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2019-01-06

anond:20190106133739

学生学業仕事であって、バイト新聞配達仕事ではありません。

あとな、ブラックってのは「弱い立場で逆らえない、逃げられない」ってのも有るんだがな。

で、推薦枠はどれぐらいだ?しかも、「お前が卒業したのは何年だ?」工業高校でなく普通高校にそれだけ推薦枠を出すなんて相当古い時代だぞ。

お前の時代は良かったんだよ。お前の時代はな。今はそれからだいぶ悪化している。学費もめちゃくちゃ上がってる。

anond:20190106130446

インフラ就職有る高校って普通高校じゃないだろ。

いずれにしても、宝くじレベルの運が良ければ通るかぐらいであって、一般市民に強いるものじゃない。

多少の競争原理を持ち込むにしても、まっとうにやれば上手くいく枠というのはそれなりに広くしないとならない。

捻じ曲げてるのはお前。ましてや統計どころか君の狭い世界の話しか見えてこなない。

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-09-16

anond:20180916094257

受けた難関高校数学難しいわー

さぼりっぱなしでやばいわー卒業無理ー

滑り止めで受けた普通高校ダブル通学してるけど楽しいわー

寝起きに考えたことある

もう大学卒業したのに

2018-04-07

高専卒業して10年たった

高専卒業してから、たまに高専選択したのは良かったのか考えることがある。そのたびに、もうちょっと時間たたないとわからないなあと思っていたが、さすがに10年たったので、ここらで一旦考えを書いてみる。

結論からいうと、それなりには良かった。少なくとも悪くはない。10点満点でいうと8点ぐらいだろうか。

高専在学中は彼女いない歴=年齢の童貞でつらかった。プログラミングを学びたくて入ったのだが、思いのほか電気系の科目も多く、あまり興味がもてない授業が多いのもつらかった。けっこうな暗黒時代だった。普通高校いっとけばよかったと思ったし、高卒認定もらって大学入ろうかとも考えが、踏み出す勇気が出ず。

高専卒業後は、大学に編入した。たまたま入った学部女性多めだったのもあり、無事彼女ができ、遅れてきた青春謳歌した。

その後、無事就職もできたし、会社でも楽しく仕事できて、給料も悪くない額もらえている。結婚もできた。

普通高校いって、大学に入ったほうが、もしかしたらもっといい人生を送れていたかもしれない。が、今の人生全然悪くない。むしろ良い。やりたいことはだいたいできてるし。

そもそも、たぶん普通に高校から大学受験してたら、自分が編入した大学には入れてなかった。編入は試験日さえかぶらなければ、いくつでも好きな所受験できるし、普通にはいるよりたぶん難易度は低い。

高専卒業生は、けっこうできる人が多いみたいなのを聞く。それはある程度あってるが、高校大学と進んだ人の中にもできる人は普通にいる。自分場合大学3年でインターンしたとき技術スキルが未熟すぎて、高専たからといって全然使いものにならなかった。修士までいって就職したら、けっこうスムーズに一人前になれた。

というわけで、自分が歩んできた道はけっこうよかったが、今だったらプログラミング学べる場所はいっぱいあるし、よっぽど高専でやりたいことがない限り、高専進学をオススメはしないかも。校則がゆるいからとか、就職率がいいからといった理由でなんとなく進学するところではない。受験勉強が高校よりなく、好きなことに時間を使えるというメリットはあるけど、大学に1年から入ったほうがトータルでみたら自由に使える時間多い気がする。

けどまあ、どんな道を選んだとしても、その先で自分で考えて軌道修正していけば、結果的に良い感じになるということですな。

2017-08-08

流れてきて8年目になった

中学校の成績は中の上ぐらいで、友達受験する普通高校合格する自信が無かったから、兄弟が通っていた実業高校を選んだ。県内でも下から数えた方が早いくら偏差値が低くて、自分学力でも余裕でやっていけそうだと思った。履歴書に書けないような検定・資格試験対策がメインだったけど、ゲームクリアするような感覚で楽しかった。少し頑張れば常に成績はトップだった。卒業後の進路は先生に進められるまま、地元国公立大学受験した。もちろん正面からセンター試験突破できるような学力はなかったので、推薦を受けて合格した。

入学してしばらくは講義を真面目に受けて、分からないことは教授質問しに行って、必死に食らいついていた。学科の先輩たちとの勉強会にも頻繁に参加して、大学って楽しいと思っていた。でも1年後期には、講義を受けるだけでは追いつかなくなって、質問をしても返ってくる答えの意味理解できなくなった。基礎学力があまりにも足りないんだとようやく気づいた。でもまだ1年後期だし、今から勉強すれば遅くないと思っていた。そして学力不足を補うことができないまま大学3年になって、単位を落とすことはなかったけど評価は散々だった。

大学3年になると研究が始まって、ただ講義を受けてレポートを出せばいいってわけじゃなくなった。自分で考えて研究を進めないといけないのに、今まで受け身でしか物事を考えてこなかったから何をしたらいいのか全く思いつかなかった。ゼミに入って進捗報告を求められてもその場しのぎの報告しかできなくて、どんどん切羽詰まっていった。

大学4年になって、卒業研究中間発表の時期がきても状況は変わらなかった。その頃から文章が読めなくなったり、思考停止が著しくなってきて変だなと思った。でも自分がサボってきたツケが回ってきたのだと思うことにした。そのうち熱が下がらなくなり、身体が痛み、起きられなくなった。風邪だと思って病院に行ったら精神科受診を勧められた。うつ病だった。休学を勧められたけど、中学ぶりに自分で頑張ったと思えた院試合格内定無駄にしたくなくて、薬を飲みながら大学には通い続けた。どうにかお粗末すぎる論文を書き上げ、卒業はできたけどもう限界だった。

でも環境が変われば体調も良くなると思って、そのまま院進した。大学とは少し違った講義スタイルで、友達にも恵まれてしばらくは元気に過ごすことができた。でもやっぱり学力不足とお粗末な論文を書いた研究の続きをやらなくてはいけないという不甲斐なさは消えず、体調はだんだん悪くなった。夏休みに入る頃にはまた起きられない日も増えて、研究活動は一旦休み、履修している講義単位を取ることだけに集中した。そして、同期が就活を始めたのを知って心がぽっきり折れた。こんなボロボロ状態ではこの先やっていけないと、ようやく決心がついて後期の休学を決めた。

研究から離れると気が楽になって、体調もかなり良くなった。カウンセリングを受けて、研究に対する考えを整理したのも良かったのかもしれない。1年間の休学を終えて、復学後は研究テーマを変えて少しずつ作業ができるようになっていた。でもそれは長く続かず、最近また何も手につかないことが増えた。前みたいに体調が悪いわけではなく、ただただやる気が起きない。タスクを書き出して細分化したうちの1つも満足に終わらせられない。

そもそも僕は勉学に自信がなかったのに、いつの間にそれを自分がやりたいことだと思い込んでしまったんだろう。今研究している分野も高校でやっていたことの延長線で、本当にやりたかったとは到底思えない。院進した理由も、就活が上手くいく自信が無かったからで、研究がしたいという嘘の理由を作って不安から逃げていただけに過ぎない。僕は自分自分の首を締めることを選んできたことに向き合うまでに、あまりにも時間をかけてしまった。

またしばらく研究活動を休むことにした。自分の今後の進路について、今度こそしっかり考えようと思う。逃げや甘えだと言われるのは分かっている。全て努力不足が招いた結果だとはっきりと分かる。だからこそ、何を言われても否定せず、逃げずに自分に向き合うことが、今できる最善の手段だと思う。8年間流れるままだった自分選択を、次こそは自分で決めたと断言できるようになりたい。

2017-07-31

https://anond.hatelabo.jp/20170731181149

普通高校通信制高校就職か、

普通高校通信制高校大検大卒就職

色々考えちゃいますが、

雇用がよくなって来て昔と今の通信制高校就職状況がよくわからないのでなんとも。

2017-06-14

研究者、諦めてしまいたい

http://anond.hatelabo.jp/20170608221303

http://anond.hatelabo.jp/20170609195742

この増田に乗っかるようで悪いけど自分も吐き出したいので増田に垂れ流す。どうせ流れるだろうけど。


今までの進路を簡単に書くと、普通高校地方国立大修士から地方旧帝大→そのまま博士課程(今ここ)

俺も元増田と同じように、研究者になりたかった人間

から自然の中でのびのび遊ぶのが好きで、小学校の時の将来の夢は「昆虫博士」で、そのまま「研究者になる事」が目標になっていった。

高校の時、とある生き物に興味を持ってから自分採集に赴き、標本をコレクションするようになっていった。

大学受験は、第一希望旧帝大に落ちたが、大学院から来ればいいやと割り切って、後期で受かった地方国立大に進学した。

大学院からは予定通り旧帝大に進学し、行きたかった研究室に入って好きな生き物の研究を始めた。


こういう経緯があるので、元増田に物凄く親近感が湧いている。

ただ一つ元増田と違う点があるとすれば、俺は博士課程に進学するまで一度もブレーキをかけられなかったこと。

今更になってやっと「研究者に向いていないかも」とか思い始めているけど、今さら気づいても遅すぎると思う。


俺の対象生物兎に角マイナーで、世界でも研究者10人も居ない。ジャンルも基礎研究分野だしとにかく過疎っている。

この分野はとにかく若手研究者の不足が叫ばれていて、学会に行けば「将来が楽しみ」だの「期待のホープ」だの言われ

大御所先生は色々教えてくれるし「俺が死んだらあとの事は全部お前に任せるからな」とか言ってくれるし

要するに俺はチヤホヤされて舞い上がっていた。この分野にとって俺は必要人間だ!と思い信じ込んでいた。


今考えれば大馬鹿者だけど、つい最近までは「なんとなく研究を続けていれば研究者になれる」と思い込んでいた。

研究者がどんなものなのか、研究者必要資質は何なのか、なんて事はこれっぽっちも考えなかった。

ただ周りの人間がどんどん脱落していって、のこった自分が唯一研究者になると思っていた。

修士卒で就職するやつは全員研究者の道を脱落していったやつらだと思っていた。


しか博士課程に進学して、ふと回りを見渡せば自分よりも優秀な人間ばかり。

論文数、研究スピードテクニックモチベーション人間性。どれをとっても俺は負けていた。

特に研究モチベーション絶望的な感じがしている。今年はとうとう学振申請書を書くのを諦めてしまった。

筆頭著者の論文も2−3本あるが、これも指導教員に散々尻を叩かれてやっと出た論文だし、未だ自分ひとりで論文が書けるとは思えない。

他の人がせっせと論文を書いている間、俺はゲームをしたりネットをしたり鬱で数ヶ月休んだり。

結果、優秀な人が論文を5本、10本と出す一方で自分はせいぜい2,3本。


脱落するべき人間は明らかに自分だった。いくら考えても自分研究者になれる理由が見つからない。

研究者になりたかったけど、研究者になるべきなのは絶対自分よりも優秀な彼らであるべきだと思う。

自分みたいな大したことのないグータラ院生が、彼らの競争相手になる事なんておこがましいと思える。


それに職探しをするにしても目の前には絶望感が漂っている。横を見れば自分よりも優秀な人たちがうようよしている。

上を見れば物凄い業績を残した先輩ですらポスドクのまま定職につけずにいる。

当たり前の事だけど俺をチヤホヤしてくれる先生方が俺に職をくれるわけではない。


でも、学位を取ったら給料を貰わなければ生活できない。

親が貧乏だったこともあり大学院授業料免除は全て全額免除判定を貰っているが、

大学に入ったときから日本学生支援機構第一種奨学金を満額借り続けて400万ほど借金がある。

さら非常勤講師バイトをいくつも掛け持ちしている状況。かなりギリギリ


もう無給ポスドクなんてやってられない。諦めて民間企業で職を探すしかないと思っている。

けど「せっかくここまで来て諦めるのか?」という思いも捨てきれない。

もう時間が無い。悔しい。

2017-06-09

高専奨学金でなんとか高学歴?になって、感じた・思ったこととか

社会人3年目が終わったので、どうやってここまで来たのか書いてみることにする


一応ほぼ自分の金? で高等教育?の高専大学大学院までは卒業したので

金がなくて大学とかどうしよって思っている人とか

金がなくて子供学校にやれねーなと思っている親とかが見てくれればと思う



まず最初自分の家庭環境とか進学時の経済状況とかだけど

中学高校を選ぶときにまず、私立にはとてもじゃないけどやれないと言われた

まあ兄弟が5人いてその長男から仕方ない感じはあった

よくもまあこのご時世に5人も作ったって話ではあるんだけど

で進学先は公立国立しか選べんかった

国立高校近畿の某大都市までいかないとなかったし

公立高校県内だと最高70くらいの偏差値場所しかなかったか

対して偏差値も変わらなくてお得な工業高等専門学校とやらに行くことにした

からしたら早く働いて欲しかったみたいだからそこを進められたってのはあったんだろうけど


この『高等専門学校』略して『高専』は工業高校短大を組み合わせた?みたいな感じの学校

だいたい全国の都道府県には1つづつ(ないとこやいっぱいあるとこもある)あって

基本的工学系の学科電気電子機械情報建築物質化学なんて種類がある

五年間勉強して、そっから就職か進学することになる


卒業できれば工業高校とか工学部と同じくらいに就職はしやす

どのくらいしやすいかて言えば面接一回で受けた次の日に内定が決まるとか

学生一人あたりへの求人件数が30~100倍とかそんな感じ

基本的大企業(メーカインフラ)の現場職として就職する

でこれが就職の話で次に進学の話



高専からの進学は基本的国立大学工学部への3年次編入になる

難易度的には普通にセンター試験?(私は受けたことがないのでわからない)で入るよりも簡単らしい

それと高専学費自体普通高校よりも高いんだけど

大学4年間と高専の4・5年+大学3・4年だと高専大学の方が安くなる

高校大学高専大学でみても後者の方が安い

(具体的な額とかはだんだん変わるだろうから調べてください)

あと高専には専攻科っていうのがあって

高専+2年間、高専勉強することで大学相当資格を貰える

ぶっちゃけ難易度お金の面で言えば専攻科+大学院の方が簡単で安い

ただ、人や金の面で言えばあんまり専攻科はお勧めはしない

しょぼい国立大学でも専攻科よりはましだと思うので




で、高専5年間で感じたことを書いていきます

まず自分には工学自分で選んだ学科がクソほどつまらなかった

交流とか電磁気とかやるわけなんだけど

とにかくつまらん、数学もつまらない

歴史とか語学講義もないことはないんだけど

高専カリキュラムではそういう講義二の次三の次

ぶっちゃけ中学の時点で道を狭めたことは後悔したし

そもそもあってないことを続けるというのはかなりの苦痛だった

もし高専に進もうとか考えている中学生とか

高専に行かせようとか考えている親御さんがいらっしゃるのなら

この先40年近くそういうことと付き合うことになるということを考えてから進学して欲しい


とにかくつまらんかった

高専先生が良く言うのが君たちは技術者になるんだっていうこと

この技術者ってのが私にはすごくつまらなく聞こえた

高専を出て、キャリアを積むこともできずにこのままつまらない技術者になるのは嫌だった

(技術者の人には申し訳ありません)

かといって研究者になろうとか起業しようとかそういう考えがあったわけじゃないけどとりあえず進学することにした






さっき高専大学はお得っていいました

でも、親は当然大学お金なんてだしてくれません

それどころか高専4・5年のお金自分でなんとかしろって言われました

さて学生の私はどんな手を使ってお金を集めればよいのか?

から金がでない場合

奨学金

授業料免除

アルバイト

この辺が妥当だと思う

ということで奨学金を借りてアルバイトして授業料免除申請しま

これが割と辛い

まず肉体労働して勉強するのは想像以上に辛い

夜中のバイト生活リズムが崩れて講義中辛いし

割のいい肉体労働(引越し配達仕訳)なんかは肉体的に辛い

勉強面では

授業料免除しようとおもったらまあクラス5番以内には入っておきたい

奨学金一種(利子無し)を貰おうとすると10番以内には入っておきたい

さて、肉体労働も頑張って、成績でも頑張って

自分に残るのは?

奨学金で膨らんだ借金だけです

親にははよ働いて欲しいといわれて

いくらバイトしても金は残んなくて

周りのみんなはバイト代バイク買ったり

スキーやらスノボに行き初めます

マジで辛い

私も車の免許みんなと合宿で取りに行きたかったし

バススノボに行きたかった

でけえバイクにも乗りたかった

携帯も新しくしたかった

なのに残るのは借金いくら万円なわけです

とういことで自分の金で大学に行くというのは中々辛い

高専からルートなので高校からルートよりは楽だと思いますがいやあ辛かった

なのでもし自分の金で大学に行きたい人とか

金がないのに大学に行かせたい親とかがいたら

まあ覚悟して頑張って下さい

さて、ここまでは高専の話です

次は大学編入のお話です

高専から大学編入は正直私には難しくありませんでした

自分で金を稼いで高専に行っていた二年間の間の勉強で十分大学には入れました

ちなみに基本的大学編入は3年次編入なのですが

某T大学とK大学高専生には『教養』が足りないとうことなので

2年次編入になります

自分は2年次は嫌だったので別の大学しましたが

あと、高専生が良く行く大学技術科学大学があります

愛知県豊橋新潟県長岡にあるのですが

この二つの大学高専時代の席次が3番以内だと入学料・授業料全額免除特待生になれる可能性があります

自分も割と迷って結局いきませんでしたが、お金に困っている場合はかなりアリな選択だと思います

ちなみに編入試験は国立大学でも試験日程さえ被らなければいくらでも併願可能です

そのため、ぶっちゃけ余程勉強していないような同級生でも

国立大学バンバン編入していたので国立大に入りたいだけなら高専コスパがいいと言えると思います

普通高校からだと大学受験時に予備校や塾に行くのが普通だと聞いているので

そういう場所に全く行かない高専生は大学に行かしたい親から見れば凄くお得な教育機関だと言えます




では晴れて、高専かい監獄を抜け出して

工学部とは言えなんとか歴史ある国立総合大学様に編入できたわけですが

まあ工学部隔離されてましたので

はいねえし、高専生を少しお上品にしたみたいなやつらでいっぱいでした

サークルってやつにも3年生ながらに参加させて貰って楽しかった

ただ、高専とは別の意味で色々辛いことがありました


まず研究室です

理系学部の人はだいたい4年次、早ければ3年次に研究室に入ることになります

研究室によって辛さは変わります

まあ電気とか機械とかこの辺はだいたい辛いです

就職のしやすさと研究室の辛さはだいたい比例です

とにかくコアタイムとか辛いし

週報とか辛いし

実験はつらいし

論文はつらいし

学会とかつらいし

講義でて、バイトして、研究して、なんとかサークルして・・・

からだがいくつあっても足りません

正直就職したら楽になったって人の方が多いです

なんで自分金工面して理系でやっていくというのはマジのマジで辛いと思います

(文系とか工学系以外はやったことないので比べようがないですけど)




次に世界の違いです

高専はまあ偏差値自体はそれほど低くもないのでいうほどアレな人はいません

私は高専の中でも割と貧乏でしたが、高専の連中とは割と話とかは合いました

しかし、まあ大学で会う多くの連中は『違う』気がしました

そりゃあ私と同じく奨学金を借りて、授業料免除を受けて大学に通ってるやつもいます

でも大多数の人間基本的に割と裕福な人が多いです

そして努力もするし、自分投資しま

なぜなら彼らはそれが帰ってくることを知っているからです

それが価値あることだと思い知っているからです

私の地元中学同級生には彼らのように勉学にお金努力を賭ける人はあまりいません

そんなことするくらいならヴェルファイアでも買っていると思います

私の地元同級生と何が違うのか

なんで、頭のいい大学生がそういう風な考え方でやっていけるのか考えれば

やっぱり親とか友達とか周りの皆がそのように考えて

彼らがやったことを褒めて価値を認めるからだと思います

そんな下地がある上に個人個人能力も高いのです

から私はすごく視点が違う場所に来たと感じました

そして、私はそれを凄く羨ましいと感じました

それで自分と彼らを比べてスゴク辛くなってきます

私もそんな環境ならもっと上にいけたんじゃないかとか情けないことを考えてしまます

彼らは普通のことをやっているだけなのに環境や考えの違いを思い知らされます

彼らは私と普通に接しで普通に喋っているだけなのに

その結果、家賃携帯代を学費を食費を『自分時間』を払っていることにやるせさなや怒りを感じて

まあ中々辛いです

色々思い知らされて

そんなこんなで大学卒業しました

それでまあ工学自体は嫌いでしたが結局大学院までいくことになりました






大学院までいくころにはもう親はあんまり何も言わなくなりました

からすれば大学院なんてもう聞いたこともないような世界だとかなんとか

自分の金で行ってるんだから勝手しろとのことでした

さて、大学院基本的研究をする場所です

高専のころに言われた『技術者から離れて

技術者の『マネージャー』とか『研究者』になることが現実的になってきます

また、学会海外に行ったり

海外雑誌論文投稿して自分名前を載せることができたり

ついに勉強してきたことと実際の世界がしっかりとリンクしていることを感じることができます

やっとこさ高専のころのクソ詰まんなかった電磁気イオンの動きやなんやかんやがついに意味を帯びてきます

まあつまんないことに変わりはなかったんですけども

ただ大学院研究成果は奨学金免除に直接影響しま

英語論文2本出しとけば修士の分の奨学金は全額免除くらいは行けるでしょう

なんで貧乏場合は割と大学院は楽です

研究成果も出しやすくなっていますので

ただ、研究自体さらにきつくなります

正直、バイトよりも奨学金借りるだけ借りて研究して

免除を狙った方がコスパがいい気がしま

就活です

正直言って、工学部なら就活は余裕です

工学部には学校推薦制度があってかなりの確率内々定を貰うことができます

大手でも推薦一本でも十分行けます

ただ、私は工学あんま好きじゃなかったので自由でいろんな企業を受けてたら

夜行バス学割在来線を使っても交通費10マンくらいかかってしまいました

あとスーツとかカバンとか靴とか色々高いです

ただなんだかんだ言って高いモノかっても安いモノかっても就活には影響しないのかなという感じです

私は某巨大スーパースーツに某ブラックで有名なチェーンのシャツニット帽で有名なチェーンのネクタイとかで

就活してましたがなんだかんだ大手5社くらいから早々に内定者はもらえました

でまああとは研究頑張って修論書いて終わりです

修論は無茶クソ辛いです

就活の百倍辛かった



こんな感じですね

就職してから三年たってやっとこさ奨学金を返し切りました

だいたいアクアが二台くらいですかね?

そのくらいの金額でした

やっとこさ同期のみんなと同じスタート地点に立った感じです

高専の同期は結婚したり、でかい車かったり、下手をすれば家を建ててます

大学大学院の4年間と奨学金を返し切る3年間で高専の同期とどれだけの差が開いてしまったのか

大学院の同期に三年間でどれだけおいて行かれてしまったのかわかりません

でも高専から現場技術者になってもそもそもなにか違うという考えがずっとよぎっていたのではと感じます

原チャ廊下を走り回っている中学ちょっと頭のいい高専、頭のいい大学とたどってきたおかげで

いろんなことを考えることができたと思います

学歴がなくても生きていけますけど学歴がないと見えない世界もあります

逆に学歴があると見えなくなる世界

からもし、貧乏だけど大学にいくとか、今勉強してることがなにか違うと感じてるとか

そういう人に見てもらえればと思って書きました

2017-01-14

まだ若かった君へ

あの日釣りに行かないほうがいいですよ。あの出来事20年経った今でもトラウマですからね。

リンスは流してください。一年間ほどリンスは流さなものだと勘違いしていたせいで髪質が変わりましたから。超直毛になりましたよ。

サッカーに夢中になり過ぎないでください。あなたはどんなに努力をしたってプロにはなれませんでした。

・お父さんとお母さんが仲良くなるように努力してください。お母さんが、あの男の家に行くのを阻止してください。さもなければ家庭が崩壊します。

歯医者に通ってください。

ゲームボーイばかりしないでください。視力が低下し眼鏡必須になります

・隣の家で犯した小さなさな罪は一生忘れませんよ。どうか間違いを犯さずに綺麗な心でいてください。

・同じ市内の工業高校受験してください。隣町の普通高校へ行くとあなたは特技もない大人になります。隣町の高校に行ったせいであなたのお父さんは金銭面で苦労します。

・両親の反対を無視して公務員を辞めないでください。辞めた結果、あなたのお父さんは亡くなりました。あなたのせいです。

子供の頃大好きだった絵を描き続けてください。

・初めて剥いた皮を絶対に戻さないでください。一生後悔します。

2016-10-23

人生やり直したい

僕はITだとか情報系だとかそんな職につきたい。しかし実際そんな職につくような人は高専を出てたりそれなりの理系大学情報科を出てたりしている。彼等はきちんとした中学校生活をしてそれなりの普通高校に入ってたりしたんだろう。しかしぼくはちがう。定時制高校生で進学しようとしているのはFラン私立文系大学経済学部。僕の夢は叶うのだろうか?

不登校になり定時通信へ進むという王道ルートを通ってきたが何もしていないし何も作り出してもいない。僕と同じようなルートを通ってきた人で情報系の職についてる人はだいたい学校に行かない間に何かしている。プログラムを深く学んだりだとか情報系のアルバイトに行ったりだとか。僕は何もしていない。アルバイトもしなかったしプログラミングも浅い部分しか学んでいない。

たぶんもう僕が就ける職は限られているのだろう。人生をやり直したい。

2016-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20160820004448

偏差値30台の高校に通いながら好きな進路に行きたいとかギャグでしょ。

偏差値30台なら、普通高校よりも、職業高校に進学したほうがいいんじゃないかな。そこを間違えて普通校卒業してしまうと「何もできない高卒」か「借金つきFラン大学卒」のデッドエンドとなってしまい。

そもそも、大学に進学しない普通高卒の価値って、何なんだろうね…。普通高校レジャーランド

2015-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20150621024725

G型大学ハイスペック扱いなので一旦置いといて、

企業現場で受け入れやす学歴はどれなのだろうか?

実業高校高卒) VS L型大学卒業 VS 専門学校卒業 VS 職業訓練卒業 VS 浪人生

ここでいう職業訓練卒業は、高校卒業したのに仕事が見つからなかった、若しくは

進学目的普通高校へ行ったのに、行ける大学が無くなった(=浪人確定)ので入学した場合を指す。

ニートフリーター歴はないと想定する。

高校生就職浪人って、実在するのだろうか…?

2015-02-23

日本村の風潮

普通高校から一般入試を経て大学勉強し、企業で働いて社会の仕組みを学んで小口の支援のみを原資に立候補政策立案力と人柄、実行力のみを魅力に当選した暁には苦情や要求に口答えせず24時間365日対応し、あらゆるアクシデントプライベート自粛。そのうえ心身ともに健康病気になってはならず給料国民平均と同じ。

「みんなのかんがえるりそうのせいじか」のブラック度はんぱない。

普通高校から一般入試を経て大学勉強し、企業で働いて社会の仕組みを学んで小口の支援のみを原資に立候補政策立案力と人柄、実行力のみを魅力に当選した暁には苦情や要求に口答えせず24時間365日対応し、あらゆるアクシデントプライベート自粛。そのうえ心身ともに健康病気になってはならず給料国民平均と同じ。

「みんなのかんがえるりそうのせいじか」のブラック度はんぱない。

2014-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20140915150604

東京に生まれ東京で育ったら東京高校とか知ってるかもしれないけど

普通高校による評価なんて誰もきにしねーから

それに時間たてば評価結構変わるぞ

2014-03-31

商業高校マイルドヤンキーの場だったと気づいた。




地元思考の度合いは多分重要


高校卒業して10年以上が経って気づいたことがあったので書いておきたい。

商業高校は真面目な部類のマイルドヤンキーが通う場所だったのだと。




私は高校生活に退屈していた記憶がある。

その場所が退屈だと感じると言うことは人間関係がうまく行っていないと同義だ。


いま思えば、そこに集まった人たちとは現代言葉でいえばクラスターが違っていた。

どういうクラスターか。

地元に残りたいかそれとも地元を出たいと強く願っているか、の差。


私の印象では、女性は9割くらいが若さ武器若いうちに結婚子どもを育てようとしている人。

もちろん卒業後も地元で過ごそうとしている。

から(?)、彼女達はたいてい、バイトをしている。年上と遊んでいる。彼氏は年上。年上との関係を自慢しあっている。

そして受験勉強をしなくて良いから高2~高3を極めて謳歌している。

男性の3割は地元就職or進学しようと思っている人。

そして5割は自営業の息子。

卒業後5年位してから気づいたことだけど商業高校男性実家自営業率は本当に半端なかった(女性のそうなのかもしれない)。



いや普通高校の調査結果を知らないからから事実かどうかはわからないが、あんなにも彼らがまったり高校生活を送っている理由はそういうところにあるのかぁと納得できた。

家業のためにちょっとした簿記の知識を得られればいいや、という姿勢で過ごす高校生活はとても楽しいものだろうと思う。




私は商業高校の中ではマジョリティには属せなかった。


私は一秒でも速く、地元からたかった。

いや地元というより実家にいたくなかった。

田舎の煩わしさから解放されたかった。





この「地元に残りたいか否か」というモチベーションの差は、何に興味関心をもって生活するかに極めて影響していると10年経って思った。

地元に残りたいと言うモチベーションで動いている人と、地元を出たいと思って動いている人の思考回路にはかなりの差があると思った。


不思議なことに高校比較的話しがあった人も高校卒業した今でも付き合いがある人も、基本的には地元から出た人だ。

地元家族も小中の友達も、まったく大事だと思わず、できれば一生会いたくないとさえ思っていた私にとって、

マイルドヤンキー世界は非常に居心地が悪かった。


もちろん、そういう思考回路の違いに関係なく仲良くなれるのが本当のコミュニケーション能力とも言えなくもないけれど、

少なくとも私のコミュニケーション能力の低さだけが人間関係構築の下手さにつながっていたわけじゃないのだと思ったら当時の自分を少しだけ許してあげたい気持ちになった。


10代のコミュ障男の子が違うレイヤーの人たちの中で居心地の良い人間関係を築くのは難しいことだったんだよ、と。





この文章を吐き出すにあたって、堀江貴文さんのゼロは極めて重要潤滑油になってくれた。

2013-09-25

海運系船乗りマニュアルその1

あいさつ

以前、話題に取り上げて貰った海運系船乗り。

その情報増田に公開しようと思う。

  

船乗りとなるには

主に6種類の方法が想定できる。

  

最も敷居が低い方法

それは小型船舶操縦士免許を取得することだ。

漁師とならずとも遊覧船釣り船などで必ず要る資格であり、趣味で取得する人も多い。

区分は「1級」「2級」「特殊」に現在は別れており、業界人は「新1級」などと頭に「新」を付けることがよくある。

これは法改正区分が変わったからであり、旧区分と混同しないためだ。

区分はいわゆる「水上バイク」が独立区分の「特殊」となった。これは水上バイクに関する海難 (海で発生する事故のことを指す業界用語)が頻発したからだ。

区分は新2級よりも新1級の方が大きな船に乗れるという認識で間違いないが、詳しく知りたいのならググると良いだろう。

ちなみに「コレもはやクルーザーだろ」とツッコミたくなるような高級プレジャーボートで無い限りは、たいてい新2級で事足りる。

ただし、新1級と新2級では水上バイクを運転することができないので、水上バイクを運転したいのなら「特殊」を取得しよう。

社会人であっても1ヶ月あれば取得できる。

  

ちなみにだが船舶系の運転免許資格は有資格者が同伴しているのならば無資格者が船舶を運転しても良い事になっている。

まりお父さんが有資格者で同伴しているのならば子供に船を運転させても良いということだ。

子供にカッコイイ姿を見せたいお父さんは取得を検討してみたらどうか。

  

高卒資格も得る

高卒資格も得ようとする場合は「水産高校」「海上技術学校」「商船高等専門学校」へ進学しなければならない。

ただし実は各校とも得られる船舶系資格微妙な差異があるので注意が必要だ。

  

水産高校

基本的に漁業系の技術を習得するための文部科学省管轄の高校だ。

海運系に特化しているわけではないが、大まかな知識技術は「船舶」という枠組みにあるため共通点もあり就職先には海運系企業もある。

  

水産高校へ進学する場合は注意点がある。

その水産高校によって取得できる海技士免状の等級に差異があるんだ。  

当然、等級が低ければ法に定められた権限も違い、4級海技士より5級海技士権限が限定的である

4級海技士を取得できる水産高校の方が良いのか?という疑問もあるだろうが、4級海技士を取得できる水産高校は航海もしくは機関のどちらかしか取得できない。

5級海技士を取得できる水産高校場合は航海も機関も双方を取得できるんだ。

  

個人的には4級海技士を取得できる水産高校の方が良いと感じる。

理由はより高い授業レベルが期待できるし、そもそも就職したら甲板部もしくは機関部のどちらかへ配属されるからである

そして社会人になると昇級試験のために真面目に勉強する奴は少ないので早めに高い等級を取得しておくべきだ。

  

2年生になると遠洋へ出てマグロ漁を実際に行うことでも知られている。

マグロと共に小型のサメもかかるらしく、そのサメの頭を大ハンマーで殴って気絶させるそうだ。

筆者の友人にも水産高校の出の者が居り、彼の話では「女子返り血を浴びながらサメの頭をハンマーで殴ってる光景は壮絶だ」とのこと。

詳しくは多分、水産高校卒業した増田Twitter民が語ってくれることだろう。

  

海士機関士

小型船舶操縦士海技士の最も大きな違いは、小型船舶操縦士は航海も機関カバーするが、海技士免状は航海士用の「海技士(航海)」と機関士用の「海技士(機関)」で別区分となっている。

これは海技士免状が必要なほど大規模化した大型船に対応するための区分だ。

危険物取扱者にも様々な種類があるが、それと同様に航海資格では機関士となれないし逆もまた然りだ。

  

海技士免状の取得

海技士免状を取得するには「乗船履歴」「筆記試験合格」「口述試験合格」の3要素が必要だ。

先程から俺は「水産高校海技士免状を取得できる」と言っているが、正確に言うと水産高校で取得できるのは「乗船履歴の特別短縮」「筆記試験の免除」のみである

まり丸々の海技士免状を取得できるわけでない。

これは後述する海上技術学校や商船高等専門学校海上技術短期大学校、海洋大学校卒業しても同じである

国も馬鹿ではないので、たかだか学校を出たくらいではポンッと海技士免状をくれたりはしないのだ。

学校を出ただけのそんなヒヨッコを広大な海原へ放ったりはしない。危険すぎるから

  

海技士免状を取得しようとする者は、総じて口述試験の際に物凄く緊張する。

口述試験とはつまり面接による試験であり、学習した内容を試験官の出題に合わせソラで回答をしたり、時としてホワイトボードなどへ図解する試験だ。

  

何故、受験生口述試験の際に物凄く緊張するのか?

それはおそらくこの日本で取得できる資格の中で唯一、試験官が受験生に対して、ブチ切れ、怒鳴り、叱る試験からである

受験生があまりにも回答へ窮したり、回答すら出来なかったりすると試験官はキレる。

それもそのはず、試験官の多くは引退した船乗りで構成されており、ヒヨッコの出来があまりにも悪いと現役の頃の感情が蘇って鬼と化すのだ。

試験時間丸々説教に当てられた事例も多数あり、受験生はそうはなるまいと必死になって受けるのだ。

当然、そうなると落とされるのは言うまでもないw

  

海上技術学校

水産高校とは違い、国土交通省管轄の海運系へ特化した高校である。筆者の母校。

水産高校と比べて取得できる資格の差異は4級海技士(航海)と4級海技士(機関)の双方とも取得できる点。

  

海運系へ特化しているだけあり当然ながら漁法とかそういうのは一切学ばず、全て航海術や機関知識へ当てられる。

  

校風としては「実践主義」的であり、生徒に何でもやらせる。

俺の経験では校舎の外壁を消防ホースで洗ったり、屋上から「ジャコブスラダー」という空中ブランコで降りて校舎のペンキ塗りをしたり、やんちゃ破壊した校舎の板壁を修繕したり、グラウンドのフェンスを補修したり、ドアノブ直したり、電灯直したり、学園祭の野外ステージを作ったり、その他色々やらされた。

地域貢献ボランティアにも積極的であり、ごみ拾いに月一で参加させたり、近隣のジジババの家の植木の枝刈り草むしりさせたり、保育園児の相手をさせられたり、老人ホームの模様替えに派遣したりしている。

これらは「協調性」を育み、故郷を大切にする心を育むための教育らしい。

  

声を大にしては言えないが、海上技術学校最初である海員養成所は戦中からある組織なので、旧日本海軍思想を今でも色濃く受け継いでおり「お国のため精神」が根強い。

何故、そんな旧体制的な思想現代にも受け継がれるかと言えば、そもそも保護者海上自衛官だったり海上保安官だったりするためだ。

教官((海上技術学校では先生ではなく教官と呼ぶ))から生徒、保護者に至るまで完全なる右巻きであり、そこへ通う非海洋系家庭の生徒も右巻きになる。

歴史の授業では勝海舟日露戦争、大東亜太平洋戦争の部分となると異様な盛り上がりを見せる。

件の中国監視船衝突問題では問答無用で一色氏を支持するといった雰囲気である

風の噂では艦隊これくしょん流行ってるそうだ。

卒業者に海上自衛隊士官候補生を多数輩出している(現在尉官以上の卒業者がかなり多い)。

純粋培養ネトウヨが育つ環境なのでハテサの皆さんは気に食わない学校かも知れない。

  

文部科学省管轄の高校では無いためPTAとの関わりが非常に薄く、保護者も船乗りが多いため教官普通に生徒へ体罰を下す。

俺自身、高校3年間で何度教官から殴られ、グラウンドを走らされ、罰作業を受けたかからない。

「ウチのボウズがバカやったらブン殴って曲がった根性直してやってくれ」と親が言うので全く問題にならない。

しろ体罰が「問題があるもの」という評価を学校に関わる者全てがしていない感じだ。体罰必須であると。

生徒自身も「殴られて当たり前の行為をした」という認識があるため不満を持たない(殴られてマジムカつくという感情はもちろんあるが)。

  

一面から見ると厳しい校風であるため脱落者、つまり自主退学する者も少なくはなく入学者の1割程度は1年生の内に辞める。

これは海上技術学校自体が奨めていることで「合わないと思ったら早めに辞めて1年遅れで普通校に行った方が将来にも良い」という意見だ(俺の世代にも普通校へ1年遅れで行った者が居る)。

先輩は後輩の精神フォローをしているが辞めてしまう者は結局辞めてしまう。

中学時代に軟弱な者が続けられないか?と言えばそうでもなく、3年勤め上げることで肉体的にも精神的にも成長していることが結構ある。

逆に番格をはっていた様な剛の者が直ぐに辞めてしまうこともあり、本当に適正はフィーリングしかない。

  

水産高校マグロ漁にあたる航海実習は日本全国を帆船などで周回する。

海があれば増田地方にも帆船日本丸海王丸が入港してきたことがあると思うが、帆船に乗ってる一部の人間は海上技術学校の生徒だ。

そのためまともな修学旅行というもの存在せず、修学旅行先の定番である京都奈良北海道学生時代に行ったという思い出の無い者が結構居る(どうせ就職したら行くけれども)。

  

商船高等専門学校

こちらも海上技術学校と同様に海運系特化であるが、やはり微妙な差異がある。

  

管轄は文部科学省、5年制のいわゆる高専であり学歴としては海上技術学校より1段上である

海上技術学校との違いは、海上技術学校が満遍なく海運のことを学べるのに対し、商船高等専門学校は「航海」もしくは「機関」のどちらかをより専門的に学べるようになっている。

  

取得できる資格も3級海技士(航海)、もしくは3級海技士(機関)のどちらかであり、資格としても海上技術学校より1段上だ。

入学するにも海上技術学校は良い言葉を使えば「来るもの拒まず」であるが、商船高等専門学校一定以上の偏差値必要である(進学校並ではない)。

海上技術学校実践主義的なので「進学するまで何をしてきたか?」よりも「進学してから何をしたか?」が重視される。

文部科学省管轄である商船高等専門学校は前提としての偏差値があり、それ故に安心して一定以上のレベル学習は保障されているという利点がある。

  

比較的新しい海洋系の学校なので海上技術学校のような右巻き偏重ということもなく結構自由な校風のようだ。

海上技術学校もそうではあるが、入寮している生徒が多く、その寮生活に不満を持つ生徒が少なくないらしい。

  

近年、海洋系以外の学部を創設し、より広い入学者を募集しているようだ。

  

高校卒業してから

当然ながら高校卒業してからだって船乗りになるための道は用意されている。

  

海上技術短期大学校

高校の要素を持つ海上技術学校とは違い、基本5教科などは学ばず海運のことを集中して学ぶ2年制短大

一般高校卒業から最短で船乗りになろうと思うのならこの選択となる。

  

海上技術学校では3年かけて取得する4級海技士海上技術短期大学校では2年で取得できる。

ただやはり海上技術学校卒業と比べると1年間の周回遅れが発生するので、そのまま就職すると1つ年下の1年先輩が居る可能性があるので、そこを割り切る必要がある。

  

校風としては海上技術学校の生徒よりも意識が高いと言わざるを得ない。

普通高校から普通は選択しないだろう海運という道を選び、明確な目標を抱いて海上技術短期大学校へ来ているので資格の取得率が異様に高い。

海上技術学校海上技術短期大学校ではボイラー技士資格危険物取扱者資格なども取得できるのだが、海上技術学校海上技術短期大学校を比べると海上技術短期大学校の方が取得しようとする者が多いのだ。

就職に対しての熱意もスゴイので、本気で学ぼうとしない人間就職率だけ見て来ると単位が取れなくなり自主退学するそうだ。

しかも周囲は本気で学ぼうとしているので本気じゃない人間邪魔者扱いされるらしい。

  

海洋大学

海洋系大学が統廃合された結果生まれたのが海洋大学である。筆者の母校。

海上技術学校や商船高等専門学校からの進学者も多く、入学時は一般高校出身者と海洋系学校出身者の知識量の差や海への適応力の差が激しい。

具体的にはロープやワイヤーを結んだりする実技(ロープワークという)の際に海洋系学校出身者は一瞬で終えるが、一般高校出身者はモタモタとしてしまい数十分かかってしまったりする。

更には実習船での海へ出ると海洋系学校出身者は活き活きとするのに対し、一般高校出身者は船酔いで実習どころじゃなくなるなどである

半年間我慢して一般高校出身者でも真面目に学んでいれば海洋系学校出身者とのスキル差はそんなに開かなくなるのだが、それでもやはり実技で職人芸とも言える精度で物を完成させるのは海洋系学校出身者が一日の長もあり多い。

ただ必ずしも海洋系学校出身者が全てにおいて優っているかと言えばそうではなく、筆者の同期には金属加工で才能を開花させた一般高校出身者が居たりするので真面目にやってさえいれば問題はない。

  

資格は3級海技士(航海)または3級海技士機関)のどちらかが取得可能。

商船高等専門学校と何が違うかといえば、そもそも大学なので例えば「高等学校教諭1種免許状(商船)」なども取得できる。商船の教諭免許なんてレアなのでたまたま何かのきっかけで現役教師と会話することがあると非常に盛り上がるw

学科や専攻の選択肢が幅広いので個人的には海上技術学校時代よりも楽しめたような気がする。大学時代人生の春とはよく言ったものである

  

ちなみにだが海洋大学偏差値そこまで高くないくせに大学別平均年収ランキングでいつも上位にいる大学である(平均800万くらい)。

理由は簡単だ。船乗りは続けてると年収1,000万を余裕で超えるからだ。

  

就職

就活は多くの学生現実を見せてくれる悪夢だが、海洋系学生にとっては実はそこまで大きな問題ではない。

何故かといえば海洋系学生就職先の8割は教官教授、現役船乗りである親のコネからだw

ぶっちゃけ俺は1社目で決まりましたwww

  

採用

少しだけ経済の話をするのならば日本経済は海運に依存しており、最も速く経済の動向の煽りを良い意味でも悪い意味でも受けるのが海運業界だ。

出入口が港なんだから当然である

ただ好景気から採用枠が増えるかと言ったらそうでもなく、どちらかと言えば人材の過不足によって増減すると言って良い。

現在ベビーブーム世代引退最中にあるため人材不足を起こしており採用枠は多めだと言って良い。

  

その2へ続く

http://anond.hatelabo.jp/20130925032813

2013-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20130918010603

携帯小説採点。

推薦は難しいけど地元では一番の進学校へ余裕で受かる成績だったのだ。

大抵の場合、推薦の方が試験で入るより大変だ。この部分の文章がどれに対応してるか分からないけど公立普通高校なら推薦なんて無いだろ。

海上技術学校みたいのならあるかもしれないけど、一番の進学校に受かるくらいなら推薦なんて当たり前だ。

この中で唯一ちょっとだけ細かい描写としてエンジンを出してるが、多分、燃費ってことでちょっとだけ調べたんだろうけど、

少し調べるだけで燃費以外に重量やら部品が余計にかかることで一様に言えないことはすぐに分かる。甘い、甘すぎる。

海上技術学校出で、なんで手取り35万も貰える?どんな超優良企業だよ。

その辺の感覚おかしい辺り、まだ高校生とか中学生か?

ま、「僕」ってひたすら言ってるのがキモイが。

そんな漁師から通える様な企業じゃないんだろうから一人暮らしじゃないのか?

なんでずっと実家に居る設定なんだ?そんな田舎からどう通ってたんだ?

一人暮らしならなんで5万だけ残して暮らしていける?どういう計算だ?

他の人も言ってる様に、7年での計算も合わない。

デカイ賭けに出るなんて気の弱い僕には勇気も無いから大型投資とかしたりしない。

何の話をしてるんだ?でかい投資って新しい船でも買うってか?何の話だかしっかりしろよ。意味不明すぎるだろ。

つの間にか男女の関係となり、僕は「家事ができないんだ」とちょっと嘘をついて告白したら彼女はいきなり僕の部屋に掃除業者と共に来てあっとう言う間に部屋を掃除してくれた。

どんな状態だよ?お前の部屋を先に見たのか?そんなゴミ屋敷で男女の関係になったのか?

たかだか男の一人暮らし掃除業者がくるってどんだけのことだか分かってるのか?

僕はその時完全に察した。「あぁ儲けられないんだな」と。

お前、法人化しようとか色々本気で考えてたんじゃないのか?事業計画1周間でかけるくらいじゃなかったのか?

それなのになぜ状況を把握してない?アホか?そんな状態でほざいてただけだってのか?もっと設定ちゃんと詰めろよ。



で、結局、最後まで漁師が「天職」だという根拠が一切出てきてないじゃないか

題名と内容も違う。駄目、駄目すぎる。

0点。

天職は見つけない方が良い

僕は漁師の家に生まれた。

当然の様に跡取りとして育てられ僕自身も漁師となり家業を継ぐのが当たり前だと思っていた。

小学校の頃の文集へ将来の夢に漁師と書いていた。

祖父や父から漁師技術を学び取り、中学校へ上がる頃には多少の波風があろうと岸壁へ船を着けられたり、漁網の補なんてお手の物になっていた。

  

僕は小さな頃から「力持ちだ」と褒められるのが何故か無性に嬉しくて多少辛くても重いもの調子に乗って運んだりしていた。

家業毎日筋トレをするようなものから、その甲斐もあってか身体は同年代の子と比べて大きく筋骨隆々を地で行くような成長をした。

ただ僕は末弟長男であり他の兄弟は全て女兄弟であり、ちょっとだけ気が弱いところがあった。

  

実家のある場所田舎ものヤンキーがハバを利かせており、身体が大きな僕は多少の威圧感があったのかよく喧嘩を売られた。

兄弟の中で育った僕は殴り合いの喧嘩の仕方なんてわからず(喧嘩の買い方や売り方すらわからない)、気も弱いのでいつも相手を抑えつける戦法で事なきを得ていた。

  

しかしある日僕は人生で初めて喧嘩で人を殴ってしまった。今でもその感触は覚えていて、拳を思いっきり振り抜いた感触は「ガボッ」といったものだった。

僕が殴った相手はその場で崩れ落ちる様に倒れ、死にはしなかったけれど歯と顎は粉砕という重症だった。

相手へ重症を負わせたことで父は学校まで急いでやってきて、怒り狂い僕を何度も殴って蹴った。父も大きいので3人の先生がやっとのことで父を止めた。

  

僕が家に帰るなり母は言った。「あなたはもう絶対に喧嘩をしてはいけない」と。僕自身もあの感触の恐怖がありもう喧嘩しまいと心に誓った。

それから僕はどんなに喧嘩を売られても殴られるだけにして抵抗をしないようにした。できる限り他人へ威圧感を与えないように常に笑っていることを心がけた。

常に笑っていると人は集まってくるもので、僕の学生生活は今まで以上に充実したものになっていった。

  

中学3年生となって進学を考えるようになり僕はそこでも夢を追って船乗りになるための高校へ通うことにした。

色々調べると「水産高校」の他に「商船高専」や「海上技術学校」があることを知った。このどれもが卒業すると高卒以上の資格を得られた。

僕はそこで「どうせ乗るなら一度はデッカイ船に乗ってみたい!」と考えて商船高専海上技術学校パンフレット自分で請求し親と担任先生に見せた。

  

実家漁村では前例がない、そして僕の母校の中学校でも前例のない進学先だった。

後を継ぐたいていの漁師の子地元から近い水産高校普通高校へ進学するのが定番だったからだ。

親と相談した結果、商船高専都道府県すら変わってしまい何かあっても直ぐに行けないので同じ都道府県である海上技術学校なら良いという承諾を得た。

  

担任へ親の意見を伝えると「君の成績なら推薦も可能」ということなので推薦をしてもらうことにした。

実は悪い同級生と付き合いを持たなくなったので生徒会運動部、そして勉強でそこそこの力を得ており、推薦は難しいけど地元では一番の進学校へ余裕で受かる成績だったのだ。

担任は「多少もったいないけどウチのクラスの子の枠が1つ増えたと思うのなら」ということで推薦を了承してくれたのだ。

  

海上技術学校へ危なげなく進学した僕は学生寮住まいだったので先輩からちょっとだけ悪いことを教えてもらいながら海の知識と技術を真面目に取得していった。

それもこれも「大型船の新しい技術を何かしら漁師家業へ活かせたら」という考えのもとに頑張っていたからだった。

  

実際に海上技術学校で学んだ船舶機関に関する知識と技術は、夏休み中に実家漁船を整備する点で非常に役立った。今まで細かい部分であれ業者に頼んでいたのでコストダウンが出来た。

エンジンの買い替え時期には従来型2サイクルエンジンから新型4サイクルエンジンへ切り替え、燃費向上という結果も得られて、この流れは他の漁師の家にも波及した(漁師にとって燃費は非常に厄介な問題)。

新しく使われるようになった素材も海上技術学校へ通っていると僕の耳に入りやすく、僕は実家勉強の成果をどんどんフィードバックしていった。正確な数字を今はもう出せないが掛かっていた経費は2割程度下がっただろう。

  

就職する時期になり海運企業では大手国内貨物船へ就職できた。乗れるようになった船も全長100m超(排水トン4000G/T超)の国内ではかなり大きい方のものだ。

日本全国津々浦々まで行けて航海中は各海域漁船が見れ、詳しい先輩上司にその漁船情報を教えて貰って僕は非常に勉強になった。この知識を思う存分に実家フィードバック出来る日が待ち遠しかった。

こういった海の知識だけでなく経営や経理の重要性も社会人となってよく理解できたので、上陸の際に本屋へ行っては経営の本や簿記の本を買い込んで勉強した。

  

船乗りになって7年、僕は引き止める仲の良かった先輩上司機関長船長に頭を下げて会社を辞めて実家へ戻った。

実家へ戻って1ヶ月後、僕は絶望することになる。

家業を手伝いながら漁師の生の感覚を思い出しているとある日両親から呼ばれた。そして父は何度も躊躇しながら僕へ次の言葉を言い放った、

  

漁師は継がせない。俺の代でたたむ。お前が中学生の頃から考えていたことだ。漁師は今後儲からない生活が出来ないんだ。すまない漁師をしてもらうにはいかない」

  

何を言われたのか全く理解できなかった。信じられない言葉を耳にして僕の思考は完全に停止した。何を馬鹿なことを言ってるんだこの人達はと思った。

あり得ない。中学生の頃から?今更?僕は自分人生漁師になるために今まで頑張ってきたんだぞ。会社辞めるのも伝えたはずだ何で?おかしいだろ。

思考が動き出すと僕の頭の中は疑問でいっぱいになった。

  

社会人になった僕は家業が傾いていることには気づいていた。そのため僕が戻るまではと考えて35万あった手取りから僕自身の小遣いとして5万円だけ抜き、ボーナスが出ても5万円だけ抜き(ボーナスの月は小遣い合計10万円)、残りは全て実家へ収めていた。7年間毎月だ。総額1000万はくだらない額を納めたはずだった。

  

海上技術学校時代独立行政法人化したとは言え、国から金が出ていたので授業料は数千円で格安、寮費もかからない。僕の学費も相当安いはずだった。

例え僕に黙ってた漁業から大きな借金があったとしても、漁師が借りられる限界はあるし、まだ残高があっても10年以内には余裕で返せるレベルの金額のはずだ。

ヤクザみたいな借金取りが来た記憶はない。ヤミ金の筋はない。全くわからない僕が継げない理由が全くわからない。

  

税制対策に漁業法人化することを考えてた。銀行から融資も受けやすくなるはずだ。同様の漁業法人化した漁師の家の情報も集め、実際に各地の漁師からノウハウを教えてもらってた。

今後は今以上に収支の負担が間違いなく減る。僕はこの家の子だ。祖父や父の堅実的な仕事ぶりを見て育った。ドデカイ賭けに出るなんて気の弱い僕には勇気も無いから大型投資とかしたりしない。

  

なんでだ。なんでだ。なんでだ。父さん母さんなんでだよ!なんで儲けられないの一点張りなんだよ!

1週間待ってくれよ事業計画だって直ぐに作ってやるよ。他県では新しい漁法の研究や水質改善研究も進んでて、それを地元大学と一緒になってやろうよ。国の補助金も出るんだよ。

僕は皆と笑っていたいんだ。父さんも母さんも泣くなよ。僕を怒らせないでくれよ泣かせないでくれよ。いつもみたいにヘラヘラ笑っていたいんだよ。お願いだよ!!!

  

空っぽだ。僕は空っぽになった。

見えていた道筋が無くなり、どうして良いか全くわからない。父や母が引いていたレールを僕は信じて進み、そのレールを自ら強化していたら、突然その先のレールを両親は取っ払った。

家業の手伝いもその日から禁じられ何もできなくなった。

  

数ヶ月間無職で居た僕は貯蓄も底を付き始めて再び海運企業就職した。新卒で入った海運企業よりもずっと小さなところだ。

だけどやる気がでない。仕事に身が入らない。つまらないミスを何度も繰り返し、人間関係を悪くして結局数ヶ月で辞めた。

次の会社も、その次の会社も同じように辞め、僕は海での生活自体を辞めてしまった。

  

派遣に登録をし、土木解体などガテン系仕事をよくやるようになったが気持ちはずっと上の空だった。

実家に居ると涙が出てくるので再就職した辺りから実家を出ていて一人暮らしを始めていた、

  

ただ、家事のやる気がでない。学生時代新卒の頃は口うるさく掃除教育された甲斐もあり、先輩上司から「お前はきれい好きだな」と言われるような人間だったのに、この頃はTVに出てくるような「片付けられない人」の部屋のようにゴミで溢れかえっていた。

どうでも良い、そんな感情が常にあり、そしてそんな風にしかできなくなった自分嫌悪するようになった。

でも実家への送金はやめなかった。ちょっとでも両親を助けたかった。自分貧乏しても両親に辛い思いはさせたくなかった。

  

ある時僕は一人の女性出会う。年齢は同じだけど学年は一つ上の女性だ。

そこまで可愛くはないけれど妙に馬があった。その女性は賢く、僕のする昔読んだ本から得た小難しい話を黙って聞いて、更に自分意見を返してくる。僕が学生時代から苦手だった英語留学経験もありペラペラ尊敬できた。そんな女性だ。

  

つの間にか男女の関係となり、僕は「家事ができないんだ」とちょっと嘘をついて告白したら彼女はいきなり僕の部屋に掃除業者と共に来てあっとう言う間に部屋を掃除してくれた。

「良い?今の状態を出来る限り維持すること。出来ないんだったら私に言って」そう頬を膨らませて言った。

こんなに素晴らしい女性と付き合えたのに僕は家事が上手く出来ないままで、職を転々としている状態だった。

  

ある新しい職場比較的話すリーダーが僕に言った。「お前頭がオカシイと思うぞ。お前の様子を見ていると脳の病気を疑わずには居られない」

それから僕はよく考えるようになった。僕は頭がオカシイのかと。

  

彼女相談したら少し考えた様子を見せ、数時間後にいくつかのURLを僕に示してきた。精神異常のセルフチェッカーみたいなWebサイトだ。

それで彼女と一緒に検査してみたら何処のWebサイトでも「重度の鬱」という診断結果になった。

僕は彼女に言った。「これでこのまま医者に行ったら僕は鬱を自覚してダメに成ってしまいそうだ。だから医者へは行きたくない。鬱の証明書なんて要らない」と。

彼女は「あなたが行く必要があると思った時に行けば良いんだよ」と言った。

  

そこから僕は何度も職を転々とする。自分を鬱だと疑いながら職を変え続けた。

僕は悪いやつだ。こんな状態なのに彼女を独占したかった。結婚したいと物凄く強く思うようになっていた。

そして僕は彼女実家へ連れて行った。

  

結果は両親や女兄弟から大反対された。

僕の今の状況で結婚しても上手く行かないというのだ。彼女は色々と罵倒された「水商売女か?」とかそういう系のかなりひどい罵倒だ。

そして実家が結局何が言いたかったといえば「二人が結婚生活を始めてこちらへの送金が止まるのも困る」という話だったのだ。

  

僕はその時完全に察した。「あぁ儲けられないんだな」と。

そういうことだった僕は漁師よりも海運の船乗りをやってたほうが実家は儲かるのだった。外で金を作って実家に入れたほうが実家は安定して儲かるのだった。

僕は実家の金づるだった。全く気づいてなかった。僕の送金が両親を金の亡者に変えていた。

  

その夜、僕は実家を離れる時に実家との縁を完全に切った。

  

今まで居たアパートを引き払い、携帯電話の番号を変え、彼女以外の全てのアドレス帳を削除し、地元から県外へ僕は引っ越した。

全てにケリをつけようと精神科受診し、やっぱり鬱だと診断されて薬を処方された。

欝だと診断された瞬間、涙が溢れて止まらなくなり医者先生ものすごく迷惑をかけてしまった。

  

今は新しい仕事につき鬱を治そうと受診しながら彼女との結婚のためにお金をためている。もう海には戻らないけどね。

  

これが天職に生きようとした僕の人生だ。

天職を探し続ける人へ僕は言いたい。天職は失った時に他の選択肢が無くなる職業なんだ。

きっと続けられる仕事というのはちょっと辞めたいくらいの仕事なんだよ思うよ。僕みたいにはなるな。

2013-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20130629204133

あのさあ、高学歴、ってどのこと言ってるの?

東大とか京大のか一部上のレベル学校のこと?

最初はそれについて言及したものを取ってきて、

その後は大学進学自体について言及してるんだけども、なんなんだ?

東大京大学生の人数を減らせ、っていうのか?

別に減らした所でその分が早稲田慶応に流れてもさほど状況は変わらないぞ?

馬鹿Fラン大学生を多数輩出してるのが意味ないし、

減らす、というか半分以上の大学はただの利権がらみでしかいから潰せばいいと思うけど。

大体、分数とか習う様なレベル大学に行って、何がしたいんだ?

なんかバカみたいな小学生教養を身につけましょう、的な授業をしてる、とかやってるの見たけど

そもそも高校までで理解しようとしなかった奴がなんで大学で理解すると思うんだよ、、、

東大京大学生含め全体的に減らしても良いと思うけど、

別にそこ減らしたからって、メリットがあるとは思わない。

東大京大たからって優秀な人間だ、と言い切るつもりはないけど、

少なくとも優秀な人間になる可能性は高いわけで、優秀な人間が増えることの何が問題なのかが分からない。

別に一流企業に入ったからって(何が一流だか分からないけど)、

その人の能力100%発揮されてるか、って言ったら難しいし、

一方で中小企業に行って持て余すかって言ったら、

はっきり言ってそう簡単に持て余せる職業なんてそうそうない。

大学生を減らす、ということなら賛成。

でも、金銭的に余裕がある人間が増えた以上、Fランでもなんでもモラトリアムを求めて行ってしま人間が多いのを帰るのは難しい。

それに当て込んで利権食って生きてる人間を自制することが出来れば良いけど、それもやはり難しい。

ポジティブ方法としては、まず、高校も含め、もっと就職に直結する様な学校を増やすべきだと思うけど。

商業とか工業とかあるけど、それらって大体普通高校に行けない子が偏差値いから行く、

っていう雰囲気があって駄目だ。

今の専門学校って言われてる様なところでやってることを中学卒業したら入れる学校とかをちゃんと作っても良い。

(部活とかそういったことも結構大事だと思うから単に専門学校に直接行けば良い、っていうのだと厳しいけど

最初はそれでも良いと思う)

そういう所でもっとちゃんとした教育をして、卒業してもっと良い仕事につけるようになって

それこそ大学4年行くより金銭的にも余裕があるようになれば、

自ずと高卒大卒に比べて卑下されることはなくなるし、積極的に高卒就職が増えると思う。

そうすれば取り敢えず大学~っていう風潮はなくなると思う。

2013-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20130120121044

知能テストは、20歳になって出来る事が、その年齢でどの程度出来ているかを見るものかと思ってたら

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0 知能指数

>一般的に知能指数IQと呼び習わすものには、生活年齢と精神年齢の比を基準とした「従来の知能指数 (IQ) 」と、同年齢集団内 での位置を基準とした標準得点 としての「 偏差知能指数 (Deviation IQ, DIQ, 偏差IQ偏差値知能指数)」の2種類がある。

今はこうなってるんだ。

wikipediaで見ると全部正常の範囲だし、言語理解は平均より良いし、そんなに騒ぐ事なのかな医者の伝え方も悪かったんじゃないのかな?

気になるのは、母親医者にしたがってるのか、随分酷い口調で医者を目指すのは難しいという意味の事を言ってる事

本人が医者になりたいわけでもないのに。変じゃないのだろうか?

というか、そんな接し方をされていたら、本人の自発的な意思に基づく行動が取れなくなって当然だし、意欲に欠ける人と思われたり、ちょうど他ツリー増田にあった無趣味な人(ttp://anond.hatelabo.jp/20130121013723 )のように面白味がない人と思われ、人と社交的に接する事も出来なくなるのではないかと思うけど・・・

増田が書くように、手帳年金や、特殊な配慮が必要な状態なのかなあ。(年金手帳の話は他ツリー)

健常者の行く学校という言い方を、診断された人がするのかな? 「 健常者向けの 普通高校 や専門高校に通学しているのなら、かなり早い段階で 自分が通 う学校以外にいるであろう 障害者就職活動 に詳しい人を見つけてみるといいのかな 」って書いてる人が居るけど。

発達障害って、アスペルガー症候群で、元々は自閉症の一種で、それだけでは異常とも障害とも症状とも言えない状態だったはずなのに。。。

から、健常者とは言わずに「定型」という言葉を使うはずなのに。

発達障害が手を広げておかしいのは、軽度と付けて、軽度発達障害とか言うから

ちょっと前の本だと、自閉症スペクトラムとか言って、定型とか健常と言われる人との間に、濃い薄いはあっても無限段階にあった区切ると、ごく薄くは誰でもあって、それが濃い人が発達障害とか定義付けしてた。

でもこれって、極めて疑似科学的というか、何だか怪しげ過ぎて何だかなあと思った。

そうしたら、やっぱり範囲を広げすぎて手を広げすぎ、という指摘をする専門家もいた。

こんな状況なのに、増田で文章見ただけで、障害者求職活動とか、遅かれ早かれ公的サポート必要になるとか、変だなあ、変な誘導だなあと思う。

サポート必要でも、普通青年期の家庭に問題がある人の心理面のサポートではないのだろうか?

2012-02-10

なぜ高専に入ろうと思ったか

高専在学中, OB, OG人達高専に入ったきっかけとか、どういう系統のことが好きなのとか詳しく知りたいからできれば高専関係の方はブログに書いてほしいなーとかチラッと思った #kosen_opportunity

なんていうのがTLに流れて来てたので暇つぶし高専入学志望動機を思い出してみた。

なお、当時書いたであろう入学志望動機は現存してないのでやっぱり記憶を。

中2当時はご多分にも漏れ

人と違う何かをしたいとかそんなことを思ってたようで

漠然普通高校行きたくないな とか考えてた。

中3で

理科先生から高専存在を教えて貰う。

普通高校行きたくないし 電子工作好きだし 高専にしよう。

当時電子工作がすごく自分の中で熱くて

パチンコ液晶買ってモニタにしたり

old macを安く買ってPLLの定数変更してクロックアップに勤しんでみたり

そんな中学生でした。

住んでるのが東京なので育英高専と航空高専受験

育英高専普通に合格

育英合格の日に航空高専の願書提出

育英決まった時点で受験勉強なんてものは一切せずに

航空高専不合格

ということで育英高専入学あいなりました。

ってのが育英に通うきっかけでした。

ちなみに志望学科

育英が電気工学科→電気工学

航空が電子工学科→航空

にしたような。機械とかあんまし興味なかったですしね

2011-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20111204125055

これをネタだという人は幸せな人かもしれない。

俺も高卒しか普通高校)だけど似たような経験は数年に1回程度はある。

合コン婚活的な出会いの場なら年に数えきれないw

でも芸術系の仕事学歴が問われるのは少し驚きだけど。

学歴は一生コンプレックスになる。

若人よ大学はいいとこ行っとけ。数年浪人してでも。

あと恋愛もね。

2011-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20110706133154

高専に行こうか普通高校に行こうか迷っている層だよ

そのレベルの高校(偏差値60超え)なら、普通高校でやる数学なんて受験対策だっての。

「広く浅く(普遍的に)」とかじゃねぇよ。

指導要領の範囲で受験に必要な事を教える勉強だよ。

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