はてなキーワード: 惑星ソラリスとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.kotaku.jp/2015/02/25-sf-movies-everyone-should-watch.html
良い子のみんな! SF映画を語るにあたって一番信用できない人間は「『ガタカ』はすばらしい」と抜かす輩だぞ! 本質的には『プラン9・フロム・アウター・スペース』をススめてくるやつと変わらないぞ!
ほのぼのファミリー映画『シャイニング』でおなじみの巨匠がどたばたスペース・オペラに挑戦! 宇宙シーンは、現在のSFXゴテゴテ作品とは違い、完全ミニチュアによる特撮で、とってもあたたかみを感じられるぞ!
純愛SF映画の金字塔! 時間の流れが非常にゆるやかな作品だから、ついちょっとウトウトしてしまったとしても作品把握に影響はないぞ!
オーストラリアには『マッドマックス』があるかもしれない、だが、日本には『狂い咲きサンダーロード』がある! 青春SFバイク映画の金字塔だ! 小林稔侍の薔薇も見られるぞ!
タイムパラドックス? 親殺しのパラドックス? 気にするな! 時間ループもの本質はロマンスの純化にあるのであり、わけのわからない制約を設定して観客を混乱させることではない! ルール無用! 愛 is 最強! 『ラブ・アクチュアリー』の監督がてがける時間SFロマンスの新しい金字塔だ!
とってもキュートな異世界(惑星)観光SF! 崩壊前夜のソ連はランドスケープそのものがSFだったんだ! という彼我の圧倒的な差をおもい知らされるぞ!
SF映画はウィンプどもが理屈ばっかり並べる作品ばっかりで疲れるよ〜もっと筋肉が見たいよ〜と嘆くマッチョなあなたにオススメ! 主演はあのブルース・ウィリス! 肉体ひとつで因果律をぶち壊すぞ! ブラピも出てくるし超大作っぽいルックスだ!
卑劣で醜悪な異星人たちから地球を防衛すべく、戦場に赴く若者たちのアツい生き様と友情を描いた戦争SF映画の大傑作だ! 原作者ロバート・A・ハインラインのメッセージをかぎりなく忠実に脚色してるぞ! 『バトル・フィールド・アース』となんとなく間違えやすいタイトルなので要注意だ!
原作者のJGバラードは辞書をひけば「SF作家」と記されている人なので、彼が書いたものを映画化した本作も当然SFだ! オトナの恋愛SF映画の最高峰だぞ!
ガジェットや舞台だけがSFではない! 世にはスペキュレイティブ・フィクション(思弁SF)と呼ばれるジャンルもある! カウフマンの『脳内ニューヨーク』はメタフィクションが大好きなオトナたちにオススメの最強のメタメタ映画だ! 「いくら複雑って言ってもクリストファー・ノーランなんてなんだかんだで一回観ただけでわかるじゃん」とつねづね同僚に愚痴って迷惑顔をされている人も何回でも楽しめるぞ!
雨宮ねいさんがチラ見してくれたようなので脊椎反射してしまいました。
みなさん、よいお年を!
ニコラス・ルッカ(Nicolas Rucka)
様々な風景を見せるようになった日本アニメにおいて、押井守は彼独自の場所を築き上げるに至った。SFエンターテイメントという枠に捉えられる事もしばしばだが、彼の仕事はその要件を遙かに凌いでいる。押井はジャンルという括りに疑問を投げかけ、SFと現代の生活との間にまっさらなリンクを構築してみせた。彼のこうした姿勢は、アニメーションという体裁の境界を拡張するアプローチ・スタイルと結びついている。それは「攻殻機動隊」のすばらしい続編である「イノセンス」に見てとれよう。
ルッカ: あなたの作品は第二次世界大戦前後のヨーロッパの様式、とりわけ東側諸国の影響が大きいかと思います。それはどのように培われたのですか?そしてこれまでの作品で表現されてきたあなたの世界観にどのような位置を占めていますか?
押井: 若い頃からヨーロッパ映画を見て、楽しんできた。古典的で、古いスタイルの様式、雰囲気といった東ヨーロッパ的なものは静謐で美しく、そしてノスタルジックで、ひどくそそられたね。
ルッカ: もうちょっと続けますけど、あなたの映画で言及される70年代終わりから80年代にかけての欧米産サイバーパンク小説や映画、ウイリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」などは日本の街並み、風景、そしてテクノロジーの影響を強く受けています。で質問なんですけど、こうした話法を引き続き採用するのか、それともより高位のゴールでこれら要素を取り入れるかって事なんですけど?
押井: 僕の作品はサイバーパンクに分類される事が多いけど、個人的はそうじゃないと思う。「ブレードランナー」みたいに本当に楽しまされた映画があって、映画作りの上である程度役に立っている部分もあると思う。でも僕以外にもっと影響を受けている人ってたくさんいるんじゃないかな?人間とサイボーグを題材にした映画を作るなら、「ブレードランナー」にふれないわけにはいかない。このテーマに関する先駆けだからね。こうした話法を採用するか、それともしないのかなんだけど、僕のゴールは未だかつて誰も見た事のない新しい映画を作る事だからね。それは「イノセンス」で証明できたと思ってる。
ルッカ: あなたの作品、とりわけ「アヴァロン」なんですけど、タルコフスキーを偲ばせる要素が多く見受けられる。そうした影響は?
押井: 今はそうでもないけど、昔はすごい好きだった。でも「ストーカー」や「惑星ソラリス」、「鏡」は今でも好きだね。
ルッカ: 押井さん、これは私見なんですけど、犬との交わりを人間より優先させているかと。こうした傾向は主題的化身の選択、それとも人間という形態はもはや必要ではないという人間意識のあり方のどちらと結びついています?
押井: 僕個人的には犬との結びつきを優先させる。でもそれは人によってまちまちだと思う。人間が「主体」の一部を失い出すと、己が何者かを知るために他の何かと関わらざるを得ない。それは僕のように犬だったり、猫や他の動物かもしれない。生き物である必要はない。機械、車、コンピュータ、街、自分以外だったら何でもいい。それが失われた「主体」を見つけ出すって事です。
ルッカ: 人類というあり方は時代遅れのものですか?もしくはそうなると?
押井: おっしゃりたい事に確信はもてないけど、間違いなく人類というあり方は失われつつある。動物は常に同じであったし、これから先も変わらない。でもテクノロジーの発展によって人類は常に変化するし、変化せざるを得ない。でも、変化や進化を恐れてはいけないし、それを受けいれ、共存する事を学ぶ必要があると思う。
ルッカ: 映画作りの際には何から手をつけますか?印象的なイメージ、本、音楽から着想します?まずは脚本から?
押井: 僕の頭の中には違ったアイデアがたくさんある。それをどうやって映画で生かすか、って事なんだよね。企画が来る頃にはすでに何かが頭の中にあるんだ。発想の多くは小説や写真集に目を通したり、いろんなクリエイターと話す事によって生まれるけど、実際の具体的なアイデアや映画の基礎といったものは作品作りの前に決まってるんだ。
押井: いつもって訳じゃないけど、だいたいそうだね。実写か、アニメかによるけど、中核となるグループはたいてい同じ。彼らは本当に才能があって、辛抱強いと思うし、あ、でもわがままで頑固だけどね、ぼくは十全の信頼をおいている。彼らがいなかったら、映画は絶対に作れない。
ルッカ: 制作準備にはどのくらいの時間をかけます?そこでは何を?
ルッカ: 「イノセンス」では実際の制作、そして編集ははどれくらいかけました?
サイエンスフィクションの中でも『サイエンスが単なる道具扱い』のものは「SF風○○」に過ぎなくて、「ホントウのSF」とは『サイエンスを通して人間を描く』ものだ、というのがハードなSFマニアの感覚なのだと思う。
個人的には、SF『風』に見えても芯のしっかりした作品はSFと言ってもいいと思うけど、その辺は人によって揺れるとは思う。
というわけで、○×つけてみる。一応左から「狭義」「個人的定義」の順。個人的にも×をつけたものは、一言理由を書く。
××天空の城ラピュタ(スチームパンクっぽい世界観は面白いけど、これもサイエンスじゃない)
×?エヴァンゲリオン(ラストをよく知らないんだけど、使徒ってサイエンスなの?)
××ガンダム(後付で色々考証してるけど、作品自体は設定の細かいロボットアニメ。)
△○プラネテス
個人的な好みが境界線を左右する傾向は否めない。批判は甘受する。
ちなみに、うるさいこと言う人は『ハインラインでも「夏への扉」はダメだよね』みたいなことを言う、的なエントリがちょっと前にあったような気がする。
理系大学院修士。「エウレカセブンみたいなSFって腹が立つ」と書いたら、そもそもエウレカセブンはSFじゃない、と言われた。うん、自分でもSFに詳しくないというのはよく分かっているから、専門家からみると、そうなのかなぁ、と思う。そこで、「SFって何?」って聞こうと思ったけど、Wikipediaかなんかへのリンクを張られるのが落ちだし、定義文を与えられても、結局、個々の作品がSFなのかどうか分からない。
そこで、最も広い意味でSFと呼べそうな作品を実際に上げてみて、「この中でこれはSFと呼んではならない」という事例を集めた方が、「SFってなんですか?」ということが分かりそうな気がしたので、やってみる。
とりあえず思いつくままに、10個上げてみた。以下について、SF/SFじゃない/知らないの3択で答えてくれ。「この作品が挙がってないぞ」っていうのがいくらでもあると思うので、SFかどうかの判断も含めて勝手に追加してくれ。
・ガンダム
理系大学院修士。エウレカセブンを見ているが、どうも、こういうSFを見ていると、無性に腹が立つ。最初、何で腹が立つのかわからなかったけど、ようやくわかったわ。
SFの世界では、主人公の「気持ち」で世界が変わる。実際の科学では、自分の気持ちなんて関係ない。科学にあこがれようが、科学で世界を変えたかろうが、いい論文を書きたかろうが、いい実験結果を得たかろうが、自分の「気持ち」とは関係ない。
関係あるのは、論理的に正しいかどうかだけだ。それを支えるのは、才能と金と環境だ。
SFを見ていると、「いい加減、こういう幻想を子供に見せて、科学に夢を持たせるのはやめろ!」といいたくなる。結局、科学っていうのは一部の優秀な人間だけのものなのだ。優秀な人間が頭が悪い人間をあざ笑うための道具に過ぎないんだ。頭の悪い無能な人間は、優秀な人間を恨み、羨みながらも、彼らが論理的には正しいことを言っていることを認めなければならない。嫉妬と憎悪というのは、科学に最も似合う言葉だと思う。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
それでも、論理的に正しいものは認めなくちゃいけない。その恨みと嫉妬とやりきれなさが科学の美しさだと思う。SFでは、年端もいかない少年が、世界を救ったりするけれど、そんなヒーローは科学には、ごく一部しか存在しない。ヒーローになりたい人間は、科学者以外のものを好きになるべきだ。科学者はヒーローではない。
まぁ、嫌だったらSF見なきゃいいんだけどさ。こういう幻想を見ていると、憎悪がふつふつと湧き上がる。
追記:
なんだか、まとまりなく、てきとーに書いてしまって申し訳ない。
要するに言いたかったことは、「子供に下手に夢とか希望とか熱意とか見せんじゃねぇよ。世の中挫折する人が大半で、夢とか希望とか強固に持っていると挫折するのが辛くなったり挫折を認められずに時間ばっかりたっちゃったりするぜ」ってことなんだが・・・それってSFと関係ないよね、うん。エウレカセブンにも直接関係ないのだから、言及すべきでなかった。申し訳ないなぁ。
作品としてみると、エウレカセブンは洗練されていていい作品だと思うよ。
エウレカセブン見ながら、あ、この部分的に似ていると思った作品:
まぁ、比較しちゃうよねぇ。人とロボットが精神的につながらないとうまく動かないという発想とか、いざとなったらロボットの方が意志をもって助けてくれるところとか、後は一部のグロいシーンが似ているな、と思った。が、似ているなと思っただけで伝えようとしているものは全然違うと思う。
最初のトラパーの波を読むエウレカ→風を読むナウシカ、レントン(技術者)→アスベル(工房の街ペジテの王子)、対応そのままやん、と最初に思った。
惑星が意志を持っている点とか、抗体コーラリアンとファントムとか、似ているなぁ、と思った。
星に知性があって、死んだはずの姉さんや父さんが表れるというのは、惑星ソラリスだろ。エウレカセブンは、一言で言うなら「スカブコーラルによって地球が惑星ソラリス化する話」なんじゃないかなぁ。
七夕の国
この作品は知っている人、すごい少ないんじゃなかろうか・・・マンガ「寄生獣」の岩明均のマンガ作品。抗体コーラリアンが出た時に、建物や人が材質に関係なく球状に穴が開くシーンがいくつかあるけど、これ見たとき、「七夕の国」だ!!と思った。いや、似てるってだけで、参考にしているとは思えないが。
http://tod.cocolog-nifty.com/diary/2006/04/post_6919.html
この感想、すごい。俺も、理系ならこういう簡潔な感想が書きたかった。
まだまだ、誤解しているところが多かったなぁ。
ちょっと理解がおかしかったところがあったし、変にエウレカセブンに言及して申し訳ないなぁ、と思っている。