真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
結論は論理的な思考のすえに導き出さないと破綻しやすいからだ。
人間は論理的な思考のできる生き物だが、個の価値観が付加しやすい生き物でもある。
これが厄介で、そんな人間が主張をするとき、「理だけ」にはまずならない。
そんな結論から先に作れば、そのために帳尻を合わせなくてはいけなくなってしまう。
普通は、そうやって論を作ればどこかで破綻するか不自然になる。
せいぜい、それで納得できるのは同じ結論ありきの者だけだろう。
だが諦めの悪い人間は、そこに嘘や虚構を織り交ぜて無理やり成立させようとする。
それで騙された人間がいて、その騙された人間が意図せずに他の人を騙して……考えるだけで恐ろしいな。
今回、学ぶべき教訓はこうだ。
「1+1から2を導き出せても、2から1+1を導き出すのは難しい」
順序は大事、という話だ。
……順序だてて、かつ論理として破綻していなければ、他者が納得できるかって?
そんなこと私は知らんよ。
例えば、悪印象を持ったエピソードがある。
これを知っただけで、君は当事者でなくてもイライラ度が多少なりとも加算されるはずだ。
これに登場する人物Aに対するイライラを数値にすると例えば100とする。
答えはNOだ。
これで50減るのだが、残りは50になるか?
君はこのエピソードを話すことで思いが再燃し、愚痴ってもプラマイゼロ。
もちろん、個人によっては減るかもしれないし、逆にもっと増える可能性もある。
つまり、イライラを解消するならば、もっと効果的な方法を模索するか、そもそも忘れ去るのがベターということさ。
個という存在において何らかのエピソードが知られる限り、どこかで誰かが人を好きになったり嫌いになったり、それが増長する。
悲観することはない、これは誰にでもありうる話だ。