はてなキーワード: ソーカル事件とは
成田悠輔のプレゼンを初めて見たけど、こんな歩くソーカル事件みたいな人物が持て囃されてたとはさすがに思ってなくて唖然としてしまった
現状否定の材料を色々持ちだしてきて、自分が絡んでるプロダクトを褒めて見せて、それと比べた比較対象が如何に劣悪で魯鈍かを蔑んで見せて、実現できそうもなく成功する根拠もない改善策を提案したあと締めが「諦めろ」」「サンタに壁を壊してほしい」(プレゼンがクリスマス前後だったんだろう)
こんなクソの役にも立たない悲観的夢想論のパフォーマンスプレゼンをルックスのよさとレトリックの巧さだけで成立させるスキルは確かにすごい
でもこれに頭下げて金払うのはさすがに虚無すぎるだろ
そんなにこれを呼んでくると客が集まるの?
精巧な食材サンプルをあまりに美味しそうだからってそのまま食ってるようなもんだろコレ
世も末すぎる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ソーカル事件の問題点を要約すると、「自分を賢いと思ってる/賢いふりをしたい馬鹿は、シンプルで普通にわかる話よりも、複雑でわかりにくい話をわかったように振舞うのを好む」という話。
つまり、お前らだ。
イスラエルがガザの無差別虐殺をしていることを理解するのに「ユダヤ2000年の歴史」を得々と語る必要はないし、Appleの動画炎上に「文化が違う」なんて説明をする必要もない。
イスラエルは単純に政治的野心がある西欧最後の植民国家だし、Appleの動画はカートゥーン的な表現をリアルにしたものに過ぎない。
でもお前らはそういうシンプルで合理的な答えを好まない。ものごとの裏には何かもっと「面白い話」があってくれと願っている。
だから常にSNSや増田では「面白い話」が伸びる。そしてそれを「面白い話」としてだけ受容してるならともかく、もちろんそうやって拡散されてしまった話は普通に信じられて常識みたいになっていく。
そうやって出来上がっていくお前らの世界こそがネット右翼やQアノン、デマ・妄想・歴史捏造の温床なのだと何故気づけない?
ソーカル事件も知らないのか?
…とこんな風な話をすると、お前らはたいていこう返してくる「ソーカル事件くらい知ってらい」いや、知ってるなら余計に問題なのだという話をしている。
ソーカル事件をソーカル事件という「面白い物語」のひとつとして覚えてるだけだからお前らは駄目なんだ。
ソーカル事件という教訓から「シンプルでレトリックの少ない話を尊ぶ」という学びを得てないから駄目なんだ。
本当に論理的で嘘のない文章は、面白くない。これは断言できるが、お前らが「面白い」と判断するようなものには絶対にならない。それが面白いという場合は、数学や物理の教科書を読むように、一行一行一言一言のつまらなそうな単語の裏にどれだけ綿密なロジックの準備があるかを紐解いて初めて面白いと感じるときのみである。そんな読み取るのに時間のかかるものはネットでバズらないし、それをバズるような価値観の変化を望むのは流石に不可能である。
だから、お前らが誠実で「賢い」人間でありたいなら、できるのは「バズるような物には中身がない」と自分を客観視することだけだ。
中身のないものをバズらせるのは良い。バズったものを面白いと感じるのも良い。しかし、バズったものは、自分が面白いと感じたことには、面白いだけで中身がないと自覚だけはするべきだ。面白いから知的だ価値もあるはずだというのは認知バイアスでしかない。本当に賢くなりたいなら認知バイアスを自覚しろ。
自分は賢い話も理解できるが、中身のない話も面白がるしバズったら読んだりしちゃうという程度の人間だと客観視できるのが、本当に賢い人間だ。
ソーカル事件のような例がどんなに歴史に積み重なっても、それを教訓でなく只の面白い話としてしか消費しないオタクのような受容では、賢い人間が歴史から学んだ教訓というようなものには決してならない。人類は成長しないままだ。
そう思うんだな。お前の感想が聞けて嬉しいよ。で、俺がそう見えるのを気にしてるなんて言ったのか???
お前、俺に「逆立ちしたムジナに見えるぞ」って言われて何を思う?理由が知りたいよな?それの何が悪いのか知りたいよな?
例えば、ソーカル事件の解釈の仕方が間違ってるならどう間違っているか、適切な資料を引用して説明しなきゃ伝わらないけど、それ分かってる?
とにかく、具体的に説明してくれよ。匿名である以上、あんたの感想はそこまで価値がない。悪いんだけどちゃんと説明して。
だいたい哲学の話ってモノのたとえで出しただけの話で、そんなに間違うほど言及してないけど。
しかも大本の増田なんか前提となる論の根拠が薄弱だし、論理の組み立てもクソもないし、いくらでも揚げ足とれるよ。
コツは「である」みたいな断定の前後にガバがあるってところ。分かった??????やってみ楽勝だから。できないんだろ????
すまんwwwwwwまた俺の勝ちwwwwwwwwww敗北の味が分からんのだがwwwwwwwwなぁ食わせてくれやwwwwwwww
というか、マジで哲学を専攻する人のソーカル事件への態度って知りたいんだよね。生の声で。
あー哲学も聖域じゃなくてキチンと査読しないとねーって思っているのか、過去の積み上げが違うし伝統ある信頼関係の上に立っているので大丈夫って感じなのか
言い訳じゃないよ。コミュニケーションエラーを訂正したかっただけ。多分俺を哲学者が全員バカだと思ってるやつだと決めつけてるからそう感じるんだろ?
例えば論理哲学論考とかは(前後の文脈を読み込んできちんと理解できてるとは決していえないが)すごそうと思ってるよ。
ソーカル事件について理解してないってのは、wikipediaからの雑な引用になってしまうが、下記の点からバカな哲学者の揶揄には使えないって話?
「ポストモダン哲学」において使われる比喩やアナロジーを執拗に嘲笑しているだけで、思想そのものの検討や批評はまったく行っていないため、ソーカルの行為は「単なる揚げ足取りにすぎない」「本そのものを読んでいない」として事件当初から厳しく批判されてきた[9]。
実際に、その後もデリダを中心とする「ポストモダン哲学」の学術的重要性が減じることはなく、現在にいたるまで彼らの思想が重要な研究対象でありつづけているのは、ソーカルによる批判が本質的なものではなかったためだとも指摘される[3]。
それでこれ思い出したわ。
でも,あれは本当のところ一種の哲学の貧民窟だね.ラッセル・ウィトゲンシュタイン・フレーゲの時代にあんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学にはいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学の著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.
このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法を実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言を引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーはしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.
https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931
以下が背景ね。
ジャック・デリダによるサールへの最初の攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為の自然な発展的研究主題として志向性の研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後である。デリダは、アメリカ・ディコンストラクション派の無名の雑誌「ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体したかのような長大な文章を掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話が法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University
” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実の構成』に一部含まれるポストモダニスト批判を展開した。1990年代、社会生物学論争と「マーガレット・ミードとサモア」による文化相対主義批判の勝利、さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論がアメリカでフレンチ・セオリーと別称されるようになる。