2011年12月25日の日記

2011-12-25

会いたい人のところへ

会いたい人のところへ行く。ただそれだけのこと。でも。2週間だ。2週間前から会う約束をしていた。それを、クリスマス寒波などに邪魔されてたまるか。

本当なら、会うその日に行けば良かった。でも、それだと天候の関係で行けなくなるかもしれない。恐かった。あの人に会えなくなるのが。

から、会う前日。職場忘年会を、幹事の人に本当にすいませんって言って、出ないことにした。ほとんど定時に職場を出て、あの人の住む街に向かった。

夜通し車を走らせて、着いた街は明るかった。文明の灯だ、とも感じたが少し大げさかな。天候はそのあとから悪化した。タイミングは良かったと思う。

いい時間が過ごせた。そういうクリスマスイブ。おそらく、今までの人生で、一番素晴らしい時間を過ごせたと思う。満足だけど、来年もっといい時間を過ごせたらと思う。

贅沢な望みかも知れないけど、更に高みを目指すのは、人間の欲望としてあまりに正直なことだと思うし、それを否定する気はない。少なくとも、今のところは。

あの人と過ごせることが何より今は、自分人生大事ものになっている。またあの人に会いたい。ただただ、そう思う。でも。

普通の日になかなか休めないあの人。自分休みがなかなか合わないあの人。それでも何とか合わせてくれるあの人。たまに、こっちも合わせるけど、合わせてくれる。

嬉しいけど、悪い気がして仕方がない。だから、会える日、会える時間大事にしている。大事時間を一緒に過ごしているときの、あの人の笑顔や仕草が、本当に愛おしく感じる。

初詣は行こうよという話にはなった。行けるかどうかは少し微妙だけど、これは何とか実現させたい。今度はこちらがあの人に合わせる番なんだ。

雪はまだ降っている。今度あの人と会うときは、晴れていますように。冬だから難しいかもしれないけど、どうかどうか、晴れていますように。

http://anond.hatelabo.jp/20111225211334

んー、もうチョイ表現を練った方が釣りとしては上等になると思うんだけど……と思ったらこんなんでも意外と釣れるのな。はてなー釣り耐性も落ちたもんだわ。

このブコメスターつくだろー → つかない

一応ブクマしておくか・・・ → ☆28

アルコールって頭悪いな

分解するのに水が必要なのに、利尿作用があるって頭悪すぎだろう

そんなわけで、とても気持ちが悪いです

一日中マスクを着けていたから外した今でも付けてる間隔が残っている

残り3日で仕事が終わり、2011年が終わるね

来年は、増田に悲しい書込みが増えないことを願う

http://anond.hatelabo.jp/20111225231210

きーきー吠えてきたのはどこの誰かという。

http://anond.hatelabo.jp/20111225222253

商売巧い奴は「どこまで相手に不満を感じさせても大丈夫なのか」を知り尽くしてるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20111225225601

どうもです。 つけてみました! カテゴリー「やる気」で。

[][] http://anond.hatelabo.jp/20111225000947

女性自身が働きたくないし、上昇志向もなくなってきています

不況で働くのはツラい」ってのを学習したんだと思います。 もちろん男性学習したと思いますけど。

少なくとも日本女性はどこかで、「就業するより家庭に入った方がマシな現実」に突き当たって学習するからこそ、その選択になる。

就業することは幸福度を上げた。でもどこかでガラス天井か何かは分からないけれど、何かに突き当たっているからこそ、家庭の方がマシと学習することになるわけで。

ガラス天井って昔は言われてましたけど、最近は言われなくなってますよね↓

管理職 なりたくない…働く女性の4割

http://www.yomiuri.co.jp//komachi/news/mixnews/20080911ok08.htm

なりたくない理由は

「今まで以上に長時間働きたくない」(51%)、

責任を負いたくない」(30%)、

「部下を持ちたくない」(20%)、

「見合った収入が得られないと思う」(18%)など。

管理職敬遠 将来像つかめ

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/feature/20110518-OYT8T00212.htm

背景には、女性の昇進意欲の低さもあるようだ。

独立行政法人労働政策研究・研修機構」の06年の調査では、

課長以上への昇格」を望む25~29歳の

男性は54%で、

女性は7%。

「役付きでなくともよい」は

男性33%、

女性74%だった。

20代女性に強まる「専業主婦願望」 理由は「働きたくない」「ラクしたい」

http://www.j-cast.com/2009/06/14042775.html

ガラス天井って久しぶりに聞いたな。。。

認められたい相手

表に出そうとすると、そんなことはない!と認めず引っ込んでしまうけど、

恥や世間体を取り払った裸の私が求めてるもの


前の恋人からの「承認


生きていると、いろんな欲がある。

自分がこうありたい姿になりたい、自分を敬って欲しい、無病息災無事に過ごしたい、など。

私はというと、ただ漠然と認められたい欲があり、仕事に精を出し、社内外から認められるよう、何かに向かってがむしゃらに頑張っている。

社内で一番の評価を受け給与が一番だとか、業界で一目置かれる存在になりたいとか。

それも叶わぬ間を埋める役割は、ネット世界

SNS理想や主張を書き込むことで、小さい欲を満たす。

そうすることで、自分を保っている。

その先にあるはずの、大きな「承認」を期待して。


でもね、そのゴールが違う事を、もうとっくに知っている。


よく知らない人たちに認められても、それでは欲求は消えない。

給与が上がったとしても、昇華されない。


もう知っている。

ただただ、あの人に認められたいだけだと。


同情でもいい。

引かれてもいい。


今、この自分を認めて欲しい。


想い続けている、それだけを認めて欲しい。


ただそれだけなのにね。

http://anond.hatelabo.jp/20111225174621

元増田はきっと心の優しい真面目な男なのだろうと思う。

ただちょっとコミュ障なだけで勿体無い気がするので、勝手ながら突っ込んでみた。

相手が自分の優しさを受け入れてくれるだけの、相手と俺との関係が前提として必要

言い換えれば、「俺が抱えている『彼女に優しくしたい欲望』を受け入れてくれる彼女が欲しい」ということかな?

相手が受け入れてくれることが前提で、相手との進んだ関係が前提で、それでやっと実行できる優しさは、現実の優しさではないよ。現実の優しさを一つ一つ丁寧に実行していけば、元増田をいいなと思う異性は何人も出てくるはずだが…。


相手から見て俺がずっと下の存在だったら(←こういう言い方はあまり良くないけど)俺が優しいつもりでも、相手に服従しているか、あるいは便利な存在にすぎない。

この場合元増田の優しさが便利な服従になるというなら、二人の立場に関係なく、そもそも元増田は便利な服従と優しさの区別が付いてないということになる。

きちんと識別した上で優しくするのなら、相手に愛想が尽きるまで元増田は「正しい優しさ」を示し続ければよいだけだ。なぜなら、その時は優しさを便利な服従として扱っている相手が馬鹿なのであり、また、きちんと識別された優しさは相手が見下して都合良くは決して扱えないものになるからだ。

http://anond.hatelabo.jp/20111225221400

どうなんだろうねー

単に俺がアホななだけな気がする。

商売うまい奴は金取られても不快感を残さないんじゃないか

どっかの宗教みたいに。

http://anond.hatelabo.jp/20111225211334

批評家の言うことを真に受けてはいけない。今までに批評家の銅像が建てられたためしはないのだから

ジャン・シベリウス

アマノジャクはミーハーの裏返しである

中島らも

http://anond.hatelabo.jp/20111225213736

いやすげー商売巧いだろ。

お前にWホワイト継続させる事に成功してるんだから

「自由」とは何か

この国の人間は「自由」について具体的に教わる機会がないように感じる。

というより、殆ど日本人が「自由」だと思ってることは「勝手」なんじゃないかって思う。


「自由」とは、ある程度の規範や規律、制度の中でのみ行われる行為である

勝手」とは、それを無視して行われる行為である・・・とする。「好き勝手」という言葉にも見て取れるだろう。

しかし、これを勘違いしている人はあまりにも多いように感じる。例えばハックルの人は

上記でも述べましたが、購入した本の使い道は購入者の自由ではありません。まず、読み方からして「自由」ではありません。例えば「あ」という文字があったとしたら、これを「い」や「う」と読んではいけないのです。


佐藤秀峰さんの本やマンガへの考え方について

ブログに綴っている。

しかし、これは日本語の読み方のルールに反しているので、普通これを「自由」とは言わない。


彼は更に

さまざまな価値観を持った人間を許容すると、社会は必ずおかしな方向へ行く。だから、逆の方が良い。そもそも、放っておいても人は、さまざまな価値観を持とうとする。だから、むしろそれを認めないという考え方の方が、バランスが取れるのだ。

社会というものは、異なった考え方を容認してしまうと成り立たない。例えば、無差別殺人を嗜好する人間が現れたとしたら、それを止める手段がなくなるからだ。


教育について

と語っている。

彼は「無差別殺人を嗜好する=行う」自由があると思っているのだろうか・・・と感じる。

そう思っているのなら、それは大きな誤解だ。

殺人は他人の生きる自由を奪う。そもそも、殺人法律というルールで厳しく規制されている。殺人を行う自由は、少なくともほとんどの国において存在しない。

それを認めないことが「自由を奪う」ことだと本気で思っているのなら、それは「自由」に関する大きな勘違いである

そして、社会ルールに反していなければ、どんな価値観だろうが「自由」なのだ。少なくとも、日本ではそれが認められている。

彼は、それを押さえつけようとしているように見える。それは、非常に危険行為であると思う。


少なくとも彼は、社会存在する規範・規律・制度を「自由にさせないため」に存在していると思い込んでいるし、多分そのような人は多い。

だが、社会存在する規範・規律・制度は「勝手にさせないため」に存在し、「それを守ればあとは自由にしていい」ということなのである

自由と勝手を取り違えてはならないし、それで他人の自由を奪うことは到底おかしな話である・・・ということを覚えていてもらえれば幸いである。

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