ゲイ(男女どちらも)についてはあまりに普通にいるので、そんなに訳知り顔で書かれても、何をいまさらという感じだなあ。
あほくせ。
どんな趣味でも上澄みだけ掠めて軽く楽しむのが一番だろ。
こだわりだしても、その先に待つのはつらいことばっかりだ...
前にhttp://anond.hatelabo.jp/20111214202722で「就職面接で思いっきり泣いてきた……orz」と、障害者枠の就職面接について書いていた精神障害者手帳持ち(発達障害)です。
その後も、派遣やパートで単発の事務仕事を見つけて食いつなげつつ、求人を探していました。そして、ようやく障害者枠でフルタイムのパートで仕事が見つかりました。働き始めて、もうすぐで半年が経ちます。
今の会社の求人は、採用予定部署が最初から決まってたので、面接時には人事の方だけでなく、現場の部長&課長にも同席して頂いての面接でした。ここでも発達障害をご存じないどころか、障害者雇用も最近始められたばかりだったのですが、その分「私達は詳しく知らないので、まずどういう障害なのか教えて欲しい」と、まず知ろうとして下さいました。
(そこで、前回の反省を踏まえて、作り直した資料をお見せして申し上げたところ「これだけ資料が書けて、面接でこの受け答えで、何がコミュニケーションの障害か分からない」と言われましたが……)
実際に仕事に入っても、
所属部署や総務の社員さんには、障害者である事を知って頂いていて、
・指示や仕事の締め切り日を「普通ならここまで言うか!?」ぐらい明確に言って頂く
・些細な疑問にも、皆さん嫌な顔を見せずにお答え下さる
などの配慮が有り難いですし、本当に嬉しいです。
発達障害は周りの理解があれば仕事を出来る可能性がある、と言われますが、本当にその通りで、私は周りの方に恵まれて仕事が出来ています。
入社してから半年の間に、少しずつさせて頂ける仕事も増えました。
「今の調子で行って欲しい。また、今後仕事が慣れてくれば、こんな事も出来るようになって欲しい、と思っている」
と言われ、それなりに役に立っているようでほっとしました。
もう結構前になるが、精神科のセカンドオピニオンに行ってきた。
統合失調症だと診断されてからもう6年強。良くなりはしたが薬が無くならないのに業を煮やして他の精神科に行ってきた。今まで行っていたのは総合病院の精神科だったから、精神科専門の病院に行った。
診てくれたのは、もう60歳は超えていそうなおばあさんの先生だった。私の話を聞き持ってきたお薬手帳を見て、神妙な顔をして言った。
「それであなたはどうしたいんですか?」
「何時まで経っても治ったと言われず、薬を飲み続けなければならないのに不信を持っている。今の主治医は信用できるのだろうか?」
そういったところ、こんな答えが帰ってきた。
「どんな薬を飲んできたのかを見ていると、この先生もあなたも非常に根気強く治療に取り組んできたのがわかる。あなたの症状を聞いていると、今ですらとても順調に回復していると思う。あなたはもっともっとと思うかもしれないけれど、今の先生のところで頑張るのがいいように思う」
精神科で泣くなんていかにも病人っぽいから泣くまいと思ってたけど、思わず泣いてしまった。
毎日薬を飲み続けるというのは案外苦痛なのだ。特に精神なんてものを患っている場合、この薬のせいで治らないのでは、なんて不信感がつきまとう。ちょっと調子が良くなると、自分は異常じゃなくて誤診されているだけなのではなんて思ったりもする。そんな不信や疑念も一緒に飲み込み続けてきたのだ。6年も。
それを努力として認めてもらえたことが…、なんて言ったらいいかわからない。決して嬉しい訳ではないけれど、肯定的な気持ちで泣けてきた。
再発防止のためにも薬は一生飲み続けなければならないらしい。でもなんか覚悟が出来た。そして、主治医の先生に感謝の気持も湧いた。
がんばろう。そう思えるようになったことに感謝して、がんばろう。
近寄ってきて、そしたら、なんか、こう、
体がへんなまた、きやがったなと反応しました。
手や足の末端の血管が収縮するような感じで、
やや、痛みもあり苦しいのですが、
海綿体の方には血液が流れてくるよになってきたので、
これは、ヤバいので、その人の近くからはなれました。
フェロモン香水か脱法ハーブかなんかを使用しているんじゃないかなと
思います。
通常目に見えませんから、
困ったものです。
急速に体が変化するので腰が痛くなるし、喉は異常に乾くし、意味もなくだしたくないがまん汁は出るしで。
使用者は心の中ではどう思っているのかわかりませんが。
そういう人がいたらなるべく近寄らないようには気をつけては
いるのですが、結構、寄ってくるんですよね。
元増田です。
噛み付くつもりで書くわけではありませんが、そう受け取られたらごめんなさい。
あなたと趣味が同じご友人のケースから、彼女欲しいんだったら、いい加減そのアホみたいに気が利かないとこ直せよというご指摘ですが、その通りだと思います。
少なくとも彼氏彼女以上の関係を持ちたかったら、そういうのは「人として当然」なレベルで要求されるでしょう。
でもね、自分やあなたのご友人のようなコミュ障にとって、大人になってから気遣いを身につけるのは至難ないしほぼ不可能といっていい話なんです。
まず誰かにアドバイスを貰おうにも、親や先生じゃない人が教えてくれることは、かなり限られます。
何よりいい歳した大人が「習ってないからできない」なんて子供じみた言い分、みっともないことこの上ない。
それに「気遣いは、相手がして欲しい形で為されるべき」だけど、人間の嗜好は千差万別なので、これが鉄板!なんてやり方あってたまるかという話です。
そうすると本やマニュアルを読んでの自学自習も困難。
こんな状態で何をどう学べと。
なので自分の場合、仕方ないので「この人は自分ができる範囲の気遣いで不満を持たない人か」という視点を常に持っています。
それも含めて「この人とどっちかが死ぬまで、健やかなる時も病める時も一緒に過ごせるか」「2人でいたら1人でいるより寂しいという事態にならないか」が一番気になるところでしょうか。
いつになるかは解らないけど、いつかはかならず来るはず。
ということで空想。
■国家は、領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。
■国家の三要素
・領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
・人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
・権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければならない、つまり、主権的(souverän)でなければならない。
相当単純化しているけど、まずは上記の認識に基いて考えてみる。
ソーシャルネットサービス(GoogleやFaceBook、amazon垢、appleIDに紐付くサービス等を想定)の、上記「国家」との類似点を抽出してみる。
■SNSは、領域(サーバ上のデータ領域)と人民(ユーザ)に対して排他的な統治権(管理者権限)を有するサービスである。
■SNSの三要素
・領域について
データ領域は技術的な進歩によって少しずつ大きくなり、サービス提供会社の経営具合によって大小が変わったりする。
この点は国家についても似たようなもので、技術的な進歩によって土地はより活用できるようになるし、国の状況によって領地の広さは変わったりする。
・人民について
現状、これは国とSNSで大きく違う。
国:恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
SNS:基本的にいつでも新規に入れるし抜けられる
・権力について
これも現状では大きく違う。
国:権力者を国民の投票で決めていたり、一応、人民側からのフィードバックによって権力の在り方が変わる形式をとっているのが一般的。
SNS:基本的にサービス提供会社側の独断。株主の意見を聞いたり、ユーザから多く苦情が届いた場合などに「考慮」はするだろうけど基本的に人民側に権限は無い。
【今後について】
これから何年、何十年たつに連れてどう変わるか。
飽きてきたので適当に書く。
・領域について
領地については、将来的にも物理/仮想の違いのみであり、SNSと国に大差は無いんじゃないかと思う。
・人民について
SNSにおいて「抜ける」って事がほぼ無いものになっていくだろうと思う。
そのコミュニティ内で築いてきた関係性やら、そのIDに紐付く電子書籍とかいろいろなサービス内容の価値がどんどん高まっていって
そうなったら、どうしてもサービスを抜けたい(別サービスに入り直したい)と思ってる人のために「国籍を変える」という手続きと同等の仕組みが必要になってくんだろーなと。
・権力について
ユーザの意見をとりいれなきゃだめよって風潮が強まっていくんじゃないかな。で会社の方針とかにもユーザの意見がフィードバックされるようになっていくの。
その権力の持ち具合はサービスに対して金払ってる量に比例する感じにするのが自然っぽいから、現状の株主と似たような立ち位置にしていくってイメージ、かな。
【国家を超える時】
・領地について
物理的な領地より仮想のデータ領域の方が大事なのよ!!って皆思うようになっちゃう時。
・人民について
国家に紐付いてるサービスなんかより、SNSに紐付いてるサービスの方が私の生活に直結してる!こっちの方がまぢめに考えなきゃいけないことなのよ!みたいなふうに皆思っちゃうような時
・権力について
国を住み良くするためにに一票投じる?んなことするよりSNSを住み良くするために俺様の一票の価値を上げてやるぜ!って皆思うようになる時
【何が起きる?】
わからない。あとで考える。
【まとめ】
おわり
相手の主張されるに任せて観察してるだけにしたのに
私の言うこと聞かないって言われても、任せたんだから任せろよとしか。
任せるっていうのはそういう事だろ。
任せないならちゃんと交渉しろ。そんだけ。不平不満は本人に言って。
私の気持ちというのは、
私がその人のことが好きかどうかとか
(その人と)結婚したいかとか、(その人の)子どもが欲しいかとか、
そういった確認は一切なかった。
日々のコミュニケーションも、「あなた(私)はどう思う?」というのが一切なかった。
私に対する決めつけもとても多かった。
料理できるんだよね、家庭的なんだよね、悩みなんてないんだよね、
健康だよね、とかそういったことも。
私は早々に疑問に思うことが増えたので、特に主張もせず、
こんな人もいるんだ~と観察していただけ。
だって「何食べたい?」ってきかれて答えても、
「でも~~」「最近~~」って、結局その人が決めてたし。
まとめ見たけど怪談以上に怖い。
事件後に来た電話とか文書は多分いたずらなんだと思ってたけど(思いたいけど)、
よく考えたら被害者の電話番号や住所を特にネットも普及してない時代に第三者が調べるのは難しいと思ったらまた薄ら寒くなった。
やっぱり怪文書や怪電話は加害者やその関係者から来たものなんだろうか。
それにしてもどうやって調べたんだと恐怖を感じるけど。
彼は、以前の会社の同僚で、頭が良くて仕事が出来たので、仲良くなってから、よく飲みに行っていた友達だ。
SIベンダーでリーダーをしており、最近かわいい子供も生まれて忙しい身だけど、久しぶりに飲みにいけることになった。
ほとんどが、仕事とか、家庭の話だったけど、チベットとかそういう話になったのがすこし面白かったので、書いておく。
俺)最近、オリンピックとかチベットとかの話題で、いろいろあるけど、そういう事を言われたりする?
彼)いや、みんなプロジェクトの事で頭がいっぱいで、世間の話なんかできないよ。
俺)ははは。
彼)でも、奥さんは、中国人とわかると嫌がらせはあるみたい。前からだけどね。
彼)それは、君でしょ。結婚したとき、毎日僕に犯罪者とか言ってた
彼)保育園とかは心配だね。できれば、区立のを使いたいけど。知り合いは、中国人が使うのはおかしいとか言われたらしいから。
俺)どうしても個人を超えた問題になるんだよね。きちんと調べたら、分かるんだけどね。
彼)民族問題や歴史問題は難しい。チベットのことは正直よく分からないんだ。でも、世界中でも大きな国で歴史的に真っ白な国はないでしょう?
事実を一面的に語ることはできない。
俺)でも、チベットの問題では結構強硬的だよね。そういうのは、いまの中国にとっても良い方法ではなかった。
彼)もちろん。人が死んだり傷ついて、泣いたり憎んだりするのは、悲しいよね。誰も望んでないよ。政府には、もっと上手に問題を解決できる人も多いけどまだ力が無いみたい。
俺)中国は変わると思う?
彼)さあ。
でも、ビジネスがもっと好調になれば、今のやり方では難しくなるかもね。誰かを犠牲にしたり、敵対しつづけるのはビジネスとして賢明ではないからね。
でも、それには時間がもうすこし必要だろうね。むしろ、日本が変えればいいのにと思うよ。
俺)ええ、そんなことしたら、外交問題とか言われてとんでもないことになるでしょ。
彼)直接的に言ってはだめだね。日本のほうが先進国だろう。教えるには、良い方法を知っていないとダメだね。
俺)どういう事?
彼)今、会社で新人の研修もしてるんだよね。プログラムもそうだし、エンジニアとしての考え方ね。そういうの。部長が精神論とか講義したりするのもあるんだけど。(笑)他の人が教えてるの見ててさ、中から変わらせるのがうまい人っているでしょ。
俺)癖になっていたり、慣習になってると変われないからね。
彼)そう、でも変えてもらわないと、チームの生産性が落ちるし、本人にも良くない。そういう事。技術は結構時間掛けていいこと教えても本人がモードに入ってないとダメっていうか。
彼)厳しいプレッシャーかけても、自分でも無茶な仕事が出来るとか発見はあるけど、持続できないでしょ。本人が気づくのが大事じゃない。「こっちのやり方だと便利だ」とか「この方法が効率的だ」とか。そういうのwikiに書いても、みんな読まないし、グループセミナーで話しても効果ないじゃない。
彼)タイミングね。
だから、わざと課題に困らせるもの入れておいて、でも、目の付くところにヒントがあって、本人が自分で発見したように思わせる。そういうのは、ちゃんと身に付く。
俺)たしかに。
彼)だから、覚えて欲しい方はそうやって、一度苦労をさせて本人に気が付かせる。教えてない、本人が勝手に気づいた。でも、チームはそれで幸せ。本人も幸せ。
俺)うまく行ってる?
彼)簡単だよ。間違ってる方法をやってれば、絶対にどこかで困ったりするから、そのタイミングを見てればいい。そこで、そっとパスを出す。
俺)なるほど。だから、日本も中国にパスを出せばいいんじゃないかと。
彼)そう、日本は世界中のどこにでも、パスを出しやすい立場にあるよ。世界っていうか、そういうのでしか変われないと思うんだよね。人間は。
彼)中国人は政治とか体制にほとんど興味がない。だれがリーダーかとか歴史とかには、本当はどうでもいい。おいしいもの食べたいとか、かわいいことSEXしたいとか
俺)それ、世界共通でしょ
彼)いや、中国はたぶん一番直感的だと思うよそれで何回も歴史が変わってるから
こんな話だったかな
苦しくても良いから毒草自殺でもしようかと思ったが毒草を入手するのがめんどくさい
どれが毒草だかわからないし、山に入るのも面倒だし、そもそも今の自分の状況からして突然山に行って怪しげな草やらきのこやら取って来たら確実に自殺を怪しまれる
ごめんなさい。横からなんだけど
ちゃんと自分の気持説明した?こうして欲しい ああして欲しいというのは言ってる?
彼の近くばかりで、私の近くにはきてくれないプンプン。なんで何も言わなくてもわかってくれないんだろう!!
とかは無理よ
最初に言っておこう。
失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。
愛し合った分、憎み合うように。
すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。
父を亡くしたのは、14歳の時だ。
2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。
告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、
一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。
(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)
すぐに目に見えて容態は悪くなった。
皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。
だけど、そんなことは何も珍しいことではない。
どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。
何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。
甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。
今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。
もうすぐ死にゆく人の、その匂い。
そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。
たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、
意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、
そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。
「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。
廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。
癌病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。
不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。
癌病棟でもまた然りだ。
それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。
どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。
こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。
静かに、いつの間にか彼は死んでいた。
母親と弟が仮眠を取っている間に。
わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。
最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。
何のために、あの8か月は必要だったのか。
何でもないと、今ならば思う。
すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。
少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。
見たくないものを認めるために。
後悔をしないために。
誰のせいにも、しないために。
すべての物から得ることはある。
そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。
だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。
私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。
馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。
事故で良かったと。
それなら誰も憎まないですむ。
大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、
検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。
仕方のないことだ。警察は葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。
(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)
2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、
誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。
誰かのせいにすること、
誰かに責任を見つけること、
憎しみを将来に繰り延べることは、
死をポケットに入れて。
棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。
20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。
途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、
火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。
どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。
どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。
私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。
今でも、ふと思う。
自分の中の死を。
自分の周りの死者を。
どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。
昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。
何かを失ったと思っている人へ。
失った分、同じ大きさの何かを得ている。
何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。
あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。
まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。
大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。
だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、
わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。
死は、私の中にもセットされている。
その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。
どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。
釣合いなんて、とれていなくていいから、
たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。
雑食というと浅く広く食べてるという印象からか、オタク的にはすげー印象悪いと思う。
よろずといえばまだましなんだろうか。
でも長年オタク癖(一つにはまると没頭して突き詰める)を持っていると
例えば歴史漫画→他の歴史漫画→史実→史跡巡りという発展もあるし
一つの趣味から連動して他への興味も掘り下げられる訳で、そんなことを十年二十年やると
自然に複数の事を深く掘り下げられる。
ぱっと見「複数同時で掘り下げとかライト層じゃねぇか」に尽きる。
とはいえこの辺は自分であれもこれもと言わなければ問題はない。
でも何が淋しいって、たまに他作品を絡めた○○論とか語りたくなるけど、それの出来る相手が思いの他居ないに尽きる。
ほら、スレで他作品と絡めたギャグ言っても誰も知らなくてスルーされた時みたいな寂しさっての?
逆に知っていて反応があった時の嬉しさっての?
…それだけ年食ったと開き直るしかないのかね、やっぱり。
その人は、あなたより少し年上だった。
プライドが本当に高く、コミュニケーションが下手すぎ、洋服のセンスもなく、
仕事もあまりできるようではなかった。(先輩や上司に不満をもちまくり)
「結婚したい?」「子ども何人欲しい?」など、そのようなことは本当によくきかれた。
結婚願望と、子ども願望(?)が強い人なんだなぁ、という印象を持った。
(本人曰く、地方出身ということもあって「親を安心させたい」気持ちが強い)
私のことが好きとか付き合いたいというより、
私の気持ちはどこへやら?という印象だった。
とにかく、「自分は結婚したい」「自分は子どもが欲しい」ばかり。
付き合ってもいないのにそんなこと言われても困るし、
私の気持ちの確認はしなくてもいいのか?と思った。
知らないことを知らないと言えないとか、その人の行ったことがないところには行かないとか、
食事をするのもいつも彼の職場の近く(私の家からは遠い)とか。
そういうのが態度に出ていない?