はてなキーワード: 立川とは
大阪生まれで日本中あちこちを転々としてきた者だが、大阪の親戚の家に行くたびに抱く感想を書く
これはちょっとありえない。
電車から外を眺めるとまるでスラム街のような地域が広がっていて驚く。
ご自慢の梅田も立派なのは駅構内だけで、一歩外にでるといかにもな景色が広がっている。
仮に御堂筋が綺麗だとすれば、丸の内・日本橋や表参道はなんなんだろう。
二千円の美味しいランチを食べられる店はほとんどないけど、数百円で満足できる店は確かに多い。
まあ炭水化物ばっかりでおっさんになってから食いたいものはあまりないが。
見る人がみればそうなのかもしれない。
梅田から心斎橋なんて直線距離で三キロもないんだから、東京で言うと新宿から原宿くらい。
新宿と原宿なんてほとんどセットなのに、あたかも二大都市であるかのように分ける意味がわからん。
六本木ヒルズとか官公庁町(裁判所に警視庁)、新橋虎ノ門、KITTE… 銀座と有楽町のデパート…
あたりはブロック1つ、ビル一つがホントにでかくて歩いて次のビルまでいくだけで疲れる。逆にビルのなかで何でも揃う。
そしてそのビルが1つの町くらいの規模になってて、高給取りがうじゃうじゃ居て、
昼ご飯には(中のレストランでまかないきれない一部の人が)わっさーと這いだしてくる。
そういえば霞ヶ関ビルは日本一高いビルだった昭和の前半の時代には何でも尺度にされてたんだよ(今の東京ドームの容積とかスカイツリーの高さみたいな)。
新宿は二丁目、思いで横町と駅まわりのぐにゃぐにゃ改築でめんどくさいところが新宿らしいといえばらしいかなあ。
都庁まわりもわさっと縦に人がつまってるけど。
そういう特徴(範囲は狭い)を除くと商業地域って路面からのアクセスが勝負だから
小さい建物で歩けるところというと新大久保だったか、立川、荻窪、中野、あたり
個性ある自営業でも住みやすそうで実際アニメスタジオもいっぱいあって実家が金持ちそう。
東京からみると新宿は昼間はもうだいたい綺麗にとりつくろえたから
単純な見た目でいうと岸和田やら修羅の国に負けてる~って感じはあるけどどうなんだろ。
マララさん本が3タイトル、地味ながら面陳で並んでましてね。
とりあえず並べてみた感まんさいながら
やれることはやっとる姿勢の健闘はたたえられるべき、
と思いました。
レベル的には
・なんかたしか1冊、棚にさしてあるかも
・ラッキー人文台に5冊まるっと残ってた
・ストッカー探したけど返品しちゃったんだよなー
などなど
いろんなお店があるなか
というか、商圏の文化的な不毛度との見合いで折り合っていくのが
多摩センターの丸ジュンも、聖蹟のアカデミアも、立川のオリオンも
それぞれに・それぞれの棚の個性で
置く
と決めたタイトルは硬かろうが高かろうが
並んでいる。
そして
そのことこそが書店ファンにとっての心のよりどころなわけですが。
そう考えてみると
「北海道コーナー」にせよ、なんか派手な多面出しにせよ
いま、マララさん本をどう出すか、というあたりが
「生鮮品としての書籍売り」の腕の見せどころで
そういう意味では「ふつー」やなあ、と。
そういや前に(カレシという人とオツキアイしてた時)「一緒に暮らそうよお♡」という話をしていて
ネットで部屋さがしたり不動産屋まで行ったりしてなんかいろいろ探して
そのすえに「郊外でもいいのではないですか。所沢など家賃が安いですよ」ということを言ったら
「今(自分の実家)より都心寄りに住むのでなければ一緒に暮らすメリットはない」と言われたことについては相当カチンと来ていて
なんていうか
「一緒に暮らしたいから暮らす」んでなく、なんかそこにメリットを提示しなきゃいけないの
って
すげーーーーーーめんどくせーーーーーーーーー!!!!
って思った。
メリットってなんだよそもそも。
そっちにとってはメリットかもしれんがわたしにとってはデメリットだし。
わたしが新宿で職を探し直すってハナシだっけ?あ?そっちは同じ職場のままなのに?おまえが立川来いよ。新宿厨め。
ていうかだったら新宿に実家がある人とつきあうのがいちばんいいんじゃねーか。
そうしろよ。
ていうかまじで、都内に実家がある人が実家を出るメリットなんてひとっっっつもないと思う。
じゃあもうわたしも福島の実家に帰りますねって思う。帰んねーけどさあ。
一緒に暮らすにあたってメリット提示しなきゃねんねーの。めんどくせ。じゃあ一緒に暮らさなくていいわ。
メリット提示しないと一緒に暮らせないのであれば、結婚するメリットもない気がする。
結婚することによって雑事が増えるだけじゃん。苗字変わるとか引っ越しをしなきゃいけないとか。
だったら現状維持がラクじゃん。
紙ペラ一枚の社会システムに踊らされてるだけじゃん。メリットなんかねーじゃん。税金か?扶養控除か?
子どもほしいなら孤児院でも立てればいいし自分の遺伝子の子どもが欲しいならそのへんの女と中出しセックスしまくればいい。責任? しらんがな。
子どもを生むメリットもなんもねーよ。幸福なんて脳の幻想だって。なあ。子どもひとり育てんのに一千万かかるとかいうじゃん。だったら生まねーほうが金銭的なメリットあんじゃん。オンナのほうのカラダに負担かけてまで生む必要ねーじゃん。なあ?まあ男は中出しするだけでいいもんな。肉体的な話。十月十日の間に浮気するもんな。いいご身分だ。去勢したほうがいいよ。
ヒトが一緒に暮らすことのメリットとしては、場所が狭くて済むということであると思う。
日本中のヒトがみんな一人暮らしだったらたぶん土地が足りなくなる。いや計算したことないけど。
なんでヒトは誰かと暮らすんだろうな。生まれついての環境以外で。
ルームシェアとかならまあメリットはわかるよ。家賃折半とかそういうメリット。
ていうかメリットを求めるならべつに好きなヒトと一緒に暮らす意味はないんだな。
おかねもちの家に転がり込むのがいいと思う。メリット。でもそれヒモとかニートってやつ。メリット求めるぶんにはヒモでもニートでもいいんじゃねーかな。自尊心とかがなければ。
メリットとか意味とか考えるならそもそも生きること自体がひどいロスでしかない。
死というゴールに日々近づいていくだけの人生だ。
だったら生まれてすぐ死んでもいいじゃん。そしたら今死んでもいいじゃん。死ね。死なない。
何かを成さねば生きている意味が無いと思う。わたしの話。他の人には適用されない。私は何かを成さなくてはいけない。そうでなくては自分で納得がいかないからそのために努力をする。そこにメリットなんかなんもない。無駄なロスや苦しみがあるばっかりだ。それでもわたしは、わたしがそうしたいからって理由で、そうする。
オンナ側に子どもを三人生ませるメリットはどこにあるんですか。オンナはあなたの楽しみのために子どもを生むのではありません。
そういうアタマでつきあいたくない。好きだからっていう単純な理由でヒトとつきあいたい。
友達づきあいってそういうもんだと思う。友達といるのが楽しいから友達でいる。
与え与えられみたいなことか。
ヒトとの接し方がわからなくなりそうになる。なんかもっとポヤポヤした感じでいいと思う。誰かと一緒にいて楽しいって思うとき、メリットとか別に考えない。
でもオツキアイをするなら、それじゃあダメなんかな。なんかメリットとか提示できないとダメなんかな。そんなことねーよなあ。ないはずだと思うけどな。わかんねーや。手から石油が出てきたらいいのにな。よくねーよ。
でも先月頭に婚活しようかなって考えたけどもう若くもないし仕事も不安定だし家事も得意でないしクソメンヘラみたいなアレだしってなってやめたんだよな。
マジなんでみんな結婚してんだろうな。わかんねー。
なんかもっと軽いアタマで(好きだから結婚するぐらいの単純さで)結婚したい。結婚したいのか? なんかよくわかんない。メリット提示とかしなきゃいけないなら面倒だからいやだ。メリットってなんだよ。プレゼンすればいいのか?パワーポイントでつくればいい?ワードでもいい?
わたくしと結婚することにより御社にはこのようなメリットがあります。御社て。面接か。就活か?
就活もしてないもんな。できないって思ったし。わたしを雇うメリットなんかねーよ。給料泥棒だ。いやお給料分はたらくしわたしは働き者のほうだと思うけどさあ……
お金のこと考えるとほんと死にたくなるな。
親がわたしを育てるのに掛かったコストに見合うようなにんげんにならねばとか、なんか、そういうの考えるとキリない。たとえばわたしを育てるのに一千万掛かったなら少なくとも一千万は稼がなくてはいけないと思う。一千万ってなんだ?でも年百万だとしても十年で稼げるな。でも純利ではない。どういうことだ。家賃って無駄だな。ホームレス生活なら家賃いらないじゃん。やったね。なにがだ。くそ。
メリットを提示できない。死にたい。メリットを提示する必要なんかない。メリットを提示できなければ一緒に住めないのだとしたら都内に住んでいるヒトとは一緒に暮らせないだろう。そしたらどこで一緒に暮らすヒトを探したらいいんだ?配偶者ビザを欲している外国人とかと結婚したらそれはとてもメリットを提示できるのではないか?「配偶者ビザ」ってわかりやすいメリットじゃん。「わたしと結婚することであなたには配偶者ビザが発行されます」「ニホンで稼いだお金を故郷に仕送りできます」「長期間の就労が可能です」。ねえ。
自分より下位のにんげんを探せばたぶんメリットは提示しやすい。家出少女とか拾えばいいんじゃないか。「わたしと一緒に暮らすことで衣食住を保証してあげます」。これたぶんそのうちお金まで騙し取られるやつ。ていうかあれか、ホームレス拾えばいいんじゃん。拾わねーよ。
双方についてのメリットであるならばなんかもう考えるのめんどくさいからどうでもいいです。
シアワセになりたいならドラッグきめればいい。最高にハッピーだ。
ていうか結局はわたしが奉仕体質ではないから成り立たなかっただと思う。
好きな人のためになんでもするよ♡♡♡とかいう性格じゃねーもん。
よろこんでメリット提示します♡♡♡とかじゃないからな。は?メリット?死ねよ。って思う。
滅私精神みたいなものを持っていない。私は私がいちばん大事なんだよ。それでいいじゃねーか。わたしはそうあるべきだ。わたしはそういういきものだ。
気遣ってほしいというのは甘えだけど気遣ってほしい。甘えだな。わかってるわ。
「メリットがないから恋人と一緒に暮らさない」というのを前提に「お金を出してくれるから恋人でない女と一緒に暮らす」という選択肢を選んだ時点でなんかもうお察し。結局そういうことだよ。
金銭的なメリットを提示しなければコイビトと一緒に暮らせないんだとしたら、だったらさあ、お金でヒトを買うのとなにがちがうの。ホストに貢ぐオンナと同じじゃん。
なんでだよ。
なんでコイビトと暮らすだけなのにそんなにハードル高いんだよ。くそが。だったらホストに貢ぐわ。貢がねーけどさあ。ホストに貢ぐくらいだったら音ゲーとかにつぎこむわ。そしたらもうコイビトとかいらないから音ゲーの筐体欲しい。サウンドボルテックスでよろしくお願いします。よくわかんねーけど世間のコイビトとかフーフってそんなやりとりしてんの?メリットってなんだよ。もうやだ。なんだったんだ。がんばってお金貯めようとかそういう次元じゃない。なんかそういうのと根本的に違う。なんなんだ。
あーもういい、いいや、めんどくっせ。なんでこんな終わったことばっか考えてんだ。なんにもなんねーよ。益体なさすぎ。まったくもって建設的でない。
メリットなんか提示できない。同棲のメリットどころかオツキアイのメリットも提示できない。だからやっぱりわたしと別れてよかったんだと思います。精神安定?しらねーよ。それだって幻想だ。ドーパミンでも分泌させればキモチヨくなって不安定な精神も忘れられる。もしくは心療内科に行きましょう。わたしはあなたのお医者さんではありません。
フリーランスってサボろうと思うといくらでもサボれるからダメだ。
明日確認なのに、全然終わらない。当然今日は出来上がるまで仕事、睡眠は二の次っていうか寝れないだろうなー
自分は何て甘えた怠け者野郎だとうんざりした気持ちからさらに手が止まって
結局ここまで自分を追い詰めたな。
でも甘えた怠け者野郎で仕事してないのに、精神的には全く休んでない。
ずっと考えてる。やらなきゃやらなきゃってずっと、もう一ヶ月か。
もちろん進めてはいるが、多少畑違いの仕事であること、進行などが思い通りに行かないことで
やる気消滅。
私は嫌々やることも、自分の思い通りに仕事が進まないことも許せなくて、
仕事進まないならいっそ頭もオフにしちゃって休めばいいのに、それもできてない。
馬鹿だなぁww
納期は9月末だけど、つらいからできる限り今夜中にやっちゃおう。
制作業としてこれは最低だが、仕方がない。
いいものを作るやる気や気力が今は出ないし、お金はこういう時モチベーションにならないし、
危険ドラッグとかに手を出す気持ちもわかるわ。寝ないでハイになって仕事できたりするんでしょ?
よしやろう!暗い気持ちも自分を責めるのも終わり!!まだ夜は長い!!!
できるさ!いいもの作ろう!いける気がしてきた!
ミンティアとレッドブルっていう素敵な合法ドラッグで乗り切る!
明日の午後は何も考えず好きなことやる!
全てが終わった暁には、立川まんがパークに行くんだー!平日に!
楽しみだー、頑張れ私!!!
デジイチを売るためだ。
液晶の保護カバーにヒビが入っているが、売ることは出来るだろうと考えていた。
店に着き、番号札を受け取り、数分待つ。
番号が呼ばれ、40代中頃の方に席を勧められ、座った。
店員はヒビの入っている物は、買い取れない可能性があるから調べてくると店の奥へ確認に行った。
数分後、戻って来て「液晶パネルの割れは、修理が高額のため買い取れない」と言う。
僕は、液晶パネルにヒビは入っていない。パネルのカバーに入っているのだと説明をした。
液晶パネルと液晶のカバーでは、全く違うと思ったが面倒になり帰ることにした。
では最初の説明の修理が高いはいい加減な物だったなと思えてきた。
こんな記事がYahoo!ニュースのトップに上がっているのを見て、
「昔は俺もそうだったなぁ。。。。」と感慨に耽ったわけであるが、
まずは結論ファースト。
「安いキャバクラに行け」
駒込や巣鴨と言ったややマイナーな駅や、八王子・立川と言った西の方がオススメである。
以下、その理由について説明していく。
「キャバクラとは、キャバクラ嬢と呼ばれる女性が客席に付き接待を行う飲食店。」(Wikipediaより)
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小学校 → 共学
とまあ、「女子が1割もいるのか!!」という驚き方をするような
「あーあー、チャラ男はイヤだね」
と自己欺瞞しつつ、内心忸怩たる思いを抱えて幾星霜・・・オッサンになっちゃった感じである。
そんな自分が、社会人になって合コンに行くようになっても、まあ盛り上がらない。
「仕事は−?」「うけつけー」「そうなんだー。大変そうだねー。」「そうだねー・・・」「・・・・・・・」
という感じで、いつのまにか、6名の飲み会での話しの中心が自分のいない側に徐々に移動していく。
自分ははじっこの方で、ビールをあおる頻度があがり、中心の話題に合わせて笑うだけ・・・
みたいな感じで、あふれ出るキョロ充ボッチ感がハンパなかったのである。
「そんな自分も安キャバメソッドを3ヶ月続けたら、雑談力に自信が出てきて、周囲に明るくなったと言われました。
また合コンとかでも軽妙なギャグを飛ばせるようになり、女子からもメールの返信がくるようになりました。
おかげで、仕事もばりばり進むようになり、上司にも気に入られ、今度銀座のクラブに連れて行ってもらえる事になりました!
閑話休題。
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さて、ここでなぜ安い(やや場末感のある)キャバクラが雑談力向上に有効なのか?
キャバクラなら、女子が雑談を盛り上げてくれるんじゃ無いのか?
甘い。まず安価場末キャバクラで働いている子は、雑談力とか0である。
あまつさえ「私はキャバクラなんかで働きたくないのにー」というオーラむんむん、なんて人さえいる。
隣に座って「こんばんはー」「こんばんはー」「・・・」「・・・」
といきなり雑談力が無い理系男子にとっては手痛い先制パンチを食らわされることもある。
まあ、安価場末キャバクラにいる、という女子にはそれなりに理由があるわけである。
誰かしらが話題を提供してくれる。
それにフンフン頷いたり、ネタに合わせて笑っておけば、大体なんとかなる。
ところがキャバクラは1対1のサービスを売りにしてるので、基本はサシ飲みである。
しかも相手は、「なんちゃら巻き」みたいに髪をモリモリ盛った、化粧ばっちりの女の子である。
理系男子としては、「え・・・ちょっと」と言いたくなるし、場合によっては畏怖の対象である。
その子達が何の話しに興味があるか、なんてのはかなりの難問である。
当然、思考は空転し、沈黙が続く。しかし誰も助けてくれない。。。。
そうなったら雑談力鍛錬環境としては勝ちであり、雑談的には勝負の始まりである。
まずはベタだと思いつつ、天気ネタから始まり、出身地、趣味、出かける場所、すきな映画、芸能人、来ている洋服・・・・
などなど会話をつなぐ、盛り上げるための様々なネタを繰り出し、玉砕し、ヒットし、たまに会心の一撃を出し・・・・
というのを繰り返していると、段々雑談力がアップしてくる(はずである)
ちなみに、自分が色々と学んだのは、
・「趣味は?」と聞かずに、「休みの日は何をするのが好き?」と聞いた方が趣味的なものが聞き出せる
・相手のことを聞き出したら、次に自分についても話す
・たまに自慢話を混ぜる
などなどである。
結局は、いかに「他人に甘えられず、自分でどげんかせんといかん状況」を作り出すか、つーことですよね。
最近、地方の低学歴だけど、そこそこ幸せな「マイルドヤンキー」が話題
http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/48951
数週間前に、東京の湾岸マンションを渡り歩く(住まいサーフィンする)「湾岸タワマン空中移動族」が話題になったが、
「タワマン族」と「マイルドヤンキー族」の価値観が真逆な気がしてならない。
★「マイルド・ヤンキー」という概念が最近出来ている。家族の絆を重視、ネットより口コミ重視。
★東京湾岸タワーマンションの「空中移動族」とマイルドヤンキー族の生き方は真逆。
「タワマン族(とその子供)が逆にマイルドヤンキーになれるか?」といえば、能力的・生理的に「無理」だと思う。
一例:タワマン族は「虫が大嫌い」「電車が10分に1本以上来ないエリアは日本じゃないと思う」
★湾岸タワマンの空中移動族は、情報収集行為そのものが快楽。だからマンション相場をウォッチングすることそのものが趣味と化す。
タワマン族は「情報収集出来ない環境」に1日も耐えられない情報中毒。タワマン族がヤンキー族になれない所以。
ダイヤモンドにあったが、価格コムみたいな価格情報サイトの利用者は(低年収じゃなく)高年収が多いらしい。
「生活苦で止むにやまれず価格コムを使う」というより、「価格サーフィンが趣味で楽しんでる。」
★マイルドヤンキー族はなけなしのカネをワンボックスカーに使い、タワマン族は大金を住宅ローンと教育費に使う。
ワンボックスカーはマテリアルでリアルな経済価値。分かりやすい。
一方、タワマンの価格の半分以上は「土地の価値」と言う可視化できないバーチャル価値。
つまり、マイルドヤンキー族はマテリアル・リアルな価値を重視、タワマン族はバーチャル価値・先行投資を重視。
「将来が見えないから、最大限将来に備えた投資をする」のがタワマン族。タワーマンション然り、教育費然り。
一方、「将来が見えないから、見えてる今を楽しむ」のがマイルドヤンキー。
★タワマン族はネット上に顕在化した情報を収集したり加工分析するのは得意。
一方、ネット上に顕在化してない隠れた情報を見つけ出すのは大の苦手。
というか、ネット上に可視化されてない情報は、タワマン族的には存在しないことになっている。
マイルドヤンキーのカテゴライズがネット上で可視化されたのは最近。
だからタワマン族はマイルドヤンキーの存在自体を認知できなかった。
★一番の問題は、マイルドヤンキー側は「東京の城南城西湾岸に、自分たちとは違う人種が住んでいる」と自覚してるのに対し、
城南城西湾岸民側は「日本国内にマイルドヤンキーという人種が存在している」ことに無自覚なこと。
遊ぶのも柏や大宮や立川で、年収600万円の都心の仕事より、年収400万円の大宮や立川の仕事を選ぶ
しかしデベ関係者は、1都3県の若者は皆都心7区志向(勤務先もプライベートも)と固定観念で思い込んでる。
※多分野村不動産は「首都圏外縁マイルドヤンキー」の存在に気付いたんだな。それがオハナ
年収800万はある都心大企業社員がマイルドヤンキーを肌感覚で理解してなくて困る」とダイヤモンド紙上でこぼしてるが、
マイルドヤンキーを体感するなら、柏や大宮辺りをフィールドワークすれば、ある程度判ると思う。
★「エリアの中学受験率とマイルドヤンキー率は反比例する」説。
朝日新聞やNHK記者とかは、城南城西エリアに住んでるから、自身の子供も、同僚の子供も、子供の同級生も、皆受験してる。
そういう記者は「日本全国に中学受験がある」と勘違いした記事を書く。
親が同居又は近居なマイルドヤンキーエリアでは保育所不足はあまり深刻じゃないが、それを在京マスコミはあまり報じない。
北陸辺り、保育所が余りまくり、「子供の社会性を育むためには、ある程度の規模が必要」と統廃合してるのだが、
首都圏住みらしいママが「保育所が不足」と必死のツイートしてたりするが、そういうママに「北陸じゃ保育所余ってる」と
だから、「日本の少子化問題の半分は東京一極集中問題なのであって、首都圏への社会転入を社会転出へ変えるたけで、
★名古屋は「日本一のマイルドヤンキー都市」な気がする。京阪神や札幌・福岡は東京志向なのでマイルドヤンキー率低い。
出生率ワースト10自治体に、札幌・東京・京都・大阪・福岡はランクインしてるが、名古屋は入ってない。
(もっとも、皮肉なことに、可処分所得が東京の次に多いのは名古屋。つまり「高所得マイルドヤンキー都市」)
★マイルドヤンキー的生き方と湾岸タワマン的生き方、どっちが幸せなのかは悩む。
マイルドヤンキー族の子供が三木谷や孫みたく「成功」する確率は0.3%。これがタワマン族だと3%に跳ね上がる。
⇒「成功確率が10倍になるからガンバレ」と中学受験に必死になるのがタワマン族。
「タワマン族になっても、成功しない率は99.7%→97%になるだけで、誤差の範囲」と見るのがヤンキー。
どちらも正解だと思うのだが。
マンション地域と土着戸建地域の両方の児童館的な所に通っているけれど、
土着戸建地域の人々は子供の育て方に妙に自信たっぷりで安定感がある。
土着戸建地域で「うち、離乳食始めたのは遅くて7か月からなの(にこにこ)」というお母さんがいたけど、
てっきり、土着戸建地域はジジババ総出の子育てだからだろうと思っていたのだけど、大量の情報の中から常に選択する生き方を
していると自信もなくなるのかもしれない。
よ、流石に正月気分も抜けただろ。やっとハナキンだよ。
個人的にタイムリーな老後賃貸ネタを見かけたから、便乗しとこうと思って。
ほんと、勢いで家買うのだけは止めてくんねーかなー
わからん。
爺さん婆さんの若い頃、昭和30年代ってのは、ほんとに何にも無かった。
関東あたりは野っぱらばっかりだったし、テレビも冷蔵庫も洗濯機も、何にも無かった。
定年越えたオッサンがいたら聞いてみると良いけど、彼らが入社した頃ってな、タイガー計算機が一番たけぇコンピュータって時代だ。
いま30代で70代のコト考えるなら、大阪万博行った帰りにiPhoneでHomes検索する未来を想像しなきゃなんねぇ。
つまり何が言いてぇかっていうとだ、未来のことは判らねぇってことだ。
人は減ってる、なのにマンション戸数は増えてる。
だから、家余りになる。
というのは、半分当たってて半分は外れてる。
極端なことを言うと、マンションはまだライフサイクルを完成してない。
崩されることを前提に設計されていない。
こう言い直すと、解りが良くなるか
どういうことかっていうとな、老人ばっかり空き室ばっかりの団地みたいなのが増えてるってこった。
新築マンションが増え続けてる理由は簡単だ。
まだまだ住める戸建てを更地にして、そこに新築立て直すのと一緒。
人は新しい家に住みたがる。
んで、戸建てとは違って、マンションは区分所有がネックになって、簡単に更地にゃならん。
つーことはだ、単純な引き算だ。
よって、言っちゃ悪いが、貧乏人だけが住むマンションなら、家は余ってる。
だから、そう言うとこに住むなら、安く買えるし、安く住める。
んー、そこは微妙。
バックリ言えば、今でも500万以下で売ってるようなマンションってのは、かなり安値で住める。
で、そういう「築30年オーバーの寂れたマンション」は増える傾向にある。
その意味では、「老人になって住むとこなくなる」って脅し方は変だ。今でもあるんだし。
逆に言えば、「今住んでるようなマンションの家賃」て限定されると、さがんねーと思う。
便利な場所は減っていっても、便利な場所の家賃そのものは変わる理由がない。
あー、解りづれえかな。
んじゃ、こう考えてくれ、超大人気アイドルのドームコンサートがある。
即完売超満員ってヤツだな。
んで、アイドル人気にも陰りが見えてきてファンも減り、そこまで即決じゃなくなってきた。
下手すると、一番遠い席なんかは空き席が見えてきてる。
で、じゃあアリーナ席の値段はさがんのか、ってコトだ。
ガラッガラならそう言うこともあるかもしんねぇが、少なくとも大都市近郊に限れば其処までファンは減ってねぇ。
ヤフオクでプレミアつくような事は無くなっても、定価割るこた無いな。
今自分が住んでるのが1塁側端っこ2階席とかなら下がる可能性もある、ぐらい。
ちっと関係ない話するけどな、衣食住ってもはや嗜好品なんだよな。
まー、下を見りゃキリがないが、健康で文化的な生活をする最低限度の間取りって、四畳半だと思ってる。
押し入れに二畳、一人頭二畳で、余裕に二畳。押し入れ付きで一人暮らしなら四畳半で十分。
2人暮らしなら六畳、3人で八畳、4人で十畳ありゃ余裕で生活できる。
立って半畳寝て一畳とは言え、普通に生活するなら二人で六畳は欲しい。
逆にいや、それ以上の住居は「贅沢品」なワケだ。
例えば、子供部屋が「贅沢品」って感覚は、持っといた方が良い。
アタリマエってのはあっと言う間に水準が果てしなく上がっちまうが、そりゃ幻想だ。
年金もらって慎ましい生活するって言っても、夫婦二人で四畳半は止めたが良い。
やっぱどうあっても六畳間は欲しいし、贅沢を言えば2DKで30平米は欲しい。
さ、そこまで絞れば東京都であっても区外なら保証人不要のアパートもぼちぼちある。
で、まあそうさなあ、八王子だ立川だってところで、駅徒歩15分以上なら、5万くらいかな?
そこで、収入が年金だけになってから30年もみておきゃ、まあそれまでには往生するだろ。
するってえと、総額1800万かかる。コレに諸々で……と、計算したくなる。
だがちょっと待って欲しい。
厚生年金に入ってりゃ国民年金と合わせて、大抵月に12万は年金が貰える。
年金がもらえる前提なら、ハッキリ言って住むに困るこたない。
さて、今まで暗黙に仮定してた前提ってのを明らかにしとこう。
で、年金が予定通りもらえそうって前提まで含めれば、賃貸でも老後に住むに困るこた無いって言った。
その上でだが、これから外れたらどうなるのか。
例えば、一人暮らしで結婚する予定もその気もなくて、非正規雇用やバイトで国民年金も滞納してたらどうなるか。
今は稼げてるが、20年後はどーも職が無くなってるかも知れない、とか。年金75歳から支給、とか。
つまり、一生賃貸で暮らすときにどれだけカネが必要かは、想定してる生き方による。
一生賃貸で居るために必要な蓄えってのは、住宅事情から考えてもしょうがないんだわ。
どう老いたいかって話だから。
つーことはだ、爺婆になったときどうやって生活するかから逆算して、ハズレも想定して貯めとくしかない。
ただ、ちっと触れたみたいに、人間が楽しく生きていくのに必要な平米数ってのは意外なほど少ない。
どこで、どんな風に、どうやって生きていきたいか。それを考えとかなきゃなんねぇ。
ブログとか持ってないので立川に住んでもう嫌だと思った理由をここに書くぞ。
いなげや、ダイエー、つるかめランドなどがあるがどれも高い。肉、魚、野菜どれも満遍なく高い
しかも美味しくない。スーパーで売ってる野菜は北関東や千葉あたりのものが多いが味は微妙だ
新鮮な魚介類など望むべくもない
■2 美味い食い物屋や安い定食屋がない
1つめと同じような項目だがこれも住んでると痛感する。いつだか立川に美味いものなしという単語を見たことがあるが
まさにそうだと思う。
どこも量は少なし値段は高し。
■4 何もないのに人だけは異常に多く、混雑が酷い
週末の混雑振りは酷い。店も食い物屋も大混雑し快適に過ごせないし買い物も出来ない。
■5 治安というかガラが悪い
南口も北口もすぐ駅前に繁華街があり飲食店や風俗、キャバクラの声かけがウジャウジャいる。
彼らの活動範囲はだんだん広がってきておりオフィス街前でも夕方になるとスカウトやキャバクラの勧誘ティッシュ配りやらが
多数現われる。
■6 街が汚い
やたらと街中でゲロを見かけることがやたら多い。
ゴミも散らかっている。
立川を本拠とする宗教団体のメンバーが早朝に駅前を掃除しているがまたすぐ汚れる。
■7 公共施設が貧弱・不便
立川市の体育館は北も南も駅から3kmも離れたところにある。不便な場所にあるにも関わらず利用料金は普通で安くない。
児童会館、福祉会館など公共施設は老朽化しているところが多い。立派なのは新築された市庁舎だけだ。
中央図書館は駅からも近めだが市の規模を考えるともっと充実してほしいし開館時間も延ばすべきだ。
■8 ゴミも有料になった
ろくでもないところだがゴミ回収無料という長所もあった。しかしそれも終わった。
1L一律2円。40リットルのゴミ袋10枚で800円。この辺は有料ゴミ袋の値段が高いのだがそれにあわせたと市は言っている。
立川にもあるアニメイトやゲーマーズで売っているものは基本的にどこでも買える。
本当にオタクに必要なのはとらのあなやメロンのような同人ショップだ。
これが存在しないのは痛い。多摩は同人ショップ空白地帯だったが結局八王子に出来た。
◆立川にはシネマシティという映画館があるが、隣の昭島にあるMOVIXのほうがずっと快適だ。
座席は隣や前との間隔が非常に狭く快適でない。段差が少なく前の客の頭が視界に非常に入りやすい。
昭和記念公園は有料という時点で論外だろう。入園するたびに400円もかかる。
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117
2013年9月でテレビアニメ『ガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。
さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解を一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本的ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプのヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人達から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通り次元の異った高度な秩序である。社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球のガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。
だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会い、ベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカルな社会秩序=ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカルな社会の変化を知りその実感を得るのである。自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分の能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。
はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代や職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴな連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心と加虐性を無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴな連帯を象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカルな連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅の種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味でヒーロー的活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネットと現実を接続させ、物語はクライマックスを迎える…
正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーローの入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志で翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川を防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルはグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーとゲームの参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けだけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。
ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーションが世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデート」なのだ。
『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば
『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界のメタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり。私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。
名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。
ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版『キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実でヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化に立脚したヒーローを解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲームの動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲームが暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界をアップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?
Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックス』から始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガー&バニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本のアニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダーや戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である。特にローカルなヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本のヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。
パシフィック・リムを7回見た。
それが多いのか少ないのか、私に判断できない。
まだ1度も見ていない人からすれば「なんでそんなに見てるの?!」と驚かれてしまうだろうし、
毎日のように映画館に足を運んで、10回、20回と見ている人からすればたいしたことないだろう。
なぜ7回見たのか。
おじさんたちは嬉しそうに私の知らないたくさんの映画の話をしてくれた。
俺らにとって「スター・ウォーズ」は本当に特別な映画なんだよ。
エピソード4でXウイングが画面の外からビューッと飛び出してきて
デス・スターの表面を進んでいくところが衝撃的にかっこよくて、
映画館の座席でひっくり返りそうになったくらいだ。
おじさんたちのオススメで、私は「スター・ウォーズ」を生まれて初めて見た。
そういえばこれの続編が中学生くらいのころに新作映画のラインナップに入っていたのを覚えているけれど、
ストーリーは面白いし特撮もかっこいいけれど、2013年に生きる私が見ると、何か物足りなく感じる。
Xウイングのシーンも、ぼんやりしているうちに一度見逃したくらい印象に残らなかった。
また、おじさんたちは別の映画の話もしてくれた。
レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」は本当にすごかった。
骸骨剣士との戦いのシーン、あれは1コマ1コマ人形を動かしながら撮影していて、
ハリーハウゼンはあのほんの短いシーンのために何カ月もかけたんだ。
あんな映像、俺らは見たことなかったから、めっちゃかっこいい!って興奮したんだ。
その話を聞いてさっそくそのシーンを見てみた。
確かにすごい。
当時は特撮技術でもって労力をかけて作ったんだと思うと本当にすごい。
でも、こんな映像を見たことがない、ということはなかった。
CGモデルをモーションキャプチャで動かせばすぐできるんじゃないかな、とか。
もしかしたら無料ソフトのMMDを使って作れてしまうかもしれないな、とか。
「当時」としてはすごかったのかもしれないけれども、
私はおじさんのわくわくした気持ちを共有することができなかった。
そうこうするうちに、おじさんたちと会う機会はなくなってしまった。
それまでに、私は初めて「ゴジラ」を見たし、
「海底軍艦」や「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ」も見た。
どれもそれなりに面白かったけれど、退屈なシーンも多くて、
おじさんたちみたいに「すごい作品なんだ」と声を荒げることはできなかった。
それからしばらく経って、「パシフィック・リム」が封切になった。
おじさんたちはこの映画も楽しみにしていた。
じゃあ、それなら、見てみようかな、と仕事帰りに映画館に足を運んだ。
面白かったし、わくわくした。
イェーガーは個性的だし、キャラクターたちは魅力的だし、ストーリーに無駄がない。
いいものを見たな、と思った。
調べてみると、ぎりぎりまだIMAXを上映中の映画館を見つけた。
立ち寄りで直帰します、と言い置いて会社を出て、IMAXでの上映を見た。
すごかった。
空いている座席がなくて、巨大なIMAXのスクリーンのかなり前のほうの席にいた。
ベケット兄弟がイェーガーに乗り込み、イェーガーの頭が落下してボディと合体する。
そして重厚なロボットが音を立てて夜の海に乗りこんでいき、怪獣と殴り合いのバトルを始める。
海に取り残された線上の人たちがジプシー・デンジャーを見上げたとき、
私もまたその巨大なロボットの姿を見上げていた。
映像の技術的なことはわからないし、冷静に考えれば設定に不思議なところもある。
でもそんなことは関係ないのだ。
悪い怪獣と殴り合いをするジプシーを拳を振り上げて応援したくなる。
この作品の魅力を説明しとうとしても、自分の興奮が先に立ってしまって、
「とにかくすごい」「楽しい」「わくわくする」こんなふうにしか表現できない。
おじさんたちは言っていた。
ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」のエピソード6を撮影したあと、
自分が撮りたいものを撮るための技術が出来るまでに10年以上待ち続けたそうだ。
おじさんたちが大好きな、昔の映画を悪く言ったり、バカにするつもりは全くない。
でも「当時新しかったもの」が時を経て古く見えるのは仕方のないことだと思うから、
こう表現することを許してほしい。
一番新しいものが一番すごくなきゃいけないんだ。
「こんなの見たことない」って思わせなきゃいけないんだ。
私は「パシフィック・リム」みたいな映画を見たことがなかった。
映画にこんなに興奮することも初めてだし、同じ映画にこんなに何度も足を運ぶことも初めてだった。
たぶん私は「パシフィック・リム」のおかげで、おじさんたちの気持ちをわかることができたと思う。
それから3Dで見たり、吹き替えで見たり、2Dではどうか試したくなったり。
立川爆音上映会のチケットも必死で取ったし、池袋絶叫上映にも行った。
この連休は遠征して4DXを見に行く。
次にあのおじさんたちと会うことがあったら、「パシフィック・リム」の話を振ってみようと思う。
それで私のわくわくした話も聞いてもらいたい。
たぶんおじさんたちは、「あのシーンはあの映画のオマージュ」「あの設定はあのアニメが元ネタ」
なんて話をいっぱいしてくれるんだろうな。
今まで自分にとってあまりにも自然な感情であったため気づかないでいたが、乗り物に乗ることが好きだ。30にもなって初めて車を買う段になってあれこれ考えていてようやく気づいた。
例えば子供の頃、祖父母の家に行くときは祖父母に会えることやいとこに会うことよりも、10時間以上車に乗っていられるのが一番楽しみだった。ファミリーカーの中で兄弟や母が疲れて寝ている時でもずっと起きていて、ドライバーの父と話をしていた。
例えば日常でも、車や電車に一度乗ったら30分は乗り続けていたい。どこに行くにも車で30分はかかる田舎に住んでいるから当たり前だと思っていたが、15分しか車や電車に乗れないと不満を感じるのは明らかに変だ。
例えば大学時代、目的地もなく3時間以上自転車を乗り回してあちこちに出かけていたのも、よく考えればおかしい。調布~立川間を自転車で往復したのは1度や2度ではないが、立川で何かをした記憶はない。
例えば旅行でも、飛行機の国内便では不足を感じる。何のって、飛行機に乗ってる時間の。1時間程度じゃ全然足りない。ハワイ便の7時間ではさすがに満足したが。
例えば通勤。片道20キロを原付で通っていると言うとみんなに驚かれる。正直、何をそんなに驚かれるのか全く分からない。でもみんなが驚くからやっぱり何か変なんだろう。
車を買うにあたって乗り物のことを色々考えて、ようやくこれらがなんか変だと気づいた。自分にとってはあまりにも当たり前すぎて今まで疑問を感じたことすらなかった。不思議なのが乗り物に乗ってることだけが好きで、乗り物のメカニズムにはほとんど興味が無いこと。原付に乗っていてエンジンの回転数がわかればいいなぁと時々思っていたが、そのためのメーターがタコメーターという名前だと知ったのは車の購入を真剣に考え始めてからだ。車や電車の車種にも全く興味がなかったし、西之園萌絵の車のエンジン音が好きだからカーオーディオをつけないというスタイルも高校時代に読んだ当初は全く理解できなかった。今はわかるようになったが。
こういう事に気づいてみると、今までの人生で理解できなかった出来事が腑に落ちるようになった。北海道まで旅行に行くのに電車で行くつもりまんまんでいたら変人扱いされたこと。結局飛行機で行ったけど、電車じゃなくなったのがとても残念だった。借りた車に友達を乗せて道に迷い3時間ほどフラフラ走っていたら疲れた顔をされたこと。私自身はちょっと遠回りになったけどドライブ楽しいよね、としか思ってなかったのでなんで友達があんなに疲れた顔をしていたのか分からなかった。今は、そうか、普通の人は長いこと乗り物に乗るのは嫌なんだ、と分かる。でも、その程度にしか分からない。
なんでこんなことに今更気づけたかというと、自分の車選びの一番の基準が楽しそうか否かである気づいたからだ。最初楽しそうだったのはハイブリッドカーだ。燃費の事も考えていたけれど、結局のところハイブリッドカーは楽しそうだというのが一番の動機だった。なので実際にレンタカーでハイブリッドカーを借り、一日300kmほど乗り回してみたが(今までほぼペーパーだったのにいきなり300kmも車に乗れるのがまた変だと思われる)、EVモードとHVモードがとても静かに入れ替わり、そして入れ替わるたびにアクセルの踏み具合が変わるのに慣れることが出来ず、ハイブリッドカーはすっぱり諦めた。たぶん街乗りでストップアンドゴーを繰り返す人やこまめにスピード調節する運転のうまい人なら気にならんのだろうけど、私は運転下手だし田舎に住んでるし。
で、結局お財布のこともそれなりに考えた結果選んだのはスズキのスイフトだ。一番の決め手は、安いのに楽しそうということだった。今は納車が非常に楽しみ。毎日車に乗る生活になったら、乗り物に乗ることがとても好きな私の何かが変わるかもしれない。
window - The album leaf
no surprise - radiohead
I wanna be adored - The stone roses
someday - The strokes
1979 - The smashing pumpkins
time to wonder - gypsy & The cat
そして僕は途方に暮れる - 大沢誉志幸
summertime clothes - animal collective
夜を駆ける - スピッツ
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
ニュース画面http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111014/crm11101412230010-n1.htmからコピペ
- 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を降ろして、減給処分。
- 1995年3月、八王子市立石川中学校の学級通信で国旗掲揚を非難したため、訓告処分。
- 1999年3月、八王子市立石川中学校の家庭科の授業で、国旗及び国歌に関する法律はオウム真理教のマインドコントロールと同じであるというプリントを配布し、校長の学校運営を批判したことにより、訓告処分。(この処分に対しては、2001年に「教育行政の教育現場への不当介入」として訴訟を起こすが、2004年5月に敗訴)
- 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で従軍慰安婦やジェンダーフリーをテーマに授業を行い、校長の職務命令に従わなかったため、減給処分。(この処分を不服とし、2004年に訴訟を起こすが一審二審共に敗訴している。)
- 2003年3月、調布市立調布中学校に異動。通勤時間が往復で4時間かかる勤務地への配属は不当として、2004年に訴訟を起こす。
- 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給10%・6ヶ月。
- 2005年4月、立川市立立川第二中学校の入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職1ヶ月・ボーナス0。
- 2005年12月、大阪市の『すわって示そう戦争反対!12・23』で講演
- 2006年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職3か月。(この処分を不服として訴訟を起こすが、2009年3月に棄却される)
- 2006年4月、『4.25改憲と共謀罪に反対する集い』で講演
- 2006年12月、多田謡子反権力人権賞を受賞。
- 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職6ヶ月。
- 2008年3月、東京都立南大沢学園養護学校の卒業式で国歌斉唱を拒否したことにより、停職6ヶ月。
- 2008年4月、東京都立あきる野学園に異動。
- 2009年3月、東京都立あきる野学園の卒業式で、君が代不起立により停職3ヶ月。
キチガイすぎるだろこいつ。
こんなのがクビにならない事が逆に怖いわ。
さて今年も多摩キャンという迷路に迷い込むであろう仔羊たちが沢山生まれるわけか…
っつーわけでまあ、記憶を辿って適当に書いてみるとしよう。俺は現多摩キャン1年(社会学部社会学科)だ。
もちろん間違っている、不正確な情報もあるはずなので、真実は自分の目で確かめてほしい。
俺自身が田舎からの上京組なんで、上京組を想定した項目も入れてある。
西八王子、めじろ台←→法大間は安い定期券と回数券をキャンパス内で買えるので、入学前に買う必要はない。
地図見るとわかるが遠いくせに基本ルートが2つしかない。つーわけで超混む。都心の満員電車の気分をこんなところで味わえます。
なので通学時間帯のバス時刻表は全く当てにならないと思っていい。所要時間はめじろ台15分~20分、西八王子25~30分、相原15~20分(もちろん通学時間帯は後ろの数字)だ。
最近ダイヤ改正で八王子駅←→法政大学直のバスができたので、八王子近辺からはこれでいけばよい。
他のルートは使っていくうちに覚える。とりあえず4月は大学に行けりゃ十分。他のところなんて先輩が案内してくれる。
あとは各自Googleマップを見るなり、路線図見るなり、実際に行ってみるなりしておくといい。初登校日に迷うなよ?
都心のことは覚えなくていい。たぶんほかのことで忙しいだろうし、(サークルや交友関係にもよるが)都心に行く機会なんて意外とないから。
ちなみにめじろ台は「めじ台」、西八王子は「西八」と呼称される。
基本多摩キャン生が住む場所は3つ。めじろ台・西八王子・相原。上記最寄駅ってことね。次に八王子、橋本、高尾。んであとは京王線・中央線・横浜線の各沿線。
都心が近いって理由だけで都心近くに住もうとするとまず破綻する。便利なとこがいいなら立川あたりで止めとくべき。
田舎からの上京なら西八王子でもそこそこ便利と思えるだろうし、俺は西八王子をおすすめしておく。
めじろ台、相原はそれに比べると劣る。そのかわり家賃は安い。ただめじろ台はプロパンガスなんでガス代が高い。千円二千円の家賃の違いでめじろ台にするのはやめたほうがいい。
都会人だけど大学にも近くしたい人なら橋本もいいかも。本数は少ないもののバスで行けるし、そこそこ都会だし京王相模原線が通ってるので都心へも行きやすい。いい物件を見つけられれば穴場。
あとは適当に箇条書きで。
家具・調理器具・家電などは本当に必要なものだけをまず買うのが一番いい。住んでいくうちに必要になるものがわかってくる。
めじろ台であれば、高尾駅(めじろ台駅の隣)の近くにあるイトーヨーカドー、その通りにあるダイソーと電機のセキドで大体のものが揃うはずだ。
まあ住まいや家具家電は親の意向等もあるので、親とか財布とか自分の性格とかとよく相談したうえで決めてくださいな。ここ(や他の情報)で書いていることを親に強弁しすぎないように。
入学式は日本武道館で行われる。服装は自由だ。といってもほとんどの人はスーツだが。
書類をちょいと貰うのでバッグがあるといい。わざわざ買う必要はないが、スーツに合わないバッグしかないなら考えておこう。
駅に着きさえすればあとは案内と人の流れでわかるだろう。周辺では某団体や某サークルがビラを配ってたりするが、気にせず進もう。
キャンパス以外でのビラ撒きは公式的には禁止のはずだ。キャンパスに行けば嫌というほどビラをもらう。
式では校歌を歌わされるが、付属生以外知らないので歌わなくていい。
市ヶ谷生は式後キャンパスへ向かうが、小金井・多摩生は解散となる。
「こんな田舎だと思わなかった」は新入生の自己紹介の常套句。使うと下調べ不足を自ら晒すことになるのであまりおすすめできない。
つーわけでまず一度キャンパスに行ってみるべき。近い人は入学を決める前に行っておくといい。本当に。
上京組でもだいたいの人は入学式前に引っ越すだろうから行ける時間はあるはずだ。百聞は一見にしかず。
では軽くキャンパス案内といこう。
バスで入口を通るとき、セブンイレブンとすれ違うはず。よくお世話になる。その横にはバイクの駐輪場がある。マナーが悪い。
バスから降りた真上に見えるのがEGGドーム(エッグ)だ。サークルに入ればよくお世話になる場所。奨学金の手続きなどををする学生生活課もここにある。
目の前にでっかい木があるはずだが、これはクリスマス期間イルミネーションされる。予算の無駄だと思う。
横断歩道を渡ろう。普通に車が通るので油断するな。右手にはトンネルがある。大学にトンネルがあるなんて聞いたことねえ。
トンネルの向こうにはスポーツ健康学部がある。残念ながら雪国ではなかった。しかし思いっきり民家や私有地が隣にあるので驚くこと間違いなし。
さて進もう。なぜ大学は坂道にしたのだろうか理解に苦しむ。左手にちょっと奥まった下り坂があるが、そこに入ると大教室A棟がある。
ここで新入生オリエンテーションが行われる。俺はオリエンテーション以外でここに入ったことはない。まだ1年だからだろうか。
バス停があるが、ここで体育棟行の循環バスに乗れる。キャンパス内バスなんて北大の専売特許かと思ってた。
上ると道が二手に分かれるが、左へ行くと経済学部棟へ、右に行くと社会学部と現代福祉学部棟に行ける。真ん中に総合棟と図書館。奥の道は体育棟へと続く。
左へちょっと行くと円形型の芝生=円形芝生:通称円芝もある。ここはリア充系経済学部生のたまり場となっている。近づき辛い。
ちなみに多摩キャン、憩いの場がやたら多い。某公式キャンパス案内は、円芝、EGG、社学棟1階、現福棟前、食堂を憩いの場として紹介しているそうだ。
各学部棟は説明がめんどくさいので、あとはパンフなどを参照してほしい。後日、各施設の無駄知識も書く予定だ。