はてなキーワード: 輪番停電とは
決壊による洪水被害はもちろんあるだろうけど、それは全く考えず、経済面の継続的な被害のこと。
電力目的のダムっぽい(wikipedia情報)で、中国の1割も電力を占めてるらしい。東日本大震災で東日本側が輪番停電してたけれど、あれで被害受けてたのって何割くらいだったのだろう。
仮に1割あって同じように当面は輪番停電で何とかなるとしても、それは新たな電力の供給が手に入るまで続くから、数カ月では済まない。ダム修理でも、熱による発電所を作るにしても、年単位は間違いなく必要だろう。
うーん、全く洪水被害がなかった(既に発生してはいるが)としても、三峡ダムが無くなった時点で、かなり絶望的なルートにしか思えない。
公務員は間違いなく不況時の受け皿となることが求められるし、公務員への転職者は増えるだろうな。
東京は不人気化+法人の移転による東京の人口低下も起こるだろうが、民間需要自体が収縮するので人材需要は総じてかなり絞られると予想している。転勤強要はその状態を前提としているので、人材需要が旺盛ならその予想自体外れるな。
不動産相場も低下するので、ローンでの不動産所持者の売却も考えづらいかな。転職による給与減となろうとも二馬力維持する夫婦も多いだろう。
話がとっ散らかったが、いずれにせよ東京に人材も企業も吸われ続ける地方にとっては千載一遇の機会なので、本気で東京sageして誘致してくるだろうなと思っている。(特に大阪の維新コンビや名古屋の河村なんかは前のめりに来るんじゃないかな)
東日本大震災の時の輪番停電とかでも間接的に影響は受けただろうが、東京所在の企業が直接的に事業継続に大きなダメージを受けたのは戦後初めてだろうから、今後の動きは興味深い。
日曜の昼下がり、全国1000万人のはて匿ファンのみなさま、ごきげんいかがでしょうか。
117の阪神大震災の日の記事のブックマークコメントに2011年3月11日の日記へのリンクがあり、読み返してみました。
あまり覚えていない人も多いと思いますが、地震が起こる前の話題は、2010年から尾を引く「野球賭博」と「大相撲八百長疑惑」と日本のスポーツ興行界の存続を揺るがす大事件が起きていた。大相撲中継が中止になったりしました。「京大の入試でスマホを使ったカンニング」とスマホの普及による事件が表面化しました。八百長疑惑もメールの履歴が残っているとか、携帯をたたき割る力士が現れるとか、IT化の影響が表に出ていた。さらに追及があるのかのタイミングで、地震が起こった。
地震のとき、我が家ではかがみんのフィギュアが本棚から落ちてツインテールが取れてしまった被害が出たことを覚えています。とりあえず東京の親戚には田舎に残っていたペットボトルの水をひと箱送りました。重たいので160サイズでした。
当時の日記を見ていると、徐々に被害状況がわかるにつれて、生き残ろうとする人間の欲望が渦巻いていくのがわかります。
スーパーの棚が買い占めで空になった。
福島第一原発は吹き飛び、Dash村の周辺まで立ち入り禁止区域にさせてしまった。何でさっさと海水を注入しなかったのか。
東京の富裕層は放射線を恐れて、西へ向かう新幹線を満員にした。
消防車で放水とか、生コン注入器で水を入れるとか、ヘリコプターからバケツで水をかけるとかやっていた。
ディーゼル発電機のプラグが合わなくて冷却ポンプを動かせないとかもあった。
原発に防潮堤を作る話があったが東電の社長が拒否した話も浮上した。
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報は隠蔽された。
東日本一帯が住めなくなるという話も出た。
東京でガイガーカウンターを使う人が増えて、倉庫や床下に忘れられた蛍光塗料が発見された。
直ちに影響はない。
街が一夜にして燃えてなくなるとか津波に飲まれる人の空撮動画がテレビに流れていた。
アメリカの空母がいつもより余計にやってきて、政府や自衛隊が手薄なときにどさくさ紛れに人民解放軍が九州を占領とか極東ロシア軍が北海道を占領とかするのを防いでくれた。
ともだち作戦もあったよね。
いろいろなことがなんだっていうんだという無力感がありました。無力感はだんだんと薄れてきて今があります。忘れたこともたくさんあります。情報が錯そうする中、正しい情報と想像できる最悪の事態との間で人々が右往左往していました。
蛇足ですが、2011年の12月を見ていたら、民主党の野田さんが消費税を上げる決断をしていました。政権交代ってなんだっただよ。ぷんすか!
一番電力を使っているであろう23区が対象外だったのが今でも納得できない
影響がでかいのはわかるけど一回くらいやったって良かったろ
平日昼間に勤め先が対象地区になった時はPC使う仕事だったから何もすることなくて
技術本とか読んでたけど眠いし薄暗いし居心地悪いし二度目からは有給取って休んだ
福島の震災で原発が停止し、電気の供給量不足が見込まれたため、首都圏(だけだったかな?)で、
街全体が順番に計画的に停電になる、という出来事がありました。
あの出来事も、ふと思い返してみると、結構昔の話となりつつあり、
影響範囲は広かったとはいうものの、日本人皆が体験しているわけでもないので、
今となっては話題に上ることもあまりなく、徐々に知らない世代が出てくるのだろうなと感じます。
輪番停電の影響を受けたあの日、私は横浜のとある街に住んでいました。
仕事を終えて最寄駅に到着すると、駅の改札の向こう側(駅の外側)が真っ暗なんですね、真っ暗。
言葉に表すと、あまり伝わりづらいと思うのですが、見たことのない光景でした。
また、駅から自宅までの道でも全ての街灯が消え、家の灯りも消え、あるのは道行く車のヘッドライトのみ。
その日は曇っていたので、すれ違う車のヘッドライトを頼りに歩いた記憶があります。
建物や家が立ち並ぶ大きな都市で、山奥の田舎のように、灯りが通り過ぎる車のライトだけ。
あの灯りのない感じも、なんだか近代都市には無い落ち着きやある種の暖かさがあったような気がして、私は好きでした。
(ただ、ずっと続くと犯罪が増えるだろうなとは感じました)
真っ暗な都会のあの感じを味わえることは、もうないんだろうなぁ。
以前、『母親に結構な金が注ぎ込まれてる』(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626)『はてなーが案外やさしかった件とその他のもろもろ』(http://anond.hatelabo.jp/20160824212145)というタイトルで、月60万円の抗がん剤を使いながら、日本の保険制度のおかげで、月1万5000円しか負担していない「相対的貧困者」である母親の闘病生活について書いた増田です。
日付みたら、もう半年がたっているのだが、ここにきて大きな変化があったので、つらつら書いていくことにしたい。
母はその後、一進一退の闘病生活を続けていた。
体調が良い時は、映画を観に行く時もあるし(『君の名は』は案外気に入ったらしい。)、副作用がきつい日は一日寝ていたり。
先週の金曜日までは。
抗がん剤をうって、体調が悪い時期をおえたばかり。
先週の水曜日は一人で病院に行き、とくに問題にすべき所見がない状態だったのだが、金曜になってどうやら尋常ならざる腹痛を覚えたらしく、土曜日に同居している姉が病院に連れて行った。
取りあえず、当直の内科医が診断したところ、腹膜炎をおこしているらしいとのことで、痛み止めをうったりレントゲン撮影などしているうちに、主治医や外科医が到着。
通常のCTスキャンだと、造影剤をつかうのだが、抗がん剤で体が弱っているため、造影剤をつかわずにCT撮影。
小腸か大腸に穿孔が疑われるのだが、画像では今一つ患部がはっきりしないらしい。
通常の患者ならば開腹手術に踏み切るところ、はたして、母の場合は体力がもつのか、また、抗がん剤の影響で、術後、傷がすぐにふさがるのかどうかが判断付かず、医者の協議がつづく。
主治医(産婦人科医。母が卵巣ガンのため)は、手術を主張するも、外科医と内科医は反対するという状況の中、結局、週末のため麻酔医の手配が付きそうもなく、また、あらためて放射線医の主導のもと、造影剤を使ったCT撮影の上で、精密な診断を下す必要があるとのことで、月曜日までは「保存的療法」(ようするに、点滴で栄養を補給しつつ、抗生物質で炎症を抑える対症療法)をとる、との診断に落ち着く。
(なお、ここまでは姉からの伝聞)
そして今日。
CT診断を経て主治医、放射線医、外科医、内科医などなどの協議の結果、正午過ぎにやはり手術をすることになる。
ただし、緊急の手術が入ってしまったたこともあり、開始時間がいつになるか分らないという。
準備をしてまつこと2時間くらいたっただろうか?
いよいよ手術ということで看護師なに4人がかりでベッドからストレッチャーに母を移す。
いや、自分で立ち上がれる(と、本人は思っているし、実際たちあがる)のだが、腹部にできるだけ圧迫を与えてはいけないとのことで。
母は手術に若干の不安を抱えているものの、現状では、うがいが許されている以外は一切、なにも口に入れることが許されず、手術によってその状況が改善されるのならば、と望んでいるようだ。
スタッフ・ステーション(最近は、ナース・ステーションとは言わないらしい)横の病室から、エレベータ、長い廊下を運ばれる母にくっついて、自分と姉も移動し、弱弱しくベッドで手を振る母は、「手術棟」の自動ドアの向こうに運ばれていった。
患部の状態を確認し、最悪、内臓の消毒や洗浄だけで、それほど積極的な処置もできずに終わるかもしれない、と説明されていたが、果たしてどうなることか・・・と待合室に席を落ち着けた途端、自動ドアがあいて、看護婦が「増田さん!」と叫んだ。
何事!!!
本来なら患者のみが呼びこまれるドアの内側に、姉と自分が駆けつける。
手術衣を来た外科医(協議で議論をリードし、重鎮っぽい空気を醸し出していた、いかにも精力的な医師である)が口を開いた。
どういうことか?
ところが、外科医は、昨年5月「まで」と、今の今まで勘違いをしていたようなのだ。
医師の説明するところでは、現在の薬を使っている場合、最後に投与して最低でも8週間は外科手術をしないほうがよいという。
もちろん、「明らかに今開かなければ、もう数時間で確実に大変なことになる」などという状況であれば判断もかわるが、母はまだ、そこまでの段階にはない。
腹部を押した場合、まだ痛みを感じるところと感じないところがある、という。
実際、つい先ほどまで、スマホをいじってメールを返信したり、電話に対応しているくらいなので、「もう我慢できないほどの痛みでのたうちまわっている」とか、そういう状態ではないのだ。
「ここまで来ていただいて、まことに申し訳ないのですが、やはり、もうちょっとだけ保存的な療法で様子を見るべきと、最終的に判断させてください」と頭を下げられて、「いや、手術してください」とはだれも言えない。
一緒に聞いていた母の心中は分らない。
手術への恐怖から一瞬だけ解放された安堵か、現状を劇的に回復される手段が先送りになったことへの絶望か。
もとの病室にもどり、しばらくして改めて主治医の説明を、母と姉と共に聞く。
「正直、腹膜炎の手術に関しては、自分の専門外の部分も多く、外科と内科の判断に従わざるを得ない。
『五月まで』と『五月から』の認識違いが生じてしまったことは誠に申し訳ない。
まずは、抗生物質で炎症を抑えつつ、点滴の種類を追加して栄養を補給し、しばらく様子をみる。
何分、抗がん剤は癌細胞だけでなく、内臓の正常な細胞にも影響をあたえるので、手術後、傷がふさがらなくなる可能性もある。
もうしばらく、抗がん剤の影響が少なくなるまで頑張りましょう、しばらく点滴だけで食べ物も飲み物もとれませんが云々」
といった説明があった。
やれやれ、ということで病室で落ち着いたところで、自分と姉だけが再び呼ばれた。
その瞬間、「来たな」と思った。
なぜ、もう説明が済んでいるのに、もう一度呼ばれるのか。
それは、「本人には伝えにくい診断があるから」以外に、理由はない。
「正直、私としては手術で状況を打開したかったのですが、申し訳ありません。
現在の薬には、消化管穿孔の副作用が起こる可能性が、ごくわずかながら起こる危険があるというのは以前からお伝えしていましたが(実際、それは母にも伝わっている)、
新しい薬ですから、正直、そういう症例が、当院では初めてですし、国内的にも症例はそう多くない。
だから、お母様に今後なにが起こるのかは、何とも言えません。
普通の消化管穿孔ならば、手術をしてしまうわけですから、消化管穿孔の患者に保存的療法を続けた場合の症例というのも多くないのです。
なにが起こっても不思議はない。」
「がんの発見から、もうすぐ丸6年ですから、お母様は大変よく頑張ってこられましたが、私にして差し上げられることが、現状では、なくなってしまったというのが正直なところです。
このまま持ちこたえれば、また手術もできるのですが」
そして、以前、父の時にいわれたセリフがでてきた。
曰く
「もし、会わせておきたい人がおられたら、そろそろ連絡を始めて下さい」
さて、ここで問題だ。
母はどの程度、自分の病状を認識しているのかが、つかみかねるのである。
実母と夫もガンでなくしている母は、ガンの末期というのは相当苦しく、また、その痛みを和らげるための薬を使ったりすることを知っている。
そして、今の母は、そういう状態にない。
考えてみれば当然であって、今の母は「がんの末期」で苦しんでいるのではなく、腸閉そくと消化管穿孔の症状で苦しんでいるのだ。
それは、ガンとの戦いの結果ではあるのだが。
突然、いろんな人が訪ねてきたら、それはそれで、母が何事かをさとり、精神的に追い詰めることにもなろうが、かといって、「間に合わなかった」ら悔いが残る。
この状況で「精神力」が病気と闘うのにどれだけ役に立つのか、良くわからないが、「アマゾンで注文した本が届いているはずだから、明日もってきて」などというほど頭がはっきりしている人の、生きる気力を奪うことはできない、というのが姉と自分の結論となった。
とりあえず、何人かの方に話をして「偶然近所に来る可能性がある人」から順番に呼ぶことにした。
明日以降、日々、状況は変化するだろう。何が起こるか、起こらないか。
6年前、「このままでは、1か月も持たない可能性もあります。即、手術です」といわれて、大震災後の輪番停電が続き、大至急の手術は延期するという状況の中で、母は最初の手術を受けた。
あれ以来「最悪の事態」を常に裏切ってここまできたが、はたして今回はどうなるか。
もし、外科医が「勘違い」に気が付かずに手術を結構していたらどうなっていたか。
誰にもわからないといは、とりあえず封じ込めて、明日も取り急ぎ有給をとっているので、「アマゾンから届いた本」をもって病院に行くことにする。
、
古希を超えて数年たつうちの母親は、東日本大震災の直後ごろに、北斗晶とは部位は違うけれど、ガンがみつかって「ステージⅣ 五年後生存率20%」て診断されて
その年に2回手術をうけて、もう4年たつけれど、結構元気にしている。
人並みに健康診断は受けていたのだが、そのガンは、「検診では見つかりにくい部位」であった。
ちょうど、最初の手術のころは、「輪番停電」がつづいていて、病院が薄暗くて、しかも、電力の不安から人によっては手術時期を延期される人もいる中
「おたくのお母さんは、もし今手術しなけりゃ、余命数か月ですから」と予定通り手術したことを思い出す。
とりあえず、2回の手術を経て、完全にガン細胞を取り除くことはできず、
その後は、保険診療で抗がん剤治療を続けているのだけれど、最初の宣告をうけた翌年には、「これが最後になるかもしれない」ということで、
そしたら、翌年も「今年も行けそうだけど、どうします?」と主治医に聞かれたりする程度の経過をみせ、
最近は体調みながら2~3週間に一度、抗がん剤治療をうけた直後は、2~3日はだるそうにして、
食事つくる以外は、ほとんど横になっているけれど、その期間をのぞけば、随分元気にしていて、この夏は、友人と三泊くらいの旅行に出かけているし
まあ、抗がん剤の影響があるので、「レディースアデランス」が手放せないが。
まあ、病気の経過というのは人それぞれだから、なんともいえないが、母の周りには、そういう人も結構いて
「五年生存率20パーセントと宣告されてから、はや8年」なんて人もちらほら。
病院も、まあ、公立みたいなところ(数年前まで社会保険病院だったのが、組織改革でちょっと名前がかわった)なので、
超有名病院で名医に特別な最先端治療を受けているわけでもないし、後期高齢者なので、アフラックの保険がないと対応てきないような高額な医療費もかかっていない。
もちろん、予想以上に「悪い」展開をたどる人もいるのだが。
ガンにかかった時に、ほかの病気を抱えていたり、病気とまでは言えないけれど「血圧が高め」とか、「貧血気味」とか「肥満が過ぎる」とか
そういう人は、治療が大変だったり、良くない展開をたどりがちのようだ。
あと、ちょっとしたことで、食欲が落ちて、しかも「無理してでも食べよう」という気合がない人。
なんといっても、そういう人は、使える抗がん剤の選択肢が減る。
「がん以外は健康」でないと、抗がん剤治療に耐えられない、ということらしい。
抗がん剤というのは、一つの薬をあまり長く使い続けることができないらしく、また、人によって「あうあわない」があるようで、
基本的には、使ってみて、その後の体調とか、腫瘍マーカーの変化やらを見ながら、
使用を継続したり、中止して別の薬に切り替えたりするらしい。
うちの母親の場合、すでに3種類目だか、4種類目だかになるのだが、
現状では、「今回のは、前ほどきつくないけど、抜け毛は前より増えたのが悩み」だそうだ。
「数年前に認可が下りたばかり」という薬が次々出てくる
実際、うちの母親は、主治医に「○○さん、あと5年早かったら、使える薬がもうなくなっちゃってたかもねえ」とか言われている。
まあ、ガンに根本的な治療法がまだない以上、「がん以外は健康にしておく」というのが大事かなあ、というのが、傍から見ている人間の感想。
あとは、素直に医師(もちろん、まともで常識的な)のいうことを聞くしかないのだろうなあと。
最近、ガンで亡くなった女優さんが、「抗がん剤治療を拒否して、純金製の棒で、患部や体全体をさすったり、押さえたりする民間療法を受けていた」というニュースがあったけれど
個人的には、あれ、完全に間違っていた、と思う。。
いや、それぞれが、自分の納得いくように治療を受ける(受けない)のは自由だけれど。
彼女は「最後まで女優として生きて、次の舞台に立つことを切望していた」らしいから
多少、抗がん剤でつらくても笑顔をみせて、髪の毛が抜けても、カツラをかぶってでも舞台に立ってほしかったなあ、と。
そういえば、母がガンになったことを話したら
「現代医学は医者と製薬会社が暴利をむさぼるために、やたらと抗がん剤など使って人のことをボロボロにする。いい療法があるから教えてあげる」
といってきた友人がいた。
何しろいい奴で、本気で心配している様子なだけに、困ってしまったのだが。
ああいう人たちってなぜ「医者や製薬会社は暴利をむさぼっている」と憤るくせに、
効果のない療法でお金を取っている人たちを「暴利をむさぼっている」というようには思わないんですかね?
ちなみに、その友人とは、いろいろな義理や関係性もあって、必要最小限度の接触を保つ関係が続いている。
その程度の付き合いにとどめていれば、きわめて「いい人」ではある。
なんだかんだいって、根元の部分では 日本が好き。生まれ育った国だもの。
米は美味しいし、味噌汁も美味しいし。なんだかんだ言って、庶民の暮らし庶民の暮らしだし。
そりゃぁ、度汚いこともたくさんあるけれど、いろんな国の中では けっこうマシな国だろう。
一番は、なんといっても3.11 あんだけのパニックでも。いろんなお店や公共機関が、店を開放したりして助け合ったし
非難轟々ではあったけど、輪番停電なんていう、途方も無いこともやって乗り越えたし。
なんだかんだいって、今年も節電してる。
落日であっても、心は晴天。 根元の部分は誇らしいと思う。
あとはまぁ、諸外国に笑われない程度には、日本が頑張れるように、微力だけど、ちゃんと自分の仕事を 一人分 がんばろうとおもった。
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
輪番停電後に通常の電力供給に戻れたのは、メンテ明けの発電所を動かしたからだと聞いたけど。
つまり発電所とはメンテのために止めなきゃいけないものなわけで、例えば10基ぶんの発電が必要なら10基以上の発電所を用意しとかないとローテーションできずメンテで止められないって事でしょ。
今福島が止まっているせいで、その余剰がない。ずっとメンテができないフル稼働の状態で日本はぎりぎり動いてる。って状況なんじゃないの。おおざっぱに言ってさ。
この状況を見て「なんだ、福島なくてもいいんじゃん、輪番停電は茶番じゃん」って言ってるのはつまり、メンテしないでずっと動かせって言ってるのと同じだったりしないの。