2016-10-09

長時間労働労働生産性

電通過労死事件長時間労働問題だ、という意識が高まり労働生産性についての議論Webで行われている。だけど、どうも「労働生産性」という言葉を素朴に受け取りすぎてて、議論が迷走してる(というか入口にたどり着いてない)ことも多いようなので、いくつかの点をメモするよ。

労働生産性って何なのさ?

辞書的に言うと「就業者一人当たりが働いて生み出す付加価値割合」がその意味となる。どうやって労働生産性を算出するの? について、すごいざっくり計算方法をまとめると「その会社粗利益就業者の人数」したものだ。細かく言えば粗利定義が同行とか、長時間働いた人と短時間の人がまざったらどうすんだとかあるんだけど、それは詳しい人に任せるとして、要するに「一人あたりにあげた利益だ」って思っておけば、とりあえずはOK。

しかし、その理解(つまり、一人あたりにあげた利益)を表面的な理解しかしていないと、「日本労働生産性が低い」と言われたときに「日本人無能なのだなあ」と思ってしまう。事実マスコミWebではそういう論調の人も少なくない。それは事実なのだろうか?

農民増田の話

ある村に農民がいたとして、彼は大根を一人で作っている。一人で作っているので、この場合粗利労働生産性だ。ある年度、彼は非常にまめに働き、好天にお恵まれて、大根が2倍とれた。(市価を考えなかったとして)つまりは2倍の利益になった。労働生産性も2倍だ!! 労働は美しい、勤勉と努力生産性を上げる――これはそういう話として理解できるし、原始農業で考えた場合にはさほど間違ってもいない。

しかし、現代的には間違いだ。農業増田があるときから2倍の生産性を手に入れたとするならば、それはトラクターか何かを買ったからだろう。

この話をすると不機嫌になる人がいる(とくに左翼の人はすごく不機嫌になる)けれど、それでも正面から言うならば「日本労働生産性ほとんどは、人間が稼いでるわけではない。機械が稼いでいる」のだ。

たとえばトヨタ工場で車がバンバン完成しているとき、その利益の大部分は機械が稼いでいる。「いいや、人間操作しないと機械は動かないだろう」とかいコメントがつくかもしれないけれど、そういう話ではない。「機械ゼロで同じ利益を上げようと思ったら、人間を何人増やせばいいのか?」「そしてその増えた人数で割り算したら一人当たりの利益(=労働生産性)はどうなるのか?」という問題なのだ

労働生産性をのうちわ

そんなわけで、ある労働生産性のうち、その手柄としては「個人努力労働)」よりも「機械設備)の割合が大きい」というのは説明できたと思う。では「個人労働能力」と「設備の力」だけで労働生産性の功績評定は終わりかというと、そうでもない。そのほかにも「組織ノウハウブランド」「ビジネススキーム」などがある。

例えばバッグを作ってる会社が二つあり、「個人労働能力就業者能力の総和)」と「設備の力」と「ビジネススキーム」がほとんど同じなのに片方だけが大きな利益を上げている場合、そこにある差はブランドだと理解できるだろう。

個人労働能力就業者能力の総和)」と「設備の力(資本力でもいい)」と「組織知名度ブランド)」が大体互角な2つの企業があり、片方が新事業に切り込めて片方がそうでないのは「ビジネススキーム」の構築で差がついたからだ。

何が言いたいかというと、「労働生産性」といったときじつは労働者能力に由来する部分は少ないということだ。「労働者一人当たりの利益」だなんて、労働者が主役のイメージがあるので誤解しがちだが、労働生産性という概念において、その主役は労働者ではない。その何割がどんな要素に由来するか? を考えれば「個人労働能力労働時間」なんてものは、実はたいした影響力がないのだ。

からこそ資本主義において資本家尊重されている。つまり利益の手柄のうちかなり大きな部分が設備投資から得られたのだから利益のうち大部分を得てもよいはずだ、という理論だ。

電通の高い労働生産性

電通2014年度の利益は1323億円で社員数7261人だそうだからざっと調べただけなので間違いあったら指摘お願いします)、労働生産性は1822万円であって、日本人労働生産性の平均700万程度と比べて低いわけではない。そこまで業種別に詳しく調べたわけじゃないけれど、これはかなり高いんじゃないか

この高い労働生産性(というか、ぶっちゃけ利益)はどこからもたらされているかというと、社員モーレツな頑張りからではなくて、業界の寡占(ノウハウブランド一種といえるのか。あんまり言いたくないけれど)とみなすの自然だ。

まり労働生産性が低いか長時間労働をしなければならない」というのは全くの虚偽で、そんなに長時間働かなくても電通利益をおそらく落とさない。

んじゃなんで長時間労働があるのか?

というと、これは企業文化問題や、報酬体系(基本給を抑えて残業代生活費支給している)や、マネジメント能力問題がある。

特にマネジメント問題は大きい。日本会社組織伝統的に人員管理業務を非常に低く評価してて、昇進して中間管理職になった場合、部下の管理を行う業務は増えるが、現場の(つまり自分自身の)仕事は減らない。「人員管理して適切にマネジメントをする業務は片手間でできるものだ」と考えられている。

中間管理職視点で見た場合マネジメントを省力化するためには「人を増やさない」「教育をしない」「マネジメントを部下に丸投げする(仕事が終わるまで無償労働をさせて帳尻を合わせることをを要求する)」などといった手法伝統的にとられる。

これは何も中間管理職に悪意があるからそうというわけではなくて、人員管理業務のための十分な時間教育リソースを上が用意してくれないので、中間管理職本人だっていいとは思ってないけれど、そうせざるを得ないという形が多いはずだ。今回の電通過労死事件新人だったけれど、「中間管理職になれば自殺が減る」というデータはない。というかいっぱい死んでる。

電通に関して言えば先にあげたように利益は出ている。残業代だってごまかしはあるだろうが、出ているし、出せないってことはない。つまり、本当にこなせないほど業務があるなら人は増やせるし、そういう風に解決すべきだ。しかし、そういう問題ではない。企業文化問題で人を増やす発想がない、増やした以上に無償労働を増やしてしまう、管理リソースがない。だから長時間労働が発生している。

残酷に言ってしまえば「長時間労働常識なので長時間労働をしている。意味効果はない」。

長時間労働労働生産性

というわけで「労働生産性が低いから(つまり労働者能力問題があるから長時間労働をしなければならないのだ」ってのは嘘だ。

しろ逆で「なんらかの不思議なチカラ()の結果、労働者長時間労働をしてるので、結果として数字労働生産性が低く見える」が正解だ。

不思議なチカラについてはいろいろある。ただの慣習とか、上層部精神主義とか。ただし「お金がないから人が雇えない」というのは、少なくとも100人以上の企業場合眉唾だ(非常に少人数の企業場合はありえる)。

なんにせよ、労働生産性労働者問題として引き受けるのは間違いだ。それは主に経営者経営能力とか資本家投資問題でだ。また、長時間労働企業文化マネジメント問題新人とるのが面倒くさいとか教育するの面倒くさいというのが問題の中心だ。こっちは生産性とはあんまり関係ない。

もちろん日本場合起業することとか管理職になることに対して、全体的な忌避感があって、その結果有能な経営者管理職が増えないというのは、可能性として高い。日本労働生産性が低いのは、経営者管理職になって合理的経営をするインセンティブが低く、そういう人材がいないことが一番の原因かもしれない。

  • そんなに長時間働かなくても電通は利益をおそらく落とさない。 ええ?この結論に至る理由が全く無いけど。。。 大丈夫かこいつ

  • 日本の労働生産性が低いっていうのはGDP÷総労働時間の話だから付加価値=企業の粗利を前提にすると余計に話が迷走する GDPは企業の利益の合計ではないし企業が赤字ばかりでも賃金が払...

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