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はてなキーワード: タルコフスキーとは

2019-09-17

anond:20190916194012

タルコフスキーはめちゃくちゃ長いわけではないが催眠効果ものすごいので、たびたび意識を失いながら見ると永遠時間を過ごしたかのような錯覚を得られる。

アンドレイ・ルブリョフ:原版3時間6分、完全版3時間25分

惑星ソラリス:2時間45分

鏡:1時間48分

ストーカー:2時間44分

ノスタルジア:2時間6分

サクリファイス:2時間29分

2019-03-11

レンタルビデオ

ツタヤっていつからあったんだろな。小学生の時はもうあった? 本格的に通い始めたのは高校かなって気がする。

新宿はワクワクしながら通った。宝の山というか、探そうと思うと新宿に行くしか選択肢がなかった。

アメリカン・ニューシネマ溝口とか増村保造とかの邦画タルコフスキーとかソクーロフウォン・カーウァイ

昔のスラップスティックコメディPFF系のインディーズ、なんでも見たな。

恵比寿も大きいんだけど新宿よりちょっとしゃれてて、駅からも遠いし金持ちセレブって言葉まだなかった)が

車で借りに来るイメージ

あとは早稲田駅前の名画座(というレンタルショップ)、高円寺オービスあたりも独特の品揃えで会員証持ってたな。

ネットフリックス、便利なんだけど俺の好みを忖度してくるあの感じがとても嫌だ。

俺は知らないものを知りたいだけなのだな。

2019-01-25

から俺が好きな作品を挙げていくから好みに合う作品を教えてくれ

BLAME!

ブレス オブ ファイアV ドラゴンクォーター

女神転生

Serial experiments lain

クーロンズゲート

伊藤潤二

リンダキューブアゲイン

少女終末旅行

バロック

筒井康隆

サイレントヒル2

ストーカータルコフスキー

アヴァロン押井守

メトロ2033

安倍公房

バイオショック

ゆめにっき

瀬戸口廉也

ドロヘドロ

諸星大二郎

以下ブコメトラバへの返答

マルドゥクスクランブル

いねシュピーゲルシリーズも好き。

シルバー事件killer7

シルバー事件は大好き、killer7は積んでましたすいません。

呪みちる谷口トモオ

呪みちるは入手できる範囲単行本揃えてる。谷口トモオは未読。

ザ・セル エンゼルハート ダークシティ π

全部好き。

クリストファー・ノーラン

監督姿勢は立派だと思うけど作風ちょっと合わない。

どっちかといえばデビットフィンチャーの方が好き。

ベルセルク ハンターハンター

早く完結して下さい。

宝石の国

原作アニメも見ました。市川先生なら25時のバカンスが一番好き。

Hollow Knigth

スクはあまりやらないけれど、LIMBOやINSIDEみたいに世界観が少しずつ分かるタイプなら興味あります

>裏世界ピクニック

オカ板に浸っていた時期があったもので懐かしいワードがチラホラあって楽しかった。

鬼哭街

虚淵なら沙耶の唄が好き。

>Undertale

ルートクリア済。勿論DELTARUNEも。

キルミーベイベー

7巻のホラー回を見るにあの人は相当"溜まっている"。

>Pony Island

exe.シリーズにハマっていた時にプレイ動画を見てしまって後悔してる。ああいうのはプレイしてこそなのに。

>portal1・2

GLaDOSいいよね。AIは狂ってこそAI

メイドインアビス

ナチ可愛いよナナチ

ナウシカ

アニメ原作もどっちも好きよ。

SIREN

ジェノサイドエンドしか覚えてない…。

>DEADSPACE

2までは名作2までは。

パラサイトイブ

小説ゲーム映画

>よるくも

1巻読んだ→なんじゃこりゃ?完結したみたいなので続き読みます

寺山修司

なんかうまく言えないけど少し好みから外れる。

ケムリクサとどろろ

放送終わったらまとめて観ます

砂ぼうず

初期は凄く面白かったけれど最近なんか作者も飽きてない?

2016-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20160906102623

呼ばれたから答えるけど、こんな感じかな。発音できなきゃ聞き取れないということで発声法を述べます

ドイツ語→水に溺れかかった感じでいながらもハキハキ何かいえばOK。ちなみにイギリス英語やるときもこれ使う。モンティパイソンジョン・クリーズヒトラーモノマネうまいのもこれな。

フランス語→「ジャ」「ジュ」「ジョ」「シャ」「シュ」「ショ」を多めに交えつつ、鼻母音(鼻にかかった音)を適度に入れる。日本語と同じsyllable timed languageだから途切れ途切れ言う感じでOK。中級者以上はrの「喉のうがい音」もほどほどに入れるとなお良い。

イタリア語→迷ったら全体的に舌をペロペロさせつつ最後の言葉母音AかOで終わらせる頻度上げととけばOK。

ロシア語タルコフスキー一本見れば覚える。そこでため息をつきながらしゃべる感覚を身につければOK。ただ現代ロシア語通用するかは不明な。

スペイン語イタリア語ベース母音Uの割合を全体的に増やし、イントネーション若干あげて陽気な感じに。(自分スペイン語苦手だから微妙かも)

ポルトガル語→すまん。わからない。もっとボサノヴァ歌わないとな。

アラビア語→すまん。わからない。もっとアルジャジーラ聞かないとな。

ヒンディー語→すまん。わからない。

2016-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20160815213948

これ言うと荒れそうだけど、難解な映像作品が山ほどある(タルコフスキーベルイマンキューブリック等々)中で、エヴァ難易度って中の上ぐらいだと思うんだよね。

問題の「おめでとー」も、元ネタフェデリコ・フェリーニ8 1/2』を観てれば、「ああよくあるまとめ方で終わるのね」で済んだ話だと思うんだわ。

映画ヲタ界隈ではありがちな表現アニメヲタにやったから混乱しただけで、庵野自身はたぶん「お前らが無知なだけだろうアホが」としか思ってなかったと思うわ。

2016-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20160116175729

自分場合、(純粋娯楽映画を除き)テーマを正確に理解できて、そのテーマ自分にとって切実であれば1回観ただけでも忘れない。

例を挙げると、反消費社会反資本主義を描いた『ファイト・クラブ』はかなり詳細に思い出せる。他方、観ても何だかよく分からなかったタルコフスキー『鏡』とか、(自分にとって現状とくに切実ではない)結婚テーマにした『ゴーン・ガール』はほとんど思い出せない。

自分も昔、映画1000本観るぞ!と息巻いていたが、だんだんテーマ自分にとって切実じゃないと観る意味がないなぁと感じ始めてきて、そんなに観なくなった。気になる映画についてはネタバレテーマを調べて、自分にとって切実かどうかを判断して観るようにしている。

2016-06-13

元増田のための最近2010年代)の3Dアニメ映画がわかる11

http://anond.hatelabo.jp/20160613091056


つってまあ、そんだけ見てりゃピクサーディズニーの新作追ってりゃいいと思うけれど。

とはいっても2010年代アメリカアニメスタジオ群雄割拠。これにストップモーションアニメ勢や日本やフランスの伝統的な2Dアニメ勢が絡んできて大乱闘スマッシュブラザーズだし、中国や韓国の新興スタジオも力を伸ばしつつあるわ。

もしかしたら、今が世界的にみて一番アニメが豊潤な時期なのかももしれない。


そんな混沌としたアニメ勢力図を一スタジオ一作品で把握できる、ステキリスト元増田にプ・レ・ゼ・ン・トよ♥



1. ドリームワークス:『ヒックとドラゴン』(クリスサンダースディーン・デュボア監督、2010年

 『リロ・アンド・スティッチ』の監督(とスティッチの声)を務めながら、ドリームワークスに移籍したクリスサンダース。名監督、会心の復活作よ。

 人間不信ドラゴンドラゴン使いの一族のおちこぼれ少年が育む純粋無垢な友情の物語に涙しないものはいないわ。

 監督が変わった『2』もDVD/ブルーレイリリース済み。評価は分かれてるけど、1を楽しめたら是非観てもらいたいわね。


 ドリームワークスディズニー/ピクサーの昔からのライバルよ。

 創業者の一人であるカッツェンバーグ氏は元ディズニーの幹部。低迷していたディズニーに『トイ・ストーリー』以前のピクサーと手を結ばせた功労者だったけれど、ディズニーお家騒動に巻き込まれて会社から追い出されちゃったの。

 それだけにディズニーピクサーに対する恨みは深くて、自分が退社する直前に挙がっていたピクサーの『バグズ・ライフ』の企画をパクって『アンツ』を作ってほぼ同時公開し、ラセターをブチ切れさせた逸話もあるわ。

 ディズニーとの最大の違いはその量産ペース。たまにハズレもあるけれども、成功した作品はめざとくシリーズ化して貪欲に稼ぐわ。

 『シュレック』、『カンフー・パンダ』、『マダガスカル』がそうね。元増田は『マダガスカル』がお肌に合わなかったみたいだけど、『シュレック』は『カンフー・パンダ』並に観といて損はないわ。『マダガスカル』は作品ごとに評価の波が激しいけれど、この二作のシリーズは一貫して高評価を受けていて安心して観られるわよ。

 単発作品では、『ガーディアンズ 伝説の勇者たち』たちなんか玄人好みの作品ね。



2. ワーナー・ブラザーズ:『LEGOムービー』(クリストファーミラーフィルロード監督、2014年

 『シュガー・ラッシュ』以降の現代的なウェルメイド作劇に感動した元増田なら、『LEGOムービー』は外せないわ。

 チャーミングなテクスチャの質感、とぼけたオフビートキャラクター、意外に王道な感動ストーリー、アッと言わせる伏線やオマージュネタの数々……

 クオリティだけでいえば近年の3Dアニメのなかでもトップクラスと言ってもいいわ。たかがLEGO、とあなどるなかれ。あなたの涙腺をしぼりとる大傑作よ。


 WBは元々バックスバニーなどで知られるアニメ業界の最大手。テレビでは「カートゥーン・ネットワーク」を系列に抱えてるわね。けれども映画ではディズニーに遅れをとってきたわ。

 散発的に『アイアン・ジャイアント』や『ルーニートゥーンズ:バック・イン・ザ・タイム』といった良作を自前で生み出してきたけれども、基本はポケモンや他社製作のアニメの配給が中心。ようやく自社制作で気合入れだしたのはそれこそ2014年の『LEGOムービー』からよ。

 これからは豊富なキャラクターコンテンツを利用して『原始家族フリントストーン』や『宇宙家族ジェットソン』、『スクゥービードゥー』といった作品を映画化するみたい。


 ちなみにワーナー傘下にはヴィレッジロードショー・ピクチャーズっていうオーストラリアの映画製作会社があるんだけれど、

 そこで『マッドマックス』のジョージ・ミラーふわふわペンギンヒップホップダンスマッドマックスミュージカル映画ハッピーフィート』、

 『ウォッチメン』や『300』ザック・スナイダーふわふわフクロウガチ殺し合い300映画『ガフールの伝説』と、

 ヤバい映画の監督に見た目かわいい内容ハーコーな動物3Dアニメやらせててどれも最高よ!



3. ソニー・ピクチャーズ:『モンスターホテル』(ゲンディ・タルタコフスキー監督、2012年

 それまでディズニーの独占市場だったアニメ映画界に風穴を開けた90年代ピクサー2000年代のドリワの活躍を見て大手映画会社はこう考えたわ。

 「3Dアニメは儲かる!」。

 ソニー・ピクチャーズアニメーションはそうやって便乗的に2006年ごろから作品を継続的に発表しつづけてきて、それなりに稼いではいるけれど、他と比べてあまり元気がないわね。特に日本だとほとんど知られてないんじゃないかしら? アニメ映画界で重要なプレイヤーとは言いがたいわね。


 ここは『レゴムービー』の監督のデビューであるくもりときどきミートボール』を挙げときたいところだけれど、『レゴムービー』を観たなら薦めなくても観るでしょう?

 あえて『モンスターホテル』を推しとくわ。

 監督のタルタコフスキータルコフスキーパクリみたいな名前だけど、アニメ業界ではレジェンド級のアニメーターよ。『デクスターズ・ラボ』や『サムライ・ジャック』を作った男、いえばすごさが伝わるかしら。

 『モンスターホテル』は雇われ仕事で、お世辞にも脚本は最高の出来とは言えないけれど、彼が担当したキャラデザや動きはとても艶やか。特に主人公ドラキュラ娘のキュートさといったら! 3Dアニメが実は2Dアニメと地続きだということがよくわかるわ。



 

4. イルミネーションエンターテインメントユニバーサル):『怪盗グルーの月泥棒』(ピエール・コフィン&クリスルノー監督、2010年

 『怪盗グルー』シリーズの大ヒットで一躍アニメ業界を席巻したのがイルミネーションスタジオね。

 大手のユニバーサル後ろ盾にいるだけあって、よく広告なんかでも観るんじゃないかしら。「バナナバナナ」と喋る、サスペンダーを来た黄色い丸っこい謎生物のキャラ、あれがイルミネーションが誇る人気マスコットミニオン」よ。そのミニオンたちのデビュー作がこの『怪盗グルーの月泥棒』。

 偏狭な中年大泥棒がいきなり現れた三姉妹の世話に追われててんやわんやになる、といった筋は『モンスターズ・インク』を思わせるけれど、堅実なアニメーション表現とドギツいスラップスティックさでピクサーとの差別化が成功しているわ。

 特にスピンオフであるミニオンズ』はイルミネーションスタジオの「ヤバさ」が最もよく出ている作品なので、『怪盗グルーの月泥棒』『怪盗グルーのミニオン危機一髪』を観た上で是非ごらんになってほしいわね。


 しかし、イルミネーションの本領が発揮されるのは今年からだと言ってもいいわ。

 2016年に発表されるオリジナルタイトル二作品――『ペット』と『Sing』(邦題未定)。このふたつを注視していきたいわね。


5. ブルースカイスタジオ20世紀FOX):『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』(スティーブマルティーノ監督2015年

 20世紀FOXは自前のスタジオもあるんだけど、まあせいぜい作ってるのはシンプソンズ映画くらいだし、3D作品は基本ブルースカイ作品と言っていいわね。

 2000年代の仁義なきアニメ戦争の最初期に反応したスタジオひとつで『アイス・エイジ』は観た人も多いんじゃないかしら? あまり印象に残る作品はないし、批評家筋の評価は芳しいとは言いづらいけれど、ソニーなんかと比べると安定して高収益を叩き出してきたブランドね。


 そういうわけであまり過大な期待を持たずに『スヌーピー』も観に行ったんだけれど、これが思わぬ収穫だったわ。

 原作の感じそのまま活かそうとした2Dと3Dの中間めいた微妙な表現は賛否両論あるだろうけれど、88分でチャーリー・ブラウン恋物語うまく落とし込んだ良作よ。

 『スタンド・バイ・ミー ドラえもん』がやろうとして大失敗したことをうまくやるとこうなる、という感じで、見比べてみると作劇の勉強になるわよ。



6. ウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ:『塔の上のラプンツェル』(バイロンハワード監督、2010年

 ディズニー映画は2008年の『ボルト』以前と以後で大分変わってくるわ。簡単にいえば、元増田が昔観たであろうオールドグッドな2Dディズニー映画が以前、元増田が大好きだっていうウェルメイドな作劇の3D作品が以降。このラインを意識すると効率良くディズニー映画を愉しめるわ。

 もっと元増田は08年以降のディズニー3Dアニメ映画をだいたいチェック済のようね。


 でも『ラプンツェル』を見逃しているのはいただけないわね!

 90年以降生まれの女子にとってはマイルストーンといってもいい、新しいディズニープリンセス物語の決定版よ!!

 女子にモテたければ是非観るべきだし、女子になりたければ絶対観るべき、現代女子力のパワーソース(力の淵源)よ!



7. ピクサー・アニメーションスタジオ:『インサイド・ヘッド』(ピートドクター監督、2015年

 シュガー・ラッシュ以降のピクサーを観た元増田なら当然鑑賞済みかしら?

 現代アメリカアニメを支配するピクサーの作劇の極致ともいえるのがこの『インサイド・ヘッド』よ。

 物語自体の面白さもさることながら、「私たちはいつ、どのように成長していくのか」についてここまで丁寧に描いたフィクションは稀有だと思うわ。



8. オン・アニメーションスタディオズ(メソッドアニメーション):『リトル・プリンス 星の王子さま』(マークオズボーン監督、2015年

 フランスは日本とおなじく2Dアニメーション映画が主流だけど、日本にも白組があるように、フランスなかにも3Dに情熱をそそぐスタジオがあるわ。

 それが、オン・アニメーションスタディオズ。

 まだまだ知られるとはいえないスタジオだけど、『カンフー・パンダ』のマークオズボーンが監督した『リトル・プリンス』で一躍名を上げたわね。

 アメリカの大手がかかわっているスタジオでは見られないようなヨーロッパ的な叙情が特徴よ。

 今後はこういう小スタジオの3D作品もバンバン出てくるんじゃないかしら?


 


9. ライカ:『コララインとボタンの魔女』(ヘンリー・セリック監督、2009年

 ここからはちょっと趣向を変えて同じ立体アニメでもストップモーションアニメを紹介するわ。

 元増田は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』という映画をご存知かしら? 

 ああいう人形を使ったアニメストップモーション(コマ撮り)アニメと呼ばれてファンも多いわ。一番有名なのはウォレスとグルミット』かしらね

 『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』はティム・バートンの監督作だと勘違いしている人も多いけれど、実は監督を担当したのはこのヘンリー・セリック

 彼が自分のスタジオであるライカ」を立ち上げての第一作目が、この『コララインとボタンの魔女』なのよ。

 ストップモーション特有の質感を保ちつつも3DCGと見まごうばかりのなめらかなアニメーションは、気が遠くなるような数の人形パーツによって実現したもの。

 セリック独特のゴシックな美意識が溢れる画面は観ているだけでため息が出るわ。

 この『コララインとボタンの魔女』の成功によって、ライカイギリスアードマン・アニメーションズと並ぶストップモーションスタジオとして一躍地位を確立したわけ。

 ライカはこれまで三作しか発表しておらず、日本に入っているのは『コラライン』含めて二作だけだけれど、二作目の『パラノーマン』もすばらしい出来なので是非見てね。



10. アードマン・アニメーションズ:『映画 ひつじのショーン 〜バック・トゥ・ザ・ホーム〜』(マークバードン&リチャード・スターザック監督、2015年

 で、ストップモーションアニメの老舗であり、ストップモーションといえばアードマンと言われるほど有名なアードマン・アニメーションズ

 配給会社はそのときどきによって変わるけれど、一貫して温かみのあるゆるさと精緻な細部へのこだわりをふせもった上質なストップモーションアニメを世界に供給しつづけているわ。

 もちろん、去年発表された『ひつじのショーン』も最高だったわね。

 『ウォレスとグルミット』とおなじく、テレビシリーズの劇場映画化だけれど、TV版をみてなくとも十全に楽しめるわ。むしろ、テレビシリーズの入り口としてちょうどいいくらい。

 アードマンの作品はそのルックを一目見れば即座にわかるので、公開されたらとりあえずチェックしときたいわね。



11. スターバーンズインダスリーズ:『アノマリサ』(チャーリー・カウフマンデュークジョンソン監督、2015年

 スターバーンズインダスリーズテレビドラマで活躍するダン・ハーモンが立ち上げたストップモーションアニメ会社

 その第一作目に『マルコヴィッチの穴』などで知られる個性派脚本家チャーリー・カウフマンを監督に迎えて作ったのが、この『アノマリサ』。

 アードマンにしろライカにしろ「子どもも大人も愉しめる」映画が信条のストップモーションだけれど、この『アノマリサ』は完全にオトナ向けよ。

 カウフマン特有の奥行きある哲学的ストーリーもそうだけれども、一番子どもに見せちゃいけないのはセックスシーン。

 なんと精巧に作られた人形同士(男女ともにくたびれた中年)がヤッてる姿をえんえん見せつけられるの! クンニから挿入、絶頂、事後まで全部よ!

 ちょっと変わったアニメ映画を観たい、と思ったら今すぐこれを借りにレンタル屋に向かうべきね。 

2016-05-24

『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)

※「『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)(http://anond.hatelabo.jp/20160523231652)」の続きです。

ポイント1 この文書は何?

『レヴェナント』には、前編で書いた親子愛というテーマのほかに、「資本主義環境問題」というテーマがあります。ただ、このテーマはイニャリトゥ監督自身テーマというより、ディカプリオのテーマが混入したものではないかと思い、文書を分けて説明することにしました。

ポイント2 何で「資本主義環境問題」というテーマがあるって分かるの?

まず監督自身インタビューでそう言っています。加えて、映画の中にも2つ根拠があります

1つは、毛皮商人インディアンとの戦いがサブストーリーとしてあったことです。これは露骨資本主義環境問題対立を描いています

もう1つは、主人公グラス(ディカプリオ)がバッファローの大群に驚くシーンがあった後に、バッファロー頭蓋骨の山を定期的に夢に見るようになってしまい、悩むことです。この背景にはアメリカで実際に行われたバッファロー掃討作戦Wikipediaアメリカバイソンの項目を参照)があります。毛皮商人の一味であったグラスが、バッファローの勇猛さを目の当たりにして、自分が手を貸してきたことの重大さに気が付き、後悔するシーンではないでしょうか。

(加えて、劇中に出てきた「朽ち果て教会」が、タルコフスキーの『ノスタルジアから引用とみて、自然について語ろうとしているのだという見解も見られましたが、そこまで言っていいのか自信がありません)。

ポイント3 これがディカプリオのテーマだという根拠は何?

筆者の妄想です。

ただ、イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』まで、環境問題テーマとして扱ったことがありません。というか監督は親子の問題ばかりをテーマにしていて、そんなに環境問題には興味がなかったと思われます偏見)。おそらく監督的には「今回は、大自然の中で、親子愛をテーマにして、『デルス・ウザーラ』みたいな映画が撮りたいぞ」ぐらいの気持ちだったのではないでしょうか。

そこにばりばりのエコロジストであるディカプリオが参加したことで、シナリオに影響を与えていったものと思われます

ポイント4 ディカプリオのテーマかどうかはともかく、結果テーマが複線的になったわけだけど、どうなの?

映像的には、バッファローの大群、頭蓋骨の山、朽ち果て教会など、感動的・印象的なシーンが増えてよかったと思います。背景に映る雄大な自然にも意味が出てきて、それもよかったかと思います

ただ、ストーリーはこれによりかなり難解になりました。特にラストシーンにおけるグラスの状況を考えると、①生きる意味(息子・復讐)を相次いで失ったことで精神崩壊しかかっているが、②自然の偉大さに感銘を受け自らの行いを悔いるエコロジストになっている、という複雑なことになっており、テーマが分かりにくくなっています


おわり

2016-05-23

『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)

『レヴェナント』はめちゃくちゃ難解なんですが、ポイントを押さえれば、イニャリトゥ監督過去作品と大してテーマは変わんねぇことが分かります

ポイント1 テーマって何よ?

イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』までひたすら「親子」をテーマ映画を撮り続けてきた監督です。なので『レヴェナント』でもテーマは「親子」です(インタビューでもそう言っています)。もうちょい言うと、『レヴェナント』では「親の子に対する愛がいかに深いか」ということを描いてます

ポイント2 何でそうだと分かるの?

主人公グラス(ディカプリオ)の台詞ちょっと考えてみれば分かります

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

これはグラスが救出された後にヘンリーに語った言葉ですが、この2つの台詞から分かることは、①グラスにとって息子ホークは生きる意味のものであったこと、②グラスは物語のどっかで既に死んでいて、それにもかかわらず基地までたどり着いたということです。

ポイント3 え、グラス死んでなくね?

死んでます。具体的にはフィッツジェラルドにより埋葬された後、息子ホークの死亡を確認した時点で力尽きています。通常、熊に襲われて、内蔵が見えてしまっていて、脚は複雑骨折、その上発熱していて、ろくな治療を受けられないまま生き埋めにされたら(さらに生きがいであった息子が殺されたら)、それは死ぬだろ、と思いませんか。

ポイント4 は?じゃあその後立ち上がるのは何よ?

あれは肉体が死亡していながら精神の力(息子を愛する力)だけで動くゾンビみたいなもんです。ジョジョを読んでる人は、ボスにぶっ殺された後のブチャラティみたいなもんだと思ってください。

ポイント5 あまりにもオカルト解釈すぎない?

小難しい話になりますが、イニャリトゥ監督は前作『バードマン』で死と再生の話を描いていて、映画では好んで用いられるモチーフです(『鏡』、『8 1/2』など)。主人公が死んで復活するというのは映画では珍しい話ではありません。

加えて、本作のタイトルが"Revenant"(つまり「死から蘇った者」〔someone who has returned from the dead〕)であることもこの説を補強します。

ポイント6 するとあの超回復力は何?

解釈問題になりますが、海外サイトの中には、グラスは死にそうになるたびに、野生動物に生まれ変わった(死と再生)のだとする説がありました。

最初は熊です。これはグラスが熊の毛皮を着て、熊の爪のネックレスを身につけ、川で魚を手づかみにし(木彫りの熊ですね)、それを生のままかじり付いていた点に表れています

次は狼です。これはインディアンバッファローの肉を求める際、四つん這いに這いつくばって、人にへつらっていたことと、投げられた肉を生のまま貪りついていたこから分かります

その次は馬です。これは文字通り馬の腹から這い出てきたことから分かります

最後になんかの肉食獣です。これは最後の戦いでわざわざ銃を捨てて、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることから分かります

グラスはこれらの野生動物に生まれ変わる過程回復していったと見ることができます

ポイント7 何でそんなことができんの?

愛です。

ポイント8 まあ愛の力だとして、人間の姿に生まれ変わらなかったのはなぜ?

ここも解釈ですが、息子を失って生きる意味を失った以上、野生動物と同然の存在に成り下がったと見られるのではないでしょうか。

ポイント9 では、場面を移して、ラストバトルで言ってた「復讐神の手にある」って何なの?

グラスが一匹狼のインディアンから教わった言葉です。「神の手」というのが直接的には川下に居たインディアンリーさん)だったため、海外サイトではリーさんは神の復讐の代行者であると言う人が多かったです。「インディアンあんなに近くに居るのに川に流したら殺されるに決まってるだろ」と言う人も居ますが、個人的には死と再生を繰り返したグラスさんの聖人パワーでリーさんを引き寄せたと思っています。つまり愛の力です。

ポイント10 戦いを終えた後、グラスさんがこっちをじーっと見るけどあれは何?

あの表情には元ネタがありますタルコフスキーの『僕の村は戦場だった』のイワン君(12歳)の表情です(https://vimeo.com/153979733ラスト)。どういうときの表情かというと、まずイワン君はソ連少年兵なのですが、ナチスに母と妹を殺されています。そんで夜中に1人でナチス軍に対する戦いをシミュレーションしている最中にあの表情をします。つまり純粋さと愛にあふれた少年の心が、ナチスに対する復讐心で壊れかかっているときの表情です。これをグラスに類推するなら、あの表情は、復讐を終えたことで(生きる意味を再び失ったことで)グラスの精神が壊れかかっている(もしくは壊れてしまった)ことを意味しているのではないでしょうか。

ポイント11 エンドロールがはじまってもグラスの吐息の音が聞こえるんだけど、あれは何?

あの吐息音をめぐって、海外掲示板では「グラスは死んだのか否か」について熱い議論が交わされています。これは監督の前作『バードマン』でもあった論争で、そこでの論争が、主人公は生きているという決着で終わったため、今回もグラスは生きているだろうという説が有力です。ただ、私の考えとしては、グラスは精神力(愛の力)だけで動くゾンビ状態なので、その精神崩壊した以上、グラスは真の意味で死亡したと思っていますジョジョを読んでる人はシルバー・チャリオッツレクイエム出現後のブチャラティを(略

ポイント12 結局『レヴェナント』ってどういう話なの?

愛する息子を殺され、肉体的に死亡した主人公が、愛の力で死と再生を繰り返し、敵に神罰を与えて、やっと死ぬ話です。つまりテーマは親の子に対する深い愛です。

ポイント13 ごちゃごちゃ言ってるけどテーマとかどうでもよくて、ディカプリオにアカデミー賞取らせたかっただけなんじゃないの?

ちょっと違いますが、そういう側面があった可能性が高いです。というのは、イニャリトゥ監督が今回の撮影目標とした映画というのが、①黒澤明デルス・ウザーラ』、②コッポラ地獄の黙示録』、③タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』、④ヘルツォークフィッツカラルド』、⑤ヘルツォークアギーレ/神の怒り』だからです。映画ファンであればすぐ分かるのですが、これらは映画史上最も撮影が困難だった映画群です。例えば④の『フィッツカラルド』なんかは巨大な蒸気船を滑車を使って実際に山越えさせています。つまり監督映画史に残る過酷映画撮影がやりたかったところに、アカデミー賞がどうしても欲しかったディカプリオと利害が一致した、というのが真相なのではないかと思っています

ポイント14 大体分かったけど、残ってる謎とかあるの?

掘り起こそうと思えばたくさんあります。例えば『レヴェナント』では上記の表情以外にもタルコフスキー作品から引用が多い(「宙に浮く女性」、「貧しい人にご飯を分け与える姿」、「鳥」、「隕石」)のですが、それがただタルコフスキーの真似をしたかっただけなのか、意味があるのかがよく分かりません。それとフィッツジェラルドが神について2回話すシーンがあるのですが、その意味がよく分かりません。

それと、作中何度も繰り返される"As long as you can still grab a breath, you fight."という台詞意味が実はまだよく分かっていません。特にエンドロールが始まってからも聞こえる吐息音を考え合わせると、グラスが生きている説も導き出せるため、重要な要素である可能性があります。何か思いついたり新情報が出たらこっそりこの記事を訂正するかもしれません。



「『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)」(http://anond.hatelabo.jp/20160524110234)に続く

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2016-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20160409140655

タルコフスキーのあれね!ストーカーのほうが好きだけどあれも傑作よ

ソダーバーグも良い監督なんだけどあのリメイクは駄目ね

ってそれはソラリスだった

2016-03-01

好きな映画監督として挙げたら通ぶれる5人

とにかく映画がスキ

2015-11-19

ハモでトァンが愛してると言いつつミァハを射殺したのはなぜなのか

 劇場版ハーモニー』の公開から一週間が経過し、『ハーモニーLINEスタンプとか『ハーモニーTシャツといった危険信号無視して戦場に足を踏みいれたオタクも大半が死んだ。不満はいろいろとみかけるが、もっとも多いのは「謎のピンク日本」と「ラストの『愛してる』」のふたつのようだ。ところがどっこい、このふたつは同じものである

 賢明なる読者におかれてはマイケル・ラザフォードの『1984』を思いだしていただきたい。本作においてはビッグブラザー支配する全体主義国家モノトーンに近い暗い色調で、対照的ウィンストン恋人と逢引きするシークエンスが鮮やかな色調で撮影されている。原作ではこいつらが明るくて前向きの元気ハツラツの若者だったら全人類ハーモニクスはおきなかったといわんばかりの〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の老人たちが、劇場版では思わぬ躍進をとげ、全人類情報をにぎり管理する巨魁となっていた驚きはまだ記憶にあたらしいと思う。そう、劇場版ハーモニー』の主題全体主義との対決なのである。「『ハーモニー』のテーマ全体主義との対決じゃないだろ」といわれても、それは脚本を書いた山本幸治にいってほしい。となると日本ピンクの単色で描かれていた理由もわかろうというものだ。対照的学生時代の回想は背景の自然を強調して鮮やかな色彩で描かれている。劇場版ではトァンとミァハはAからはじまりセックスまでしているのが、いかにも国家と個人の対立らしい。『1984』でウィンストン恋人は逢引きするたびにセックスして、むしろセックスするために会っているのではないか、さすが1948年現代草食系若者とはちがうと思うがそれはどうでもいい。

 劇場版をみてなんで意識を消滅させるかわからなかった観客も多いようだが、それもそのはず、意識を消滅させる根本動機である生命主義社会への違和感とか、生きづらさにたいするトァンの独白はばっさりカットされている。劇場版意識を消滅させるのは、単純明快に「ヤツらに管理されない」という〈次世代~〉の老人たちへの反逆であるシュタウフェンベルクはその手先なのでもちろん同情の余地はないし『働きマン』の上司よろしく最後最後で態度を変えてトァンをねぎらったりもしない。というわけで、根本的に意識を失いたくはないわけであるしかし〈次世代~〉の老人たちの管理支配体制を脱するために意識は消滅させなければならなくて、トァンが「でもミァハは、私が好きだったミァハのままでいて。愛してる、ミァハ」といってミァハを射殺するわけである。なので、『Ghost of smile』の歌詞も惜別を唄うものとなっている。死んで悲しむくらいなら殺すまえに意識を失っても生きていたいかどうか確認くらいしたらとツッコむのは無粋である

 では劇場版ハーモニー』は原作とはちがうはなしなのかといわれたらそのとおりである。とはいマーケティングを考えれば当然で、J・G・バラードにならった個人の精神世界がそのまま世界に直結する内宇宙インナー・スペース)の物語でも、ノイタミナをみている女子大生に「生きづらいから人類意識を消滅させる」といったら、「ナイーヴすぎる」とか「周りがみえてない」とか「『ガキ使』をみれば意識必要だってわかるよ」とかいわれて終わりである。もし「テクノロジー情報過剰の帰結として自動車事故セックスを疑似体験する」などといおうものなら、「なにそれ。キモ」といわれるのがオチである

 それでは劇場版ハーモニー』が原作への理解にもとづいて制作される可能性はなかったのか。たとえばタルコフスキー監督である。リリシズムと内宇宙インナー・スペース)への理解があり、ついでに日本通のタルコフスキーなら『ハーモニー』を完璧映画化してくれるにちがいない。タルコフスキーなら映画を『007さながらのニジェールドンパチではじめたりはしないだろう。学生時代のトァンが自宅でふつうに起居するところからはじめて日常生活をしばらく撮影するにちがいない。そしてトァンと出会うシーンになるが、だいたいこんなカットのはずだ。

①ベンチに座るミァハ(遠い)

②トァンの後ろ姿

③へんなオブジェ知的素材のジャングルジム

① ②  ③

そこでミァハとの会話がはじまる。途中からキアンもくわわるが、ともあれえんえん一時間くらいずっと会話がつづく。そこでようやく十三年後になりキアンが自殺する。トァンも政府高官だとわかるだけで詳しい説明はないだろう。物語淡々と進んでコーカサスに登攀し、なんか濛々たる霧に覆われて半分くらいみえなくなっているバンカーはいる。もちろん内部は水浸しだ。ミァハとトァンの対話がはじまるが、水中に没している十字架を写すカット意味深に挿入され、「ちょっと待ってくれ」といいたくなるが映画はとまらない。ミァハとトァンの対話がまた長い。そして最後唐突にトァンがミァハを射殺し、瀕死のミァハをずるずると屋外まで引きずっていって、だんだん白霧が濃くなってゆきホワイトアウトする。ショットが替わり、チェチェンの広大な大地を少女が遠景に去ってゆくところを長々と写し、クレジットが表示される。BGMに思いっきヘンデルの「メサイヤ」が流れ、オタクたちが「やっぱり宗教モチーフで全人類ハーモニクスが『最後の審判』に読み替えられてたじゃねえか!」といきりたつが当のタルコフスキー原作者と同じく夭折していてこの世にいない。いたらいたでコーカサス山脈撮影に都合のいい海や湖がないからブチ切れそうだ。というかミァハたちの会話がえんえんと一時間もつづく劇場版ハーモニー』なんてどう考えてもつまらないし、正直なところ①②③とか書きはじめたあたりからどうでもよくなっていた。劇場版ハーモニー』はあれはあれでいいと思う。

2009-11-28

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980

映画を体系的に見たいと思って大学に入ってから教養として映画を見ていた。

好き、好きじゃないだけで判断してるんじゃ嫌だなと思ったから。

とりあえず「見てないとバカにされそう」な映画を選んで観ることにした。誰からされるかは知らないけど。

「このリスト全部読んでないと猿です」って言ってた奴もいたけど、ああいうのに影響されてたかもしれない。

もちろん、この7本は全部観てるし

ヒッチコックも、エイゼンシュタインも、ゴダールも、アンゲロプロスも、ワイルダーも、成瀬も、

タルコフスキーも、グリフィスも、ビクトル・エリセも、フェリーニも、陳凱歌も見た。いかにもでしょ。

大学入って3年で千本はいかないけどかなりの数を見た。これでもシネフィルにしてみればしょぼい数字なんだけど。

小説音楽も同じように体系的に理解したかったからとりあえず「読んでないと・聞いてないとバカにされそう」なものを選んできた。

数をこなした。ジャンクじゃないであろうものを何百冊読んで、何百枚アルバム聴いた。

オーディオが音飛びしてるのにあとで気付いた音楽もあった。

要は素晴らしいとされてるものを秩序付けて理解したいし、できるんじゃないかと思ってた。気持ちよくなりたいと思ってた。

だけど体系的に理解できるようにならなかったよ。お気に入りになったのはいくつかあったけど。

で今はこんだけ数こなしても体系的に理解できないならもういいやって感じ。

ソーカル事件ってある種の救いだよね。違うか。

結局、自分が好きなのはファイト・クラブだし。

はてなにも面白い映画評を書いている人が何人かいるけど、その人たちが体系的に理解できているかといえばそうじゃないと俺は思う。

でも、面白い。個人的な見方をしているから。それが自分とは違う見方でそれに納得できるから。自分が考えたのとは違うその映画の面白さを改めて発見するから。

だから、映画を体系的に理解するより、面白く映画を語れる方がよっぽどいいね。

でそれには映画を年間何百本も観る必要はない。人間的に面白い人になった方がいい。そっちの方が難しいけど。

みんなが蓮實重彦になる必要はないし、そんなのは絶対嫌でしょ。

畢竟、体系的に映画を観るための○本ってのは自分審美眼の正しさと自分の知識を権威づけるある種の権力闘争にならざるをえないよね。いいとか悪いじゃなくて。

つーか、今どきそんなに映画見てる奴も本読んでる奴もいないよ。クリエイター志望でキューブリック知らないぐらいなんだからさw

とはいえ、体系的に映画を理解したいとか言って、見れる環境にいるのに今「母なる証明」見に行ってない奴なんなのとも一方では思うよね、てへ。

つーか、体系的ってなんだよ。ファック。

2008-12-30

押井守インタビュー2004年

midnighteye.comより。

雨宮ねいさんがチラ見してくれたようなので脊椎反射してしまいました。

みなさん、よいお年を!

押井守 インタビュー 2004. 9. 23

ニコラス・ルッカ(Nicolas Rucka)

様々な風景を見せるようになった日本アニメにおいて、押井守は彼独自の場所を築き上げるに至った。SFエンターテイメントという枠に捉えられる事もしばしばだが、彼の仕事はその要件を遙かに凌いでいる。押井ジャンルという括りに疑問を投げかけ、SFと現代の生活との間にまっさらリンクを構築してみせた。彼のこうした姿勢は、アニメーションという体裁の境界を拡張するアプローチスタイルと結びついている。それは「攻殻機動隊」のすばらしい続編である「イノセンス」に見てとれよう。

ルッカ: あなたの作品第二次世界大戦前後ヨーロッパの様式、とりわけ東側諸国の影響が大きいかと思います。それはどのように培われたのですか?そしてこれまでの作品で表現されてきたあなたの世界観にどのような位置を占めていますか?

押井: 若い頃からヨーロッパ映画を見て、楽しんできた。古典的で、古いスタイルの様式、雰囲気といった東ヨーロッパ的なものは静謐で美しく、そしてノスタルジックで、ひどくそそられたね。

ルッカ: もうちょっと続けますけど、あなたの映画で言及される70年代終わりから80年代にかけての欧米サイバーパンク小説映画ウイリアムギブソンの「ニューロマンサー」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」などは日本の街並み、風景、そしてテクノロジーの影響を強く受けています。で質問なんですけど、こうした話法を引き続き採用するのか、それともより高位のゴールでこれら要素を取り入れるかって事なんですけど?

押井: 僕の作品サイバーパンクに分類される事が多いけど、個人的はそうじゃないと思う。「ブレードランナー」みたいに本当に楽しまされた映画があって、映画作りの上である程度役に立っている部分もあると思う。でも僕以外にもっと影響を受けている人ってたくさんいるんじゃないかな?人間サイボーグを題材にした映画を作るなら、「ブレードランナー」にふれないわけにはいかない。このテーマに関する先駆けだからね。こうした話法を採用するか、それともしないのかなんだけど、僕のゴールは未だかつて誰も見た事のない新しい映画を作る事だからね。それは「イノセンス」で証明できたと思ってる。

ルッカ: あなたの作品、とりわけ「アヴァロン」なんですけど、タルコフスキーを偲ばせる要素が多く見受けられる。そうした影響は?

押井: 今はそうでもないけど、昔はすごい好きだった。でも「ストーカー」や「惑星ソラリス」、「鏡」は今でも好きだね。

ルッカ: 押井さん、これは私見なんですけど、犬との交わりを人間より優先させているかと。こうした傾向は主題的化身の選択、それとも人間という形態はもはや必要ではないという人間意識のあり方のどちらと結びついています?

押井: 僕個人的には犬との結びつきを優先させる。でもそれは人によってまちまちだと思う。人間が「主体」の一部を失い出すと、己が何者かを知るために他の何かと関わらざるを得ない。それは僕のように犬だったり、猫や他の動物かもしれない。生き物である必要はない。機械、車、コンピュータ、街、自分以外だったら何でもいい。それが失われた「主体」を見つけ出すって事です。

ルッカ: 人類というあり方は時代遅れのものですか?もしくはそうなると?

押井: おっしゃりたい事に確信はもてないけど、間違いなく人類というあり方は失われつつある。動物は常に同じであったし、これから先も変わらない。でもテクノロジーの発展によって人類は常に変化するし、変化せざるを得ない。でも、変化や進化を恐れてはいけないし、それを受けいれ、共存する事を学ぶ必要があると思う。

ルッカ: 映画作りの際には何から手をつけますか?印象的なイメージ、本、音楽から着想します?まずは脚本から?

押井: 僕の頭の中には違ったアイデアがたくさんある。それをどうやって映画で生かすか、って事なんだよね。企画が来る頃にはすでに何かが頭の中にあるんだ。発想の多くは小説写真集に目を通したり、いろんなクリエイターと話す事によって生まれるけど、実際の具体的なアイデア映画の基礎といったものは作品作りの前に決まってるんだ。

ルッカ: スタッフはいつも一緒ですか?

押井: いつもって訳じゃないけど、だいたいそうだね。実写か、アニメかによるけど、中核となるグループはたいてい同じ。彼らは本当に才能があって、辛抱強いと思うし、あ、でもわがままで頑固だけどね、ぼくは十全の信頼をおいている。彼らがいなかったら、映画は絶対に作れない。

ルッカ: 制作準備にはどのくらいの時間をかけます?そこでは何を?

押井: 準備には1年。基本的には作品の行き先を定める。

ルッカ: 「イノセンス」では実際の制作、そして編集ははどれくらいかけました?

押井: 実際の制作には2年、編集が1年。全部で4年。

ルッカ: 創作について最も影響が大きかったのは?「イノセンス制作にあたって何を吹き込まれました?

押井: 我が愛するバセットハウンドガブリエルです。この映画は僕と僕の犬に関するものです。

 
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