はてなキーワード: クーロンズゲートとは
今ググったら超映画批評15点とか書かれててやっぱり笑ってしまうんだけど、
個人的には紀里谷キャシャーンはあんまり嫌いではないんだよなあ
超映画批評の最後の方に書いてあるように、美術的な面では自分も嫌いではない
あんな感じのCGが昔のMYSTとかGADGETみたいな静的レンダリング、
単なる静止画3DCGのアドベンチャーゲームがあって、
当たり前だがハリウッドとは雲泥の差が今でもシンゴジラレベルでもあるわけだけど、
ショボい環境もアドバンテージに変えるように画面に一貫性を持たせているように感じられて、
そこが単調と言えば単調だったり、何やってるかよく分からない、
自分のような素人ながら思うのは、あれを制作、編集するのはかなり苦労されたと思うんだよなあ
そこがデビルマンと圧倒的に違うところでw
紀里谷キャシャーンは糞映画呼ばわりされる定番ではあるのだけど、
個人的には観てても色々と惜しいと思うことばかりで、
それをミッチーみたいな役者が救ってる辺りがもったいないというか何とも言えないというかw
個人的には技術的に遥かに優れてる鋼の錬金術師や進撃の巨人の年末芸能人コスプレ大会より、
紀里谷キャシャーンの方がマシにさえ思えてくるんだけど、
うーん、惜しいんだよなあ、ほんと惜しい…
https://anond.hatelabo.jp/20191105010524 の記事を書いた増田です。
たくさんの方に読んでもらえて驚きました。ちょいと遅いですが追記です。
一度は途中投稿してしまい恥ずかしくて投稿を消そうと躍起になったのですが、編集方法を教えてくれた優しい人がいたので頑張って続きを書かねばという気持ちになれました。
恥ずかしがらずに最後まで書いてよかったです。
わりに笑わせるつもりで書いたのに泣いたとおっしゃる方がいたことに驚きました。
みんなゲーム大好きなんだな。
いくつか返信が必要そうなブコメがあったので追記させていただきます。
釣ってしまったならごめん。
主目的は(トップブコメにあるように)ゲームのナラティブ性について語りたかったんだ。
元増田に対して「ゲーム」がその後、業界にまで入ろうとした強い動機付けを起こさせてるんだぜっていう本文の補強のつもりだったんだけど、
入った会社はクーロンズゲートやコンシューマーとは関連の弱いところだったからそれを書くと主軸がぶれるし内容が個人的なものになりすぎると思ったんで省いてしまった。
そこからめくるめく是空(クーロンズゲートを作ったところ)のスタッフになった話でもかけたらよかったんだけど、
私が就活をする頃には当時のスタッフはみなゲーム開発から離れてしまっていた。
とはいえクーロンズゲートが発売して1~2年くらいはスタッフが公式サイトのチャットによくログインしていて、私とよく話をしてくれた。(古き良きインターネッツ)
当時のハンドルを書けば誰か私を覚えていてくれる人がいるんじゃないかと期待してしまうが、きっと覚えてもらえてないだろう。
■妄人増田
シテ…コロシテ……
■「○○が信じられない」みたいな人はわかる気がないので無駄
そうだろうか?
理解する気はないけど、ほんとに少しでも私を説得できるならしてみろよという気持ちを感じた。
みんなが楽しんでるものを理解できないつらさってあるとおもう。
■CSゲーマーがソシャゲのことを「ゲームじゃない」と思いがちな理由のひとつかもなと思った
そう思う人がいるなら残念だ。
プレイヤーがアクションを起こすことで微々たることでも自分だけの世界(もしくは思い入れというもの)が構築されるのであればそれはゲームだと個人的には思う。
でもあえて言うならソシャゲ黎明期のころ、ほとんどのソシャゲ会社がゲームが好きだからではなくお金が儲かるから参入した所が多かったのが残念に思う。
ゲームのゲの字も通過してきていない、それこそ時間の無駄と思ってるデザイナーが
なんとなく居場所を求めてたどり着いた先のソシャゲ会社で怒鳴り散らしているを見てきたけど、とても下に就きたいとは思わなかったな。
特に、内心ユーザーを馬鹿・金づるだと思ってる開発者の下にはね。
終わりの見えない泥沼化になっており本当に残念だ。
九龍城塞をはじめ、香港は歴史的にずっと領土争い自治権争いの先端にいる。気の毒だ。
香港はそこに住んでいる人たちのものだ。どうかなるべく怪我人が出ませんように……。
■兄です。
オトンの補聴器の金を出してくれ。
クーロンズゲートはアドベンチャーゲーム(公式)だよ
あと、やはりというかクーロンズゲートを知っている人がほんとに少なくて笑いました。
そうかぁ。残念。
もはやあれをプレイできる環境にいる人も少ないと思うので、プレイ実況を探してみてください。
本当は実際にやってほしいけどね。プレイすることでアレを「構築」してしまったメタ的な絶望感を知ってほしい。
おっとこれ以上はネタバレか。
少し長くなるが議論を聞く余地がありそうな書きぶりだったのでよかったら読んでほしい。
私は高校生までこの方と同じような状況と考えだった。
何時間もやる連中の気が知れない。
映画が好き。
私の兄は子供の頃からゲームが大好きな人だった。兄弟のお年玉を共有財産として使ってしまう人で、私が無欲だったのをいいことに私のお年玉を自分のお年玉と合算してゲームを買ってしまう人だった。
(いま思えば兄への不信感はこの時から始まり以後数十年続いているのだけどそれはまた別の話)
自分はそれこそゲームなんてまるでなんの興味も関心もなかったし、シューティングゲームだのRPGだの、そういったゲームを兄が夢中になってやるのを、冷めた目で見ていた。
ためしにやってみなよと言われていくつかやってみたものの、ぷよぷよはどうしても半魚人に勝てないし、星のカービィはかわいいキャラクターの動きを見るのは楽しいが見てるとボタンがうまく押せないし、
ファイナルファンタジーはお話があったので兄がプレイしているのを後ろで読むのは好きだったが戦闘やレベル上げが始まるとくそ面白くなくて見なくなり、そうなるといつの間にかシナリオが進んでいて結局話についていけなかった。やるにはやるが面白いと思ったことがなく、ゲームをクリアする達成感なんて得られたことはなかった。
とにかく、ゲームは男の子が好きなもの。女子によさはわからない。そういう割りきりをしていた。
初めて自主的にゲームを買ったのは高校生の頃だった。新聞の一面広告。
クーロンズゲートというゲームだった。主人公らしきサラリーマンの実写の顔部分がライターかなにかであぶってあり、焼けて穴が開いている。
1997年2月27日の新聞。クーロンズゲートが明日発売されるという全面広告がある pic.twitter.com/hDwVHpxADp— ぴざろぼ (@pizarobot) June 2, 2013
写真の背景になっている香港、特に九龍城塞のこともこのとき初めて知った。
それまで自分は新しくてきれいな場所やモノが好きだった。おさがりのカバンや勉強机は嫌いだったし小汚い祖母の家は嫌いだった。
建物も街も新しいほうがいい。
だけどそのゲームのデザインは「臭くて異臭を放つグロテスクで暗く汚い街」を全面に見せていた。いわゆるデカダンスとかそういう美学と初めて会ったのがこのゲームだった。
汚い街でもゲームなら歩ける。
今思えば、サラリーマンの顔が焼け落ちていたのも主人公はあくまでプレイヤーといいたくてそう言ったデザインだったんだろう。実際ゲームは主人公の姿かたちの明言は一切なく、始終一人称視点で進むものだった。
ぞわぞわした気持ちで、気が付いたら予約購入していた。よくわからないものに高校生が一万円弱の出費(初回特装版)。どんな話なんだろう、これはどこだろう、とにかくこれが何なのか知りたかった。
どうやらこのゲームをするのにプレイステーションが必要らしかった。
当時は人気商品でなかなか入荷しなかった。
ゲームソフトはその後たしかすぐ手元に届いた気がするが、プレステ本体を手に入れるのにはそれから半年前後かかった気がする。
この値段ですといわれたものを言い値で買うのは初めての経験だった。
本は中古屋で買っていたし、映画はなるべく安くなる日を選んでいた、バイトもしていない高校生が万単位のものをポンポンと。今思えばケチの私が、異常だった。あれはなんだったんだろう?
今思えば妙な突き動かされ方だった。
実際初めてプレイしたゲームにはいろいろ苦労したが、私はそのゲームを何とか一年半かけてクリアした。
世の中ではこのゲームを香港返還前にプレイし終わるのが目標みたいに騒がれていたが、コントローラーを握るのがほとんど始めてみたいな私には無理な相談だ。とにかく自分のペースでやった。
なぜこんなに時間がかかったのかというと、それは主に敵の出るダンジョンが怖かったからだ。
よくyoutubeにホラーゲーム実況チャンネルが軒を連ねているが、見るのとやるのでは怖さが違う。自分でやりたくない人が実況動画を見るのだなと思った。
ひたすら人気のないダンジョンをたった一人だけで、進む怖さ。
私はその時はゲームをプレイしているわけではなく、そこに、本当に、自分が風水師として香港を歩き回っていたように感じた。
クエストをこなすと人に感謝された。たまには、「余計なことを」と感謝されなかった。
高校生が実感したことのない大義と任務と達成感がそこにあった。中毒になった。
新しい街に踏み込むと、探索にわくわくした。
やり始めて数時間は町並みに圧倒されつづけ、その後数時間は不気味なキャラクターたちのセリフに魅了され、シナリオが半分も進んだころには再びぞわぞわした得体の知れなさに震えた。
これはもしかしてマスターピースともいえるとんでもない名作を手にしたのではないか?という興奮だった。
実際には、世間の評価は厳しく、「一部のマニアックなものが好きな人にカルト的人気を誇った」作品という扱いだったが。
あとから調べれば調べるほど、台詞や要素がすべてオカルト的、文学的、歴史的な裏打ちがあり、ゲームの攻略本には荒俣宏が何ページもコメンタリーを載せていた。
今のゲーム業界で当たり前になっているオープンワールド(自分で自由に散策できる世界)がはやるのはこういうことなんだろうと思う。
画面の向こうの世界へは肉体の隔たりがあるはずなのだが、脳は単純で勘違いをする、ここにいると。
ゲームをクリアした後も、あの世界、あの自分の立場や仲間たちが恋しくて「香港に帰りたい」と何度か思った。
実際、啓徳空港が閉鎖するとニュースで聞いて、いてもたってもいられなくなり、初めてバイトをして、一人で旅行会社を見つけて香港へ行った。
写真を、フィルムで15本とって帰った。現像に出すと全部で三万はした。
これでしばらくはホームシックにならずに済むかも、とすら思った。
高校生活は退屈で何にも覚えていないが、香港で孤独に活躍し世界を守ったことは覚えている。
少なくとも、私は、ゲームは疑似体験そのものの楽しさだと思っている。
ゲームメイカーが作った世界でもう一つの自分の可能性を体験する。
風水師の自分、どこかの国の王族である自分、アンドロイドの自分、人間以外の何かである自分……。
PS4のCMのコピーが「できないことができるって最高だ」だったんだけど、これを見たときニヤリとしてしまった。
わかるわかる。そういうゲームをやった後って、夢の中でも飛び始めるんだよね。自分がね。
「デトロイト」をすると、何度も人の命を自分が預かるシチュエーションに陥る。
選択肢を求められると、自分がどんな人間なのかを考えさせられる。そしてその結果を見ることができる……。
不思議なのはゲームと分かっていても、人を犠牲にしたり殺す選択肢を選ぶときは心が痛むことだ。
「ファイナルファンタジー15」をしたときは突然できた「昔からの友達」と、一緒にキャンプして初めて訪れる街を散策して、楽しかった。
「CALL of DUTY4:MODERN WARFARE」でうまく敵を倒したとき上官から「beautiful!」と褒められて本気で照れてしまった。
誰かの選択を客観視して、共感したり、理解しようとしたりする。
ゲームが映画と違うとすれば、映画は途中で寝落ちしたとき、しょせん他人の人生だから目が覚めた時にすでに登場人物は決断し、エンドロールが流れているが
ゲームは起きたときまだ問題は目の前にあり、「さあどうする」と選択を迫ってくることだ。
自分が一体どんな決断をしてどんな装備を選んで進んだかを、ほかの人と話したり、ほかの人のプレイ実況動画を見ることで比較して楽しむ遊びも残されている。
「デトロイト」や今度発売される「デス・ストランディング」はCG技術の向上でほとんど実写と見まがうばかりだ。
一本の映画を見ている気分になるし、プレイするとうっかり自己体験と混同しかけるほどだ。
デトロイトをプレイしたときは私はしばらく現実に戻ってくるのに苦労した。
登場人物に実際の俳優がモデルにされることもあるし、シナリオを映画の脚本家が手掛けることも今では珍しくもない。
俳優にとっても映画とゲームの内容は変わらなくなってきているのかもしれない。
『DEATH STRANDING』TGS2019 ノーカット プレイ映像 (9月14日のステージイベントより) https://youtu.be/D10J89jgZHc
シューティングやRPG、アクションその他のジャンルに関しては省かせてもらったが、
そちらが好きな方の意見も読みたいのでぜひ誰か書いてほしい。
モンスターハンターなどヒット作だと、会社で別部署の初対面の人と突然ゲーム仲間になれたこともある。
就業終わり応接室や居酒屋で同じゲームをプレイする共有体験は本や映画以外ではスポーツ位しか思い浮かばない。
eスポーツというくらいだから、スポーツに近いのかもしれない。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0187779
70歳を超えた父が最近どうも物忘れが激しいのでマインクラフトをプレゼントした。
モノ作りが好きな父には、モンハン(狩り)より、木を切って家を作るようなゲームが好きだろうと踏んだからだ。
予測は大当たりで、父は寝食を忘れてはまってしまい、母が食事で読んでもなかなか来ないといって、ゲームを与えた私が変わりに怒られてしまった。
半年後に実家に戻ったら、父はゲームの中でそれはそれはでかい光輝くピラミッドを作っていて肝が冷えた。
自分の墓かよ。
真女神転生Ⅲ
安倍公房
シルバー事件は大好き、killer7は積んでましたすいません。
呪みちるは入手できる範囲で単行本揃えてる。谷口トモオは未読。
早く完結して下さい。
>宝石の国
原作もアニメも見ました。市川先生なら25時のバカンスが一番好き。
>Hollow Knigth
横スクはあまりやらないけれど、LIMBOやINSIDEみたいに世界観が少しずつ分かるタイプなら興味あります。
オカ板に浸っていた時期があったもので懐かしいワードがチラホラあって楽しかった。
>鬼哭街
>Undertale
7巻のホラー回を見るにあの人は相当"溜まっている"。
>Pony Island
exe.シリーズにハマっていた時にプレイ動画を見てしまって後悔してる。ああいうのはプレイしてこそなのに。
>portal1・2
>ナウシカ
>DEADSPACE
2までは名作2までは。
>よるくも
1巻読んだ→なんじゃこりゃ?完結したみたいなので続き読みます。
>寺山修司
なんかうまく言えないけど少し好みから外れる。
>砂ぼうず
かつて、Second Lifeでクーロンズ・ゲートの世界観を再構築した『KOWLOON』SIMがあった。
オリジナル版でアートディレクションやキャラクターデザインを手がけた方々が作ったものなので、準公式とも言えよう。
当時、期待いっぱいで遊びに行ったのだが、そこはオリジナル版を遊んでいた時の緊張して怯えながら散策する楽しみを味わう空間ではなく、良くも悪くも「クーロンズ・ゲートの世界観を模したテーマパーク」だった。
オリジナル版で表現されていたあの怖くて魅力的な世界は、表層だけ真似ても再現できないのを知った。
クーロンズ・ゲートの魅力はグラフィックや音楽だけにあるのではなく、小道具や地名の名付け方、脚本のセリフ回し、物語の展開、そういったものすべてが組み合わさって存在している。
それらを構築した人物抜きでオリジナル版を愛したファンを満足させるコンテンツを作れるのか?
今回の「クーロンズゲートVR」はSecond Life版と同じ方々が主軸になって作っているそうで、個人的にはまた「似て非なるクーロンズ・ゲート」になるのではないかと不安に思う。
クラウドファンディングのページには
を作ると書いてある。
今回作るのは「クーロンズ・ゲート」なのか、「クーロンズゲート」なのか、「クーロンゲート」なのか?
間違えないでほしい。
ナカグロ(・)が抜けてしまうのは百歩譲るとして「クーロンゲート」は看過できない。
オリジナル版のタイトルの誤記を見過ごすようなプロジェクトは、一体どんな成果を出すのだろう。
もう周りはゲームを一切やっていない
今語りたいのはレトロゲーに分類されるRPGについてなので人も限られ
そのゲームは今はなきクインテットという会社が開発したゲームで
クインテット(ソウル)三部作と言われるアクションRPGを輩出した会社だ
語りたいのは、その三部作「ソウルブレイダー」「ガイア幻想紀」「天地創造」
…ではない(「アクトレイザー」でもない)
クインテットという会社が作ったゲームの中でも全然名前が挙がらない
「クーロンズゲート」の是空と共作した「プラネットライカ」の方がまだ名前が挙がっていた
誰の記憶にも残らなかったのか…
追記:コメント
単に古過ぎる
本気なら自分で発信して人集める
わかってる奴の相槌が重要なんだよ
既に分かりきったことばかり語って聞かせてる状態で快い相槌はもらえない
限定的な話題ではある
上手く伝わるかわからないが、知ってる人・興味のある人と(ネットでもいいので)語り合いたいの方が正確かも
本気なら自己発信人集めるか、苦手な分野だ
今夜の夜食はドギーバッグでお持ち帰り。
http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071110
----------------------------------------------------------------------
カウンターたぶん壊れてるんだな。ありゃ。明らかにおかしい。 ところで例のアニメオタクのペルー人にさ、また「マクドナルドいかない?」って誘 われたんだけど、さすがにまた奢ってもらうのもあれだし、一応、建前として「お金 セーブしなきゃいけないから・・・」っつって遠まわしに断ったんだけど、「いや、 行こう行こう」なんつってさ、すげーノリノリで「俺が誘ってるわけだからさ」なん ていうんだけど、こうやって日本語にするとホモが誘ってるような感じだけど、まぁ ニュアンスとしては「また奢るよ」みたいな感じでさ、どんだけいいやつなんだとか 思いつつ、まぁ学校終わりに行ったらさ、ペルーでは誰かが腹を空かせてたらご馳走 するのが当たり前らしく、ようは恐らく俺の勝手な予想だとみゅ〜ちゅあるな関係性 があるんだろうなって思ったわけね。腹を空かせてたらって、まるで俺が一文無しみ たいだけど、まぁ実際そうだけどね。前も書いたけど無理に眼鏡買ったから生活費無 いのね。 そういえば前の英語学校のコロンビア人も基本的に飯を奢るだとかシェアするだと か、コロンビアンはみんなそうなんだみたいなことを言ってたことがあってさ、これ またみゅ〜ちゅあるだなとか思いつつ、基本的に南米ってのは気のいいヤツが多いっ てーのと文化的にこういう背景があるんだろうなってのは、こないだ書いた社会が人 間を作り出すってところで、まぁ社会にそういう習慣とか人とのやりとりが残ってる んで、そういうのがヘリテージされていくっていうような感じなんだろうなとは思っ たけど、まぁーそれにしても南米から来たやつって女の子でも男でもそれこそラテン 系じゃないけど、陽気なやつが多いんだよね。凄くフレンドリーで笑顔を絶やさな いっつーか。あれは血というよりは文化というか社会なんだろうなって思ったわけだ けど、そう思うとやっぱ日本人に限らず韓国人はホント暗いなって思うんだけど、 まぁ中国人になるとちょっと違うんだけどね。これは対比で見ると暗く感じるだけ で、ようは俺はこっちの環境に慣れてしまったから暗く感じるんだと思うんだけど、 そう思うとさ、ようはいろんな陽気なやつから話しかけられたり、こうやって飯奢っ てもらったりしてるのを見るとっつーかまぁ自分のことだけどさ、俺もかなり明るく なったんだろうなとは思うんだよね。まぁ元々明るいんだけどね、考え方は暗いけど 性格的には陰気ではない。ただそういう明るい部分を前面にこっちでは出していけ るってのもあってようはなんつーかいろんな国のやつらと波長が合うのかなって気は するんだよね。逆を言えばアジア系の連中とつるもうって絶対思わないんだけど。 飯っつってもマックなんだけどでもなんだかこういうことがあると心が温まるっつー かさ、ホント、こっちに来てよかったなぁーとかって思う瞬間でもあるんだよね。こ ういうやつらと友達になれてなんて幸せなんだろうって思うわけよ。あ、なんだかま たウォール伝っぽくなくなってきた。 まぁいいや。簡単に書くとね、で、マック行った後、タイムズスクエアの駅でさ、 まぁ別のクイーンズのほうに行く電車に乗り換えるんだけど、このペルー人っつーか ホセが「ゲーセン行かない?」とか言い出してさ、なんかね、タイムズスクエアにあ るゲームセンターのポイントカードみたいなの持ってて、今日使わないとポイントが 無くなっちゃうとかでさ、まぁどの道行こうかってことになったんだけど、このゲー センってのがなんだかバーとかさ、なんかラスベガスっぽい水商売臭いカジノっぽい ような入り口のゲーセンでっつーかゲーセンっつーか、所謂、セガとかさ、ナムコラ ンドみたいな、ああいうゲーセンじゃなくて、割とアダルトな感じなのよね。入り口 では黒服の黒人がIDチェックしてたりして、まぁ別にフォーマルな場でもないんだけ ど、割と若干高級感があるっつーかまぁ日本のゲーセンと比べるとだけどね。で、こ れまた感心したのが、全てのゲームがようはこのゲーセンのポイントカード制になっ てて、マツキヨカードみたいなカードでポイントっつーかお金を買って、ゲームやる ときはそのカードをゲーム機にスライドさせて使うっていう、なんつーかこないだ書 いたカルチャーラグが無いなってことなんだけどさ、まぁ今の日本がどうか分からな いし、まぁタイムズスクエアとかああいう感じのところにあるゲーセンだからっての はあるかもしれないけど、ようはアメリカってこういうところはホント、早いんだよ ね。 まぁあと単純にセキュリティの面っていうか、直接金を入れないっていう防犯的なと ころもあるのかもしれないけど、それにしてもカードスライドさせてゲームやるなん て21世紀だなーとか思ったんだけど、ただまぁ感心できることばっかりじゃなくて、 なんつーかさ、このゲーム機がある階っつーかここがメインフロアなんだろうけど嫌 にガン系のゲームが多いんだよね。タイムクライシスとかエイリアンとかハウスオブ デッドとか、他にもなんだかヘリの操縦席みたいになってるコントローラーに乗って 空から爆撃するゲームとかボクシンググラブをはめてボクシングするやつとかってい うか、これはウィーって言ってもハンセンじゃなくてゲームのことなんだけど、まぁ ウィー的なインターフェースなんだろうけどさ、他にも競馬のゲームとかスロットと か、なんだかすげー悪趣味なのね。 日本ってなんだかさ、まぁ俺の感覚が古いのかもしれないけど、太鼓の達人だか名人 だとかさ、ビートマニアとか、あとやっぱ格ゲーみたいなのが多いじゃない?場所に もよるんだろうけど、でもなんつーか必ずマージャンとかさ、もちろん脱衣系のも含 めてね、そういうのが多いってイメージがあったんだけど、このタイムズスクエアの ゲーセンはそれこそアメリカ人の内面が顕在化してるようなゲームのセレクション で、所謂、格ゲーみたいな、あのジョイスティックとボタンがあるようなゲームが一 台も無いのね。で、もうひたすらガン系のゲームばっかで、もう夜の11時回ってるっ つーのに子供がガン系のゲームやりまくってたりっつーかやりまくるってのは大げさ だけど、それこそ幼稚園児ぐらいの子がガン系のゲームをやっててさ、しかも母親と だよ?かなり唖然としたね。 なんつーかようはさ、ああいうガン系のゲームってミリタリー系多いじゃん?「Let's Go! Over there!」みたいな、あのミリタリー系の映画でよく出てくるような決まり文 句あるじゃない?アーミー系のセリフ。ようは自分もアーミーの一人になってエイリ アンとか倒すわけだけど、ああいうのってすげー無意識なすり込みに成功してるよ なーって思ったわけね。基本的に武力で異物を排除するのは当然だみたいな、それが 正義だみたいなのが当たり前にあって、まぁエイリアンだったら俺はかまわないけ ど、ようはアメリカのメディアなんて過去には共産国とか今ではテロリストとか、 まぁいつでもアイコン的な敵を作ろうとするわけだけど、そういう敵に対しての認識 はエイリアンと変わらないんだよね。 だから基本的に相手は同じ人間なんだっていう認識が無かったりするわけ。それこそ ゾンビとかエイリアンっていう絶対的な敵なわけよ。アメリカの戦争映画って大半が プロパガンダ的な部分が多かったりするし、妙に愛国心を鼓舞するものとか、ヒロイ ズムを前面に出してるものとかさ、俺は銃云々、暴力云々っていうことより、こうい うプロパガンダを無批判に無意識に受け取っちゃってるっていうオーディエンスに凄 く危機感を感じるね。 もちろん暴力描写も鑑賞者に影響を与えるかもしれないけど、あんま報道されないっ つーか、まぁ誰か書いてるとは思うけど、こういうアメリカ的ヒロイズムとか愛国心 みたいなさ、こういうすり込みによる影響の危険性ってのにもっと意識的にならない とダメだよね。俺は個人的にはこっちのほうがよっぽど危険だと思うんだよね。 「ゲーセン行ってまで社会分析ですか・・・」って感じだけど、ホント、こっち来て からようは日本にいたときみたいな無駄な不安とか労力を注がなきゃいけないような 部分がなくなったから、脳をフルに使えてるんだよね。だから街に出ると色々なもの がもう何かのシンボルに見えたり、何かを考える材料になったりするわけ。あとまぁ あんま関係ないけどポイントカードをスライドして金を使うってのも、ようは伊東 カードとかクレジットカードと一緒で、キャッシュを直接見ないから、あんま支払っ たっていうリアリティが無いんだよね。 例えば1万円何かに使うときにさ、キャッシュで一万円出したら、うわー諭吉いっ ちゃったよーって気になるけどクレジットとか伊東だったらさ、基本的にスライドし てPinナンバー入れるだけだから、あんま払った気がしないんだよね。ただ当然、銀行 残高見ると残高は減ってるっていう。ただこれってようは消費者によりお金を使わせ る便利なシステムだよなぁーって思うんだよね。財布の紐を緩めるだっけ?財布の紐 をきつく締めるでもいいんだけど、電子マネーみたいな感覚だと財布って感覚すらな くなってくると思うんだよね。 現にこっちなんてカード社会だからなんでもカードよ。こないだも学校の購買っつー となんか日本っぽいけどまぁ購買みたいなところでさ、女の子がスニッカーズみたい なのと小さいノートを買っててさ、その小計が8ドルちょいだったんだけど、伊東で 払ってたからね。8ドルちょいだったらキャッシュで払いそうな気がするけど、あん なのすらも伊東なんだから。スタバの一杯のコーヒーでもクレジットとか伊東で払っ てる人珍しく無いからね。ああいうのって現金っていう感覚を失わせる危ないツール でもあるなって思うんだよねー。ホント。 だってカード破産なんてさ、良い例でしょ。アメリカでもアホみたいにカード使って 払えないっつってさ、破産したり家売ったりとかさ、そんなこと平気でしてる家庭が あるけど、ああいうのってのもようはクレジットで払ってるから、現金っていう感覚 がなくなってるんだよね。で、これまた来月の給料から払えばいいみたいな、実在化 してないお金を頼りにしてお金を払おうとしてたりさ、完全にヴァーチャル化し ちゃってるんだよね。金のやりとりが。 ただそれとは対照的に買ったものってのは家に届いたりさ、ようは現物としてあるか らマテリアル的な満足度ってあるじゃない?もうその繰り返しよ。何か買うってのが 楽しくなっちゃって浪費が止まらないわけ。それをキャッシュでやってるならまだし も、カードでやってるもんだから、負債がガンガン増えていくんだよね。 まいこーなんかもさ、完全にあの浪費はカードっつーかチェックで払ってるからだよ ね。なんか前に日本でやってたさ、あのゴリとぐっさんが真似してたあのバシールと まいこーのコンビの元ネタあったじゃない?あの制作がアメリカだかのやつでさ、ま いこーの浪費凄かったもんね。なんか美術品がズラーッっとある店で「これとあれと これとあれ」みたいな感じで、ミロのヴィーナスみたいな石像とか高そうなヴィン テージのソファーとか時計とかガンガン買ってたでしょ。一個が何千万単位の。あ れって明らかに金銭感覚を失ってるというよりは、もうすでにお金というのがまい こーの頭の中でバーチャル化しちゃってるんだよね。あれを買うために銀行からお金 を下ろしてきて払わなきゃいけないだとかさ、そういうプロセスが一切無いから、お 金っていうリアリティが無くなっちゃう。ましてややつの印税もそれこそバーチャル な量でガンガン入ってくるわけだから、ホント、リアルなマネーっていう感覚と乖離 してくるのは必然だよね。 ただね、何が言いたいのかっていうと、こういうことはまいこーだけじゃなくて、自 分たちにも起こりうるんだよねってことなんだよね。それはさっきのアメリカのクレ ジット負債家族とかも、すけーるは小さくてもやってることはまいこーと変わらない し、小さい買い物でもリアルなお金っていう感覚から乖離した中でただそのマテリア ルを求めたいがために伊東とかクレジットで払うってのはさ、まいこーの始まりだよ ねっていうか、もうアメリカは慢性的にまいこー状態なんじゃないかと思う。 それこそあのアホな大統領がスピーチで「ガンガン働いて消費してください。買い物 万歳!」みたいなこと言ってるわけだからさ、もうある意味で末期的なのかなって気 もするけど、まぁでもアメリカの社会なんて半分以上がコンシューマーによる消費に よって経済が支えられてるわけでしょ?そう思うとその中でカードってものが支払い のメジャーな方法というのも、なんだか良く出来た話だよなって思っちゃったんだよ ね。 ゲーセンで。これ別に今、思いついたんじゃなくて、ずーっとゲーセンでホセと銃撃 ちながら考えてたんだけど、ゲームですらさ、コインを入れてコンテニューするの と、カードスワイプしてコンテニューするのとではお金のリアリティが違うわけで さ、こんな小さい支払いからもまいこー症候群の入り口が見えてくるわけよ。 ようはアメリカ社会ってのが消費しろって国民に言ってるわけよ。それはアホ大統領 がダイレクトに言うこともあれば、町中に溢れる広告やらメディアやら間接的にって 言っていいのか分からないけど、まぁ消費してくださいってどれもこれも言ってるわ けじゃない?俺にとってはどれもこれも露骨に直接的に金使えって言ってるようにに しか見えないんだけど、メディアリテラシーの無い人だったら、それはインダイレク トにすり込みされてるってことだよね。 そんなんがゲームにも映画にもテレビにもネットにも溢れてるんだからさ、ホント、 師匠2のインテレクチュアル・セルフディフェンスじゃないけどさ、自分たちが自分 たちで身を守らないと個々がアホなコンシューマーになっちゃってダメになっちゃう よね。社会全体が国民をそういう風に巻き込もうとしているというよりかは、もう大 半が巻き込まれていて、常に巻き込む側はもっと巻き込むように仕向けているわけだ けど、そういうのが見えないと自分の人生がいつのまにか外的なものでコントロール されつくしちゃってるなんてことにもなりかねないからね。 そういう人多いと思うけど、前の話と繋げると、そういう人が外的なものに幸せを求 めようとするんだよね。だからいつまでたっても幸せになれない。消費しても恋愛し ても残るのは疲労感だけ。そりゃ当然だよね。だって幸せが無いところに幸せを求め ていて労力使っちゃってるんだから、そりゃ疲れるに決まってるよ。ただね、ちょっ と話を脱線させるけどってすでに脱線しまくってるけど、オタクの話をすると、よう は古くはギャルゲーとか萌え系のキャラクターとかもそうなんだけど、あれってオタ ク男の女の子への幻想とか恋愛への幻想の塊みたいなもんでしょ? まぁそういったオタクたちの幻想が実体化した存在っていうか。だからギャルゲーで もデートの状況とかがありえないぐらいベタというか、まず無いようなシチュエー ションばっかで、リアリズムゼロだし、それは萌え系のキャラも当然、あんな女の子 は現実にはどこに行っても存在しないわけだけど、ここで面白いのが、顕在化してし まったっていうところなんだよね。ようはそういった幻想がある形、まぁそれがゲー ムなのかもしれないし、キャラクターなのかもしれないけど、オタクたちにとっては それがリアルで、分からない人達にとっては実体の無いものに夢を抱いているから、 ちゃんとした女の子と付き合えとかっていう風に言うけど、大抵のオタク側の意見と しては「大きなお世話だ」ってことなわけだよね。 自分は萌えているんだから、それでいいんだっていう。でもそれってそれでいいんだ よね。というのは買い物とかオタク系ではない、ようは常に理想の恋愛みたいなのを 求めているような馬鹿な連中ってのがいつまでたっても幸せを得られないのは、まさ しく実体が無いものを追い続けているからなんだけど、オタク系の場合、その幻想が キャラだとかゲームっていう形で実体化しているので、彼らにとってのリアリティを そこに見出すことができるんだよね。それは彼らにとってはリアルなものだから。だ からオタク系ってなんだかんだで幸せそうな人が多いわけでしょ? これが良いか悪いかは別としても、他人に人の幸せのあり方を批判する権利なんてな いから、そういった意味だと彼らの中ではそれはもう幸せの形として存在しているん だから、今みたいな何も無い社会を生き抜いていける人達の種類の一つとしてオタ クってのがあるんじゃないかなって思ったわけね。そんな意味だとオタクたちっての は、無駄に色々な消費をしたり無駄な恋愛をしてお金と時間と労力を使っている馬鹿 達よりは、よっぽど処世術に長けているんじゃないかな?って思うわけ。まぁ処世 術っつっても極めて21世紀的な処世術ね。 で、自分の話をすると、俺はこっちに来てから特に色々なこともあって、ようは以前 にも増して内面的なものに幸せというか安らぎみたいなのを感じることが出来るよう になったわけだけど、でもそれを支えている一つとして、まぁ学校があるかもしれな いしニューヨークっていう場所もあるかもしれないんだけど、その他ってのはやっぱ 考える材料を提供してくれるような出来事とか本とか映画とか音楽だったりするわけ でさ、俺の内面的な幸せを司っているものの大半がまぁ俺のオタク趣味なんだよね。 だから俺は哲学オタクかもしれないし、社会学・政治学オタクかもしれないし、映画 オタクなのは明らかで、音楽オタクっつーか音楽に関してはもうオタクっていう次元 じゃないんだけどってーことを言うと、全てがオタク程度の次元ではないんだけど、 でもまぁ一般的な社会の定義で言うとまぁこれはオタクの一種ですよ。 これは前にも書いたとおり、秋葉系のオタクが美少女オタクだったりするんであれば 俺はまた別の類のオタクなわけで、基本的にオタクということでは共通しているんだ けど、もう一つ重要な共通点というのが、そういったオタク趣味的なものから幸せを 感じられているってことなんだよね。俺はまぁありえないぐらい多趣味だと思うけ ど、まぁ俺の幸せが全て趣味に依存しているわけではないんだけど、でも趣味は相当 大きな要素なわけってことで、基本的にオタク系と変わらないじゃんってことになる わけね。 だからオタクの種類が違おうが、俺に他のオタクを批判できる筋合いなんて全く無い んだよなって最近凄く思ったわけね。前は秋葉系のオタクのことをぼろ糞書いてたけ ど、今はそうは思わないな。絶対関わりたくないし、ああいうのは大嫌いだけど、で もだからといって批判はできないわけ。 彼らがそれを主体性を持って全身全霊で取り組んでいるのなら、それはリスペクトし なきゃいけないよね。で、俺がディスりたいやつらっつーのは流動的に色々なことに 流されまくっている主体性の無いスッカラカンな消費者ね。流行ってるからとかみん な聞いてるからとか有名だからとか、そういう理由で何かを消費したりする類の連中 ね。こういうやつらはホント、どうしようもないんだけど、経済の大半がこういう スッカラカンな消費者によって支えられているとなるとさ、こういう人達すらディス れなくなってきちゃうっつーか、それこそ経済にとっての必要悪みたいな存在になっ ちゃうわけだよね。 あーアイロニカルだわぁー。腹減ってきたからバナナを食べよう。っつーか恥知らず の痛みはだいぶマシになってきたんだけど、今日はセリマに念願の眼鏡をピックアッ プしにいってさ、まぁ相変わらず俺が選んだだけあって生活苦もなんのそのってぐら い素晴らしいめがねなんだけど、まぁこれならまず誰ともかぶらないなってぐらい特 徴のあるめがねでね、あのクーロンズゲートのゲームキッズがしてるハイテクメガネ みたいな形してるやつなのね。枠がデカイロイドメガネみたいな。 まぁーでもセリマ最高ですよ。もう。アランミクリは値上げもあって完全にブルジョ ワブランドになっちゃったから今後はセリマだな。というかアヴァンギャル度、ヒッ プ度ではセリマのほうが上のような気がする。今回はアランミクリが買えなかったか らセリマで買ったみたいな妥協感一切無しだったからね。もう「これだぁー!!」っ ていう。でもさ、めがねってのも話せば長くなるんだけど、これも止揚の歴史です よ。別に俺、止揚って言葉を正しく使ってるわけじゃないからね。 まぁいいや。昔はさ、眼鏡が大嫌いで、一時期コンタクトしてたこともあるんだけ ど、眼鏡にしてもなるべく眼鏡の存在感が無いようなやつしてたんだよね。ただある ときふと気がついてね、んだったらディスアドバンテージである眼鏡ってのを逆に活 かしちゃえばいいんじゃん!って思ったわけ。で、その数年後ぐらいに日本で眼鏡 ブームみたいなのがあって、まぁちょうど時代の風潮と同化しちゃった感じだけど、 でもいいと思うんだよね。眼鏡ってのがファッションアイテムの一つっていう考えは 凄くいいと思う。あえて眼鏡を前面に出すってのもね、いいと思うのね。 眼鏡って歴史的にはなんだかハゲ・デブ・眼鏡みたいなネガティブ要素として捉えら れてたけど、そうじゃ無くてね、まぁハゲとデブはいつまでたってもネガティブだろ うけど、眼鏡ってのはネガティブでもなんでもないわけですよ。かといって伊達とか やってるやつ見ると殺したくなるけど、まぁまぁそれはいいか。あ、書くことが違う ぞ。こんなことを書きたかったんじゃないんだよ。 あ、んでピックアップして帰ってきたわけだけどっつーかホセは昨日の話でね、眼鏡 は今日の話なんだけど、なんかさー疲れてるのよね。睡眠時間は十分なんだけど、い つも週末はもうクタクタになってる。んで恥知らずも痛むと。で、まぁ帰ってきて溜 まってたから激しめのオナニーをした後、あんま飯食う気がしなかったんで、うどん 食べて吸い込みやったのね。 あ、KOFね。どうやら俺は吸い込むとストレスが発散されるらしくて、大門とかク ラークでもうとにかく吸い込みまくったらさ、なんか疲れてた気分がだんだん良く なってきてね、で、結局他のゲームも色々始めちゃって、んでなにやったかな。 あ、SNKとカプコンのキャラが戦うやつとか、まぁこれはそんなでもないんだけど、 久々にヴァンパイアセイバーとかね、ヴァンパイアセイバーってキャラいいよね。あ の世界観は好きだな。ファンタジックなんだけど、かなりダークでしょ。俺の格ゲー 趣味の一つとして各キャラのエンディングを見るってのがあってね、んだからエン ディングが無い格ゲーってやる気がしないのね。 あとエンディングが手抜きのやつとか。んでまぁー夜の7時ぐらいから吸い込み始め て、んで、終わったのが3時ぐらいで、んで今、これ書いてるんだけど、ようはさ、 ゲームやった後ね、「あ、そういえば恥知らず痛くなくなってるな」とか思ってさ、 気分的なものなのかもしれないけど、ようはあれなんだよね、疲れってようはストレ スなんだよね。恐らく。ストレスっていっても苦痛から来るストレスじゃなくて、疲 れから来るストレス。で、免疫系がちょっと弱くなっちゃって、んで口内炎が出来 ちゃったり歯茎が腫れてきたりするわけ。ゲームやって口内炎とか恥知らずの痛むが 引くなんて凄いことだよね。吸い込みさまさまですな。ってことでやっぱあれだね、 ストレス解消って重要だよね。 ニート時代は毎日が夏休みだったけど、今は違うから、なんつーか体調管理という か、精神状態の管理と時間の管理の重要さが身にしみて分かりますね。ってことで まぁエクスキューズするわけではないんだが、週末ぐらいグダグダしてもいいんじゃ ねー?とか思ったわけね。一日中寝ながらゲームやったりオナニーしたり動画サイト で日本のお笑い番組みたり。で、こういう時間の過ごし方をしていてさ「あー今日は グダグダだったなー・・・」なんつって落ち込むのがダメなのよね。 ようはダラダラする自堕落な時間というのは、ちゃんと仕事に行くとか学校に行くと かと同じぐらい重要なことなわけよ。だからグダグダでもそれは体がグダグダを求め てるならそれは肯定しなきゃいけないよね。で、すっきりしてまた週明けから学校に 通うと。そう思うとあれだね、俺は将来はっつーかもういい歳だけど、なんかあれだ よね、自分のグダグダできる時間を確保できるような仕事に就かないと体持たないよ ね。 ってことでやっぱジジェクみたいになるしかないな。最後に職場に行ったのが3年前 みたいな、そんな生活ね。まぁ半分ぐらい真面目に言ってるけどね。ってことでゲー センのことだけ書こうと思ってたんだけど、またいつもの感じで長くなっちゃって、 疲れてるから 早く寝ようと思ってたのに、もう朝になっちゃったけど、脳の膿を出せたからプラマ イゼロだね。ってことで俺の2007年流行語大賞は鳥居みゆきの「プラマイゼロ だぁー」です。でもあれだよね、吸い込みによって気分が良くなるんだったらさ、そ れこそ左手だけにグローブはめて、「デスバレーボム」ってプリントしてあるシャツ を自分で作って着ようかなって真剣に思ったんだよね。でもいつもあれ、まぁ2003で はデスバレー!って言うだけになっちゃったけど、2002とかさ「デスバレー一 本!」って聞こえるんだよね。すごくいいよね。 デスバレー一筋って意味でしょ?ってことであれだなデスバレー一本Tシャツを作ろう かな。まぁ作れないけどね。作った気分でいるのもいいかなって。でさ、同級生の中 国人の女の子さ、廊下ですれ違ったときに「ハーイ」とか声かけたんだけど、なんか 凄い恥ずかしそうにしてるんだよね。まぁあんま親しくないからってのもあるんだけ ど、なんかあの声をかけた後のリアクションとか、眼を逸らす感じとかがさ、すげー 生娘っぽくて可愛いなって思ったんだよね。まぁこの子、可愛らしい顔はしてるけ ど、まぁ特別可愛いわけではないんだけど、何が言いたいのかっつーと、ようはああ いったリアクションというのは日本人女性にはもう失われたものだなという風に思っ たわけ。 特に日本のあの無駄に着飾った娼婦みたいな格好をした淫売女達さ、少しは内面を磨 くということにフォーカスを置いたらどうなのかね?男が女の子を「可愛い なぁー」って思うときの感じって、例えばこの女の子みたいな生娘っぽいピュアな仕 草だったりするわけじゃない?娼婦みたいに着飾ることがどれだけ自分の品格を下げ ているのか?っていうのにどうして気がつかないのかね?だってああいう格好してる のって男から注目されたいからっつーかファックしたいからでしょ?ってことでまぁ 本質的にはそれが商売かそうじゃないかの差ってだけで同じ娼婦なんだけども、なん かあれですよ、中国人に限らず韓国人の女の子も貞操ちゃんとしてそうな子多いわけ だけど。少しは見習ったほうがいいね。 KOFで言うとアンヘルみたいなビッチでしょ。日本の娼婦みたいな女って。そういう 女がいてもいいけど、そういう女が多いのは問題だよね。貞操繋がりで行くとでも俺 はあれだね、キングオブ