マトンテイストが声を荒げた。
「「こ、こわい!!やだ!!!」」周りの乗客たちが唖然とする中で、おれの心はすっかり折れてしまった。
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あのマークってのは
「わたし妊娠してて情緒不安定なことあるけど全部察して許してね」のマークなのかい?おれはあの時のマッドサイエンティストの気持ちが知りたい。
ラブライブ!サンシャイン!!ってあるじゃないですか。
主人公の高海千歌ちゃん、先輩スクールアイドルμ'sに憧れつつも、彼女たちのように「輝く」ことなんてできないよ…と悩み続けていたのが記憶に新しいです。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、高2になっていた。」
失礼な言い方ながら、こんな記事を読んでいるあなたのことでしょう。ぶっちゃけそんなに成功した人生を送ってるような方じゃないと思います。
年収が1000万、大切な人がいる、学歴、職歴、持ち家、彼氏彼女、人の価値を人が決める上でのステータスは各々が違います。それが高ければ低い人もいる。その高低で優劣をつけ、普段の生活で「アレよりはマシ」と比較し、なんとか穏やかな生活を送りたいと無意識に思っている。私は22年目の人生で、少ないながらも様々な本やドラマを鑑賞し、そんな人生を送っている人がほとんどなんだろうなと思いました。
年収1000万、大切な人がいる、学歴職歴etc... もしこれを読んでいるあなたが、これらのどれかを実際に所有しているとして、自分のこころに問いかけてほしい。
本当にそれで満足ですか?これまでの人生は胸を張って「満足でした」と即答できますか?
私はできません。
中学でそこそこ勉強を頑張って、そこそこの高校に入り、大学でもそこそこの大学に入り、来たる6月に23回目の誕生日を迎えて23歳になります。
昨年は海外留学も1年経験しました。多くの人とも言語を超えて交流をした気でいます。
来年からは就活が始まります。きっと、そこそこの企業に入るのでしょう。よくわかりません。
前置きが長くなりました。
これを読んでいるそこそこの人生を送るあなたにもうひとつ質問です。
本当に輝いている人をその網膜が捉え、脳裏にその映像が映し出されたとき、人はどうなると思いますか?
応えは、「受け止めきれない」です。
ラブライブ!サンシャイン!!の話に戻りますが、昨日2月25日(土)はAqoursの1stライブが横浜アリーナで開催されていました。
幸運なことに私も参加することができ、座席もセンターステージが近く、トロッコが通る通路真横という最高のポジションで、自分が本当にこんな席に座っていていいのかと思うほど。
はてな匿名ダイアリーで書くようなことでもないですが、私は本当にAqoursのある声優さんと結婚したいと思っています。ガチです。3年以内にLINEアカウントを交換するし、5年以内に結婚する。声優五カ年計画。
そんなことを言いつつも、「やっぱリアルの彼女もほしいよね」という訳で、先日「オタク辞める」宣言を発表したところです。
未だに携帯のアルバムから声優の画像が消えることもないですが、これ以上オタクみたいなイベントに行くのは辞めようという決意。
一方で、「某Aqours声優ちゃんと結婚したら、1stライブの話をされた時に反応に困る。要所要所でポイントを押さえ、共感しないと信用してもらえない。」という推測より、「Aqoursのライブには行こう。あれなら顔も覚えられないし。」という理由で今回のライブに参加した次第です。
結論、甘かった。
一挙手一投足、身体の頭からつま先、手の先の細かいところまで自分でコントロールしつつも、ステージの上で持ち前の若さと経験を武器に誰よりも大きく振る舞う彼女。
普段書かれているブログの文章のように、のびのびとして本当に自由。それでも、時折見せる20歳とは思えない刹那な慈しみの表情。本当に20歳とは思えない。
ライブ中盤。
トロッコを用いた楽曲で、某Aqours声優ちゃんが私のいるサイドへ。残念ながら私がいる方とは反対の、ステージ後方へと私の5m先で舵を切り、網膜がキャッチする彼女はどんどんと離れていってしまいました。
おとなしく切ない曲調だったこと、そしてそのなかでも可憐に踊りながらも私から離れる彼女を見てふと、「あんなに仕草が美しい人類は他にいない、絶対に結婚したい。」と思う。これまで彼女に対して抱いてきた感情で、一番強かった。
「来てよかった。彼女のパフォーマンスを見れてよかった。」そう思っていました。
ここまでは。
2曲目の曲中で、メンバー全員がトロッコに乗り、こちらへと向かって来ました。
私の横には通路、つまりこれから視界に何も遮るものなくAqoursを観れる。ヤバい。死ぬんじゃないか。しかもこの曲だけトロッコのスピードがやけに遅い。めっちゃ真ん前に来るやつ。
そうこうしているうちに、小宮有紗さんを先頭に多くのメンバーが目の前を通り過ぎるものの…私の方向から見えるのは正面ではなく、背中でした。
「それでもやっぱり声優さんってマジ綺麗だな。すげーわ。小宮さんとかあの茶髪どこで染めてんだろ、めちゃ綺麗。」とか油断していたところ、某Aqours声優ちゃんの番に。
「かわいい」
何もできない。
人は無力、何もできない。
あまりにも私の手の届きそうで届かない頭上で輝く彼女の姿を見て、私は何も為すこともできませんでした。
地下ドル現場のオタクみたいに「それ!」って言って指を指せばよかったのか、そんなことできない。思考が追いつかない。
μ'sのときはよかった。ステージの上にはライクの感情はあってもラブの感情を乗せることはなかったから。
南條さんを応援させていただきつつも、ラブな感情が芽生えることもなく、エモい時は「エモいなぁ。すげぇなぁ。」といったところで止まっていた。良くも悪くも。
好きな人がいれば、その動きに魅了され、感情の行き場がなくなる。
それを目の前でインファイト状態でやられたもんだ。無理、輝きすぎ。処理できない。
そしてその瞬間、初めて感じた「ステージ側の人間」と「ファン」の距離。
これまで3年以内にLINE交換したかった私、今思えば本当に甘かった。この両者の距離感を近所にある小川を飛び越えるくらいの難易度だと考えていた。甘い、甘すぎる。
何故なら、ステージで輝く彼女に対して、こちらは何を披露するでもなければ生産してもごくわずかなものしかクリエイトすることのできない「普通の人間」だからだ。
彼女の身振り手振りのひとつひとつには、幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ね、養成所に入り私が想像することもできないであろうレッスンに耐え抜き、私の知らない場所と時間にもレッスンをして、私がのこのこと大学でスマホをいじっている時間にもバイトをし、私が暇だ暇だとぐだりながらバイトをしている時間にも練習をしていたその全ての結果が身を結んだオーラを纏っている。
その動きは、私のような普通の人間では手に入れる、意のままに操れるような代物ではなく、それに手を伸ばそうとしても、ホーリーピークという事務所、バンダイビジュアルや子会社のランティスをはじめとして、様々な権利がその手を拒む。
そもそも、何の努力もこれまでしてこなかった普通の人間と、私の経験してこなかったものを多く見て私の頭上で輝く人間が一緒になっていいはずがない。
大学受験の頑張り?留学の経験?そんなものケツ拭く紙にもなりゃしない。
海外留学で得た経験は所詮は蜃気楼みたいなもので、実際に今日あのシーンを脳裏に焼き付けた瞬間、それを受け止めきれることができなかった。
海外で得た経験なんか声優の前では無力だった、何も受け止めきれない、何も理解することができない。そんなもんですよ。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、21歳になっていた。」
今からでも、変われるんでしょうか。
未だにくだらない下ネタを肴に男友達と笑いあえるメンタル中坊な私でも、就職までのあと2年で変われるんでしょうか。
そんなわけで、絶対に一般人ではないであろう、熱愛結婚報道等でよく用いられる「(お仕事の関係者だけど世間で言えば) 一般男性」になりたい、なろうと思います。バンダイビジュアルにでも就職しようかしら。そう思いつつも、帰りの電車で自分の頭上で起きたことがフラッシュバックしてきては、「本当に好きなのに絶対に付き合えない。無理。輝いてるもん。」とこころの下の方の扉を開けた深海へと今宵も意識を沈ませるのでした。
明日から頑張りたい、変わりたい。そう思いつつも、その一歩を踏み出せないまま明日も普通星人として横浜アリーナの1万人以上のファンのうちの1人と化して、流れるビートに身体を預けたまま、明日へと運ばれる電車で気づけば自宅のベッドに全重力を任せて眠るだけなのでしょう。
「某Aqours声優ちゃん、絶対今回のライブで人気出るよね。ライバル増えるよ、頑張って。」
これに関して一言。
それは関係ない。
果たしてそのなかの何人が、今日私が感じたようなキモチを味わうのか。
ひょっとしたら、そのなかには幼少期から彼女のことを応援し、日の目が当たらずよくわからんスマホアプリのCMに出ていたり、ノルマが課された演劇の舞台へと熱心に幾度も通いつめたファンがいるかもしれない。
ありがとうございます、あなたのおかげで彼女の輝く姿を今日拝むことができました。
こんな気持ちになったのは、幼稚園の頃に同じクラスだった知代ちゃん(仮名)を初恋だとするならば、おそらく2度目。
本気です。
彼女の舞台、まだ原石だった頃の彼女を見ているあなたは本当に羨ましい。時間は止められないと知って、君と早く会いたかったよ。本当に早く会いたかった。
所詮はラブライブ!サンシャイン!!という大箱コンテンツの、しかもアニメ放送後からファンになった身。
それでもやらなきゃならない。吐いた唾は飲まない。そこに関しては徹底して彼氏候補ナンバー1の座を意地でも奪いたいと思っています。
満足した人生を送ってますか?という最初の質問から普通の人として生きるまで。
現状、私はそこそこの人生を送っているものの、満足していません。
「幸せは足元に転がっている」
そうです、そんなことは百も承知です。それでも彼女と笑いあいたい、対マンで。サシで。頼むよ。
本当に満足して生活を過ごしたい限りです、過ごすぞ。
そんなわけで、Aqoursのライブが終わった明後日から生きられる自信がないので、どうすれば声優さんと結婚できるのか。「声優さんになる」以外の回答ができる経験談をお持ちの方は是非ともコメントいただきたいです。飲みましょう。
あと、本当に最後の曲が終わってアドレナリンが出まくってたのか、一目散にステージからセンターへと俊足で駆け抜け、おまけに自分の腰の高さまでありそうなくらいにモンキージャンプをしてけらけらと最後まで満面の笑みを見せた彼女。
4時間にも及ぶステージ。映像なんかがありつつも、やっぱり3時間くらいはステージで歌って踊っているわけで。
いくらダンスが好きだ、愛してると言いつつも、本当に他のメンバーを置いてきぼりにするくらい、アクセルベタ踏みで最高速度を叩き出せるあのスタミナは心底恐れ入った。
3時間のライブをして、普段トレーニングをしてるミスチルの桜井和寿さん。
彼もライブ中によく走るけど、彼女のようなスピードを出しているところは見たことない。おまけに、彼女は3時間のアクトを踊りきった後。
マジで怖かった。アドレナリン出まくってたんだね、表情からでもわかったよ。マジでテンション高かった、やっぱかわいい。
マジで身体のラインが出ていたので本当に辛かった。アイドルといえど、公衆の面前で身体のラインを出すのはやめてほしい。
本日ハマのステージで素敵なパフォーマンスを見せてくれたAqoursのメンバー18人の皆様。そして想い人の某Aqours声優さん。
本当に「生きる才能」がないなと思った。ちょっと他人に気を遣うだけで楽になることは沢山あるのに、もっとまともな食事をしたらいいのに、全然できない。
劇場で偉い人に媚びへつらってる先輩作家とか、仕事をタダで丸投げしてくる先輩作家とかを嫌悪する気持ちは理解できるしこの性格の人なら同化したくなくて馴染むことができないのは当然だと思うけれど。
バイト先で適当に働きすぎなんだもん。彼のバイト先が本業の人にとっては迷惑すぎる。すぐにバックれるし、常に寝不足だし、客商売なのにひどい顔付きらしいし。
こんなに人が嫌いなのにお笑いが好きなのは不思議だと何度も思った。でも途中で彼女ができて凄く素直に愛情表現してるし(フラれるけど)お母さんには愛されてるし(母子家庭で貧乏で大学に行けなかったけど)優しくしてくれた芸人さんなんかには凄く感謝してるし、挫折していった芸人のことをリスペクトしてるんだよね。根底には優しい気持ちがあるというか、とても人間味がある。
「生きづらい」「この世はコミュ強者以外には地獄」みたいな増田でも見るような人の気持ちが少しは理解できて、読んでよかった。
自分のような人間がこういう人達に言えることは何もないんだ。そっとしておくしかないんだね。(別に自分もコミュ強者ではないが、ここまで不器用ではない。彼はお笑いに潔癖すぎ、突き詰めすぎでそうでない人にとっては存在自体が常に自分を非難してるように感じられるのではないだろうか。)
オードリーのラジオは聞いたことがないし伝説のハガキ職人の存在も全然知らなかったけど、途中に出てくる大喜利や漫才の台本は面白かった。才能が表舞台で発揮できないのはとても残念。でも芸能界って旧弊っぷりがすごいもんね、知らんけども。
コンテンツを作るには”教養”が確実に必要になるということが、実際に”教養”のないコンテンツに触れて最近理解できた。
ここで言う教養とは、学問や文化の面だけでなく「人とはどういう生き物か」を理解することも含む。
「教養のないゲームって何?」で実際に具体例を出すと確実に何やかんや言われるのでぼかすが、とりあえず一つの例のゲームについて書く。
そのゲームはまず、他国との戦争や反乱を長年描いてきたシリーズの一つであった。しかしそのゲームは、他国と戦争をしている状況としては、あまりにもキャラクターの言動が軽すぎた。
「軽いって何?」と言うと、キャラクターが戦争を背景としたセリフを言えないのである。”戦争にもかかわらず甘っちょろいことを言ってしまうキャラ”というわけでもなく、
そのキャラの個性を押し付けんがための言動を、TPOを弁えず言わせてしまうのである。”影が薄い”という個性を伝えたいがために、そのことだけを伝えるだけのキャラクターになってしまったりね。
その個性もわかりやすくラベリングされたものが多く、”個性”と銘打つにはあまりに薄い(厨二病・ヤンデレ・地味など)。個性どころか属性の擬人化と言っても差し支えはないレベル。
あとそのゲームはセリフ運びが非常に下手だった。言い方は非常に悪くなるが、対人経験の薄い気持ち悪いオタクが考えたようなセリフをキャラクターが喋るのは苦痛でしかなかった。
公式側が二次創作のノリをそのままするような感じで、目も当てられなかった。
二つに、「作者以上に頭のいいキャラは生まれない」という金言が示すように、”頭のいいキャラ”が実際ゲームをプレイしてる側からするとあんまり頭が良くなく、説得力に欠けていた。
そのキャラはまぁいわゆる軍師という設定ではあったが、やっていることは力押しの強硬のみである。ゲームという都合上、どうしても戦いの舞台は整えなければならないが、
それにしたってもっとやりようはあっただろうと思う。そしてその強硬策に関して味方のキャラクターは「流石です!!」みたいな脳みそがないような称賛の嵐である。
頭のいいキャラが頭が良くないので、当然頭の悪いキャラはもっと頭が悪くなるので、キャラクターに対する理解・共感・感情移入・掘り下げそのすべてが困難になってしまっている。
アニメだと「アクションの作画が作り込まれてて凄かった」ゲームだと「レベルデザインが作り込まれてて、かつアクションも爽快感があって面白かった」など、教養がそのコンテンツの面白さを
決定づけるとは(ほぼほぼ言えるにしても)必ずしもそうだとは断言できない。しかし、それはシナリオを全く無視した場合である。シナリオ面での面白さは、登場キャラクターへの共感から
初めて生まれるといっても過言ではないと思っている。そしてその共感とは、キャラクターの背景・性格・葛藤・行動によって湧き出るものである。”教養”とは、キャラの共感を得るために必要なのである。
馬鹿に背景は考えられない。馬鹿は表面的にしか人物の性格を測れない。馬鹿は葛藤しない。馬鹿は考えと行動があべこべであり、そのことを葛藤することも当然ない。
そして一番面白くないのが、それが売れてしまったばっかりに、公式側がそのシリーズの教養が感じられないタイトル以降を前面に押し出すようになってしまったことである。
作る側も馬鹿ならと言った所だろうか。そりゃ教養のある人間だけがゲームを作ってるわけじゃないし、それしか認めないというわけではないよ。ただ、自分の好きなシリーズがそんな姿になってるのが
俺はとにかく悲しいしむかつくんだよ。かつての姿とはかけ離れすぎている、自分の愛するシリーズが、死にながらさも生きているような様を見せてくるのはしんどい。そうだね、俺が年を取ったんだ。
ついていけない人の方が少数派なんだろうな。シリーズとしての形が変わるのは最早仕方のないことだとう。しかしエフラムはそんなこと言わない。せめて、せめて過去作へのリスペクトは忘れないでくれ。
「この人が核兵器のスイッチを持ってると考えると怖い」こんなブクマを目にするので、少し違った見方で話してみたいと思う。
まずトランプがどんな人かという前提を持っているのか、私は、「自分の理想や欲求を何がなんでも実現させたいすごくわかりやすいタイプの人間」だと考えている。
この理由は、まず第一に、過去に事業を何度も何度も失敗させてはチャレンジしていること。
第二に、選挙戦でずっと劣勢に関わらずまったく諦めたり路線変更することはなかったということ。
第一、第二はどういうことかというと、大統領選が始まる前の昔の発言(名言)からわかるように、不屈や努力が絶対に成功を導くと言っており、自分の成功や理想は追求し続けることで絶対に達成できると大真面目に信じてるということ。
第三は、メキシコの自動車工場にしても、オーストラリアの難民にしても、ここは私も譲れないけど代わりにこういう利益上げるから許して、ってのが一切通じないこと。自分がやる!って言った提案は絶対にやり遂げる、という行動原理がある。
ここから少し考えを進めると、トランプ大統領は中国やイスラム圏の嫌いな国々に対して、核の打ち合いをすることを心から望んでいるのか、公約や発言として言っているのか?
日本や韓国は自分で核武装すべきだ、と言っているように、核の使用に関しては、あまり積極的にやりたいとは思っていないと感じる。
なぜ重要か簡潔にいうと、トランプ大統領は、マティス氏に一目置いていて防衛に関しては一任するだろうからである。
第一に、先に述べたように、トランプは仕事を愛せ的な発言が結構見られること。
第二に、マティス氏の反対によって、拷問尋問を開始する大統領令を諦めたこと。
第三に、トランプ大統領は軍事力や警察力の使い方にまったくの素人であること。
第一は、マティス氏は、戦う修道士、国と結婚した男、とも言われているように、生涯をアメリカの防衛のために捧げていたこと。部下にクリスマス休暇を取らせるために自分が休日を返上したこともあるし、きちんと議会の承認と信用を得て国防長官に任命されている。
右派のネットメディアを側近にそえるほどのトランプ大統領が、国に生涯を捧げたマティス氏をリスペクトしていないはずはないと考えられる。
第二は、解説するまでもなく、反対派に対してかなり強弁な物言いをするトランプが、一歩引くということ自体、マティスの意見を大切なものだと考えていると推測される。
第三は、トランプ大統領は軍事や安全保障に関して知識が少なく、大統領選でもこのことを指摘されて、テレビニュースで補っている的な発言をしていた。これに関して、他人に頼るしかないと考えているはずである。
ついでにいうと、実は、軍部や警察力の懐柔のノウハウがないので、巷に言われているような独裁者には決してなれるはずはないと思う。
つまり、核の打ち合いということに関しては、トランプ大統領の理想とは異なっており、マティスが存在する以上、無意味な核攻撃は起こらないだろうということを結論できると思う。
もちろん、トランプ大統領がついカッとなって、核に関するツイートをしてしまう可能性はある。だがそれはマティスが防波堤となって、使用には至らないだろう。
また、肝心のマティス氏に関してだが、実はオバマ政権の元で、中央司令官を解任されている。
これは、イランに対する方針の不一致のせいだ。核武装に対しては、厳しめの見方をしているわけである。
トランプが感銘を受けた本、そして政権運営に深く関わる、ピーターナヴァロの『米中もし戦わば』では、中国が、法的な侵略と、機雷、潜水艦、民間船、そして、核武装により、アメリカを南シナ海から追い出そうとしているとあるが、
マティス氏は、韓国や日本に対して、核迎撃ミサイル(サードミサイル)の配備を求めてくるはずである。
核の使用自体を無力化し、通常の海軍力を競争の場にしたいと考えているわけである。
だから、先制的に核を使用しようとすること、または、相手に使用させようとすること、は考えられないはずである。
だた、アメリカの措置に怯んだ中国が誤って弾道ミサイルを発射し、そこから核の打ち合いが始まる危険性はある。しかし、少なくともトランプ大統領が核のスイッチを持っているからといって、軽々しく使う状況は絶対に起きないだろうと私は考える。
本当にいい加減にしてほしい。
子だくさんママの得意げな話。
「子供は空の上で親を選んでくるからね~。この話を信じた人が次々と不妊だったのに妊娠している。
言い訳をいろいろつけて話しを聞かなかった人はずっと不妊のまま。
はぁ?なんすか?? もうこんな人に対面でいいたくないから言わないけど、私不妊で苦しんでるんですけど。
私の心の在り方が良くないから子供が出来ないって事よね、それ。ゴメンナサイねぇ、心が悪くって。
何回も流産しましたよ。私の心が良くなかったから、子供は空に帰って行ったという事なんでしょ。なんすかそれ。
「でもさ、子供がいてもとても人として??って人はいるよね。」と切り返したら、
「それは子供を持つことでそこに気づくようにという事なのよ」
・・・はぁ?
そういう人、気付いてるかな?気付いてないっしょ?だからいろいろ虐待とか過干渉とかいろんなことが起こってるんでしょ。
そのあとそうした人達がどれだけ気づいて良い人間になったかなんて聞いた事ないんだけど!
そもそも、心がきれいになって、優しい人にならないと子供が出来ないって言ってたさっきの話と矛盾してない?
私の周りでも、子供がいなくてもとても人間的に素晴らしい人はたくさんいる。
一方で、子供が沢山いても、こうはなりたくないな、、という嫌な人も沢山いる。
こうした発言をする人は子だくさん。あなたは人として素晴らしいから、心がきれいだから子供が出来たんでしょうねー。そりゃよかったねー。
こうして苦しんでいる人の前で平気でそういう発言出来る神経はなんなんでしょうかねー。
他にもね、変だなぁ、と言う人が私に久しぶりに合ったら「顔つきが優しくなったから、きっと子供が出来ますよ」と言う訳のわからない励ましをしてきたのだけど(その人は子供二人)、
きっとこの人も、自分は優しくていい人だから子供は複数いる、という前提なんだろうな。。。
何なんだろうね、これ。
もちろんホルモンの関係で、ストレスがかかっていたりしたら体のバランスが整わなくって、というのは分かるよ。
だけどさ、こうやって人格と絡めるのはなんなのよ。私「優しい顔つきになった」って言われたのは単純に食べ過ぎて太っただけなんだけど!
あー、ほんとに嫌だ。こうした苦労せず子だくさんな人たちの上から目線。本当に嫌だ。そしてこうした人たちにイラついている時間も嫌だ。だからここに書いてスッキリ発散しておしまい!
子供は出来なくても、周りに大切な人たちは沢山いるし、仕事で世の中に価値を提供していると思えている。
一人の子供の子育てではなくて、仕事を通してより良い社会になるように、より多くの人の人生に関わっていく。
そういう人生でもいいじゃんー。私はそうするよ。もしこの先出来なかったり、あきらめたりしても。
人生はいろいろだから、必ずしも子供を産んで育てるだけが素晴らしい事ではないと思う。
どっちがいい、悪いじゃないんだよ。だから本当に上から目線ではなくて、お互いの状況をリスペクトして、その状況の上でベストを尽くせばいいんじゃないかと思うんだけどね!
「池上彰の本はダサい、できる人間は専門書を読む」という、中二病全開だった私を許してほしい。
自分はできる人間なんだという思い込みを捨てたら一気に人生が楽しくなったよ。
今まで馬鹿にしていたものが、すげー自分の肌に合ってることが判明だわ。
アイドルもジャニーズも三代目も楽しい(今までは、洋楽が好きということになっていた)。
日本の映画やドラマが楽しい(邦画や日本のドラマは駄目だよねってくさしてた)。
ワンピースで号泣(ワンピースで漫画好き?はぁ?って感じだった)。
アメーバブログや芸能人ブログも面白いな(アメブロなんて見るだけ無駄だろって思ってた)。
楽しみが一気に増えた。時間が足りない。
この感じを仕事に応用したら、仕事も楽しくて仕方ない。はてなの人は嫌いだと思うけど、上司と飲みに行くの楽しい。色々お店を教えてくれるぞ。
コミケでカメコに囲まれているコスプレイヤーの"画像"を見るととても安心する、精神が安らぐ
それがどんなに美人であっても、その"画像"からその人物の承認欲求が読み取れる
普段相手にもしないであろう下層たるカメコに、その人数や熱気にあてられコスプレしてしまっている美人、という搾取が感じられる
ローアングルからの下卑た眼差しを受けている愚かなコスプレイヤーという構図は本当に肴になる
それは"画像"で画面の向こう側の出来事で、それは俺に笑われるだけの"画像"でしかない
さっきツイッターのリツイートで某アイドルコンテンツのコスプレを見かけた
ものすごく上手な絵師が描いた美少女の絵がリツイートで流れてくるように
ポートレートとでも呼ぶのだろうか、被写体の他に余計なものが写っていないもの
コスプレ元のキャラ同様なんだか品のよさが伝わってくる、鼻も高いしものすごく美人だ
その人のアカウントに飛んで数分間、他にも公開しているコスプレを見漁った
背景や構図なんかも素敵でため息が出る
プロフから察するに良くわからないが本職は別にありコスプレがメインじゃないらしい
そんな風に漁っていくうちに熱が引いていきだんだん冷めていった
キャラへのリスペクトも感じ取れるし、流行りものにだけ乗っかっているとかそういう感じもない
コスプレへの態度がしっかりしているほど、公開されているものの美しさに目を奪われるほど、負の感情が溢れていく
この人はコスプレに執着しているわけでもない、本職もある
生まれ持った顔の美しさで上からこちらをぶん殴ってくるコスプレ
上等な暮らしをしている人が片手間に楽しんでいるであろうコスプレ
この人が公開しているのは作品であって、俺が肴にするようなコスプレ"画像"ではない
あくまで俺はその作品を見せていただいている四畳半で暮らす下流のオタクで、俺がこのコスプレイヤーを搾取することなど到底出来ない
その事実を認識するばするほど情けないやらなんやら腹が立ってくる
ツイッターはリアルから切り離された場所である!電脳世界万歳!自分の身分も忘れられる!そう思いたかった
フェイスブックのようなリアル自慢、充実アピール大会が行われない場所でないと思っていた
そのはずが、こんな完璧人間が住む世界と地続きになっていただなんて
それも男性向けオタクコンテンツのコスプレでそれを見るだなんて
不意打ち、だまし討ち
最悪だ
復讐として腹いせとして、搾取の構造を守りたい俺は欲望のはけ口にしてやろうかとも思ったがそれも出来ない
ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。
何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。
私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代~1990年代の鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。
本来文化・社会性とはそういうものではないか。2000年代の新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口のインフレの問題もあった。2010年代も1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。
オタクが今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和の負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定、オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。
冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代の学歴社会化実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である。本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである。
仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである。社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか。
私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方のリア充の話題が出ると、なぜか不良とこじつけた話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会の空気である。
当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキーの本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人の白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いでアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。
マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。
そもそもマイルドヤンキーの言葉の根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部の人間は殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンターに依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域やシンガポールのような都市国家以外にない。
私はこの潔癖の究極が「子供」至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通ならしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。
子供は日本人の美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである。子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。
そもそも日本の私鉄社会の根源は鉄道の公有化の失敗だとか戦争の連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブなものの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である。
欧米圏を見ればわかるように、鉄道は弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本はおかしいのである。
一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供は大人らしい事由で成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。
あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。
特定の環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である。
昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。
その点、例えば私が韓国の学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったからである。
バスの停留所で会話したローカルの若い女性は、なんかお茶目で、自分の生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人でオタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。
これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通のリア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ。
日本に出てくるテレビのタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。
これは、日本人の一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。
しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実な理想を一度捨てることになると思う。代表が大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。
私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実・実在、不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代で経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか。
そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義の理想を振りかざして現実を拒絶したり自由な創造表現のユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本の現実がほんとつらいです。
(韓国などの例外を除く)外国のコンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合な現実・事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。
だがその独創性の第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームにものすごく親しんだ人ほど危ない。
ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神やコリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習をコラボさせると、アニメや漫画か特撮ドラマかビデオゲームまがいな、子供だヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである。
私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流・華流コンテンツを敬遠したのは、アメリカのコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパークや映画などに「不都合な現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽なものを批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ。
私の記憶する限り韓国や中国のテレビドラマやアニメには、日本人がネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代や2000年代(2010年代)に日本型の暴走族が話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人や中国人のオタクを風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)
そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画や小説(ライトノベルを含む)やゲームのいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである。日本の作品で言えば喧嘩番長や龍が如くに出てくる「不都合な現実を誇張した」不健全で卑猥な日本の風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。
そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国や中国にもそういうクリエイティビティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神の解体を加速させることが必要なのだ。
少なくとも表面上は。
アイドルは「カワイイ」カルチャーであって、そこに人格やグループが描いた物語に対するリスペクトが混じり合って、
ファンはアイドルを崇拝する。アイドル(偶像)というものの正しい形だと思うよ。
少なくとも昭和のギラギラした愛欲の窓口としてのアイドル、ストーカーがでちゃいそうなアイドルよりは。
だから今時のアイドルは、ふつうに同性ファンが結構な数いたりするし、
二次元イラストにしても過度に性的な(下品な)描き方は避けられる。
エロはネタとして昇華され、デフォルメされた形で消化されるわけ。
ちなみにそういった意味で、より抽象化された存在である二次元アイドルの方が三次元アイドルより先進的だと思うけど
そのへんを言い出すと怒る人がいるのでこのへんにしておく。
最近になって二次創作の良さを知り、デレマス二次創作同人誌を買いだした人間からひとことふたこと。
わたしがその二次創作同人誌(以下同人誌と表記)を買ったのは、アニメなどからしか見られない、うかがい知れない高垣楓さんの、アナスタシアの、新田美波の「こうであってほしい」という願望が描かれていること(ギャグを含めて)、同人誌を手に入れることで、いつでもそのキャクターを身近に感じられるから、ということだった。それらの作品に、どれほど心慰められたかわからない(かめれおん先生ありがとう)。
こういう二次創作ものを描く側も、同様の理由から作品化しているものと信じている。だから、そういったリスペクトを感じられない二次創作は、消えてなくなっても構わない。特に18禁物の場合、ただただ劣情に訴えるような二次創作は今すぐ消えていい。たとえわたしが、その作品を見たいとしても、やはり消えてなくなれ。それが、二次創作という遊びとコミュニティのルールだと思う。
二次創作で18禁を描く場合(特にデレマスのようなキャラクターものの場合。昨今のやおいものやBLものはわからない)、そのどこにリスペクトがあるのかを探るのはかなり難しいし、書き手もまた「こうであってほしい」という思い以上の熱量と決意が必須であるはずだ。そう信じている。
以上の「前提」を踏まえたうえで、公式側は、その手の「原作レイプ」と思われる作品の作者に対してバンバン抗議し「この二次創作は認めない」と広く公表したら良いと思う。もちろんそれで「前提」なき者たちの手は緩むことはないだろうが、少なくとも安易な二次創作は抑えられるかも知れないし、そんな愛なき同人誌を買う側もそれがアンモラルである、という印象を持つようにはなるのではないか。
何より、今さら当たり前のことを書くが、「前提」があろうがなかろうが、公式が認めない、ロイヤリティーも払わない二次創作は原則すべてアウトである。それを黙認しているのは、法に訴えても見合わない、また多くのクリエイターが二次創作、同人誌から生み出されているからである。
なので、この方の心情をわたしは全面的に支持し肯定する。重箱の隅をつつくようなコメントを書く奴は、この苦さに少しは思いを馳せるべきだ。この苦い思いをわかった上で、ただキャクターへの「愛」だけが、オリジナルへの「愛」だけが、すぐれた二次創作の源泉となるべきだ。もちろんそんな「愛」をもって明確な線引など出来ない。それでもなお、二次創作者もその買い手側も、そのラインを常に問い続けながら描き、問い続けながら購入すべきである。
You may say I'm a dreamer. But I'm not the only one. I hope someday you'll join us and the world will live as one.
その1(http://anond.hatelabo.jp/20161223120406)からの続き。
ガリ勉でクラスの中で浮いていた霧里七華(十七歳)が、ある出来事をきっかけに心だけ六歳に戻ってしまった。心が子供に戻った彼女に幼馴染の凪原稔二や同級生の雨宮さんが振り回されたりもしながら、十七歳の七華と稔二と雨宮さんの三角関係を描く漫画である。ラブコメなんだけど普段のラブ成分は少なめで、大事なところでドバッとでる感じ。それと恋愛よりも人を思いやるという心の成長を主題にしているためか、幼馴染大勝利!とならない。
ヒロインはタイトルにも名前が入っているとおり七華なんだけど、十七歳の七華はたまにしか出ないレアキャラだし、雨宮さんかわいいし、雨宮さん優しいし、雨宮さん頼りになるし、はじめはいじめっ子として出てきたのに、あっという間に稔二との過去話が補完されたし、実質雨宮さんがメインヒロイン(ちなみに人気投票の下馬評ではぶっちぎりだった)。雨宮さんは、いつも赤面していて、だいたいいつも報われないんだけど、時々とても幸せそうな顔をする瞬間があって本当に応援したくなる。
でも本当はドミ子が一番かわいい。
あらすじ
どこにでもいるような普通の女子高生エルナは、普通の家庭で普通に暮らしていた。しかし都市部の工事現場から古代ギムレー期の伝説の聖剣が見つかったことで、彼女の血に隠された王族の魔力が彼女の運命を残酷に捻じ曲げていく。
携帯電話やインターネットが存在する現代的な科学世界の上で、真面目に魔法や空想の生物の力を扱ったらどうなるのか。魔法は通常兵器と異なり術者一人だけで大規模破壊や暗殺行為が可能になる。そんな力がテロリストに渡ったら政府はどう対応するのか。
既存の力を軽く超えた魔法の力が存在することの恐怖とはどんなものか。SFファンタジーである。
ギムレー期の伝説「エルナサーガ」を描いたIと合わせてどうぞ。
絵がかわいい。意外とストーリーがしっかりしている。ふわふわ。キャラが可愛い。
一応ストーリーを。天使が通う森の学園になぜか入学した悪魔のルカ。毎日愛天使ハニエルに振り回されながらどこかおかしい学園の真相に気がついていくストーリー。
軟派な大学生潤が、身元不明な女性から「あなたのこどもです」と一歳児スミレちゃんを押し付けられてシングルファーザーをする話。
はじめはスミレのことをうっとおしく思っていた潤だけど、日々の成長を見守っていくうちに一人のパパとして成長していく。スミレが通う保育園の優子先生との恋愛も子育てと並んでこの漫画の中心となるが、スミレが本当に潤の子供である可能性も出てきて、なかなか仲が進展しない。
スミレの戸籍上の父親で売れない俳優の椿吾郎が、愛のない家庭で育ったことで、子供の愛し方を知らなかったけれど、スミレと触れ合っていくことで過去を乗り越えていくながれがすばらしい。子育ては子供を成長させるのではなくて、子供とともに成長することなんだ。
つまり結局のところ、幼児のスミレちゃんが愛くるしいのでホオを緩めて愛でましょう。
玄奘三蔵の妹テンテンが、妖怪の総大将 孫悟空に殺された兄の代わりに、旅の仲間たちと共に天竺を目指すストーリー、つまり西遊記。ところが、西遊記を作者が思いっきりやりたいようにアレンジしてしまった。
仲間の悟空がオリジナル悟空のクローンだったり、悟空の師匠の悟浄が軍服の眼帯女だったり、昔の中国だって地の文にも書いているのに重火器や携帯電話が思いっきり登場したり大変自由。果てにはロボットまでも出てくる。
「あかりや」というどんなあかりでも揃っている店を舞台に、宮沢賢治の幻想的な香りに人の心のぐちゃぐちゃした猟奇臭を加算した奇妙な話の連作集。
例えば、子孫を残せずに死んでしまった渡り鳥が、鳥神様に許されるために渡り鳥の群れを導く光となる「第3話」のように残酷ながらも美しい話があるかと思えば、思いっきりカニバる「第2話」のような話があったりする。オススメは芸術家の業と歪な肉親愛が題材の「第4話」。絵を書かずにはいられない姉と姉が好きすぎる弟が、姉が事故で光を失ったことで尋常ではない共依存のような関係になってしまう話。
あらすじ
かつては浄水施設だった街で、街の一画と共に水の底に沈んだ家族に心を囚われるユィと貯水壁が壊れる夜を描く「水槽の街」、ツノと尻尾が生えた少女が、鬼に胸を貫かれてほぼ全裸になる「少女というより痴女だった」、真面目系とチャラ男系という完璧にタイプが違う中学生の芹沢と工藤が、偶然ビデオ店で出会ったことから共通の趣味を見つけ、友達未満になる話「友達だなんて思っていないんだ」などを収めた短編集。
作者である鈴木健也さんの描く人物は非常に肉感的なんだけど、特徴的な線かな。
一番のおすすめは「ジゼルとエステル」。サーカスの見せ物で美しいシャム双生児の少女ジゼルとエステルが、エステルが男の子に恋したせいで、(おもにジゼルが)物理的に精神的に引き裂かれる話。じつにえぐくて物悲しい。信じていたものに裏切られるつらさ。
こころがぐりぐりされる。
おばか変態ギャグ漫画。ここで紹介するのは、フレイヤ騎士団(ナイトクラブ)の美の化身こと鏡尋斗の必殺技、「男子魅了(読み: バンコラン)」効果: 男子を操る、に負けたから。ちなみに三巻の57-58ページ。あとブルマに対する作者の情熱がものすごい。
人々が天を忘れた時、地の底から邪なものが這い出してくる。その都度、神は大地へ天の使いを送った。そう…邪悪を祓い、人々の心に再び天を抱かせるために…。 時は現代、地上に邪なものが現れると、彼らが現れる。天に選ばれた戦士たち、そう、「天空特警 アヴァロン」と「美少女天使 パレストリーナ」!!!
特撮とアニメをリスペクトなヒーロー漫画。マッシヴなのに意外と理知的なアヴァロン(中身は不良)と目立つの大好きパレストリーナ(中身は生真面目生徒会長)のコンビがいい感じ。
面白いのが、天と邪なるものとのパワーバランスは天を信じる人々の数で決まるため、敵側が、現代が情報社会であることを利用した情報戦やイメージ戦略で攻撃してくるところ。現実でこれやられたらかなり人間不信になる自信がこの増田にはある。
もし怪獣に変身することができるお姉さんがいたらってお話。
時代は第二次世界大戦が終わってしばらく経った日本。主人公の間宮さんは興奮すると自分の意思に関わらず大怪獣に変身しちゃう厄介な体質の持ち主。大戦中はその能力に目をつけられて軍事利用されたり、戦後も政府の監視下に置かれたりと自分の体質に翻弄される。 しかし戦後は怪獣映画のメインキャスト(怪獣)を務めたり、自分の力に折り合いをつけだんだんと自分の幸せを見つけていく。
おすすめ場面は、変身しなきゃいけないのになかなか変身できない場面で、秘密兵器(美少年のいけない写真満載の雑誌)を見て「あかんわー」と叫びながら変身する場面。
毎日ラブを探してラブにラブする中学生 相田愛子(ラブ子)をはじめとして、サッカーに生きるラブ子の幼馴染 国立カケル、年の離れた弟たちの世話で大変な砂田素直(すなちゃん)、クールな勉強家 北王子学斗、おっとりして奥手の浦上麗(うららん)たちが好きな相手にドキドキしたり、意識していなかった相手を意識してドキドキしたりする固い蕾のような青春漫画。
他人のラブにはすっ飛んでくるのに、自分のラブにはうまく答えが出せないラブ子が素直でいいんだこれが。
あとラブ子のラブ暴走っぷりもいいんだけど、おっとりで学斗に一途純情のうららちゃんが、自分ではない女のことに頭を奪われてしまった男に興奮します。
「目の前の私をみていない 瞳」
「私以外の 誰かを 好きな瞳」
ふわふわ感がよかった人は「ふわふわカタログ」(www.mangaz.com/book/detail/115531)、変態感とエグみがよかったひとは「魔法少年マジョーリアン」(www.mangaz.com/book/detail/120131)と「姉さんゴーホーム」(www.mangaz.com/book/detail/120111)へ行きましょう。
前者は、月刊MOEで連載されていてもおかしくないフワフワポワポワな内容で、後者では、いたけない二人の少年がナイスバディなお姉様に変身して敵と戦う話と、大切な記憶を守るためにそれ以外を全て捨てて狂っていく女性の話が読めます。
古い村とその村に寄り添うようにしてある古城をめぐる一話完結型の牧歌的雰囲気の漫画。村の近くに見えるお城だけど、近づいても近づいても一向に近づけなくて、離れようとしたらお城に近づいてしまうこと、池で水遊びをしていたら、水面に映った逆さ城の中に入ってしまう、など幻想的で牧歌的な漫画。
絵柄がかわいらしくて、ますむらひろしのアタゴオルみたい。自身のHPで連載しているとのこと。
麻雀は絵柄を揃えたら役が出来るくらいしか知らないけど、この漫画は一戦いっせんに熱があって面白い。
単なる麻雀の漫画ではなくて、マジャンという麻雀のルールに加えて特殊ルール(トランプのジョーカーみたいな牌が入っているとか)があるので、単なる麻雀好きの学生だった主人公が特殊ルールに苦しみながらルールを解き明かす部分を読者として共有できて良い。
麻雀要素以外にも、閉じた村、おどろおどろしい伝承、そして表面上は普通なのに、ある事柄にだけ一様に口を閉ざす村人など横溝正史的成分も満載。
麻雀は門外漢だけど、主人公の打ち筋がデータ・確率重視なところが現代的で面白いと思う。まあそのせいで、麻雀と異なるマジャンの特別ルールをはじめ、村の奇習/因習に主人公は振り回されるのだけど。
こちらのレビューが詳しい「竜騎士07が震撼した漫画「マジャン~畏村奇聞~」」(http://blog.livedoor.jp/inoken_the_world/archives/51895567.html)。
以上。増田的には全部何度でも読み返せるくらい面白いけど、あえてオススメするなら「ゆめのかよいじ」(https://www.mangaz.com/book/detail/43881)が一番心に残ったかな。ちなみに連載期間調べるのめちゃくちゃ大変だった。