本当は色々作るつもりだったが、スープの時点で俺は既にやる気がなくなっていた。
腹が減っていた筈なのに、食欲もほとんどなくなっている。
それでも実食。
肝心の味はというと、失敗ではなかった。
だが成功でもない。
「うん……まあ食べられる」
成功や失敗といったものをどう定義するかにもよるが、美味くそして上手く出来たかという点では失敗かもしれないし、不味い料理を作らなかったという意味では失敗ともいえないはずだ。
だが、「不味くはないカレー」という時点で、かなりの低評価であることも事実なのである。
カレーの味で体裁こそ保っているものの、料理が上手くできたわけでもこの料理がちゃんと美味いわけでもないからだ。
特に問題なのが、原因は分からないが何かが過剰な味で、しかもそれが凝縮されていることだ。
野菜の水分を警戒して濃い目にしたのも関係あるのかもしれない。
だが、ライスなんて用意していないので、事実上このカレーを食べきることは苦行だといわざるをえない。
何かをやり過ぎたといわれればそうとも言えるし、何かが足りないといわれればそうとも言える料理。
この料理のテーマをあえていうなら、「過不足」といったところか。
ため息が出ようとする口に汁を放り込む。
なんで俺はこんなに時間を費やして、こんな料理を作って、それを食べているのだろう。
いいようのない哀しみが腹の中に渦巻く。
その中心では、タイナイが隙あらば語ってくる調理のノウハウや薀蓄がリフレインしていた。
まあ、あいつなら上手いこと出来るのだろう。
多分、石の水切りが出来ない人間に、「ほら、こうやるんだよ」って言っているみたいなことを、己がやっている自覚がないんだろう。
浮かんだ油を見ながら、俺は弟に石の水切りを教えていた日のことを思い出していた。
何か別のことを考えながら食べないと、やるせなくて仕方がなかったのだ。
「あ、そうなんだ」
「何というか俺という人間は、自炊という行為を、習慣的に取り込むのは無理な人種だと思った」
「おいおい、そんなこと言うなよ。自炊は良いものだ。何よりコスパがいい」
「……自分で料理してみて、それを自分で食べてみて、気づいたんだ。お前の言う『コスパがいい』って、色々なものを犠牲にしてきた結果の言葉なんだな」
「“色々なもの”?」
「分からないってことは、お前にとっては意識すらしていないレベルのものってことだ。言ったところで仕方がない」
「なんだよ、それ」
「とどのつまり俺にとって、自炊ってのはむしろ“コスパが悪い”ってことさ」
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我が家の食卓では、料理はほとんど具たくさんである。 なぜなら食材を中途半端に余らせたくないので、一回の食事で使いきろうとするからだ。 このせいで汁物は、むしろ煮物といっ...
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