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はてなキーワード: 帳尻とは

2017-04-20

[]

今回はガンガンオンライン

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 喪114

このテーマでまだやるのか。

基本的女子主体イベントはいえ、今回は相互女子っていうね。

「なんで世話になった奴にクソ型のチョコなんだよ!!」っていうのは最もではある。

はいえ、もこっちがあの形のチョコをあげたのって、弟だとか比較的仲のよいクラスメートで、他は普通の形のチョコ解体したりして提供しているんだよね。

多少の信頼感があるからこそのおふざけなんだけれども、基本はコミュ障故にアプローチ相互理解がズレているというわけだなあ。

で、解体したチョコを貰った子は、何だかおかし精神状態になっていないか、これ。

もはや何をやってももこっちへの印象を「キモい」で一貫させているのもそうだけど、不可解に思っているにも関わらず矛盾した行動するし。

何だろう、怖い怖い言いながらホラー映画見たり、辛い辛いと言いながらカレー食ってる人みたいなものなのだろうか。

と思ったけれど、例えとしてはアレか、それこそウンコ臭いと分かっててあえて嗅ぎたくなる人間みたいなものか。

青春Re:トライ Re:

テーマと話の総括、後はネタばらしって感じ(というほどの展開もないけれども)

「各々の理想のために必要なことは、何よりもまず自分が行動すること」ってあたりがテーマの総括だろうか。

まあ、下手に複雑なこと語られても咀嚼が大変だからジュブナイルものはこれくらいシンプル結論言語化でいいのかもしれないなあ。

この手のタイムリープもので、過去を変えたとき帳尻合わせってゾンザイに省略されることがありがちだけれども、そこはもう気にしすぎたら負けだというのを最近やっと学んだ。

あと、舞台設定だとかの問題もあるけれども、そのために紡がれる話が作劇としては全体的に盛り上がりに欠けていた印象はあるかも。

タイムリープをするっていう壮大だけれども今日び手垢まみれの舞台装置に対して、世界観の都合とはいえ小じんまりとしているというか。

この手のジャンル課題というか、どうしても登場人物たちの内面の話を重点的に描いていくけど、プロット自体の魅力はセカイ系ほど振り切れない印象があるんだよね。

2017-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20170415185315

そうなんですよ。

しかも宮﨑駿の場合は、作業としてはデザイン先行かもしれませんが、最終的に映画というパッケージにひとまとまりにして出すから帳尻をあわせられるじゃないですか。

週刊連載でこれやるのって頭おかしいのかと思いました。

しかもほんとに才能がないのに、自分はそういう才能があるとか、そういう作り方が格好いいって思ってそうな感じでほんま殴りたい

地雷とわかってて踏みにいったのでよほどのことがない限りは作者批判はやめようと思ってたけどこれはないわ

2017-04-02

[] #20-4「帳尻クッキング

≪ 前

本当は色々作るつもりだったが、スープの時点で俺は既にやる気がなくなっていた。

腹が減っていた筈なのに、食欲もほとんどなくなっている。

それでも実食。

肝心の味はというと、失敗ではなかった。

だが成功でもない。

「うん……まあ食べられる」

成功や失敗といったものをどう定義するかにもよるが、美味くそして上手く出来たかという点では失敗かもしれないし、不味い料理を作らなかったという意味では失敗ともいえないはずだ。

だが、「不味くはないカレー」という時点で、かなりの低評価であることも事実なのである

カレーの味で体裁こそ保っているものの、料理が上手くできたわけでもこの料理ちゃんと美味いわけでもないからだ。

特に問題なのが、原因は分からないが何かが過剰な味で、しかもそれが凝縮されていることだ。

野菜の水分を警戒して濃い目にしたのも関係あるのかもしれない。

ライスがあれば食べ切ることは難しくないかもしれない。

だが、ライスなんて用意していないので、事実上このカレーを食べきることは苦行だといわざるをえない。

何かをやり過ぎたといわれればそうとも言えるし、何かが足りないといわれればそうとも言える料理

この料理テーマをあえていうなら、「過不足」といったところか。

ため息が出ようとする口に汁を放り込む。

なんで俺はこんなに時間を費やして、こんな料理を作って、それを食べているのだろう。

いいようのない哀しみが腹の中に渦巻く。

その中心では、タイナイが隙あらば語ってくる調理ノウハウや薀蓄がリフレインしていた。

まあ、あいつなら上手いこと出来るのだろう。

だが、いつだってあいつの語るノウハウ独りよがりだ。

多分、石の水切りが出来ない人間に、「ほら、こうやるんだよ」って言っているみたいなことを、己がやっている自覚がないんだろう。

浮かんだ油を見ながら、俺は弟に石の水切りを教えていた日のことを思い出していた。

何か別のことを考えながら食べないと、やるせなくて仕方がなかったのだ。



翌日、俺は学校タイナイとその話をした。

タイナイ、俺も先週の日曜日料理してみたんだ」

「あ、そうなんだ」

「何というか俺という人間は、自炊という行為を、習慣的に取り込むのは無理な人種だと思った」

「おいおい、そんなこと言うなよ。自炊は良いものだ。何よりコスパがいい」

「……自分料理してみて、それを自分で食べてみて、気づいたんだ。お前の言う『コスパがいい』って、色々なもの犠牲にしてきた結果の言葉なんだな」

「“色々なもの”?」

「分からないってことは、お前にとっては意識すらしていないレベルのものってことだ。言ったところで仕方がない」

「なんだよ、それ」

とどのつまり俺にとって、自炊ってのはむしろコスパが悪い”ってことさ」

(#20-おわり)

2017-04-01

[] #20-3「帳尻クッキング

≪ 前

煮込んでからしばらく経ったので、野菜スプーンで軽くつついてみる。

やわらかくなってきたので、ひとまず味見だ。

野菜野菜しかないので、肝心のスープを舐めてみる。

うん、大分マシになった。

あとは、もう油を入れればいいか

センセイによると、人間というものは油が好きなように出来ているらしい。

マヨネーズ好きな人間も、要は油が好きだからなのだ

まり油というものは最高の調味料なのである

この不出来な野菜スープも、オリーブオイルあたりのイメージ的に良さそうなものを入れれば帳尻は合うだろう。


そうして周りを探してみるが、オリーブオイルはなかった。

まあ、我が家食卓オリーブオイル必要とする料理がないから当たり前ではあった。

タイナイとかは料理好きだから、きっと常備してあるんだろうが。

だが、幸か不幸かなぜかゴマ油は見つかった。

瓶は妙にベトベトしており、ラベルからは年季を感じる。

量はほとんど減っていない。

こういった調味料を使いきろうと思ったら、よほどのことがない限り難しいのだろう。

だったらなぜ買ったのかとか、なぜ残したままにしているのかとか、そういったことを気にしている場合ではない。

せめて俺が手向けに使ってやるべきなのかもしれないが、とてもじゃないが使う気にはなれなかった。

俺はゴマ油入りの瓶を元あった場所に戻す。

仕方がないので、妥協してサラダ油野菜スープに投入した。

そして卵を割り入れる。

人間は卵が好きなように出来ていることを、俺はビデオ屋店長から学んだ。

マヨネーズ好きな人間も、要は卵が好きだからなのだ

しかし割り入れた卵は、映像とか写真とかで見たような綺麗な造形にはならなかった。

気になって箸でかき混ぜたが、裏目に出てしまった。

スープ全体に淀みが発生し、それと同時に俺から食欲を奪っていく。

仕方がないので、俺は胡椒をパッパラ振りかけた。

胡椒は万能調味料であることを知っていたからだ。

他にも何か細々と加えた気もするが、加えていないような気もする。

ちょっと不安になってきたが、俺には奥の手があった。

俺はおもむろにカレーのルゥを放り込んだ。

カレー我が家デウス・エクス・マキナ

おばあちゃん知恵袋だ。

こうして卵入り野菜カレースープは完成したのである

カレーライスにしようとも思ったが、今から米を炊く気も、炊くまで待つ気にもなれなかったので、これで良しとしよう。

次 ≫

2017-03-31

[] #20-2「帳尻クッキング

≪ 前

我が家食卓では、料理ほとんど具たくさんである

なぜなら食材中途半端に余らせたくないので、一回の食事で使いきろうとするからだ。

このせいで汁物は、むしろ煮物といった様相を呈することもしばしばある。

かといって食材を余らせても、冷蔵庫の中で眠るのがオチだ。

それを何か上手いこと別の料理に使えばいいと思うかもしれない。

だが、我が家にどんな食材が余っているか把握し、それを献立にどう捻じ込むか、といったことを要求するのは酷というものだ。

じゃあ、この冷凍された野菜はその名残なのかというと、ちょっと事情が異なる。

もとから保存前提で加工されたものなのだ


料理好きを自称するタイナイが言っていたことだが、「野菜は大量に買って加工だけしておき、後は冷凍しておけば利口」らしい。

やたらと熱弁するのでやってみたのだが、そもそも俺とタイナイでは“前提”が違う。

料理好きな輩の言う利口な、上手い料理法ってのは、他人環境スペックライフスタイルを一切考慮しないからアテにならないのだ。

だがタイナイだけではなく、俺もその“前提”の重要性をまるで分かってはいなかったのだからお互い様である

こうして冷凍した野菜活用の機会に恵まれず、冷凍庫に眠り続けた状態だった、というわけだ。

だが、今こそ本領を発揮するときだ。

俺は、スープ野菜冷凍したまま入れた。

解凍したら水分と一緒に野菜の旨味的な成分が出て行ってしまうと、どこかで聞いたのを思い出したからだ。

このスープだけでは食べられたものではないので、野菜から滲み出る成分に期待しようという算段だ。

しかし、思っていた以上に野菜が多く、鍋から溢れそうだ。

仕方がないので大きい鍋に移し、更に追加でコンソメと水を投入する。

すると、スープだけでお腹一杯になりそうな量になってしまった。

不味かったら大事だぞ、これは……。

次 ≫

2017-03-30

[] #20-1「帳尻クッキング

その日は料理をしてみようと思った。

大した理由なんてない。

腹が減っていること自体大義名分だ。

いくらでも即席食品がある環境で、料理ほとんどしない俺が「自炊」というカードを切ったのは気まぐれに過ぎない。

ただ、友人のタイナイが少し前に言っていた、意識の高い自炊論をふと思い出したってのはある。

はいっても、あいつみたいに変な背伸びはしない。

料理した感」が大事なのだ


まずはスープだ。

沸騰させたお湯に、コンソメの素を溶かしてみた。

食材からコンソメを作ろうだなんて思わない。

我が家ミソスープだって出汁味噌メーカーの力だ。

実は前に一度、わざわざ煮干や鰹から出汁を取って作ったらしいのだが、「いつもと違う」と俺たちに不評だったせいでやめたらしい。

手間と味が比例しないのは考えてみれば当たり前のことではあるのだが、評価されないことほど調理人にとってツラいことはないだろう。

だが、今回は俺が自分で作り、自分で食べるのでその心配はない。

そうやって思いふけるうちに、コンソメは見る見るうちに溶けていった。

味見するまでもないと思うが、念のため確かめてみる。

「なんだこれ……不味い」

予想外だった。

料理の失敗でよくあるパターンは、大抵「セオリーに則らない」か、「余計なことをする」かのどちらかだ。

当然、俺は説明どおり適量でコンソメを溶かしただけである

いや、もしかしたら俺は何か見落としているのかもしれない。

コンソメパッケージに目を向ける。

書かれている説明イマイチ曖昧だったが、どうもこのコンソメは、ミソスープでいうところの出汁的な存在だったらしい。

コンソメの素はカップスープみたいなものだと思っていたが、そういうわけでもないようだ。

それにしてもコンソメだけだと、こんなに不味いものだったのか。

だが、理由が分かれば話は早い。

要は別の味でフォローさせればよいのだ。

確か、しばらく前に冷凍した野菜が眠っていたはず。

次 ≫

2017-03-21

[] #19-1「謝罪謝罪

父が働く会社での話だ。

父の会社にはシューゴという人がいて、この人は会社の顔とも言うべき立場にある。

ただ、この人の言動ヘイトを広めやす性質があった。

大抵の場合はこの人の性質だとして見過ごされることも多いのだが、今回は少々大事になったらしく弁明の場を設ける必要があった。

だが、その必要性に疑問を抱く人もいたのである

当事者であるシューゴさんだ。

はいっても、もはや場は設けられており、今さらなかったことにするのは難しい状態だった。

周りから囲み、そういう状況を作り出さなければ、シューゴさんは世間という漠然としたもの謝罪など一生しないだろう。

父の同僚のフォンさんはそれを分かっていたために強攻策に出たのだが、予想以上にシューゴさんは頑なであった。

「俺にはよく分からない。確かにクライアントには申し訳ないことをしたと心から思っているが、そのクライアントに対しての謝罪と賠償は済んでいる。この場を設ける意味が分からない」

シューゴさんは、別に謝罪すること自体が嫌だと愚図っているわけではなかった。

ただ、わざわざ不特定多数人間に向けて謝る必要性が、彼には理解できなかったのだ。

そんなシューゴさんを、フォンさんは必死に説得する。

シューゴさん。謝罪ってのは必ずしも当事者だけにするとは決まっていないんです」

しかしこの期に及んでも、シューゴさんは頑なであった。

頭を抱えながら、フォンさんは父に目配せをする。

説得を手伝ってほしいのだろう。

だが父は静かに首を振って見せた。

ただ、安易に誰の味方をするわけでもない。

シューゴさんが最後まで頑なであるならそれは仕方ないとも思っていたし、結果として考えを曲げるなら、それもまた意思の一つとして尊重するつもりだったのだ。


「俺は一体、誰に対して、何の意味があって、あの場に立って謝るんだ? そしてクライアントでもない彼らは、一体何に対して怒っているんだ?」

シューゴさん。そんなことはワタシにだってからない。というよりあの人たちも、本当のところは誰も分かっていないんです。分かっていないから怒っているんです。だから謝らなければいけないんです」

「滅茶苦茶だ」

「そうです。滅茶苦茶です。でも、そういう滅茶苦茶なことの帳尻を合わせるのも社会の在り方なんです。その帳尻あわせが“謝罪”なんですよ、シューゴさん。何かをやらかしたら、謝る。それが誰であっても、何に対してでも、謝る必要がなくても、です」

父もフォンさんの言っていることが大した理屈じゃないことは理解していた。

しかし、それでも父はシューゴさんの味方も、かといってフォンさんに追従もしなかった。

それを何度か繰り返すうち、とうとうシューゴさんは折れたと言わんばかりのため息を吐き、それと同時にフォンさんの言葉を静止した。

「もういい。酷い理屈だが、それで納得しよう。だが、覚えておいてくれ。俺は申し訳ない気持ちだとか、そんなもの微塵もない状態であの場に立つ。というより、実際問題そうせざるを得ない。傍目には分からないよう臨みはするが。それでいいんだよな、マスダさん」

はい、それで構いません。あーいう場での謝罪ってのは誰も言わないだけで皆そんなもんです」

こうしてシューゴさんの謝罪ミュージカルが幕を開けた。

次 ≫

2017-03-12

[] #18-3「俺の時給は980円」

≪ 前

なぜだ。

俺の働きに何か不備があったのか。

これはさすがに少ない。

何かの間違いの可能性もあると思い、オーナーに尋ねた。


オーナー。俺の給料を時給で計算してみたんですが、それだと800円になるんです。何か間違えてないですか」

「いえ、間違えていないわ」

「じゃあ、俺の働きに不備があったんですか」

「いえ、普通くらいの働き」

「では、経営不振?」

「いいえ」

考えうる可能性は否定された。

だが、だとするならばますますからない。

何がどうなって俺の時給が800円なのだ

「じゃあ、なんで」

「同じくここで働いている子で、その子は前の給料が時給換算で1000円。今回の君と同じくらいの働きね」

いきなり別の従業員の話をしだしたオーナーに疑問を感じたが、ひとまず話を合わせる。

「多いですね」

「その子が今回、1.5倍ほどの働きなの。だから、その子の時給を1200円にしたの」

オーナーの言うことが、よく理解できなかった。

前回が時給1000円相当で、今回がその1.5倍の働きだというのなら、1500円だろう。

それに、一体そのことが俺の時給800円相当と何の関係が……。

そこまで考えたとき、やっと理解する。

だが理解してなお、俺はそれを咀嚼することができなかった。

「……俺の時給を800円分にして、その子を1200円にすることで、相対的に1.5倍の働きということにしたと?」

「そういうこと」

まりのことに目眩がした。

側面的には、俺の200円分をその子に回したということでもある。

働きに応じた報酬を、こんな風に帳尻を合わせてくるとは思いもよらなかったからだ。

俺の働きは何の問題もないのに、他の従業員の方が俺より働いているから減っただと?

そんな理不尽があってたまるか。


「そんな馬鹿な!」

評価というもの相対的ものよ」

「だからって俺のを減らさないでくださいよ。働きに支障がないなら、1000円にしてください」

「それじゃあ、1.5倍働いている子が報われないじゃない」

「その子を1500円にすればいいでしょう」

資源は有限。そんなに労働力お金を割くわけにはいかないの。1.5倍頑張ったからといって、店の利益が1.5倍になるわけではないもの。それでも相応の対価を支払おうとするなら、それは相対的ものにならざるを得ないわ」

大した理屈である

だが、こちらもそんなことでは納得しない。

このままでは俺の給料時給800円相当になってしまう。

次 ≫

2017-03-02

ロマンポルノリブートプロジェクト『風に濡れた女』を観に行って

 人生で一度くらいは成人映画映画館で観てみたいと思い、偶然見た予告編の軽快なアクションものっぽい雰囲気にひかれて『風に濡れた女』を観に行ってきた。

 1回きりの鑑賞で見落としや聞き逃したところもあるだろうけど、ひとまず思ったことをネタバレ含みで長々ダラダラとここに書いていく。点数をつけるわけでもないし、正直映画は年に1回観に行けば多いほうで、目が肥えてるわけでも感受性豊かなわけでもないことは先に述べておく。

映画本編に対する感想

主だった演者に対する感想

  • シオリ(演:間宮夕貴)
    • よく見るとややファニー寄りな顔立ちに、勝ち誇ったような表情が作中で映えていた。がらっぱち口調で声もかすれ気味に話していたので序盤は時々台詞が聞き取れなかったが、そういうのを含めても野性味のあるシオリはこの人しかいなかったんだろうなと思う。
  • コウスケ(演:永岡佑)
    • いい意味で顔よりもくすんだいい声だなと思って演技を見た。上手く伝わるかはわからないし人の顔を品評する意味は全くない表現なのだが、黒々としてはっきりスッキリとした眉と瞳をしたコウスケの目元と、うっすら茶色混じりでフリーハンド描線を重ねたような粗いシオリの目元は、続けて映されると対照的でハッとさせられた。

あと、役名と個々の俳優名前合致できなくて申し訳ないけど、サーファーの彼はいい味出してたと思う。

印象に残ったシーンなど

結構とんちんかんなことを言っているかもしれない、本編以外に対する感想

2017-02-28

エゴグラムによるあなた性格診断結果

性格

日暮れて道遠しと云う人生を歩むタイプと申し上げて置きましょう。冷え切った灰色の心の持ち主です。自 己不全的な性格が強く、人に良く思われたいと云う気持ちと、劣等感に悩まされるタイプです。考え方や行 動が非合理的で、世渡り下手の傾向が強いでしょう。他人理解したり、同情したりする事は嫌いだが、妥 協したり、我慢したりする事は厭わないのです。云ってみれば、表面的な帳尻合せにのみ、腐心しているタ イプで、生有る限り孤独の谷間を歩み続けなければならない様な運命を、自から作り出して居る、非常に気 の毒で損なタイプと云えましょう。これと云った趣味も無ければ、娯楽も無く、生の充実感を一体何で味わ って居るのか、周囲の人々の不思議がるようなタイプです。

恋愛結婚

暗く閉ざされた心の持ち主が、何処に救いや憩いを求めるのかと云えば、それが子供の内なら肉親であり、 成人の暁には、配偶者としての異性より外に無いわけです。そう云う意味では、結婚相手捜しが、物凄く 重要タイプであり、他のグラフ型の人々の結婚とは、その重要度が一味違った意味を持って居ます。何故 ならば、自己不全的な観念が強く、消極的で暗いイメージを背負ったタイプだけに、自分の好みの相手に対 して、積極的アタック出来ず、又、そう云う強い意志も無いタイプですから結婚相手見合いとか、極 く身近の人とか云うように、周囲の人々による一種の宛行(あてがい)扶持(ぶち)的要素が濃くなる傾向 が強いのです。その上、一旦結婚して仕舞うと、能動的に相手リードしたり、出直しを計ったりと云う自 在性が殆ど無いタイプですから、悪い方へ循環し始めると、その悲劇性が途方も無く増巾され兼ねないので す。

職業適性

創造力や表現力を要求される仕事が、先ず駄目です。高い判断力分析力を求められる仕事も不適性です。 人間愛を求められる職業も不向きです。最も無難職種は、一般公務員か、一般事務、単純サービス業、肉 体労働者などの極く限定られたものになるでしょう。

対人関係

小手先の技巧では、どうにも修正のしようが無いと云うのが、貴方現在生き方なのです。一歩一歩と自 分の性格の中に欠けた部分を、丹念に埋め戻して行く作業を、根気良く続けて行くより他に、良い方法は無 いと思います

去年の9月末は↓

性格

自信喪失タイプであると、申し上げて置きましょう。極言すれば、貴方の肉体は自主独立の魂を欠いた、一種の抜け殻的な存在とも言える訳で、周囲の人々の圧力や示威が、世に云うテレパシーのような形で、貴方の中へ入り込んで来て、貴方言動を、あれ、これと、操縦して仕舞う訳です。いわゆる強度な自己不全観念の持ち主と云う事になります。云うなれば、人に良く思われたいと云う気持ちが、強すぎると共に、自分が役立たずや能無しではないかと云う劣等感も強く、過敏型ないしは、強迫神経症型の、性格異常を招き易いのです。今後は、もう少し自分に自信を持つ事です。自分より尚一層、下らない人間、詰まらない人間、役立たずの人間は、この世に数限りなく居るのだと云う事を、常日頃から自分に云い聞かせるようにすると共に、周囲の人々も一皮剥けば、自分と五十歩、百歩であり、自分は唯、根暗(ねくら)で表現力が無いのと、物事に正直なだけに、悩むことも人一倍多い、本当に人間らしい人間なのだと、全てを良い方へ解釈し、胸を張って開き直る事です。

恋愛結婚

まらない相手に、一度引っ掛かって仕舞うと、方向修正出直しの容易に出来ない性格だけに、一生を棒に振って仕舞うような危険性も、かなり高いタイプです。結婚後は相手に対して、箸の上げ下げにまで気を使うような、姑息配慮の仕方では無く、相手貴方結婚して、本当に良かったと思わせるような、大きな愛情、巧まざるユーモアなどを身に付けるように、心掛けるべきです。

職業適性

芸能芸術文芸などの分野には、殆ど適性が無いでしょう。事業家政治家治安関係公務員法律家金融業、質業、医師などにも不向きです。保母(父)、看護婦(士)、単純サービス業一般公務員一般事務員などでしたら、別に性格的な面から差し障りはありませんが、中間管理職などになった場合には、上下の板挟みで、かなりの苦脳を覚悟しなければならないでしょう。

対人関係

もう少し図太くなる事を心掛けると共に、人生に対して、もっと積極的好奇心や探求心を持ち、自分にも他人にも、もっと厳しく無闇矢鱈(むやみやたら)な妥協を排することです。

ネガティブな結果だなあ相変わらず

仕事やめたい寝たい死にたい

ADHDの大半は本気状態でも人並み以下である

だいたいADHDスイッチ入れば常人の2〜3倍はタスクできるってよく言われるじゃん。

あれはADHDでもさらに一握りの人間だよ。

素の能力が100の人間ADHDという状態が加わるとね

長いガス欠状態の中でたまに100の仕事し出すというサボリーマンの出来上がり。

普通人間が800やることを帳尻合わせもできず300〜400で終わる。

こういうADHDは上からはただの無能社員なのでタスク管理じゃどうにもならない。

まりまともに残業規制がかかるとこのタイプADHD底辺職か無職になります

ADHDは素の能力が低いと死ぬ

ちなみにこれ俺のことな

2017-02-03

歌のよによに

歌詞音楽に合わせる よに

早口でまくしたてる よに

帳尻を合わせる よに

2番目の歌詞の よに

せっかちの よに


「ナニナニのように」ではなく

「ナニナニのよおに」でもなく

「ナニナニのよーに」でも もちろんなくて

「ナニナニのよに」の よな

歌のよによに

2017-01-26

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今回はガンガンオンライン

クロスプレイ -CLOSE PLAY- LIVE7

煽りコメではゲームセットかいうけれども、当然そんなわけはないことは分かりきっていて、要は練習する場を設けたってわけね。

やり直し回数に制限があることが新たに判明したことで、あの状況に緊張感が出てきたと思ったら、最後のアレである

いや、プロ相手から打とうと思ったら、そういうこともしないと無理ゲーだってのは分かるよ。

いくら才能があるという設定とはいえ、試合を多少やり直した程度で勝てるようでは不自然なわけだし。

でも、ああいうことも可能だっていうんだったら、ご都合主義な上に緊迫感がなくなる。

じゃあ、どうするかっていうと、そもそものコンセプトが無茶なんだから、何してもご都合主義か強引な展開、説得力がほぼない展開にせざるを得ないという地獄

頑張って帳尻合わせしているんだけれども当初のプロットが歪だから、それをやる度にどこかがまた犠牲になっている。

この「歪なコンセプトでどう帳尻を合わせていくか」というのが、本作の楽しみ方の一つかもしれない。

蟻馬くんは現実を見ない。 第8話

村瀬の名前が出てきたときさらりと蟻馬が説明口調なのが妙に気になった。

メタ的には説明したほうがいいのは分かるんだけれども、説明するのが蟻馬だから妙な警戒心を抱く。

けれども、ある意味で不自然じゃないってのが、可笑しさにも繋がっている気がする。

そして自分関係している(と思っている)部分では無根拠な前向きさを見せて、関係しない部分においては謎の察し力を発揮させるというのが並行しているのは、蟻馬のキャラクターをただのバカにしていないように見えた。

金魚すくいや射的のくだりは、ポジティブ通り越して支離滅裂解釈をすることも割と多い本作にしてはシンプルだったね。

ほとんどは空回りだけれども、多少は周りに悪くない影響を与えているという終着点もよろしいかと。

2017-01-08

懸賞半年間応募し続けた結果

引き出しから、過去10年分の年賀ハガキ200枚とウン十年前の古い未使用切手が大量に出てきた。このまま眠らせておくのも勿体無いので懸賞に応募しまくって消費しようと考えた。

古い切手プレミアがついてると思い一応調べたが、今の世の中は切手趣味としている人が少ないため、50年前の未使用切手程度では全く価値が無いんだそうだ。売るより郵便で使っちまったほうがよっぽど良いと。

なので、なんの躊躇いもなく使っちまいます

で、この半年間、目に付いた懸賞に片っ端から応募してみて、個人的に思うことを並べていくよ。

まず、懸賞マニアブログなどでよく目にする「年賀ハガキでの応募は失礼に当たり、年賀ハガキで応募した時点で無効になる」との意見は完全なデマだ。

あとよく目にするのは「懸賞郵便ハガキ(いわゆる官製ハガキ切手を貼る必要のないハガキ)でしか受け付けていない。私製ハガキ切手を貼る必要のあるハガキ)での応募は無効になる」もデマ

だって、俺は年賀ハガキと古い切手と、昔ダイソーで買った50枚入りの私製ハガキしか手元にない。

ハガキ懸賞に応募するにしても、年賀ハガキ切手を貼ったハガキしか応募する手段がないのだ。

それでも、2004年50円年賀ハガキに2円切手を貼ったもの、【1991年お年玉41円切手1965年お年玉5円切手、第18回オリンピック競技大会記念5円切手、通常1円切手】という普通に使ったら失礼でしかい組み合わせで無理矢理52円に帳尻を合わせた切手を4枚、ダイソーの安っぽい私製ハガキに貼り付けたもの、どちらのパターンでも懸賞当選した。

というか、各懸賞事務局数件に電話で「年賀ハガキと私製ハガキの応募は無効になるか」と質問してみた結果、どこも「大丈夫です」と答えた。必要事項をしっかり書いて、郵送代も足りていて、応募条件さえクリアしていれば、どんなハガキで送ろうと届けばちゃんと抽選対象になるのだ。

よく聞く、「ハガキ蛍光ペンマスキングテープで縁取りして、可愛いイラストシールの一つでも添えたほうが当たりやすい」というのは、「午前中に打ったほうが勝つ」みたいな、ギャンブルにおけるオカルトと大差のない、根拠の無い思い込みしか言い様がない。たまたまそのハガキ当選しただけの話。

だって、綺麗にデコったハガキが優先的に当選するんだったら「厳正なる抽選」じゃないじゃない。

俺は普通にドンキホーテで1本30円で売っていた激安ボールペン必要事項を書いただけのシンプルハガキしか送っていない。読めないほどではないが、字も汚い。それでも当選するので、ハガキデコるだけ無駄努力だ。

最近は、ハガキネットの両方で受け付ける懸賞も増えてきた。懸賞マニアブログには「ハガキで送ったほうが当たる確立が高い」とあるが、個人的体感ではハガキで送ろうがネットで送ろうが確立は変わらない。ハガキ代を節約するためにも、そういう場合無料で応募できるネットだけにしたほうがいい。

あと、ハガキ懸賞を送る上で覚えておいてほしいこと。

裏面に印刷してある年賀状ってけっこう余るでしょ?これも懸賞に使える。「謹賀新年」とか「今年もよろしくお願いします」とかイラストデカデカ印刷されてしまっていても、商品を購入してバーコードレシートを貼って送るタイプ懸賞なら、イラストが書いてあろうがレシートバーコードで埋まってしまうので、関係ないのだ。

じゃあ希望する商品自分の住所氏名年齢などの必要事項はどこに書けばいいのかといえば、ハガキ表の宛先の下のスペースに書けばいい。

横書きで宛先を書けば、下に十分必要事項が書けるスペースが余る。そこに書いてしまえばいい。

それでも、裏面に印刷されたハガキが嫌だったり、宛先を書き損じた未使用ハガキなどがあった場合は、郵便局で交換してもらおう。

1枚につき手数料5円で、新しいハガキ切手に交換してもらえる。50円ハガキだった場合は、手数料5円プラス差額2円、合計7円払えば52円郵便ハガキに交換できる。

一度、上記のように41円切手やら5円切手やらをベタベタ貼り付けた私製ハガキを書き損じてしまい、郵便局へ交換に行ったが、1枚のハガキとしてカウントしてくれて、手数料5円だけで新しい52円郵便ハガキに交換できた。

ハガキ無駄なく使える、結構有難いシステムがある。覚えておいたほうがいい。

前書きが長くなったが、ここから半年送り続けて見えてきた、各懸賞の傾向を書いていこう。

クイズに答えて当たる

よくある、「日曜日国民アニメといえば『サザ○さん』、○を埋めて送ってね!」みたいな懸賞があるが、こんな誰でもわかるクイズ簡単に応募できる懸賞は応募数が半端じゃなく、まず当選しない。半年間、このようなクイズ懸賞に片っ端から応募してみた結果、一度も当選したことなし。送るだけハガキ代の無駄だった。

テレビ番組視聴者プレゼント

テレビを見ていればたまに視聴者プレゼントをしているが、まだまだテレビなんかはかなりの人数が目にしているメディアだ。

「こんな時間に誰が見てんだよ」的な、変な時間にやってるクソつまんねー北海道ローカル番組視聴者プレゼントも、この半年間毎週欠かさず応募し続けたが、一度も当選したことがない。テレビ視聴者プレゼントも、ライバルが多すぎて倍率が高すぎると思われる。

新聞の読者プレゼント

読売新聞夕刊は、毎日読者プレゼントをやっている。しかし、北海道から沖縄まで日本全国で読まれている全国紙の読者プレゼントで、しかも5名にしか当たらない懸賞なんて、そもそも当たらないだろう。半年ハガキを送り続けたが、一度も当選なし。

懸賞サイトで紹介された懸賞

現在募集中懸賞情報が大量に掲載された懸賞サイトがあるが、これもかなりの人数が見ているだろう。

よって、こういった懸賞サイトで紹介されている懸賞も、かなりの応募数があるだろう。

半年間、懸賞サイトで紹介された懸賞に送り続けて当選したのは一度だけ。

それも、アルミ協会みたいなところのキャンペーンで「アルミ缶のイメージハガキに書いて送った人の中から抽選1000人に缶ジュースを1ケースプレゼント」というものだった。

アルミ缶のイメージって何?そんな文章書けって言ったって、かなりハードルが高い。無理矢理捻り出して書いた。

このように、応募するハードルが高くて、尚且つ1000名という太っ腹な大量当選だった。しかハガキしか受け付けていない。

こんな特殊懸賞だったので、応募数も少なかったのだろう。懸賞サイト情報は、特殊で当たりやすそうなものだけに送るしかない。

SNS懸賞

最近増えてきた、「イイネ」したり、リツイートした人の中から抽選でっていう懸賞

そのタイムラインを見ればわかるが、アカウントさえ持っていれば一瞬で気軽に応募できてしまうために応募者数が途方もない数だ。

こんなもん当たる訳がねえ。それでも実験として様々な懸賞半年イイネリツイートをしたが一件も当選せず。当たり前だ。

さっきから否定ばっかしてるけど、お前は何の懸賞当選したんだよって書いてる俺でも思ってきたので、ここからは俺が実際に当選した懸賞を紹介する。

●モニプラ

モニプラというサイトがある。各種メーカーが、新商品モニター募集したり、商品サンプルをバラ撒くためのサイトだ。要は、実際に商品を使ってもらう形の宣伝をするためのサイトなので、けっこう当選やすいのだ。

会員登録したり、SNS企業アカウントフォローしたり、フェイスブックページにイイネしたり、キャンペーン情報リツイートしたり、無料メルマガの購読を契約したり、LINEで企業アカウント友達になったり、長ったらしいアンケートグダグダ回答し続けたりしなければならなかったりして、ここまでしたのに抽選なので応募するのが割りと面倒だったりするが、

俺はここで発売前の文房具や、既存商品の洗剤や発泡酒などの商品サンプルを丸々1個もらえた。

懸賞当選したことが一度も無い」なんて人は、ここで一度当選して賞品が自宅に届く喜びを味わってみると良いかも。

クローズド懸賞

商品を購入して、そのバーコードレシートハガキに貼って応募する懸賞クローズド懸賞という。

これ、実際に商品を購入しなきゃいけない分ハードルが高いので、けっこう狙い目だったりする。

個人的感覚だと、ひとつ懸賞ハガキ10枚程度送れば当選することが多い。

第一締め切り、第二締め切りと締め切りが複数ある場合は、第一締め切りを狙ったほうがいい。まだバーコードを用意しきれてなくて、応募数も少ないためだ。

これも個人的感覚だが、第一締め切りに複数ハガキを応募したもの当選したが、第二締め切りにしか応募しなかった懸賞当選したことが無い。

冒頭でも述べたとおり、裏面に印刷されたハガキでも有効に使えるので、バーコードさえ貯めれば応募するのはけっこう簡単だ。

不安場合スーパーにある専用応募ハガキを使うのも手だ。専用応募ハガキだと、切手を貼るスペースが1枚分しか用意されていないが、手元には50円切手と2円切手しかなかった。2枚切手を貼ってしまうと、最初から印刷されていた宛先が埋まってしまう。

そこで、50円切手を貼った下に2円切手を貼り、中途半端に残った宛先を修正液で消し、その上からボールペンで改めて宛先を書き直したものを送ったことがあるが、それで見事当選したこともある。

ラジオリスナープレゼント

ラジオになった途端、テレビよりも当選する確立がグンと上がる。毎週プレゼントしている番組に毎週欠かさず応募していれば、一度は必ず当選するレベルだ。

また、「メッセージ採用された方には番組オリジナルグッズプレゼント」なんて番組は狙い目だ。

早朝や昼にやっている帯番組なんかは、正直あまり面白くない緩いエピソードでも採用されやすい。時間帯に合った爽やかなメッセージを心掛けさえすれば良い。

深夜の芸人ラジオは、ラジオ花形でありラジオの中でもリスナー数が最も多い激戦区だ。芸人ラジオだけあって、こちらに求めているギャグレベルがかなり高いし、実力がモノを言う世界だ。

しか増田ブコメ皮肉ギャグセンスを鍛えたはてなーなら十分通用するはずだ。

好きな芸人さんに、自分ギャグを生で読んでもらえて、それに笑ってもらえるなんてかなり興奮するし、こんな嬉しいことはない。採用されれば番組オリジナルグッズももらえるし。

テーマに沿ったギャグを送った中から面白い奴3名にサインプレゼントという臨時特別企画があり、見事にそこに採用され、昔からずっとファンだった大好きな芸人さんのサインが自宅に届いた際は興奮が冷め止まなかった。

地元フリーペーパー雑誌微妙な読者プレゼント

あなたがもし田舎に住んでいたとすれば、かなり狙い目の懸賞がある。それは地元フリーペーパーの読者プレゼントだ。

街中で配っていたり、自宅のポスト勝手投函されているアレだ。あまり真面目に読むことは無いと思うが、けっこう読者プレゼントをやっているものだ。

都会ならまだしも、田舎フリーペーパーの読者プレゼントなど、応募数もタカが知れているだろう。

もちろん毎回当選という訳でもないが、他のどの懸賞よりも圧倒的に当選する確立が高い。

実際、俺は北海道田舎町に住んでいるのだが、地元フリーペーパー懸賞は頻繁に当選している。

実は、昨日も地元フリーペーパーによる「北海道に所縁のある本をプレゼント」に当選し、好きな小説家新刊が届いた。

これから読むのが楽しみだ。

以前にもフリーペーパー地元産の米や、地元牛乳を使ったケーキカゴメ野菜ジュースの新商品が自宅に届いた。

あとは、雑誌を読んでいれば「こんなの誰が欲しいんだよ」と思うような、微妙プレゼントをしていることがある。

「いらねー」とは思いつつも、試しに応募すれば、これがまた予想通り当たったりする。

例えば、オヤジ向け週刊誌を見るとAVやオナホールなど、大抵の人が「こんなもん家に送られても困るんですけど」と言いそうな読者プレゼントをしていることがよくある。これは応募者数も少ないだろう。

とりあえず、思いつく限りは書いたと思う。

半年実験的に懸賞に送りまくった結果、月に1、2個ペースで当選した賞品が届くようになった。

懸賞はまさに「数打ちゃ当たる」に他ならないということを実感している。

日常生活を送っているだけで、懸賞情報は割りと簡単にいくつも見つけることができる。

日常の隙間時間を少し使うだけで、簡単にいくつか応募ができてしまう。

ちょっとしたヒマつぶし程度の趣味としては、なかなか楽しいものだと思う。

最初のうちは中々結果が出ずに挫折しそうになるが、続けていれば必ず何かは当選する。

どこの家庭も引き出しや押入れに未使用年賀ハガキかもめーるが眠っていると思う。

眠らせたままにせず、郵便局で交換するなり懸賞に応募するなりに使ってちょっとした楽しみにするのはいかがでしょう。

2016-12-27

長時間労働ウツになるの?

そりゃまあ人それぞれだし、程度の違いもあるだろうし。

9時出社で終電ギリまで仕事して、と簡単に言うんだけどさー。

例えば9時に出社して朝礼。

10時に外回りに出て、帰社が22時。終電までちょいとデスクワーク

これだと、まあ間違いなくウツにだけはならないんじゃないかと思うんだよねえ。

なぜかというと、外回り営業はダラダラと映画見たりアイス食ったり風俗行ったりしつつ、

そんで終電までに帳尻合わせるっていうスタイルでしょ。

内勤でずーっとデスクトップの前にいるとかだとキツイイメージはある。

内勤の人は定時に帰らないと、たしかに狂っちゃう気もするが、

でも定時に帰って、また定時に出社するっていうことのほうがウツなっちゃう気もするんだな。

まあ人それぞれだしね、わからんけどね。

2016-12-19

学生社会人では評価尺度が逆転しま

http://anond.hatelabo.jp/20161219072939

増田と同じか、それよりひどかった人間から忠告です。

学生時代遅刻三昧。遅刻の累積が原因で留年しそうになったのでむしろ欠席して帳尻を合わせたくらいには遅刻魔でした。

増田と同じように成績は中の程度を維持。いくつかあった赤点は、その他の得意教科で相殺され無事留年なしで卒業しました。

人を待たせることも当然で、人に待たされることも全く苦ではありませんでした。

そんな生活も、学生時代では一見不都合がないように思えますが、いざ社会に出ると評価尺度が激変します。

学生が最も大切なものは成績です。

その中で最も優先されるべきは学業の成績で、次に出欠状況、生活態度が続きます

ところが社会にでると、この成績というものが実に曖昧評価になります

能力という言葉に置き換えられたりもしますが、この能力というもの評価を正しく数値化することがとてもむずかしいのです。

なぜなら、特別能力があればそれがお金に結びつくかは誰にもわからないことであり、能力が高くても売上に貢献できないなんてことがざらになってくるからです。

これがよく言われる答えがあるかないかの違いであり、結果ばかりが重視されて手段を選ばないことが不満として囁かれてしまう原因です。

そこで、社会では人を評価するときに信用という言葉を使います

企業個人の業績は信用という評価のうちの一つにしか過ぎず、その人の信用を判断するには数多くの尺度が用いられることになります

この辺りを最もシビアにチェックしているのが金融関係であり、ローンを組める金額=その人の社会的価値と置き換えてもほぼ差し支えがありません。

さて、不特定多数人間が集まる学生生活と違い、社会人生活というものは少なからず皆が同じ目的をもって集まります

言葉を変えると、不特定多数の中から自分にあった人間だけと付き合える学生生活に比べて、同じ目的を持って集まった以上人間を選ぶことができないのが社会人生活です。

そんな社会人生活の中で、能力という数値化が曖昧評価以上に大切にされるものがあります

それが、時間に対する誠実さです。

時間というもは、誰にとっても5分が5分であるように、最も価値共感できる尺度であると言えます

先程挙げた能力のように見方によっては評価が変わってしまものに対し、時間に対する誠実さというのは誰から見ても同じく評価できる尺度なのです。

まり社会人生活において、時間を守る守らないということはその人を評価する上での最もわかりやす尺度だといって差し支えがないわけです。

「君の能力は認めるのだが時間管理ができてない限り一緒には仕事を続けられない。」

同じ理由で3つほどの会社をクビになってやっとそのことの重要さに気がつきました。

そうした真っ先に信用に直結する尺度を捨てるか捨てないか増田自由ですが、現段階において増田勘違いしていること(もしくは当時の自分勘違いしていたこと)を2つ指摘しておきたいと思います

まず第一に、教師職業であり、教師が最も重視することは自分の成績にあるということです。

本人の精神状態が安定していると判断できる中では、成績が著しく悪い場合を除いて基本的に進学・卒業させることが優先されます

一番に大切なことはその結果によって生じる教師の評判で、そんな人間を進学・卒業させることと、自ら受け持つクラス留年が発生することとが天秤にかけられます

著しく成績が悪いわけでもなく、学校の評判にそれほど影響がないと判断できるのであれば、更生する手間をかける必要はないと判断されて遅刻問題放置されます

なぜならそのための労力はお金にならない無駄な労力だからです。

もちろんそんな不都合なことが言語化されることはありません。

そんな時教師は、共通して「君のため」という言葉を用います

本当は個人の評判のためなのに、当時の自分は優しい先生だところりと騙されてしまい、遅刻放置したことに対する批判封殺されてしまっていたわけです。

第二に、あなたが友人にしょうがないと受け流されていると思っている現実は、あなた遅刻が許容されている現実ではなく、あなた遅刻を許容できる友人だけが残っているという現実です。

まりあなたは、自覚がないままに友人に選ばているということになります

学生生活という出会人間の多い中であればその間違いが及ぼす影響は小さいものかもしれませんが、目的達成のために人を選ぶことが難しい社会人生活の中での影響は甚大です。

果たしてあなたから離れていった友人の中に、あなた遅刻が原因ではない人間が一人もいなかったと言えるのでしょうか。

いままで付き合いの無かった人間と何かをともにするときに、あなた遅刻はすべてが許されるのでしょうか。

そのことに気づくことができない限り、あなたあなたを許す人間のみで作られた狭い世界から抜け出すことができません。

しかしはじめに挙げた通り、時間に対する誠実さは、他の能力に比べて評価もされやすくそれでいて身につけることが他の能力に比べて圧倒的に容易なものでもあります

目の前に近道が用意されているとして、それを選ぶか選ばないか増田本人が決めるといいのではないでしょうか。

2016-11-27

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.「結論ありきの論理だ」という否定をみますが、なぜこれがいけないことだとされているのでしょうか。

結論論理的思考のすえに導き出さないと破綻やすいからだ。

人間論理的思考のできる生き物だが、個の価値観が付加しやすい生き物でもある。

これが厄介で、そんな人間が主張をするとき、「理だけ」にはまずならない。

特に結論は、人間の主張が色濃く反映される部分だ。

そんな結論から先に作れば、そのために帳尻を合わせなくてはいけなくなってしまう。

普通は、そうやって論を作ればどこかで破綻するか不自然になる。

せいぜい、それで納得できるのは同じ結論ありきの者だけだろう。

だが諦めの悪い人間は、そこに嘘や虚構を織り交ぜて無理やり成立させようとする。

それで騙された人間がいて、その騙された人間意図せずに他の人を騙して……考えるだけで恐ろしいな。

今回、学ぶべき教訓はこうだ。

「1+1から2を導き出せても、2から1+1を導き出すのは難しい」

順序は大事、という話だ。

……順序だてて、かつ論理として破綻していなければ、他者が納得できるかって?

そんなこと私は知らんよ。


Q.これといって縁のない人に好かれたり嫌われたりするのは、なぜですか。

例えば、悪印象を持ったエピソードがある。

これを知っただけで、君は当事者でなくてもイライラ度が多少なりとも加算されるはずだ。

これに登場する人物Aに対するイライラを数値にすると例えば100とする。

さて、このイライラ100を0にすることは簡単か?

答えはNOだ。

例えば、君は友達にこの話を愚痴って解消しようとする。

これで50減るのだが、残りは50になるか?

君はこのエピソードを話すことで思いが再燃し、愚痴ってもプラマイゼロ

もちろん、個人によっては減るかもしれないし、逆にもっと増える可能性もある。

まりイライラを解消するならば、もっと効果的な方法模索するか、そもそも忘れ去るのがベターということさ。

個という存在において何らかのエピソードが知られる限り、どこかで誰かが人を好きになったり嫌いになったり、それが増長する。

悲観することはない、これは誰にでもありうる話だ。

後は、そういう目線での評価をどう受け止めるか、どう対処するかというのを君が決めるだけさ。

もちろん、「対処しない」というのも対処法の一つだぞ。

2016-11-17

[]

今回はガンガンオンライン

ななしのアステリズム 第19話

まあ、女の子の言いたいことは人情的には分かる。

でも当事者には道理もなければ義理もないことだからね。

から道理義理もないといって断ること自体は悪くない。

でも人情まで非難したなら、それに関しては言いすぎってことになる。

ましてや、読者目線でいえば自身立場理解していることによる、当てつけに近い言動から、なおいっそう印象が悪いなあ。

言動理由の根幹を隠したままコミニケーションの帳尻を合わせようとするから、こういう無意味な諍いが起きるんだよね。

まあ、ある意味で今まで必死現状維持していただけで、いつかは壊れる危うい関係であったことが今回明らかになったといえる。

とまあ長々と感想書いているけれど、あんまり好みの作品ではなかったりする。

メインキャラほとんどが面倒くさい上に読者に共感されにくい人格なんだもん。

いや、理解はできるんだけれども、それを踏まえた上で不愉快な要素が多すぎる。

判官贔屓でもない限り、基本的愚か者は好かれないからね。

一応、ストーリー構成自体は興味があるから読み続けているけれども、今後もこれ以上の難解かつ不愉快言動をメインキャラがし続けるなら、私は読むのをやめるべきなんだろうなあ。

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 喪107

ほんと、この先生デリカシーが酷い。

なまじ悪い人ではないから、余計にこういうデリカシーのなさが空回りしているのに、本人が無自覚っていうのがもうね。

陽菜のもこっちに対する絡み方はちょっと不可解だが、友達には話せないちょっとした本音吐露できる相手でもあるんだろうね。

というか意味もなくマラソンで競い合ったりして、自分でもなぜそんな対抗心を燃やすのか分からなかったり。

今作でも、かなり複雑な心情を持っているキャラかもしれない。

月刊少女野崎くん 第83号

通常とは違う劇的なことをやろうとすると、後に禍根を残しやすいからねえ。

ネタとして過剰に描いているけれども、実際問題難しそうだ。

序盤の即興演劇による無茶振り相手が入れ替わっていく展開は好きだな。

そこからやたらとオチ登場人物を殺したがる演劇部員と、雑誌ときに載る編集一言コメント4コマオチに持ってくる天丼ネタもツボだ。

モドキドモ #9

不良っぽさの象徴として着けているマスクを外さな理由で「これがないと俺じゃなくなる」といって、佐々間が中二病だと勘違いするネタがあるが、実際間違ってはいないよね。

中二病って邪気眼的な言動のことを指していることが多いけれども、ああいうのも広義的には中二病だろうし。

元木サイドは言葉が足りないせいで勘違いされる展開だが、「拳で手助け」の部分はほぼ同じ解釈というオチちょっとツボだった。

それにしても、同じモドキであっても周りに割と不良だと思われている六条に対して、元木のほうは優等生とは全く思われていないという差は興味深いね

最後になんだかラブコメ波動も感じたところで、両者ともそれぞれ見所のある回だったなあ。

2016-11-12

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.大阪お好み焼きと、広島お好み焼き定義は何ですか。

いい質問だ。

私は大阪まれ大阪育ちだから、これについては一時期調べたことがあるんだ。

君は「ちゃんこ」を知っているよね。

あれは鍋のイメージが強いが、実際は力士食事全般を指すんだ。

まり大事なのは誰が作るか、どこで作られているかということだ。

なので、大阪または大阪の人が作れば大阪お好み焼きだし、広島または広島の人が作れば広島お好み焼きになる。

Q.この社会成果主義になるとして、例えば周りより2倍の労働力を持つ人が2倍の給料を貰えるなんてことは実際に可能なのでしょうか。

結論からいえば可能だ。

例えばAとBがいるとする。

Aは普通労働力で、日給はまあ6000円くらいに設定しよう。

そして、BはAの2倍の労働力だ。

素人ならここでBの日給を12000円にするが、それは難しい。

そこで、Aの日給を3000円にするのさ。

これでBの日給は6000円のままだが、Aからみて2倍となる。

ちなみに、BがAの3倍の労働力なら、Aの日給6000円のうち3000円を、Bの日給に回すというのも一つの手だ。

こうすることでAは日給3000円、Bは日給9000円となる。

まり水準を下げることで、帳尻を合わせるのさ。

大事なのは、君がAであるかBであるかだ。

ちなみに私はCだ。

2016-11-11

タダ働きだろうが何だろうが

長時間労働でなんとか帳尻を合わせて社内競争残留しようとするずるい人であり、

そのずるさに対抗しなければならない周囲まで長時間労働の泥沼に引きずり込む癌。

http://anond.hatelabo.jp/20161110230046

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161023174418

会社都合ですぐ切れる分、時給を高くして帳尻を合わせているから、妥当

派遣社員ピットインの無いレーシングカーみたいなもんなんだよ。

2016-10-09

長時間労働労働生産性

電通過労死事件長時間労働問題だ、という意識が高まり労働生産性についての議論Webで行われている。だけど、どうも「労働生産性」という言葉を素朴に受け取りすぎてて、議論が迷走してる(というか入口にたどり着いてない)ことも多いようなので、いくつかの点をメモするよ。

労働生産性って何なのさ?

辞書的に言うと「就業者一人当たりが働いて生み出す付加価値割合」がその意味となる。どうやって労働生産性を算出するの? について、すごいざっくり計算方法をまとめると「その会社粗利益就業者の人数」したものだ。細かく言えば粗利定義が同行とか、長時間働いた人と短時間の人がまざったらどうすんだとかあるんだけど、それは詳しい人に任せるとして、要するに「一人あたりにあげた利益だ」って思っておけば、とりあえずはOK。

しかし、その理解(つまり、一人あたりにあげた利益)を表面的な理解しかしていないと、「日本労働生産性が低い」と言われたときに「日本人無能なのだなあ」と思ってしまう。事実マスコミWebではそういう論調の人も少なくない。それは事実なのだろうか?

農民増田の話

ある村に農民がいたとして、彼は大根を一人で作っている。一人で作っているので、この場合粗利労働生産性だ。ある年度、彼は非常にまめに働き、好天にお恵まれて、大根が2倍とれた。(市価を考えなかったとして)つまりは2倍の利益になった。労働生産性も2倍だ!! 労働は美しい、勤勉と努力生産性を上げる――これはそういう話として理解できるし、原始農業で考えた場合にはさほど間違ってもいない。

しかし、現代的には間違いだ。農業増田があるときから2倍の生産性を手に入れたとするならば、それはトラクターか何かを買ったからだろう。

この話をすると不機嫌になる人がいる(とくに左翼の人はすごく不機嫌になる)けれど、それでも正面から言うならば「日本労働生産性ほとんどは、人間が稼いでるわけではない。機械が稼いでいる」のだ。

たとえばトヨタ工場で車がバンバン完成しているとき、その利益の大部分は機械が稼いでいる。「いいや、人間操作しないと機械は動かないだろう」とかいコメントがつくかもしれないけれど、そういう話ではない。「機械ゼロで同じ利益を上げようと思ったら、人間を何人増やせばいいのか?」「そしてその増えた人数で割り算したら一人当たりの利益(=労働生産性)はどうなるのか?」という問題なのだ

労働生産性をのうちわ

そんなわけで、ある労働生産性のうち、その手柄としては「個人努力労働)」よりも「機械設備)の割合が大きい」というのは説明できたと思う。では「個人労働能力」と「設備の力」だけで労働生産性の功績評定は終わりかというと、そうでもない。そのほかにも「組織ノウハウブランド」「ビジネススキーム」などがある。

例えばバッグを作ってる会社が二つあり、「個人労働能力就業者能力の総和)」と「設備の力」と「ビジネススキーム」がほとんど同じなのに片方だけが大きな利益を上げている場合、そこにある差はブランドだと理解できるだろう。

個人労働能力就業者能力の総和)」と「設備の力(資本力でもいい)」と「組織知名度ブランド)」が大体互角な2つの企業があり、片方が新事業に切り込めて片方がそうでないのは「ビジネススキーム」の構築で差がついたからだ。

何が言いたいかというと、「労働生産性」といったときじつは労働者能力に由来する部分は少ないということだ。「労働者一人当たりの利益」だなんて、労働者が主役のイメージがあるので誤解しがちだが、労働生産性という概念において、その主役は労働者ではない。その何割がどんな要素に由来するか? を考えれば「個人労働能力労働時間」なんてものは、実はたいした影響力がないのだ。

からこそ資本主義において資本家尊重されている。つまり利益の手柄のうちかなり大きな部分が設備投資から得られたのだから利益のうち大部分を得てもよいはずだ、という理論だ。

電通の高い労働生産性

電通2014年度の利益は1323億円で社員数7261人だそうだからざっと調べただけなので間違いあったら指摘お願いします)、労働生産性は1822万円であって、日本人労働生産性の平均700万程度と比べて低いわけではない。そこまで業種別に詳しく調べたわけじゃないけれど、これはかなり高いんじゃないか

この高い労働生産性(というか、ぶっちゃけ利益)はどこからもたらされているかというと、社員モーレツな頑張りからではなくて、業界の寡占(ノウハウブランド一種といえるのか。あんまり言いたくないけれど)とみなすの自然だ。

まり労働生産性が低いか長時間労働をしなければならない」というのは全くの虚偽で、そんなに長時間働かなくても電通利益をおそらく落とさない。

んじゃなんで長時間労働があるのか?

というと、これは企業文化問題や、報酬体系(基本給を抑えて残業代生活費支給している)や、マネジメント能力問題がある。

特にマネジメント問題は大きい。日本会社組織伝統的に人員管理業務を非常に低く評価してて、昇進して中間管理職になった場合、部下の管理を行う業務は増えるが、現場の(つまり自分自身の)仕事は減らない。「人員管理して適切にマネジメントをする業務は片手間でできるものだ」と考えられている。

中間管理職視点で見た場合マネジメントを省力化するためには「人を増やさない」「教育をしない」「マネジメントを部下に丸投げする(仕事が終わるまで無償労働をさせて帳尻を合わせることをを要求する)」などといった手法伝統的にとられる。

これは何も中間管理職に悪意があるからそうというわけではなくて、人員管理業務のための十分な時間教育リソースを上が用意してくれないので、中間管理職本人だっていいとは思ってないけれど、そうせざるを得ないという形が多いはずだ。今回の電通過労死事件新人だったけれど、「中間管理職になれば自殺が減る」というデータはない。というかいっぱい死んでる。

電通に関して言えば先にあげたように利益は出ている。残業代だってごまかしはあるだろうが、出ているし、出せないってことはない。つまり、本当にこなせないほど業務があるなら人は増やせるし、そういう風に解決すべきだ。しかし、そういう問題ではない。企業文化問題で人を増やす発想がない、増やした以上に無償労働を増やしてしまう、管理リソースがない。だから長時間労働が発生している。

残酷に言ってしまえば「長時間労働常識なので長時間労働をしている。意味効果はない」。

長時間労働労働生産性

というわけで「労働生産性が低いから(つまり労働者能力問題があるから長時間労働をしなければならないのだ」ってのは嘘だ。

しろ逆で「なんらかの不思議なチカラ()の結果、労働者長時間労働をしてるので、結果として数字労働生産性が低く見える」が正解だ。

不思議なチカラについてはいろいろある。ただの慣習とか、上層部精神主義とか。ただし「お金がないから人が雇えない」というのは、少なくとも100人以上の企業場合眉唾だ(非常に少人数の企業場合はありえる)。

なんにせよ、労働生産性労働者問題として引き受けるのは間違いだ。それは主に経営者経営能力とか資本家投資問題でだ。また、長時間労働企業文化マネジメント問題新人とるのが面倒くさいとか教育するの面倒くさいというのが問題の中心だ。こっちは生産性とはあんまり関係ない。

もちろん日本場合起業することとか管理職になることに対して、全体的な忌避感があって、その結果有能な経営者管理職が増えないというのは、可能性として高い。日本労働生産性が低いのは、経営者管理職になって合理的経営をするインセンティブが低く、そういう人材がいないことが一番の原因かもしれない。

2016-09-24

ヘタレズボラな俺でも1年で20kgのダイエット成功、その手法晒す

目標達成から半年特にリバウンドもなく体重キープできているのでダイエット成功と言って良いと思う。

成功要因を自分の中で整理しておきたいので、増田手法晒してみる。

あと、タイトル通り性格ヘタレズボラのもの

人生でまともに何かを成し得たことなどないし、怠惰で自堕落生活を今でも送っている。

スペック

ダイエットをしようと思った理由

俺流ダイエット基本方針① 〜毎朝体重計に乗り、記録する〜

俺のダイエット手法の全てと言って良い。毎朝体重計に乗り、記録する。ただそれだけ。

いつまでもデブと思うなよ」に書いてあった通り全部食べたものまで記録できれば理想だが、俺は2日で挫折した。

呑みの大好きな俺が口に入れたもの全てを酔っている状態で記録するなんて出来る訳が無い。

そんなこと意識してたら酒がまずくなる。ストレス発散にならん。

それよりも、毎朝自分体重に向き合うことの方が大事

暴飲暴食をすれば、次の日体重が必ず増える。その時に、今日一日どれくらいなら食べてよいか自分の中で概算し、実行する。

節制した次の日に体重計に乗って、予測通りの結果が出ると意外と楽しいものだ。

これを3日間、1週間、1ヶ月と続けていった。体重計に乗らない日があると気持ち悪い、くらいまで習慣化できればベスト

記録はスマホアプリを使うのがよい。

体重ログアプリは腐るほどあるし、デザインが好きなのを使えばいいと思う。

1ヶ月ぐらいしてグラフ確認してみると、自分の日々の積み重ねがバカにならないことを実感できる。

初めのうちはカロリー計算もやっていたが、1ヶ月もするとそれも必要なくなる。

1ヶ月もやってりゃ、大体どんなものをどれだけ食べれば体重に跳ね返るか予想がつくようになるからだ。

俺流ダイエット基本方針② 〜無理はしない、我慢しない〜

巷にはライザップのような短期間の過度な食事制限を行うことを基本方針としたダイエットや、

糖質制限など特定食事を摂らないことを推奨するダイエット流行っているが、俺には全く理解できない。

なんでダイエットときでそんな無理をしたり我慢したりしなきゃいけないのだ?

そもそも短期間の過度な食事制限は、強靭意志の持ち主であれば3ヶ月程度は持つかもしれんが、必ずその後にリバウンドが待っている。

また、特定食事を摂らないことはどう考えても栄養面でリスキーだ。

俺はダイエット間中でも呑みの誘いは一切断らなかったし、好きなものを好きなだけ飲み食いしていた。

もちろん、暴飲暴食後は必ず体重に跳ね返るので、翌日無理のない範囲帳尻合わせをしていた。

この「無理のない範囲で」というのがとにかく重要。ここで過度な食事制限を行えばストレスが溜まり絶対破綻する。

昼飯時そば屋でセットを頼んでいたのを単品にする、晩酌時にツマミを少し減らす、程度で十分。

これだけの節制でも、意外と体重には反映されるものだ。

「3ヶ月で20kg減らす!」ではなく「1ヶ月に1.5kgぐらい減らせればいいなぁ〜」ぐらいの心持ちで行こう。

俺流ダイエット基本方針③ 〜週一で運動する〜

初めの2,3ヶ月は1ヶ月に0.5kg〜1kg程度の微減程度だった。

しかし、会社の先輩に誘われて週一でフットサルを始めてからは1ヶ月に1.5kg〜2kg程度、多い時は3kg程度減らすことができた。

運動をすることの効果はおそらく2つある。一つは新陳代謝が良くなること、もう一つはストレス発散になるので食事量が自然に減ること、だと思う。

正直言って、フットサルをしなくても2,3年間基本方針①と②を継続すればダイエットには成功していただろう。

しかし、部活も何もしてこなかった俺にとって単純にフットサルは楽しかった。

知らない人でも和気藹々と楽しくボールを追いかけたり、仲良くなった人と一緒に呑みに行ったり…

無理なく1年で目標体重を達成できたのは、明らかにフットサルの影響が大きかったと思う。

ダイエット成功した結果

まとめ

ズボラ自分が、コツコツ何かを行って結果を出す喜びを知ることができたのは本当に良かった。

今回得られた達成感や知見を資格勉強貯金などに活かしていきたいと思う。

そして何より、この記事が皆さんのより良い生活一助となれば幸いである。

2016-09-18

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今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 20

うん、やっとエンジンかかってきた。

ここにきてやたらとアグニ本音や心情を言語化しすぎなキライがあるのと、きっかけとなる出来事や展開が弱いという部分もあるが、まあ理屈としてはそれなりにしてて悪くないと思う。

自分自身本音を誤魔化すために、どこかで嘘をつく(演技をしないといけない)という、トガタに演技指導させられた際のセリフで持っていたミーニングが、ここで実はまた違う意味を持っていたというのは、まあ悪く言えば強引ではあるが、私はフィクション範疇として許せるかな。

ただ、正直な所やりたいことは分かるんだけれども、伏線回収というよりは偏屈なことを描き続けた結果の帳尻合わせ、尻拭いという印象があるんだよね。

そこまで考えて練られた構成だと前向きに解釈するには、これまでがあまりに捻すぎなので。

1話話題になって、私や何割かの読者が期待していた色々なことを随分と遠回りさせたものだと思うが、何はともあれここからヒーロー(主人公)としてのワクワクする活躍、展開を期待したいところだ。

i・ショウジョ+ Ver48.01

こういうハッちゃけたキャラはみてて面白くはあるが、そいつに焦点あててくるとは……。

狂喜ともいえる表情の描写とかは、これまでにない人格であることがパっと見で分かるほどで、そこそこ長くやってきた中で随分と思い切ったキャラクターを放りこんできたな。

さて、ここからどう展開するかだな。

実は本当にいた他のストーカーアプリ使って捕まえるのか、これを通じて自分客観視するのか、或いは明確に語られていないダイヤの心情が語られるのか。


悪魔のメムメムちゃん 6話

セックスシンボルみたいな、待望の先輩悪魔登場に小日向思考が重なったが、お前は魂奪われる瀬戸際なんだから、随分と悠長だな。

言動も力も余裕があって、コメディ的には面白みのあるキャラクターではないが、まあそれは他の人に任せればいいってことなのだろうか。

結局、メムメムが先輩悪魔監査のもとやることになったが、今回は互いに追い詰められているし、どう落とし所つけるのだろうか。

あと、柱のコメね。

ああ、やっぱりそういう目的で描いたのか、それとも編集が単にチャラいだけなのか(少年ジャンプ+の編集精神がチャラい傾向というイメージがあるんだよね、私の中で)。

フードファイターベル 42話

メタ的にみても、作中の扱いからみても「どっちが勝ってもどうでもいい」バトルであることを承知の上での展開が笑えてくる。

優柔不断な対戦相手を狙って、自分の得意分野に誘い込もうとする狡すっからいこともしたが、あっさりかわされるあたりに哀愁漂う。

それでもカッコイイこといって、うまいことハッタリかまして関心もたせるあたりウマイとは思う。

ただ、今までのアエルの扱いとか作風とかを考えると、次回で雑なあらすじでアエルの見せ場がカットされても何ら不思議ではないんだよなあ(笑)

2016-09-15

Call of Duty:Black Ops みたいなゲームが他にあったら教えてほしい

ゲームというのは、

がそもそも食い違っているという問題があり、これをうまく帳尻をあわせないといけない。 GTA 4 では厭世的な主人公が設定されたがみんなは別に厭世的なプレイがしたいわけではないので、キャラクターのロールとプレイスタイル全然あってないみたいな問題が発生した(一方 GTA 5 では三者三様キチガイ主人公にすることでこれがある程度解決した)。 Fallout 4 の最終 DLC自分復興させた文明自分破壊する狂人にならざるをえない展開で批判を集めた(個人的意見としてはショーン死んで狂ったみたいな世界観プレイしたらヌカワールドは最高と思う)。

ポケモン BW ではポケモン使い捨てにする N とポケモン主人公対峙することになるが、ゲームバランスがかなり難しいので自分も N 同様にどんどんポケモン使い捨てにして周囲にうまく湧きが設定されているポケモンを捕まえまくらなければならないし、あまつさえ最後に手に入れた伝説ドラゴンサザンドラにぶっ殺されることになる。

CoD:BO はこういう問題が以下の方法で綺麗に解決されている

ようするに、本来傍観者であるはずのプレイヤー視点が、ハドソンという形でゲーム内に挿入されているか自然な形でゲームの中に入りこむことができるし、ダルい部分がカットされるストーリー的な理由もセットされている。

その上で更にストーリー上の工夫として

という要素を挿入することで、ゲームプレイヤーが抱きがちな「主人公はなんでこんなもどかしい判断をするんだ」という違和感を、ジェイソンハドソン違和感としてゲーム内に挿入し

という要素があることで、ゲーム主人公とは実は誰か別の人に操作されているに過ぎない、という問題すらストーリーの要素として消化される(であるからこそラストシーンでのメイソンのセリフに魅力がある)。

ゲームゲームならではの制約をそのままうまくストーリーに生かしているこんな感じのゲームが他にもあればやってみたいので教えてほしいです。おわり。

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